仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

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第一二話:誰もが一つ持ってる、勇気の欠片 - 3

   *

 

「雨……かな」

 高海美渡の呟きを裏付けるように、音楽が消えた後に残ったノイズが、ばたばたばた、と激しくなってきた。間を開けずに画面にブロックノイズが産まれ、MCの音声が途切れがちになる。

 その時、二人の電話が警報を鳴らした。

「またフォーメア?」

「いえ、大雨と暴風、あと波浪警報ですね」

 なら珍しいことではない。美渡は警報の通知を消して、アプリでリアルタイム天気図を開き――

「は?」

 ――地声が漏れた。

 伊豆半島の覆う台風のような雲の渦が、その中心部分が狙い澄ましたかのように内浦湾にあったからだ。

「なにこれ……」

 昨日の天気予報では、前線はもっと西にあって、今日は一日晴天だったはず。

 時系列を遡って雲の動きを見ると、未明に内浦を中心に発生した低気圧が、ここ一時間で急激に発達していったのが分かる。

 こんなことが起こるのか?

 電話を配信画面に戻すと、回線が切り替わったか、映像も音も見られる品質に戻っていた。

 千歌は舞台袖の誰かと話してるようだが、声は聞こえない。中止を検討しているのだろうか。千歌は真剣な面持ちで、曜は不安そうに自分の身体を抱き、見覚えのないもう一人のお団子頭は場繫ぎのためか謎ポーズを披露している。

 聞こえるのは、強くなる雨音と、女子高生の心配そうなざわめきだけ。

 それが美渡の心に、じわじわと不安を染み込ませていく。

「どうなるんだろ」

「大丈夫でしょう。暴風は内浦から大瀬崎にかけてですし、この規模なら前例はいくらでもあります」

「大丈夫?」

 美渡は顔を上げる。

 窓のブラインドに指をかけた主任が、小雨の空を背景にこちらを見ている。

「では、私はこれで失礼します。高海さんは大丈夫そうですが、念のため、ゆっくり休んでいて下さい」

 社交的な笑顔で部屋を出ていく主任を、美渡は口を開けて見送る。

 大丈夫だって?

 私の妹が渦中にいるのに?

「皆さん! 聞いてください!」

 画面の中の千歌が、ワイヤレスマイクを押さえて言った。

「現在ここ内浦に、爆弾低気圧による大雨、暴風、波浪警報が出ています! でも心配しないでください! この学校が指定避難場所です! 体育館から出なければ安全です!」

 ノイズ混じりにそういうと、曜ともう一人の女生徒に視線を向け、再度客席の方を見た。

「父兄の方々や近隣の方々も避難されてきましたので、ライブは一時中断とします!」

 観客の暖かなブーイングと拍手の中、

「みんな待ってて! きっと戻ってくるから!」

 と三人は舞台袖に引いていった。

 スポットライトが消え、照明が一つずつ落とされ。

 やがて様々な声をかき消すように、大雨がスピーカーを支配する。

「そりゃ、『大丈夫』なんて言えないよね」

 美渡はベッドに腰を下ろしたまま、一人笑った。

 千歌はちゃんと理解している。

 この状況が自分たちの範疇を超えていると。

 嵐の話ではない。

 千歌だって、志満の挑戦の結果を、見ていた。

 このライブがどう終わるかなんて、分かっているのだ。

 だから、美渡は応援なんてしたくない。

「しょうがないじゃない」

 これ以上、姉妹の涙は見たくない。

 

   *

 

「果南、こっちは大丈夫だ」

 エンジンを切った≪ジュール丸≫は錨で繋ぎとめられ、二メートル近いうねる波をたゆたっている。松浦節三はその操舵席で、淡島居住区の孫娘に呼びかけた。

 海上ネットワークで繋がったタブレット端末には、こちらに背を向けて壁際に立つ果南が映っている。顔は見えない。風を吸収する複合素材の外壁が振動し、その度に、果南の高い位置でまとめた髪が微かに宙を撫でるだけだ。

 港外どころか湾外まで退避した節三の予測は正しかった。

 低気圧は午後の予報も覆して発達を続け、沼津全体を雨雲で覆い尽くした。そればかりか、中心部の内浦湾は局所的な暴風雨となり、外から見たそれはまるで小さな台風のように見えた。圏内の海上風速は二〇メートル以上あるだろう。

 とはいえ、この程度の低気圧なら、数年に一度のレベルだ。局所的ゆえに被害範囲は広くならないだろうし、中心部に近い淡島居住区も戦前の軍施設を活用したもので、強度の問題はない。

「果南、いいか、絶対に外に出るな。絶対だぞ」

 だが節三は強調した。今回の低気圧は、事前の気圧配置を無視した急激な発達に、周囲の大気の流れに逆らって留まり続ける中心気圧と、予断を許さないからだ。

 操舵席に固定された端末の中で、しかし、果南は答えない。

 閉めた雨戸が戸袋や窓枠とぶつかる音、木々が互いをこする音、波が岩肌を洗う音、それらが遠近問わずひっきりなしに聞こえてくる中で、うなじを見せる果南の意志は、頷くジェスチャーにしかない。

 無理もない、と節三は思う。

 五年前、まさに今回のような局所的低気圧で、果南は父を失ったのだから。

「よく聞け、果南。重寺港の船も何隻か一緒だ。暴風域がこれ以上拡大しなければ、余所の港に向かう。たぶん静浦漁港に――」

「――セッさん!」

 無線のスピーカーが叫んだ。漁師時代に懇意にしていた友人の息子だ。

 会話を遮られた節三は、刈り上げた頭をかきながらマイクを掴む。

「どうした」

「なんかいる!」

 返答するより早く、異変に気付いた。

 海面のうねりが、クルーザーの花緑青色の船底が足裏に伝えてくる波の周期が、変化したのだ。

 操舵席から周囲を見ると、同じように港外退避にきた漁猟船やOGIグループの作業船が、不規則な波に揺れている。

 その中の一艘、中型の延縄漁船のデッキに立つ浅黒い漁師が、無線機を片手に内浦湾を指差していた。

「湾内です!」

 節三は双眼鏡を取り出し、傷だらけの前面窓越しに海に向ける。

「なんだ……?」

 薄暗がりの暴風域で、なにかが蠢いていた。

 海面を裂いて渦巻く雨中に躍り出たちっぽけなシルエット。

 その形状を、節三はOGI発表の情報で知っていた。

 口が開いてくるのをとめられない。

 湾から一キロ以上離れた避難海域から見えるということは、小さく見積もっても全高五メートルはあるということ。

 そして、それが雲を泳ぎ、空に昇っていくのだ。

「怪人なのか……?」

 濃い雲に飛び込んで見えなくなる存在を見届け、節三はかすれた声を漏らした。

「あれがフォーメアだっていうんですか!」

「そんなもん、小原のヤツらの自演だって言ってるだろ!」

「でも、みんな見たでしょ!」

「こんな距離で判断できるか!」

 スピーカーの向こうで、誰かの言い合いが始まる。

「どっちにしろ、すぐ仮面ライダーが片付けてくれますよ!」

「バカ言うな! それこそ小原の自演だ!」

「雨に映してんだよ! 島からプロジェクターが――」

 ――その仮説は途切れる。

 輝く線が、空から海に振り下ろされ。

 暴風が引き裂かれ、雲が吹き払われ。

 日光を反射して緑青の輝きをまとったタツノオトシゴが現れたからだ。

「カヴァルッチャー・フォーメア……」

 呟きを否定する声は、もうなかった。

 天から舞い降りたそれは、台風から誕生した龍のように白雲をたなびかせ――

「――こっちに来るぞ!」

 誰かが半笑いで叫んだ。

「エンジン始動! 換気は待つな! 海域を離脱しろ!」

 思わず指示してから、節三は自分がもう船団長でないことを思い出す。

「了解、エンジン始動!」

「エンジン始動!」

 だが海域にまとまっていた漁猟船の多くは、節三の号令で行動を開始した。目前で進行する状況を自ら理解するより、聞き慣れた声に従う方が容易かったのだろう。

 方々で船が息を吹き返し、船員が動き始める。

 その中で節三は、カヴァルッチャーと名付けられたフォーメアに、小原の情報とは違う点を見て取った。

 鋼鉄の顎と腹で、直径数メートルはあろう巨大な球体を挟んでいるのだ。

 まるで龍が掴んでいる如意宝珠のように、透明に透き通った球体を。

 カヴァルッチャーは前傾していた身体を一度逸らすと、勢いよく頭を振り下ろし――

「まさか!」

 ――その球体を海面に叩きつけた。

「東南東から高波くるぞ! 各船、走錨に警戒しろ!」

 海が凹み、直後、水柱が立ち上がる。

 カヴァルッチャーの巨体を悠々と飲み込む飛沫が水面に落ち、海が白く泡立つ。

 節三は双眼鏡を構えたまま揚錨機のリモコンに触れ、しかし錨綱を伸ばすか巻き上げるか迷う。

 泡のように水面に浮き上がってきた球体に向かって、海水が反時計回りの渦を巻いて引き寄せられていくのが見えたからだ。

 波が来るのか、波が引くのか。

 波に耐えるべきか、波から逃れるべきか。

 判断できない。

 いや、それよりも――

「まさか、あれも?」

 ――海面が落ち窪んでいるのは、沈む対流が生まれているからか?

 あの球体が、海水から急速に熱を奪うことで?

 なら、ここを包む低気圧は?

 節三の疑問は、中断を余儀なくされる。

 本当の衝撃が来たからだ。

 海面から顔を出したカヴァルッチャーが、球体を見下ろす金属のタツノオトシゴが、輝く線を放ったのだ。

 球体が裂け。

 海面が爆ぜる。

 双眼鏡を外した節三は、わずか一キロ先の、数ミリの水しぶきを見る。

 数秒後、海面を微かに波立てて届いた、遠雷のような音を聞く。

 まるで現実感がない。

 子供の頃に父に連れられて見た『ゴジラ』のようだ。

 産まれて七〇年以上暮らしてきた街が、怪獣映画に登場するミニチュアに見える。

 穏やかな海面が、目前の光景を自分の世界と隔絶された景色のように感じさせる。

 だが違う。

 穏やかな海の上で、心拍数が上がっていく。

「揚錨急げ! 各船、湾に正対して全速後進!」

 カヴァルッチャーの影響が到達するのは、数分後になるだろう。それは節三たちの船舶に余裕があることを意味しない。すべてのものが水と重力の緩やかな伝播でもたらされる海上においては、数分後の危機を目前と感じられる時間間隔が求められる。

 だが、あの怪人はそうではない。

 海上という節三の日常を、文字通り一息でひっくり返してしまう非日常。

 そんな波を、どう乗り越えればいい?

「果南! 家から出るな! いいな!」

 そう端末に叫ぶのが精いっぱいだった。

 信号の乱れが激しくなった映像の中で、孫娘はいまだに背を向けたまま。

 その顔が微かにこちらを見て、なにかを呟くように顎が動いた時、映像が途切れた。

「果南!」

 叫び、しかし、意識を切り替える。

 今は自分の船に集中すべきだ。

 『ゴジラ』の僅か四年後、節三の父はこの海に消えた。そして、その五三年後には息子も。

 三代に渡り海で死ぬジンクスなど、果南に残せるわけがない。

 

   *

 

 鋼鉄製の引き戸が開くと、女子高生のざわめきが聞こえてきた。

 体育館の昇降口に集まってきた人々は、それにひるんだようだが、

「傘と合羽は靴と一緒に置いていってください」

「中に椅子がありますので、順次座っていってください」

「フロアシート以外の場所は踏まないでください」

 などと呼びかける教師たちに従い、次々と中へ入っていった。

 彼らはサイレンと共に発された避難勧告に従い、指定避難場所の浦の星女学院にやってきた近隣の住民たちだ。父兄の顔も見えるが、ほとんどは部外者だ。長井崎岬の丘に集まってきた彼らは、勧告こそされたものの、ここまでの風雨になると思っていなかったか、半数が壊れた傘を手に、半数がそれを捨てて走ってくる。

 ライブに集まった生徒が一〇人、避難者が学生約二〇人に一般人約一三〇人、教会から出てきた老婦が七人。

 それらが体育館に入ったのを確認すると、背後を振り返る。

 内浦湾を覆う灰色の空から垂れ下がっていた雲は、高圧縮の水流に分断され、勢力を弱めていた。

 代わりに、淡島の向こう側で爆発した水飛沫が、高波となって内浦湾に押し寄せてくる。

 その中心にいるのは、見る者の遠近感を狂わせる、金属光沢を放つタツノオトシゴ。

「やるじゃない、龍駒。もう≪デプレッション・フォーメア≫を倒しそうなんて」

 異常な低気圧を引き起こした直径五メートルの球体状の怪人は、カヴァルッチャー・フォーメアによって海面に押さえつけられ、外殻を破壊されつつある。龍駒が乗り込み、μ-フォームを摘出するのは時間の問題だ。

「それじゃ、第二ラウンド開始ね」

 ラズリ・フォーメアは楽しそうに唇を歪ませると、教会の尖塔から飛び降りた。

 

   *

 

 べりべり、ぱんぱん、と不格好なエンジン音を鳴らして、四台の改造バイクが海沿いの道を北上する。鷹揚と表現していいほど遅いスピードで蛇行し、四台中二台が装備する改造シーシーバーから、二人乗りした少女がこちらを煽ってくる辺り、共同危険型暴走族のお手本のような走りっぷりだ。

(時代錯誤なヤツらだな)

 二年前にも同じことを考えた、と石田健はスクーターのハンドルを操りながら思う。

 ≪クレイジー・フィッシュ≫は、古い言い方をすれば“レディース”だ。七〇年代に≪静岡県立沼津西高等学校≫の在校生とOGから誕生し、九〇年代から現代に至るまでも細々と活動を続けてきた暴走族だった。

 去年の交通事故で総長が怪我を負い、自然解散したと思われたのだが――

(――再結集は必然か。浦女にスクドルが誕生するなら)

 フェイスガードに当たる雨粒が、大きく多くなる。

 イヤな雨だ。

 スクーターの小径タイヤが伝える路面に意識を向けたまま、ハンドルのコンソールで電話を操作する。

「ケン、そっちの≪クラゲ≫はどうだ」

 フルフェイスヘルメットの中で呟くと、イヤフォンに音が返る。

「こっちは問題ないよ、総長」

「総長はやめろ。ジュウは」

「みかん山も動きはなしだ、総長」

「総長はやめろ」

 似たような二人の応答に、健は笑った。

「こっちも動きはない。引き続き頼む」

 健が率いる≪ローズ・アジェンダム≫は、三組に分かれて行動していた。長井崎岬から大瀬崎の方へ向かった連中を追う組と、長井崎岬から沼津へ向かった連中を追う()、その隙に浦の星女学院にやってくる連中を警戒する組だ。

 対外的には違法競走型暴走族――いわゆる“走り屋”と定義されるレディースの≪薔薇≫は、マシンスペックで劣る≪クラゲ≫を悠々と捉え続けて走る。本気で抗争するつもりはなく、≪薔薇≫を浦の星女学院から引き離すのが目的と推測する。

(いや、俺を、か)

 江浦湾の縁を巡る県道一七号線から、信号無視する先行車を追って国道四一四号線に入り、すぐに多比第二トンネルの入口をくぐる。

 見通しのいいトンネルを、蛇行するテールランプの軌跡を目で追いながら走っていると、背後からエンジン音が近付いてきた。

「挟み撃ちね」

 舌打ち混じりに呟き、しかし、違和感を覚えた。

 エンジン音が妙に濁った響きを伴い、不気味に反響してくるのだ。しかも煽るにしては速度が――

「――ぬッ!」

 光る線が通りすぎた直後、風圧に弾かれた。

 バイクが大きく傾き、咄嗟に厚底ローファーで地面を蹴る。

 体勢を立て直した時、そのシルエットはトンネルの出口の光に染み込み。

「おい! 殺す気か!」

 叫んだ時、女子高生の甲高い叫び声と共に、≪クラゲ≫たちのテールランプが不規則に揺れた。

 うち一台が急ブレーキをかけ、スキール音を立てて横転。

「クソ!」

 投げ出されたクラゲの一員を、濡れたタイヤで注意深く回避する。

 通りすぎ、肩越しに一瞥するが、彼女は橙色のライトの下でなんとか立ち上がっていた。

(仲間じゃないのか!?)

 健はアクセルを開き、トンネルを飛び出す。

 一時でも対向車線にはみ出した事実に、遅れて冷や汗が噴き出す。

 光に慣れた目に、多比の街を貫く片側一車線の道路を走る、五台のバイクが見えた。四台はクレイジー・フィッシュの改造バイク。だが、その四台を先導するもう一台は――

「クルーザーか?」

 ――曇天に銀色の輝きを放つ、長くどっしりとした車体。マットな黒と光沢のある青の部分をこちらに見せてスピードを上げる。

 クラゲの改造バイクはやかましいエンジン音をマフラーから吐き出し、三台がそれを追ってやはりスピードを上げた。

「馬鹿野郎! お前らの総長を忘れたのか!」

 健の叫びは届くはずもない。

 雨の路面だ、誰がどこで事故を起こしてもおかしくないのに。

「ケン! 救急車を呼べ!」

「そ、総長!? なにがあったの!?」

 取り乱した声がイヤフォンに届く。

「多比第二トンネルでバイクの単独事故だ! とにかく呼べ!」

「分かった!」

 言っている間に、タンデムシートの少女たちが細長いなにかを取り出した。

 クルーザーらしきバイクに振り上げたのは、竹刀だ。

 だがその時代錯誤の異物は、空を切るまでもなかった。

 クルーザーが急制動をかけ、少女たちに体当たりをしかけたのだ。

 二人乗りの一台が足を滑らせ、それに引っかかった一台と共に、沿線のコンビニの駐車場に投げされる。

 残された一台は、一瞬エンジン音を高めたが、すぐにブレーキをかけた。賢明な判断だ。

「ケン、追加だ。二台三人のバイク事故だ」

「なにしてるの、総長! 手は出さないって言ったじゃん!」

「俺じゃない! あいつが――」

 言いかけ、目を見開く。

 多比第一トンネルの前でテールスライドするそれは、六つのタイヤを有する、奇妙な物体だった。

 健はそれに見覚えがあった。

 三台のバイクが連結して作られたフォルムに。

「――パイルアップ!」

 いや、前後から押し潰された、緑色の中型ストリートファイターに。

 心臓が鷲掴みされたような気分。

 タイヤが撃ち出された。

 直後、健のスクーターの前輪がひしゃげ、宙に投げ出され。

 またか、と間延びした時間間隔の中で思った。

 

   *

 

 その女性は、青いラインが装飾的に入った白いアッパッパに同色のケープを羽織り、まっすぐ切り揃えた髪を揺らして、穏やかに微笑んでいた。

 避難していた体育館の人々は、近寄ろうとする人、それを引き留める人、不安そうに会話をする人と、対応を決めかねている。

 だが、来訪者が黒澤宗家の御寮人だと確信している人は、一人としていないのではないか。

 淡島の一件で顔情報が解禁され、各メディアで公開されてしまったのだから。

「お父さん? ……うん、ルビィです。お母さん、そこにいる? ……ううん、なんでもないんだ。それじゃ」

「やっぱり?」

「うん」

 最前列、つまり入口から一番遠い客席に座る黒澤ルビィは、青ざめた顔で花丸に首肯した。

 父の琳太郎は今、この学校を目指すリムジンで通行止めに引っかかり、往生しているそうだ。もちろん、そこには瑠璃もいる。

 だからルビィの母の顔をしたあの人物は、≪ラズリ・フォーメア≫で間違いない。

 でも、なぜ?

 ラズリの存在は周知の事実なのに、なぜ、わざわざあの顔でくる? ラズリは頭だって変形できるはずなのに。

 そんなことを考えていたから、

「ここにいて、ルビィちゃん」

 花丸が立ち上がったのに気付くのが遅れた。

「へ? ま、マルちゃん!?」

 ルビィが顔を向けた時には、花丸は舞台下手側から体育館後方へと走っていくところだった。

 その向こうに、壁際でスタンバイしていたルビィの専属ボディガードが、襟元のマイクになにかを話しているのが見える。

 まさか、みんな、戦う気なの?

「ねえ、ルビィ、あれってお母さんじゃないんでしょ?」

「この前、同好会の人が襲われてた、ラズリってヤツ?」

 後ろの席に座っていた先輩たちが、振り返ってルビィに聞いた。

「そ、そうですけど――」

「――ごきげんよう」

 ルビィはビクリと肩を振わす。

「光栄ですわ。不肖の娘ルビィも手を貸したスクールアイドルのライブに、こんなに大勢集まってくださったなんて」

「あなたが光栄に思う謂れはないよ!」

 スピーカーからの声に振り返ると、マイクを手にした曜が、ステージからラズリを指差していた。

「いますぐ出ていかないと、仮面ライダーが黙ってないよ!」

「オラもいます!」

 付け加えたのは、客席の向こうに立った花丸だ。

 四人の黒服も、闖入者から観客を護るように配置された。

 間に挟まれるかっこうの観客や避難者は、その構図にざわめく。

「この嵐もあなたの仕業なんでしょ? 残念だけど、もう龍駒が終わらせちゃうから!」

 曜が手にした電話の画面は小さくて見えなかったが、言われてみれば、屋根と窓を叩く風雨は弱まった気がする。

 嵐はこのまま去るの?

「もう少し粘ると思ったんだけどな、デプレッションちゃん」

 ラズリはクスクスと笑う。

 その音が、なぜかよく響く。

「なにがおかしいの!」

 曜の言葉に、ラズリは照明の落とされた天井を見上げた。

「ほんと、たくさんの存在に護られた街よね、内浦(ここ)は。小原家、黒澤家、仮面ライダー。シャイニー? ロリポリちゃんも。どんな悪者が夜をもたらしても、必ず誰かが日を照らしてくれる」

 そして、羽織ったケープから手を見せる。

「今回も?」

 その指を一つ、立てる。

「さ、見せてちょうだい。あなたたちの夜が、明けるかどうか」

 直後、数十体の水死体が、入口からまろび入ってきた。

 ライブの開場に殺到したファンのように。

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