仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第一二話:誰もが一つ持ってる、勇気の欠片 - 2

   *

 

「≪ナルキッソス≫……ってさあ」

 電子シャッター音が鳴る。立て続けに、二度、三度、四度。

「正直、全然感情移入できなかったんだったけど……。今なら、なんか、分かる気がするわ」

 体育館の壁際で、青みがかった灰色の衣装を着た後輩が、電話で自画撮りしている。指の動きからして、SNSにアップしているようだ。

「着替えたくらいで大袈裟だなあ」

 渡辺曜は指抜きグローブをはいた手を屈伸し、手の甲に切り抜いたスペードマークの伸縮をチェックする。

「くらい? 見なさいよ、この宣伝効果。通常の一五倍以上の拡散スピードよ」

 善子がこちらに向けた電話には、今まさに拡散数がカウントアップしている善子のSNS画面が映っていた。

「ほんとだ。すごい」

「この前の宣伝動画だって、なんだかんだでネットニュースに取り上げられるまでいったからね」

「顔はモザイクだったけどね」

 言う間にも、「似合う似合う!」「もっと引いて見せて!」などと返信がぶら下がり、その横で「これどこで売ってるの!?」「手作りだよ前の見てねーのか」などと善子と関係ない言い合いが始まった。

「自由だねえ」

 曜は呟き、自分の電話に目を戻す。天気予報は午後から天気が回復するといっているが、体育館の窓から見える空はいまだ黒い雲に包まれ、中庭の木々は強風に揺れている。

「曜ちゃんの体感天気予報も、晴れそうな感触してたのにな」

 このまま天気が崩れるなら、誰も来なくなってしまう。長井崎岬の上の浦の星女学院へは、クルマなら海沿いの道を通らなければならないが、風が強まれば波の危険が出てくるからだ。

「ちょっと雲がズレただけでしょ。……あ、お母さん」

「どしたの?」

 善子は電話を見たまま、眉を小さく上げた。

「今日、来られないって」

「そっか。お父さんは?」

「ウチは、まあ……ね」

 触れない方がよさそうだ。

「ウチも、今日は誰も来ないんだ」

「ふうん。ま、神の庇護を捨てた堕天使とそのリトルデーモンなら、珍しくない世界観よね」

「そう?」

「でもない?」

 ボールを返され、言葉に詰まる。

 気まずい空気。

 堕天使モードで中和してくれればいいのに。

 善子もそれを感じたか、ステージの方に目を向けて、

「おーい! 千歌先輩!」

 と声を張り上げた。

 ステージでよしみと話していた千歌が、こちらを見る。

「宣伝活動よ! 誰かカメラお願い!」

 誰か、と言っても、パイプ椅子の並べられた体育館に人は少ない。スクールアイドル同好会のパフォーマー三人に、よいつむトリオ、顧問の信代。

 そこで、唯一の部外者――

「はい! ルビィ、撮ります!」

 ――ルビィが手を挙げた。

「頼んだわ」

「宣伝? え、顔出し?」

 善子の意図に気付き、曜が声を上げる。

「当たり前でしょ。どうせライブも配信するんだし」

「私も?」

「なに勿体ぶってんの」

「じゃなくて、私が映ってもしょうがなくない?」

「謙遜はいいから」

 ルビィは、補修していたピンクの熊の頭のぬいぐるみを手提げ袋にしまうと、コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を取り出して走ってきた。

「どうしたのー!?」

 橙色の衣装を着た千歌も、ステージからおりてやってくる。

「ルビィ、全身入れて撮って」

「うん! じゃ、フォーメーションの並びでお願いします!」

 カメラマンルビィの指示で三人は慌ただしく並ばされ、衣装の初出となる写真を撮るべくポーズをとり――

「まさか……」

 ――わななき声に、緊張を解く。

「こ、こんな、こんなことに気付かなかったなんて! ルビィ、一生の不覚!」

「どうしたの? ルビィちゃん」

 千歌が問うと、ルビィは二本の人差し指を善子と曜に向ける。

「色が被ってます!」

「え?」「は?」

 指差された二人は互いの衣装を見合い、

「青みがかった灰色! 鮮やかな水色! 色調が被ってるんです!」

 三人は「あー……」と声を揃えた。

「でも、μ'sでもさ、ことりさんと花陽さんが緑系で被ってるよね? 凛さんだって一時期――」

「――九人中三人と三人中二人じゃ、話が違うんです!」

 自らの絶叫を追い越すように、ルビィが走ってくる。

「この絵面じゃ、オレンジ色がリーダー格で、二人はバックダンサー扱いされちゃう! そしたら、千歌先輩派と曜先輩&ヨハネちゃん派で分裂したファンの抗争が過激化、リーダーによるメンバー管理の是非論に発展し、闘争を求めるスクドルが羽田空港で正面衝突する「シビル・ウォー:スクールアイドル」が勃発! 責任をとった千歌先輩のグループ解散発表不可避! ああ! ルビィが木を見て森を見なかったばっかりに!」

「ならないでしょ」

「なるんです!」

 ヒートアップするルビィは千歌に任せ、曜と善子は声を潜める。

「ヨハネちゃんのパーソナルカラーって、どうやって決めたの?」

「これ? ほんとは黒か白がよかったんだけど、それじゃ華がないってルビィがこの生地、買ってきて」

 と重ね着のように表現された衣装を摘まむ。

「せめて赤系だったらなあ」

 と千歌が、善子のカチューシャのぶら下がったリボンに触れる。

「あの時は梨子先輩が桜色――」

「――ルビィ!」

 善子が割り込んだが、遅かった。

 瞬きの間に、空気が凍り。

 ルビィから血の気が失せる。

「色かぶりなんて、今さら気にしてもしょうがないよ! 最後は九人になるんだしさ!」

 だが千歌は明るい声で言い、曜と善子の腕を引いた。

「ほら、写真アップしなきゃ! ルビィちゃん!」

 ルビィは弾かれたように離れていき、しょんぼり顔をカメラの向こうに隠した。

 千歌から表情が消えた瞬間を忘れようと、曜は笑顔を作った。

 

   *

 

「ですからね、是非是非、見にきていただきたいなぁ、と」

「えっと、なんてヤツなんだっけ?」

「スクールアイドルです。スクドル。学校の部活でアイドル活動をするんです」

「≪フォーリーブス≫みたいな?」

「へ?」

「≪フィンガー5≫!」

「懐かしいわあ!」

「そう、あんたの旦那、マー坊そっくりだったわよね!」

「だから! だから選んだって!」

「あ、あの、なので、ライブをですね、えっと、あの」

 青みがかった灰色の衣装で着飾った善子は、普段の堕天使キャラが悲しくなるくらいに右往左往している。

「花丸! なんとかしてよ!」

「オラは手出ししないですよ」

「こんな元気なんて思ってなかったんだけど!」

「人生経験がたりないですよ」

「だからですね! 浦女の高海千歌と、渡辺曜と、この私――」

「――高見知佳!」

「いたわねえ!」

「え? あの、デビューは今日で、っていうか、それで三人目がこの私――」

「――枝海ちゃんがずっと謳ってたの、覚えてる?」

「『高見枝海です!』ってね」

「千歌って、そういうことでしょ?」

「もう! だから! スクールアイドルやるんです! 三人で!」

「スクドル?」

「μ'sですよ! μ'sみたいなことするんです!」

「石鹸の?」

「そのボケはやめなさいって」

「はいはい、知ってるわよ、μ'sなら。うちの子もマニアだし」

「そうならそう言いなさいよ」

「だからあ! 最初から言ってたじゃあん!!」

 制服姿の国木田花丸は、対岸の火事を見る気分だ。

 パイプ椅子を並べた信徒席に座って話をしている八人の老婦は、午前のミサから教会に集まり、OGIが配達する弁当を食べて、午後六時半からの夕方のミサに参加する信徒たちだ。ミサの間を教会で雑談してすごす彼女らに、善子は椅子を提供する気分でライブに招待しようと考えたのだ。

 だが年齢的には六~七〇代といっても、足腰が弱っている一人を除けば毎週、このみかん山を徒歩で登ってくるような人々だ。精神的にも肉体的にも“矍鑠(かくしゃく)”という表現さえ不相応、花丸の印象は「白髪の増えたお母さん」に近い。

 だから善子が、イメージしていたであろう“老人”との違いに面食らっても、不思議ではない。

「も、もう! とにかく! 私たちが歌って踊るの! だから見にきてよ!」

 堪りかねた善子が大声を出すと、老婦たちは一瞬声をとめ、だがチャペルから残響が消える前に笑い出した。

 蝋燭の炎を吹き飛ばしかねない大音声の笑いと、「気が向いたらね!」「いい席準備しておいてね!」などなどの声に追われるように、堕天使はチャペルから退散していった。

「ヨハネちゃん、やっぱり耐えられなかったずら」

 それは前回と同じように、チャペルの神聖さゆえではないだろうが。

 入れ替わりに、黒いキャソックを着た人物が入ってきた。この聖ゲオルギオス礼拝堂の司祭、滝川天吾だ。

「神父様、私はひとまず、これで失礼します」

 花丸が頭を下げると、

「はい、ありがとうございました。またお願いしますね」

 と天吾は神の子らしい笑顔を浮かべた。それに合わせて、

「ありがと、花丸ちゃん!」

「ちょくちょく来てよ!」

 と信徒席からも声が飛んでくる。

 のちにライブ客になるかもしれない老婦に笑顔でお辞儀をし、花丸はまた天吾に目を向ける。

「神父様は、見に来てくれます?」

「申し訳ありません。私は余程のことがない限り、ここを開けておりますので」

 それはそうだ。

 夕方のミサは午後六時半からで、ライブの時分はその準備をしているだろう。

「しょうがないです。では、またミサで」

 再度お辞儀をしてチャペルをあとに――

「待てよ!」

 ――振り返ると、奥から健が歩いてきた。今日はスカートの制服を着ている。

「スコさん、まだいたんです?」

「メシ食って寝てた」

 健は刈り上げた頭をかきながら、隠しもせずあくびをしていた。朝のミサから三時間は経っているのに、大した肝だ。

 二人は並んで屋外に出て、駐車場とチャペルを隔てるフェンスまでやってきた。

「で、まだ入れないのか? 開場って何時だっけ」

「四時半です」

 健はフェンスドアを掴み、シリンダー錠がかかっているのを見て手を離した。開場時間になったら開けるとは、施錠管理担当の天吾の話だった。

「まだ部外者は入れませんよ」

「いいだろ、俺とマルの仲じゃん」

「私と同好会のみんなは、そんな仲じゃないんです」

「入部したんだろ?」

「ただの手伝いです。アイドルに興味はありません」

「それでよく協力できるな」

「教会にも興味はありませんし」

 そこまで言うと思っていなかったのか、健はチャペルを横目で気にしながら笑った。

「しかし、ようやくウチにもスクドルができるな。あの転校生は? あいつも踊るのか?」

 健はフェンス越しに体育館を眺め、花丸は笑顔を維持する。

 梨子が体験入学生で、昨日付けでこの学校から去ったことは、スクールアイドル同好会とその周辺しか知らない事情だ。それを言う立場に、花丸はいない。

 その時、バイクのエンジン音が聞こえた。

「桜内先輩?」

 そう口にしてしまったが、すぐに違うと分かる。遠いエンジン音は何台分もあり、それが重なり合い、うねっているからだ。

「≪クラゲ≫の野郎か」

 健が舌打ちをして、沼津市内に居する暴走族の蔑称を口にした。

「≪クレイジー・フィッシュ≫の皆さんも、ライブを見にきたんでしょうか」

「そんなわけないね。俺、行ってくる」

「ええ!? あと……一時間半でライブですよ。スコさんスカートですし、雨だって降って――」

 空を見上げた花丸の顔に、一滴の雨が落ちる。

「――きたずら」

「なおさらだね」

 言うなり、健はフェンスの編み目を登り、軽々と乗り越えてしまった。スカートが胸までめくれたのも気にせずに。

「スコさん!」

「しょうがないだろ! ダイヤたちに謝っといてくれ!」

 体育館に目もくれず駐輪場へ走っていく先輩を、花丸は見送るしかない。

 

   *

 

「今日は店を閉めるぞ」

「了解、じゃあこっちも片付けちゃうよ」

 本土の受付にいる祖父からの電話に、松浦果南はレジカウンターに腰かけて答える。

「船はとまった。ロープウェイも時間の問題だ」

 タブレット端末が表示した天気予報は、五時発表も一一時発表も午後から晴れと伝えていた。大外れだ。曜の体感天気予報も同様だろう。

「昨日までの予報はまったく当てにならない。油断するな」

「アイ・サー」

 淡島は朝から続く暗い雲に続いて、一五時頃から急速な発達をみせた風と波に囲まれていた。今も避難準備情報のアナウンスと共に、閉島時間を前倒しして退出を促す島内放送が流れている。各施設の従業員も順次本土に渡っているようで、隣接するカエル館の館長も先ほど挨拶に顔を見せた。今頃はもう島を離れただろう。

「買っていった方がいいものはあるか?」

「ないかな。いざとなればみかんもあるし」

「分かった」

 淡島の居住区に住み、島内のファビュラス・ダイバー・ボーイズで店番をしている松浦一家は、島から出る必要はない。だが海抜わずか数メートルのダイビングショップにいるのは危険だ。いくら海が果南の日常になったといっても、波や風まで彼女の味方というわけではないからだ。

「で、祖父ちゃんは?」

「港外退避してくる」

「ジュールを? 陸揚げじゃなくて?」

「この発達速度だと間に合わん」

「パイロットボートは?」

「出ないだろうな」

 節三は、松浦家所有の≪ジュール丸≫を、内浦湾外に係留しようとしているのだ。そして自分も、嵐が去るまで戻らない可能性を示唆している。

 その状況において、

「オッケー、任せるよ」

 果南の返事は軽かった。

 波がどこまで荒れるか定かではないが、祖父が乗り切れない波などないと、果南は信じていた。

「じゃ、またあとで――」

「――果南」

 遮った祖父の言葉に、電話を隔てた緊張を感じる。

「なに?」

「こっちに来るか? ロープウェイがとまる前に」

「本土に? なんで?」

「あれがあるんだろ? お前の――部活の」

 一瞬、息がとまった。

「最近、高海さんのとこにも遊びに行ってないだろ」

 ラギダイズ加工が施された端末の、時計を模したロゴが睨んでくる。

「いいんだぞ。≪十千万≫の一泊くらい、工面できる」

 ややあって。

 肺の中の空気を、溜め息のように吐き出して笑う。

「言ったでしょ、私は補欠だって。千歌たちがちゃんとやってくれるから、出番はないの」

「そうなのか?」

「そうなのです」

「本当に?」

「しつこいよ」

 電話の向こうで、節三の息が聞こえた。

「分かった。店を閉めたらまっすぐ帰れ。家から出るなよ」

「アイ・サー」

 電話は切れた。

 果南は終話音を鳴らす受話器を手に、長方形に切り抜かれた薄暗い窓外を見る。

 金曜日のラズリ・フォーメアの襲撃で、果南は五つのμ-フォームを失った。

 黒澤瑠璃の顔をした怪人の動機は分からない。だがこの異常気象が無関係とは思えない。そして――

「ライブか」

 ――廃校を阻止しようと開催する、千歌たちの動向だ。

 黒澤家と小原家は、沼津市と共に内浦を再開発しようとしている。そこに浦の星女学院が邪魔なのは、ダイヤが語った通りだ。

 さらに、ラズリの発言が正しければ、フォームを盗んだ存在は彼女だけではない。怪人と、千歌たちの他に、なにかを企んでいる存在が別にいる。それが内浦を牛耳る企業たちだとしたら――

(――関係ない)

 頭を振る。

(この海はもう、私たちのものじゃない)

 受話器を戻した時、レジカウンターの上に置いた、白い石が目に留まった。

 それを手に取る。

 父がヨーロッパの土産で買ってきた、多孔質の鉱物。

 千歌に渡し、ラズリに奪われ、そしてここにある石。

 軽く、しなやかで、水に濡れると柔らかくなる物質。

 海の泡の石(メルシャウム)

 象徴的だ。

 私たちの夢も、父の夢も、泡となって消えた。

 もはや誰のものでもない、この海に。

「そうでしょ」

 レジの奥に目を向ける。

 陳列棚の写真立てにいる松浦鏡一は、最期の瞬間、なにを考えていたのだろう。

 

   *

 

「皆さん、お待たせしました! もう間もなく開演の時間です!」

 舞台袖から緞帳の前に出てきた小口田よしみは、一人スポットライトを浴び、体育館のアリーナに大きく手を振った。

「本日のパフォーマーは、我らが私立浦の星女学院高校にようやく誕生したスクールアイドル! 名前はまだありません!」

 フロアシートに並べたパイプ椅子から、パラパラと笑いが起こる。

「夢は大きくラブライブ!優勝、でもその前に部活動への昇格が必須となります! そのファーストステップが今日のライブなのです!」

 緞帳と舞台の間の狭いスペースに立ち、ライトの熱で汗を流しながら、記憶した台詞をハンドマイクにまくし立てる。一昨日の生配信で失敗したお陰で、それほど緊張していない。

 だからよしみには、照明がついておらず、悪天候もあって薄暗い即席のライブ会場を、観察する余裕があった。

 一〇人。

 八〇〇脚用意したパイプ椅子の、一パーセントにさえ満たない。

(マジか……)

 あまつさえ、そのうち二人がルビィと花丸、残りが昨日設営を手伝ってくれた浦女生とあれば、スクールアイドルで学校の存在を外部にアピールする計画など夢のまた夢だ、と証明してしまったようなものだ。

 しかしそれとは違う思いを、よしみは抱いていた。

(考朔くん、来てくれなかったんだ)

 自分が変わったところを幼馴染みに見せたくて、MC(司会)を買って出たのに。

「よしみ、準備オッケーだよ」

 右耳にはめたイヤフォンから、放送室のむつの声がした。三人のスタンバイが完了したのだ。

(しっかりしろ! 今は千歌たちの手伝いが第一義!)

 よしみは笑顔を維持したまま、唇を舐める。

「結成から僅か一箇月のユニットですが、そんな但し書きは不要! 最高のパフォーマンスをお届けします!」

 一呼吸。

 次の台詞を言い終われば、幕が開く。

 この光景を、千歌たちに見せることになる。

 自分のように不純な動機ではない、真剣にこの学校のことを考えるあの子たちは、耐えられるのか。

 無人のファーストライブでさえ伝説にしてしまったμ'sの強さが、あの子たちにあるのか。

 信じるしかない。

「それでは開演です! ≪浦の星女学院スクールアイドル同好会≫! 大きな拍手でお迎えください!」

 よしみが舞台袖に引き、するすると緞帳が上がっていく。

 粒は少ないが大きな拍手に、口笛が重なった。

 もう後戻りはできない。

 

   *

 

 軽快なエレキギターがイヤフォンから流れ、小さな画面上で並んだ三人が手を打ち合わせ始める。そのリズムに観客のものらしき手拍子が乗った頃、リズム隊が曲に輪郭を与え、次いで、最初の言葉が放たれた。

 配信画面の上部に表示された『決めたよHand in Hand』が曲名のようだ。始まりそうで始まらない不安な気持ちを拭おうとする歌詞は、まさに今の彼女らの感情そのものだろう。タイトルの通り“手”を意識した振りは緩急の利かせ方が上手いし、千歌を含む二人の長い髪の動きはダイナミックだ。音ノ木坂からの転校生が書いたといわれる曲はノリのいいアップテンポで、観客との一体感をもたらす手拍子も合わせて、盛り上がる要素が過不足なく盛り込まれた、ライブの一曲目に相応しい。スリーピース編成の基礎のキの字に達したばかりの拙い編曲にも、目をつぶってやりたくなる。

 だが、パフォーマンス外の声は僅かだ。固定カメラは客席を映さないが、おそらく二〇人も入っていないだろう。それは、舞台に現れた千歌が、小さく息を呑んだことからも明らかだった。

「なにが大丈夫よ」

 高海美渡は感情の籠らない声で呟いた。

 静岡OGIの医務室で目覚めて最初に思ったのは、妹が出演するライブのことだった。だから産業医にベッドでの待機を命じられた美渡は、誰かが来る前にチェックしておこうと、シザーケースを改造したウェストポーチに手を伸ばした。

 母に部費をねだる時、あれだけ大見得を切って宣言したのだ。

 その勝算の結果を確認したかったのだ。

「だから言ったじゃない」

 想像通りだった。

 枕を背中にベッドに腰かけた美渡が見たのは、ただ必死な三人の姿だけだった。

 SNSでは配信URLが七〇〇回以上拡散される程度には話題になっているし、画面を流れるコメントも賑わっているが、それは「学校を救う」という千歌の目的とは合致しない。少なくとも、短期的には。

「もういいや……」

 イヤフォンを耳から抜いて、配信アプリを閉じようとした時、ノックの音がした。

「どうぞ」

「失礼します」

 ドアを開けて入ってきたのは、顔を強張らせた主任だった。彼はベッドから起き上がっていた美渡を見て、目を見開いた。

「もう大丈夫なんですか?」

「え、あ……」

 美渡は答えに詰まる。

「高海さん? まだ痛みます?」

「あ、いえ、大――丈夫です」

 呪いの言葉を口から押し出し、笑顔を作ってみせる。

「ごめんなさい、なんかグッスリ寝ちゃって。あの、脱臼も治ってるんで、心配しないでください」

 美渡が無造作に左腕を動かすと、主任は苦笑してボサボサの頭をかいたが、改めて頭を下げた。

「申し訳ございません。本来はソフトが出来たところで、高海さんの役割は終わっていたのですが」

「しょうがないですよ、鞠莉さんに一番近いの、私なんですから」

 ≪シャイニーMark III≫開発の無期延期を撤回させるため、可及的速やかに≪ストローク≫の実績を上げなければならない。しかし危険性の高い飛行機能であるために、鞠莉(社長兼CEO令嬢)に装着させることはできず、いつものテスト要員も準備できず、ゆえの代理装着であり。

 結果が、この医務室だった。

「それよりMark Iは?」

「機体としては無事です。ですが、≪ストローク≫のテストはこれ以上進められない以上、計画の凍結は免れないでしょう」

 主任は冷静な口調を保っていたが、笑顔は暗かった。

「仮面ライダーは、これで終わりです?」

「μ-フォームを利用しない、本来の意味での≪人体ラギダイズシステム≫事業として、継続される可能性はあります。リストラ(チーム再編)は免れないでしょうが」

「ですよねー。せっかく楽しくなってきたのになあ」

 美渡は顎を上げた。テストを主導した主任とスーツを着た美渡が大きな責任を負うのは、容易に想像できたからだ。

「ホテルオハラのコンシェルジュに戻されるだけならいいけど。って、もうOGI系の就職は無理かな」

「高海さん、それは?」

 独り言を呟く美渡を無視し、主任は電話に目を向けた。

 そこにはまだ、三人の少女が踊るステージが配信されていた。

「あ、ごめんなさい。就業時間中に」

「いえ、この間の、えっと……なんでしたっけ」

「スクールアイドルです」

 主任が興味を示したので、美渡は電話の画面を彼に向けてイヤフォンのジャックを抜いた。

 音楽が流れ出し、主任が苦い顔をする。

「なんと言っているのか分かりません」

 ワイヤレスのヘッドセットマイクの性能がいいのか歌はよく通っているが、主任の言う通り、放送室から流しているらしき伴奏のノイズと、電話筐体のスピーカーの質もあって、言葉はろくに聞こえなかった。

 それでも女子高生の歓声と照明の中で踊る三人に、主任も事故後の緊張から解放されたか、やっと笑顔になった。

「楽しんでますね、三人とも」

 それは美渡も感じている。

 あの千歌が、楽しくないわけがないだろう。

 自分たちでスクールアイドルを立ち上げ、パフォーマンスを作り上げ、発表するところまでやってきたのだから。

 だが、部活動に相応しい実績を上げて、同好会を脱せられるかは、また別の問題だ。

 主任や美渡たちの努力も虚しく、ストロークのテストが失敗に終わったように。

「『楽しいだけじゃない、試されるだろう』」

 美渡が呟いたフレーズに、主任は微かに首を傾けた。

 

   *

 

 『決めたよHand in Hand』は、観客全員が初めて聞く曲だった。

 だが馳せ参じた浦女生の何人かはアイドル楽曲のコール文法を見出している人――いわゆるアイドルオタクと呼ばれる人たちのようで、二番が始まる時には不完全ながらもコールが成立しつつあった。

 黒澤ルビィもそうだった。

 最初は、念のためにと手提げ袋に入れてきたペンライトを小さく振っていたのに、文字通り手を引っ張られていくような期待感に溢れた歌詞に、自然と身体が動き出してしまうダンスチューンに、気付けば照れや恥ずかしさなど忘れて立ち上がり、声を張り上げていた。

「ルビィちゃん、夢中ずら」

 隣に座る花丸に答える余裕もない。

 観客は二〇人以上に増えた。体育着や道着を着たまま体育館を訪れた浦女生たちは、最初こそ後ろの方の席で慎ましく聞いていたが、次第にルビィたちの傍までやってきて、控え目ながらも声を発し始めた。

 数名が持ってきたペンライトの光が、橙色、水色、白色の三色にひらめき、曇天の闇を切り裂く。

 体育館の窓ガラスを揺する風の音も、屋根を叩き始めた雨の音も、今は聞こえない。

 信じられない。

 この言葉を紡ぎ、このダンスを刻み、この音楽を描いたのが、たった一つ年上の、しかもルビィの知り合いたちだなんて。

 どれだけの勇気を出せば、こんなことができるんだろう。

「はい、聞いていただいた曲は、『決めたよHand in Hand』でした!」

 MCのよしみが出てきて、曲の終わりに気付いた。

 声援が飛び、MCと三人が曲の説明をする中、ルビィはパイプ椅子にもたれ込む。

 ペンライトの電源を切っても、まだ光の渦にいるみたい。

 鼓動が収まらない。

 A-RISEに魅了された時とも、μ'sのラストライブの時とも、根本的に違う気持ちが、身体を内側から叩いている。

 と、笑顔でこちらを見ている花丸に気付いた。

「ごめんね、マルちゃん。うるさかったよね」

 自分の行動を思い返して手提げ袋に顔をうずめるが、幼馴染みは満面の笑みで首を振った。

「二曲目、少し待ってください!」

 MCを終えたステージ上の先輩たちが、指示があったか、舞台袖を見ながら告げた。

「すごいよね、あの衣装」

「既製品じゃないんでしょ?」

「部員の手作りだって、ヨハネ先輩言ってたよ」

 そんな会話が聞こえて、ルビィは改めて三人を見上げる。

 歌と踊りが消えたステージでスポットライトに際立つのは、演者としての三人、そして衣装だ。

「褒められてるよ、ルビィちゃん」

 花丸がルビィの肩に寄りかかるように囁いてきて、ルビィはこそばゆくなる。

 たしかに、衣装をデザインして、手を動かして形にしたのは、スクールアイドル同好会のみんなだ。

 でも、デザインをクリンナップして、型紙の設計から裁縫の基礎まで教えたのは、他でもない、このルビィなのだ。

 その事実が誇らしくて、裁縫道具や型紙本を入れた手提げ袋を抱き締める。

 大声で誰かに教えたくなる。

 ルビィがいなければ、あの衣装はあそこになかったんだ、と。

「そっか、だからスクールアイドルなんだ」

 私たちが作る、私たちのアイドル。

 私たちのもの。

 その概念が、実感として染み込んできた。

「次はお団子に挑戦しようかな」

 ルビィの独り言に、花丸はクスクスと笑った。

 当のお団子を頭に載せた友人は、二人のやりとりなど露知らず、何パターンもの堕天使ポーズを決めていた。

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