AV
一辺四メートルほどのコンクリートに囲まれた部屋で、桜内梨子はゆっくりと息を吐いた。
部屋は密閉されており、酸素は供給されていない。
天井の散水口から噴霧される水を肩で受け止め、その中の酸素を鰓から取り込む。
「四月一六日、土曜日、一時一三分。梨子、聞こえるか?」
梨子は≪仮面ライダーブランキア≫の姿で、スピーカー越しの声に頷いた。早回ししたように押し潰された高音と、リバーブがかかった海鳴りのような低音が混じった音だが、認識速度と分解能が上がっている梨子には、それが父――桜内桑介の声だとはっきり分かった。
「これで最後のケースだ、頑張ってくれ。テストケース五一二……開始」
スピーカーが収納し、代わって八挺の機関銃砲塔が現れた。
小さな機械音を立てて銃口が梨子を捉え、その前に梨子は地面をすくい上げ、手にした水を振り回す。
銃声が鳴り響くと同時に、手の中に生成された薙刀が閃いた。
いや、閃き続けた。
今回のケースでは、一挺の機関銃から一〇〇発、計八〇〇発の銃弾が、一分間かけて発射される。
それを極限まで薄めた酸素供給量の中で、受け、返し、よけ、耐える。
それがテスト。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、触角、そして第六感を駆使し、ひたすら薙刀を振う。
時には腕や胸の装甲で銃弾を受け止め、あるいは受け流す。
緑色の装甲も薙刀も、それ単体で銃撃に耐えられるものではない。幾度となくえぐれ、砕け、そのたびに充満する水分で再構築する。
やがて、銃撃のタイミングにディレイがかかり始めた。
複数の砲塔の瞬きが巧みになる。
いつもの展開だ。
意識を集中。
『セディーユ』
電子音声が銃声の中に響く。
薙刀の石突きの先に機械でシーリングしたμ-フォームが現れ、湾曲した刃が飛び出す。
そこからは、危なげなどなかった。
ケース一から順に、数日に渡って難易度を上げていったテストは、今や至近距離からの複数の銃撃にも対応できる能力をブランキアに与えていた。
これに比べれば、≪ゾンビ・フォーメア≫の本体が放った空気弾など、シャボン玉に等しい。
一〇分間にも感じる一分間ののち。
最後の銃声と、その弾丸が切り裂かれてコンクリートに跳ねた音の残滓が消えた。
硝煙と水飛沫とコンクリ片の中、ブランキアは脇腹から息を吐く。
「全テストパターンの終了を確認しました。エビデンスの採取も完了です」
桑介の声が、誰かに報告している。そして、
「お疲れ様です、梨子さん」
ピアノのアンビエントBGMに乗せて、別人の声が続いた。
コンクリートの壁の一部が内側に開き、誰かが入ってきた。
「素晴らしい成果でした。≪セディーユ≫のデータはほぼ採れたと考えていいでしょう。本当に助かりました」
三〇代らしい男性だった。清潔だが使い込まれた白衣の胸に「依田義森」と書かれた社員証がとまっている。『お父さんより若いのに、≪静岡OGI≫のμ-フォーム関連事業の主任なんだ』と桑介から何度か聞かされていた名前だ。だが梨子は今回で三度目なのに、その顔と声が覚えられない。
義森は腰をかがめ、梨子の握る薙刀を下から上に、舐めるように見る。
「セディーユの刃が、薙刀の柄に侵食してますね。前回前々回よりずっと、融合が進んでいます。シャイニーの装甲追加とはまた違う、メルシャウム群の強化パターン。≪G=セディーユフォーム≫、と呼びましょうか」
タブレット端末を指で操作しながら、苔が凝縮したような緑色の装甲を眺める。
「特定の量子信号パターンを加えることで、周囲の液体を“
義森は一〇歳以上年下の梨子にも、まるで会社の上司にするような慇懃な口調だ。
だが梨子は、彼の発言を理解できない。
「梨子、変身を解除しなさい」
父の声がスピーカーから流れた。
ブランキアは全身を水面のように波打たせたのち、検査着姿の梨子になる。
変身解除後にいつも感じる潮の匂いが、空気の籠もった部屋に充満する。
「しかし、やはり特定の化学成分を充満させた時の、活動効率の低下が顕著ですね。周波数パターンはまだ分かるのですが。ここは詳細な分析を待ちましょうか」
梨子は握っていた手を開き、薄い皮膜と金属部品で包まれた≪セディーユ≫を義森に返した。
「では、梨子、検査着を脱ぎなさい」
顔の見えない父が、そう言った。
梨子は父の発言を掴みかねる。
「桑介さん、宜しいのですか?」
義森はスピーカーを見ずに言う。
「構いません。経過観察は必要です」
父の声は固い。
梨子はうなじに手を伸ばし、検査着の結び目を解いた。
ぱたり、と実験の痕跡の残る床に、検査着が落ちた。
行き止まりのコンクリートの部屋に入ってきた風が、身体を撫で、突き抜け、渦を巻いて出ていく。
状況を、脳が拒絶している。
「役得ですよ、私は。こんな美しい被検体を研究できるなんて」
義森の熱っぽい視線も言葉も、意識には残らない。
ただ、千歌たちの顔が思い浮かぶ。
明日は曜の誕生日なのに。
誕生会に呼ばれたのに。
みんなが遠い。
A
「たっだいまー!」
自宅に投げた渡辺曜の声に、返事はなかった。母の帰りが遅いのは分かっている。
曜は居間のテレビを付け、買ってきた紙袋を丁寧に明ける。
出てきたのは、たすき掛けしたようなラインの入った水色のTシャツに、余裕のある六分丈のパンツ。そして“YOU”の文字が入ったキャップ。
タグを取り、制服から着替え、姿見に映す。
「ああ、これは……やばいなあ」
スクールアイドルを始めるにあたり、服装からも気分を一新したいと思って一式揃えた練習着。
軽くステップを踏んでみる。
どこかで見たダンスを思い浮かべ、両腕を動かし、脚を交差し、ターン。
そして決めの敬礼ポーズ。
「やばいぞう、曜ちゃん」
姿見の中の自分が、満面の笑みを浮かべている。
それが、想像を超えて気恥ずかしい。
そんな状態だったから、電話が着信を告げた時には、変な声が出てしまった。
「あ、曜ちゃん? もう帰ってた?」
「ち――なんだ、千歌ちゃんか」
「ヨーソローは?」
「えっと、今日はね、うん」
見られていないと分かっていても、顔が赤らんでしまう曜である。
「で、どうしたの?」
キャップを脱いで髪を整え、千歌に問う。
「部費、どうする?」
ああ、と曜は思い出す。スクールアイドルのライブに向けて衣装を作るのだが、予算の工面を考えていなかったのだ。
「親に頼んでみるよ。でも、いくらかかるか分からないし、ヨハネさんの連絡待ちかな。千歌ちゃんは?」
「小遣い、前借りしようかな、って思ってるんだけど」
「できるの? まだ部活でもなんでもないのに」
千歌の母であり、≪十千万≫の女将である高海枝海は、金銭面に関しては厳しい印象がある。千歌が「前借りお願いする」と言って上手くいったケースを、曜は知らない。
「やっぱり、明日待ちかな」
「だね」
同好会申請の最低人数である五人が揃い、千歌の詞に梨子の曲が付き、衣装も善子の手で形になりつつある今なら、生徒会長も無視はできないはずだ。
「梨子ちゃんと話、した?」
「私? してないよ」
「ちょっとかけてみる」
そう言うと、千歌は梨子作曲の歌を口ずさみ始めた。コールを始めたようだ。
「出ないなあ」
「週末は忙しいって言ってたじゃん」
と、お腹が鳴った。時計をみると九時が近い。作り置きの夕食を探して台所に行くと――
「ん」
――食卓に広げっぱなし新聞に目がとまった。
カラー刷りの一面に印刷された、名前の通り輝く紫色のメタリックなスーツに。
「『対怪人装備 仮面ライダー試作一号機「シャイニー」発表』……?」
「なんか言った?」
「理事長代理が着てた仮面ライダーって、シャイニーって名前だったっけ?」
「そうだよ」
では、このスーツを着て舞台に立っている人物は、あの小原鞠莉なのか?
シャイニーのデザインは、一見して梨子のブランキアとそっくりだ。顔の大部分を占める黄色の大きな複眼もそうだが、身体にフィットしたアンダースーツ上に配された装甲のバランスも近い。
だが、細部はまったく違うともいえる。大きな目を顎で繋げるU字型のパーツが口を成す様は、凶悪な顎門を思わせるブランキアのそれとは違うし、スポーツカーを思わせる流線的な装甲のニュアンスも、苔を凝縮したようなブランキアのそれとは違う。
しかしなにが違うといえば、顔のシンプルさだ。
曜は電話をスピーカーフォンに切り替えると、練習着のポケットから単語カードを取り出し、シャイニーの顔をざっくり描いてみる。特徴的な目と構成パーツの少なさ、そして記号を組み合わせたデザインゆえに、なかなかに描きやすい。
「これで理事長代理も、表立って戦ってくれるんだよね」
千歌が安心したように言った。
「戦えるのかな」
幼馴染みと違い、曜の口調は冷ややかだ。
記事を読むと、OGIグループの≪静岡OGI≫が開発しているラギダイズ技術――耐環境性能を電子機器に付与する技術――をベースに開発されたことが分かった。“ライダー”という名称も“Ruggedizer”が省略、子音弱化したものだと説明している。
だがどう理由をこねくり回したとしても、印刷された写真は、毎年行われる『平成メタルヒーロー』の新番組発表会のそれだ。
OGIグループが併せて開設した特設サイトも電話でチェックするが、ニュース、仮面ライダー、フォーメア、とメニューに並び、実写とCGモデルを合わせて各々が紹介される様は、毎週更新されていく特撮ヒーローのサイトを参考にしたとしか思えない。
そう考えれば、顔のシンプルさも、まるで「子供が描きやすいデザイン」を狙ったかのように思えてくる。
現実の怪人と戦う装備に与えられた、途絶えてしまったヒーローの名前に、現行のヒーローのフォーマット。
滑稽だ。
状況の異常さに比べて、対応が軽すぎる。
付けっぱなしテレビに目を向ければ、御用学者もお笑い芸人もコメンテーターも、哀悼の意と誹謗中傷を東京のスタジオから沼津に投げつけてくるが、実際の事件について語っているようにはみえない。電話から覗くSNSも同様だ。それは仕方がない。他人事なのだから。
だが、実際に怪人と戦う装備を開発している小原家までもが、その滑稽な記号を受け入れられるのはなぜ?
曜は今でも、自分から産まれた水死体の姿や、それと戦う梨子の姿を思い出すと、鳥肌が立つのに。
「やっぱり出ないや」
「だから、忙しいんだって。そっちも明日にしよ」
マイペースな千歌の発言に苦笑すると、曜の頭から怪人とライダーの話は消えていった。
「そうだね。じゃ、今日は寝ちゃおうかな」
「もう? まだ九時だよ?」
「だって、編曲は梨子ちゃんがしてくれるし、私、することないんだもん」
「それでいうと、私もすることないんだよね」
「お母さんにどうやって前借り切り出すか、考えないとなあ。あーあ」
「ほんとだよ。じゃ、おやすみ」
「うん、おやすみー」
電話の画面が終話を告げると、曜は息を漏らす。
千歌にはあんな風に言ったが、曜も部費を工面しなければならないのだ。
「……よし」
曜は小さく唾を飲むと、台所をあとにして二階へ上がる。
薄暗い廊下を歩き、父の部屋を仕切るふすまをそっと叩く。
「お父さん、まだ起きてる?」
くぐもった父の声が聞こえて、曜は隙間に指を引っかけてふすまを開ける。
電気の消えた部屋で、背もたれの高い椅子が、紺碧の海を臨む窓に向かっている。
「お願いがあるんだけどさ、ポーンと一万円くらいくれない?」
景気よく言うと、父の笑い声が聞こえる。
「私ね、スクールアイドル始めるんだよ。知ってるでしょ? スクールアイドル」
曜は両腕を広げて、下ろし立ての服を見せる。
「ほら、これ。練習着だよ。お父さんが名付けてくれた『みんなを照らす太陽』に、やっとなれるんだよ」
椅子の背もたれが、ゆっくりと回る。
「笑っちゃうよね。男の子向けのテレビ見て、男友達や千歌ちゃんと走り回ってた私が、アイドルなんてさ」
壁際にかかっている、紺色の制服が目に入る。
黒地に金四本の袖章は、船長の証。
「衣装はね、私がデザインしたんだ。制服以外でスカート履くなんて、初めてだよ」
積まれた雑誌の上の、大型フェリーの写真が目に入る。
父が乗っていた、定期船の写真。
「それで、人気が出たらさ、船の上でライブなんてできたらいいよね。みんな呼んで、パーッとさ!」
壁に画鋲で刺された新聞記事が目に入る。
『さんどっぐ号、駿河湾で爆発炎上』
『生存者二名、乗員乗客五三名の安否は絶望的』
『五二人の死亡を確認』
『短時間に激しい腐乱、OGIグループの実験か』
「そしたら、そしたらさ……」
背もたれが曜と正対する。
身体を預けたシルエットが見える。
「そしたら……」
「曜」
曜の顔が笑顔のまま凍る。
あのシルエットの顔が。
水死体だったら?
「わ、私、走り込みに行ってくる! 高飛込もあるし、スクールアイドルもあるし、忙しくなるぞう! じゃ、渡辺曜、行って参ります!」
曜は一息に言って階段を駆け下り、練習着のまま玄関を飛び出した。
仮面ライダー?
メタルヒーロー?
自由と平和を護るヒーローなんて、現実にはいない。
いるなら、今すぐ私を殺しにくるはずだ。
私がもう一度、怪人を産み出してしまう前に。
*
「はい、じゃあ続き。Dのアウフタクト――Bメロの頭から、千歌ちゃんと曜ちゃんだけ」
梨子が手拍子で拍を取り始める。
「いち、に、さん、し、いち、に!」
「『知らないことばかり、なにもか』――」
「――ダメダメダメ!」
ぱんぱんぱん、と手が打ち合わされ、歌が中断する。
「曜ちゃんは走ってる。自分のテンポで歌わないで、周りと拍を意識して」
「分かってるんだけどなあ」
「千歌ちゃんは最初の音が合ってないから、全部ズレちゃってるよ。最初の“し”はこの音」
梨子は電話の画面に表示されたピアノの鍵盤を叩いて音を出し、「しー、しー、知らないこと」と歌ってみせた。
「厳しいよう、梨子ちゃん……」
「私なんて、さっき初めて歌詞読んだのに」
高海千歌は泣きそうな顔で、譜面を眺めている。
隣の曜は、寝不足なのか、しょぼしょぼした目でオタマジャクシを追っている。
「この曲は歌から始まるんだから、全員アカペラでも音をとれるようにならないと。最初の一音で音を外したら、それでもうライブは台無しなんだよ! はい、もう一回同じところから!」
梨子の瞳の中には熱血の炎が灯っていて、千歌は普段との温度差に驚くしかない。
月曜日の早朝、三津海水浴場にいるのはスクールアイドル同好会(仮)の四人だ。
学校指定のジャージを着た千歌と、新調したというゆったりした練習着を着た曜は、音ノ木坂のジャージを着た梨子の前に並ばされていた。
「生徒会長に話しに行く前に合わせよう」と深夜にテキストを送ったのは千歌だが、身体作りやダンスの基礎練もするだろう、と思っていた。だから体育着にジャージを着てきたのだが。
いきなり歌の特訓を受ける羽目になるとは。
「まあまあ、クールにいこうよ、桜内さん。まだ初日なんだし」
割って入ったのは、トライウェア姿の果南だ。海水で髪を濡らした一つ上の幼馴染みは波打ち際に立ち、すくい上げた水を胸にかけて遊んでいる。
「松浦先輩! こういうのは最初が肝心なんです!」
「ライブの予定だって決まってないのに、飛ばしすぎて壊れたら元も子もないよ。ダイヤにプレゼンする時は、最悪デモテープがあればいいんだからさ」
そうだよそうだよ、と外野から野次を飛ばす千歌と曜に、梨子は鼻から息を漏らした。
「そうですね……。じゃあ松浦先輩、最後にもう一度、お願いします」
「また? しょうがないなあ」
言いながら果南は、足元を波に洗われるままに、背筋を伸ばす。
「『知らないことばかり、なにもかもが。それでも期待で、足が軽いよ』」
手拍子で拍を取らなくても、果南の歌は音程リズムともに完璧だった。
「はい、これがお手本。ちゃんと練習してきてよ」
「お手本って言われると、なんか複雑だなあ。変な声でしょ、私」
「そんなことないです。オーボエみたいでエキゾチックな声だと思います」
「それ、褒めてる?」
「褒めてますよ! 軽快なのに、寂しそうで」
「褒めてないよね?」
千歌は意外な気持ちでいっぱいだった。ダイビング一辺倒の果南に、歌の資質があるとは思っていなかったからだ。
だが、そんな果南と語り合う梨子も、ピアノや作曲という音楽の資質と、怪人と真っ向から戦える格闘の資質を併せ持っている。
十数年一緒にいても、その人の真の資質など、見えないものかもしれない。
歌の練習が事実上終わり、千歌たちはウッドデッキに腰を下ろして片付けを始めた。といっても、金曜日に梨子に配られた譜面をスクールバッグにしまうだけで、その後は、なんとなく、四人横並びに砂浜を眺める格好になる。
背後の発端状山から登ってくる朝日は、まだ顔を出していない。ぼんやりと桃色を帯びた空に雲は少なく、今日は半袖でもいい天気になりそうだ。
護岸コンクリートを背にして整備されたウッドデッキからは、波の穏やかな内浦湾の北側が一望できる。ウェットスーツで泳ぐにはまだまだ早いが、夏には梨子と一緒に、この水で泳げるだろうか。
隣に座っている梨子を見る。
「どうしたの?」
新しい友達は、照れたように笑った。
梨子がこの街をどう思っているのか、千歌は聞いたことがない。出て行った友達は多いが、やってきた友達は彼女が初めてなのだ。
もし梨子がこの街に、仮面ライダーとしての役割しか感じていなかったら?
「梨子ちゃん、道場とか行ってたの?」
気付いた時には、千歌はそう口にしていた。
「え?」
梨子にしては唐突でしかない話題だろうが、
「ああ、合気道と薙刀ね」
と、すぐに構えてみせた。千歌が好む上下の構えより両腕の幅が狭く、右腕で顔面を、左腕で胸を護るような構えだ。
「東京で護身用に習ってたの。お父さんが行けってうるさくて」
「護身用? あれが?」
曜が驚いたのは当然だが、空手経験者の千歌にも、あの合気道や薙刀術が護身レベルの動きには見えなかった。変身によるパワーアップしたのでなければ、謙遜だろう。
「なんでそんなこと知ってるの?」
三人を余所に、目をパチクリさせたのは果南だ。
「え?」
「合気道とか薙刀とか、なんで桜内さんがやってるって知ってるの?」
曜と梨子の口がパクリと開く。
そうだ、梨子が仮面ライダーをやっていると知っている二年生組を除けば、梨子と武術を紐付ける文脈はなにもないのだ。
「ああ、あの、前にね、私、投げられちゃったの! そこの桟橋で、びたーん! って!」
「そうそう、それが千歌ちゃんとの初対面だったんです!」
「合気道と薙刀? それって――」
「――そうだ、流派ってあるの? ほら、ちかっちの空手は傍流も傍流の≪飾流≫ってところなんだけど」
強引としか言いようのない話のそらし方に、果南が目を細めるのが見えた。
我ながら隠し事が下手だな、と思いながら、千歌は誤魔化しネタを探す。そんな調子だったから、
「大きい括りだと、≪園田流≫かな」
「その――え? 園田? ええええ!?」
梨子が口にした名前に、素で大声を上げてしまった。
「うん、μ'sの園田海未さんの実家。道場なんだよ」
「そうなの?」
これには果南も驚いたようだ。
「海未さんは本来、剣道や弓道など、様々な武芸に秀でた方なんです。スクールアイドルを始めたのは、高坂穂乃果さんに誘われたからなんです」
「武道あがりがアイドルをやるって、千歌だけじゃないんだ」
「はい、だから――そっか、海未さんも二足のわらじをはいていたんだ」
梨子は途中から曜に顔を向けた。
「海未さん、μ'sの活動中に、弓道の全国選抜で優勝してるから」
「優勝ぉ!?」
「それぞれが好きなことで頑張れるなら」
千歌がそう呟くと、
「新しい場所がゴールだね」
梨子は笑顔で頷いた。
「はー! そんなこと言えるわけだよ。重みが違うなあ」
と、果南の電話が震えた。果南は電話を耳に当て、
「揚がった? うん、今、三津」
と呟いた。
答えるように、内浦湾の先、駿河湾の海域で光が瞬いた。誰かが合図を送っているようだ。
「ちょっと行ってくるわ」
果南が立ち上がった。
「今から?」
「もう学校だよ!?」
声を上げる曜と千歌に、果南は軽く首を傾げて見せた。
「また“お化け”が見付かったみたいでさ。みんなも来る?」
その言葉に、千歌は息を詰めた。
曜と梨子も固まっている。
「どうしたの?」
「あ、うん! お化けならしょうがないよね! お化けじゃあなあ!」
「私はあんまり興味ないかな! 先行ってます!」
曜と梨子が棒読み気味に言うと、果南は若干の訝しみを顔に浮かべながらも、ロードバイクを手に短い階段を上がり、ヘルメットを被った。
「次の予定が決まったら教えて。じゃね」
そして手のひらを見せ、交通量の少ない道を走り去ってしまった。
「って、やっぱり、あれだよね……」
「OGIに連絡してみる。またフォーメアが出てきたら危ないし」
曜と梨子が言う横で、千歌は橙色に光るμ-フォームを取り出す。
「果南ちゃんにも教えなくていいのかなあ、なんか悪いよ」
浦女に通う幼馴染み三人組の中で、仮面ライダーや怪人の正体を知らないのは、果南だけだ。
「ブランキアの正体は、あまり広めたくないから……」
果南とそれほど交流していない梨子が、そう言う気持ちは分かる。
だが千歌は、スクールアイドルを結成するメンバーに秘密を抱えていることが、どうしても気がかりになってしまうのだ。
それを解消せずに、「仲良し幼馴染みグループ」などと名乗れるだろうか。