暫定的な私世界   作:炉心

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 ――――教えてください。




Answer

 

 

 気になることが在ったから。

 

 ただひたすらに。

 

 どうしようもなく。

 

 漠然と、漫然と。

 

 気になって仕方のないこと。

 

 その始まりがいつのことだったのだろう。

 

 時に誰しもが抱くような疑問の声に、ハッキリと思いだして答えることは出来ないけれど。それでも確かなことは、ふと気になることに気がついたと意識したその瞬間。その既に遥か前にはもう頭の片隅に在って。それはいつの間のようにずっとずっと昔から在ったような感じだったから。

 

 そしてそうなってしまったその時からはもうずっと――――朝も。いつだって――――昼も。どんな時だって――――夜も。決して頭の中から消え去ることなんてなくて。もうずっと、そこに在る。

 

 成長と経験。

 

 無垢と無知は失われ。

 

 知識と虚構が現実を映す。

 

 他人との繋がりが増えて、重なり合った行為の果てにいつの日かこの疑問に対する答えが導き出される瞬間が来ると考えていた時もあったけれど、いまだにそんな目覚めの様な機会は訪れることもなく日々は流れていた。

 

 だからこそ、その瞬間。

 

 取り留めなく言い様のない直感が全身を駆け抜けたその時。確証となるような感覚が全てを支配する。

 

 これを逃すことなどありえない。

 

 求め続けた答えを得る為に、ありふれた言葉を借りるなら、「見えない何かに突き動かされるかのように」と、迷うことなくすぐさま行動に移すことにする。

 

「ねぇ、タザカ~。先に言っとくよ。ホント、悪いね。それと、ごめん」

 

 放課後の夕日が差し込み射し込み始めた人気の無い教室。

 

 目の前に居るのは、所属している部活動の顧問教師からいきなり押し付けられたクラブ活動に関する書類の整理を黙々としている男子生徒の背中。

 

「ああ、いいって。別に気にしなくてもさ。殆ど幽霊部員とは言え、俺も一応は部員の一人だからな。知らなかったんならともかく、現場に出くわしちまった以上は流石に見て見ぬ振りってわけにはいかないだろ」

 

 クラスメイト。

 

 同じ部活に所属する仲間。

 

 それだけの関係であり、実際には『田坂』って苗字を知っている程度で、それ以上の接点と呼べるような繋がりなどほぼ皆無と言ってよいような間柄。

 

 ただし、背中を向けたままでこちらに視線も寄越さず、随分とぶっきら棒な言い様で言葉を返してくる男子生徒――――この国のどこに行こうともすぐに同類を見つけ出せそうなそんな大した特徴も個性も感じない平凡平均な彼だが、どうにもこちらに稀に一瞬だけ向けてくる視線だとか、そんな傍目の雰囲気から「実は好きなんじゃないの?」というような下世話な邪推の類だとかは、クラスだったり部活だったりのある種の女子コミュニティ内では案外頻繁にネタとして挙げられる話題だったりする。

 

 裏付けがあるわけではないけれど、確かに微妙とも取れる視線や態度を向けられた記憶も思い違いじゃない程度にはあったりもする。本当のところは一切不明なんだけれども。

 

 とは言え、こちらの容姿は自他共に認めてもいいくらいには整っている自覚はあるわけで。だから、誰かからその手の対象になること自体は別段珍しいことでもない。

 

 そうなのだ。だからどうというものでもないのだ。如いて言うならば、今日のこの書類整理を手伝うという行為もまた、「純粋な親切心以外の下心が働いた結果なのかな~?」と、ちょっとばかし邪推してみたりしたのだが。

でも、よくよく考えてみてみればだけれど。彼に対しては、実のところ申し訳ない気持ちを抱く方が先だったのではないのだろうか?

 

「でも、やっぱりもう一度だけ言っておくから」

 

 ……意外だ。

 

 予想していなかった考えが浮かんで、そのことに多少なりと影響されたのだろうけれど。それでも、今この瞬間に行おうとしている言動は意外以外の何ものでもない。そんな事実。

 

「いろいろとごめん。あと……じゃあね」

 

 意識したわけでもなく、それでも顔に浮かんだ限りなく申し訳なさそうな表情。

 

 一瞬だけ、何かが詰まった感じ。でも、それはすぐに消える。

 

 ――――消える?

 

 その後はもう、思考の寄り道も脇目を振ることもない。

 

 ずっと在った言い様のない何か。ずっと抑えつけていたタガ。それを外した。外せた。

 

 一気に屈託のない笑顔が表情の全てを支配してゆくのを感じながら、耳の奥に残響するような不思議な高揚感を纏った声を上げる。

 

 静かだった教室内に響く嬌声の様な声の中、「え?」と疑問の声を呟いた彼の後頭部に向けて、教室の備え付け場所から彼に気取られないように持って来ていた『ソレ』を全力で振り下ろす。

 

 グチャッ――――こんな感じの鈍い音。そして衝撃。

 

 それは本当に、本当に。今までに聞くことも感じることも知ることもなかった音と感触。初めて感じるそれらが、両手の神経から伝わって身体の隅々にまで行き渡るような感じ。鮮烈な初体験。

 

 不快? 爽快?

 

 どちらとも言えない。

 

 その未知の感覚が激しい動悸に躍る体内でグルグルと激しく渦巻く。視界が霞む。

 

 駄目だ! わからない!! なんだこれ!? なんなのだこれは!?

 

 どうにかして正体を確かめたい。知りたい。答えを得たい。とめどなく湧き上がるそんな欲求が止まらなくて、二度、三度、四度と振りかぶっては振り下ろす行為を繰り返す。

 

 不快な程に息があがり、全身が熱い。でも、どこか身体の芯が冷たい。鼓膜の奥で激しく行き交う血の流れる音が多少五月蝿い。

 

 数十秒、数分、それとも数十分?

 

 急に襲って来た倦怠感。何もかもを止めて、大きく息を吸って吐き出したくなる。

 

 改めて理解したことだけど、人間は永久に動き続けることなんてことは出来ないから、この到来した感覚はまさしく終焉への合図。

 

「――――っうあぁぁぁぁぁっ」

 

 動いていたものは止まり、荒れた呼吸を繰り返す口から漏れる音。言葉とかじゃない。意味なんてまるでない音。ただの音声。

 

 少しだけ呼吸を整えて、そうしたらそれまで霞んでいた視界があっと言う間に鮮明になってゆく。何となく周囲の光景を見渡すと、夕日に紅く染め上げられていた教室内がいつの間にか随分と暗くなってきていた。

 

 紅いのは一部の箇所だけ。それは目の前にあるモノであったり、自分の手とかシャツの袖口の一部。両手で強く握りしめていた『ソレ』は元が赤い塗装で覆われていたせいか、見た目ではあんまり変わった感じはしなかった。

 

 ……困った。今日はバイトをする気なんてなかったから、ウェットティッシュとかも持っていない。せめて体育の授業とかがあればハンドタオルとかを持ってきたりもするんだけど。今日に限ってはそれもない。ヤダな。乾いたら爪の隙間とかにこびりついたりして面倒だろうし、これは早々に手を洗わないといけない。

 

 取り敢えず、いい加減に持っていることに疲れた『ソレ』を適当な場所に放置して、ポケットから取り出したハンカチで手の濡れている部分を拭っておく。……このハンカチはもう洗濯したとしても使えそうにないかな?

 

 斑に紅く染まっていない面を外側にして折り畳み、自分の席の机の上に置いてあったカバンのサイドポケットに突っ込んでおく。

 

 帰り際にトイレにでも行って、手を洗う時にもう一回使ったら捨てよう。

 

「あ、マズい。いつの間にか時間……ヤバいかな? さっさと下校しないと、正門が締まっちゃうと面倒なんだよね」

 

 ――――話し相手もいなくなっちゃたから。

 

 不意に口の中で小さく口遊んだ台詞に、思わずクスッと小さな笑みが漏れてしまった。なんだか皮肉気に聞こえるその台詞のどこが面白かったのかと自分自身に問い掛けてみるけれど、どうにも答えは見つかりそうもない。多分、気分的なものなんだろう。

 

「そうだ。折角だし、メールでもしてみようかな?」

 

 誰に送ろうかと一瞬考えて、すぐにそんなに悩むほどでもないかと結論付ける。

 

「誰でもいいんだけど……でも、どうせなら」

 

 決定。メールを送る相手は校長とクラス担任のヤッチー。それに加えて、この前の週末に相手した金払いの良かったオジサンでいいだろう。お役所関連の何とかって委員会とかで偉い立場に就いているって、こっちが聞いてもいないのに酒臭い声で延々と自慢していたし。ぶっちゃけ、個人的にはタバコ臭いのも酒臭いのもあんまり好きじゃなんだけど。まあ、オプション料金も追加で払ってくれた以上はちゃんと飲み込むけど。

「え~と……『もう、ダメ。ガマンできな~い』『誰か助けて~』って感じ? あ、なんか神待ちっぽいかも」

 

 最初に教室内の光景をスマホのカメラで撮影し、その後適当に考えた悲喜交々な内容の文章をスマホの画面に打ち込みながら、自分の筆記用具とか必要書類なんかを片付けてカバンにしまう。

もう教室の窓の外の景色が随分と暗くなってきている。そう言えば、前に現文の授業で聞いた『逢魔が時』って言う時間はもう過ぎちゃったのかな?

 

 どうでもいい事を考えながら手早く文面打ち込み終え、完成した内容を流してチェック。最後に撮ったばかりの教室内の写真とそれぞれの送信相手に向けたツーショットの隠し撮り写真を数枚ほど添付し、送信。

 

 さぁ、どうなるだろうか?

 

 スマホをカバンに放り込み、汚れないように脱いでいた制服の上着を羽織る。軽く忘れ物がないかを確認して、教室の扉を開いて人気のない廊下に出る。

 

「…………あうっ……はぁ……」

 

 何てことだろう。まさか、このタイミング?

 

 まるでタイミングを待ち伏せしていたかのように湧き上がってきた感情。

 

 意外だった。意外だったけど、何故か妙に納得出来た。呆れ果てた溜息すら出そうなくらいに単純で明快な答えを導き出せるようなその感情の正体に、思いもよらず、だけど、確かな笑みが顔に浮かぶのを感じる。

 

 駄目だ。これはもう、駄目だ。

 

 居ても立っても居られずに振り返る。今、教室の中に居るのは彼一人だけ。だから、なんの気兼ねもなく行動に移せる。湧き上がった感情のままに声をかけられる。

 

「そうだ、田坂。今更……。ほんと、今更ながら気づいちゃって、ビックリしちゃっているんだけどさ。きっと、そう、前々から君のこと――――」

 

 胸の高まりは激しく、身体は疼くように熱い。

 

 なんて、なんて、素敵な感覚なんだろう。何もかもが晴れていくような気がする。

 

 あまりにもテンプレートな言葉が口先から流れ出て、それが全て出終わった時、口元にはまた別の種類の笑みが浮かんでいた。

 

 踵を返し、再び廊下に出ると、今度こそ振り返えることもなく歩みだす。

 

 ほんの少しの間に照明の明かりが一層強く感じられるようになった廊下を、不思議と軽く感じられる足取りで進む。

 

 見えている世界は明るく、唐突に鼻唄すら口遊みそうになる気分だった。

 

 一歩進む度に上履きの靴音が静かに響く中、不意に視界の片隅に入り込んだ違和感。

 

 何だろう? と、視線を足元に下げてみて、思わず顔を顰めてしまう。

 

「しまった、こっちもかぁ。着替え……持ってきてないんだけどな~」

 

 校則によって指定されたセクシャリティの象徴。折り目正しくも小奇麗な制服のズボンの裾部分。

 

 灰色の生地は赤黒く汚れていた。

 

 

 

 






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