仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第五話:願いましょう、明日の奇跡を - 3

   B

 

 黒澤ダイヤは、持って産まれた人間だった。

 父の琳太郎は、『最初に手を挙げなさい』と教えた。

 母の瑠璃は、『あなたが前に立ちなさい』と教えた。

 その教えに従い、ダイヤは小学校の学級委員になった。中学校の生徒会長になった時も、浦の星女学院で入学年度に生徒会長を求められていると感じた時も、迷うことはなかった。高校生にもなれば、学校の枠組みの中で“黒澤ダイヤ”を否定するものなど、存在しなかったからだ。

 その過程でダイヤは、この世界には資質を持つ人間と持たない人間がいることを知った。持たない人間は率いられるのを待っており、持つ人間は彼らを率いて、別の持つ人間と戦い、そして勝たねばならない、と理解した。

 それが、江戸時代より続いてきた、“黒澤宗家”としての生き方。

 自分に敷かれたレールであり、演じるべき役割であり、かぶるべき“仮面”。ルビィの幼馴染みは“ノブレス・オブリージュ”と表現したが、どれも同じことだ。

 だからダイヤには、千歌の行動が理解できなかった。

 資質の持たない人間が、それを要する立場に手を挙げるなど。

 涙を流してまで、目標、希望、願い――夢を欲することなど。

 ダイヤの人生にはなかったからだ。

「黒澤家と小原家が共同で進めている、西浦地区、内浦地区の予防型高台移転の要害の一つとして、小原家はここ、長井崎岬を選びました。本校を創立した黒澤家としては、校舎の移転もしくは学校の存続だけはと考えていましたが、先日の怪人の出現による内浦の安全保障問題に、OGIグループが開発した仮面ライダーなる装置の登場、この五年間で人口の七〇パーセントを失った内浦の現状もあり、沼津市も小原家も移転予算の拠出を断念しました。黒澤家も従うしかありません。最終目標はあくまで、内浦湾一帯の災害対策計画都市としての再開発であり、本校の存続ではないからです」

「そんな、じゃあお姉ちゃん」

「昨日の理事会で内定致しましたわ。二年後の創立一三〇周年、つまり現一年生の卒業を持って、私立浦の星女学院高校は廃校となります」

 ルビィと花丸が高い声を上げた。

「人口流出の直接的な原因は、五年前の≪さんどっぐ号≫沈没事故と言っていいでしょう。あの事故で亡くなった五二名の四分の三は、ここ内浦地区に住む水手(かこ)でした。以前から少子高齢化が進んでいた街を、それでも支えていた大黒柱の多くが、一斉に失われてしまったのです。それは渡辺さんもご存じでしょう」

 曜が顔を背けた。この街の人間で生き残ったのは、該当船舶で船長を務めた渡辺操だけだった。

「お分かりですか、高海さん。あなたが廃校に抗うなら、戦う相手は小原家であり、この街の経済的な事情ですわ。だからわたくしは――」

 高笑いが響いた。

「神の身でありながら、神に見放されし黒澤家。その長女、≪金剛石の帳≫を持つと言われる黒澤ダイヤ――」

「――どなたですの?」

 芝居めいた低い声色で喋っているのが誰か、ダイヤは分からない。

「ガッカリだわ。こんな普通の人だったなんて」

 千歌の背後から現れたのは、一年生の善子だった。彼女が場の主導権を握ったと理解するのに手間取ったのは、その声色が今までとまったく違ったからだった。

「……発言の意図が分かりかねますが。黒澤家への侮辱は許しませんわよ」

「侮辱? 侮辱ですって?」

 ダイヤの視線をものともせず、善子は二学年上の先輩を見据えて言う。

「網元制度崩壊も幾度とない大火も沼津大空襲も財閥解体も、不屈の精神で乗り越えてきた黒澤家の宗家の長女が、こう言っている? 『黒澤家は小原家に負けました。ギブアップです。だからあなたたちも諦めなさい』。はあ? 黒澤家を侮辱してるのは、あんたじゃなくて?」

「勝ち負けの問題ではありません。先ほども言いましたが、最終目標は――」

「――胴元はいいわよね。好き勝手にルールをいじくれるんだから」

「あなたになにが分かるのです! 責を負う資質もないあなたに!」

 声を荒げるが、善子は鼻で笑った。

「よく知ってるじゃない。だから私たちは堕天したのよ。あんたたちの世界からね」

 不遜な物言いに、ダイヤは眉をひそめる。

 自分とよく似た、尼削ぎロングの少女に。

「ぶっちゃけ、こんな学校なくなっちゃえばいい、って思ってた。なんでわざわざ、毎日毎日バスに揺られてこんな田舎まで、って。でも、あんたの腑抜けたツラ見てたら気が変わったわ」

 善子はつかつかとダイヤに歩み寄る。

「神々の対立なんて知ったこっちゃないのよ、愚民にはね。でも、あんたら勝手な理屈で、私たちの夢を踏みにじろうって言うなら!」

 そして長机を叩いた。さきほどのダイヤのように。

「堕天使の、この私が黙ってないわ」

 善子は怒っていた。ダイヤはそれは理解した。

 だがその怒りがどこからくるのかは、理解できなかった。この場の誰もがそうらしかった。

「お、お姉ちゃん」

 ルビィがおずおずと口を開いた。

「ルビィ、善子ちゃんを手伝いたいよ。黒澤家としてじゃなくて、ルビィとして」

「ヨハネよ」

 善子が呟いた。

「私はヨハネ。私たちを追放した神に、刃向かう堕天使よ。間違わないで、ルビィ」

「う、うん。ヨハネちゃん」

 善子は唇を微かに斜めにした。

「黒澤家が諦めるって言うなら、勝手にすればいいわ。でも私たちスクールアイドルは、『コンティニューは三回まで』なんて甘ったれたことは言わない! 『何度でも諦めずに、探すことが僕らの挑戦』! そうよね、千歌!」

 突然話を振られたものの、千歌は振り向いた善子の目を見て大きく頷いた。

「ヨハネちゃん……。ヨハネちゃん! そうだよ、私も同じ気持ちだよ!」

 千歌は善子の手を握った。

「まったくもう、そんなこと言われたら、追求する気も失せるよ」

 曜は梨子を一瞥してから呟いた。

「ごめんね、曜ちゃん。津島さんは私がちゃんと教育するから」

「ちょっと、教育されることなんてないわよ、リリー!」

「リリーはやめてってば」

 梨子と善子が言い合う横で、果南が口を開く。

「どうするつもり? ダイヤ」

「あなたの問題だと、言ったはずですわ」

「あなたは、どうするのよ」

「わたくしは――」

 ――と、生徒会室に扉が開け放たれた。

「Hi!」

 外人のような発音に、視線が集中する。果南以外の七人の。

「理事長!」

「ダ・イ・リ。そろそろ覚えてよね」

 曜の発言を訂正した鞠莉は、千歌たちの間をすり抜けて長机の前までやってきた。

 ダイヤの前に並んだ七人を順に見て、鞠莉は困った顔をダイヤに向ける。

「なーに? また、か弱い生徒たちを苛めてるの?」

 そこでスクールアイドル部の設立申請書に目を落とし、そこに梨子の名前を見付けたようで、「なるほどねェ」と呟いた。

「いいわ、じゃあ私が五人目になってあげる!」

 そう言って鞠莉は、どこからか出したボールペンで署名しようとした。

「なんのつもりですか?」

 ダイヤはその手首を掴む。

「なにって、リリーの身の保証を私がする、って言ってるの!」

「あなたは小原家の人間でしょう」

「それ以前に、浦女の理事長代理よ。生徒に充実した学校生活を送ってほしいと思うのは、当然じゃなくて? その対象がたとえ、School Idolであっても」

 ダイヤは鞠莉の顔を観察する。

 黒澤家は先週、小原家の妙な動きを観測していた。それも、この輪に脈絡なく加わっている善子の自宅で。先ほどの言動で善子の心情の一端は掴んだが、鞠莉に警戒しないわけにもいかない。

 だが鞠莉は、ダイヤの思考など意に介さない。

「『二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。一人は泥を見た。一人は星を見た』」

 視界の隅で果南が目を見開いた。ダイヤもそうだっただろう。

「アナタはこの子たちに、星を見せてあげたくないの? それが届かないとしても」

 ダイヤの手が緩んだ。

 鞠莉はダイヤの目を覗き込んだまま、ゆっくりと手を引き抜く。

 そして用紙に六人目の名前を書き込んだ。

「さ、これでアナタたちは、晴れてSchool Idol同好会を名乗れまァス! Congratulations!」

 当の千歌たち五人は、お互いを見合ってから、ダイヤを困惑げに見た。

 長い睫の下の鋭い目を、一度伏せる。

「同好会の設立は認めますわ」

 ダイヤの言葉に、千歌と曜が息を呑んだ。

「ただし! 現時点から部外の人間の力で成果物を作ることは禁止します」

 その意味が染み渡った数秒ののち、ルビィが甲高い声を上げた。

「じゃ、じゃあルビィ! ヨハネちゃんの手伝いしちゃダメなの!?」

「成果物を作ってはいけない、と言っているのです。教え導く分には構いません」

「そっか、よかったあ!」

 喜ぶ妹を横目に、ダイヤは千歌に目を戻す。

「同好会員五人の力で、一箇月以内――そうですわね、中間考査前の部活休みが始まる前日――五月一五日までに、スクールアイドルとしての活動報告をすること。それができるなら、生徒会として、部としての活動の是を職員会に提言致しますわ」

「部、として? 提言?」

「二度は言わせないでくださいませ」

 その小さな言葉は、忙しなく生徒会室を飛び出していく少女たちの耳には入らなかったようだった。

 

   *

 

「どうなるかと思ったけど、これで安心だよ!」

「まだだよ、曲も衣装も私たちで作らないといけないんだから!」

「とりあえずできてる音源は、帰ってからメールで送るね」

「あ、でも私、今日は水泳だからダメだ」

「じゃあソフトの使い方は明日教えるよ。私も今日、用事あるし」

「ええー!? 一箇月しかないのに、二人とも悠長すぎるよう!」

「しょうがないじゃん、足は二本しかないんだから」

 小走りに歩きながら話し合う二年生を、松浦果南は後ろから黙って追いかける。

「三箇月以上活動しなくていいのは嬉しいけど、一箇月は短すぎるなあ」

「一箇月もないよ、今日は一八日なんだから」

「そうだよ、生徒会長のイジワルー!」

「……ちょっと待って、報告期限って、五月一五日って言った?」

 曜が単語カードの[5/15]を見ながら立ち止まり、つられて二年生も果南も立ち止まる。

「ラブライブ!のエントリー、一六日が最終日だよ!」

「え?」

 曜の発言について行けない梨子を前に、千歌の顔が驚きから笑顔に変わった。

「エントリーに間に合うんだよ梨子ちゃん! 生徒会長イジワルじゃない!」

「ぼやぼやしてられないよ、千歌ちゃん。今日のうちに編曲を考えて、明日からすぐ動けるようにしよう!」

「分かった! うわあ、ラブライブ!に出られる!」

「ねえ、希望が見えたところに悪いんだけどさ」

 はしゃぐ二年生に、果南が声をかける。

「振り付けは? 手付かずなんだよね?」

 その言葉に、二年生三人が顔を見合わせた。

「完全に忘れてた」

「どうしよう、曜ちゃん! もう誰にもお願いできないのに!」

「取り敢えず私やることないし、今夜ちょっと考えてみる!」

「ほんと!? じゃあ、参考になりそうな動画送るよ!」

 千歌と曜は、バタバタと廊下を教室の方へと走っていく。

 梨子が二人を追おうとして、

「待って、桜内さん」

 果南が呼び止めた。

「今日、用事があるの?」

「はい、ちょっと――」

「――OGI関係の?」

 梨子は目を見開き、頷いた。

 頷いてしまったようだった。

「ちょうどよかった、伝言があるんだ」

 果南はポケットに手を入れ、それを取り出した。

「伝言って、誰に――」

 ――梨子が絶句する。

 淡く光る、無色の球体。

「……ほんとに、μ-フォームを」

「そんな名前なんだ、この“お化け”」

 梨子は手で口を押さえた。

 迂闊な子たちだ、と果南は思う。

「もう一つ、伝言」

 と人差し指を立てる。

「私がスクールアイドルに参加する二つ目の条件、千歌たちに伝えてくれる?」

 果南はチラリと後ろを、生徒会室の方を振り返り、口を開いた。

「小原鞠莉が参加していないこと」

「え? ……え!? それって――」

「――名前は使っていいから。じゃあね」

 梨子の言葉を待たず、果南は階段を降りていく。

 手の中で、球体が微細な振動を発する。

 持続する高音。

 廊下の窓ガラスに映った果南に、果南が気付く。

 その果南が、果南の意図と無関係に唇を吊り上げた。

「戦え」

 誰が言ったのか。

 視線を戻し、果南は廊下を進む。

 肩にかかったポニーテールを背中に戻して。

 小原家が諦めても、黒澤家が諦めても、果南には関係ない。

 ダイヤの言う通り。

 これは私の問題なのだから。

 

   *

 

 生徒会室を出た小原鞠莉は、不意に袖を掴まれた。

What's the matter(どうしたの)?」

 思わず英語で問うてしまった鞠莉に、

「聞きたいことがあります」

 クリーム色のカーディガンを着た花丸は、自然に言葉を続けた。

「ラングブリッジさんのこと、知ってるんですか?」

「え?」

「ラングブリッジさんは言いました。『二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。一人は泥を見た。一人は星を見た』って」

「知ってるのォ!?」

 花丸が口にしたのは、先ほど鞠莉が言った言葉だ。いや、千歌にも、ダイヤにも、果南にも、様々な人に道を問う際、使っている言葉だった。

「はい、子供の頃、お祖父ちゃんが枕元で読んだ『カーネギー名言集』で知りました。フレデリック・ラングブリッジさんの詩の一節と言われています」

「そうそう、そんな名前の人だったわよね。いやァ、私の『不滅の詩』に反応した人、始めてよォ」

「『ふめつのうた』!? なんずら!? それが題名ずら!?」

 花丸は、今度は大声を上げて袖にすがりついてきた。

「W, W, What?」

「オラもお祖父ちゃんも題名までは知らないずら! 原本を探してるけど全然見つからないずら! どこにあったずら!」

「え、いや、それは、その、えっと――」

 ずらずら連発する花丸に鞠莉は出典を告げようとした時、生徒会室のドアが開いた。

「花丸さん、鞠莉さん。廊下では静かにお話しください」

「ご、ごめんなさい!」

 鞠莉の服を離して頭を下げる花丸。

「いいじゃないのォ。女子高生なんて、姦しいくらいがちょうどいいのよ」

「ではせめて、三人寄った時だけにしてください」

 ダイヤは自分の城に鍵をかけると、二人に先んじて教室へと歩き出した。

 鞠莉は花丸にウィンクし、生徒会長の後ろについていく。

「さっきのヤツ、私も詳しくは知らないのよ、ごめんね」

「いえ、手かがりが増えました。“うた”の漢字はなんです?」

「“詩”よ。Lyricの“詞”じゃなくて、Poemの“詩”ね」

「ありがとうございました、早速お祖父ちゃんに報告します」

 花丸がにっこり笑って、鞠莉は息を吐いた。

 ずっと前から使っている格言が、まさか愛読している少年漫画からの引用だなんて、特にダイヤの近くでは格好悪くて言えない。

「生徒会長」

 と、花丸は歩調を速めると、ダイヤの横に並んだ。

「はい?」

「ルビィさんのこと、怒らないであげてほしいです」

「……はい?」

「ルビィさんが部活禁止なのは知ってます。でも、ルビィさんはずっと前から、アイドルの衣装を作りたかったんです。その≪輝き≫が――資質があるんです。だから――」

「――輝き(シャイニング)。キューブリックですの?」

 割り込んだダイヤの言葉に、花丸は一度目を瞬かせた。

「ダイヤったら、THE BEATLESに決まってるじゃない! 私たちは輝き続けるのよ! 月のように、星のように、太陽のように!」

「スティーヴン・キングさんです」

 花丸の言葉に、ダイヤは唇を微かに斜めにした。

「ルビィのことは、もちろん存じておりますわ、国木田さん」

 ダイヤは管理棟と教室棟の中間で立ち止まると、階段を見据えて言う。

「スクールアイドルになりたいと言い出さなければ、わたくしはそれでよいのです」

「そう……ですか。分かりました」

 花丸は頭を下げ、階段を登っていく。

「ねえ、ダイヤ。あの子、なんで来てたの?」

 鞠莉は、花丸とはチャペルで会っているし、聖歌隊に入隊したのも知っている。ルビィと一緒にエンジェル・フォーメアに襲われた女生徒だということも、もちろん把握済みだ。

 だがスクールアイドル活動の文脈では、先ほど生徒会室に集まった九人の中で、彼女だけが埒外なのだ。

「ルビィの幼馴染みですわ。妙法寺のご息女よ」

 答えになっていない、と言おうとして、鞠莉は眉を寄せる。

「毘沙門の? 戦えるの? あの子が」

 ダイヤは振り返り、鞠莉を見た。

「鞠莉さん、わたくしたちと一緒に授業を受けるつもりですの?」

 階段を降りれば、三年生の教室だ。

 鞠莉はいたずらっぽく笑うと、手を振った。

 ダイヤは微かに目を伏せると、会釈し、階段を降りていく。

 鞠莉は踵を返し、理事長室に向かう。

「私たちの星は、まだ動き出さないみたいね」

 であれば、今の自分は、誰の関係にもコミットできない。

 

   *

 

「ここが部室? 意外と狭いのね」

 ガラス張りのサッシ戸が軋みを立てて開き、善子がカメラを構えて入ってきた。

「これでも他の部室より全然広いらしいよ」

 梨子が言うと、善子は鼻で笑う。

「我が翼の翼開長には劣るわね」

「よくかいちょう、ってなに?」

「怪鳥がルビィを食べられるかどうかの指標よ!」

「ピギィ!」

 善子の後ろから入ってきたのは、衣装デザインを手伝ってくれたという、生徒会長の妹だ。

「あ、来てくれたんだ、ルビィちゃん」

「あ、は、はい、お邪魔します! ……あ、あれ? 閉まんない」

 ルビィは頭を下げながらサッシ戸を閉めようとするが、砂を噛んでいるのか歪んでいるのか、苦戦している。

「なにしてんのよ、ルビィ」

「だ、だってえ」

「あれ、ほんとだ。なによ、立て付けが悪いんじゃないの? この学校」

 高海千歌は折り畳みの長机を雑巾で拭きながら、後輩たちを笑って見ている。

 ここは正式に設立を許可された≪浦の星女学院スクールアイドル同好会≫の部室として割り当てられた、体育館に併設された第二教官室だ。

 教官室は教室の半分くらいの広さで、梨子が言った通り、部室棟の標準的な部室の三倍は広い。その代わり、部屋の東側の壁際には背の高い無骨なキャビネットが並び、必要なのか不要なのか分からないキングファイルたちが無駄な存在感を放っているし、南側は体育館に、北側は中庭に、ガラスのサッシ戸で直接繋がっている。

「ここ、ほんとに使っていいの?」

「理事長代理がくれたんだよ、ここの鍵」

 千歌が長机を二脚並べる横を、善子が通りすぎて、窓ガラスに近付く。その先の体育館からは、ネットで区切って活動を始めたバスケ部とバレー部の声や体育館履きの音が聞こえてきた。窓ガラスを護る鉄格子にボールがぶつかり、戸と格闘しているルビィが肩を揺らして驚いた。

「しばらく空き部屋だったからな」

 そう言ったのは、ルビィに代わって無理矢理戸を閉めた信代だ。

「お待たヨーソロー!」

 曜も一緒だ。

「あれ、水泳は? 今日、練習の日だよね?」

「明日にずらした。まず一発、認識合わせをした方がいいと思ってな」

 信代が言った。

「果南ちゃんは?」

「繋がんない。理事長代理がいたらやらないって、本気みたいだよ」

「名前貸してくれただけなんだし、いいじゃん、手伝ってくれたってさあ」

 千歌と曜のやりとりに、伝言を持ってきた梨子はなにか言いたそうな顔をしたが、なにも言わなかった。

「まあ、しょうがないわな……」

 信代は呟くと、部員がパイプ椅子を手に長机についていくのを横目に、キャビネットに寄せて立ててあった移動式の黒板を引っ張ってきた。そして、千歌、曜、梨子、善子、ルビィの五人と、善子が回しているカメラを前に、自分を指差す。

「一応紹介しとくか。スクールアイドル同好会の顧問になった、笠木信代だ。二年一組担任、こんなナリだが女で国語教師だ、よろしくな」

 ルビィが「ピ!?」と短く声を上げた。

 当然だ、短い髪に恰幅のいい身体、青いジャージの上下に底の磨り減ったゴムのサンダル履きと、体育館とこの教官室が似合う男性体育教師にしか見えないだろう。

 そんなリアクションは慣れていると言いたげに、信代は白いギプスを乗せた折れた鼻を鳴らして、薄汚れた黒板をざっと黒板消しで拭くと、チョークを走らせる。

「つっても、最近のアイドルには詳しくないし、助けてやれそうなところもない。メインは水泳部だしな。基本は『扱いやすい学校側との接点』程度の認識でいてくれ」

「構いません!」

 千歌が言い、曜と梨子も頷いている。

 その間に、ざっくりしたカレンダーが、黒板に描かれた。

「第七回『ラブライブ!』のエントリーが、五月九日の月曜から翌週月曜の一六日まで。それまでにお前らは、生徒会に部活動の実績を報告しなきゃならん。具体的には、ライブだな」

 ポイントとなる箱に日付と色が添えられる。ガタガタと揺れる黒板から、何年前に積もったのか不明なチョークの粉が舞い、千歌は身体を逸らす。

「でだ、お前らの動きは、実は職員会議でも話題になってる」

「ほんとですか?」

 曜が頬を持ち上げて言った。

「感触はよくないぞ。ウチのスクールアイドルが一回失敗してるのは知ってるからな、『生徒を入れてライブをやった』程度じゃ実績と思わない。校外からちゃんと客を入れて、その前でパフォーマンスをやって、満足させる。そこまでやらなきゃ、職員会議は認めないだろうな」

「校外から、って、具体的にはどれくらい要るの?」

 タメ口で問うたのは善子だ。

「体育館いっぱい、と言いたいところだが、まあ、三分、四分入りだろ」

「五〇人くらい?」

「文化祭で並べるパイプ椅子が八〇〇脚くらいだから、二四〇~三二〇人か?」

「そんなの無理です!」

 ルビィが立ち上がって叫んだ。

「この前お姉ちゃんが言ってました、今の内浦は、世帯数が一二〇ちょっと、世帯人員も一七〇人くらいしかいないって!」

「え、そんなしかいないの?」

「だいぶ減っちゃってるとは思ってたけど、みたいだね」

 口をゆがませた善子が、曜と小声で話している。

 千歌もその数字に驚いていた。日に日に空き家の増加は感じていたが、そこまで衰退しているとは思っていなかった。

 でも。

「無理でもやるよ。廃校を覆すなら、体育館をいっぱいしたって足りないくらいだもん」

 千歌が落ち着いた声で言うと、信代も頷いた。

「まあ客入り云々の前に、曲と衣装をなんとかしなきゃな。結局、動ける面子は高海、渡辺、津島の三人しかいないんだろ?」

 鞠莉と果南が参加しない現状、そうなってしまっている。

「そうよ。だから動き出さなきゃいけないの。堕天使たるヨハネに、≪ホーラ≫は微笑んでくれないのだから――」

「お話終わったんだったら、ルビィたち、もういいです? ルビィ、門限が厳しくて」

「ああ、じゃあ衣装は任せるぞ」

「はい! 行こ、ヨハネちゃん!」

「ちょっと、私の話聞いてた?」

 ルビィと善子は、サッシ戸をガタガタ言わせて退室した。

「あの、私も、今日はちょっと用事があるんです」

 と、電話を見た梨子が立ち上がる。

「その、検査ってヤツ?」

 曜が慎重に問うと、「そうじゃないんだけど」と梨子は曖昧に答え、帰り支度を始めた。

「高海、お前、作曲できるのか?」

「やってみないと分かんないけど――」

 と、千歌は頭の上で電球が光るのを感じて立ち上がった。

「――梨子ちゃんのピアノ、聞きたい!」

「私の?」

 梨子が意外そうな目をこちらに向けてくる。

「そうだよ! 梨子ちゃんのピアノを聞いてれば、いいフレーズが思い浮かぶんじゃないかな、って! もう音楽系の部活ないから、音楽室借りられるし!」

「いいじゃん、梨子ちゃんの生演奏! 私も、歌の練習、やる気出るかも!」

 曜も乗ってきて、

「ごめんなさい、今は、ピアノは弾きたくないの」

 だが梨子は首を振った。

 はっきりとした否定だった。

「それじゃ、失礼します」

 そして梨子も部室を去る。

「無茶言うな。桜内だって万全じゃないんだ」

「あちゃあ、そりゃそうだよね……」

 曜は頭をかき、千歌は頬を叩くと、勢いよく鼻を鳴らした。

「分かった、とにかく、私が一曲作る!」

 千歌は電話を出すと、作曲アプリを検索し始めた。

「先は長そうだな……」

「ですね……」

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