時を遡ること数時間前。
防衛省に到着した僕と里津ちゃんは、受付嬢に案内された会議室の前に来ていた。防衛省に呼び出されたということは、遂に物語が動き出したのだろう。
『蛭子影胤テロ事件』。
自称世界を滅ぼす者、蛭子影胤は『
大凡の流れはこんな感じだ。
けれど、その過程には多くの犠牲があった。影胤に返り討ちにされた者、報酬獲得の邪魔だからと味方に裏切られた者、友を守る為にたった一人で戦い続けた者。
僕の行動の一つひとつが彼らの生死に直結する。失敗は許されない。その事実が心に重く伸し掛かる。
自分なんかに本当に彼らを救えるのだろうか。そんな自問自答をこれまで何度も繰り返し、未だ答えは出ない。しかし、先延ばしにしてきた答えはすぐ目の前まで迫っている。
(……でも、やることは変わらない)
指で軽く眼鏡を押して、顔を上げる。決して楽な道のりではない。過酷なのは重々承知。なら、ごちゃごちゃ考えたって仕方ない。
扉に手を掛け、臆することなく部屋に足を踏み入れた。
中を見渡すと既に多くの民警が揃っていた。高級なスーツに身を包んだ人間たちはそれぞれ指定の席に着いており、その背後にはバラニウム製の武器を持ったプロモーターとイニシエーターが控えている。
その光景に思わず我が目を疑った。集合時間にはまだ余裕があるというのに、席の大部分が埋まっていたからではない。カウボーイの格好をした男や包帯で顔を覆っている者など、どこぞの仮装大賞の出演を狙っているとしか思えない人たちがいたからでもない。
部屋の中央にある細長い机。正確にはその上で、どこかで見た覚えのある振り付けを大変ノリノリで、しかも音も無く踊っている
「…………………………」
「…………………………」
互いに無言。いたたまれない沈黙。この気持ちを表現するとしたら、そう。まるで自室でこっそり薄い本を読んでいた息子を見てしまった母親と、その母親の視線に気づいた息子みたいだ。
「カネキ? 大丈夫? なんか死んだ魚みたいな目になってるけど」
「……うん、大丈夫。座ろっか」
怪訝そうにこちらを見上げる里津ちゃんの手を引いて逃げるように
「よお、カネキ」
「こんにちは。カネキさん、里津さん」
声を掛けられ振り返ると、そこには『三ヶ島ロイヤルガーダー』所属のプロモーター・伊熊将監と彼のイニシエーター・千寿夏世がいた。将監さんは軽く手を上げながら、夏世ちゃんは僅かに頬を緩めながら近づいて来た。
「あ、将監さん。連絡ありがとうございました。夏世ちゃんもこんにちは」
「おっす夏世ー。あと脳筋も」
「おい誰が脳筋だこのクソガキッ!」
「はッ、この場で脳筋と言ったらアンタ以外いるわけないでしょ。だってアンタ、ぶふっ、夏世から聞いたけど、の、脳味噌まで筋肉で出来てるらしいじゃんっ」
「夏世テメェ……!」
「
将監さんが青筋を立てながら夏世ちゃんの頬を引っ張ると、まるで餅のようにびよーんと引き伸ばされる。それでも無表情を貫くあたり彼女らしいが、目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる。それを見て、将監さんの顔面に華麗なドロップキックを決める里津ちゃん。
「将監! 女の子の顔になんて事するのさ!」
「激昂するとすぐ手を出す。やはり将監さんは脳筋ですね」
「ぬおぉぉ……! 顔、俺の顔が……ッ!」
両手で顔を押さえながら地面に蹲る大人と、それを見下ろす幼女二人。将監さんが特殊な性癖に目覚めないことを切に願う。
◆◇◆◇
「………………」
その後、今晩4人で外食する約束を交わし、席に着いた僕は持参した本を開いていた。里津ちゃんは僕の膝の上でイヤホンをしながら音楽を聴いてる。確か『天誅ガールズ』の主題歌、だったかな。……あ、思い出した。さっきの変態の動きは天誅ガールズの曲の振り付けだ。
───え? じゃあ彼は天誅ガールズを見ているのか?
……ははは、まさか。確かに彼は蓮太郎に一目惚れしたり、蓮太郎に殴られて狂喜乱舞する変態だけど、決してアニメに熱中するようなキャラでは無かったはずだ。
いや、もしかしたら
「……………………………………」
本を閉じ、観念して目線を上げる。
視界一面に広がる白。それは机の上から僕を覗き込んでいる影胤の仮面だった。
この男、最初に目が合ったときからずっと僕を観察している。鬱陶しいことこの上ないが今は放置するしかない。
「おい、さっき三ヶ島のところの民警と話してたあの男は……誰だ?」
「やけに親しげだったが、見ない顔だな。新人か?」
「民間警備会社『あんていく』……。知らんな」
べ、別に気にしてないし。原作に介入しやすいから民警に成っただけだし。名前が売れてなくても、全然、これっぽっちも悔しくないし。
気を落ち着かせるために部屋に用意されていた水に手を伸ばすと、向かい側の席から雑談が聞こえてきた。
「あ、そういえばこの前ある噂を耳にしたんですよ」
「噂?」
「はい。『黒い死神』の話はご存知ですね?」
「ああ、『新人類創造計画』と並ぶ都市伝説だろ。そんなもの子供でも知ってる」
あ、この水おいしい。やっぱり国の行政機関が出す水は違うなぁ。
「ではこの噂はどうです? ガストレア戦争終結後にその存在が確認され、2年前に忽然と姿を消した『隻眼の王』。奴はその死神と同一人物なんじゃないかという噂なのですが」
ブフォーー!! と思わず口に含んだ水を噴き出した。
「ぎゃあああ!? カネキ、アンタ何してんの!?」
「ご、ごめん!! 今拭くから!」
周囲から不審の視線と嘲笑を送られるが、全て無視して里津ちゃんの体を拭いていく。幸いな事に彼女はそこまで濡れていなかった。そう、
「あ」
そう言えば僕の正面には彼が居たはず。恐る恐る顔を上げれば、先程と変わらぬ姿勢でこちらを覗き込む影胤。しかし、ご自慢の白い仮面はずぶ濡れで、ポタポタと水が滴っている。
「…………………………」
「…………………………」
本日何度目かの沈黙。仮面の奥の瞳は、心なしか悲しそうだった。
◆◇◆◇
「───絶望したまえ民警の諸君。滅亡の日は近い。行くよ小比奈」
「はい、パパ」
窓を叩き割って飛び降りる二人を、俺たちはただ見送る事しか出来なかった。誰一人動けなかった。視線だけで殺されると思ったのは生まれて初めてだ。
不意に誰かの手が肩に置かれビクリとする。振り返るとそこには厳しい表情をした木更さんの顔があった。
「里見くん、説明なさい。あの男とどこで出会ったの?」
「それは……」
どこから説明する? どう説明する?
俺が言い淀んでいると、三ヶ島が『新人類創造計画』の真偽を
その直後、欠席した大瀬社長の秘書が会議室に飛び込んできた。
「社長が……自宅で殺された……! し、死体の首がッ、どこにもないんだァッ!!」
全員の視線が影胤が置いていった箱に向けられる。俺は震える手で蓋を持ち上げようとして───
「───やめた方がいい」
横合いから伸びた手にあっさりと止められた。反射的に手の主を見れば、黒髪の青年が氷のような冷たい瞳で、眼鏡越しに箱を睨んでいた。どうしてか、その横顔に妙な既視感を覚えた。
この男……何処かで会ったような……。
「
その言葉が何を意味するのか理解した瞬間、俺は男の手を乱暴に振りはらって、箱から目を背けた。男は、俺に蓋を開ける意思がないことを確認すると、静かにモニターを見上げた。
「聖天子様、既に犠牲者が出ています。ケースの中身を説明していただけませんか?」
『……いいでしょう。ケースの中に入っているのは七星の遺産。邪悪な人間が悪用すればモノリスの結界は破壊され、東京エリアに"大絶滅"を引き起こす封印指定物です』
◆◇◆◇
イレギュラーがあったものの、それ以外は原作通りの展開だった。『天童民間警備会社』の二人が最後に会議室に到着し、将監さんと一触即発の空気になり、
とにかく。聖天子様からの依頼は、とあるガストレアが取り込んだ
この事件が彼女の隣に佇んでいた
「あの、すみません……お時間よろしいですか?」
溜息をこぼしながら出口に足を向けると、背後から声をかけられた。
「あ、はい。大丈夫、です、よ……?」
反射的に外向きの笑顔を貼りつけて振り返ると、そこには予想外の人物たちがいた。
「ほら、やっぱりだわ里見くん! 彼に間違いないわ!」
「落ち着けって木更さん。もしかしたら俺の勘違いかもしれないんだから……」
「わ、わかってるわよ!」
一人は
「お久しぶりです、カネキさん。私たちのこと、覚えていますか?」
「…………………」
爽やかな営業スマイルが徐々に引き攣った笑みへと変化する。なるほど、これがいわゆる悲劇的ビフォーアフターか……って違う! 落ち着け、一旦冷静になるんだ。深呼吸、そう深呼吸をするんだ。
覚えてますか、って。え、なに、どういうこと? もしかして僕は彼らと会ったことがあるの?
「あ、あのー……カネキさん、で合っています、か?」
「へあ!? あ、はい。合ってます。合ってるんですけど……」
(どうする!? 彼らに「君たちの事なんて知らない」と正直に言うか? いやでも、二人揃って凄い不安そうな顔になってるし……け、けど僕には彼らと会った記憶なんてないし)
どうしよう、そう視線に込めて里津ちゃんを見る。軽いパニックに陥りかけていた僕は、藁にもすがる思いで彼女に助けを求めた。
───頑張れ。
親指をぐっと上げた相棒に涙が出そうになった。
「……もしかして覚えていませんか?」
「え、えーと、えーと……」
覚悟を決めろ、金木研。僕は彼女たちと会ったことはない。なら、それを素直に伝えるんだ。悲しませちゃうかもしれないけれど、彼女たちを騙すよりはマシだろう。
「いや、申し訳ないけど君たちと面識は───」
無い、そう口にしようとした瞬間。
ズキリと、まるで眼球の奥を抉られ、脳を内側から掻き回されているような激痛が走った。
「───っ!?」
頭痛を誤魔化すために手のひらに爪が食い込むほど握りしめ、顔にだけは出すまいと歯を食いしばる。
その痛みは一秒ごとに強く、鋭さを増していく。とうとう視界まで霞みだした。
頭が割れる、そう思った。
「───、カネキッ!」
突然耳もとに響いた里津ちゃんの声を皮切りに、痛みが波のように引いていく。心配そうな顔でこちらを窺う彼女に「大丈夫」と手で制しながら、軽く頭を振り、ゆっくりと息を吐き出す。
痛みは、消えていた。
……何の話をしてたんだっけ? ああ、そうだ。
「
懐かしいなぁ。道場に通ってた時は、いつも僕の後ろを二人でとことこ付いてきてたっけ。
「なんだよ、思い出したって……。やっぱ忘れてたんじゃねぇか」
「あらぁ? 里見くんったら拗ねてるのかしら」
「別に拗ねてねぇよ……」
「そりゃそうよね〜。あの頃の里見くん、彰磨くんと同じくらいカネキくんに懐いてたもんね〜」
「だからそんなんじゃねえって!」
蓮太郎くん、顔が真っ赤だぞ。
「あははは……ごめん、ごめん。でも本当に見違えたよ。蓮太郎くんはハンサムになったし、木更ちゃんは美人になったし」
「うふふ、そう言ってくれると嬉しいわ。里見くんなんて滅多に褒めてくれないんだから」
「いや、木更さんが綺麗なのはいつもの事だし……」
蓮太郎くんの独り言は木更ちゃんの耳には届かなかったようだ。……どうしてだろう。無性にブラックコーヒーが飲みたくなってきた。
「……ねえ、ちょっと」
袖を引っ張られて首を巡らせれば、不満そうに頬を膨らませている相棒の姿が目に映った。
「いい加減その人たちの事をアタシに紹介してくれても良いんじゃない?」
どうやら会話に混ざれず、一人だけ蚊帳の外だったのがお気に召さなかったらしい。
簡単な自己紹介を済ませた後、午後から暇だと言う蓮太郎くんたちを夕食に誘った。
店の名前を聞いて顔面蒼白になる二人だったが「民警になったお祝いと、今まで連絡すらしなかったお詫びだから遠慮しなくて良い」と伝えると、絶望していた顔が困惑した表情に。そして、僕の言葉がようやく理解できたのか、お互いに顔を合わせ一つ頷くと、周囲の目も気にせず歓声を上げながら泣き崩れた。どんだけ金に困ってたんだこの二人。
この時の僕は、昔の知り合いと再会したことで色々と浮かれていたんだと思う。
将監さんには"友人を連れて行く"とメールを送り、蓮太郎くんたちには"友人と店で落ち合う"としか言わなかった。
彼らが防衛省で一悶着あったことなど、完全に忘れていた。
金木 研(カネキ ケン)
・24歳
・Blood type:AB
・Size:170cm/58kg
・Like:里津、39区の子供たち、知的な女性
占部 里津(ウラベ リツ)
・10歳
・Blood type:O
・Size:138cm/37kg
・Like:39区の子供たち、天誅ガールズ、肉料理(レア)
・Love:カネキ
・Hate:殺しを正当化するヤツ
・Gastrea model:シャーク