仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第七話:目指すのはあの太陽 - 3

   B

 

「≪Mark II=プラットフォーム≫の回収を完了。S-ユニット、集合しました」

 つるんと黒い目をした仮面の人物――仮面ライダーシャイニーの向こうで後部ハッチが閉まったのを確認して、野尻松之介は首元のマイクに言った。

「了解。≪スターフォア一六号≫、帰投します」

 コクピットからの応答ののち、タンデムローターの回転音が高まる。ややあって、軽い浮遊感と共に後部ハッチ側が沈み込んで、機体が斜めになった。ヘリが上昇を始めたのだ。

「ただいま、パイン」

 松之介を“パイン”と呼称したシャイニーが首元を操作すると、空気が抜ける音を立ててラギダイズシステムのマスクが上下に割れた。『Hand Of Doom』のうねるようなベースサウンドと共に顔を出したのは、OGIグループCEOの一人娘であり、松之介と同じ「S-ユニット」のメンバーであり、仮面ライダーシャイニーの正式装着者、小原鞠莉だ。

「お疲れ様です、鞠莉さん」

 ヘリの側面に並ぶディスプレイ前の自席から立ち上がり、松之介は鞠莉に近付く。

 シャイニーはお披露目の時と違い、銀色のアンダースーツに装甲が配されただけの姿だ。物理的にシャイニーのスーツを装着しただけで、μ-フォームを装填して紫色の装甲を生成していないこの状態を、松之介たちは≪基盤(プラットフォーム)≫と呼んでいた。

 装甲の配色は、紫色の装甲を生成するガイドとなるマットブラックのパネルと、金属光沢の銀のツートンカラーだ。日光の偏光による魚のカムフラージュ機能を参考にしたデザインらしいが、世間は鞠莉の“シャイニーな”趣味だと推測しているようだ。松之介もそうだと思っている。

Phew(ふう)、肩こったわァ。」

 鞠莉は後頭部でまとめた金髪をそのままにイヤーモニターを耳から外すと、まだ海水が滴る肩に触れた。

「もう少し小さくできないのォ? これ」

「我慢してください。やっと実用に耐えうる“鰓”ができたんですから」

 そこには≪Mark I≫にはなかった、ブランキアの研究結果から開発した溶存酸素換気装置()が取り付けられていた。首の横に大きく盛り上がったそれは、ボディビルダーの僧帽筋のようで、首を傾げれば頭にぶつかってしまうほどのサイズがあった。鞠莉の日本人離れしたオーバーアクションからすれば、邪魔以外のなにものでもないだろう。

 松之介はイヤーモニターを受け取り、充電器に差し込んだ。シャイニーの襟元からは変わらず、Black Sabbathのビートが漏れている。指揮車と会話するためのイヤーモニターとは別に、スーツ内のボディソニックで音楽を聞くのが鞠莉のスタイルだった。

 と、後ろに傾いでいた機体が平衡を取り戻した。前進が始まったのだ。

 松之介はヘリの側面に並ぶディスプレイの一つを見る。駿河湾を中心とする地形図に、単位時間ごとに観測されたμ-フォームの反応を積分した情報がオーバーラップされた地図で、その中でもひときわ大きな反応が、大瀬崎の東七キロの駿河湾上にあった。松之介が乗る輸送ヘリ≪スターフォア一六号≫は、今まさにそこから離脱するところだった。

「パイン!」

 壁際のシャイニー着脱システムに腰掛ける鞠莉に呼ばれ、松之介は手元のコンソールを操作する。マニピュレーターが鞠莉からシャイニーの装甲とスカートのような五つのバッテリーを剥ぎ取り、やがて、銀色のアンダースーツと、バッテリーインジケーターがついたベルトだけが残された。

 そしてバッテリーが接続されていた五つのOUB(環状汎用バス)に、ワイヤレス給電電送機が取り付けられた。これでヘリに乗っている間は、充電の心配の必要がなくなった。

「やっと解放されたわァ!」

 全裸の上にアンダースーツを着ていることへのてらいなどないように、鞠莉はヘリの貨物室内で大きく伸びをした。

 むしろ松之介の方が恥ずかしく、誤魔化すように丸い窓から外を見る。

 眼下の洋上には、OGIシーテックの計測船が二艘見えた。水深八〇〇メートルでの深海調査および採取作業において、S-ユニットをサポートしたチームだった。

「やっぱり地上はいいもんねェ」

「気が早いですよ」

「地面があるだけで違うの」

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 そこに、ゴシック調の黒服に髪をオールバックに撫で付けた初老の紳士がコクピットからやってきた。

「ただいま、セブ! はい、お土産よォ!」

 紳士――セブは鞠莉が投げた透明な球体を受け取った。そして、

「オーナーとお呼び下さい」

 日本人離れした青い眼をサングラスの上から覗かせ、鞠莉を睨んだ。

「今の私は、お嬢様の専属ボディガードではございません。ジョルジョ・ルカーニア(ご主人)様の命において、お嬢様を含むS-ユニットの全権を所有するもの――いわばオーナーにございます」

「分かってるわよォ、飼い主(Owner)様」

 鞠莉は手のひらを天井に向け、片眉を持ち上げると、気を取り直したように投げ渡したものを指差した。

「それより見てよ、Dodecahedronよォ?」

 セブは球体を目線に持ち上げると、多面体を内包して揺らめく球体を眺める。

「≪μ-12型≫、ですね」

「ようやく見つかりましたね、正一二面体のμ-フォーム」

 直径三センチ程度の球体に収まっているのは、松之介が言ったように、一二枚の正五角形で構成された多面体結晶だった。

「ねェ。呼び方、統一しないの? 分かりにくいんだけど」

「正式名称はμ-12型ですって。呼びたいように呼んでるのは鞠莉さんだけですよ」

「うるさいわねェ、パインちゃんのクセに」

 松之介のことを“パイン”と呼ぶように、鞠莉は正式名称を重要視しない。特にセブは、幼少期の鞠莉から一貫してそう呼ばれ続け、セブ自身もそれを否定しないことから、≪OGIバトラー&コンシェルジュ≫の内部でも“Sebastian(セバスチャン)”が本名だと思われているほどだ。まあ彼については、日本人離れした眼の青さと、鞠莉の専属ボディガードというには執事的すぎる佇まいであることも影響しているだろうが。

「でも、μ-12型ですよ、鞠莉さん。これでシャイニーはもっとパワーアップできるんですよね?」

 松之介は自分の席に戻りながら言った。

 フォーム内部に生成される結晶構造は、つねに正多面体をとる。当然、正一二面体の存在は予言されており、推測される性質を前提とした開発計画もいくつか立案、準備されていたのだが、もっとも球形に近い正多面体ゆえに数が少ないのか、発見には到っていなかった。

 それがついに手に入ったのだ。μ-フォームの反応情報はさらに蓄積され、いまだ海底にあるフォームの種別の判別も可能になるだろう。

 セブも頬を持ち上げて頷いた。

「シャイニーの有用性も、Mark IIで実証されたと言ってよいでしょう。『怪人がいなければ無用の長物』とこきおろしたマスコミも、態度を改めるはずです」

「そうですよ! S-ユニット(僕ら)の未来は明るいですよ!」

 今回の一件は、OGIグループ全体としても大きいはずだ。シャイニーが対怪人兵器ではなく、耐環境性能を付与する本来の意味での≪人体ラギダイズシステム≫として役立つことが証明されたのだ。連続稼働時間一五分、耐水深度一〇〇〇メートルと、専用の深海探査艇には大きく及ばないが、いずれは汎用性が高く小回りの効くシステムとして、グループの大きな武器となるはずだ。

「そうねェ」

 だがその装着者たる鞠莉は、喜ぶどころか目を細めて、どすん、と壁際の座席に座った。

「どうしたんです?」

 松之介が問うが、鞠莉は答えない。

 同じく腰を下ろしたセブが、サングラス越しに鞠莉を見る。

「気になるのですか、主任が」

 セブの言葉に、鞠莉は一瞥を返す。

「なんの話です?」

 主任――μ-フォーム関連事業の責任者であり、仮面ライダーの実質的な開発者である、依田義森のことだろうか。

「変じゃないィ? 最近」

「変って、僕が入社した時にはもう変でしたよ。いかにも元黒澤家、っていうか」

「どんなImageよォ」

「自己愛過敏で特権意識みたいな」

 松之介はキーボードを指で叩きながら言った。

「ふうん……セブは?」

「私は依田主任について、特別な感情を抱いてはおりませんので。なぜそう思われたのです?」

「この前電話でさ――」

「――フォーメア反応です!」

 作業員の一人が声を上げた。

 貨物室がざわめく。

 松之介もディスプレイを見ると、赤い帯にアラートが表示されていた。

 コンソールを操作して、自動検知したSNSの投稿を表示する。青々した芝の上を走る黒っぽいものを撮した写真に『怪人いた』の一言。付与された位置情報は、北緯三五度一一分、東経一三八度四一分。

「本物ですか?」

「確度八七パーセント、同様の投稿が同タイミングに五点。間違いないです!」

「場所は?」

「富士市です、ここから北北東二〇キロ!」

 セブの問いに松之介が端的に答える。

「行けるわよね、セブ」

「当機は可能です。シャイニーの充電はいかがですか?」

 バックルのインジケーターは赤色が三つ、点滅が一つだ。

「充電率七七・四パーセント、残り稼働時間は六九六秒です」

「OK、一〇分もあれば楽勝よォ――」

 と、視界の隅でなにかが光った。

 直後に破壊音、機体が縦に揺れる。

「――What's?」

 鞠莉の叫びに合わせて貨物室の回転灯が光り、アラームが鳴り始めた。

 

   *

 

「右手ドラム缶奥、未確認です」

「前方のキャットウォーク、三名を確認」

 液晶画面が映しているのは、薄暗い倉庫を移動する映像だ。頭部に装着したカメラが、曲がり角で安全確認をする簡単な手信号や、その黒い手袋が持つ拳銃や小銃など物騒なものを捉えている。

「二名の死亡を確認。一階左側面の援護に」

「背後に警戒して。敵のPDW持ちが一人見えた」

「了解」

 同倉庫内に簡単な仕切りで作られた即席の空間に、そんな画面が四×四の配列で一六台積み上げられ、両脇にあるスピーカーがメンバー同士の無線音声を流す。一六台のうち、表示が目まぐるしく変化していくのは一〇台、つまり、六人はすでに“死亡”していた。

 そんな、FPS(ファースト・パーソン・シューター)と呼ばれるゲームのような画面の集合を眺めながら、

(場違いなところに来てしまいましたわ)

 黒澤ダイヤは手持ち無沙汰に、腰の前で組んだ手を組み替えた。

 デジタル時計が九分一四秒の経過を示す下、画面の前にオペレーターのように座る二名の社員は、複合カメラとマイクを始めとするセンサーで集められた各メンバーの情報を端末で監視している。とても話しかけられる状況ではない。

 ダイヤは壁際に置かれた車椅子を一瞥すると、

「蓮生、蓮生」

 肩越しに専属ボディガードを小声で呼んだ。

「はい、お嬢様」

「どちらにいらっしゃるか、分かりますか」

 強健な肩幅の黒服は、自分の端末を何度か操作し、手のひらで前方を示した。

「ナンバー一二です。画面では中央右下です」

 手のひらの先は、四×四に配列された一六の画面のうち、「No.12」と貼られた一つだ。

 黒い全身スーツに同色のベストやホルスターを装着した人物が、画面の奥に進んでいく様を捉えた映像だった。当然だが、それは目当ての人物ではない。カメラの主は大きな小銃を手に、微かな衣擦れの音と共にその人物を追跡しているのだ。

 だが追跡は、すぐに終わった。

 コンテナの向こうに姿を隠したその人物を追いかけたカメラが、不意に、こちらを向いている銃口を映したからだ。

「敵と交戦――」

 誰かがの言葉に重なり、モーターの唸りが響く。

 画面に向けて幾筋もの白い線が放たれ、

「――いて! いてて! ちょ、待て待て、ヒット!」

 カメラの主が、降参というように両手を振った。

 血は出ていない。もちろん死んでもいない。

「ああ、クソ、絶対気付かれてないと思ったのに」

「次も負けませんよ」

「ああ」

 その言葉を最後に、「No.12」の画面が暗転した。

「“死亡”したようです」

「見れば分かりますわ」

 「No.2」の画面では、撃たれた人物が撃った人物に、BB弾のボトルを手渡す場面が映されていた。

(サバイバルゲーム、ですか)

 敵味方に分かれた、空気圧でプラスチックのBB弾を発射する玩具銃で撃ち合う遊びだ。子供の原初的な遊技でもあるが、財力を得た大人の人気も高い競技でもあり、ここ沼津周辺にも定期的に会合を行うグループが存在するらしい。

 だが≪黒澤重工≫の沼津第十一倉庫、その三階で行われているこの試合は、競技や遊技ではない。

 八対八の二チームに別れた彼らは、紺色のアンダースーツにゴーグルやフェイスマスクといった装備を身につけている。違いは、ベルトのバックルにあたる電池残量の表示装置が赤か青か、だけだ。

 その形状を知っているダイヤは、緩やかに息を吐いた。

 その時、背後に気配がした。

「まさかバレてるとは思わな――瑠璃さん?」

 振り向いた先、仕切りの縁に立っていたのは、ついさっき“死亡”したナンバー一二の人物。

「ご無沙汰しております、お祖父様」

 深々と一礼を頭を下げたダイヤが顔を上げた時、紺色の装備の下から、ダイヤが会いに来た顔が現れた。

「ああ……ダイヤか。驚かせてくれるな、心臓が止まると思ったぞ」

 黒澤家前当主、黒澤琅太郎。

 彼はしわだらけの顔をさらに縮めて笑いながら、背後に控えた黒服のボディガードに頭部装備一式を渡した。

「申し訳ありません。年度初めの挨拶が遅れてしまいました」

「そっちじゃ色々あったからな。元気そうじゃないか」

「お祖父様もお元気そうでなによりです」

「そう見えるか?」

 ヘルメットの下から現れた髪は、年末に顔を合せた時よりもずっと白く、崩れる直前の灰のように見える。紺色のスーツにピッタリと覆われた身体も、老人らしくしおれ、しわが寄り、力を入れれば折れてしまいそうだ。

 それでも、ダイヤが物心ついた時から知っている好々爺の笑顔は変わらない。まずはそれに安心した。

「しかし、ますます瑠璃さんの生き写しになってきたな」

「そんなに似ていますか?」

「ああ、その制服だと特にな。将来の旦那は苦労するずら」

 琅太郎に頭から足先まで眺められ、ダイヤは自分の格好を意識する。

 ダイヤが着ているのは、黄白色と灰色の普段の制服ではなく、黒いセーラー服と白いスカーフの旧制服だ。私立浦星高等学校時代に採用され、男子の同色の詰め襟と共に着用されていたもので、改称後の私立浦の星女学院高校でも着用を許可されている。それを着てきたのはもちろん、経営母体が黒澤家から小原家に移った後の新制服を着ていては、祖父がなんと言うか分からなかったからだが――

(――わたくしこそ、複雑ですわ)

 自覚があり、それを嬉しく思っていなかっただけに、外から指摘されると、どう答えていいか分からない。

 そんなダイヤの思考を余所に、祖父はホルスターから玩具の拳銃を抜いた。

「しかし、思ったより面白いぞ、サバゲーは。第三ゲーム目でようやく一ヒットできたが、それ以外は撃たれっぱなしだ」

 照星と照門を合わせ、仕切りに向かって構えてみせる。

「まずは一ゲームで一ヒットが目標だな。コンテナの配置も頭に入ってきた今なら、チームワークもいけそうだ」

「無理はなさらないで下さい。お身体に障りますわ」

「これ以上どこに障るんだ? 障ったとしても、もう上さんもいないし、会社も関係ない。好きにやらせてもらうよ」

 琅太郎は両手を広げてみせる。

「だいたい、ミニ四駆はどうされたのです。年末にお目にかかった際には、『来年は大会だ』と意気込んでいたではありませんか」

「主催者に断られた。『勝っても負けても扱いに困る』とな」

「ああ……」

「あと、私の関与する余地がゼロだと気付いてしまってな。あいつらがな、マシンのセッティングまで済ませてしまうからな」

 祖父が目を向けると、彼の専属ボディガードは眼を逸らした。

「だがサバゲーは違うぞ。まず顔が見えないのがいい。誰も私に手加減しない。しかもコイツの性能がどうあろうと、私が当てられなければ絶対に当たらない。この感覚、掘りがいがあると思わないか?」

「仰ることは分かりますが、わざわざ危険な趣味を選ばなくとも」

「危険は成長だ。その余地がない人生など、つまらんと思わんか?」

「それは、わたくしに対する嫌味ですの?」

 ダイヤが唇を斜めにして言うと、琅太郎は瞼の周りのしわを深めて目を丸くした。

「ほう、そう思ってるのか」

「はい?」

 琅太郎はしかし、しわに囲まれた目を細めた。

「いや、そうだな。黒澤家と小原家の三世代公開対決。盛り上がると思わないか」

「銃の撃ち合いなど、わたくしの趣味ではありません」

「そうだそうだ、お前は脚と棒だったな」

 ダイヤは笑顔だけを返し、祖父は銃をホルスターに戻した。

「それで、学校はどうだ」

「はい、つつがありません――と言いたいですが、廃校の噂と怪人の出現で、生徒の志気は最低レベルですわ。仮面ライダーの出現で出席率の低下こそ歯止めがかかりましたが、それ以外は――」

「――お前の学校生活について聞いてるんだ」

「わたくしの……ですか? そちらは、つつがありませんが……」

 意図を測りかねたまま口を開くと、祖父は唇の端を持ち上げていたずらっぽく笑った。

「三人が揃ったんだろ。二年ぶりに」

 三人。

「なにも起こらないわけがないずら?」

 ダイヤは眉間にしわを寄せかけたが、敢えてわざとらしく片頬を膨らませた。

「その話はしたくありませんわ」

 琅太郎は笑いながら、倉庫の壁際に歩いて行く。

 もちろん、なにも起こらないわけがない。三人が揃ったことで、各々が刻んできた時間が重なりつつある。だが。

 沈没したさんどっぐ号、再構築(破壊)された静浦、そして空中分解した三人。

 重なった三人の時間がその後、同じ方向に進むことはないだろう。

 そんなことはおくびにも出さない。

 三人の少女の時間など、黒澤宗家のご隠居とは一番遠いことだからだ。

 琅太郎は壁際に置かれた椅子のような装置に腰をかけた。黒服が手元のタブレットを操作すると、高い背もたれの上部に格納されていた機械の腕が伸びてきて、祖父の紺色のスーツから様々な部品を外していった。

 立ち上がった祖父に残されたのは、八〇を越えて衰えた身体に張り付いたアンダースーツ、そして背腰部に五つの電池を予備弾倉のように取り付けたベルトだけだ。ベルトのバックルには電池残量が五つの区画で示され、今は最後の一つが赤く点滅していた。それは色こそ違えど、今朝方から本格的に活動を開始した、≪仮面ライダーシャイニー≫の装備と同一だ。

 それを黒澤家のご隠居様である祖父が着ているのは、ダイヤには複雑な心境だった。

「お祖父様。お祖父様が自ら被験者になる必要がおありですか?」

「ならない理由があるか? これは装着者の脳波を検出して、スーツに肉体を動作させるんだ。八二にもなって、自分の脚で立って歩けるとは思わなかったぞ」

「まだ八一歳ですわ」

「ん? そうだったか?」

 玩具を自慢する少年のような口調に、ダイヤは内心で溜め息を吐く。

「だから危険だと言っているのです。肉体を操作する機械、しかも試作機以前と聞いています。もし事故が起これば――」

「――私たちに大損害、か?」

 ダイヤは小首を傾げ、切り揃えた前髪を斜めにする。

「黒澤家に、ですか? 小原家ではなく?」

 試合の進行を監視する≪黒澤重工≫の社員が聞き耳を立てているのを察し、ダイヤは声を抑えた。

「このスーツを考案、設計したのが誰か、知らんのか? 私たちの分家――まあ、網子(あんご)の末端だ」

 それは初耳だった。というより仮面ライダーの技術についてダイヤは、小原家の公式発表以上の情報を持っていない。

「問題が起これば、責任は我々にある、と?」

「そう思う人間はいるずら」

「だから私たちが、動作検証を外注されたのですか? お祖父様が?」

「私は歩きたいだけだよ」

 琅太郎は目を細めて笑い、車椅子に腰掛けた。

「どちらにせよ、怪人を撃滅する技術は、可及的速やかに完成させなければならん。アレをこの街の問題に押し止めるために」

 その時、電子音が鳴った。

 見上げると、デジタル時計が「15:00」を表示して止まっている。

「第五ゲーム、終了です。作業員は各自、担当被験者のスーツを除去して下さい。第六ゲームは一時間後に開始予定です」

 画面の前の社員がマイクに言い、倉庫中がにわかに騒がしくなった。

「まあ、まずは散歩できる程度の電池容量にして欲しいもんだがな」

 祖父は下目遣いで自分の身体を見た。充電が切れたアンダースーツによって、座ったままの姿勢で全身の間接をロックされてしまったのだ。

 琅太郎のそばに、ボディガードとは違う黒服が近付いてきた。「担当被験者のスーツを除去する作業員」のようだ。

「お嬢様、少々お待ち下さい。ご隠居様をお召し替えします。では、ご隠居、失礼します」

 そう言って、黒服は車椅子の手押しハンドルを掴んだ。

「このままで構わんよ」

 祖父は、ダイヤを見たまま言う。

「どっちみち脚は動かん」

「ですが、そのスーツでは身動きができません」

「モバイルバッテリーはどうした? OUB接続なら使えるずら」

 ベルトに並ぶ五つの電池は、OGIグループ主導で開発された汎用接続端子≪Orbital Universal Bus(環状汎用バス)≫で接続されている。OUB接続の給電機器なら、電話用でも充電できるはずだ。

「とにかく、脱いで頂かないと――」

「――私は今、ダイヤと話をしているんだが」

 黒服の手がとまる。

「それでもか?」

 祖父の笑顔は変わらない。

 声を張ったわけでもない。

 だというのに、

(え?)

 ダイヤ以外の全員が、動きをとめた。

 なにが起こったのか。

 全員の服が電池切れで動かなくなってしまったのか?

 いや。

 糸だ。

 空間に張らされた、糸を感じる。

 黒澤宗家以外の心臓に巻き付く触手。

 心臓を焼き尽くし、灰に返す導火線。

 一手も間違えられない一線の網。

 その出発点は。

 ああ。

(お祖父様)

 黒澤家が彼らを絡め取った。

 いや、その事実を改めて認識させた。

「ご隠居様」

 数秒後か、数分後か。

 緊張を破ったのは祖父の専属ボディガードだった。

「ご隠居様はテストの被験者です。正確なデータを取るためには、他の被験者と同等の手順を踏んでもらわなければなりません。ゲームごとにバッテリー切れのスーツを脱ぐのも、その一つでございます」

 手押しハンドルを掴んだままの黒服は、唇を真一文字に閉じ、言葉を紡いでいる黒服を見る。

「構いませんね」

 ややあって、祖父は下唇を突き出した。

「その通りだ。頼む」

 糸は消滅した。

 琅太郎の専属ボディガードに目で促されると、着替えを促しにきた黒服は改めて「失礼します」と車椅子を引いた。そして動けない祖父を乗せたまま、ボディガードと共に仕切りの向こうに消えた。

 状況の終わりを待って、ダイヤ専属ボディガードの黒服が、主人の後ろで細長く息を吐いた。

 ダイヤも同感だった。

 祖父が影で“狼太郎”と畏怖されているのは、ダイヤも聞いたことがある。孫娘にとっては物心ついた時から人好きのする老人であり、(ウルフ)どころか灰がかった白髪で(シープ)山羊(ゴート)の印象が強い祖父だが、高校生にもなれば、それが家族に向けた顔であることは理解できていた。

 できていたが、いざそれに直面すれば、平静な顔を維持することしかできなかった。

 彼は首だけの存在になったとしても、誰にも潰されずに生きていくのだろうか。

「では蓮生、私たちは――」

「――ルビィはどうしてる?」

 思いの外近い祖父の声に、ダイヤと黒服は肩を振わせた。

「お、お――祖父様?」

 仕切りに目を向け、すぐ反対側で衣擦れの音がしていることに気付いた。

 ダイヤ黒服は瞼を大きく開いて、しかし口は塞いで首を振り合う。

「どうした?」

「いえ」

 なんでこんな場所で着替えを、と思ったが、倉庫を仕切ったこの一帯は被験者の更衣室にもなっているようで、辺りからは何人もの人の動く音が聞こえた。

 その間にも平静を取り戻したダイヤは、声のトーンを意識して口を開く。

「申し訳ありません、本当はあの子も挨拶に来る予定だったのですが――」

「――市外に出てるんだろう? 国木田の娘さんと一緒だとか」

 知っているのか。

「ええ、花丸さんと水泳の特訓だそうです。まったく、泳ぎたいのであれば、わたくしが一から教えてあげたのですが」

「練習して失敗するところなんて、家族に見られたくないずら。まして、母親やお前にはな」

 またか。

「お祖父様との予定を忘れていた件については、容赦願います。わたくしからきつく叱っておきますので」

「いい、いい。先行き短い老人に媚びへつらうより、特訓の方がずっといい」

「それは、わたくしに対する嫌味ですの?」

 また、笑い声が戻ってくる。

 ダイヤは胃の辺りを押さえる。

 こんな意味のない会話をこなすのも、黒澤宗家の次期当主である自分のノブレス・オブリージュなのか。

 せめて妹は、こんな御家の磁場に捕われずに、平和に特訓していてくれればいいのだが。

 

   *

 

「な、なんで、なんでルビィばっかりぃ!」

「とにかく走るずら!」

 本格的に泣き始めた黒澤ルビィは、幼馴染みに手を引かれて、タイル敷きの歩道を走る。だが、

「ピギィ!」

 早々に足がもつれて転んでしまう。

「ルビィちゃん!」

「なんでルビィばっかり追っかけられるのよう!」

 花丸に無理矢理立たせられて、膝ほどの高さの石垣を乗り越えて丘の林に入る。青い葉に衣替えを始めている木々の幹に隠れたルビィは、花丸の胸に抱かれて息を潜める。

 よしみから逃げる形で予定より早く温水プールから出てしまった二人は、せっかく来たのだからと、公園を散歩しようとしていた。

 富士総合運動公園には温水プールだけでなく、もっと大きな水泳場に野球場や陸上競技場、相撲場からテニスコートなど、様々な施設が含まれている。弓道を習っているルビィが弓道場を見たがったので、駐車場の隣の弓道場に向かおうとしたのだが。

「ルビィちゃん、黒服さんとクルマは?」

「まだ五分くらいかかるみたい。うう、素直にプールで練習してれば」

 電話から顔を上げると、花丸は幹から顔を出して、石垣を越えられずに歩道で停まったそれを見ていた。

「あれもフォーメアずら?」

 花丸が呟いたが、ルビィは答えられない。

 始めは暴走族かと思った。姉に恨みを持つ人が、ルビィで恨みを晴らそうとやってきたのかと。

 だが、何度か接近される中で二人は、そのバイクがあり得ないデザインをしていることに気付た。

 どうおかしいか。

 まず、タイヤが六つある。

 正確には、タイヤの形をした部分が六つある。実際に動いているのは二つで、二つは前後からかけられた力によって縦にひしゃげて、残りの二つは真上に向けて空転している。

 そしてタイヤの間を埋めているのは、辛うじてハンドルや燃料タンクだと判別できるようなバイクのパーツだ。

 つまり、三台並べたバイクをもの凄い力で前後から押し潰し、後ろ二台の前輪が天に向かっているような格好なのだ。

 そんなバイクの化け物が、運転手もなしに、二人を追ってくる。

 天使やゾンビ、はたまた貝殻にダンゴムシといったフォーメアは、異様ではあるがどれも人型だった。だが今回のそれは、一線を画している。追われていること以上に、それがルビィには恐ろしかった。

 その時、二人の電話がフォーメア通報を発報した。

 ルビィと花丸の通報が届いた証拠だった。

「よかった。これで仮面ライダーが来て、やっつけてくれるよね?」

 ルビィは息を抜いたが、花丸の顔は晴れない。

「マルちゃん? ヘリで来てくれたんでしょ?」

「ここ、沼津から何十キロも離れてるよ。どれくらいかかるか分からないよ」

「そんなあ……」

 悲観的な予想を口にした花丸は、しかしルビィと違い、落ち着いているように見える。朝にロリポリ・フォーメアに襲われたばかりだからか、その時に助けてくれたシャイニーを信じているからか。

「あ、もうすぐクルマが来るって。シャイニーが来るまでそこで――」

 ――と、エンジンを吹かす音が響いた。

「え?」

 それは石垣にタイヤを押し付けたかと思うと、ジャックナイフのように後輪を持ち上げ――

「ずら?」

 ――空転していた上向きのタイヤの一つを、石垣の上に乗せた。

「え? ええ!?」

 つまり、バイク自体を六〇度回転させたのだ。

「そんなのずるい!」

 バイクの化け物は、ばるんばるん、とエンジン音を鳴らし、ちぐはぐなタイヤで石垣を乗り越えてしまった。そして青々とした下生えを土ごとえぐり、斜面を上がってくる。

「行こ、ルビィちゃん!」

「もう諦めてよう!」

 アスレチックや展望台に繋がる階段を登り、たまに道を外れ、丘を南側から登る。

 バイクの化け物もついてきているが、道路以外を走るためのデザインではないのか、スピードは遅い。

 だが、いずれは追いつかれてしまう。

「な、なんで、なんでルビィばっかりぃ!」

「とにかく走るずら!」

 仮面ライダーが来るまで、体力がもつだろうか。自信はない。


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