───ああ、間違いない、こいつらがノイズなんだ。
───私の大切な人を奪った形ある災害。
───私の心を軋ませる記憶の元凶。
───そうだ、ノイズさえいなければ……コイツラさえあの日、あの会場に現れなければ。
───私がこんなに『後悔』することにならなかったのに……。
ノイズを眼に映し、少女の心は澱みに沈む──
〇●〇
「うろたえるなッ!!」
虚空より突如出現した
(な、なんで……)
画面越しにその様子を見た響は、パクパクと無意味な呼吸を繰り返す。そしてノイズとライブ会場という自身にとって鬼門とも言える組み合わせに、すぐさま過去の苦い光景を
ライブ会場とノイズの集団、この2つが揃っただけで自身の心は容易く乱される。そのことに先ほどの自信への恥ずかしさと諦めを感じつつ、彼女は画面を睨み付けた。
「うっ、うう……」
その横では、渡が苦しげに右の掌を額に当てていた。同時に漏らす呻き声に彼女も気付き、慌てて彼に駆け寄る。
「ちょっ、ちょっと渡大丈夫ッ!? あっ、もしかしてノイズを見たからいつもみたいに。ならすぐに私が武器になって……」
彼女が急いで武器になろうと身体が発光したその刹那、渡が空いた左手で彼女の肩をガッシリと掴んだ。
「いや、響、大丈夫だ……。ノイズを突然見ちまったから勘違いしただけだよ。雑音を思い出して勝手に気分が悪くなっただけで実際にはなんともない」
「……それなら良いけど、でも念のために武器を纏った方が……」
「心配すんなって、思い出し雑音だ。それよりも見なきゃならねぇのはテレビの向こうだろ」
静かに息を吐きながら言葉と視線でライブ映像を見ることを促す渡に、響は渋々視線をテレビに向けた。ただ、渡のことを心配してなのか彼の左手を優しく握っている。
一方画面の向こうでは、ステージ上に立つマリア・カデンツァヴナ・イヴと風鳴翼が激しく何かを言い争っていた。残念ながらその声をマイクは拾えておらず、その内容は読み取れない。その最中、翼が手に持ったマイクをまるで剣のようにマリアに突きつける。マリアは一瞬不敵な笑みを浮かべた後、曲芸師のように華麗にマイクを回転させながら大衆に向き直り、言葉を紡ぐ。
「私たちはノイズを操る力を持ってして、この星に存在する数多の国家に要求するッ」
「はあッ!?」
「こりゃまた、大きなこと言ってるじゃねえか」
国家に対しての宣戦布告──世界を知らぬ赤子や底抜けの阿呆ならいざ知らず、普通は酒の肴にも成り得ない馬鹿すぎる宣言。それをよりによって多くの主要都市に生中継中しているライブの中で行ったマリア。本来なら戯れ言と一蹴されるはずのそれは、ライブ会場で黙するノイズの存在によって確かな説得力を伴っていた。ノイズが人を襲うことなく
響と渡の2人も彼女が放った要求の大きさに呆れこそあれ、決して楽観的な考えは浮かばなかった。そして、マリアの狙いを自分たちなりに予測する。
「そして……」
しかし、2人の心は続く彼女の言葉と行動により驚愕で埋め尽くされることになる。
───Granzizel bilfen gungnir zizzl───
マリアが呪文のような言葉を歌ったその瞬間、彼女の身に纏う純白のステージ衣装は弾け飛び、代わりに動きやすい黒のインナースーツとプロテクターが装着される。その背には身体をすっぽり覆うほどの漆黒の大きなマントも纏い、彼女が先ほどまで滲ませていた歌姫としての雰囲気を一変させていた。
「ガングニールだとおッ!?」
「アレは奏さんや前の私と同じ……ッ!?」
マリアの放った言葉とその身に纏うそれは、自分たちが知るものにあまりにも酷似していた。堪らず、響と渡の2人は声を荒げながらテレビにじり寄る。
歌姫の時とはまるで違う戦士の如き力強さを発しながら、彼女は再度宣言する。
「私たちはフィーネ……終わりの名を持つ者だッ!!」
続けて、マリアは国土の割譲というさらなる無理難題までも要求し出す。
「なんだよそれ、意味分かんねぇぞ……」
「……」
彼女が名乗ったフィーネに如何ような意味があるのか響と渡には分からない。だがそれを理解することよりも、2人の胸中は別のことで埋め尽くされていた。それはマリアのガングニール。響の身体と融合している聖遺物と同じものが黒き衣となってマリアが纏っているという事実。そして、彼女がノイズを従えているという現状が2人の心に渦巻いていたのだ。
「会場の
「観客を解放するのは、無駄に命を取らないってことなのかな?」
「もしくは、解放してもかまわないってことだろ。全世界に喧嘩売ってるんだ。どこにいようがノイズたちを襲わせられるぞって自信の表れなのかもな」
数分後、観客が避難し終えた会場にはステージに立つ2人の歌姫だけが残された。
そしてすぐにマリアはマイクを翼に突きつけ、そのまま襲いかかる。翼は杖のようなマイクで突進を受け止めた。だが、マリアのマントは意志を持ったように動き出し、翼のマイクを切断する。唯一の武器を失った翼にマリアはなおも襲いかかり、翼は紙一重でなんとか回避していく。
「翼さん、変身せずによく避けられてるな」
「うん、聖遺物を纏わないですごい運動能力。でも、聖遺物を使わないってことはもう変身できないのかな」
翼は回避しながらも逃げるためにステージ裏に走る。しかし、マリアはそんな彼女に急接近して観客席に勢いよく蹴り上げた。宙を飛ぶ風鳴翼。その先には彼女を炭素に変えるべくノイズたちが待ち構えていた。
「まずいッ!!」
「ッ!?」
最悪の未来を想像して彼らが声を荒げたその瞬間、会場からの中継がブツリと切断される。画面には、突如切断された映像にどこかの局のアナウンサーが困惑している姿が見て取れた。他にノイズの群れに飛び込みそうになっていた翼の安否を心配するアナウンサーもいる。
「中継が切れた……普通に考えてあの状況から翼さんがどうなったなんて自明……だが」
「うん、3年前に翼さんも奏さんと同じようにノイズと戦えていた。さっきまで変身していなかったけど、中継があったからと考えたら納得できる」
「なら一先ず安心……なんだろうな……無事だったら明日のニュースとかで分かるか……」
「そうだね……」
ライブ中継が止まったことで会場の様子が分からなくなった響と渡。2人は次に何をすべきなのか分からなかった。たった今、画面の向こう側で起こったことが信じられなかったから。同時に受け入れたくもなかったから。お互いに言葉を紡がないまま数分経った後、徐に渡は口を開いた。
「カレー食べるか……」
「うん、冷めても困るし……」
彼らはゆっくりとテーブルの上にあったカレーを食べ始めた。いつものように何かを話すこともなく、黙々と食べ続けた。お互いにその日のカレーの味は分からなかった。
〇●〇
「お疲れさまです、垣さん」
「いらっしゃい、渡君」
マリアによる世界に対する宣戦布告から1週間。渡はとある相談のため、尾茂田の家を訪れていた。
「今日はどうしました? 僕の研究を手伝いにでも来てくれましたか? それとも何かお裾分けでも? 出来れば聖遺物の手伝いだとありがたいですねぇ。君は筋が良いですから。とりあえず、ゆっくりしていきなさい。お茶でも入れましょう」
「……垣さん、あいかわらず俺と響に対する接し方が違えですよね」
「はい、君と君のお父さんはよく似ていますからね。私も彼とのような話し方になるというものです」
「そういうものなんすか……まあいいや。そうだ、これどうぞです」
渡は垣に手のひらサイズのスチール製の箱を手渡した。箱には、どこぞの銘柄らしきクッキーの模様が描かれている。
「クッキーですか? お茶請けに良さそうですねえ」
「まあ、一応クッキーですけど、ガワと中が違います。どっかの店の缶入れてますけど、中のクッキーは響が作ったものなんで。あいつ作り過ぎたらしいんでお裾分けです」
「なるほど、なるほど、ありがとうございます。響君にもお礼言っておいてください」
尾茂田はクッキーを仕舞いながら、渡を居間に通す。そして居間にあった椅子に腰掛けて渡に向き直ると、彼は雰囲気を変えて口を開いた。
「さて、改めて聞きましょう。今日は
「はぁ、垣さん分かってて聞いてますよね?」
「私は渡君の口から聞きたいのですよ」
「……その辺り、意地悪というか親切というか。垣さんって『大人』してますよね」
「すいませんねぇ。渡君はこういった『大人』は嫌いですか?」
「いや、慣れてるんで気にしてませんし、そういう人だってことも分かってます。垣さんには父さんたちが死んでからずっと世話になってますから」
渡は苦笑いしながら答える。しかしすぐに静かな目で尾茂田を貫いた。
「じゃあ、本題です。今日は垣さんにある相談に来ました」
「はい、なんでしょう」
「まず、垣さんは先日のマリア・カデンツァヴナ・イヴの事件は知ってますか?」
「知っていますよ、全世界でニュースになりましたから」
「なら話しは早いです。俺はそれに
「君は部外者ですよ」
「でも無関係じゃない。テレビの向こうで彼女は確かに「ガングニール」と言ってます。それで十分です」
「ふむ……」
そこで尾茂田は瞑目して、少し考える素振りを見せる。
「それは渡君だけの意思ですか? それとも
「……俺だけです」
「なるほど……響君はなんと?」
「響とはこのことについてあまり話してません。アイツ避けてるみたいで」
「では、私が今言えるのは1つだけです。渡君、響君と話してみなさい。それで結論が出て、私の助けが必要ならば、改めて相談してください」
「……わかりました」
「はい、頑張ってください。君たちは
「そうっす」
いつの間にか尾茂田の瞳は優しさを帯びていた。渡を見る彼の目には穏やかな感情を感じさせる。
「それに君自身の
〇●〇
「ただいま」
「おかえり、遅かったね」
尾茂田の家から渡が帰宅すると、響が既に夕飯の準備を進めており、台所からの良い香りが渡の鼻腔を擽った。渡が近くにあった時計をちらりと見れば、いつもなら響と夕飯を食べている時間であることに気付いた。
「ごめんな、ちょっと垣さんのトコに行って話ししてきた」
「ふーん、どんな?」
「あー……夕飯食べながら話す。用意手伝うぞ」
「ありがと、じゃあいつも通りよろしく」
「了解」
渡が手伝いながら夕飯の用意が終わり、2人はテーブルに着いて食べ始める。響は自身の作った料理を食べながら、その出来に満足していた。
「うん、今日も美味くできてる」
「……」
「どうしたの渡? 変な味でもする?」
「いや、いつも通り美味い……。響、あのさ───」
彼は悩んだ様子を見せながら、今日尾茂田の家で話したことを響にも語った。彼女は静かにそのことに耳を傾ける。
「───俺はマリアを許せない。それに
「……」
「垣さんは響と相談しろって。それで必要なら手を貸してくれるらしい……。響も気になってるじゃないか?……」
「……」
渡の視線に俯きながら黙りこくる響。そんな彼女に対し、渡は続けて言葉を重ねることはなかった。響が顔を上げぬまま、時計の針だけが音を立てる。彼はその時間をいつも以上に長く感じていた。それから数分程度が経ち、彼女はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「……私はさ、画面の向こうのライブ会場にノイズが現れたとき頭が真っ白になったんだ。そしてすぐに昔のことを思い出した。何かは分かるよね」
「ああ……」
「私は心のどっかで大丈夫だって思ってた。ノイズと戦えるようになって、もう過去は乗り越えたって感じてた。でもさ、ノイズがライブ会場に現れたのを見たら『怖い』って思っちゃった。お父さんたちから強さをもらったはずなのにさ……」
「響……」
「リハビリして、やっと日常に戻ったと思ったら、学校どころか近所中から責められる。そんなこと思いもしなかった。今でも石を投げられたことを覚えてる。それ自体が怖かった……かどうかは分かんないけど……苦しいって思い出は今も心に残ってる。見知らぬ誰かから視線を向けられるとビクリしちゃうこともたまにあるのに、乗り越えたなんて笑い種だよ……」
響は掌を見つめながら、悲しい表情を浮かべて心を吐露する。その様は悲嘆に暮れ、思わず視線を反らしたくなるやるせなさを振りまいていた。しかし、渡は彼女から視線を外すことは決してなかった。
そして響はゆっくりと顔を上げ、渡を見る。
「でも、だからこそ───
彼女は拳を強く握って、はっきりと彼に言い放つ。
───私はきちんと過去を乗り越えたいッ!」
響の瞳は強い感情を秘めていた。それには、彼女を見つめ続けていた渡も少し気圧される。
「消し去れない記憶だけど、気にし続けることは私が嫌なんだ。渡やお父さんのおかげで、あの時よりは前を向くことができてる。でも心のどこかに引っ掛かってるのも確かなんだ。過去に悩まされて、もう立ち止まっていたくない……」
「……強いな、響」
「だから、渡。私にとって今回の事件は良い機会なんだと思う。嫌な記憶にけじめをつけられる。そういうチャンス。ライブ会場にノイズが出現する──あの時と酷似した事件を自分の手で潰せたら、きっと私は先に進めると思うんだ」
「……垣さん曰く俺たちは部外者らしいぞ」
「部外者だろうが、介入するくらい権利はある。私は関係ない奴らからの自分勝手な正義で苦しめられたんだ。なら、部外者の私たちが身勝手な理由でノイズを倒して、その果てに世界を救っても構わないはずだよ」
「……ああ、やっぱりあの時響と
響と渡はニヤリと笑う。どこまでも不敵に、どこまでも自分たちを肯定するために。
「それに渡の気持ちも分かってるつもりだしね」
「ああ、あんがとなッ」
穏やかに拳を突き出す響に渡も自身の拳をぶつけながら返答する。
「よく考えたらガングニールを使いながらノイズ従えるなんて、天羽奏ファンの俺たちに喧嘩売ってるようなもんだしなッ」
「それもそうだね。翼さんとライブをやった上であんな状況を作るなんて奏さんを侮辱してるよ。奏さんが引退したからって文句言わないとか思ってんじゃないかな、マリアって人」
「それは分かんねえけど、アイドルを引退してから奏姉全然公式の場に出てきてないから何してるか不明なんだよな。今どうしてるんだろう?」
「どうなんだろうね?」
「もしかしたら、ツヴァイウィングのライブみたいに今でもノイズと戦ってるのかもな」
「かもしれない。この前のライブも中継切れた後に戦ってた可能性もあるんじゃない?」
「割とありな予想だな。……会えるなら会いてぇな」
「そうだね、私も会いたいよ。そして会ったらお礼を言うんだ。『あの時言葉をくれてありがとう』ってね」
「良いなそれ。じゃあ俺も何か一言いわねえとな。つーか響自分で奏姉のファンだってさっき認めたよな」
「……否定しなかっただけ。でもファンで良いよ。ただし、大ファンだから。奏さんに命を救われた私が、ただのファンって括りで良いわけないよ」
妙に真剣な目線で渡に念押しする響。その様子に少々苦笑いしつつ、彼は胸中で安堵の念を浮かべていた。
(響、最近上の空気味だったけど、元気になって良かったぜ。ボーっとしてばっかりだったし)
「じゃあ渡、私もこのマリア・カデンツァヴナ・イヴの事件に割り込むってことで、尾茂田さんに連絡よろしくね」
「了解だ」
サムズアップする響に応える渡。それから、2人は夕食に戻った。楽しく、何気ない普段通りの賑やかな夕食へ。美味しい夕食が彼らと共にあった。
さて、1人の職人と1人の武器、既に幕が上がった舞台に飛び入る彼らが物語にどんな波紋を呼び起こすのか。今はまだ彼ら自身も、すでに舞台に昇っている者たちも誰も知らなかった───
〇●〇
「───姉さん、今会いに行くね」
そして飛び入り参加は一組だけとは限らない───。