仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第六話:大切なこの場所で - 1

   AV

 

「頑張れ! 仮面ライダー!」

 誰かの声援を背中に、千歌は突きをさばく。

 場所は≪伊豆三津シーパラダイス≫のイルカのモニュメントの前、もちろん空手の試合ではない。

 相手は、頭の上から脛までを左右から貝殻で挟み、殻の横に空いた穴から黒いウェットスーツのような手足を出した人物だ。いわゆる“着ぐるみ怪人”といった趣だ。だが決定的に違うのは、呼吸するように貝柱を伸縮させて開閉する貝殻の中に、胴体部分が存在しないことだ。

 つまり、フォーメア以外にありえない。

 ≪シェル・フォーメア≫とでも呼ぶべき三番目の怪人は、貝殻で身体を護りつつ、弱々しい突きで牽制してくる。だが、如何せん腕の可動範囲が狭く、腕を伸ばそうとすると大きく身体を斜めにしなければならないために、予備動作は大きいし、突きと突きの間隔も長い。完全にデザインミスだ。

 おそらくこのフォーメアを産み出した人は、少し前の千歌のように「詳しくない人」なのだろう。自分の恐怖を、“怪人”という単語から漠然と思い浮かべるイメージに乗せ、このステレオタイプのような姿を産み出したのだと思われる。

 だが仮面ライダーワンダに変身した千歌は、そんな相手にあって、海泡石(メルシャウム)のように白く柔らかな装甲に、多くの突きをもらっていた。

「ガードしろ! ガード」

「ライダーキックだよ!」

「頑張れー!」

(うわあ、超気持ちいい!!)

 曇天の下で接戦を演出する千歌は、完全に調子に乗っていた。

 狙ったわけではない。

 バスで海岸通りを通る帰宅中、OGIグループのキャリアが販売する電話に標準搭載された緊急速報メールが、フォーメア通報を発報した。出現場所が、伊豆三津シーパラダイスのラッコ館跡付近という目と鼻の先とあって、長浜のバス停で降りて現場へ向かったところ、人だかりを発見した。

 電話やカメラを構える人々の向こうに見えた怪人は、よたよた歩くだけで脅威には見えなかった。だがいつぞやの梨子によれば、μ-フォームは人の恐怖心で怪人を産み出し、それは結晶構造を変化させなければとまらないという。今が安全そうだからといって、見逃すわけにはいかない。

 だから千歌は知り合いの民家の庭の蛇口を拝借してワンダに変身、フォーメアを追って柵を跳び越え樹木を飛び越え、気付けば“三津シー”に入ってしまい、『走らないで――え? え?』と困惑した係員を横目にシェル・フォーメアを駿河湾際まで追い詰め、なんだかんだ、実家のすぐそばの娯楽施設で決着を付けることになったのだ。

 だが、ステージプールを見下ろす観客席や、十数メートル離れた群衆から声援を浴びていれば、ちょっとサービスしてあげても仕方がないではないか。

(よし! そろそろ必殺技と行こうかな!)

 一進一退を繰り返した(ように見せた)千歌は、シェル・フォーメアの突きを左腕で受け、回り込むように右鉤突きを貝殻に叩き込む。

 渾身の打撃に、怪人はコンクリートを転がり、駿河湾沿いの柵へとぶつかる。

「みんな、離れて!」

 上下に構え。

 丹田の力を抜き。

 息を吸って、気を溜める。

 握る拳に向かい、巡るイメージ。

(いくよ、μ-フォーム!)

 答える、ハミングのような振動。

 地面を蹴る。

 一歩一歩を踏み締め、跳躍。

「ライダージャンピングみかんパーンチ!!」

 振りかぶった右手を炎が包む。

 学校でゾンビ・フォーメアの本体を倒した技だ。

 戦う気のない怪人など、一撃で破壊できるだろう。

(戦う気のない?)

 手すりを背にしたシェル・フォーメアは、小刻みに首を左右に振っていた。

 その素振りが人間的で、千歌は、小さく手を振るブランキアの姿を思い出す。

(いや……相手はただの水だよ!)

 コンマ数秒に満たない逡巡を振り払い、

「とりゃあ!」

 腕を貝殻の隙間にねじ込み、貝柱をぶち抜く。

 拳が弾力ある膜を捉える。

 一〇センチほどの、中心にμ-フォームを納めた、核となる泡。

(これだ、コア・ビード!)

 直後、貝殻の内側から虹色の輝きが迸り――

 ぼ、と。

 ――真ん丸の爆炎が駿河湾に放出された。

 それは宣言通りみかんのように、曇り空に一瞬の夕日を産み出し、そして消えていく。

 一拍ののち、背後から歓声が上がった。

「できた」

 残心のまま肩で息をしていた千歌は、やがて腕を降ろす。

 そして、今まさに再結晶化をしているμ-フォームを、地面から拾い上げた。

 シェル・フォーメアを構成していた水は蒸発し、一切の痕跡を残していない。

「これでいいんだよね」

 振り返ると、近所の顔見知りや観光客が、手を叩いて声を上げているのが見えた。

 撃破を伝えようとして、しかし、どうしようか迷う。意気揚々とガッツポーズをする気分ではないが、あれだけの激戦アピールをしてしまったのだから、黙って立ち去るのもヒーローらしくない。

 だから千歌は、怪人を破壊した拳を一瞥すると、慎ましく親指を立てる(サムズアップ)にとどめた。

 

   A

 

「おめでとうございます」

 受け取ったばかりの茶封筒を見下ろしていた桜内桑介は、聞き慣れた声に顔を上げた。

 くたびれた白衣を着た義森が、ガラス張りのオフィスに囲まれた廊下を近付いてきた。

「主任」

「聞きましたよ。栄転ですね、桑介さん」

「いえいえ、まだ内示の段階ですから」

「承諾しない理由はないでしょう?」

 静岡OGIにおける桑介の上司は、口角を持ち上げる。

「アレは間違いなく、今後のOGIグループの最重要分野となります。その基礎研究チームに加われるのですから、桑介さんの今後は約束されたと言っても過言ではないでしょう」

 義森は人差し指と親指で円を作って言う。その仕草は、三四歳の上司が四〇歳の部下に向けるものとしては、邪気がなさすぎた。まるでお気に入りの玩具を褒められて得意気になった子供のようで、桑介は思わず頬を綻ばせた。

 桑介が手にしているのは、時計を模したOGIグループのロゴと“静岡OGI”の文字が誇らしげに並ぶ、A4サイズの封筒だ。つい数十分前に渡された、東京は芝浦にある≪OGI Research Institute≫――≪OGI研究所≫に新設される、μ-フォーム研究部門への出向の内示が入っている。

 ≪人体ラギダイズシステム≫たるシャイニーの一技術として、OGIグループの本拠地たる沼津で小さく扱われてきたμ-フォームは、いまだ世間には発表されていないものの、グループ内での存在感を強めつつあった。フォーメアと仮面ライダーが表沙汰になったことで、OGIグループは今後、μ-フォームに関する大規模な対応を求められていくだろう。そのためには、μ-フォームを彼個人の暗黙知から、組織化した知識に発展させなければならない。そのための研究部門の新設であり、人事だということは、桑介のも想像できた。

「でも、なぜ私なんでしょうね。私は梨子の父親だっただけの、単なる技術者なんですが」

「この分野に携わった経験のある人間が、東京所属では桑介さんだけだから、でしょう」

 義森の推測は、桑介を満足させるものではなかった。

 だが静かに息を吐くと、封筒を持つ手を降ろす。

「いずれにせよ、被験体の提供は実績と認識されますよ。我々の仮面ライダーの、ね」

 顔を上げる。

 義森は笑顔だ。

 お気に入りの玩具を得意気に披露する、子供のように。

「そう……ですね」

 桑介も笑顔を作る。

「着任は五月の第一営業日です。来週末の検査が終わり次第、沼津を離れる予定です」

「構いませんよ、梨子さんは僕たちに任せて、先に行っていただいても」

「いえ、ブランキアは責任を持って、私が対応しますので」

「そうですか」

 義森と桑介は、僅かな間、笑い合う。

 そして、考える。

 この異動を画策したのは、目の前の人物ではないのか、と。

「では僕は、明日明後日の検査計画のレビューに入りますので」

「はい、私も作業に戻ります」

 義森は自分のオフィスに去っていった。

 その不透明なガラスが密閉されると、桑介は振り返り、自分のオフィスへ向けて歩き出す。

 通達自体は、嬉しくないと言えばウソになる。沼津での役割を終えて東京に帰った際の選択肢が、ベースアップも定期昇給も期待できない四〇歳の一技術者に戻るか、勉強をしてでも最先端技術の研究員になるか、選べるようになったのだから。

 だが。

 ポケットから端末を出し、待受画面の家族写真を見る。

 妻と娘と自分で、元旦に撮った写真。

 まだ髪がある。

 廊下を形作るガラスに目を向けると、禿げ上がった自分が映っている。

 写真の自分より、一〇歳は老いてみえる自分が。

 一〇年にも匹敵する四箇月を経た自分には、もう栄転など興味はない。

「もうすぐだ。もうすぐ解放される……梨子」

 呟き、自分のオフィスのガラス戸に手を触れ――

「行っちゃうのォ?」

 ――鼻にかかる声に呼び止められた。

 いつからいたのか、側頭部で金髪を丸く結わいた女子高生が、ガラスに寄りかかっていた。

 初対面だが、テレビやプレスで何度も見ていたOGIグループCEOの長女であり、娘の通う浦の星女学院の理事長代理。

「小原鞠莉……さん」

「呼び捨てでいいわよ。桜内桑介」

 友達か恋人に言うような気安い口調に対して、桑介は年齢相応の――四〇歳か五〇歳相当の――柔和な表情を作る。

「私は東京の人間ですから。元の場所に帰るだけです」

「研究職のPosition(地位)を用意してる、って言っても?」

「芝浦の件です? それは聞き及んで――」

「――No, No, No! ここでよ! 沼津で研究してほしいの、アレを!」

 オーバーな身振りで笑う女子高生が提示したのは、第三の選択肢だった。

 桑介は戸惑う。

「なぜです? 今日、芝浦の内示を受けたばかりなんですよ?」

「リリーのためよ!」

 リリー――梨子のことか。

「芝浦が、そのための異動ではないんです?」

「リリーはここにいたい、って言ってたでしょォ?」

「いやいや、あの子は東京に戻りますよ」

 桑介が言うと、鞠莉は目を見開いて、手のひらを上に向けた。

「そんなわけないじゃない! あの子たちは、星を目指すのよ!」

「ほ、星……ですか?」

 空に手を伸ばしたポーズの鞠莉に、桑介は言葉を詰まらせる。

「……よく分かりませんが、梨子は海が苦手なんです」

「リリーはそんな態度じゃないわよ」

「内浦に住む友達には言いにくいのでは?」

「その程度の友達しかいない、って思ってる?」

 そう食い下がられても困る。

 梨子が友人となにを話しているのかは知らないが、子供同士の問題を親子の問題に並べて、しかも会社内でCEOの娘として話されては、桑介はどの立場で返答していいか分からない。

「分かりました、もう一度確認しますよ。でも、あまり期待しないでください」

 桑介が言うと、鞠莉はあっさりと背を向けて廊下を進み――

「『二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。一人は泥を見た。一人は星を見た』」

 ――こちらを見ずに言った。

「アナタにとっての星がなにか、見失わないことね」

 鞠莉は廊下の突き当たりの扉をカードキーで開き、その中に消えた。

 今の会話は、なんだったんだ?

 梨子は数日前、まさにここを訪れて、この街を去ることを認めた。

 あの子の決断が間違っている、と言うのか?

 その時、殴り付けるようにガラスドアが開き、義森が廊下に飛び出してきた。

「新しい仮面ライダーです! 内浦に!」

 興奮しきった義森の表情に、まだまだ流動的なこの街の状況を実感する。

 

   *

 

「次はOGIグループの開発する人体ラギダイズシステム、通称≪仮面ライダー≫に関するニュースです」

 局アナが語る朝の報道番組を耳に、パンツスーツ姿の高海美渡は朝ご飯をかっ込む。

「昨夕、伊豆三津シーパラダイスの園内で、仮面ライダーが目撃されました。発表されている仮面ライダーとしては、これが三体目となります」

「あ、ほら、出てきた! ほらほら、美渡姉!」

 左目だけでテレビを見る。

 休日出勤を前に気が立っている美渡が気にならないのか、千歌が嬉々としてテレビを指差していた。見覚えのあるイルカのモニュメントと建物を背景に、白っぽいものと黒っぽいものが蠢いている。

「≪三津シー≫じゃん。そういや最近行ってないな」

「行きたいの? “美渡ネー”」

「殺すぞ千歌」

「そうじゃなくて、戦ってる人の方!」

「なんだよ……」

 高海家宅の食卓に座るのは二人、美渡がリアクションするしかない。

 見ているうちに、白くて細長い貝殻で身体を縦に挟んだような人と、黒いウェットスーツに白い鎧を部分的に付けた人だと見分けが付いた。

 初老の男性と女性局アナは、前者を≪シェル・フォーメア≫、後者を≪仮面ライダーワンダ≫と呼んだ。

「Shell? ああ、(Shell)か」

 卵ご飯を含んだままの口に、一瞬、嘔吐感がこみ上げた。

 縦長の映像は、一昔前のアクション映画のようにグラグラ揺れている。風防のないマイクにぶつかる風で、音もろくに撮れていないが、素人が投稿した映像の中ではこれが一番まともなのだろう、二人の攻防はきっちり追えていた。

 が、別に興味はない。たくあんを口に入れる。

「美渡姉! ちゃんと見てよ!」

「うるさいなあ。どうでもいいって、特撮も怪人も」

「怖いんだ」

「はあ?」

「志満姉が言ってたよ。美渡姉が平成メタルヒーロー見て、わんわん泣いたって」

「はあ!? 泣いてないわよ!」

 思わず椅子から腰を浮かせる。

「いいんだよ、美渡姉。最初の頃はリアルで陰惨だったんだよね? 出会いが不幸だったんだよね?」

「違うわよ! あんたみたいに男友達とかいなかったし――」

 と、画面の中の動きに、見覚えを感じる。

「――空手か」

「え!?」

 ビクンと千歌が肩を揺らし、美渡は首を傾げる。

「なに?」

「う、ううん、よく分かったな、って」

 なぜか挙動不審になった千歌に訝しみながら、美渡は椅子に座り直す。

「こんなちっちゃい子、この辺にいたかな。千歌、知ってる?」

「いないんじゃない? 飾流には私しかいないし」

「じゃ、どっかから連れてきたのかな」

「私じゃない?」

「は?」

「私じゃないと思う?」

 ご飯を含んだままの口を開けて千歌を見ると、妹はなにを期待しているのか、上目遣いでもじもじしている。

「全然違うわよ」

「え? なんで?」

「なんでって、知らないけど。散々あんたの飛び蹴り食らわされたんだから、分かるわよ」

 家族や周囲大人に、突然空手の技をかけてきては怒られる小学校時代の千歌は、内浦では忘れたくても忘れられない存在だ。

「でも、OGIって苦しいんだなあ」

 美渡はご飯を飲み込み、自嘲気味に言った。

「なにが?」

「ん? こんなショウをやんなきゃいけないんだから、やばいでしょ」

「ショウ!?」

 立ち上がった千歌が大声を上げ、美渡は眉をしかめる。

「なによ、どう見たってショウじゃない、こんなの」

「本物だよ! 本物のフォーメアと仮面ライダーだよ! フィクションじゃないんだよ、美渡姉!」

「いや、フィクションとは思ってないけどさ、ウチの――」

 言いかけて、美渡は言葉を切る。

「なに」

「――お客さんも見たって言ってたし」

 十千万を借りて入社式を行った中小企業の社員が、シーパラダイスでこの事件に遭遇していた話は、母から聞いていた。

「そうだよ! ほらあ!」

「なにムキになってんのよ」

「なってない!」

 とご飯を味噌汁をいっぺんにかき込み、千歌は「ごちそうさま!」と立ち上がってどこかへ行ってしまった。

「おい、千歌! ……まったく、誰が洗うのよ、それ」

 ぼやき、改めて画面を見る。

 千歌の空手とは似ても似付かない。攻撃の避け方が段取りくさく、極めのないパンチも多く混じっている。避けられそうなパンチももらっている。

 要は、“温い”のだ。

 そんなことは、空手経験者の千歌自身が一番分かっているだろうに。

 いや、分かっているからムキになっているのか?

「ミーハーなんだから」

 やがて戦闘はクライマックスに入ったようだ。フックで一度距離を作った仮面ライダーが、怪人に飛びかかった。仮面の下でなにか叫んでいるようだが、風の音がうるさくて聞こえない。

 ライダーと怪人を重なった時、丸い爆炎が起こった。

 カメラが自動で光量を減らし、画面が勝手に暗くなる。

 元に戻った時、空には黒煙も残っていなかった。

 まるで予算の足りないCGのようで、不自然だが、本物なのだろう。

「もう一度見てみましょう」

 局アナが言い、爆発の瞬間がスローモーションで繰り返される。

「先日、浦の星女学院で起こった爆発とは、ずいぶん違う規模ですね」

 ワイプに出てきた初老の男性が言う。

「フォーメアが弱かったか、ライダーが出力を調整したのか、OGIは調査中とのことです」

「加減ができたのに今までしてなかったのだとしたら、大問題ですよ」

 勝手なことを、と思いながら、美渡もクライマックス、味噌汁を飲み干して立ち上がった。

「ご馳走様」

 誰もいない食卓に声を投げ、二人分の洗い物をこなす。

 そういえば、千歌のスクールアイドルはどうなったのだろう。土日はいつもバタバタしている印象だったが。

 だが聞きはしない。美渡はもう、スクールアイドルには関わりたくない。

「しかしOGIは一体、何体の仮面ライダーを所有しているのでしょう」

 スタジオに戻った映像の中で、初老の男性が言った。

「昨夜の発表では、ブランキア、シャイニーとワンダを含めて、全一三体の仮面ライダーを計画しているそうです」

 その数字に、美渡は振り返った。

 女性が持つフリップには、三体の仮面ライダーと、一〇体の黒いシルエットが描かれていた。

「順次発表していくそうですが、シャイニーのような発表会はしない方針だそうです」

「すべて沼津に配備されるのでしょうか」

「そうだと思います。フォーメアと呼ばれる怪人の活動範囲は、内浦湾の周辺だけですからね」

 テレビを切り、シザーケースを改造したウェストポーチを手に玄関へ向かう。

 三和土に降りてパンプスを履き、玄関の鏡と手鏡で髪をチェック。

「ワンダね」

 呟き、テレビに並んだ三体の仮面ライダーを思い出してみる。

 ≪ブランキア≫。苔を固めて圧縮したような緑の装甲を全身に付けた、有機的なフォルム。

 ≪シャイニー≫。滑らかな曲線と光沢を放つ磨き上げられた銀と紫の身体は、装甲というより高級車のボディだ。

 ≪ワンダ≫。白の装甲は、野球のキャッチャーの胴衣や、武道家の手甲と足甲に似た、スポーティな印象を受ける。

 統一感がない。

 名前も同様だ。

 イタリア語で“鰓”を意味する名詞“Branchia”。

 英語で“光る、輝く、光沢のある”を意味する形容詞“Shiny”。

 同じく英語で“驚嘆する”を意味する動詞“Wonder”。

 言語も意味も品詞もバラバラ。

 プロトタイプとか開発初期中期とかいうレベルではなく、デザインがまったく違う。哲学が違う、と言い換えてもいい。

 OGIグループといえば、前CEOである小原喜一郎の志向により、クルマにはクルマの、電話には電話の、ソフトウェアにはソフトウェアの、経営には経営の、一貫したデザインが存在する。だがこと仮面ライダーに至って、それが不徹底なのはどうしたことだろう。

(試行錯誤、って言えばそれまでだけど)

 共通項を探すなら、ブランキアとワンダの二体については角と口の形、三体全員では仮面に対する目の比率が近いものがある。だが細部の問題と言われれば否定できない。

 そしてもっとも奇妙なのは、実際にフォーメアと戦っている映像があるのは、突然現れたブランキアやワンダだけで、OGIグループが発表会見まで開いて情報公開したシャイニーは、いまだ新聞とテレビの中だけの存在だということ。

 この差はいったいなんなのだろう。

「ま、いいや」

 ワンポイントの付いたヘアピンの位置を整え、頭を左右に倒してみる。丁寧に手入れした髪が、シャンプーのCMのように流れる。悪くない。

 と、足音が階段を降りてきた。

 やってきたのはもちろん千歌で、玄関で立ち止まると、上がり框を足で握り、なにか言いたそうな顔でこちらを見てくる。

「なによ」

「ん、気を付けてね、って」

「はぁ? うっさいわね、休出なんてちょいちょいあるでしょ」

 険のある声を出すと、千歌はムッと口を尖らせたが、すぐに瞼を伏せた。

「だって、フォーメアが出たら、危ないから」

 美渡は面を食らう。

 妹がそんな殊勝な言葉をかけてくるなんて、思ってもみなかった。

「あのね、千歌。フォーメアって、この辺にしか出ないんでしょ? 私の会社、市内なんだけど」

「それは分かってるけど」

「それにクルマ通勤だからね」

「分かってるよ!」

 千歌は声を上げたが、食卓でのケンカのような力はない。

 考えてみれば、伊豆三津シーパラダイスという自宅の目と鼻の先に、つい昨日、怪人が出現したのだ。外出しようとする家族を心配するのも、当然かもしれない。

 なら、千歌を納得させるのはこの一言しかない。

「大丈夫」

 予想通り、千歌は顔を上げて美渡を見た。

「ほんと?」

「大丈夫。だから心配するなって」

 美渡がそういうと、千歌は頬をかすかに持ち上げた。

「ほら、じゃ、行ってくるよ」

「うん、行ってらっしゃい!」

 屋外に出た美渡は、駐車場を自身のクルマまで歩く。

「“大丈夫”、か」

 そう言葉にしたからには、守らなければならない。

 少なくとも千歌は、そう思っている。

 美渡はバカバカしいと思っているが、千歌を納得させるためとはいえ、それを口にしてしまったからには、美渡は本当に何事もなく帰ってこなければならない。

「呪いだよなあ、まったく、志満姉よう」

 当の昔に家を出た高海家の長女にぼやき、美渡は軽自動車のドアを閉めた。

 

   *

 

 裾を整え、正座をする。

 左手で介錯した扇子を帯から抜き、膝の前に離して置く。

 そして膝のすぐ前に両手をつき、辞儀。

 誰もいない空間。

 六〇畳の板床へ。

 扇子を帯に、納刀するように差す。

 爪先を起こし、右膝を立て、立ち上がる。

 一拍。

 前にすり出す足。

 腰を入れ、肩を動かさず、滑り歩く。

 胸を覆い隠す腕。

 袖口を握り、袂を持ち、袖を形作る。

 帯に差した扇子。

 抜刀するように、右手で抜き、開く。

 滑り、振り、受け。

 叩き、下げ、伏せ。

 引き、上げ、差し。

 舞う。

 頭の中だけで流れる曲に合せて。

 衣擦れと、足袋の音だけが響く。

 誰が聞くでもない。

 誰が見るでもない。

 反射を求めぬ放散。

 捕捉を求めぬ発信。

 その精度を高めるのみ。

 ただ一人の孤独な自由。

 一拍。

 孤独は貴重だ。

 外部の雑音を遮断する十分な技術、空間。

 外部の接触を遮断する十分な人脈、時間。

 他人の動向に左右されない余裕。

 自身の動向に左右されない余裕。

 静寂に満ちた孤独の得がたさ。

 康寧に満ちた孤独の得がたさ。

 凪いだ海のような。

 沈んだ船のような。

 その贅沢。

 一拍。

 頭の中の音楽が終わる。

 息を抜く。

 お団子に結わいた髪を解き、扇子を帯の一周目と二周目の隙間に戻す。

 首を回し、肩を上げ、軽く足を広げる。

 目の前の“相手”を睨む。

 床板を踏み鳴らし、先手。

 左頬に右フック。

 相手が床を転がる。

 近付き、しかし足払いをバックステップで回避。

 立ち上がった相手のワンツーをダッキングでかわし、懐に入り、ボディブロー。

 よろめいた相手に、裾を開いて体重を乗せた右キックで追撃。

 一拍。

 扇子を右手で抜刀し、小骨を握って小指で要を締める。

 牽制するように、上段から一振り、二振り。

 有効打になるとは思っていない。

 頭をかばって近付いてくる相手の反撃を、左手でいなす。

 扇子を引き、相手の蹴りを右腕で受け、数歩下がる。

 切り揃えた前髪を、背中まで伸びる後ろ髪を、吹き流しの手ぬぐいのように遊ばせ、しかし視界や身体は遮らせない。

 体術の経験はない。

 あるのは、同世代の男子とのケンカ、狼藉を働こうとするチンピラや暴走族との乱闘、それをとめようとするボディガードへの抵抗。

 そこに型も構えもない。

 相手に合わせ、動くべき時に動き、それ以外は動かない。

 相手の攻撃をしのぎつつ、手首を返して扇子を逆手に。

 腰を落とし、下段から振り上げる。

 意図せぬラインから顎を砕かれた相手が吹き飛び、地面に落ちる。

 扇子を納刀、足を大きく開いて中腰になる。

 裾をはだく。

 足袋で板床を蹴る。

 一歩、二歩、跳躍。

「――――!」

 そして着地。

 立ち上がり、手首を振り下ろす。

 めくれた袖が落ちる。

 息を抜く。

 壁際に置いたスクールバッグから、三ボタンの携帯端末を取り上げ、一番下のボタンを押す。

 すぐに板張りの廊下を歩く足音が近付いてくる。部屋の角を曲がり、障子の並ぶ長辺の廊下にさしかかる。

「失礼します。お呼びですか、お嬢様」

 専属ボディガードである蓮生の巨躯が、障子の向こうから声をかける。

「獅子浜の視察に向かいます。クルマの用意をお願い致します」

「かしこまりました」

 返答ののち、足音が離れていく。

 自由も孤独も、得がたい。

 だが不本意に手に入れてしまえば、それらも枷となる。

 客観的に見れば、その生き様がどれだけ羨ましかろうものでも。

 本気の手合わせの相手は、もう手に入らない。

 被った“仮面”がそれを許さない。

 最初から最後まで一人の空間にもう一度座礼をし、黒澤ダイヤは退室した。

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