続いたけど続かない
ご主人様に拾われてから数ヶ月。地球で言う秋口に当たる時期のことだった。
「っくしゅ!」
いつも通りお昼寝していた私は、自分のクシャミで目を覚ました。
「んん……ぅ?」
寝惚け眼を擦って外を見れば、既に時間は夕暮れ。つまり、ご主人様が帰ってくる時間だった。そのことを認識するなり、私の目はバッチリ覚めた。だって、大好きなご主人様が帰ってくるから。
そう思って、いつもみたいに立ち上がろうとした時のことだった。
「あ……ぇ?」
ぐらりと、視界が傾いた。何故か、真っ直ぐに立つことができない。ぐわんぐわんと、よくわからない感覚が頭の中をしっちゃかめっちゃかにしていく。そのまま立ち直ることもできず、どさりと私は床に倒れ込んだ。
「けほっ、けほっ」
頭がボーッとする。意識しないのに咳が出る。倒れ込んだ時に首輪から伸びる鎖を巻き込んだのか、右のこめかみからドロリと何かが流れる感じがした。
風邪かぁと、漸く答えに至りながら私は気を失った。
◇
「………ナ!」
だれかがわたしをよんでいる。
「…ェーナ!」
大切な人の声、忘れるはずもない声。頭がハッキリとしてくるにつれて、だんだんと言葉がわかってくる。
「シェーナ!」
「ごしゅ、じん?」
ボンヤリとした頭で、呂律の回らない舌で大切な人を呼ぶ。どうやら私は、ご主人様にお姫様抱っこされてるらしい。えへへ、あったかいしいい匂い……
「良かった……目が覚めた」
「ごしゅじんのまえぇすから」
がっちりとした腕に抱かれたまま、ご主人様の胸板に頬を擦り付ける。なんだか揺れてるけど、そう言えばなんだろう。
「目が覚めたばっかりで悪いけど、誰にやられた!? 凄い熱に汗、もしかして毒でも飲まされたんじゃ……」
「ううん、違いますよ。ごしゅじん」
ポーッと、珍しく焦るご主人様の顔を見ながら言う。
「風邪、引いちゃったみたいです」
「でも、頭から血が出てた!」
「それは……首輪の鎖、巻き込んじゃって」
チャリチャリと首輪を鳴らしながら言った。するとご主人様は足を止めて、ギュッと強く私を抱きしめてくれた。力が強くてちょっと苦しいけど、それが気持ちいい。
「ごしゅじん、私きっと汗臭いですから」
「よかった……本当に、本当に良かった……」
「ごしゅじん?」
ポタリポタリと、何かが肩に落ちてきた。
「僕のせいで、シェーナが狙われたんじゃないかって。ずっと、ここまで心配で……」
「ごしゅじん、こーきょーの場で、恥ずかしいです……」
熱のせいで思考が散漫としてるけど、周りを見ればこちらを見てヒソヒソと何かを言ってるのが多々見られる。私の評判なんてどうでも良いけど、ご主人様の評判が落ちるのは嫌だった。
「とりあえず、このまま薬屋まで行くからな」
「……はい」
抱き締められたままでも良かったんだけど、走りづらかったらしくお姫様抱っこに戻ってしまった。もうちょっと私が大きければ、ご主人様の首に手を回せたのかな……
◇
薬屋さんで獣人用の風邪薬を買って帰った後、時間も時間だったので夜ご飯ということになった。本当は私が作るつもりで準備して氷室で冷やしてた物を、なんとご主人様が料理してくれたのだ。
あんまり喉を通らなかったけど、それでも大切な人が作ってくれたご飯は美味しかった。
「ん、にがぁい」
元々は薬くらい飲めたはずなのに、この漢方薬みたいな薬はどうにもダメだった。飲んだけど、凄く苦くてべーっと舌を出してしまう。
「よく飲めたな。偉いぞ」
そう言って撫でてくれるご主人様の手は気持ちいい。自然と耳がへにゃっとなって、尻尾がユラユラと動いてしまう。
「本当に風邪だったし、早く寝た方が良いと思うけど……」
そこまで言って、ご主人様は言い淀んだ。その目線を追うと、それは私に……正確には、私の着てる汗に濡れた服に向けられていた。確かに、着替えないとダメかもしれない。汗臭いし。
でも、薬を飲みはしたけど頭は痛いしぐわんぐわんとしてて、実は座ってるだけで辛い。それに、私の中の何かが甘えるなら今しかないって言ってる。
だからこそ、私はご主人様に両手を伸ばした。
「着替え、手伝ってくれませんか?」
「僕、男だよ?」
「ご主人だけは、良いです」
好きな人だから、別に良い。それにご主人様なら、私に手を出さないって分かってるから任せられる。
「分かった。部屋から何か取ってくる。それでいい?」
「出来れば、汗拭くのも手伝って欲しいです。届かなくて」
攻めて行けと、自分の中の何かが吠えている。多分野生の本能みたいな何かなんだろうけど、それが本当に有り難かった。
「奴隷としては、失格だって分かってます。でも、お願い出来ません、か?」
「……背中だけ、だからね」
「ありがとうございます」
ジッと見つめ合うこと数秒、やれやれといった様子でご主人様が折れてくれた。それにホッとしつつ、重い身体を椅子の背もたれに預けた。
そして目を瞑って、浅い呼吸を繰り返す。ご主人様の手前、あんまり辛そうな顔はしたくなかったから頑張ってたけど、やっぱり限界が近い。世界がゆらゆらしている。
「取ってきたよー」
「はーい……」
生返事を返しつつ、上下一体になっている服を脱ぎ捨てた。そして肌着だけになって、ご主人様に背中を見せる。
まだかなと待っていると、少し躊躇いがちに肌着をめくって背中を拭いてくれた。
「んっ……」
自分以外に自分の背中を触られてるって、なんだか不思議な感じがして変な声が出てしまった。
「はい、前と下は自分でやってね。着替えは、ここに置いておくから」
返事をして、着替えとタオルを受け取った。同時にご主人が部屋から出て行く気配がして、どこか残念に思ってしまう。ちょっとムッとしながら体を拭いて、ちゃんと着替えてからご主人様を呼んだ。
「それじゃ、もう寝ようか」
コクリと頷きながら、私は手を引かれて歩いて行く。フラフラとした足取りで何も考えずに歩いて、辿り着いたのは私の部屋……じゃなくて、ご主人様の部屋だった。
「あの、ご主人……?」
「僕が小さな頃病気になった時、1人になると怖くて寂しかったから。余計なお世話だったかな?」
「いえ、嬉しいです……!」
一緒に寝れる。甘えられる。普段なら絶対に考え付かないことだったけど、熱で呆けた頭にはそれがとてつもない明暗に思えた。ちょっと汗の臭いがするけど、仕方がないと割り切ってご主人と一緒にベッドに入った。
「あぅ」
最近黒字になって来たばっかりの家だし、ベッドはそんなに広いわけじゃない。だから必然的に私は尻尾を前に待って来ないとだし、ご主人とすぐ隣に密着することになる。目と目が合う、息が触れ合うそんな距離で、ドキドキしない方が無理って話だ。
譲ってくれた枕からも、布団からも、隣からもご主人様の匂いがして風邪以外の理由で頭がぽわぽわしてくる。
「♪〜」
そうしてモジモジとしてると、ご主人がポンポンと私の背中を叩きながら、優しい感じの歌を歌ってくれた。
「僕のお母さんが、歌ってくれた子守唄なんだ」
そう優しく語りかけてくれるけど、もう私は半分くらい夢の世界へ旅立っていた。だから返事もできず、意識が落ちていくのに任せるしかできない。それでも、悲しそうだけど優しい表情のご主人様は見えた。
早く治して、助けてあげないと。
そんなことを考えつつ、普段感じることのない安心感に包まれて、私は夢の世界へと旅立っていった。
シェーナ
元男のTS転生者。しかし知識以外地球での記憶はない。
9歳くらいの、黒髪黒目のワン娘。
助けてくれたご主人にだけは心を開いている。今回は風邪を引いてるため、転生者ではなく年相応の子供としての側面と、野生の本能が強く表に出ている。
風邪は翌日治った。
灰髪の冒険者(ご主人)
身体能力は抜群な現地人。割とイケメン。15歳くらい。
結構意識している相手が、あまりにも無防備に、自分を頼ってくれているせいでかなり気まずかった。
それでも、病気の相手と耐えて子守唄まで歌ってくれた優しい人。