仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第九話:震えてる手を握って - 2

   *

 

 翌火曜日の午前一〇時。

「ねえ、ルビィ。リトルデーモン一号から四号は?」

 津島家宅の居間に入ってきた黒服のボディガードを見るなり言った善子に、黒澤ルビィは目を瞬かせた。

「なにアホ面してんの、この前の人たちはどうしたのよ」

「ヨハネちゃん、分かるの? 前の人と違うって」

「なに言ってんのよ。ああ、もう、また一から教えるの?」

 善子は唇を尖らせたものの、すぐに「ううん」と口角を三日月のように吊り上げると、右手のひらで顔を隠すポーズをした。

「あなたたち! 今日からあなたたちは、この堕天使ヨハネのリトルデーモン、六号から九号よ!」

 壁際に並び立つ黒服四人は、横目で視線を交わした。

「まず、私のことを説明しておくわ。天界から追放されし私が地上で活動するこの現し身をね。通常、人間たちは津島善――」

「――ヨハネちゃんって言うんだよ!」

 善子の自己紹介に横から割り込んだ。

「ちょっと、ルビィ!」

 姉も言っていたではないか、「雇用者と被雇用者の形式を弁え」と。

 新しいボディガードの主導権を、今度は善子に握られるわけにはいかない。

「いい、みんな。ヨハネ様って呼ぶように!」

 ルビィが宣言すると、クルーカットの男たちは直立したまま頷いた。

 いい感じだ。これならリトルデーモン化したとしても、ルビィと善子の力関係は理解してくれるはず。

「うん、まあ、いいわ――」

 善子は咳払いをして口調を整えた。

「なんか最近、みんな“ヨハネ”って呼んでくるのよね。堕天使としての魔性が、このアバターから溢れ出てるのかしら。あなたたちも感じる? 我がリトルデーモンたち――あ、ちょっと待って」

 反応に困るボディガードを放置し、善子は堕天使キャラの途中から電話の画面を指で触り始める。

「うわ、梨子先輩、マジでウチに来るんだ……」

「ゴールデンウィーク中、各セクションをチェックして回るみたいだし」

「なに、その桜内社外取締役みたいなの。まったく、なんとか避けてきたのに……」

「なんで? 梨子先輩って怖い人なの?」

「怖いって、あの悪魔みたいな――(はな)したことない?」

「だって、ルビィは衣装のお手伝いで、梨子先輩は作曲だもん」

「接点なかったんだ。まあ楽しみにしてなよ。じゃあ、右から順に、フルネーム」

「辰本迅です」

 不意の展開に、ルビィはなにが起こったのか分からなかった。

「ジンね。はい、次」

「来間急一です」

「クルマ? Qちゃん?」

 善子は四人のボディガードから、名前を聞き出しているのだ。

「あ、あー! 守秘義務! 守秘義務う!」

 ルビィが慌てて両手を振るが、もう遅い。

「申し訳ない。堕天使にはその権限があると思った」

「堕天使だけど、ヨハネちゃんは一般人なの!」

「ほらほら、二人も四人も同じでしょ、あんたたちも」

「ダメなの! ダーメーなーのー!」

 雇い主の娘にとめられ、ボディガードは口を開かなかった。

「まあいいわ。私、人の名前、覚えるの苦手だし」

 と善子は壁際に向かい、長押から四枚の能面を外して回ると、ボディガードに手渡した。

「かけて」

「はい?」

「被って、って意味よ」

 黒服はさすがに動揺したか、ルビィの顔を見た。ボディガードが身辺警護業務中に顔を覆ってしまうのは、問題があると思ったのだろう。いや、そもそも――

「――ヨハネちゃん、あのね、この人たちはね、ルビィのボディガードなんだよ。ヨハネちゃんが勝手に命令しちゃダメだよ」

「私のウチなら、そんな用も起こらないんじゃない? てか、ここで張ってるんだって、ルビィが私の手伝いをしないか見張るためなんでしょ? なら、私がうっかりルビィに命令しないように、黒服に命令したって構わないんじゃない?」

「え? そう……なの? そうなのかなあ」

「はい、じゃあ決まり。かけてかけて」

 ルビィが曖昧な返答をしてしまったものだから、黒服は被らざるを得なくなってしまった。

 そして善子の顔を隠すポーズのように、黒服が能面を被っていくと、津島家宅の居間に異様が出現した。

 男性でも女性でも黒服でもない、名状しがたいなにか。

 いや、その名前は決まっているのか。

「よしよし、じゃあ今日からあんたたちは、ヨハネのリトルデーモンよ! その名も、六号≪ジューロク≫、七号≪カンタン≫、八号≪マスカミ≫、九号≪シャクミ≫!」

 あ、個別の名前まであるんだ。

「デーモンって言うには、ちょっと和風テイストすぎるけど、ま、似たようなもんでしょ!」

 十六(じゅうろく)邯鄲男(かんたんおとこ)増髪(ますかみ)曲見(しゃくみ)の面は、どれも形だけの安物だが、普通のアパートの一室における異質さは、仰る通り、悪魔と大差ない。

「あの、僕の面、女面ですよね?」

「これもだよな」

 マスカミとシャクミが善子に問う。

「男面が少ないのよ、見れば分かるでしょ? それとも、なに? 全員女面で統一する? ジューロクとカンタンを真蛇(しんじゃ)生成(なまなり)に変えればいいんだけど? それともあんたたちだけ鬼神面にしようか?」

 そう一息に言うと、黒服は離れた仲間をそれぞれ見比べた。

「本気でこれでやる気か?」

「俺に質問するな。なにも問題はない」

「お前は男面だから、そんなことが言えるんだ」

 不遜の欠片もないジューロクに、乱れ髪の女面で喋るマスカミは不服そうだ。

「お前たちも、これでいいのか?」

「口を慎め、堕天使ヨハネ様のご意志だぞ」

「お前はなにキャラなんだ?」

「お面があったら戦えない、ってわけでもないだろ?」

「それはそうだが……」

 カンタンとシャクミに言われ、結局マスカミは渋々と背筋を伸ばして基本姿勢に戻った。

「じゃ、いいわね。今日からあんたたちはこの堕天使ヨハネのリトルデーモンとして――」

 と、玄関のチャイムが鳴った。

「――ああもう、またしてもヨハネの演説をぶった切るとは、流石は堕天使リリー。シャクミ、出てきて。三人はテーブルとソファをどけて、トルソーをここに。あと……その紙袋の中のプリントアウトを番号順に広げて」

 しゃくれ顔にえくぼの女面の黒服が廊下に消え、残りの三人も動き出す。

 その光景が、ルビィには信じられない。

 「ルビィのボディガードが、リトルデーモンとして善子に使われる」という点は、先月と同じだ。

 だが「能面を被せられる」というステップが加わったことで、黒服の男たちは“ルビィのボディガード”という記号を完全に剥奪されてしまった。

 もちろん、それは“形だけ”だ。

 だがその“形”により、今や彼らは、“ヨハネのリトルデーモン”以外のなにものでもなくなった。

 これこそ、姉が弁えろと言っていた“雇用者と被雇用者の形式”の逸脱ではないのか?

 ルビィは背筋が凍る思いがする。

 そんなことを考えながら、ルビィは自分の裁縫道具を広げて自分の小物の作業を始めようとしていたから、状況の把握が遅れてしまった。

 今、誰が梨子を迎えに行った?

「よ、ヨハネちゃん、あれってまずいんじゃ――」

「――ぎゃああああ!!」

 玄関から聞こえる絶叫にきつく目を閉じ、ルビィはフォーメアが産まれていないか気が気ではなかった。

 

   *

 

 的場より二八メートル離れた射位にて、甲矢(はや)の矢筈を番える。

 板張りの床を足袋の足指で掴み、弓を頭上前方に厳かに掲げ。

 ゆっくりと息を吸い、左手で弓を圧して、右手で弓弦(ゆづる)を引く。

 ゆっくりと息を吐き、弓を引き分け、番えた手を目の高さに。

 (かい)

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 頬付けする矢柄(やがら)の感触、弓幹(ゆがら)弓懸(ゆがけ)越しに掴む弓弦との応力。

 矢尻の先、直径三六センチから始まる同心の円の中心の一点。

 後方に五度傾いて立つ的に向け、右手の三本の指を解放――

 四秒。

 五秒。

 六秒。

 ――解放――

 七秒。

 八秒。

 九秒。

(――してよう……!)

 一〇秒。

 一一秒。

 一二秒。

 離れ(はなれ)

 矢羽根(やばね)が頬をかすめ。

 一瞬後、矢が立った。

 的枠の横の、安土(あずち)に。

「ありゃ」

 正面の審査員席から発された声を耳に、一番射手の黒澤ルビィは気を取り直して息を吸う。

(ダメだダメだ、冷静に、冷静に……)

 額を流れる汗を拭わず、(つる)に二射目の乙矢(おとや)を番う。

(甲矢の時は、いい感じで集中できてたのに……)

 背後で、二番射手の弓が軋み、その緊張が張り詰め――

 ――たん、と矢が的の中心に中った。

「おお!」

 普段ならしないはずの喚声に耳を奪われながらも、乙矢を番えた弓を引き分ける。

(今度こそ!)

 意気込み、矢柄に頬付け。

 待つ。

 ……指が弓弦から離れない。

(なんでよう!)

 意図しない間ののち、矢尻は芝生の矢道に刺さり、木製の矢筈が矢柄の先で揺れた。

「うーん」

 声を気にしないように前屈し、足元に置いてある二手目の矢に手を伸ばす。が――

(あ、あ、あれ)

 ――掴めない。

(ど、どうしよう、早く拾わないと、ルビィの番が)

 焦れば焦るほど、矢を掴めない。

 と思っている間に、だっ、と矢が的を貫く音が聞こえた。

 二番射手が乙矢を射ったのだ。

 本当なら今頃、二手目の甲矢を番えにかかっているのに。

「焦るなー!」

 審査員席から野次が飛んでくる。

 弓懸の付いていない薬指と小指に神経を集中するも、細い矢柄はルビィの手元からこぼれていく。

「ルビィ」

 ついに声がかかった。

 振り返ると、白筒袖の弓道衣に胸当てをしたダイヤが、ルビィを見下ろしていた。

 冷たくも熱くもない切れ長の双眸の姉に、ルビィはうろたえる。

「お、お姉ちゃん、ごめんなさい、今拾うから」

「焦らなくて宜しいですわ」

 その一言で、心臓が爆発しそうになる。

 正面に目を戻すと、一段高くなっている審査員席に座っているゴシック&ロリータ服の善子が、顔の前で弓を引くような仕草をして、「がんばルビィ!」と小声で言っている。

(もう、ヨハネちゃん!)

 怒っていいのか笑っていいのか考えている間に、二手目の甲矢と乙矢が右手に収まっていた。

(よ、よし、次!)

 立ち上がり、改めて足踏みして足を開く。

 今日は水曜日。

 ルビィは午後から津島家宅での作業の手伝いをするつもりだった。だが昨日の弓道での行射があまりに芳しくなく、紅谷師範からお叱りを受けてしまい、自主練習に変更したのだが、その連絡を受けた善子が「じゃあ見学させてよ」と沼津御用邸記念公園にやってきて、さらに準備をするルビィを見たダイヤが「久々にご一緒致しますわ」と言い出したゆえに、三人で公園内に併設された弓道場に赴くことになったのだ。

 弓から離れて久しい姉に、成長した自分を見せられる、と張り切っていたのに。

「落ち着けー。落ち着いて敵を狙うのよー」

(敵なんていないよう!)

 四立ち八手一六射の矢は、残念、いずれも的を射ることはなかった。

 

   *

 

「コンパウンドボウでも買おうかしら」

「え!? お姉ちゃん、洋弓に行っちゃうの!?」

 黒澤ダイヤはうっかり声に出して、耳聡いルビィを反応させてしまった。

 肩越しに振り返ると、生成りの上衣に黒い袴という和装の妹は、黒い私服を着た友人と肩を寄せてダイヤを見ている。

「一応言っておきますが、ルビィ。わたくしは二年前に和弓をやめているのですよ。今日のはただの懐古です」

「そうだけどう」

「そちらのヨハネさんを誘った方が、まだ分があると思いますわ」

「私!? ……うーん、やっぱ、そういう道系で鍛えてなきゃ、ダメだったのかなあ」

 厚底のローファーをゴツゴツ言わせて歩く善子の返答は、ダイヤが予測していた「この堕天使ヨハネに近代兵器は似合わないわ」とは逆で、

「殊勝なところもあるようですわね」

 と驚きを呟いた。

 樹冠の隙間から午後の穏やかな光が差し込む中、ダイヤと二人は、沼津御用邸記念公園の飛び石の小道を歩いている。弓道場と、ルビィたち黒澤家が住んでいる公園の管理事務所を結ぶ道だ。

 ルビィと同じ弓道衣を着たダイヤは、松林を揺らす穏やかな風を切り揃えた長い髪で感じ、土手を隔てた向こうから流れる微かな波音を聞き、そして流れ込んでくる潮の香りを味わう。胸当てや弓懸に弓は弓道場に置いているので、足袋に草履を履いた足取りは軽い。すり足でも軽いものは軽い。

 公園は新緑の色に覆われ、すっかり“初夏の候”の顔だ。静岡県の花であるツツジの香りがほのかに漂い、足元には仏炎苞の中に花序を密生させるウラシマソウの群生があり、頭上では様々な種類のフジが花を咲かせ、組んだ竹の上から総状になって垂れ下がっている。そのさらに上からはツバメやオオルリのさえずりが降ってきて、土から木からは小さな昆虫や動物が顔を出し、つられたか、まだ日も高いのに、木々の合間に一匹のコウモリまで見えた。

 ダイヤの記憶において季節の変遷は、この公園の変化と結びついていた。五月四日も例年通り、自然の循環の一日としてすぎ、記憶に懐かしい明日がやってくるだろう。ダイヤ本人には今年も様々な変化があったにもかかわらず、だ。

(人間のことなど気にせずに回り続ける無責任なシステム、ですか)

 そう口にした少女の顔を思い出す。

 当の本人こそが、自分のワルツに他者を巻き込んでいく世界のシステムの側なのに。

 そんなことを考えて目を細めていると、

「しかしまさか、ダイヤさんまで撃ちに来るとは思わなかったよ」

 善子の内緒話が聞こえてきた。

「私が来たから? この前、啖呵切ったから、当て付けで来たのかな。あー、なんであんなこと言っちゃったんだろ」

 ルビィへの耳打ちのようだが、ダイヤの耳にもしっかり届いている。

「ううん、お姉ちゃん、『武器の練習をしようかしら』って言ってたから、それだと思う」

「物騒な……、って、怪人のために?」

 声量が段々上がってきた。

「弓で? ええ、ダメだよ、中ったら痛いよ」

「殺すんだから、そりゃ痛いわよ」

 もうすっかり普通の口調で話している二人に苦笑する。

 とはいえ妹が友人と話しているのだから、姉がその話題に能動的に入るのも不躾だ。

 が、

「でも、ま、ダイヤさんが全部撃ち殺してくれるなら、沼津も安泰よね」

 勝手な期待を抱かれては、

「待ってください、わたくしは弓道で怪人とやり合うつもりはありませんわ」

 さすがに割り込まざるを得ない。

「だって百発百中だったじゃん」

 善子の言う通り、ルビィとの四立ちで行った一六射は、皆中だった。

 仔鹿の革で作られた弓懸越しに、親指が弦に引っかかる感覚は、二年振りでも忘れていなかった。

 うち一手(ひとて)は継矢が起こり、甲矢の矢筈を乙矢の矢尻が打ち抜いて、ダメにしてしまったほどだ。

 その成績自体は当然だ。黒澤家の人間として、「やるからには勝つ」の精神で生きてきたのだから。

 それでも。

「中てられることと使うことは別問題です。わたくしに弓道は合いませんから」

「なんで?」

 敬語を使わない善子をスルーしつつ、ダイヤは相応しい言葉を見付ける。

「『Be water, my friend』」

「え?」

「『水になれ』、ですわ」

「ブルース・リーさんの言葉だよ。『心を空にして、形を、型を捨てなさい。水のように』」

 妹の発言は正しい。ダイヤは頬を持ち上げる。

「心を鍛えるための礼であり道である、武芸の効力は分かりますわ。わたくしも日本舞踊を続けておりますから。ですがわたくしは、戦いを“型”に落とし込みたくはないのです」

「でも、素手よりダメージは与えられるんじゃない?」

「中てられれば、ですわ」

 気付けば距離の縮まっていた二人の後輩を、ダイヤは一瞥する。

「和弓の最大の弱点がなにか、ご存知ですか?」

「え、えっと……。え? なにかあるの?」

 ルビィの発言に、ダイヤはまたも頬を持ち上げる。今度は苦笑で。

「ヨハネさんは?」

「ん……。弦の正面に、弓があること?」

「その通りですわ。矢を押し出す弦は、弓の中心に向かって戻っていきます。ですが、矢は弓の横に接しています。その原理ゆえに、矢は狙いの右に飛びます。これを回避するために、人間の経験と正確な技を求めるのが和弓なのですわ」

「へえー! よく知ってたね、ヨハネちゃん!」

「へっへーん」

 意識しないで弓を引いていたルビィの方が驚きだ。

「対してハンティング用途の洋弓は、弓に矢を通すウィンドウを開けることで、その問題を解決しています。他にも、弦をカムにかけることで弓のサイズを抑えつつ、小さな力で引けるようにしたり、スタビライザーで弓にかかるモーメントを制御して命中精度の向上を図ったりと、様々な工夫が盛り込まれているのです」

「お、お姉ちゃん、いつもより横文字多めだね」

 咳払い。

「いずれにせよ、精神集中と人間の高い技術を要求する和弓では、素早い怪人を狙うには不利です。火薬を使わない高殺傷力を有する武器を求めるなら、洋弓――コンパウンドボウ、またはクロスボウが相応しいでしょう」

「へえ、けっこう合理的なのね。『死んでも和の精神は護りますわ!』とかだと思ってた」

「人の命を護るのに、精神もクソもありませんわ」

「お姉ちゃん、言葉遣い!」

「おっと、ごめんなさい」

「もう、いっつもルビィに怒ってるのに」

 姉妹のやり取りに笑った善子は、一息ついて、

「じゃあやっぱり、戦う気は戦う気なんだ」

 と真面目な口調で問うた。

「鞠莉さんも戦っていることですしね」

 相手が怪人だろうと世界のシステムだろうと、あの少女が戦わないものはない。

「それ、張り合う必要ある? いくら黒澤家VS小原家ったって、得手不得手はあるでしょ?」

「張り合いではありません。“ノブレス・オブリージュ”の問題です」

「のぶ…は…?」

「マルちゃんが言ってたんだよ、えっと、『メシタカケレバ、クライメシ』とか、そんなヤツ」

 そんなヤツではない。

「なにそれ、便所飯?」

「『資質のある人はみんなを護りましょう』、って意味だよ」

 解説は合っている。

「へー、お偉い人は、やっぱ違いますのんね」

「含みを感じる言い回しに聞こえますが、津島ヨハネさん」

「別にー。ん、じゃあルビィも戦うの?」

「ルビィも!?」

 思ってもいなかったような声色で、妹は明らかに動揺していた。

「でもでも、ルビィ、弓しかできないし」

「弓で強い人なんてたくさんいるじゃん」

「そうですわ、コンパウンドボウはランボーも使っていますのよ」

「そうだけどう」

「あいつもだよ、ほら、えっと、ホークアイ」

「ジェレミー・レナーさんの? かっこいいよね!」

「まったくルビィは、ド派手アクションCGてんこ盛りビッグバジェットAAA作品ばかり見るのですから」

「『ランボー』だって同じじゃん!」

「『ランボー』一作目はアメリカン・ニューシネマの小品ですわ!」

「『アベンジャーズ』だって9.11以降の非対称戦争の脅威を――」

「――ケンカしないでよう!」

 ルビィが割って入り、ダイヤは我に返った。

 なにをしているのだろう。公園の小道で立ち止まって、映画の話で怒鳴りあうなど、黒澤家の風上に立つ自分にあるまじき行為だ。

 善子もそう思ったか、二人は目を合わせて笑いをこらえた。

「だいたいルビィ、弓だって戦えないよ、昨日なんて二割も中らなかったんだし……」

 ルビィが歩き出し、善子はダイヤに歯を見せると、レースのスカートを靡かせて彼女を追った。今度はダイヤが二人を追う格好になる。

「ねえ、それっぽいフォームなのに、なんで中んないの?」

「いざ会になると、もたっちゃって、なかなか離れにならないんだ」

「カイ? ハナレ?」

「あ、ごめん。矢を射ろうとして、弦から手がうまく離せなくなっちゃったの」

「静まれ! 俺の右手!」

「そういうんじゃないよう……」

 善子はわななく自分の右手を左手で掴み、ルビィは口を尖らせている。

「少し前は、ちゃんと離れてたんだけどな」

「まあ、よく分かんないけど、気合じゃない? 技名でも叫んでみれば?」

「技名って?」

「≪ブラッディ・マーニ・スパイク≫! とか」

「なにそれ」

「この前地獄の門番より伝授された、堕天使ヨハネの遠距離攻撃よ。赤き月が真円を描きし時、()の心臓は血に飢えた牙の餌食にならん――」

 と、善子は右手で矢を模し、左手で弓を引く動作をしてみせる。

「欲しい?」

「いらない」

「なんでよ!」

「地獄の門番って、ケルベロスさん? 伝授って、ヨハネちゃんより偉いの?」

「えっ!? それは、まあ、ほら、吸収したのよ、相手の技を!」

「ふうん」

「と、とにかく! 気合よ! 気合!」

 やはり“もたれ”か、とダイヤは思う。

 射場でルビィの立ちを二番射手として背中から見ていた限りでは、射に関する能力に問題があるとは思えなかった。肉体的にも、何十メートルも先まで矢を飛ばす弦を、数十秒間かけて引きながら維持する持久力は、ダイヤより高いはずだ。見た目がいかに細く小さくても、筋肉量を反映した体重がそれを証明している。

 にもかかわらず会から離れにいかないのは、精神的な問題が大きいだろう。いわゆる“イップス”というもので、ゆえに善子の言う通り、気合も影響しそうとは思うのだが。

 しかし、コロコロ声の調子を変える善子に、ルビィが笑いかける声は朗らかだ。なにかと母のように説教をしてしまうダイヤが久しく聞いていなかった声色で、黒澤家の束縛され、小動物のように縮こまったルビィだけが妹ではないのだ、と改めて思い起こさせる。

「お姉ちゃん?」

 前を歩くルビィが、上気させた顔でダイヤを見つめてきた。

「はい?」

「なんでルビィの服、見てるの?」

 言われ、飛び石を歩く妹の身体をジロジロと眺めていた自分に気付いた。

(なにをしているのですか、わたくしは)

 焦る。「自信を出せばいい結果が残せるはずですわ」が正直なところだが、それは黒澤家の姉として問題がある。

 だから、

「この道着もルビィが着ると可愛い、と思っただけですわ」

 と口走った。

「え?」

 ルビィが首を傾げ、

「へえ」

 善子がニヤッと笑うのを見て、ダイヤは別種の失言だと気付いた。

「なに、ダイヤさんって案外、ルビィちゃんラブだったりするの?」

「ち、違いますわ! そういう意味ではなくてですね!」

 妹に続いて顔に赤みが登ってくるのを自覚し、どう言い訳しようかと考える。

「だって、その道着は可愛くないんでしょ? でもルビィが着ると可愛いんでしょ? それって『ルビィが可愛い』って言ってるも同然じゃない!」

「そ、そうではなく――」

「――可愛くない?」

「それでもなく――」

「――和風の衣装! 可愛いかも!」

 渦中の人は、まったく別方向の発言を繰り出した。

「和風のアイドル衣装は多いけど、道着のアレンジって中々ないんだ。うん! 素足で武術の型を取り入れるダンスとか、草履でしっとりした曲にするとか! 楽しそうじゃない? ヨハネちゃん!」

「え? いや、そんなことして、その道の人に怒られない? あ、ヤクザさんじゃなくてね」

 話を振られた善子は、ルビィとダイヤの顔を見比べながら言った。

「平気だよ、師範に聞いてみよ!」

 さっきまでの落ち込み方がウソのように、ルビィは軽やかに小道を進んでいった。

 ダイヤは横に並んだ善子と含み笑いを見せ合うと、並んでその後ろを歩きだす。

 そして、自分が笑っていることに気付き、驚いた。

 こんな風に取り止めのない会話をして、作り笑いではない笑みを浮かべるなど、肉親でさえ久しくなかったことなのに。

 堕天使を自称する彼女も、世界のシステムに真っ向から立ち向かう人間であり、その世界観で誰彼構わず振り回せる人間なのだろう。

 やがて公園の管理事務所の外壁が、木々の向こうに見えてきた。

 そして、その出入口に藍色の和服を着た女性を見つけた時、

「お母さん」

 ルビィの足がとまった。

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