AV
八挺の機関銃砲塔。
そのいずれかが、一発の5.56×45mm弾を撃つ。
一分間に一度、ただし等間隔ではなく。
銃口の先に跪くのは、苔の怪人――仮面ライダーブランキア。
≪セディーユ≫のテストと同様に、薙刀を手にするブランキアは、しかし、銃弾を跳ね返さない。
湾曲した刃を右手で握り、柄を左手で保持し、石突きの先端を前方に向けて静止している。
先端に開いた銃口を壁に向けた、膝射の姿勢で。
「テストケース三一、終了しました。このままケース三二に入ります」
ハンドガン型リーダー≪エウリュス≫をスナイパーライフルに変化させるμ-フォーム、≪ハーチェク≫は、ブランキアには不向きだと考えられていた。
クルチ型の刃を生成する≪セディーユ≫を梨子が薙刀術で使いこなすのと同様、スナイパーライフルの扱いにも一定の技能が必要となる。シャイニーのようにスーツの照準システムで補助しなければ、狙撃どころか当てることさえ難しいのだ。ゆえにブランキアのデータ採取対象には、含まれていなかった。
だがロリポリ・フォーメアと龍駒との連戦において、シャイニーのアンダースーツと照準システムが機能しなくなったことで、状況が変わった。シャイニー破損の可能性を前提に、開発中の≪ストローク≫を含めた外部拡張系μ-フォームの三種を、ブランキアで使用可能か調査すべきではないか、との議論が起こり。
急遽決定されたテストのため、桜内桑介は娘をつれて
(これがテストか)
撃ち出される弾丸は、全弾、ブランキアに命中する。
その度に、穴を穿たれ、装甲をえぐられる。
だが、ブランキアは動かない。
最初の一時間で、苔状にした装甲で関節をロックする術を編み出し。
次の三時間で、特定の外部刺激以外の反応を遮断する術を編み出し。
最後の二時間で、μ-フォームの活動を休止状態にする術を編み出し。
最終的にブランキアは、ハーチェクによって引き金と銃口を生成された、二メートル以上の長さのスナイパーライフル――というより超ロングバレルの火縄銃とでも言うべき薙刀を固定し、コンクリートの壁に青い光点が灯った瞬間だけ引き金を動かすだけの生体機械となった。
「テストケース三二、終了です。お疲れ様でした、梨子さん」
一辺が四メートルの地下室では、当然だが、スナイパーライフルの性能をブランキアが使いこなせるかどうかはテストはできない。
ゆえに今回は、「不規則な攻撃を受ける状況で、ブランキアが銃口をぶらさずに標的を狙える条件を探る」をテスト要件とせざるを得なかった。
つまり、ブランキアが発射される銃弾をすべて受けることは、前提であり。
苔の装甲を穴だらけにされても動かないブランキアは、桑介が想定した状態なのだ。
(分かってる、あれは梨子じゃない。分かってるだろ)
苔を破壊して立ち上がったブランキアの脇腹から、蒸気が噴出した。
*
「申し訳ありません、飛石とはいえゴールデンウィークの途中でしたのに」
「いえ、元々九連休にするつもりはありませんでしたから」
二人の男性の声を磨りガラス越しに聞きながら、桜内梨子は制服の裾を直している。登校直前に呼び出されたので、音ノ木坂の制服のまま静岡OGIにやってきたのだが、やはり、ラフな私服と比べると着替えは面倒だ。
頭の後ろの方で、いつものようにピアノのアンビエントBGMが鳴っている。実験や検査が終わった時にはよくあることだが、ブランキアに変身して鋭敏な知覚と精神を酷使したからか、身だしなみ整える指が感覚を失ったようにフワフワする。
それでも、千歌と曜からもらった桜色のヘアブローチで髪をまとめた梨子は、磨りガラスをノックした。
「終わったか?」
磨りガラス越しのシルエットの一つが動き、父の桑介の硬い声がした。
「うん」
二人のシルエットが離れたのを確認して、磨りガラスを指で押す。見えるか見えないかの切れ込みで区切られたドアがズレて、小さな会議室に籠もっていた潮の匂いがオフィスに出て行った。
「今日は長時間の拘束の上に、更衣室も準備できず、申し訳ありませんでした」
父の横にいた男性が、丁寧な口調で話しかけてきた。
三〇代らしい男性だった。清潔だが使い込まれた白衣の胸に「依田義森」と書かれた社員証がとまっている。『お父さんより若いのに、≪静岡OGI≫のμ-フォーム関連事業の主任なんだ』と桑介から何度か聞かされていた名前だ。だが梨子は一〇回以上会っているのに、その顔と声が覚えられない。
「平日だから人が多くてな、更衣室を準備できなかったんだ」
桑介の言う通り、見通しのいいオフィスではたくさんの人が作業をしていた。こちらにチラチラと視線を送ってくるのは、平日の会社において、一〇〇キロ以上離れた東京の高校の制服を着た自分が珍しいからだろうか。
「私は平気だから、お父さん」
父は硬い顔のままだった。あまり気にしていなかったが、ここで見る父の顔は、今までもそうだったかもしれない。
「それでは、今日はお疲れ様でした。梨子さん、今週末の土日のいずれかで終わりですので、あと一度、よろしくお願いします」
頭を下げた義森に梨子も会釈を返すと、桜内親子はエレベーターに乗り、地下駐車場に向かう。
そこで梨子を出迎えたのは、一台のバイクだった。
桜色というには白すぎるフェンダーの中型のオフロードバイクは、OGIが梨子に宛がった社用車だ。定期点検整備が終わり、桜内家宅に搬送されるところだった。
「≪
父が口にしたのは、鞠莉が名付けた“ライダーマシン”の名だ。
東京で受領してから沼津に来るまでは頻繁に乗っていたのだが、最近はめっきり機会がない。
学校はバス通学だし、
だからだろう、フロントフォークを傾けてあちらを向いたヘッドライトが、梨子にはすねているように感じられた。
そう思えば、用がなくても変身して、緑色の苔で覆ってあげたくなってもくる。
「梨子?」
立ち止まった梨子に、桑介が振り返った。
「乗って帰るか?」
「……ううん、今日は疲れちゃった」
気のせいだ。
ブランブロアがすねているだって?
心のない物体に感情移入するなんて、どうかしている。
と、スクールバッグの中で電話が震えた。
画面に表示されたのは、“お母さん”の文字列。
「お母さんだ。連絡できるようになったの?」
「ん? ああ、そうみたいだな」
桑介はさほど驚きもせず、梨子の電話から目を逸らした。
メールの文面は簡単だったが、梨子の口元には笑いが戻ってきた。
早く戻ってきてほしい。顔を見せてほしい。
母はそう訴えていたからだ。
今頃、なにをしているのだろう。
もう三箇月近く、顔を見ていない。
ピアノコンクールの練習曲を入れてあげた電話は、あの事故で海に落ちてダメになったはずだ。
「梨子、どうした?」
ふんわりとした感覚の中で、父が話しかけてくる。
「ううん」
月曜日も終わりが近付き、明日からはゴールデンウィークが始まる。
延び延びになった東京行きも、あと一週間後だ。
帰ったら、ピアノを弾こう。
それを録音して、母の新しい電話に入れてあげよう。
でも、私が弾けるピアノって、どこにあったっけ?
うまく弾けるのかな。
自信はない。
A
「グループ名、決めてなかったなんて驚きよ。……もう二週間ないのに。……まだ? もう、でしょ?」
後部座席の娘が電話口に話す言葉を耳に、桜内桑介は社用車のセダンを走らせる。
「お姉さん、就職してたんだ。……じゃあゴールデンウィーク中は厳しそうだね。……んー、分かった、私、行ってみるよ」
クルマは帰宅ラッシュも過ぎた沼津市内を走る。市街地と中規模の商業ビルが不規則に入り混じる平野の景色は、当初は都内育ちの桑介には物珍しかったが、最近はすっかり見慣れていた。
「え? 重なりそうなの? ……一〇日からだと、五日前だから五日から飲み始めないと……。お店? 分からないよ、曜ちゃんに聞いてみたら? 大会で使うよ、きっと」
梨子は、静岡OGIを出てしばらくして受けた電話に対応中だった。相手はスクールアイドル関係の友人だろう。
「そうよ、ライブはいつどこでやるの? ……え? ちょっと、ウソでしょ。……あのね、私、部員じゃないのよ? あ……。もう」
切られたようだ。
バックミラーの梨子は下唇をわずかに突き出して、不満を表明していた。
「千歌さんだったの?」
「うん。あ、ごめん、ちょっと待って」
梨子はまた電話を耳に当てた。
そのぞんざいな扱いが、さみしいような嬉しいような。
「夜分遅くにすみません、桜内で――うわ……え? シャ、シャイニー……。あ、あはは……。はい、あの、ちょっとお願いがあるのですけど」
今度の相手は、OGIグループCEOの娘でありOGI研究所病院の社長――娘からすれば浦の星女学院の理事長代理、小原鞠莉のようだ。
「あ、いえ、それではないんです。……実はライブの会場のことで――≪さいたまスーパーアリーナ≫!?」
娘がシートから身体を浮かし、桑介は驚く。
「おどかさないでください……。体育館ですね、はい……。一五日の日曜日、はい……。え? 土曜日に――え? ゲ? ゲ、ネ? あ、もしもし?」
やがて梨子は電話を下ろし、深い溜め息をついた。
クルマが信号で停まり、言葉のなくなった車内に、ウィンカーの音だけが響く。
「ゲネプロが土曜日で、本番が日曜日?」
梨子はパッと顔を上げた。
「ゲネプロ? なにそれ」
「ゲネラルプローベ、本番とまったく同じセッティングで行う予行練習だよ。通しリハ、って言えば分かる?」
ポカン、と梨子が口を開けた。
「なんで、そんなこと知ってるの?」
「もちろん弦部――弦楽合奏部やってたからね」
梨子の口がさらに大きく開き、桑介は嬉しくなる。
「言ってなかったっけ?」
「楽器は?」
「ヴィオラ」
「あ、じゃあ私が遊んでたヴィオラって、お父さんのだったの?」
「言ってなかったっけ?」
「けっこうすぐピアノにいっちゃったからかな」
梨子は眉を寄せて笑った。
クルマが走り出し、狩野川を渡って南下する。道はあっという間に細くなり、目立った建物のない住宅街一色になる。この急激かつシームレスな変化に、桑介は田舎らしさを感じる。
「千歌さんたちは順調?」
「全然。締め切りまで二週間切ってるのに、歌はまだまだだし、衣装は一着しかできてないみたいだし、振り付けなんて今日できあがったんだから。グループ名だって、決めてなかったって今頃、気付いたくらいなんだよ? どうやって宣伝するつもりだったんだろ」
饒舌な梨子の口調は、内容の割りに楽しそうだ。
「間に合いそうなの?」
梨子は「んんー」とハミングのような音を鳴らした。
そして桑介の方を見た。
バックミラーのその視線に桑介が目を向けると、梨子は慌てて眼を逸らす。
「どうした?」
「……あのね、お父さん」
梨子は無用だったスクールバッグを一度見下ろし、顔を上げた。
「ゴールデンウィーク中って、私の用事、ある?」
「ないんじゃないかな。≪ハーチェク≫の件は終わりだし、あとは今週末の、≪スフィア≫の観察データ採集だから」
「それで終わりなんだよね」
「ああ、お母さんにも会えるぞ」
桑介が明るい口調で言うと、梨子は小さく頷いて、パワーウィンドウを開けた。
途端に背後から風が流れ込んでくる。
車内に籠もっていた潮の匂いが動き、洗われ、消えていく。
梨子が苦手という匂いが。
「お母さん、どんな感じ?」
「安静の必要はあるけど、安定してるって聞いてる。メールも出せるくらいだからね」
「一人でさびしくしてない? 電話してもいい?」
桑介は少し考える。
「今はこっちに集中しなさい。お母さんのことは、全部終わってからにしよう」
「……うん」
梨子は素直に頷いた。
内浦へ向かう道の交通量は少ない。遥か遠くに見える赤いテールランプを追いかけて夜道を走るのも、ずいぶん慣れた。
だがそれも、もう終わりだ。
一五日の本番を待たずに。
あれから梨子は、この街に残るか残らないか、桑介に言うことはなかった。
桑介も、東京のOGI研究所への異動の結論を、出していない。
二人とも、決断を保留し続けている。
自分の居場所を決められないまま。
「お父さん」
「ん?」
風の吹き込む窓外を見たまま、梨子が言う。
「ゴールデンウィーク、遊びに行ってもいい? 怪人のことも、ライダーのことも忘れて」
意外な申し出だった。
桑介は考えてしまう。
シャイニーが軌道に乗り、ワンダと龍駒という新たな仮面ライダーが出現し、加えてロリポリ・フォーメアも人間の味方のように振舞ってフォーメアと戦っている現状、ブランキアの出動は減っている。というより、ブランキアは対外的に仮面ライダーの名を冠してはいるが、本来≪梨子変身体≫とでも呼ぶべきメルシャウム群の被検体なのだから、フォーメアとの戦いから遠ざかっている現状が正しい状態なのだ。
だが静岡OGIはブランキアに、変わらず厳戒態勢を指示していた。
いや、龍駒がシャイニーを襲い、シャイニーが破損し、ロリポリの行動原理が不明で、フォーメアについての根本的な研究も進まない状況はむしろ、混迷を極めているとも言えるかもしれない。
そんな状況下で、ブランキアの管理を任されているのが桑介だ。
万一のことが起これば、桑介はその任から外されるだろう。そのあとを引き継ぐのは、あの義森かもしれない。それは娘の顔を見れば、到底許せることではない。
「ごめん、言ってみただけ。あと一週間くらい、我慢するから」
「梨子」
「あーあ、お父さんにもう少し、貫禄があったらなあ」
梨子はおどけたように言って、窓を閉めた。
車内に沈黙が落ちる。
(貫禄か)
そんなものは、何十年も前に、傷だらけになって捨ててしまった。
だからここにいるのだ。
やがてクルマは獅子浜を過ぎ、象の鼻のように江浦湾に突き出した岬を巡る。
この辺りから、人口流出の影響で、目に見えて街が暗くなる。桑介はスピードを落とし、ハイビームが照らす闇の中を慎重に走る。
「この道で、千歌ちゃんの友達がバイク事故に遭ったんだって」
「松和考朔くんのこと?」
「知ってるの?」
「……うん、まあ、ちょっとね」
「それで、高飛込ができなくなっちゃったんだけど、最近またできるようになったんだって、曜ちゃんが言ってたよ」
「曜ちゃん?」
「あ、ごめん、千歌ちゃんの幼馴染みのこと」
「そうなんだね」
とりとめのない雑談をしながらも、桑介は驚いていた。
考朔のことはもちろん知っていた。プールでフォーメアを産み出した彼を検査したのはOGI研究所病院で、その結果を分析しているのが桑介だからだ。
「でも、その松和さん、また入院してるんだよ。せっかく復帰したのに」
桑介はなにも言えない。
考朔が入院しているのは、パイルアップ・フォーメアを完全に撃破するために、OGIグループの息のかかったプールに連れて行かれ、その通りの役割を果たしたからだ。自分が怪人を産み出したことを、情報ではなく、事実として知ってしまったからだ。
一度怪人を産み出した人間がどうなるかは、前例がない。だから申し訳ないとは思うが、OGIグループは退院を許可できず、考朔本人もそれを望んだために、彼は今もこの山の向こうに入院しているのだ。
だが、それが、千歌の友達だったとは。
もしかしたら、見舞いに来ていたあの女子高生たちも、梨子と顔見知りだったのかもしれない。
なんて偶然だ。
いや、必然か。
死にかけた街の、狭さゆえの。
「梨子」
「ん?」
「この街にいたいか?」
フロントガラスを見つめたままでも、梨子が桑介を見たのが分かった。
「……お母さんは心配だし、お父さんにも迷惑はかけられないし、やっぱり――」
「――梨子はどうしたい?」
もう一度、問う。
「私は……分からない。分からなくなるの」
梨子の目が伏せられた。
「私、仮面ライダーだよ。みんなを護る力がある。なのに、この街を離れるなんて、できないよ」
桑介は眉を寄せた。
それが、この街を離れたくない理由なのか。
そんな利他的な理由が。
「遊びに行きなさい」
気付いた時には、口にしていた。
「いいの? ううん、いいんだよ、なにかあったら、連絡を入れても」
「この街には、梨子を除いても三人も仮面ライダーがいるんだよ。そのくらい、お父さんなら調整できるから。心配しないで」
「ほんと?」
「ああ。だから、みんな忘れて、遊びに行ってきなさい」
その言葉に、梨子は歯を見せて笑った。
間違いを犯そうとしているのかもしれない、と桑介は思う。
父は平社員であり、会社は仮面ライダーを開発するOGIグループであり、この街はフォーメアに襲われているのだ。
だがそれが、たった一六歳の娘に、なんの関係があるというのか。
*
翌火曜日の午前一〇時三〇分。
意識を取り戻した桜内梨子は、逆光の中で自分を覗き込む四つのお面を目にし、息を吸い――
「リリー、落ち着いて! 怪人じゃないから!」
――割り込んできたシニヨン頭の少女に、息をとめた。
「津島さん?」
「あ、気が付いた?」
もう一人、声と共に視界に入ってきたのは、ツーサイドアップの少女だ。少女はしゃちほこ張って姿勢を正すと、頭を下げた。
「あ、あの、初めまして。私、黒澤ルビィっていいます」
「あ、うん……」
上の空で自己紹介を聞きながら、ソファから身体を起こして、薄手のジャンパースカートを着た自分を眺める。
そして徐々に、ここまでの経緯が蘇ってきた。
沼津で過ごす最後の一週間になった梨子は、自分にできることがあれば思い、衣装、ダンス、作曲の各状況を確認しようとしていた。自分の今後のことも、そこで話せればいいかな、と。
そしてゴールデンウィークの初日、衣装制作現場の津島家宅に視察に来たところ、玄関のドアを開けた人物に驚いて即倒したのだった。
「なんなの? その……なに? その人たち」
刈り込んだ頭に能面を被った四人の黒服を見回し、梨子は眉をひそめる。
「黒服さんは、ルビィのボディガードなんです」
「ヨハネのリトルデーモン六号~九号だって!」
説明になっていない。
だが長押にかかっている八つの能面を見れば、別に聞かなくてもいいか、と思う程度には状況を把握できた。
だからルビィに向き直り、意識して笑顔を作った。
「えっと、話すのは初めてだよね。私、桜内梨子。千歌ちゃんの作曲のお手伝いをしてるの。よろしくね」
「あ、はい、こちらこそです!」
ルビィは安心したように、今度は元気よくお辞儀をした。
後輩に笑いかけると、善子の指示で部屋の中央に運ばれてくるトルソーを見る。そこには白地にくすんだ水色のグラデーションが入った服が着せられていた。曜がデザインした衣装のカラーバリエーションだ。事前の情報の通り、一着はもう完成しているようだ。
「ねえ、あんまり悪魔っぽくないよ」
「見た目に騙されちゃダメだって! 顔がグワッて開いて、あんたなんか丸呑みよ!」
「ピギィ!」
聞こえてるよ。
「それで……。衣装ってどうなってるの?」
「曜先輩のは完成、私のは型紙の手直し中。千歌先輩のは未着手、まだ採寸もしてないわ」
「採寸してないの? あと二週間しかないのに?」
「あ、いえ、それは、その」
梨子が疑問を口にすると、コピー用紙を見ていた善子は、なぜか冷や汗を流しながら距離をとった。
「あ、あの! ほんとは今日しようと思ってたんです。だけど千歌先輩、ウチの仕事で来れなくなっちゃって」
ルビィが弁明するように言って、梨子は思い出す。
「そうだ、千歌ちゃんのお姉さん、ゴールデンウィークも仕事になったんだよね。ごめん、津島さん」
「い、いいわよ、面倒でズルズルきちゃったのは事実だし」
善子はタメ口でそう言いながらも、少しずつ梨子から離れていく。そして型紙の書かれたコピー用紙に目線を落としてからも、チラチラとこちらを見てくる。
(……怖がられてる?)
どうして?
と思いかけて梨子は、善子が、千歌と梨子が仮面ライダーだと知っていることを思い出した。そしてその件で、鞠莉に静岡OGIの一室に監禁されたことも。ルビィは詳細までは知らないだろうが、善子の印象がスライドして漠然とした恐怖心を抱いていると推測する。
だがその誤解を解くのは厄介なので、一旦、放置することにした。
怖がられているなら、少なくとも舐められることはないだろう。
「で、どうするの? すぐにでも作り始めないとまずいよね」
「今日は私の型紙を完成させちゃって、明日から千歌先輩の型紙に入れればいいんだけど」
「津島さんの衣装、先に作っちゃわないの?」
「型紙熱がホットな間に、千歌先輩のも始末したいの」
その方が効率的か。
「じゃあ、今日中に千歌ちゃんの採寸に行くしかないのね」
「ルビィがクルマで行ってきてもいいけど――」
「――でも、そしたらルビィ、戻ってこないでしょ? 午後から弓の練習なんだから。リトルデーモン連れていかれちゃったら、正直、手直しは辛いわよ」
まさにその作業に入ろうとしている善子が、ルビィに言う。
「うーん、黒服さんはルビィから離れられないから……」
梨子は少し考えて、手を打つ。
「私が採寸のやり方を覚えて、行ってこようか? それくらいならできると思うし、二人の作業も遅れないでしょ」
それが最善手だ。測る場所や測り方を忘れてしまっても、電話で確認すればいい。
「できれば測る場所のリストがあると――」
「――ヨハネちゃん、写真スタンバイ」
気付けば目を輝かせたルビィが、すぐ横でメジャーを伸ばしている。
「え? え? なに?」
テープが梨子の肩に当てられ、首の後ろを通って反対の肩まで走る。
それを善子の電話が撮影した。
次に肩に当てたテープを、手首まで下ろす。
「梨子先輩、解剖学的ゼロ度でお願いします」
「解剖学?」
ルビィの注文に困っていると、善子が梨子の手首をぐりっと回し、親指を上に向けた。
「この角度らしいわよ」
また写真を撮られた。その画角から、測り方と見るべき位置を撮影しているのだ、と梨子は察する。
「この通りに数値を調べてくればいいの?」
「はい」
その間にもルビィがメジャーを巡らせ、善子がシャッターを切っていく。
「だからって、別に私を実験台にしなくても――ひゃああああ!!」
ジャンパースカート越しに胸を鷲掴みに持ち上げられ、梨子は高い悲鳴を上げた。
「おっきいなあ」
「いいよなあ」
プロの黒服とはいえ、男の人の前でこんな目に遭わされるなんて……。