*
「梨子ちゃーん!」
走り去るバスの手前に、メモを片手に歩いてきた梨子を見つけ、渡辺曜は手を振った。
「誰あれ、友達?」
「そ!」
弁当の残りを口にかきこみ、弁当箱とそれを包んでいたバンダナを雑にスクールバックにねじ込むと、屋外備え付けのテーブルから飛び出した。
「じゃ、またあとで!」
「おー」
「メシ吐くなよ」
昼食を共にした他校の生徒に手を振り、曜は走り出す。
リボンをほどいた制服の首元に空気が流れ込み、遅れて弾む濡れた髪の摩擦が心地よい。
芝生の中央を伸びる石畳の小道が、靴下も履いていないデッキシューズに跳ね返してくる感触に、足の回転が速くなっていく。
身体を動かすのは楽しい。
そんなシンプルな気持ちに、笑顔が立ち上ってくる。
「梨ー子ーちゃん!」
濃いインディゴのジーンズ上下の梨子は、なぜか両腕で胸を押さえた。曜はその二の腕を掴むと、梨子を中心に回転するようにスピードを殺した。
「よ、曜ちゃん?」
「行こ行こ、誰もいないとこ」
「だ、誰も!? って、口、飲み込んでから喋ってよ!」
「ふぁーい」
先週先々週の事故の影響が収まった沼津市立総合水泳場は、このゴールデンウィークから通常営業を始めていた。飛込台のような特殊な設備を求める各校の水泳部はこぞって集まり、浦の星女学院水泳部の曜もその一人だった。
「さっきの人たち、誰だったの?」
「余所の水泳部。たまに一緒に食べるんだ」
顧問の笠木信代はどこかに行ってしまったし、先週一緒に練習した幼馴染みの考朔は引き続き入院中、そして浦女の水泳部は曜一人だ。そういう時は、持ち前の社交性の高さで周辺の人に溶け込み、楽しい昼食を過ごすのだ。
「久々の顔が多かったよ。最近トランポリンとか柔軟とかばっかでなまっちゃっ――て、どしたの?」
梨子の笑顔が如何にも作り笑いで、曜は眉を潜める。
「うん、ちょっとね……」
曜は歩調を落とし、水泳場のドームの周りに沿って歩きながら、梨子の話を聞いた。
「色々あったんだね」
詳しい経緯から出てきた、ざっくりとした感想に、梨子が苦笑する。
「ヨハネさん、悪気はなかったと思うの」
「でも、『花丸の時間をムダにしちゃった』は、うん……」
「まあねえ……」
善子としては、謝罪のつもりで言ったのだろう。だがダンスをしたこともなければ運動や格闘技もしていなかった善子の現状はむしろ当然で、そのために、振りを完成させた花丸がフォローに回っていたのだ。
その役割をムダを呼ばわりされれば、普通は怒る。花丸はその矛先を、自分に向けて泣いてしまったにすぎない。
だが、善子の気持ちも想像できた。自分にはなにもできないんじゃないか、それは曜もたった一週間前に感じていたことだったからだ。
「で、この曜ちゃんのところに相談にきたわけか。わざわざ歌とダンスのチェックなんて都合つけて、可愛いヤツだなあ、梨子ちゃんは」
「ううん、それがメインだよ」
「えっ? な、なんで急に」
「いいじゃない」
そうこうしているうちに、二人はドームを半周ほど回り、平たい管理設備の建物とドームの隙間にできた行き止まりにきた。
「ここなら誰も来ないでしょ」
「う、うん」
なぜか警戒している梨子を余所に、スクールバッグを置いた曜は準備運動をする。日が当たらずに湿ったままのコンクリートの匂いが、背伸びや屈伸の動きで乱され、空間の新陳代謝が始まる。
「もしかして、見られないようにするために?」
「あと聞かれないように。なんのつもりだと思ったの?」
梨子は「いやあ」と呟くも、気を取り直したように電話を構えた。
「一応撮影するけど、平気?」
「平気平気。じゃ……イントロから行くよ」
曜は自分の電話を離れたところにおくと、タイミングを計るクリック音に合わせてパフォーマンスを始めた。
*
電話を構えた桜内梨子は、カメラで曜の全身を収めながらも、肉眼は本人を観察していた。
相変わらず、曜のダンスは安定したクオリティだ。自分でデザインしただけあって振りは完璧だし、高飛込で鍛えているためか動作の緩急の鋭さは群を抜いている。
なにより、曜のダンスは楽しそうなのだ。
基本、頬と口角を上げた笑顔で、難しい振りが決まった時の「どうよ!」顔も、多幸感という以外ない。この表情を意識して作っているのだとしたら、アカデミー賞女優級だ。
花丸が身体性のレベルで歌を会得しているように、曜にとってのそれは水泳でありダンス――身体を動かすことそのものなのだろう。
身体の柔らかさも三人の中では随一で、上半身を維持して膝を上げる振りの決まりっぷりは――
「――よ、よ、曜ちゃん!」
「なに?」
「パンツ! パンツ!」
「へ?」
クリック音をバックに足を止め制服のスカートを見下ろした曜は、不意にそれをめくった。
「ちょ!?」
「あ、短パンはいてなかった」
筋肉質の太ももの付け根を覆うグレイの布地が見え、梨子は片手で顔を覆った。顔の下半分を。
「もう、しまってよ! それ!」
「いいじゃんパンツくらい、女同士なんだし。ほらほら」
「オープンマインドすぎるよ! 曜ちゃん!」
今日はなにも起こさせるまいと、デニム地のジーンズできたのに。
ゴールデンウィークが始まってから、梨子の周囲がどうもおかしい。
これは夢か?
「もう、ダンスは分かったから、歌のチェックをします」
「ほぁーい」
曜は地面に置きっ放し&クリック音流しっ放しの電話を一瞥すると、真顔で息を吸い、歌い出した。
「……うん」
アインザッツの思い切りのよさ、ピアニシモとフォルテシモの声量の差、音程の維持など、ツボは押さえている。歌詞はまだ覚え切れていないのか、鼻歌になったり口ごもって半笑いになったりもしているが、歌のクオリティとしては及第点だ。
「いいと思うよ……」
梨子が呟き、曜の歌がとまる。
「どしたの?」
「ごめん、うん……」
花丸の歌を聞いた後だと、どうしても物足りなく感じてしまう。比較するのは悪いと分かってはいるが、現状は「頑張っているが上手くはない歌」だ。
「『テクニックで踊ってる』か」
果南の言葉を口に出し、頷く。
「曜ちゃん、私が教えたこと、一回、全部忘れて」
「え?」
「歌いたいように歌ってくれる?」
「難しい注文だぞう、それ……」
曜は困惑しながらも、クリック音に合わせて口を開いた。
「『キラリ』――」
「――あっ」
梨子は思わず、歌い出しで笑ってしまった。
そのリアクションに曜も眉を寄せて笑ったものの、足で地面を踏みつつ片腕をクルクル回して歌うにつれて興がってきたのか、段々と満面の笑みが戻ってきた。あまつさえ、
「乗ってきた! 曜ちゃん、踊っちゃうぞ!」
そのまま振りを乗せてパフォーマンスを始めてしまう。もうパンツがどうこうは忘れている顔だ。
曜を踊るに任せ、梨子は一歩引く。
(元気だなあ)
輪郭のはっきりした歌声に、梨子は自然と笑顔になる。心も浮き足立ってくるようだ。
歌い切った曜は、アウトロまで踊って最後のポーズを決めたあと、
「ありがとう! ありがとう!」
と拍手をする梨子と架空のオーディエンスに、手を振って応えた。
「よかったよ、曜ちゃん」
「知ってた!」
てらいなく敬礼する曜に、梨子は安心した。
この資質こそ、アイドルに求められるものの一つかもしれない、と梨子は思う。
アイドルソングは、各人の個性を殺して歌声を揃えたり、厳粛な気持ちにさせたりする類のものではない。
ならば、必要以上に譜面の正確性を追求するレッスンは、むしろ余計かもしれない。
(やっぱり歌練習も、私がいなくても平気だね)
ようやくその話ができそうだ。
なにしろ昨日、千歌の家から解放された時には、埃まみれのはたきのようにぐったりしていたのだから。
「あのね、曜ちゃん。私、今週末で――」
電話が振動する。梨子のものだ。
「――ごめん、誰だろ」
内心舌打ちして画面を見ると、“津島さん”の文字とゴスロリ姿のプロフィール写真が映っていた。
「ヨハネさんだ。ちょっと待って――」
「――あ、私、もう行かなきゃ!」
「え? あ、曜ちゃん!」
曜はスクールバッグを肩に走りながら、梨子に手を振る。
「よかったら飛込、見学していきなよ! それでは、さよならであります!」
「あ、ああ……」
また言えなかった。
梨子は勢いよく俯き、思い出して電話に出る。
「はい、桜内です」
反応がない。
「もしもし?」
いや、荒い息遣いが聞こえる。
まさか、善子が変質者に捕まり、成人向け同人誌みたいな目に遭っているのか?
それは杞憂だった。
ややあって、スピーカーの向こうで風と衣擦れの音がして、後輩の声がした。
「聞きたいこと、あるんだけど」
*
「来ちゃってよかったの?」
「もちろん――」
ずらりと並ぶ水色の座席の端に座っていた桜内梨子は、階段状の通路を下りてきた後輩を振り返り、
「――どうしたの、津島さん」
眉をひそめた。
「その服……っていうか、髪っていうか」
ゴシック&ロリータ服はフリルがめくれてグチャグチャになり、頭の上のシニヨンもほとんど崩壊していた。まるで突風に立ち向かったかのような有様だ。
「ちょっと、ここ座って」
「いいよ、汚いから」
「いいから!」
梨子は後ろの座席に回ると、一段下の席に座わった善子の髪を持ち上げる。髪は汗で滲んでおり、その下に隠れたシャツもスカートも濡れていた。
運動していたのか? わざわざこんな服に着替えて?
疑問に思ったが、口には出さない。
飛込台の上に立った曜がこちらを指を差し、梨子は手を振って答えた。
水影揺らめく沼津市立総合水泳場のドームの下、競泳プールに隣接した飛込プールでは、十人前後の男女が代わる代わる飛び込んでいる。曜もその中の一人だった。
反響するバタ足の水音と笛の音、プールサイドいる顧問らしき人々の声を聞きながら、梨子は善子の髪をハンドタオルで拭く。
電話を受けた梨子は、暗い声の善子をなだめ、このプールに呼んだ。あまり大っぴらに話をしない方がいいだろうと考え、屋内の見学席を指定したのだ。
「さっきも言ったけど、一長一短で体力はつかないよ」
一度抜いておいたピンで、くるくる巻いた髪をとめる。
「はい、できたよ。ちょっとズレちゃったかも」
「……ありがと」
「うん」
善子に一つ奥に詰めて貰い、隣に座る。
「さっきはごめんね。もう少し言い方、考えればよかった」
「構わないわ。堕天使の道は受難の道。荊の冠を抱きし乙女は、常に傷の痛みに耐えねばならないのよ――」
いかにも強がりな堕天使モードに、梨子は苦笑するだけで二の句が思い浮かばない。
その気まずい空気をごまかすように、
「花丸も泣かせちゃったしさ」
と善子は呟き、飛込台へと目を向けた。
海水パンツの男子生徒が踏切り、身体を捻りながら落ちていく。ばしっ、と音を立てて水飛沫があがり、遠くの雨のように、水滴が落ちるまぶしい水音がする。
「歌、上手かったなあ、花丸」
「ほんとにね」
果南の正確さとは違う上手さだった。聖歌隊に入っていると聞いていたが、長い間、歌に親しんできたのか容易に想像できる歌声だった。
「体力付けるって、どうすればいいと思う? 道系? 水泳?」
「道? あ、合気道とか? それこそ一朝一夕じゃ無理だよ。やるなら、毎朝の走り込みとかじゃない?」
「やっぱそういうタイプか……。鍛えるしかないわよね」
善子が前の座席に顎を乗せた時、飛込台に曜が上がってきた。
プールサイドより高い位置から始まり、段々に上がっていく見学席の上の方にいて、飛込台はそれより高い。
曜は飛込台の先端に立つと、こちらに手を振り、気軽な調子で踏み切った。足をお腹に抱え、くるくると逆回転して落下していく。
おそらく、いつかパラパラ漫画で見せてくれた曜の必殺技、≪前逆宙返り三回半抱え型≫だ。“おそらく”というのは、曜の動きが速すぎて、何回転しているのか分からないからだ。
ブランキアに変身していれば、分かるだろうか。
そんなことを考える間に、ぱさっ、と小さな音と共に低い水飛沫が立ち、周囲のどよめきが聞こえた。
「すごいよね、曜ちゃん。一〇メートルの高さから飛び降りるなんて」
梨子の言葉に、善子の長い睫が上下に動く。
「私、あんなこと絶対できないよ」
「なに言ってるのよ。やったじゃない、中庭で。もっと危ないこともさ」
善子は鼻で笑って言った。
「それは……無我夢中だったし」
「できるんじゃん」
「ん……」
善子が横目で見てくる。
「リリーはさ、なんで仮面ライダーになったの?」
「もう、なんでリリーって言うの? 小原先輩も、津島さんも」
梨子は言いながらも、周囲に人がいないことを確認する。
「理事長代理はああ発表したけど、ブランキアって本当は、仮面ライダーじゃないんだよ」
「へ?」
善子は初めて表情を崩した。そういう認識なのだ、と梨子は苦笑で返す。
「今年の初めに船の事故に遭って、助かったら変身できるようになっちゃっただけなの」
「事故?」
「うん。沼津にだって、その検査で来たんだから」
そのはずだった。
なにもしなくていい、一箇月程度の検査が終われば解放される、と。
「でも、入学式の時、来てくれたじゃない。戦うつもりだったんでしょ?」
「シャイニーの準備が整う前に、フォーメアが出てきちゃったからね。先方から電話で、行ってくれって」
「それで、戦ったの?」
「みたい」
「みたい、って」
「それこそ、無我夢中なんてレベルじゃなかったから。変身したのも覚えてない。あとで曜ちゃんに映像を見せてもらって、本当に自分が戦ってるって驚いたくらいよ」
「なんだ、じゃあ資質なんてないじゃない」
善子が呆れたように声を上げ、その通りだ、とまたしても梨子は苦笑する。
千歌や曜を助けたいと思ったから、その力があったから、手助けをしていた。
それだけでしかない。
「私は、仮面ライダーが本格始動するまでの、ただの繋ぎ。だから、ブランキアの出番はもう終わりなの」
「だから帰るの?」
息がとまる。
不意打ちだ。
「知ってたの?」
「資質のない人間に、出番はないの?」
善子は問いを重ねる。
梨子へではない。
見開いた目を、プールへ向けて。
梨子は眉を緩めて俯いた。
仮面ライダーとしてのブランキアに、もう出番はない。
戦うために作られたシャイニーと、自分から戦う力を掴んだ千歌、誰かが変身しているか不明の龍駒、そして花丸が操るロリポリもいる。
これだけ手が揃えば、フォーメアの活動範囲が広くても、まったく対応できないことはないだろう。テレビの発表では、さらに九人の仮面ライダーの計画があるのだ。仮面ライダーに“なってしまった”自分が抜ける影響など、あるわけがない。
スクールアイドルだってそうだ。
歌詞を考えてみんなを引っ張る千歌、衣装を考える曜、それを作る善子、ダンスを考えるだけではなく歌もうまい花丸。それに、冷静な助言のできる果南、理事長代理としてサポートしてくれる鞠莉もいる。もう余程のことがない限り、一五日のライブで実績を残せるのは間違いない。
ひとたび部活として動き出せば外部サポートも解禁されるだろうから、ルビィも衣装制作に入るだろう。全体の質が高ければ、作曲に手を上げる人も出てくるはずだ。
あの子たちの遠慮のないスキンシップを甘受する誰かは、ちゃんと現れるはずだ。
誰かと手を繋ぐこともなかった私にだって、そうしてくれたんだから。
「私の出番は、もう終わったのよ」
梨子は顔を上げ、善子に笑いかけた。
「そんな顔、しないでよ」
善子は眼を背けた。
「どうしたの?」
「泣くなら、涙くらい流しなさいって言ってんのよ」
頬に触れる。
涙は流れていない。
笑っているはずだ。
違うのか?
「梨子さんはなにがしたいのよ」
「私は、ただ、千歌ちゃんと曜ちゃんの手伝いが――」
「――あんたはなにをしたいのよ!」
立ち上がった善子が怒鳴り、梨子はその背中を見上げる。
「ルビィも、ダイヤさんも……あんたも」
善子は座席を飛び越えると通路に出て、梨子の背後に消えた。
走り去る音が遠ざかる。
「どうして?」
嬉しいはずだ。
仮面ライダーに、浦の星女学院のスクールアイドル。
その立ち上がりの手伝いに、自分が関われたのだ。
居場所をもたない自分が。
東京と内浦の間で、音ノ木坂と浦の星の間で、人間と怪人の間で、泡のように不確かな自分が。
ただの検査旅行に、これ以上の成果があるか?
だから、これは笑顔のはずなのに。
「どうして?」
自分の顔が分からない。
これなら仮面を被ってる方がましだ。
*
時計が零時を回り、木曜日になった。
「休止モードの実装、目処は立ったようですね」
端末に届いた久しぶりにいいニュースに表情を緩めながら、依田義森は静岡OGI本社三階の自分のオフィスに入った。
ラップトップマシンを復帰させ、二〇通ほどの新着メールから一通を開き――
「だから言ったのですよ!」
――思わず毒突いた。
四月二五日に鞠莉に指示され、四月二六日に提出したシャイニーMark IIIの開発プランの稟議書が、最終決裁権者たる役員会に拒否されていたのだ。
「いや、落ち着け……。落ち着きましょう」
意識せず口に出る言葉を耳にした時、いつからか流しっ放しだった環境音楽に気付く。停止し、背もたれを深く倒して眉間を指でおさえる。
龍駒が現れた日から八日、ほとんど眠れていない。
散発するフォーメアによる人的被害は、仮面ライダーの活躍でゼロに抑えられていた。それ自体は喜ばしいことだ。
だがその実態は、義森が想定したものではなかった。“仮面ライダー”が差す対象は今や、OGIグループが≪メルシャウム群≫と呼称していた領域を含み始めてしまった。ブランキア、ワンダ、龍駒と名付けられた個体の存在感が、世間や社内で日に日に増していくのは、もはや誰にも否定できない事実だった。
そして、本来その名が冠される唯一の存在だったはずの≪ラギダイザー計画 試作μ-6型≫――シャイニーは、危機的状況にあった。
義森を悩ませているのは、ここ数日で問題視され始めた「シャイニーの継戦能力の低さ」だった。
初戦においてシャイニーは、ハンドガン型リーダー≪エウリュス≫を使って、ロリポリ・フォーメアを一方的に撃破した。だがパイルアップ・フォーメアと龍駒との連戦では、μ-フォームの強力な破壊力と引き替えに一回使い捨てのエウリュスと、フォーメアや他の仮面ライダーの攻撃を防ぎきれない装甲、二つの問題点が歴然としてしまったのだ。
「あの子はそういうものだと、分かっていたはずです」
二〇一一年三月の時点で、義森はどちらの問題も把握していた。だから義森は最初にフルスペックの仕様書を書いたのだが、次にいつ現れるか分からない、強さの上限も不確定な“怪人”に対抗するための高すぎる理想は、当然のように決裁されなかった。μ-フォームの基礎研究も未熟だった当時では、実装など夢のまた夢の性能を求めているのも分かっていたが、それでも必須の仕様だったのだ。
ゆえに現行技術のみを使用した
それを今さら、「ラギダイザー計画 試作μ-6型 3号機がメルシャウム群に対抗可能な性能基準を満たすか不確定」だと?
一被検体として廃棄されるはずだったブランキアの、「外部拡張系μ-フォームの素体としての活用プランが必要」だと?
「どこまで僕らをバカにすれば――!」
しかし、義森が声を荒げる場が防音ガラスの中なのは、反論しようのない不備も指摘されていたからだ。
その一点は、シャイニーのバックルが龍駒の攻撃で破壊された件だ。
バックルはバッテリー残量表示機能が目を引くが、本質はシャイニーの基幹システムを収める筐体だ。中でも、
それが破壊されてしまった。結果、もっとも必要だった正体不明たる龍駒のデータは得られず、次回も同じ負け方をする可能性を拭えなくなってしまったのだ。
そんな重要な部品がなぜ、腰部前面のベルトバックルにある設計なのか。
対外的には「将来的にフォーマライズ技術によるスーツおよび装甲の生成システムを実装するにはベルトが最適」と説明し、承認も得ていたが、実際は、設計者たる義森の趣味だった。幼少時代に見ていた特撮ヒーローとしての『仮面ライダー』における、“変身ベルト”の引用なのだ。今回の件は、S-ユニットがモニターした「想定の一四〇パーセントの荷重」で説明したが、このまま放置できる問題でもない。
もう一点は、なぜシャイニーが、あの状況下でバカ正直に殴り合いを続けたのか、だ。
S-ユニットは、鞠莉がロリポリの援護を断った声を聞いていた。追加で投入されたエウリュスも、あの近距離なら照準システムなしに左手で撃てたにもかかわらず、鞠莉は使おうとしなかった。
結果、龍駒のムチで拘束された右前腕は装甲はおろかアンダースーツが分断される寸前、上半身の基本装甲は大破、一式まとめて数千万円に及ぶ損害を被った。それだけの破壊のフィードバックがブラックボックスの破損で得られないとなれば、シャイニーの装着者である鞠莉の適正も、彼女を管理する立場のS-ユニットとの在り方さえも、疑問視されてしまう。
義森やS-ユニットだけでない、シャイニーの在り方自体の責任問題になりつつあるのだ。
どうすればいいのか。
溜め息混じりにキーボードを叩いて稟議結果メールを閉じ、
「ん?」
別のメールに意識が向いた。
OGI研究所病院に申請した資料の閲覧許可が承認されたメールだ。東京に戻る直前であるはずの桜内桑介が、沼津で提案書を提出したと聞き、気になっていたのだ。
アドレスを辿って資料を開く。
それはフォーメアの個体識別情報を収集する、携帯電話用の短距離レーダーの仕様書だった。
技術者の桑介が書いただけあり、既存技術と携帯電話基地局の更新で実装可能なプランが書かれている。数箇月の間に業務用機器の認可を得て、一般販売とOGI製携帯端末への搭載も目指しているようだ。将来的には情報収集だけでなく、電話で送信したフォーメア情報をサーバーサイドで処理し、即座に結果を返す仕組みも想定もしている。
「これが、桑介さんの提案ですか」
苦虫を噛み潰したような笑顔で、義森は細く細く息を吐く。
このシステムがフォーメア検出ネットワークを作り出し、それが将来のライダーシステムの要の一つになるのは容易に想像できた。
いや、仮面ライダーという仕組みを外側から括ろうとしている、といってもいい。
これならOGI研究所に引き抜かれるのも当然だ。
「『これといった成果は上げてない』……。よく言えたものですね」
高鳴る心音を意識する。
袖机の引き出しを開け、手のひらサイズの拡声器を取り出す。いや、拡声器を模した特撮番組の玩具を。
今は雌伏の時だ。
ブランキアに関する一箇月間の実験で、メルシャウム群のデータは粗方集まった。
シャイニーは世間的な認知度と共に、逐次追加される機能により≪人体ラギダイズシステム≫としての評価も受けつつある。
μ-フォームの研究機関であるOGI研究所病院の存在は、メルシャウム群の性能の推測精度を向上させると共に、シャイニー全体をμ-フォームと水から生成する技術の確立にも繋がるだろう。
ファームウェアの刷新計画も、高海美渡という新たな才能をベースに、今まさに進捗している。
別ラインで始まっている「≪黒澤鋳物≫の複合装甲と≪OGI Lay On≫の耐環境コーティングの相乗効果について」の成果物だって、プロトタイプが来月に完成する噂が聞こえてきているのだ。
それらがすべて組み合わさった時、単なるマイナーアップデートではない、真に革新的な≪Mark III≫が誕生する。
その時、この依田義森のヴィジョンが世界に認められるのだ。
ならば今は、諦めるわけにはいかない。
「黒澤の力まで借りるの癪ですが……仕方ないでしょう」
義森は玩具の拡声器を構えると、自身を取り巻く磨りガラスのパーティションに向けてトリガーを引いた。