*
登校した黒澤ルビィが花丸と階段を登っていると、上から髪で顔を隠した人物がやってきた。
「ピギィ!」
「ルビィちゃん、ヨハネさんだよ」
「え?」
花丸の後ろから顔を出したルビィは、それが昨日本屋で会った善子だと認めた。
「ほんとだ、どうしたの? ヨハネさん」
「気が付いたら朝だった」
善子はぎこちない足取りで階段を降りていく。
「どこ行くの? 授業始まるよ?」
「……え? あれ?」
善子が振り返る。ぼさぼさの髪を振り乱して目を見せる善子は、『リング』の山村貞子を連想させる。
「徹夜したの?」
「寝たよ、バスで」
「それは寝たって言わないです」
花丸は善子の手を引いて、三階の一年生の教室に連れて行った。
席に座らせると、背もたれに身体を預けて顎をあげ、グッタリしてしまう。お団子は適当にまとめたらしく、崩れかけて髪の毛がウニのように立ち、トドメを刺されたかのように何本ものピンが飛び出していた。
「直してあげる。マルちゃん、お願い」
「うん」
花丸が頭を起こし、ルビィはピンを抜いて机に並べていく。
「ヨハネさん、大丈夫なの?」
クラスメイトが近付いてきた。
「徹夜したみたい」
「なんでまた」
「分かんないんだ」
ルビィは善子の髪をクルクルと巻いていく。中学二年生までやっていた日本舞踊では、ルビィはいつもお団子頭だったから、作り方は知っているのだ。
だが、
「あれ? あれ?」
何度やってもうまくいかない。
「貸して、黒澤さん」
クラスメイトの一人がルビィからピンを受け取り、器用にまとめてしまった。
「ほい」
お団子を上に向けて机に突っ伏した善子は、涎を垂らして寝息を立て始めた。
ルビィのお団子を作っていたのは、いつもダイヤだ。ルビィは作り方を知っているが、それと作れないことは矛盾しない。
自分の腕を見下ろす。
善子が言った通りだ。
父も母もダイヤも、ルビィを護ってくれる。
失敗をさせないために、挑戦を許さないことで。
ルビィの腕を、≪黒澤家≫という血の鎖で縛り上げて。
だからルビィは、お団子一つ作れない。
「その本、なに?」
お団子を作ったクラスメイトが、ルビィの手提げ袋を指差した。
「え、これ? ……型紙の本だよ」
昨日買った裁縫の本を出して見せた。季節ものの雑誌ではなかったが、表紙の女性に笑いかけられ、結局買ってしまったのだ。
「黒澤さん、服作るんだ」
「マジで? だって黒澤家でしょ? 買ってくれないの?」
「バッカ、趣味だよ趣味」
「すげー、なにこれ、マジ意味分かんない」
「え、あ、あの」
クラスメイトたちが型紙本をためつすがめつする様を、ルビィは見ているしかない。
そこに、
「これ、ルビィちゃんが作ってくれたんだよ」
「マジで? すげー可愛い!」
「プライズだと思ってたわ!」
「ま、マルちゃん!」
花丸がスクールバッグのぬいぐるみを見せるものだから、騒ぎが一段階アップしてしまった。
「ルビィちゃん、たまにはお天道様の下を歩くずら」
そう言って、花丸は一部のクラスメイトを連れて輪から抜ける。
「ダイヤ様とおそろいの服とか作るの?」
「なにこのパーツ、肩?」
「首じゃない?」
「肩でしょ」
「首だよ」
「あの、あの」
残されたルビィは混乱している。
最大でもたった一三人しかいないクラスなのに、まるで全人類がルビィに注目しているようだ。
作れない、とは言えない空気に、ルビィがキャパシティオーバーの悲鳴を上げるカウントダウンを始め――
「あ、この人、知ってる」
――そんな声を聞いた。
型紙本の表紙を見たクラスメイトが、隣の子に話しかけている。
「知らない? ずっと前に歌手やってたじゃん。あれ、私たち、生まれる前かな」
「そうなの?」
ルビィが反応すると、クラスメイトは小刻みに頷いて言った。
「うん、割りと一発屋だと思うけど、すぐ消えちゃった人だと思う」
「この人が?」
型紙のページは読んでいたが、著者のことはろくに調べていなかった。
そこで、本鈴が鳴った。
クラスメイトは銘々離れていき、救われたルビィも自分の席に座った。
「はい、一限始めますよ」
まだ名前を覚えていない数学Iの男性教師が入ってきて、教室は緩やかに授業モードに移行する。
だがルビィは、教科書やノートを開いたものの、先ほどのクラスメイトの話が気になっている。
「津島さん? どうしました?」
「ヨハネさんは徹夜明けらしいです」
「うーん、寝かせておくか」
教師と花丸が話をしている裏で、こっそり電話を取り出して、検索してみた。
来歴には、小物作りが好きな引っ込み思案の少女が、高校生でアイドルになり、卒業後は芸能活動を続けながら服飾の勉強をし、やがてデザイナーに転向、他の歌手の衣装や舞台を演出していく様が書かれていた。
「小物作りが好きな、引っ込み思案の……」
「黒澤さん?」
気付けば、善子の肩を掴んでいた。
「ヨハネちゃん!」
「ふへぁ?」
善子は閉じかけては開く瞼の向こうで、白目と黒目を行き来させてルビィを見た。
「ルビィ、やるよ!」
「え、へ? な……なに?」
「やる! 衣装作り!」
「え……え? ほんと? ほんとに!?」
「うん!」
チャンスなんだ。
護られるだけのルビィに訪れた、些細なチャンス。
アイドルにはなれないけど、先輩たちの衣装作りのお手伝いなら、できるはずだよ。
「よかったあ……。もう昨日散々いじくり回したのに結局ダメでさあ……」
「安心して、基礎からちゃんと教えてあげるから!」
「分かったわ、この堕天使ヨハネ、その見返りに、我がか弱き≪リトルデーモン≫の願いを聞き入れよう――」
「え?」
「その≪
瀕死の口調でそこまで言うと、善子は再び眠りに落ちた。
「鎖……」
宣言してしまった。
この手足を、血の鎖が縛っているとしても。
みんなの前で宣言してしまったのだから、もうあとには退けない。
みんな?
「あの、盛り上がってるところ悪いんだけど」
男性教師の声に、ビクリと震えた。
「そろそろ授業始めていいかな?」
「あ、あ、あの、ご、ごめんなさい!」
様々なニュアンスの視線に耐えられず、席に走る。
(やっぱり護ってほしいよう! お姉ちゃん!)
*
放課後。
ドアだけ妙に真新しいアパートの一室に足を踏み入れた時、国木田花丸は思わず鼻をつまんだ。どこかから漂ってくる香の匂いと、花丸の制服に染みついている寺の匂いが、ミスマッチだったからだ。
「お邪魔します」
「上がって上がって、誰もいないから」
家主の娘の善子がルビィを招き入れ、花丸はその横でローファーを脱ぎ始めた。
制服に合わせて新調した真新しい靴は硬く、紐を解くのに時間がかかる。玄関に腰を下ろして苦戦していると、
「他の部屋は見ないでね、汚いから」
「うん」
二人はどんどん奥へと進んで行ってしまった。
「あ、あ、ちょっと」
「なんか持ってくるわ」
「お構いなくー」
靴を脱げて振り向いた時、ちょうど向かって右奥のドアが閉まった。花丸が歩き出すと、左手前の部屋からも人の気配がする。会話からして善子とルビィは別の部屋にいる可能性が高いが、どちらが『見ないで』の対象なのだろう。
(ま、いっか)
近代的な鉄筋コンクリート造のアパートなのだから、うっかり開けた先が座敷牢で、代々閉じ込めていた謎の存在を見てしまったがために口封じ、などの展開はあり得ない話だろう。
だから花丸は迷うのをやめて、閉まったばかりの右奥のふすまを引き開けた。
「お邪魔します」
そこは香の匂いが漂う六畳の部屋だった。黒いスカーフを部分脱色したらしき魔法陣の周りに、LEDらしき明かりの灯った燭台が並び、狙い撃つようにビデオカメラが設置されている。ニコ生配信のための部屋――要するに善子の部屋らしい。
その中央に立つ、天使の怪人と目が合った。
「……ずらああああ!!」
後退った踵が滑り、板張りの廊下に尻もちをつく。
「ら、ライダーさん、ライダーさんは」
「どうしたの、花丸ちゃ――ピギイイイイ!!」
背後のドアから出てきたルビィも、奇声を発した。
そして当の怪人は――
「そんな驚く?」
――お面を脱いだ。
当然ながら善子だった。
直後、玄関を叩く音が廊下に響く。
「お嬢様! ご無事ですか!」
「あ、あ! 平気! 平気だよう!」
外で待機していたボディガードにルビィが叫ぶと、「失礼致しました」と騒ぎは静まる。
「ちょっと、驚きすぎじゃない? またぶち破られるかと思ったわ」
「それ……なに?」
ルビィが恐る恐る問うと、
「緊急発売、エンジェル・フォーメアマスク!」
善子は得意気に、ゴムのお面を広げて見せた。
「よくできてるでしょ、ちゃんと顔に切れ込みも入ってるの。このヨハネの≪ウジャトの目≫があの光景を捉えていなければ、今頃この商品も存在しなかったのよ――」
そう低い声で嘯く善子だが、
「冗談でもダメだよ! マルちゃん、すっごく怖がってたんだから!」
花丸とルビィが、この怪人に入学式の日にまさに襲われそうになった本人だとは考えていなかったようだ。
「え、でもネットじゃもう二次創作イラストが大量に作られてるよ? 国木田さん、見てないの?」
「マルちゃん、最近ネット見てないんだよ!」
「そんな、新作ゲームのネタバレ回避!?」
「ふ、ふふ、あはははは!!」
だが花丸は笑い出した。
「は、花丸、ちゃん?」
「そ、それ、かぶって、オラたちを、おどかそうとしてたずら?」
笑うしかない。
自分をおびやかした怪人が、たった一週間でサブカルチャー商品として、それも内浦と目と鼻の先の沼津で消費されているのだ。
ますますあの状況が、花丸が体験した出来事ではなく、小説の一段落のように、花丸自身から遠ざかっていく感触を覚える。
花丸は、あの≪天使の怪人≫の恐怖を、飲み込めてはいなかった。
だが世間はとっくに、≪エンジェル・フォーメア≫という飲み込みやすい“作り事”に矮小化していたのだ。
「ほらほら、衣装だよ衣装。遅くなっちゃう」
赤らんで来た窓の外の雲を指差す、二人は本来の目的を思い出したようだった。
エンジェル・フォーメアのお面は魔法陣の上に放られ、ふすまで見えなくなった。
*
「まず、この絵をクリンナップするよ」
「日本語でオケ」
津島善子が突っ込むと、ルビィは自前の〇・三ミリシャーペンを回して言う。
「曜先輩の描いた絵は優しいタッチで可愛いんだけど、設計向きの絵じゃないんだ。だから、主線を起こして、服の層構造を明確にした上で、解剖学的ゼロ度のポーズで三面図を描くの」
「日本語から遠ざかったんだけど」
「マルちゃん、見本!」
「『ミシンと傘の解剖台の上の出会い』ずらー!」
ルビィの指示で花丸が立ち上がり、ポーズをとった。手のひらを前に向け、腕を自然に下ろしたポーズを。
「これが、なんちゃらかんちゃらゼロ度? バグった3Dキャラの初期ポーズじゃん」
「ヨハネちゃんも日本語じゃないと思うな」
花丸は正座に戻る。
「……今のポーズで清書するの?」
「うん」
「それで終わるじゃん!」
三人がいるのは津島家宅の居間だ。ルビィは円形の絨毯に直接座って、ガラスの座卓に並べられた曜作画のデザイン画と白紙の画用紙に向き合い、善子と花丸はルビィふかふかのソファに腰を下ろして、ルビィの手元を背中越しに覗き込んでいる。
だというのにルビィは、迷いない手付きで大まかに当たりを取り、真正面から見た衣装を画用紙に描き出していく。
「小物を作る時なんかは、ルビィはデザイン画からいきなり型紙を起こしちゃうんだけど、今回はものが複雑だし、デザイナーさんにも確認したいから、三面図を描いていくよ」
「気合入ってるなあ、ルビィちゃん」
ルビィはこの前『服は作ったことない』と言っていたが、作りたい服のデザインや、型紙制作のシミュレートなどはしていたのだろう。そう感じさせる手際のよさで、ポップで淡い色鉛筆の線が、細く正確な線に写し替えられていく。
ネットの情報や独力でひたすら手を動かして明かした夜がウソのようで、善子は内心、改めてルビィの協力に感謝した。
「さっきから気になってたんだけど」
手持ち無沙汰だったか、襖の上の方を見上げていた花丸が言った。
「ああ、うん」
居間を取り囲む長押の四辺に三枚ずつ、計一二面の能面が三人を見下ろしている。
「お父さんが子供の頃に能をやっててね。集めてたんだって。やっぱヤダ?」
「なんでずら?」
花丸は不思議そう見られ、善子も不思議そうに見返す。
「だって、小学校の頃とか、遊びに来た子が怖がっちゃったからさ。獅子浜の時はすごい日本家屋だったし、これかかってると雰囲気あったんだよね」
「ウチはお寺だから、こういうのは慣れてるずら」
「こういうの?」
「誰かに見られてるの」
「怖いこと言わないでよう!」
「毘沙門天さんのことだよ」
花丸の言葉にもルビィは心底イヤそうな顔をしていたが、すぐ画用紙に向き直った。
「ルビィも昔は、お姉ちゃんと一緒に日舞やってたから、こういうの平気だよ」
「ルビィちゃん……やっぱり恐がり方の遠近感がおかしいずら」
能面に囲まれた状況を分かっていてクスクス笑う同級生は、善子の経験では始めてだった。
善子は立ち上がって、真蛇の面を手に取った。
角が生えた女の面は、般若よりも鬼化の進んだためか、耳がなかった。
「懐かしいなあ、これで鬼ごっこして、お父さんにメチャクチャ怒られたんだわ」
「それは怒られるよ」
手を動かしながらルビィが笑った。
久しぶりに触ってみた真蛇の面は、堅紙に和紙を張り付けて作られた簡単なもので、記憶のそれよりだいぶ草臥れていた。被るための紐もよれたゴムだし、高価なものではないのかもしれない。
被ってみようか、と思う。
エンジェル・フォーメアのお面で驚かす作戦が失敗して、善子のイタズラ心は行き場がなかった。
だが、真蛇の面を長押に戻した。
「私、もう堕天使だしね」
獅子浜の小中一貫校に通っていた善子は、九年間で多くの友人が街を転出していったのを見てきた。神と魔の同居する世界から抜け出した彼らは、成長して各々の文脈を持つ世界を寝屋とした。
善子も今はその一人だ。
だから、この面をかけて誰かを追い回すことはもうないのだろう、と善子は思うのだ。
一つ息を吐いて振り返ると、
「あ、けっこう形になってるじゃん」
ルビィは正面を向いた絵、左を向いた絵、奥を向いた絵の三パターンを並行して描いていた。上半身はまだ抜けが多いが、輪郭線や下半身はほぼ形になっている。
「でも私、やることないなあ」
「オラも出番ないです」
自分のことを“オラ”と呼んだ花丸は、それを恥じたか、袖の長いシャツで頬を隠した。
ルビィがスケッチブックにかぶりついた時から薄々感じていたが、任せっ放しになってしまっている。これで千歌たちに「私がやりました!」と出すのは気が引ける。ルビィたちもちゃんと紹介した方がいいだろう。
「手が必要になるのは型紙からだから、それまではルビィ一人で平気だよ」
と言いながら、ルビィが手がとまった。細いシャーペンの先が、イラストの襟元を差す。
「ヨハネちゃん、このトップスって、ツーピースだと思う?」
「え? なんの全一記録が二人プレイ?」
「二枚重ねかどうか、ずら」
「あ、ああ……。どうだろ」
言われてみると、シャツにベストを重ねた着こなしとも、色の違う布を繋ぎ合わせているだけとも見える。
なるほど、層構造を明確に、だ。
「ちょっと聞いてみるわ」
「お願いします」
曜から受け取った単語カードの一枚ペラを取り出し、書いてもらった番号にコールする。
「ヨーソロー! 曜ちゃんへの用は、発信音のあとに言ってね!」
留守番電話だ。後半が半笑いなのは、自分のギャグに気付いたからか。
「月水金と土日は忙しいって言ってたっけ……。あ、私です、津島善子です。えっと――テキストで送るわ」
善子は電話を切り、ルビィの質問をテキストに書いた。
「ヨハネちゃん、この裾のライン、背中側がどうなってるかも聞いてほしいな」
「了解。まだありそう?」
「たぶん。どうしよ、まとめて送る?」
「テキストだし、五月雨式でいいわよ。取り敢えず二点、送っちゃうわ」
「ありがと」
その間、花丸はルビィのツーサイドアップを丁寧に結い直していた。姉妹のようだった。
次回予告
千歌 「メンバーは揃ったし、曲も形になってきたけど、衣装は問題だよねえ」
曜 「何気にダンスが手付かずなのが怖いんだけど」
ルビィ「ライダーの方は静かになっちゃったけど、どうなってるのかな」
千歌 「梨子ちゃんと理事長代理が頑張ってるんだよ」
ダイヤ「ではわたくしは、学校を護ることに専念しますわ」
ルビィ「お、お姉ちゃん!?」
ダイヤ「次回、仮面ライダーメルシャウム第五話、『願いましょう、明日の奇跡を』」
曜 「部活設立の雰囲気がしないタイトルだなあ」
ダイヤ「私の目がぬばたまのように黒いうちは、スクールアイドルの設立は認めませんわ!」
ルビィ「手加減してほしいよう、お姉ちゃん……」
C
津島善子の電話がアラームが鳴らした。
「あ、六時から≪フラガラ=トワイライト≫配信しようと思ってたんだ」
「六時?」
その言葉に顔を上げたのはルビィだった。
「六時!? ウソ!」
ルビィは津島家宅の居間の掛け時計を見上げ、次いでバッグに入れたままの電話に飛びついた。
「ああああ! お、お姉ちゃんが怒ってるよう!」
「って、あのダイヤ様?」
善子が敬称付きで言うと、ルビィは顔をクシャクシャにして頷いた。
見せられた画面に表示された着信回数は、一一件。
「何時なの? 門限」
「六時!」
「高校でも六時ずら!?」
花丸が声をあげ、ルビィは煩悶の顔を答えとした。
衣装のクリンナップ作業は、前後左から捉えた三面図の線画が固まったところで、まだまだ終わっていない。だがルビィが門限というなら、切り上げなければならない。
「ルビィちゃん、オラも説明に行くよ」
「あ、じゃあ、私も?」
黒澤家の住む沼津御用邸記念公園の管理事務所までは、善子の家からだと歩いて十数分だ。
「ううん、それは平気なんだけど……」
ルビィは画用紙に書かれた線画を、名残惜しそうに見ていた。
「これ? こっちも平気よ。あとはパソコンに取り込んで、パス取って線を綺麗にして、色指定通りに塗れいいんでしょ? あとはこの私――ああ、絵の神様っていないんだよなあ――とにかく、私に任せて! 元々は私の仕事だったんだから!」
ルビィは渋々頷いた。
善子は安心する。ここでルビィに帰ってもらえないと、僅か二日前に小原家の黒服集団に蹴破られて弁償してもらったばかりのドアを、先ほどのように黒澤家の黒服集団に壊されかねない、と思ったからだ。
「じゃあ……週末はどうする? デザイナーさん忙しいんだよね」
「月曜日かな。その時点で一旦見せて、それから考えるわ」
「うん、じゃあまた今度だね」
また今度。
その言葉に、善子は鼻がつんとくるのをとめられない。
「じゃあ私は一人で帰るね」
「あ、だめだよマルちゃん、ルビィんちのクルマで送ってくから!」
「でも、ここからならお寺まで二〇分もかからないし、まだ明るいし。なにかあったら仮面ライダーさんが助けてくれるよ」
「ダメ! マルちゃんの送り迎えは黒澤家が責任を持って引き受けたんだから、送っていきます!」
「ルビィちゃん、頑固ずら」
と、善子は、話す二人のスクールバッグに、似たようなタッチのぬいぐるみがぶら下がっているのに気付いた。
そういえば、ルビィは小物を作っていると言っていた。であれば、ルビィが自作のぬいぐるみを付けていても不思議ではない。そして、幼馴染みの花丸が同じものを付けていてもやはり不思議ではない。その推測が自然に浮かんだことが、善子には切ない。
「ねえヨハネちゃん、おうちの人は?」
帰り支度を終えて廊下に出た時、花丸が問うた。
「お母さんは〇時すぎ、いつも遅いんだよ」
「お父さんは?」
「んっと――」
――と、外からなにか低い音が聞こえた気がした。
「来たみたいずら」
「エンジン音? した?」
「ウチのクルマは静かだから」
善子が先んじてドアを開けると、まだ肌寒い夜の風が吹き込み、家の窓をガタガタ揺らせた。
二階の手すりから道路を見ると、黒塗りのリムジンが滑り込み、音もなく道路脇に停車した。
フロントグリルに貼られた、四つ葉のカタバミの家紋を見るまでもない。
「やっぱ宗家は違うなあ」
善子がポツリと呟くと、横にいたルビィは小首を傾げ、次いで目を見開いた。
「津島、さん?」
しかし善子は、それに応えなかった。
応える必要があるとも思わなかった。
「ほら、ダイヤ様の≪ネメシスの怒り≫が炸裂する前に、帰らないと」
善子がそう言うと、ルビィは数瞬ののち、笑って頷いた。
「今日はありがと、ヨハネちゃん。楽しかったよ!」
「まだ終わってないけど、うん、ありがとね」
ルビィはアパートの階段を降りて、道路の方まで行くと、
「でも海未さんは言ったよ! 『楽しいだけじゃない、試されるだろう』って! 頑張ってね!」
と格言のようなことを言ってリムジンに走っていった。
「あれは、私の真似です。さようなら」
と花丸もそれを追いかける。
ボディガードらしき黒服の人物にエスコートされる二人に手を振り、黒服を乗せたやはり黒塗りのセダンと共にリムジンが走り去ったのを見送ると、善子は家の中に戻った。
「さてと……」
居間のガラステーブルに残された、線画を見下ろす。
三人が施したアレンジは、大きく二点。
一つは、シャツとベストは重ね着しない。ベストの肩周りをばっさり削減し、チューブトップのように脇から回り込んで、乳房の頂点部分でシャツに接続することにした。こうすれば、省略ではなくデザインと認識してくれるはずだ。
もう一つは、スカートとソックスの調節。パニエ入りのふっくらしたスカートを、動きやすいミニスカートに変更、代わりにソックスをオーバーニーからサイハイに引き上げて情報量を維持した。一緒にブーツも丈を伸ばしたいが、ここは予算と相談になる。
そんなこんなも、月曜日に曜に確認する案件だ。
二~三日でできると豪語したのは完全にウソだったが、せめてその時には、人に見せられるレベルに仕上げる必要がある。
「あー、頑張んなきゃ!」
夜は長いが、週末は短いのだ。