仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第一二話:誰もが一つ持ってる、勇気の欠片 - 1

   AV

 

 弱々しい電話のライトの中、鏡を覗き込む。

 酷い顔だ。

 目の下にくまが落ち、唇は荒れている。

 洗濯ばさみでとめた前髪の下には、にきびも増えた気がする。

 顧問の信代からもらったベースメイクを手の甲に出し、額に塗る。

 眠れなかった。

 美渡は仕事から帰ってこなかったから、いつもの罵声はない。

 珍しく多くの宿泊客を迎える十千万の手伝いは、明後日の本番を控えて免除された。

 気を休める夜にしてもらったのに。

 ファンデーションを、パウダーパフに少量こすりつける。

 背中まで伸ばし放題の髪を持ち上げ、頬に撫で付ける。

 眠れなかった。

 深夜を回った頃、営業の終わった温泉に忍び込み、脱衣所の椅子に腰を下ろした。

 教えられた化粧は、いつもうまくいかずにやる気が出なかったけど。

 今なら、どんなに下手クソな化粧でも、成果が見えそうだったから。

 失敗したって、温泉で流してしまえばいい。

 でも。

 なにも変わらなかった。

 鏡の中にいたのは、高海千歌だった。

 

   *

 

「みんなー! 今日は準備ありがと! おやつ持ってきたから食べてー!」

 体育館の第二教官室から、橙色のキャラクターと“寿太郎みかん”が描かれた段ボールが現れた。いや、それを抱えた千歌が現れた。

 学校指定のジャージ姿の千歌は、フロアシートに置いた段ボールの封をバリバリと派手に開けた。中身はもちろん、この浦の星女学院がある長井崎岬(みかん山)で収穫されたみかんだ。

 壁際で休んでいた浦女生たちが声を上げて集まり、

「うわ、待って、押さないでってば!」

 千歌の姿はすぐに見えなくなった。

「こんなに準備しなくても、よかったんじゃないかな」

 渡辺曜は、即席のライブ会場と化した体育館を眺める。

 モップで綺麗に拭き掃除されたアリーナに暗緑色のフロアシートが敷かれ、そこに八〇〇脚近いパイプ椅子が並べられた光景は、去年の文化祭で見たそれと同じだ。違うのは、この会場が自分たちのためだけに設営された事実。そう思えば、曜だって謙虚にもなる。

 ところがお団子頭の後輩は、曜と同じ光景を見て、ふん、と鼻を鳴らした。

「何万人のリトルデーモンがこの現世にいると思ってるの? この程度のハコ、秒単位で埋まって当然よ――」

「余裕じゃん、ヨハネちゃん」

 曜は頬を綻ばせた。

 善子の芝居めいた低い声に、少し前なら気付かなかっただろう空元気のニュアンスを感じたからだった。

 金曜日に協力を呼び掛けたところ、実に二八人の有志生徒が会場設営に集まってくれた。元々このライブにかかわっていた梨子、花丸、よしみ、いつき、むつの五人を含めて、五〇人に満たない全校生徒の七割が集まったことになる。それだけの数がいたからこそ、明日の本番を控えた曜たち三人は、設営に本腰を入れずに済んだのだ。

 逆に言えば、この空間で同好会が活動実績を作れる(ライブを成功させられる)か否かは、パフォーマーの手に委ねられた、ということ。

 プレッシャーの可視化に、こみ上げてくるものを感じる。

「あ、あ、あー、あー。はい、うん。本日は晴天なり、本日は晴天なり。……晴天? 曇ってるよね?」

 ステージ上のよしみの声がスピーカーから流れ、みかんを食べていた生徒たちが笑った。

「そう、そのみかん、私が運んだんだからね! 半分は私だと思って食べてよ!」

 その通り、先ほど千歌が持ってきた差し入れのみかんは、よしみが看板娘をやっている菓子屋≪松月≫が入荷数を間違えたひと箱を、同好会で安く譲り受けたものだった。その実は厚意だろう、と曜は推察している。

「ピンスポ右、いきます!」

 頭上から声がして、がちゃん、とステージに明かりが差し込んだ。アリーナ二階のギャラリーに設置されたスポットライトを、いつきが点灯したのだ。

「うわ! 眩しいって、いつき!」

 照らされたよしみがヘッドセットマイクに言うが、

「ピンスポ左、お願い!」

 いつきの大声で反対側のスポットライトも点灯され、

「ボーダー! サス! アッパーと……ローホリ! えっと、あと、フット、ステスポ!」

 指示の度に、ステージに光が満ちていく。

「ぎゃああああ!!」

 重なり合う照明の中でよしみは、日光で溶ける吸血鬼のようなジェスチャーをした。

「なにやってんだか」

 と善子は手のひらを上に向けたが、顔は笑っている。

「問題なさそうだね」

 ライトが順次消えていくと、曜は単語カードをめくり、チェック項目にペケ印を入れた。

「はいはい、はいはい、ワイヤレスマイクABC、全部オッケー!」

 よしみがステージで手を振り、

「じゃあ次、ミュージックぅぅ……スタート!」

 今度は放送室にいるむつの声が、ステージ両サイドのスピーカーから聞こえた。すぐに、体育祭でよく聞く音楽が流れる。

「『剣の舞』だ」

「そんな曲名なの? 詳しいんだね、ヨハネちゃん」

「ってわけじゃないんだけど」

 と、ぷつ、ぷつ、とノイズが走り、

「ごめん、ちょっと待って。入力が違う。えっと……」

 ややあって――

「あ!」

 ――段ボールのそばに屈んだ千歌が、声を上げた。

 流れ出したのは、打ち込みのインストゥルメンタル。

 シンセアプリで作られた、お世辞にもハイクオリティとはいえないペラペラの音色で、ここにいるほとんどが詳細を知らない曲だ。

 それでも浦女生たちの間に、ざわめきが広がっていく。

 生音で録音した手拍子に合わせ、生徒たちの手拍子がまばらに重なり。

 ベースとドラムが合流した時には、本番さながらに口笛や黄色い声が上がっていた。

(やるんだ、これを)

 そう思うと、胸の中がムズムズしてきた。

 この気持ちは、プレッシャーだけじゃないはず。

「明日ね」

 舌打ち混じりに呟く善子の気持ちも、同じだと確信できた。

 千歌は?

 友達に笑いかける幼馴染の気持ちは、曜には見えない。

 

   *

 

 スクールアイドル同好会顧問の笠木信代の監督において行われたゲネプロ(予行練習)は、午後一六時半、無事終了した。

 ステージに上がっているのは、パフォーマーの千歌、曜、善子と、サポートの花丸、梨子、≪よいつむトリオ≫のよしみ、むつ、いつき、そしていまだ白いギプスを鼻に乗せた信代だけだ。ほかの生徒たちは「今見たら明日こないだろ!」と信代が追い払っていたからだ。

「特に問題はなさそうだな」

「ほんとですか?」

「致命傷はなかった」

「水準低すぎない?」

 高い声を上げる生徒たちを、信代は順繰りに見回す。

 六割方の出力に抑えさせた歌とダンス、MCの進行や照明のタイミング、いずれも、吹奏楽部の顧問として演奏会を見てきた経験から、申し分ない出来と評価できた。

 気になるのは、青白い笑顔を貼り付けた千歌だ。

 同好会の発案者で実質的なリーダーである彼女のパフォーマンスは、最後まで冴えなかった。

 さすがの千歌も、本番前は不安なのだろう。

 だから、信代は千歌の肩を叩いた。

「気張るな、高海。どうせ奇跡なんて起きない」

「変な慰め方」

「本番でものをいうのは練習だけってことだ」

 千歌は唇を尖らせたが、その方がまだ生き生きしてみえた。

「ヨハネちゃんの衣装、ぶっつけ本番だけど平気かな」

 懸念を口にした曜、そして千歌と違い、善子は一年生カラーの山吹色のジャージ上下を着ていた。彼女の衣装が間に合うかは、この瞬間にも淡島で作業を続ける理事長代理にかかっているのだ。

「分かってないわね、曜先輩」

 だが曜の心配を余所に、善子は不敵に笑い、横倒しのピースを顔に添えた。

「堕天使の本懐は、魔への誘惑。この≪アプサラス≫の如き美貌と肉体を持ってさえすれば、数万の人間たちを魅了することなど造作もないこと――」

「ジャージでいいって」

「じゃあ小原には一報入れとくぞ」

「冗談! 冗談だってば! これじゃイヤだよお!」

「よしよし、シャイニー先輩を信じるずら」

 お団子頭を花丸に撫でられ、善子は泣き真似をやめた。

「ねえ、センセ。私たち、もうちょっと機材の練習してきたいんだけど」

 むつが言い、いつきも頷いた。

「だったら私もMCの練習したいな。ダメです?」

 よしみが手を挙げ、

「あ、やるなら私がばっちり教えちゃうよ」

「教えるくらいならむつがやってよ!」

「ヤダ。掃除の案内なら任せて」

「そんなの私だってできるわ!」

 漫才を始めたトリオを前に、信代は腕時計を見た。

「四時半か。六時までとってるから、その辺までならいいぞ。ほら」

 と信代は、鍵束をいつきに投げ渡した。

「本番が終わったら返せ」

「え、いいんです?」

「ほんとはダメだ」

 三人は声を上げて、放送室へ向かって舞台袖へと走って行く。

「お前らは? なにかあるか?」

 パフォーマーに問うと、善子は頭を振り、曜は首を傾けた。

「ほんとは、果南ちゃんにも見てもらいたかったんですけど」

 予想外の名前に、信代は肩を竦める。

「あいつは、まあ……しょうがない。本番をぶち壊しにくるようなヤツじゃないし、心配するな」

 そして、言葉少なな千歌に目を向ける。

「高海は?」

「私――」

 千歌は口を開くと、梨子を見た。

「――梨子ちゃんのピアノで歌いたい」

「え?」

 黙って同好会の面々を見守っていた梨子は、突然回ってきた発言権に、目を丸くした。

「今、そんな話じゃなかったよね?」

「そういえばリリーのピアノって、聞いたことないかも」

「私もだよ! 聞きたい聞きたい!」

 善子と曜も乗ってきた。

「おい、あんまり無理強いするな」

 信代は思わず三人を牽制するが、

「中学校のピアノコンクールのなら、音源がニコ動にありましたよ」

「でかしたわ、マル!」

「あとでリンク送って!」

 花丸も入ってきて、話がこんがらがってきた。

 そこに改めて、千歌が上目遣いで梨子に近付く。

「ダメ?」

「おい、高海!」

 だが、当の梨子はニッコリ笑い、

「ごめんなさい」

 と頭を下げ、

「だと思ったあ!」

 千歌の声を皮切りに、五人は笑い出した。

 その状況に、信代は面食らう。

 梨子が困っているようには見えなかったからだ。

「ね、梨子ちゃんは、なにかある?」

 千歌に問われた梨子は、四人の顔を見回し、次いで、ステージ上からアリーナを眺めた。

「いいんだよ、なんでも言って!」

()えあるリトルデーモン一〇号の願いとあれば、この身に宿る≪テルプシコラ≫の力を授けても構わないわ――」

「待って、それ音楽の神様だよね? 授けるのはライブが終わってからにしてよ」

 善子は曜に突っ込まれ、

「梨子ちゃんの音楽の才能だけ、置いてってくれないかなあ」

「せめて作曲の才能に限定するずーら」

 千歌は花丸に突っ込まれ、

「もう、与えるか奪うかしかないわけ?」

 梨子が全部ひっくるめて、五人はまた笑い合う。

 梨子の変化は明白だった。周囲の要望を断る流れこそ体験入学当初と同じだが、応酬の安定感は比較にならない。

 それを下支えする信頼関係が、部活動で培われたものかは不明だが、この同好会の顧問になった甲斐はあった、と信代は思う。

 ゆえの、やるせなさでもある。

 梨子は明日、本番を待たずに沼津を離れるのだから。

 口を開けずに笑っていた梨子は、やがて千歌を見て、首を振った。

 これで終わりだ。

「よし、じゃあ解散。今日は練習禁止だからな」

「えー!?」

「休息も準備のうちだ。朝練も身体をあっためるだけにしておけ」

「はあーい」

 渋々の応答で舞台袖に戻っていく五人を眺め、信代は鼻から息を漏らす。

 本当に希望がないのか、遠慮しているのか。

 いずれにせよ、教師の役目は、生徒の道を決めることではない。

 

   A

 

 二〇一六年五月一五日。

「なんでよう! 明日は晴天って言ってたのに!」

 プレジデンシャル・スイートのプリンスルームで、黒澤ルビィは叫んだ。

 慣れないベッドでの眠気など忘れ、一面のテラス窓に駆け寄る。

 地上八階、東向きの眺望が見せた内浦の山々は、濃い曇天に包まれていた。風の音は聞こえないが、眼下で波打つ江浦湾で間接的に強さが分かる。このままでは船がとまってしまうかもしれない。

「ど、どうしよう」

 と、ノックの音がして、

「ルビィ様、お加減は如何ですか」

 梁のスピーカーから男性の声がした。

「あ、あの、なんでもないです!」

 真っ赤なバラが描かれたネグリジェの胸元を無意識に押さえ、ルビィは内線電話でキングルームをコールする。

「……ルビィ? 何時だと思ってるのよォ……」

「五時半です! 外、見てください! 本土に戻れなくなっちゃいます!」

 鞠莉のほとんど口が動いていない声に怒鳴ると、もぞもぞと布のこすれる音がした。

Cor(あらら)、早いところ出た方がよさそうね。パイン? ……パイン! いつまで寝てるの!? Chopperの準備! ……あ、Sorry、ルビィ。準備できたらLiving Roomまで来て。パイン、衣装の上がりは何時?」

 受話器を戻し、ルビィは小さなトランクに飛びついた。ダイヤが準備してくれた替えの制服に着替えて、荷物をまとめてプリンスルームを出る。

「ルビィ様、こちらへ」

「ピ……!」

 パブリックスペース(廊下)に出るなり警護についたサングラスの黒服は、黒澤総合警備保障のルビィ専属ボディガードではなかった。彼らはルビィの門限である午後七時で業務を終え、黒総警と業務提携しているOGIスクードの警備員がボディガードを引き継いでいたのだ。

 それを忘れていたルビィは、だから、自分を褒めた。一箇月前の自分なら、絶対に高周波を発していた場面だったからだ。

 黒服の先導でやってきた居間には、誰もいなかった。

 今のうちに、とルビィは電話を耳に当てる。

「もしもし」

「あ、お姉ちゃん? ルビィです。おはようございます」

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「うん。ありがとね」

「なにがです?」

「お泊まりのこと。お姉ちゃんが説得してくれたんでしょ?」

「あなたが直接お父様にお願いしたから、ですわ」

 ダイヤの声は明瞭だ。今日は自分の方が早起きだと思ったのに。

「それで、完成したのですか?」

「うん、二時頃までかかっちゃったけど」

 小さな鼻息が聞こえた。ルビィが最初から制作に関わっていて、こんな計画性のないスケジュールになってしまったのだから、呆れられるのも当然だ。

「それでね、お姉ちゃん」

 気後れするが、意を決する。

「ライブ、来る?」

 少しの間。

「いえ」

 息を止め、溜め息を押しとどめる。

「父も母もそちらに向かうのです、わたくしは記念公園で張り番をいたしますわ」

「そっか……。ごめんね、しょうがないよね」

「いいえ。では、頑張ってくださいね」

「うん、じゃあ」

 電話は切れた。

 ルビィは我慢していた溜め息をつき、寝室と同じ仕様の広いテラス窓に近寄る。

 駿河湾の向こうに、姉のいる沼津御用邸記念公園の林が見えた。

 張り番は建前だ。

 そんなことは分かっている。

 来てくれるなんて、最初から思ってなかった。

 でも――

「――忘れちゃったの? お姉ちゃん。みんな本気なんだよ」

 

   *

 

「行ってくるね、お母さん」

 千歌はのれんの間から十千万の玄関を覗き込み、退室手続きの準備をしていた枝海に声をかけた。

「千歌、待ちなさい」

 すぐに行こうと思ったのだが、母がこちらに歩いてきたので、のれんをくぐる。

「午後からは晴れるみたいだけど、気を付けて」

「うん」

「お母さんもお父さんも行けないけど、応援してるから」

「分かってるよ」

 今日は連泊の宿泊客がいて、ライブの時間は入室手続きや夕食の準備と被ってしまう。家の繁盛を思えばしょうがない。

「千歌ちゃん」

 と、勘定台の前の休憩所から、和装の老婆が姿を現した。すぐ裏手に住んでいる、今は亡き祖母の友達だ。

「今日はライブの日なんだっけ?」

「あ、はい! 浦女の体育館でやります!」

 さらに休憩所から、近所のデイサービス施設≪ひだまりの郷≫から遊びにきていた老人たちも顔を出した。

「何時からやるんだっけ?」

「夕方の五時からです!」

「何チャンネルでやってるの?」

「テレビなんて来ませんよ! ネット配信は予定してますけど」

「そういうの、分かんないなあ」

「まだクルマがあれば、見に行けるんだけど。今日は雨ずらよねえ」

「しょうがないですよ! 有名になったらテレビ中継してもらいますから!」

 千歌は強気に返し、内心で残念がった。

 内浦に住む一七〇人ほどの住人のうち、大半を占めるのは老人だ。彼らがライブに来ないのは予想していたが、本人に言われる実感は重かった。

「じゃ、行ってきます!」

 それでも明るい声で手を振り、千歌は曇天の下に飛び出した。

「千歌」

 立ち止まる。

 外履きの草履が土間をこする音ののち、枝海がのれんをかき分けて現れる。

「なに?」

「大丈夫?」

 千歌は口を開いて、閉じた。

 頷きたかった。

 親指を立てて、自信に満ちた笑顔で。

 大丈夫、と。

 でも。

 枝海は、僅かに眉尻を下ろした。

 遠くにバスの音が聞こえて、千歌は通りに目を向ける。

「美渡姉、帰ってきてないよね」

「うん、今日も泊まりだって」

「志満姉は……」

「……来ないでしょうね」

 母は明言した。

「しょうがないよね」

 千歌は笑顔で母を見た。

 たくさんの“しょうがない”がある。

 その積み重ねの先で、今日のライブが失敗に終わり、あの学校が消えたとしても。

 それも、“しょうがない”のかもしれない。

「無理はしないで」

 母の言う通りだ

 でも。

「私にできる無理はするよ」

 その言葉で、母はやっと笑ってくれた。

 

   *

 

 二階まで吹き抜けになった部屋の中央に、≪仮面ライダーシャイニー≫が立っている。

 余所行きの格好ではない。紫色の目と追加装甲がないだけではなく、銀色の装甲もない。銀と黒のアンダースーツに、バッテリー表示のついたベルトを締めただけの構成だ。それでも一目でシャイニーと分かるのは、ベルトからぶら下がるスカートのようなバッテリー群のためか。

「μ-6型へのデプロイ、完了しました」

「テストケース四四再実施、開始準備」

「準備完了です」

「では、開始」

 スピーカーから流れるピアノのアンビエントBGMに、女声の報告と男声の指示が連なる。

 正方形の部屋にいるのは、シャイニーだけだ。

 壁際に並ぶ背の高い機材にはカバーが掛けられ、作業机には書類一枚ない。

「≪ストローク≫をエウリュスの銃口へ装填してください」

 横にいる男性がマイクで指示を出すと、シャイニーは右手に持った寸詰まりのハンドガンのようなものに、機械部品でシーリングされた球体を押し当てた。

 直後、ハンドガンを取り巻くように白い泡が産まれる。それはシャイニーの胸から背中を覆い、さらに背中から四肢に伸び、半円のような部品を各部に配しながら、手のひらとふくらはぎに大きめの機械部品を残して伸展を終えた。

 かすかに紫色を帯びた、装甲と呼ぶには繊細すぎるそれらは、鏡面処理による反射で輝き。

 最後に、顔面に円が現れ、向かって右上から左下に斜線が走り、割れ、二つの半円となって目の位置に納まる。

 “ø”(O=ストローク)になる。

「≪PRX-M6_1≫、フォームチェンジ完了」

 ガラスで隔てられたこちら側から見下ろす人々が、ほっと息を漏らした。

 桜内梨子は、それらとは違う溜め息を漏らす。

「どうした? 梨子」

「東京に帰るんじゃなかったの?」

 私はなにをしてるんだろう。

 こんなものに興味はない。

「それはそうなんだが」

 父は梨子を見ていなかった。禿げ上がった頭に脂汗を浮かせ、銀色の仮面ライダーを見ていた。

「最後に協力を頼まれてしまったから――」

「――いかがですか、梨子さん」

 隣の男性が話しかけてきた。

「あれがこの街を護ってきた、弊社の仮面ライダーです。非OGIグループの仮面ライダーは、変身者の心が“(Form)”を作り出すようですが、私たちはプログラムでもって、指定された量子信号パターンを発するユニットを介して“(Foam)”を制御しているのですよ」

 三〇代らしい男性だった。清潔だが使い込まれた白衣の胸に「依田義森」と書かれた社員証がとまっている。『お父さんより若いのに、≪静岡OGI≫のμ-フォーム関連事業の主任なんだ』と桑介から何度か聞かされていた名前だ。だが梨子は一〇回以上会っているのに、その顔と声が覚えられない。

「“program”――“書かれたもの”を意味する“-gram”に、“公に”を意味する接頭辞“pro-”がついたものです。原義は“公文書”と言ったところですが」

 男性が梨子の顔を見る。

「それが意味するのは、“支配”」

 向けられた笑顔に、心がざわめく。

 梨子がガラスに目を戻すと、銀色に輝く人物はマイクの指示に従っている。ダンスのアイソレーションのように、頷く、腕を上げる、振り向くなどの動作チェックを粛々と行う姿は、理事長代理とは思えない律義さだ。

「結論が知りたいです。テストケース一六六を実施してください」

 義森が声を上げ、マイクを握る女性が「本気ですか?」と彼を見た。

「本来は今朝に終っていたはずの行程です。エウリュス=ストロークでのシステムテストは終わっているのですから、問題はありません」

「ですが、あのμ-6型は先日小原さんから提供されたばかりで、安全性の――」

「――発動を示す量子信号パターンは観測されていません。だから今日のテスト実施も承認が得られたのです。≪人体ラギダイズシステム≫の開発続行を検討させるためにも、一八時までにはストロークフォームの成果を出さなければなりません。そのためにMark Iまで引っ張り出してきたのですよ」

 反論は続かなかった。

「テストケース一六六まで省略します。準備してください」

 シャイニーが腕を広げるジェスチャーをしたが、床に描かれたマーカーの中央に立った。

「テストケース一六六、開始!」

 女性が語気を強めてマイクに言った時、真下に向けたシャイニーの手のひらが、文字通り輝いた。

「出力二・〇五パーセント、正常です。ケース一六七に移行」

 手のひらの輝きが増し、銀色のスーツを着た腕が震える。

「次、ケース一六八」

 輝きがさらに強まり、だから見間違えたかと思った。

「浮いた!」

 誰かが叫んだ。

 横に並んでいた大勢が、ガラスに顔を近付けた。

 シャイニーの足は、床から浮いていた。

「出力二・五三パーセント、浮遊効率一〇三・一パーセント、姿勢制御モジュールの外部結合テストからの誤差、許容範囲内です」

 手のひらから放たれる光が不安定に身体を揺すり、そのたびに腕が前後に振られ、バランスが保たれる。

「テスト終了!」

 光が収まり、がん、と音を立ててシャイニーの踵が地面に落ちた。

 歓声が上がり、義森の横顔に笑みが浮かぶ。

「続いてケース二六一に飛びます」

「主任、ここでスラスターは危険ですよ」

「最低出力のケースなら可能な数値です」

「ですが――」

 遠くで誰かのやりとりが聞こえる。

 ライブ本番前、みんなは昼食を食べている頃だろうか。

 結局一度も、一緒にご飯を食べられなかったな。

 ううん、できれば、できれば、みんなと――

「…………」

 ――なにがしたかったんだっけ。

 思い出せない。

 ピアノのBGMが耳障りだ。

 ばし、と。

 回転灯が光り、アラームが鳴った。

 遅れて、ガラスにヒビが走る。

「中断! 停止コードを打ってください! 中断です!」

 義森がガラスから離れ、磨りガラスの扉から出て行った。

 二本の赤い光が壁を回る。

 鳴り響く警告音で、側頭部が割れるように痛い。

「お父さん、私」

「梨子、行こう」

 吹き抜けの部屋に男性が現れ、倒れたシャイニーに駆け寄るのが見えた。

「μ-フォームの支配はいまだ遠く、だね」

 誰かの言葉を最後に扉が閉まり、梨子は廊下に連れ出された。

 残されたのは、アンビエントBGMだけ。

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