仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第一〇話:傷付けたって構わない - 4

   B

 

「フォーメーション?」

 ピンときてなさそうな曜を前に、国木田花丸が咳払いをする。

「今みなさんは、渡辺先輩が考えた振り付けの通りに踊れるよう、それぞれ練習していると思います」

「花丸ちゃんも一緒に考えたよ!」

 曜の小声の補足に、花丸は微笑んで頷く。

「本番は三人が並んで踊ります。その振りも考えないといけません」

「そうなの?」

 曜が振り返ると、千歌は「そうだよ。ね、梨子ちゃん」と水を向けた。

「え? あ、うん……。ごめん、なんの話?」

「フォーメーションの話だってば!」

 曖昧に笑った梨子に千歌が口を膨らませ、花丸は曜と目を見合わせて苦笑する。

 森の中で練習した昨日と違い、花丸たちダンス組は、十千万の目の前に位置する三津海水浴場に集まっていた。今日は果南が海に出ているのでおらず、代わりに千歌がいる。というより、昼前後に仕事の手が空く千歌が練習に参加したがったため、花丸が内浦までやってきた格好だった。

 梨子が現状確認に各セクションを回っていると知った花丸は、昨夜、千歌と曜のダンスの出来を問い合わせてみた。すると、千歌から通しのダンス動画が着信し、それなりに踊れるレベルに達したと分かったので、次のステップに進まねばならない、と考えたのだ。

 だが善子は誘えなかった。体力の件もさることながら、学校のチャペルで見せた怒りを思えば、リスクが大きすぎた。

 それでも残り一週間しかない以上、グループ全体で立ち止まっているわけにはいかない。自分にできるのは、いずれ追いついてくる善子のために、鬼火を消し、真の道を示すことだけだ。

 花丸はもう一度咳払いをして、注目を集める。

「たとえば三人並んで手を下から上げる振りは、大きく分けて三つに分類できます。上げた手が同じ方向を示す場合、前方で交わる場合、後方で交わる場合です。それぞれ、総体として喚起する印象が変わります。μ'sで言うなら『START:DASH!』の最後が典型ですね。三人が一点に向けて手を伸ばす振りが、迷いを脱して一つの未来を目指す、三人の意思を象徴しています」

「腕が短い穂乃果さんが辛そうなのがポイントだよね」

「ポイントじゃないずら」

 曜は単語カードのつづりに、メモを取って聞いている。

「細かい動きだけじゃなくて、舞台を広く使って近付いたり離れたりする時も、左右がどの程度のスピードで動くのか、前に行くのか横に行くのか、中央がその間なにをしているのか、一人ずつ変わってきます。また、『僕らは今のなかで』の冒頭のように、動くメンバーと動かないメンバーで別れる振りもあります。九人の群舞ならではの醍醐味ですね」

「中央で立ち止まってキリッとしてるの、気まずそうだよね」

「気まずくないずら」

 細かく茶々を入れてくる千歌の横で、曜は首を縦に振る動作をしている。

「曜ちゃん、どう? 分かる?」

 梨子が問いかけると、

「ごめん、全然ピンときてない」

 曜は片目を閉じて眉をしかめた。

 アイドルの勉強をしているとはいえ、さすがに各曲までは分からないようだ。単語カードを睨んで固まっていれば、花丸にもそれは伝わった。

「じゃあ、まず三人で踊ってみましょう。私はカメラで撮ります」

「オッケー」

「三人? 私、踊れないよ?」

 梨子の言葉に花丸は答えず、太陽を指差すように右手を軽く持ち上げ、呼吸を整える。

 握りと開きの中間の手のひらに意識を集中し、目を閉じる。

 手の中に太陽の穏やかな温もりを感じる。

 空気の流れにハミングのような音が混じる。

 皮膚をつつく感触が手の中に生まれ、やがて天日に晒した井戸水のような、心地よい温さが取って代わる。

「ポリちゃん、Come(来て)!」

 手の中に現れた本尊――μ-フォームがすっ飛び、海水浴場の海へと落ちた。

「ウソ!」

 千歌が声を上げる中、ぼこぼこと白く泡立つ海水から立ち上がったのは、黒光りする甲殻を背負った身長二メートル弱のダンゴムシ怪人。

「ロリポリ・フォーメア!」

「いいの!? 花丸ちゃん、これ!」

 初対面の千歌が砂に尻餅をつき、梨子が周囲に目を向ける横で、

「久しぶり、ポリちゃん!」

 曜はロリポリの背中に抱き付き、顔を押し付けた。泡でできた殻に頬のあとがつく。

「へ、平気なの? 曜ちゃん。それ……フォーメアでしょ?」

 立ち上がった千歌は、逆立ちの格好になったロリポリの前面を、舐めるように見ている。

「フォーメアだけど、ポリちゃんだよ」

 共にパイルアップと戦った曜はそう言ったが、当然ながら千歌と梨子は警戒したままだ。

「ポリちゃん。オラのお願い、聞いてほしいずら」

 花丸が顔になっているお尻の部分に言うと、ロリポリは曜を背中にしがみつかせたまま歩いていく。

 そして、一メートルほどの護岸コンクリートを背にして整備された、ウッドデッキの上に立った。

「高海先輩、お願いします」

「え?」

 曜もロリポリの背中から飛び降りて、「千歌ちゃん、早く!」と呼んだ。

 そこまできて、千歌もロリポリが“三人目”だと気付いたようだ。

 デッキの上に、千歌を中央に、向かって右に曜、左に善子の代わりのロリポリが並んだのを確認して、花丸は電話の電子メトロノームを起動した。

「では頭から、踊りだけで。いち、に、さん、し、いち!」

 花丸の拍で、三人は一斉に踊り出す。

(うん、いい感じずら)

 ダンスは綺麗に揃っていた。

 曜は当然のように完璧だが、千歌も悪くない。「難しい」「大変だ」「疲れた」と文句の多い先輩ではあるが、踊れるレベルでは安定している。

 なにより、二人とも楽しそうだ。

 曜は午前中にルビィの水泳の特訓をしてから来たそうで、表情も動きも心なしか活き活きしているし、千歌もゴールデンウィークの二日間で溜め込んだストレスを発散しているせいか、動きに遠慮がない。同じ振り付けながら、動きのシャープな曜に、重心が低い千歌と、個性も出ている。

 二人のベースにあるのが、長年培ってきた高飛込と空手を基盤とする肉体への自信なのは、間違いない。そこに一番近いのは、高校三年生にしてダイビングインストラクターのライセンスを持つ、果南だった。

 幼馴染みでもある三人が踊る当初の想定であれば、一週間後のライブも問題はなかっただろう。だがそれは、体験入学生の梨子が部員に数えられない問題に、人数合わせで入った鞠莉と果南の不仲疑惑問題が続き、叶わなくなってしまった。

 結果的に、ゲームと動画生配信を趣味と公言する善子が、裁縫要員から果南の穴埋めという正反対の役割にシフトすることになってしまったのは、不幸としか言いようがない。

 だが事情はどうあれ、善子を曜たちと遜色ないレベルに到達させなければ、ライブの開催そのものが危ぶまれる。

 あと一〇日間で、どこまで善子が自分を鍛えられるか。

 花丸は現状を、そう考える。

 太極拳で身体を作り、ロリポリに躍らせられるレベルで振り付けを記憶している自分は、数に入れていない。

 

   *

 

 曲が終わり、国木田花丸は録画をとめた。

「決まったあ!」

「いえーい!」

 最後のポーズから復帰した先輩二人が声を上げ、ロリポリとハイタッチする。

「やるじゃん、ポリちゃん!」

「当然! この曜ちゃんの命の恩人だもん!」

 たった一曲のダンスで千歌は、ロリポリと打ち解けてしまったようだ。曜と一緒に、七対の足が折り畳まれたお腹をくすぐっている始末だ。

 ロリポリもそのままひっくり返り、足を展開してされるがままだ。花丸が飼い犬のパフェにする構図と大差ない。

「二人とも、フォーメーションの話だよ」

 梨子が言うと、二人は笑いながらロリポリから離れた。

「それでどうなの、花丸ちゃん!」

 花丸は録画したダンスを電話の画面に出すと、ウッドデッキに腰を下ろして、やってきた二人に見せた。背後では、仰向けのロリポリがなんとか姿勢を戻そうと、足をわさわささせていたが、市内の方から走ってくるクルマの音に驚いたか球体になってしまった。

「まずダンスに関しては、二人とも問題ないと思います」

 そして生唾を飲み込み、続ける。

「正直な評価では、渡辺先輩は一〇〇点、高海先輩は七五点です」

「うっ。意外と辛辣だね、花丸ちゃん」

「で、でも、水準は超えてます! 二人は問題ありません!」

 花丸が慌てて付け加えると、思案顔だった千歌は笑顔に戻った。

「ただ現状は、個人が三人並んで踊っているのと同じです。足し算、一七五点です。これを“一つのユニット”にして、かけ算、つまり七五〇〇点にするのが、フォーメーションの目的です」

「ユニット! そうだよ、その単語だよ! アイドルっぽいよ、花丸ちゃん!」

「え、そうなの?」

「そのつもりで使いました」

 普段なら“一単位”と言っているところだ。

「なんか今、初めて私、『スクールアイドルになるんだ!』って思ったかも!」

「そのポイントなかったの? 今まで。曲ができた時とか」

「デモの時は『梨子ちゃんが歌ってる!』だったし、編曲は私だしなあ」

 また話が逸れてきた。

「とにかく、検討しましょう。要所要所に三人のポーズを入れれば、自然とユニットらしさが――」

 ――と電話の振動音がした。

 花丸は先輩たちを見回す。

「梨子ちゃん? 出ないの?」

 受信者はすぐに分かった。バッグから出した電話の画面を、梨子が無表情で見ていたからだ。

「ごめん、進めてて。……もしもし」

 梨子は電話を耳に当てて、離れていく。

「ねえ、梨子ちゃん、どうしたの?」

「どうって?」

「なんか、さっきから上の空じゃない? 昨日プールで会った時は、あんな感じじゃなかったんだけど」

「一昨日採寸された時は、別に普通だったよ?」

「なにかあったのかな、その――」

 曜は一瞬、花丸を見た。

「――アレでさ」

 花丸は顔を上げ、

「あ、ポリちゃん、どこ行くの!」

 砂浜に七対の足跡を残してずるずると進む、ロリポリに声を投げた。

「ごめんなさい、ちょっと待っててください!」

 先輩たちに頭を下げ、ロリポリを追う。

「もう、ダメだよ、ポリちゃん!」

 二人の声が聞こえない距離まできたところで、ロリポリは歩調を落とした。

 もちろん、花丸の意思通りだった。

 曜の態度に、二年生の三人が共有している秘密の存在を感じれば、気を遣わせるわけにはいかない。

 黒く光るロリポリの背中を撫でながら、花丸は曜たちからさらに離れる。

「そりゃ、オラは振り付けを手伝うだけのオマケだもん。仕方ないずら」

 その時、遠くでバイクのエンジン音がした。

 

   *

 

 前腕が燃えるように熱い。

 押し潰されていた気管が苦しい。

 頭が爆発しそうだ。

 遠ざかっていた五感に、硬いものが崩れる音と、硬いものが捻じ曲がる音が届き。

 それ音が収まり、米神を打つ心音が聞こえてきた頃、肩を掴まれた感触に身体を震わせた。

「下がってて」

 津島善子は気付けばフローリングに尻餅をついて、もうもうと舞い上がる埃で際立つ日光を見ていた。

「こちらKIST-4、護衛対象はいない」

 その中を、黒服のボディガードが部屋の中を走り回っては、押入れを無造作に開けたり、勉強机の下を覗き込んだりしている。

 視聴覚情報と記憶の照合ができるところまで回復した頭が、その人物を認識した。一昨日マスカミの面を渡した、リトルデーモン八号だ。

「繰り返す、護衛対象はいな――お前がどう言おうと事実は変わらない」

 マスカミは壁際の瓦礫を慎重にまたぐと、ベランダに出て居間の方に行ってしまった。

(瓦礫?)

 そして惨状を理解する。

「あ……ああああ!!!!」

 ベランダに出る二枚のテラス窓は、完全に失われていた。それを囲っていたサッシは繊維壁とモコモコした断熱材と共にベランダに散乱し、辛うじて窓の縁しがみついたカーテンレールから、吊り下げるべきカーテンを失ったランナーが畳の上に流れていく。

「どうすんのよ、私の部屋あ!」

 ベランダの手すりは外側に捻じ曲がり、天井と床の一部も破壊されているので、すでにアパートレベルの問題だ。

 善子はよろりと立ち上がり、壊れた壁をよけて窓に近付いた。

「……堕天使ヨハネの立方結界を打ち砕くほどの強大な魔物――私が本気を出さなければならない時が来たようね――」

 堕天使モードで強がってはみたが、狭い小道を挟んで向かいに立つ一軒屋の下屋瓦屋根に大穴が開き、真上の二階部分の外壁と内装が危ういバランスで空中にあるのを見れば、現実逃避の限界を感じざるを得ない。

 だが次の瞬間、善子の現実と逃避的妄想は、すべて吹き飛んだ。

 一軒家の二階部分が崩れ、煙が吹き上がったその向こうに、その人物が立っていたからだ。

「ラズリ・フォーメア……?」

 真珠のように光沢のある白い服と羽織のケープをはたいて、怪人は下屋に足をかけた。

 過呼吸のように腹を震わせ、善子に気付いてもいない。

 視線は、善子の上を見ていた。

 崩れた屋根の断面から水平に直立している、黒い塊を。

 先端から二つにまとめた髪を垂れ下げた、真っ黒な布に包まれた筒状のものを。

 萌黄色のワンピースに鎖のようなベルトを締めたそれは、善子のよく知る顔をしていた。

「ルビィ……?」

 ラズリが笑い出した。

 腹の底で沸騰していた喜びが、やっと口まで届いたように。

「来なさい! ルビィ!」

 黒い塊が消えた。

 次の瞬間、黒い霧が――小さなコウモリが矢のような早さでラズリに殺到。

 赤い裏地のマントを翻すルビィの形が現れ――

「え」

 ――その貫手がラズリの胸を貫いた。

 息を呑む間もなかった。

 ラズリの首が前に折れ、腕から力が抜ける。

「や……った?」

「いいえ」

 ラズリの指がルビィの腕を掴み、瞬時に白く泡立った塊に変化する。

「こういうのを求めてたのよ、ルビィ。でも!」

 ルビィの横顔を覆うマントの襟に、ラズリの腕だったものが食らいついた。

「言ったでしょ、私たちは泡なのよ!」

 それは木の枝に産み付けられた、カマキリの卵のように、ルビィの頭を丸ごと包んだ。

 遅れて、ラズリだった胴体、脚、頭も、じわじわと崩れ、ルビィとマントを蝕んでいく。

「やっぱりダメだ、マスカミ! マスカミ!」

 ようやく善子が黒服を呼ぶ。

「ムダよ。この子は私の手の内なんだから」

 抱き付くように襟に寄生したラズリの頭が、善子を見た。その顔に浮かぶのは、勝者の余裕だ。

「まだ勘違いしてるのか」

 だから善子は、その言葉が誰のものか分からなかった。

「ルビィには戦わせないぜ」

 ルビィが再びコウモリに分裂し、ラズリの部品が切り裂かれる。

「ウソ!」「でしょ!?」

 半分になったラズリの頭がそれぞれ叫び、それを無視したコウモリの群が空に舞い上がった。

「ウソでしょ」

 ラズリと同じ台詞を口にし、善子は呆然と空を見上げる。

 そこに、ベランダからマスカミが戻ってきた。

「なにがあった」

 マスカミは状況が終わった後の窓の外を見回し、善子に問うた。

「今の見てなかったの!? ヴァジュリオンみたいにコウモリに分裂して、ラズリと一緒に飛んでっちゃったのよ! たぶん、ルビィが!」

「君はなにを言ってるんだ?」

 マスカミは黒服としての時には見せないだろう、訝しさ一〇〇パーセントの顔を善子に向けた。側面の道路に出てきた別の黒服や野次馬が、空を指差し、見上げているにかかわらずだ。

「私だって分かんないわよ、私だって――」

 言いながらルビィにコールするが、予想通り、反応はない。

「――出るわけないか……ルビィ」

「いや、お嬢様が巻き込まれたのは確かなようだ」

 マスカミはまたイヤフォンとマイクでなにかを話した。

「ここにいろ、すぐ黒澤家の人間がくる。あいつは俺たちが追う」

「は? ちょっと――」

「――リトルデーモンは終わりだ」

 言い切り、マスカミは廊下へ出て行ってしまった。

「ちょ、待ってろっての!? マスカミ!」

 追いすがろうとしたが、実際のところ、どうしようもないことは分かっていた。

 善子は堕天使ではないし、仮面ライダーでもない。戦う訓練だって受けていない。

 現場を撮影するくらいが関の山、ノコノコついていったって邪魔になるだけだ。

 俯いた時、瓦礫の陰になにかが見えた。

 拾い上げる。

 それはコウモリのぬいぐるみだ。

 善子が衣装を作るかたわらルビィが作っていた、紫色の丸っこいぬいぐるみ。

「待ってられるわけないじゃない!」

 ぬいぐるみをポケットにねじ込み、玄関に走る。

 電話の画面に指を走らせ、連絡帳にその名前を見つけてコールする。

「花丸!」

 花丸がロリポリ・フォーメアという怪人を使役している、との噂をSNSで見かけたことがある。

 直接聞いたことはない。ただの噂かもしれない。

 でも、その力を借りられるなら。

 靴を履いていると、呼び出し音が途切れた。

「もしもし、国木田です」

 その硬い声を電話越しに聞いて、しかし善子は戸惑ってしまった。

 ルビィのことで頭がいっぱいになっていたが、善子が心無い言葉で花丸を泣かせてしまった件はなにも解決していない。それどころか、今朝も教会で花丸に酷いことを言ってしまったのだ。そのことに関する心構えもしないままに電話をかけたことに、善子は後悔した。

 首筋の締められた跡が疼く。

 痣になってしまったらどうしよう。

 このまま電話を切ってしまいたい。

「もしもし? ヨハネちゃん?」

 だがその控えめで不安そうな声に、先ほどのルビィとの会話が蘇る。

 花丸も、善子の方が怒っていると思っていたら? お互いに距離を測ってるだけだったら?

(ああ、もう!)

 靴をはき終えた善子は立ち上がると、お団子のない頭をかく。

 玄関のドアを開け、共用廊下を走る。アパートの住民はすでに避難したようで、敷地内に人気はない。

「花丸、よく聞いて」

「う、うん、ヨハネちゃん」

 階段を駆け下りる。

「ルビィが危ないの。あんたの助けがいると思う」

「それって――」

 その時、電話が耳元で緊急速報を鳴らした。

「――うわ!」

 思わず声をあげ、口を押さえる。黒服たちは側面の道路で近所の住民と話をしている。部屋で待っていろと言われた善子が、外に出ているのを知られたらまずい。

「戦える……のよね?」

 一瞬の間。

「うん」

 ハッキリとした肯定に、善子は唾を飲み込んだ。

「場所はまた連絡するわ」

 身をかがめて駐輪場に向かうと、軽快車の鍵を外し、正面の道路に出る。

 遠くの空に、ルビィと思しきコウモリの群れが見えた。進行方向はほぼ真西。

「よし、行くわよ、善子!」

 中学校からの足である自転車に飛び乗ると、善子は重いペダルに体重をかけ、力一杯こぎ始めた。

 

   *

 

「桑介さんからお話は聞いております。無理にとは言いません」

 依田義森は、電話の向こうの言葉少なな少女の顔を思い浮かべる。

 名乗りはしたが、おそらく自分の声と名前は紐付いていないだろう。番号から、入学式の日にバイクで移動中の彼女に電話をした人間だと分かるだけだ。

「シャイニーは準備を進めていますが、先日の戦闘の修理が終わっておらず、直接交戦はできない状況です。龍駒とワンダとは連絡がとれません。我々が頼れるのは梨子さんしかいないのです」

 そこまで言って、唾を飲み込む。

 スピーカーフォンにした端末に、その音は届いただろうか。

 義森が黙ってしまえば、義森の耳にはラップトップマシンの排熱とオフィスの空調の音しか聞こえなくなる。

 磨りガラスで区切られたオフィスに沈殿する、沈黙の音しか。

 もう一度唾を飲み込む。

 左手の指がデスクの天板を小刻みに撫で、右手の指がタブレットの環境音楽の再生ボタンに伸びる。

 できれば納得してほしかったが。

 やはりダメか。

「場所はどこです?」

 沈黙が破られた。

 息をとめる。安堵の息を吐くのはあとだ。

「沼津市内、おそらく駿河湾沿岸に向かっています。詳細は追って連絡します」

「分かりました」

「私も援護に向かいます。失礼致します」

 電話を切り、総務に内線をかける。

「鞠莉さんはどちらにいらっしゃいますか? ……はい、通信インスタンスを送ってください」

 アタッシェケースを手に、義森はオフィスを飛び出した。

 

   *

 

 義森との電話を終えた桜内梨子は、どろどろ、と唸りを上げて近付いてくるエンジン音を耳にしたまま、動けないでいる。

 またしても、出番は与えられた。

 あとはOGIが起動したバイクに乗って、現場に向かえばいい。

 それが梨子の居場所。

 なのに、足が動かない。

「もしもし? ヨハネちゃん?」

 砂浜の少し離れたから、ロリポリ・フォーメアを引き連れた花丸の声が聞こえた。電話の相手は善子のようだ。昨日の件はまだ仲直りしていないのだろうか、確かめるような声で言葉を探っている。

 その時、全員の電話がサイレンを発報した。

「フォーメア通報だ!」

 曜が木製のデッキから、勢いよく立ち上がった。

「花丸ちゃん、ポリちゃん引っ込めて!」

「市内だよ、曜ちゃん」

 千歌は対照的に、腰を下ろしたままで呟いた。

 だがそのどちらの言葉も、花丸の耳には届いていないようだった。電話を切った彼女はロリポリに頷くと、手のひらを向け、彼をμ-フォームに戻した。

 そして砂浜を走り出した。

「花丸ちゃん?」

「オラ、これで失礼します!」

 その目的は明白だった。

「待って、危ないよ!」

 国道へ上がる階段へ走る花丸の前に割って入ったのは、曜だった。

「危ないのはルビィちゃんです! オラが行かないと――」

「――千歌ちゃん?」

 曜の声の方向が変わった。

 ふらつく足で階段に向かっていたのは……千歌なのか?

「待って、ちょっと!」

「行かなきゃ」

「行くって」

 曜に肩を掴まれ、千歌は階段の前で立ち止まった。

 千歌の顔は真っ青だった。

 瞬きは不規則、で荒い息を浴びた唇もかさついている。高い日光を浴びているにもかかわらず、背中を覆う長い髪を靡かせたその表情に、初めてこの砂浜で出会った時の輝きはない。

 なのに視線だけは真っ直ぐに曜を見ている。

 それが恐ろしい。

「行かなきゃ」

「無理だって! 戦えるわけないじゃん!」

「戦う? 高海先輩が?」

 尋常ではない様子に、花丸も動けない。

 そこで、全員の注意が逸れた。

 波音が響くだけの内浦に、くっきりと浮かび上がった音に。

 どろどろ、と低音を響かせる、エンジン音に。

「あ、ちょっと!」

 千歌と花丸は国道沿いの歩道に駆け上がった。曜もそれを追う。

 そこを、バイクが横切った。

「ずらっ!?」

「無人!?」

 曜が叫んだ通り、それは無人だった。タンデムシートにヘルメットが固定された中型のオフロードバイクは、一台のクルマも通らない国道を通りすぎると、十千万の前でターンし、花丸たちの前に戻ってきた。

 ほのかに桜色を帯びたフェンダーが、前輪と共に傾き、こちらを向いた。

「なに、このバイク。自動運転なの?」

 曜はガードレールから身を乗り出し、興味津々とばかりにバイクに眺めている。

 千歌もそれに並ぶ。

 花丸は――振り返った。

 いまだ砂浜から動けない梨子を見た。

 その目の確信が、梨子に伝播した。

 花丸は階段を駆け下り、梨子の前まで走ってくると、頭を下げた。

「オラを乗せてってください」

「どうして、私が……」

 梨子が問うと、花丸は頷いた。

「あの時の音、オラは忘れません」

 あの時。

 私が覚えていない、あの時か。

「怪人のところには、ルビィちゃんがいます。たぶん、善子ちゃんも」

 花丸は手の中のμ-フォームを見た。

 彼女が言うところのご本尊は、ほのかに黄色を帯びて輝いていた。μ-フォームを発動した状態で、フォーメアを産み出させないよう制御しているのだ。妙法寺に安置されていた頃から構築された関係がなせる技だろう。彼女の資質は大きな戦力になる。

「ルビィちゃんが困ってる時は、私が手を差し伸べるんです。そう決めてるんです。だから――」

 梨子は頷いた。

「――差し伸べてあげて。フォーメーションを考えて、ね?」

 花丸は呆気に取られたようだった。

「そ、そんな場合じゃないずら!」

「そんな場合よ。ライブまでもう一〇日しかないの。これを成功させなきゃ、浦女のスクールアイドルは終わっちゃう」

「でも、オラが……」

 花丸は俯いた。

 そのまつげが光ったのが見えた。

「振り付けを考えようとして、入部してくれたんでしょ? 替えがないんだよ、国木田さんは」

「じゃあ、桜内先輩は替えがあるんですか」

「私は……」

 即答できなかった。

 「ある」と言えるはずなのに。

 どうして。

 どうしてこんなに、安定してしまったんだろう。

「ブランキアだから」

 顔を上げた花丸の頬を、涙が伝った。

 梨子は笑顔を作った。

 今度は笑えているだろうか。

「お願いね」

 梨子が花丸の横を通り抜けようとした時、

「待ってください」

 花丸が梨子を呼び止めた。

 差し出された小さな手のひらの上で、μ-フォームが小さく明滅した。

「オラの代わりです」

 ロリポリ・フォーメアを産み出す、淡く輝く球体。

 受け取ると、春の穏やかな日差しのような温もりを感じる。自然と心拍数が下がり、まどろみを覚えるような温もりが。

「ありがとう、花丸ちゃん」

 花丸は目の端に残っていた涙を拭い、頷いた。

 梨子は走りながらゴムで髪をまとめる。

 歩道に上がると、梨子も知らない仕組みでやってきた専用マシンが、エンジンを静かにアイドリングさせて待っていた。

「さすが優遇されてるよね、梨子ちゃん」

「そんなことないよ」

 ガードレールを跳び越え、タンデムシートに固定されていたグローブをはめる。まとめた髪を潰すように、ヘルメットを被る。

「梨子ちゃん」

 千歌が口を開いた。

 クリアシールドをバイザーに跳ね上げ、その青い顔を見る。

 理由は不明だが、千歌は戦える状態にない。だが、それを正面から指摘すれば、千歌は無理をしてでも戦うだろう。

「あっちは任せて。千歌ちゃんは二人をお願い」

 千歌は眉の力を抜き、次いで「うん」と頷いた。

 バイクにまたがる。

 柔らかなデニム地のパンツを通して、エンジンが産み出す泡の爆発の連続が、腹を突き上げてくる。

 待ち焦がれた梨子を、求めるように。

 曜を見、頷き合う。

 現状、もっとも冷静なのは曜だ。

 逆説的だが、それは彼女が戦う力を持たないからだろう。

 だが、そのバランスがいいのだ。

 もし梨子たち全員が戦う力を持ってしまえば、きっと――

(――ううん)

 それこそ、今考えても仕方ない。

 ヘルメットのシールドを下ろし、アクセルを開く。

 熱されたタイヤがアスファルトを掴み、バイクは梨子を乗せて急加速した。

 「ヨーソロー!」とポーズをとった曜が、千歌の肩を抱いた花丸が、バックミラーの中で小さくなっていく。

 シールドの内側に表示されたナビに、交通量はない。

「行くよ、≪ブランブロア≫!」

 梨子はハンドルを捻り、時速七〇キロで最初のカーブに突っ込んだ。

 甲高い一繋がりのエンジン音が、ミシンのように断続的な音に引き延ばされる。

 狭まっていた視野が、二〇〇度近くまで広がる。

 数瞬前の自分が、数瞬後の自分を見る。

 ブランキアを。

 直線に立ち上がった時、バイクは緑色のカウルに覆われ、さらに速度を上げた。

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