仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第九話:震えてる手を握って - 3

   *

 

 細い眉に長い睫、真っ直ぐに切り揃えられ、後頭部でまとめられた艶やかな黒い髪。

 日本人形のように美しく、そして感情の感じられない切れ長の双眸。

 黒澤ダイヤが日に日に似てきたと感じている、自分と同じ種類の顔立ち、そして顔付き。

「あれが黒澤瑠璃さん」

 善子が口にした通り、それが黒澤宗家現当主のご寮人だ。

「弓の稽古をしてきたのです?」

 顔が見える距離になって、瑠璃がルビィに言った。

「そ、そうなんだ。昨日、師範に怒られちゃって」

「何射引いたの?」

「え、えっと、一六射」

「中てたのは?」

「え……」

 瑠璃は表情を変えず、こちらに歩き出した。二本歯の下駄が飛び石を踏む音が、海風で揺れる林に響く。

「中てられたの?」

「お母様」

 ダイヤは思わず諫めたが、瑠璃は気にせずルビィの目の前で立ち止まる。

 ルビィは、震えを押さえるように重ねた手に目を落とし、首を振った。

「中てられなかったです」

 瑠璃が手を上げ、ルビィは身体を硬くする。

「そう……」

 だがその手は、娘の頭に置かれた。

「聞きましたわ、怪人の話。この一箇月、何度も狙われてたのね」

 言葉に反して、その声に感情の色はない。

 ただ機械仕掛けの人形のように、規則正しくルビィの頭を撫でている。

「う、うん、でも、みんな護ってくれたよ。先輩も、先生も、仮面ライダーも、ロリポリも」

 そう、ルビィはこの一箇月で、何度となく怪人に襲われ、その模様が大量にWebにアップされていた。「怪人は黒澤家の跡継ぎを殺す、小原家の生物兵器」という言説も、ここ数日でまことしやかに囁かれるようになったほどだ。

「でもね、もしルビィが強くなって、怪人を倒せたらね、ルビィだって――」

「――やめなさい」

「え?」

 ルビィは頭を上げた。

 瑠璃の無表情が、その視線を受ける。

「なんで? ルビィが戦えれば、誰も怪我しないですむんだよ?」

「あなたは誰も護れませんわ」

 母はにこりともせずに娘から手を放し、その横をすり抜けた。

 ダイヤは微かに目を伏せ、歩き出す。

 瑠璃とすれ違い、ルビィに追い付き、その背中に触れる。

「お母様の言う通りです。怪人と戦うためには、特別な訓練が必要ですわ。だから仮面ライダーというものが――」

「――そんな言い方、ないんじゃない?」

 その低い声色が誰のものか、ダイヤは分からなかった。

「瑠璃さん、瑠璃さんでいいんだよね」

 飛び石で構成された細い小道を留め立てするように、善子がダイヤたちの母の前に立っていた。

「ルビィだって自分のやれること探してんのよ。それを、なに、よくもそんな簡単に、諦めろなんて言えるわね」

「い、いいんだよ、ヨハネちゃん」

「よくない! ルビィを雁字搦めにして、なにがしたいのよ、あんた!」

「ヨハネさん、これはわたくしたち家族の話ですわ」

「ルビィの話よ!」

 割って入ったダイヤの言葉をも、善子は叩き落とす。

「ダイヤさんもダイヤさんよ! 今の瑠璃さんの言葉聞いて、なんとも思わないわけ!?」

 瑠璃はなにも言わず、無表情で善子を眺めている。

「ああもう、イライラする! こんな……こんな時代錯誤な家! 来るんじゃなかった!」

 善子は吐き捨て、小道を外れて林の方へ向かう。

「ヨハネちゃん!」

 だが善子が林の中に入る直前、

「津島善子さん。善子さんでいいのですよね」

 瑠璃の言葉で、その足をとめた。

「話には聞いていましたわ。我が分家にさえ相応しくない、鬼子であると」

 感情のこもらない口調に、ルビィが息を呑む。

「それも当然ね。あの路傍の小石のような津島幸子さんが一人で育てたのですもの」

 ローファーの厚底が、青々とした下生えを踏む音がした。

「ヨハネよ」

 揺れる切り揃えた長い髪と側頭部のお団子で、顔は見えない。

 辛うじて、瑠璃に向けられた唇だけが見えた。

「私は堕天使ヨハネ。天国の奴隷であるよりも、地獄の支配者であることを選んだ反逆者。間違えないで、瑠璃さん」

 瑠璃の唇が持ち上がる。

 この場にあって初めて見せた、上品な紅に乗せた感情の形。

「資質に自信ない人間ほど、格付けにこだわるものよ。ヨハネさん」

 ややあって、

「ルビィ、もう来なくていいから」

 善子は林の中に走り去った。

 ルビィは数歩追いかけたが、立ち止まってしまう。

 瑠璃はまた無表情に戻ると、小道を歩いて行く。

 ダイヤは――

(おこがましかったですわね)

 ――反逆されるべき世界のシステムの側に、自分がいることを自覚した。

 

   *

 

 太鼓のバチを筐体のホルダーに叩き込み、名も知らぬカードアーケードゲーム筐体の椅子に腰を下ろす。

 汗が顎を伝い、白いフリルの上にポタポタと垂れる。

 何曲プレイしたか、気付けば曲の途中で腕が上がらなくなっていた。

 市内を走り、ゲームセンターで太鼓を叩きまくった過程で、善子がまとっていたゴシック&ロリータ服はぐちゃぐちゃになっていた。

「熱くなってるね」

 ペットボトルが差し出された。

 顔を上げると、小太りの男性店員が目を細めて立っていた。

「ありがと」

 店員に飲み物をおごってもらうのはどうかと思ったが、汗をかいた身体は水分を欲しがっていた。受け取り、封を切ると、スポーツドリンクの爽やかな酸味が漂う。口を付けてガブガブと飲む。

 店内は閑散としており、店員は暇つぶしのように、ゲーム機のディスプレイを拭き始めた。ダークブルーの制服の収縮色で、辛うじて標準体型に見えるが、頬を持ち上げる肉は隠しようがない。

「最近来てなかったけど、なにかあった?」

 彼は、善子が中学校の頃に常連になった時には既に、このゲームセンターでアルバイトをしていた。学校に友達のいない善子にとっては、この一箇月で花丸やルビィと知り合うまでは、ほとんど唯一、気楽に話せる他人だったと言える。

「うん、ちょっと」

 立ち上がり、腕と肩を動かしてみる。ゲームとはいえ長年太鼓を叩いているだけあって、腕――特に前腕はかなり鍛えられてはいるが、ダンス向きの身体とはいえない。格闘技経験者の千歌や高飛込選手の曜とは、比べるべくもないだろう。

 コインを入れ、画面も見ずに曲を選択。

 右から流れてくるノーツを、二本のバチで叩き落とす。

(どうにかしないと)

 なにを?

 自分の気持ちが整理できない。

 ダンスのこと?

 体力のこと?

 花丸のこと?

 ルビィのこと?

 ダイヤのこと?

 瑠璃のこと?

 母のこと?

 父のこと?

 ヨハネのこと?

 バチを握る指に力を籠める。

 出どころ不明の液体が飛び散る。

 やがて、ゲームは終わる。

「リリー……」

 一つ上の少女の名前を呟く。

 どうすれば瑠璃に、いや、黒澤家に負けない強さを得られるのだろう。

 ブランキアに変身する少女は、その答えを知っているのだろうか。

 燃えるように熱を帯びた前腕が、袖の中で震えている。

 

   *

 

 太陽が水平線に消えてからのわずかな間、光と影が混ざり合う魔法のような世界が訪れる。

 神々しいまでの金色の光に満ちたその時間を、撮影用語でマジックアワーと呼ぶ。

 指で作ったファインダーに収めた駿河湾は、鮮やかな空の色を映して橙色に光っている。

 打ち寄せる穏やかな波は、波打ち際の砂浜を海に引き込んで返していく。

 昼と夜の間。

 海と陸の間。

「あーあ」

 土手から島郷海水浴場の砂浜へ降りるなだらかで幅の広いコンクリートの階段に、黒澤ルビィは腰を下ろしている。

 弓道衣からブラウスと桃色のパンツに着替え、裁縫道具と小物の材料を手にここに座ったのは、もう何時間も前だ。

 それから、生地を裁ち、縫い、綿を千切り、詰め、手を動かし続けた。

 父からも母からも、ダイヤからも連絡はない。

 ボディガードにも、土手の向こうに引いてもらっている。

 誰の顔も見たくなかった。

 なにも考えたくなかった。

 そして今、水平線の下の太陽が名残惜しそうに投げかける金色の残光の中、月もとっくに沈んでしまった空に、小さな丸いコウモリのぬいぐるみをかざす。

「ヨハネちゃん、やっぱり、黒澤家の人だったんだよね」

 納得するように、呟く。

 数年前、とある黒澤分家の長男が離婚した話は、その配偶者の姓が“津島”だという情報も含め、ルビィの耳にも入っていた。

 だから、善子が“宗家”と口にした時。

 生徒会室でダイヤに怒りを爆発させた時。

 そうなのかな、とは思っていた。

 でも善子が気にしていないように見えたから、ルビィも気にしないようにしていたのだ。

 なのに、こんなことになるなんて。

「せっかく、友達になれたと思ったのにな」

 両手をコンクリートにつき、背後を眺める。

 残照に照らされて見えるのは、海岸に沿って広がる沼津御用邸記念公園の木々の梢だ。“黒澤家”の名の下に沼津の血を吸い上げ、ルビィの手足を縛る、ぼんやりとした組織の本拠地を隠す緑のカーテンだ。

 自分がそこに組み込まれていることを、ルビィは強く意識する。

 もしルビィが宗家の娘ではなくて、善子が元分家の娘でなければ、善子はあんな風に怒っただろうか。

 もしルビィが――

(――ううん、違うよ)

 家なんて、ただの言い訳だ。

 パンツのポケットをさぐる。

 白玉団子のようにさらっとした手触りなのに、海水のように心地よい冷たさを感じ、つまみ出す。

 花丸が召喚した妙法寺の本尊と同じと思しき、ロリポリ・フォーメアとパイルアップ・フォーメアを産み出したものと同じと思しき、謎の物体。

 プールで果南に渡された、正八面体を内包した淡く光る球体。

「『戦え』、か……」

 姉の友人は、ルビィにそう言った。

 母がどんなことを言っても、ルビィに毅然と立ち向かう姿勢があれば、善子はあんなことを言わなかったはずだ。

 相手が誰だろうと正面から自分を叩きつける善子。

 それと並び立つに相応しい力が、ルビィにあれば。

「ルビィがもっと……もっと強かったら……」

 涙が滲んできて、頭を軽く振る。

 ここにいたら、こんなことばかり考えてしまいそうだ。

 裁縫道具をしまい、材料を手提げ袋に詰める。

 そして立ち上がり――

「ん?」

 ――波打ち際から少し離れた海面に、不自然な波紋を見て取った。

「お魚さんかな?」

 ルビィは荷物をそのままに、幅の広いコンクリートの階段を降りる。

 砂浜まで来た時、波紋の中央になにかが見えた。

 海草のように広がった、黒々としたなにか。

「……髪の毛?」

 ルビィが呟くと同時に、それがするすると海面に立ち上がった。

「ピ……!」

 ルビィは息を詰める。

 海面から飛び出したそれは、明らかの人の形をしていた。

 まるで父親に無理矢理見せられた『リング』で、井戸の中で立ち上がった山村貞子のようだ。

 黒檀のような濃淡のある髪を頭から首までに張り付かせ、砂浜に歩いてくる。

 金色の光に満ちた世界に、その光景は異常だった。

 だがルビィは、恐怖を感じていない。

 逆に、一歩、その人影に近付く。

「お母……さん?」

 無意識に呟いたその言葉が、自分でも信じられない。

 だが、その人物は重そうな両腕を持ち上げ、自らの髪をかき上げ――

「ルビィ」

 ――黒澤宗家のご寮人、黒澤瑠璃と同じ顔と声で、言ったのだ。

 

   *

 

「リーダー、あれは誰だ?」

 トイレから帰ってきた辰本迅が土手の下を見ると、ルビィの前に、さっきまでいなかった女性がいた。

「御方様だ。さっき海から上がってきた」

「瑠璃様? あれが?」

「見て分からないのか」

 黒服の鑑のように直立姿勢を崩さないリーダーは、同僚をちらりとも見ずに言う。

「あんな格好をするのか?」

 その人物は、いつもの瑠璃の和装ではなく、白いワンピースに腰まである羽織のケープを着ていた。それだけでなく、服からは大量の海水が滴っており、髪もべったりと濡れているようだ。五月の駿河湾の水温はウェットスーツでも辛い、と聞いているにもかからずだ。

「瑠璃様とは、連絡がとれているのか?」

「本部には照会した。御方様の現在位置は掴めていない、つまりあの方が御方様だ。連絡が取れない点も、海水浴であれば納得がいく」

「おかしいだろ、その理屈」

「我々は判断しない。警備業務に戻れ」

「……了解だ」

 断定するリーダーに、迅は鞘を収めた。

 海に背を向けて直立姿勢をとり、ジャケットの胸元から折り畳みの白いパナマ帽を出して――

(業務中の着帽は、禁止されていたな)

 ――しまい直し、闇に染まり始めた東の空を見た。

 一所に立って決められた方向だけに注意を向ける警備の仕事は、単独行動が長かった迅には辛いものがある。

 海を波立てて吹き込んでくる風が、クルーカットに刈り上げた後頭部を舐めて通りすぎ、沼津御用邸記念公園の木々を揺らす。

 そのざらついた葉擦れが、迅の心を妙にざわつかせる。

「先月は立て続けの襲撃だったようだが、何事もないな」

 だから、そう口にした。

「ないに越したことはない」

「俺が来た意味がない」

「御方様を名前で呼ぶ君が、か?」

「敬語は苦手だ」

「それは洒落か?」

 無駄話の末、迅は口の端を持ち上げた。

「あと五分で交代だ。天貝と来間に準備をさせておけ」

「了解だ、リーダー」

 ざあ、とまた風が流れ、と葉擦れが駆け抜けた。

(イヤな風が吹く街だ)

 迅は眉を寄せる。

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