黒の銃弾と黒い死神   作:夢幻読書

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第31話 仮定

 

 

 

 

 

 昼過ぎのラーメン屋。そこは様々な年齢層の人間でごった返していた。

 

 若者、中年、老人。

 ただ黙々とラーメンを食べる者、友人と言葉を交わしながら食べる者、パソコンと睨めっこしながら食べる者。

 

 そして。

 

「───はぁッ!?」

 

 ヤクザが仏に思えるほどの強面の男───多田島茂徳は、電話を耳に当てたまま椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。

 

 あまりの剣幕に、何事かと他の客たちからの視線が殺到する。それに多田島は慌てて謝罪し、椅子に座り直して小声で問い糺した。

 

「……あと数日で東京エリアが滅ぶ? ふざけるのも大概にしろよ」

 

 多田島が大声を上げた理由。それは通話相手が、現在東京エリアが直面している危機について語ったからだ。

 

「はっ、何が『滅びるとは言ってない』だ。モノリスが崩壊することが確定していて、そこへ統率されたガストレア共が集結している。勝ち目なんかどこにある」

 

 自分が知らない間に東京エリアがあまりにも絶望的な状況に置かれていることを知り、注文したラーメンが運ばれてきたが食べる気にもなれない。

 

「……いや、そうだな。自衛隊にはガストレア戦争で培った対ガストレアのノウハウがある。ステージⅤレベルの化け物でも出張って来なけりゃあ対処できるか」

 

 緊張していた神経を緩めるように、多田島は溜息を吐いた。

 が、すぐにある疑問が浮かんだ。

 

「おい待て。なら何でこんな情報を俺に教えた。まだテレビや新聞で報道されてねぇってことは、機密情報だろ。何も問題が無いなら、わざわざ俺に教える必要はなかった筈だ」

 

 嫌な予感がして、再び多田島に緊張が走る。しかし、それは杞憂だった。

 通話相手が多田島に情報を開示した理由は、モノリスの白化現象(腐食)が露呈すれば、市民の避難誘導に交通対策、それに乗じた犯罪の対策などの指示が必ずある。故に、可能なら今のうちに根回しをしておけ、というものだった。

 

「自衛隊が勝つのが理想だが、万が一を考えれば、か……」

 

 多田島は一度麺を啜り、口の中を空にしてから再び話し始めた。

 

「しっかし本当に、お前から俺に連絡を寄越す時は悪い知らせばっかりで良い知らせだった試しがねぇな。一月前の建設途中ビルの崩壊の件にしたって───」

 

 電話の主との付き合いはもう2年になる。

 

 事の発端は、当時世間を賑わせていた連続誘拐事件だった。

 被害者に共通点は無く、性別や年齢、経歴も様々。被害者同士にも接点もなく捜査は難航したが、多田島は唯一手掛かりが残されているであろう現場を徹底的に調べ上げ、被害者たちの行方を追った。そうして捜査を進めていく過程で、多田島はとある宗教団体に行き着いた。

 

 その宗教団体の()()()()()()()()()()だった。彼らはガストレアを人類によって汚染された地球を浄化するために降臨した神と崇め、呪われた子供たちを神の代理人と解釈し、誘拐した一般人を()()()()()()()()()()()()つもりだったのだ。

 

 事件は特殊事件捜査係(SIT)が出動する事態にまで一気に発展した。

 

 加えてガストレアを信奉しているならば、最悪の場合ガストレアを所有している可能性がある。万が一に備え、警視庁は民警との協働を決断した。逼迫した状況だったゆえに時間的猶予はなく、高額な報酬も用意できなかったため駄目元だったが、唯一要請に応じた()()()()()()()()()()()()()()()()()と共に宗教団体の拠点に突入した。

 

 そして、現場に踏み込んだ多田島が見たのは地獄だった。

 

 赤い目の幼い少女たちは衣服を纏わず、バラニウム製の枷を嵌められ、言葉を発することすら許されず、血と体液と汗が混ざり合った悪臭に満ちた部屋で、虚ろな目でかつて人だった肉の塊を頬張っていた。

 

 『彼らは世界をより良くするための礎となったのです』と教祖は笑った。信者たちはその言葉に感涙し狂喜していた。彼らは皆、少女たちとは対照的に小綺麗な身なりをしていた。

 

 誘拐された被害者たちは、誰一人として生きて帰ることは叶わなかった。

 

 胸糞の悪い事件だった。多田島はしばらく肉を食べられず、犠牲者たちの悪夢に悩まされることになった。

 唯一の救いは、あの場に居た呪われた子供たち全員が例の応援に駆けつけた民警に保護され、今は人並みの生活を送れていることだろう。

 

 そして、その民警こそ多田島と話している電話の主だった。

 

「……そういや、お前に訊いておきたかったことがあるんだ」

 

 多田島は一瞬間を置いて、尋ねた。

 

()()()()は、どうなったんだ」

 

 電話の主の返答を聞いて、多田島は目を閉じた。

 

「そうか……死んだか」

 

 分かっていたことだ。

 

 先月起こった、表向きは民警同士の小競り合いが原因とされている建設途中ビルの崩壊事故。あの場に多田島も居た。

 

 助からないと思った。

 

 胸から夥しい量の血を流す、髪色以外は瓜二つの姉妹の姿は今でも鮮明に思い出せる。

 それでも多田島は、部下に命じて双子を()()()()()()()()()と共に病院へ届けさせた。

 

「もう何年も前の話だ。俺が交番勤務だった頃、双子の少女が盗みを働いた。何度もな。ほとんど毎日追いかけっこさ。一度もとっ捕まえられなかった。で……突然姿を消した」

 

 それは、多田島が抱える数ある後悔の一つだった。

 

「周りの連中は喜んださ。盗人が居なくなって清々するってな。お礼すら言われたよ。厄介者を追い払ってくれてありがとうってよ……だが、俺は喜べなかった」

 

 多田島は少女たちが娯楽目的で盗みを働いていたのではなく、生きるための手段として盗みに手を染めていることを察していた。

 そんな状況の人間がぱったりと盗みをしなくなった理由を考え───最悪の想像を振り払うように、街を駆けずり回った。

 

「まあ結局見つけらんなくて、気付けば警部になって、嫁さんが出来て、娘が産まれて、部下を持つ立場になった。()()()()()()()()

 

 法の番人として最も必要な能力とは、割り切りの良さであると多田島は考える。

 

 絶対的な正義や、因果応報、勧善懲悪などは幻想でしかないと受け入れる(割り切る)こと。

 

 警察という職業は、時に人間の負の側面を、目を背けたくなるような醜悪な部分を直視することを強いられる。『世の中そんなもの』だと割り切れなければ、どれほど優秀な人材でも容易く潰れる。

 

 故に、多田島は双子のことを割り切ることにした。いつまでも過去に執着して、今を疎かにしてはいけないと。

 しかし、かつて割り切った存在は、瀕死の状態で目の前に現れた。

 

 頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

 後悔が、多田島の胸中から溢れ、滲むように全身に広がった。

 

 あの時、自分が何としてでも双子を捕まえていれば。

 あの時、もっと必死になって彼女たちを捜索していれば。

 あの時、割り切ら(あきらめ)ずに、彼女たちの調査を続けていれば。

 

 だから多田島は、助からないと思いつつも双子を病院へ行かせた。

 

 電話の主から双子の死を聞かされても動揺は無かった。

 

 ならば何故、彼女たちのその後を聞くのを今日まで先延ばしにしたのか。

 単純に双子の死を聞かされるのが怖かったからではない。取り返しがついたかもしれない後悔を勝手に諦め、自分の意思で、今度こそ取り返しのつかない後悔にしてしまったことを認めるのが怖かったのだ。

 

 情けない、と多田島は自嘲する。

 

 双子の訃報を聞くのを先延ばしにした事に対してではない。

 

 ここに来てようやく気づいたのだ。自分がしていることが、懺悔であることに。

 

 助けてやれなくてすまない、と。

 

「……はッ、そうだな。確かに傲慢だな。この歳にもなって、まだこんな青臭い考えが残ってたなんてな。あぁ? 若い? 喧嘩売ってんのかお前。おい、何でいま舞の名前が出て来る。民警(里見蓮太郎)連れ(イニシエーター)と友達だった? 初耳だが……いやだから今それが何の関係が……は? 仲直りさせてほしい? 待て、さっきから何を……切りやがった」

 

 一方的に要求を押し付け、挙句には返答も待たず会話を打ち切る。例え親しい間柄であっても怒って当然の対応。ましてや多田島と電話の主の関係は、どんなに良く言っても知人である。

 

 電話の主のあまりの暴挙に、多田島は。

 

(あいつ、何を焦ってやがる……?)

 

 困惑していた。

 

 自分の()の名前を脈絡なく話題に出され当然訝しむが、電話の主がこちらに有無を言わさず要求を伝える時は、それだけ余裕がない状況なのだと多田島は知っていたからだ。

 

(やっぱり、勝算が低いのか?)

 

 いいや、と多田島はすぐに自身の推測を否定する。もし今回のガストレアとの戦いが敗北濃厚なものなら、電話の主はモノリスの白化現象が発覚後の対策など頼まず、他エリアへの避難を勧めたはずだ。

 

 そこまで考えて、多田島は自分のことを殴り飛ばしたくなった。

 

(間抜けか俺は……! 相手は2000体のガストレアだぞ!? 自衛隊が敗北すれば、そのまま民警が対処する羽目になる。あいつが負けると言わなかったってことは勝算はあるんだろうが、犠牲が出ない筈がない)

 

 その犠牲の中に、電話の主が含まれない保証など無いのだ。

 

「……死ぬなよ、カネキ」

 

 そう呟いて、多田島はすっかり伸びてしまった麺を顔を顰めながら啜るのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「ようこそ蓮太郎くん、私の悪夢───うっわっ」

 

「おい待て先生。何で人の顔を見るなりそんな反応すんだよ」

 

「決まっているじゃないか。君が、年端もいかない幼女を連れている。なら、私が想像する内容は一つしかないだろう。懲役は3ヶ月以上からだぞ」

 

「攫ってきたんじゃねぇよ!」

 

「と言うことで蓮太郎くん。私は君にゲロ以下の臭いがぷんぷんしそうな想像をさせられたせいで大変不快な気持ちになった。慰謝料を払ってくれよ」

 

「払わねぇよ!? 勝手に変な想像して勝手に不快になるとか、言ってることが当たり屋と同じだぞアンタ!」

 

 ティナを連れて勾田大学病院の地下を訪れた蓮太郎は、(霊安室)の主人である菫に早々に遊ばれていた。

 

「そう興奮するな蓮太郎くん。これくらい私と君にとっては挨拶のようなものだろう?」

 

「ざけんな、人を社会的に殺そうとする行為が挨拶であって堪るか。そんなことより、ティナ」

 

 深々と溜息を吐き、蓮太郎はティナに自己紹介を促す。

 

「初めまして、ドクター室戸。ティナ・スプラウトです」

 

「これはご丁寧に。初めましてティナちゃん。私は室戸菫。話はクロナちゃんたちやカネキくんから聞いてるよ」

 

 カネキの名前を耳にした瞬間、ティナの顔に緊張が走る。

 

「皆さん、何と……?」

 

 恐る恐ると言った様子でティナが尋ねる。

 

「クロナちゃんたちは君の狙撃の腕を高く評価してたよ。それから裏稼業の人間としては珍しいくらい律義な娘だともね。殺し屋同士は、互いに利用し合っても助け合ったりはしないそうだ」

 

「そういや、その二人はどこにいるんだ? さっきから姿が見えねぇけど」

 

「ああ、二人なら奥の部屋で私が布教したエロゲーをしてるよ。内容は異世界系の憑依転生もので、ストーリーは凡庸で退屈なものだったが『魂』に対する視点は面白かった。もしも魂なるものが実在するとして、人体に人間二人分を許容する空間がない以上、魂の宿る場所も一人分であるというのが私の持論だが、『魂の器である肉体が一つしかないのに対し、憑依した者と憑依された者の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』に焦点を当てた設定はなかなかに興味深かったよ」

 

「殺し屋だった喰種が、今じゃ昼間からゲーム三昧のニートか……」

 

「いいや? 彼女らはきちんと検体として働いているよ。給料も出してるし、何なら君よりよっぽど懐が暖かいんじゃないか?」

 

「うるせぇなぁ! 俺のことはほっとけよ!」

 

 蓮太郎の反応にケラケラと笑うと、菫はティナに向き直った。彼女は変わらず、緊張した面持ちで佇んでいた。

 

「心配せずともカネキくんはティナちゃんのことを恨んじゃいないよ。彼は君のことを、真面目で優しい子だと言っていた」

 

「………どうして」

 

 菫の言葉に俯き、髪で顔が隠れたティナは絞り出すように声を漏らした。

 

「どうして彼は、いいえ、みんな私を恨まないんですか……?」

 

 思い返すのは、ティナが天童民間警備会社の一員となって数日後のこと。蓮太郎たちの同伴のもと、カネキに会いに行ったのだ。謝罪するために。

 

 重苦しい雰囲気だった。特に里津と夏世がティナに向ける敵意は本物だった。

 

 当然と言えば当然である。彼女がカネキとクロの戦闘に介入しなければ、カネキは右手を吹き飛ばされず、瀕死の重傷を負うこともなかったのだから。

 

 そも、天童民間警備会社の対応がおかしいのだ。蓮太郎と延珠は命のやり取りを行ったものの、結局大きな怪我を負うことなく勝利したためそこまで悪感情がないのは理解できる。

 しかし、木更は一人の時に会社を襲撃され殺されかけている。蓮太郎があと一歩会社に戻るのが遅れていたら、彼女は間違いなく死んでいただろう。

 

 なのに、彼女たちはティナのことを許し、笑って迎え入れてくれた。

 木更からすれば明確に自身を殺そうとした相手を、蓮太郎と延珠からすれば家族のように大切な人を殺そうとした相手を。

 

 だから、里津たちが敵意を向けてくれてたことに、むしろティナは安堵した。

 

 彼女たちなら、()()()()()()()()()かもしれない、と。

 

 あんていくの事務所で、右手を前に出すようカネキに言われ、まるで逃がさないように手首を掴んで手刀を振り上げた時は腕を切り落とされるのを覚悟した。

 

 目には目を。歯には歯を。右手には右手を。自分は彼の右手を奪ったのだから、同じように右手を失うのが道理だろう。

 

 納得と共にティナは目を閉じた。せめて悲鳴を上げたり、痛みにみっともなく泣き喚いたりしないように歯を食いしばって。

 

 そして。

 

 パァァンッッ!

 

 快音と同時に凄まじい痛みが右手首を襲った。

 ティナは悶絶した。情けないことに涙も出た。しかし、想像していた痛みとはどうも違うことに困惑して目を開けると、ティナの手首には指2本分の赤い跡があるだけで、右手は繋がったままだった。

 

 つまるところ、ティナがされたのは『しっぺ』だった。大の大人でも泣き出し、常人なら数日は跡が残るような強烈な威力だったが。

 

 カネキは「これでおあいこだ」と言い切った。それに里津と夏世は呆れたような溜息を零して敵意を引っ込めた。挙句にその日は『ティナが天童民間警備会社の社員になったお祝い』と題して食卓まで囲んだ。

 

 何が好きで、何に感動するのか。趣味はあるのか、天誅ガールズの推しは誰なのか。

 天誅ガールズを知らないと言えば、それまで積極的に会話に参加していなかった里津が食いつき、それを夏世が冷静に宥め、延珠の提案で朝まで天誅ガールズを履修することになった。

 

 心の底から楽しかった。使い捨ての道具ではなく、一人の人間として接してくれる彼らとの時間が。今が人生で最も幸せな瞬間だと思えるほど。

 

 同時に、お前にそんな資格があるのかと、罪悪感に胸ぐらを掴まれた。

 

 彼らの善性が、ティナがこれまで無意識に避けていた自身の罪の重さをはっきりと認識させた。

 

 自分はいつか罰を受けるのだと、そう思うことで、これまで犯した罪とこれからも犯すであろう罪を考えないようにしていた。そうしなければ戦えなくなるから。立てなくなるから。使()()()()()()()()()()()()

 使い物にならなければ、主人であるエインに捨てられる。それは死を意味すると同時に、誰からも必要とされなくなるという、死ぬことよりも恐ろしい絶望だった。

 

 それは生きるための自己防衛だった。自らの心を守るための免罪符だった。

 

 そしてその免罪符が不要となった今、自らの罪を直視することになるのは必然だった。

 

 ティナには分からなかった。

 

 どうして、自分や自分の大切な人を殺そうとした相手を、仲間や友人として迎え入れられるのか。

 どうしたら、自分の罪を贖えるのか。

 

 ……いや、嘘だ。罪を償う方法は知っている。それだけは、分かっている。

 

「何で恨まないのかって、そりゃあ君、彼らが馬鹿みたいにお人好しだからだよ」

 

 俯き、顔を上げられなくなったティナに最初に声を掛けたのは、菫だった。

 

「蓮太郎くんは直接君と話をして、ティナちゃんのことを知った。木更に延珠ちゃん、カネキくんたちも、蓮太郎くんを通して君のことを知った」

 

 菫は蓮太郎に一度視線を向け、再びティナを見る。彼女は困惑した顔で菫を見上げていた。

 

「人間は他人のことを知れば知るほど、その距離は近くなる。自己と他者の同一化……無論境界線はあるが、その線は何も知らない赤の他人よりも薄くなる。他人のことを自分のことのように考えられるようになる。理解できないものを排斥するのが人間だが、その逆も然り。要するに、君は彼らに身内認定されたわけだ」

 

 自分のことをぞんざいに扱う人間などいないだろう?

 

 そう言えば、ティナは不安そうに蓮太郎に「そう、なんですか……?」と尋ねていた。

 

「アホ。だから木更さんはお前をうちで雇ったし、俺も延珠も賛成したんだ」

 

「あう……」

 

 少々乱暴に、ティナの頭を撫でる蓮太郎。それを見ながら。

 

(……まあ、一部例外はいるが)

 

 菫は、自分を蔑ろにする二人(カネキと木更)を脳裏に思い浮かべた。

 が、わざわざそのことを口に出したりはしない。関連性はあるが、本題ではないからだ。

 

「ティナちゃん。単刀直入に訊くが、君は死をもって自分の罪を償おうと考えているね?」

 

「───は?」

 

 その言葉の意味を、蓮太郎は理解できなかった。

 

「……はい。仰る通りです、ドクター室戸」

 

 そして、それを静かに肯定したティナの意図も、当然分からなかった。

 死をもって罪を償う? 誰が? なぜ? 訳が分からない。瞬きの間に、答えの出ない疑問が蓮太郎の脳内で乱反射する。

 

 けれど。

 ただ一つ、分かることがあるとすれば。

 

「───ティナ、お前自分が何を言ってるのか、分かってるのか?」

 

 軽々しく、命を捨てるつもりだと口にした目の前の少女を、叱らなければいけないという事だけだった。

 

 蓮太郎の問いに、ティナは伏し目がちに頷いた。その態度を見て、蓮太郎は頭に血が上った。

 

「ティナ、お前……!」

 

 思わず声を荒げる蓮太郎。しかしそれを、菫は手で制し、続きを促した。

 

「遠からず、私には追っ手がかかります」

 

 真剣な表情で、ティナは重々しく口を開いた。自分の後に生み出された、5人の『ハイブリッド(妹たち)』について。

 

 序列100位。

 『鮮血の要塞(ギガ・ヘッジホッグ)』、アシュリー・スプリングスティーン。

 

 序列95位。

 『小惑星(メテオフォール)』、アイリーン・スペンサー

 

 序列88位。

 『自由なる毒蛇(フェルドランス)』、フェイ・クロンミラー。

 

 序列70位。

 『魔王(ブラッドクリーク)』、ルイーズ・ゼラズニー

 

 序列20位。

 『冥王(プルートー)』、リタ・ソールズベリー。

 

「序列だけ見ても5人のうち4人が私よりも上です。序列最下位のアシュリーですら、成長性を考慮すれば決して油断できる相手ではありません」

 

 ふと脳裏に浮かぶ、妹たちの顔。

 それを振り払うように首を振り、顔を上げ蓮太郎たちを真っ直ぐに見た。

 

「特に、彼女たちの中でリーダー格だったリタは、あらゆる点で私を凌駕します。私の居場所が捕捉されれば、恐らく彼女たちが……あの、お兄さん? ドク?」

 

 そして気づいた。蓮太郎と菫の様子がどうもおかしいことに。

 

「……蓮太郎くん。君、まさかとは思うが」

 

「………………」

 

 菫が「嘘だろ……?」という顔で蓮太郎を見ており、当の蓮太郎は声も出せずに天を仰いでいた。

 

「あー……実はな、ティナ。言い忘れてたんだけどよ」

 

 蓮太郎は、カネキがエインと取引したことと、その内容について話した。

 

「えっ、え? えーーー!!??」

 

「悪い、完っ全に忘れてた……」

 

 蓮太郎が、カネキとエインの取引を知ったのは聖天子狙撃事件が終わってから数日後のこと。その時はまだ木更がティナを社員として雇うつもりであることも知らず、再会もしばらく先になるだろうと思っていた。

 

 そうして、自身が認識していなかった脅威が人知れず排除されたという事実は、さほど時間も掛からず記憶の底に沈んでいった。ティナがエインの追っ手について言及しなければ、思い出すこともなかっただろう。

 

 またここまでのやり取りで、ティナが道中で何かに焦っている様子だった理由が自分の情報共有不足が原因だと思い至り、非常に居た堪れなくなった。

 

「……まあ、蓮太郎くんのデリカシーの無さはともかく」

 

 深い溜息を一つして、菫は蓮太郎をジト目で睨むのを止め、ティナに向き直った。

 

「察するにティナちゃん。君は、他のハイブリッドたちから蓮太郎くんたちを守って死ぬことで、贖罪とするつもりだったのかな」

 

「……イエス、ドク」

 

 菫は目を閉じた。

 

「すべての生命は、自分以外の生命の犠牲がなければ存続できない」

 

 瞼を上げる。静かな、知性を帯びた瞳がティナを見下ろしていた。

 

「君たちが私とこうして会って喋っているのは、私が自分の『時間』を犠牲にしているからだ。我々が衣服で身を包めているのは、コレを作るために『労力』を犠牲にした者たちがいるからだ。そして───」

 

 菫は机の上に散乱しているインスタント食品や飲みかけのコーヒーを指差した。

 

「生きる上で決して欠かすことの出来ない『食事』は、動物や植物の『命』を犠牲にすることで成り立っている。『生きる』と言う行為は、常に自分以外の存在に犠牲を強制する。君は生きることは罪だと思うか?」

 

 室戸菫は虚無主義者(ニヒリスト)である。彼女にとってこの世のものはすべて無価値であり、絶対的な善悪も存在しない。

 

「いえ、しかし……それらと私のしたことを同列に語るのは……」

 

 だが、菫の主張にティナは賛同できない。理解はできるが、到底納得できるものではなかった。

 

「だろうね。こんな理屈に賛同して殺人を正当化するのは蛭子影胤やエインみたいな連中くらいさ」

 

 茶化すように笑い、菫は微笑んだ。蓮太郎にはそれが、子を見守る母のように見えた。

 が、菫はすぐにそれを引っ込め、厳しい視線を向けた。

 

「人生の先達としてアドバイスしよう。ティナちゃん、死んで罪を償おうって考え方は単たる自己満足だよ」

 

「……!」

 

「君は自分の命を軽んじてる。そしてそれは他者の命を、命そのものを軽んじてるのと一緒だ。いいかい、償いというのはね、自分のお腹にナイフを突き立てて血を流し、それでも死ねずに痛みだけを受け入れ続けることを言うんだ。死んで詫びるという行為は、ただの逃げだよ」

 

「─────」

 

 ティナは言葉を発せなかった。全身が震え、喉は引き攣り、掠れた雑音しか出力できなかった。

 

 告白すれば、ティナは死にたくなどない。身勝手な話だが、それが嘘偽りのない彼女の本音だった。だって、死にたくないから人を殺してきたのだ。

 

 だが、死にたくなかったのは、彼女が殺した人たちだって同じだったはずだ。

 

 だからこそ、自分の罪は死ぬことでしか償えないと思った。因果応報、死には死を。

 死にたくないと思っているからこそ、死ぬことが贖罪になると思った。散々人を殺しておいて、自分だけのうのうと生き長えるなど許されないと。

 

 けれど菫に、死は逃げだと言われて()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自身が償いだと思っていた行為が、ただ罪悪感から逃れるための言い訳でしかなかったのかと、ティナは愕然とした。

 

「先生、そんな言い方ないだろ! ティナが今までどれだけ───」

 

「ティナちゃんがどんな人生を送ってきたのかは把握しているよ。だからこそ、言わなきゃいけない。……ティナちゃん」

 

 自身の名を呼ばれ、ティナは力なく菫を見上げた。視界が暗く狭まっていく。思考がまとまらない。呼吸が苦しい。

 これから掛けられるだろう言葉を、浴びせられるだろう非難を聞きたくないと耳を塞ぎたくなる衝動に駆られ、それをなけなしの理性で必死に押さえつける。何を言われるにしても、自分には、聞く義務がある。

 

 ティナは陰鬱な覚悟を持って、菫の言葉を待った。そして。

 

「ティナちゃん───()()()()()

 

 一瞬、息ができなかった。

 

「そして考え続けなさい。罪を償うために何をすれば良いのかを。向き合い続けなさい。その罪悪感と」

 

 気がつけば、菫に抱きしめられていた。

 優しく、包み込むように。

 

「不幸に甘んじてはいけない。幸せになれるよう努力しなさい。片時も、罪悪感を忘れずに」

 

 涙が溢れた。

 ああ……確かにそれは、死ぬことよりも厳しい罰だ。

 

「出来るでしょうか、私に」

 

 温かく、規則正しい心音が聞こえる。

 視界が戻り、思考がクリアになる。息苦しさは、もうない。

 

「出来るさ。君はまだ子どもで、人生は長いのだから」

 

 優しく、慈しむように微笑む菫に、ティナはくしゃくしゃの泣き顔のまま、精一杯笑ってみせた。

 

「イエス、ドク。必ず、その信頼に応えてみせます」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……本当に、あれで良かったのかよ、先生」

 

 着席を促され、蓮太郎は菫と向かい合うように椅子に腰掛けていた。

 

 ティナは、シェンフィールドのメンテや今後の身の振り方などについて軽く話し合った後、菫に「蓮太郎くんと大事な話がある」ことを理由にクロたちがいる奥の部屋に通された。今ごろ彼女たちと一緒にエロゲーを見てるか、世間話でもしていることだろう。

 

 蓮太郎は俯くように背中を丸め、手渡されたコーヒーに視線を落とし続けていた。

 

 先の菫の行動を、蓮太郎の理性は間違っていないと訴えている。ただ、感情の部分が納得できなかった。

 

 自分の命と他人の命を天秤に掛けることを強制され続けた少女に、一生罪悪感を抱えて生きろと言うのは、あまりにも。

 

「ティナちゃんは賢い。あの歳の子どもとしては不相応にね。下手な慰めは却ってフラストレーションになる」

 

 コーヒーを片手に、菫は脚を組んだ。

 

「人の思想は粘土みたいなものだ。若いうちは圧力に応じて柔軟に形を変えられるが、歳を重ねれば次第に乾燥して硬くなる。叩いても変形することはなく、場合によっては砕ける。思想の矯正は早い方がいい」

 

「……先生も、変わっただろ」

 

「それは言外に私が年寄りだと言いたいのかな? 剥製にするぞ」

 

「茶化さないでくれ。先生はガストレアに対する憎悪から抜け出した。時間は……掛かったかもしれないけれど。なら、いま強引にやらなくても良かったんじゃないか? 少しずつ慣らしていったって……」

 

「───蓮太郎くん」

 

 呼ばれて、視線を上げて菫を見た。

 

 不健康に青白い肌は病人のようで、伸び放題の髪は顔のほとんどを覆い隠し、その存在の希薄さは次の瞬間には消えそうな蝋燭の火を想起させる。

 

「昔と比べて、今の私は活力に満ちて見えるかい?」

 

「そ、れは……」

 

 蓮太郎は言葉を続けられなかった。それが答えだった。

 

「粘土は乾いたら捏ねられない。出来るのは、砕いて削って、それっぽく見栄えを取り繕ってやることだけさ」

 

「…………話って、何だよ」

 

 蓮太郎は露骨に話題を変えた。これ以上この話をしたくなかった。

 

「用件は三つある。まず一つ目だが、彰磨くんが少し前にここに来ていた」

 

「へぇ、彰磨兄が……って、え、彰磨兄が!?」

 

 菫の口から想定外の人物の名が出たことに、蓮太郎は素っ頓狂な声を上げた。

 

 彰磨兄───本名を、薙沢彰磨。

 天童式戦闘術8段の段位を持ち、天童流の開祖である天童助喜代からも目をかけられるほどの男だっだが、ある日突然姿を眩まし、音信不通となった蓮太郎の兄弟子である。

 

 その呼び方からも分かる通り、蓮太郎は彼のことをとても慕っていた。

 

「なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ」

 

「君を訪ねてきたようだったが、『今はいない』と言ったら話も聞かずに出て行ってしまってね。連絡先すら残していかなかったし、急いで知らせる必要もないと思ってね」

 

 そう言われると、蓮太郎は反論できず不満そうに唸るしかなかった。

 菫は話を続けた。

 

「二つ目は、君の血液サンプルを取らせて欲しい。私は今、ガストレアウイルスの抗体を作るための研究をしている。クロナちゃんやナシロちゃんのお陰で研究はかなり捗ってるが、データは多いに越したことはない。君は蛭子影胤との戦闘の際に、私が渡したAGV試験薬を一本使っただろう?」

 

 AGV試験薬。

 菫がガストレアウイルスの抗生剤を作るための研究で生まれた『失敗作』。

 

 その効果は、人間の再生能力を一時的にガストレアと同等レベルにまで押し上げ、更にはバラニウムの再生阻害すら上回る。20%の確率で使用者をガストレア化するという致命的な副作用さえなければ、菫の名は今ごろ教科書に載っていただろう。

 

「当時は単に君が賭けに勝ったからガストレア化しなかったと思っていたが、あれは果たして運が良かっただけなのか、それとも何か理由があるのか。念の為調べておこうと思ってね。構わないか?」

 

「別にいいけど……え、もしかして今?」

 

「善は急げ、と言うだろう?」

 

 注射器を手に立ち上がる菫に、蓮太郎は袖を捲った腕を差し出した。注射針が静脈に刺さり、異物が体内に侵入する感覚と痛みに蓮太郎は僅かに顔を顰める。

 採血が終わり、止血処置を施されながら、蓮太郎は口を開いた。

 

「それで三つ目は?」

 

「君が私に渡した、民警が有する機密情報アクセスキー。ティナちゃんを撃破して権限が上がったことで、興味深いものが見つかった」

 

 菫はアクセスキーで閲覧したデータをコピーしたディスクを、ノートパソコンに挿入する。

 リモコンを操作してスクリーンを降ろし、天井に設置してあるプロジェクターと連動する。そして、スクリーンに投影された青色の画面(ブルーバック)が真っ黒に染まる。

 

 この日、蓮太郎は深淵を覗くことになる。

 

「心して見たまえ。これが今日君を呼び出した本題───『アルディ・ファイル』だ」

 

 

 

 

 

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