仮面ライダーメルシャウム   作:fuki

50 / 51
第一二話:誰もが一つ持ってる、勇気の欠片 - 4

   *

 

 貧乏揺すりがとまらない。

 電話に映っているのは、さっきまで三人の女子高生が踊っていたステージだ。浦の星女学院スクールアイドル同好会の初ライブを画面いっぱいに捉えるには、最高のカメラ位置ではある。

 だが松和考朔が今見たいのは、ステージで体育館の入口に向かってマイクで叫んでいる幼馴染みではない。彼女の声の行き先だ。

 そこに誰かがいるはずなのだ。

「落ち着かねーよ、マツ」

 友人の腕が伸び、神経質に上下する膝を掴まれた。

 静岡県立沼津西高等学校の男子生徒を乗せたバスは、海岸通りの真ん中、≪三の浦総合案内所≫のバス停で停車していた。

 東海バスが運行する西浦線は、沼津駅から大瀬崎に向かう海岸線沿いを路線とするが、そのルートは内浦湾上の暴風域から外れていたので、風雨が強くなり始めたあともしばらくは平常運行を続けていた。だがカヴァルッチャー・フォーメアが起こした高波の影響で、西浦線は内浦湾の前後で折り返し運転となり、ちょうど湾の海岸通りを走っていた考朔のバスは、風雨が収まるまで一時停車してしまったのだ。

 だから考朔やそのクラスメイトは、誰かが撮影しているであろう体育館への闖入者の映像を探して、配信サイトやSNSを見ていたのだが。

(埒が明かない)

 考朔はバッグを掴んで立ち上がると、降車ボタンを押した。

「マツ、おい」

「俺、走るわ」

 元々バスは長井崎岬を回らないので、二つ先のバス停で降りたら走るつもりだった。ここからでも大差はない。

 空気の漏れる音と共に扉が開き、考朔は友人を押し出してシートの奥から出ようとする。

 だが隣のクラスメイトは動かず、

「焦んなよ、もう間に合わないんだし」

「どうせオレたちに追い抜かれるだろ」

 と考朔の腕を引っ張って座らせようとしてくる。

「どうします? 降りられますか?」

 運転手の言葉に考朔は少し考え、結局「いえ」と席についた。

「すぐ動くよ」

 クラスメイトの予測は当たりそうだった。

 嵐はすでに沈静化しつつある。風の音はするが雨はパラパラになり、海岸に沿って係留されているボートやクルーザーの揺れも、高波の残滓を食らっていた五分前との差が分かるほどに小さい。千切れていく灰色の雲も、小さな台風の形に戻ろうとはしなかった。

 それらが、二度目の遭遇である鋼鉄のタツノオトシゴが、直径五~六メートルはありそうな球体に何度も水のレーザーを撃ち込んでいることと、無関係とは思えなかった。

 あの巨大戦が一段落すれば、バスは動き出す。そうすれば考朔たちは、電話の中で展開される世界に行ける。それまで辛抱すべきだ。

「あった! おい、ここ!」

 と、クラスメイトの一人が自分の電話を指差した。考朔は前の座席のそれを覗き込む。

「ラズリ!」

 体育館にパイプ椅子で作った客席から、ステージの反対側――体育館入口を捉えた映像に映っているのは、つい一昨日出会った人の顔を持つ怪人。

 そして、その背後で蠢く、水死体のような存在。

「ゾンビまで!?」

 女子高生や大人たちの悲鳴が上がった。

 特設サイトが静止画しか公開していなかった、ピカソの絵のように抽象化された≪ゾンビ・フォーメア≫が、我先にと入ってきていたのだ。

 映像では判然としないが、その数は続々と増え、一〇体や二〇体ではすまなそうだ。フロアシートの敷かれたアリーナを歩くそれは、名前の通りホラー映画のゾンビに似て、ステージ側にいる生者へと緩慢な動作で近付いていく。

 つまり、カメラの方に。

「曜」

 自分の電話に目を向けた時、とーん、と雑音が響いた。

 曜がステージに座り込んだ。さっきまで強気な発言を増幅していたハンドマイクが、異音を立ててステージを転がっていく。

「ヤバい」

 呟くが、考朔になにができるわけでもない。

 カヴァルッチャーがあの球体を破壊してくれないことには――

「あれ?」

 ――電話から湾に目を移した考朔は、小さく声を上げた。

 カヴァルッチャーによって沈められていた球体が、ぷかり、と海面に浮かんでおり。

 透明だと思っていたその表面が、絹のように白い艶を帯び始め。

 そこを中心に、真っ白な空気が噴き出したからだ。

「おいおい」

 それは飛行機の翼端に発生する飛行機雲のようであり、それが急速に渦を巻き始め、つまり――

「≪デプレッション(低気圧)≫って、そういうこと?」

 ――嵐が戻ってきた。

 見る間に空に分厚い雲が広がり、空が覆われ、バスの天井を雨が殴り付け始める。

 台風のような雲が海に向かって垂れ込み、カヴァルッチャーに向かって発達していく。

 その渦に向かい、タツノオトシゴの口からレーザーを放たれた。

 しかし、“レーザー”とはいえ所詮は高圧の水、強力な回転で捻じ曲げられ、水飛沫と飛び散り。

 お返しとばかりに、雲に巻き込まれたタツノオトシゴは、空を舞った。

 ……こちらに向かって。

「おいおいおいおい!」

「発進します! お掴まり下さい!」

 停止していたバスのエンジンが震える。

 その間にも、何トンか何十トンか、緑色の金属光沢を放つ巨大な物体が、夢の中のようにゆっくりと回転しながら近付いてくる。

「おい、あれ!」

 その巨体を、友人の一人が指を差した。

「なんだよ!」

「あれだよ!」

「あれってなに!」

 クラスメイトが言い合い、考朔には見えた。

 カヴァルッチャーから、小さななにかが分離したのが。

 それが弧を描いて海岸通りの上空を通過し、空き家ばかりの長浜の街へ落下するのを、リアウィンドウごしに見た。

「仮面ライダー?」

 だから、クラスメイトたちの騒ぎに気付くのが遅れた。

「マツ! ヤバい!」

「え?」

「掴まって下さい!」

「え?」

 湾に目を向けた時、防波堤の向こうにカヴァルッチャーが落ちた。

 ややあって、係留中のクルーザーのマストが、グッと下がり――

「ちょ……ちょちょちょちょ!」

 ――水の壁が立ち上がった。

 防波堤を乗り越えたクルーザーに激突され、横殴りの高波で横転する阿鼻叫喚のバスの中、考朔は本気でヒーローの登場を願った。

 

   *

 

「果南!」

「ダメですよ、鞠莉さん!」

 テラス窓に駆け寄ろうとする鞠莉の腕を掴み、野尻松之介は絨毯を後退りする。

 二人の視界を埋め尽くすのは、ホテルオハラの≪プレジデンシャル・スイート≫の窓外一面を灰色に塗り替えた、雲。

「なんでよォ! アイツ、もう死ぬんじゃなかったのォ!?」

 雲の切れ間に見え始めていた青空は、ほんの数瞬で、猛烈に発達した雲塊に押し飛ばされた。

 いや、もはや“発達”などという気象用語で表現するのは不適切だ。配信の中でラズリが≪デプレッション・フォーメア≫と呼んだように、カヴァルッチャー・フォーメアが破壊しようとした巨大な球体は、信じがたいことだが、“怪人”なのだ。

 そう分かれば、12.7mm弾の狙撃をも防ぐ防弾ガラスに絶え間なく走る振動に、雇い主を近付けさせるわけにはいかない。

 鞠莉は松之介の手を払うと、スイートのリビングを歩きながらイヤーモニターに触れた。

「セブ! Chopperの準備!」

「なにする気ですか!」

「助けに行くのよ! 果南を!」

「無理ですよ、こんな風で!」

 軍用の輸送ヘリを改修した≪スターフォア一七号≫を使うとしても、この強風では格納庫から出すのも危険だ。

「じゃあBoatォ!」

「船もロープウェイも無理ですって! だから、ルビィさんと本土に渡れば、って言ったじゃないですか!」

「今さら遅いわよォ!」

 鞠莉はソファを蹴っ飛ばした。

 緑青色のスカーフと制服のスカートが揺れ、覗く紫色の下着に、松之介は目をそらす。

「だいたい、行ってどうするんですか。シャイニーは三津に預けっぱなしです。僕らにできることなんてないですよ」

 破損したMark IIの装甲は、アンダースーツと共に三津の≪OGIシーテック≫に搬入されたままだ。そして、シャイニーのプロジェクトがOGIグループの上層部によって凍結され、S-ユニットが事実上活動停止状態となれば、松之介を代表とする整備班はMark IIに触る権限もないのだ。

 蹴りの衝撃で絨毯に落ちたタブレットを、松之介は拾い、壁のテレビを見る。

 四つのパネル状に映されている――

 パイルアップ・フォーメアが起こしたらしき江浦湾の事故現場の速報。

 暴風をまとうデプレッション・フォーメアと内浦湾に倒れたカヴァルッチャー・フォーメアのヘリからの中継。

 浦の星女学院体育館のステージをフィックスで流し続ける配信。

 同アリーナのゾンビ・フォーメアとラズリ・フォーメアによる混乱を捉えた配信。

 ――そのいずれにも、仮面ライダーはいない。

(狙ったのか? このタイミングを)

 シャイニーが行動不能なのはまだしも、ブランキア――桜内梨子がこの街を離れ、ワンダ――高海千歌が動作不良のままライブに出演している今、自由に動けるのは、国木田花丸が操るロリポリと、松浦果南と思われる龍駒だけだ。

 そして江浦湾沿岸をパイルアップが、内浦湾上空をデプレッションが抑えてしまえば、バイクでの移動能力しか持たないブランキアが内浦に戻ることも容易ではない。

 ラズリ・フォーメアには、それだけの知性がある、ということ。

(でも、なにが目的なんだ?)

 怪人が中止させたライブの会場には、髪の短い少女が座り込んでいるだけだというのに。

 

   *

 

 土砂降りの雨。

 シートが広げられた体育館。

 沢山の水死体。

 悲鳴にならない声。

 充満する腐敗臭。

 いや。

 腐敗臭はない。

 ≪ゾンビ・フォーメア≫は記号としての水死体だ。

 一箇月前に屋上で出会った時だって、匂いはなかったはずだ。

 だから、これは幻覚。

 分かっているのに。

「カードが揃った」

 四枚の手札が、五枚目を呼び込んだ。

「カヴァルッチャーがやられた!」

「パイルアップが出たって」

「ライダーは?」

「なんで来ないんだよ!」

「ブランキア!」

 ゾンビが出入口を塞ぐように広がって迫る。

 みんなの恐れが伝わる。

 私と同じ恐怖が。

 伝播し、増幅し、拡散する。

 こちらの手札は?

 警棒で立ち向かうルビィのボディガード。

 制服のまま走っていく花丸。

 無理だ。

 相手はもう死んでいる(アンデッド)

 頭を千切っても、心臓を撃ち抜いても。

 私の頭からは殺せない。

 

   *

 

「警察はダメだな。パイルアップの事故と暴風の対応に追われてる」

「消防も、バスの横転が優先だって」

「理事長代理は繋がらないです。シャイニー、向かってるのかな」

 防音処理された放送室であっても、体育館を叩く雨音は強い。放送機材のそばのスツールで、担任の信代とむつといつきが話し合う声も、少し離れれば様々な環境音に混ざってしまう。

 だから、小窓から見下ろすアリーナで進行しているゾンビ襲撃の騒音も、遠い世界のことのように感じられた。いつこちらに到達するか分からない状況なのに。

 小口田よしみの顔が青い原因はむしろ、電話の向こうにある近い世界のことだった。

「考朔くんのバス、高波で引っ繰り返ったって」

「マジで!?」

 むつが大声を上げ、よしみは小刻みに頷く。

「ドアが下になっちゃって、開かないって。非常口も歪んじゃって。だから来られないって」

「バスが動かないってテキストはきてたんだけど、あ、じゃあ消防の云々って、それか」

「どっちにしても、消防士がゾンビと戦えるわけないし」

 話し始めるいつきとむつから信代が離れ、よしみの方に歩いてくる。

「じゃ、私たちでなんとかしなきゃってことだな」

 スクールアイドル同好会の顧問は、よしみの横で小窓を覗き込んだ。

 動きの遅いゾンビの侵攻速度と、四人のボディガードが押し返そうとする力は、今のところ拮抗している。

「膠着状態か。黒総警がどれだけ持つか、だが――小口田? どうした?」

 よしみは高いサイドテールを揺らし、担任を見上げた。

「デプレッションって怪人、たぶん、私がスランバラー(本体)です」

「は? すら……ずら?」

 信代はその用語を解さなかった。

「考朔くんがパイルアップ、曜がゾンビを産んだんです。淡島でラズリになにかされた四人の中で、むつと私がなんの怪人か分かってなくて、でも――」

 スツールに座って電話をいじっているカチューシャの友人を見る。

「――むつ、台風なんて怖くないでしょ?」

「え? まあ……そうかな」

 五年前の三月一一日に起きた、≪さんどっぐ号≫の沈没事故。

 内浦の産業を壊滅させたあの事故で、よしみの実家≪松月≫は倒産に追い込まれた。小原家が採算度外視で買収しなければ、よしみは今、この街にいない。

「だからデプレッションは、私が産み出しちゃったんです」

 あの球体は、この暴風は、よしみの恐怖の象徴だ。

 高波がバスを横転させ、考朔を閉じ込めたのは、私のせいなんだ。

 だが担任の女教師は、アリーナに目を向け、

「怪人って、そんな仕組みで産まれるのか」

 得心した調子で呟いた。

「先生、ネットとか見てないの?」

「そんな暇じゃないしな。そうか、泡のように浮かび上がる恐怖心の具現か」

 そして、よしみを一瞥した。

「なら、これはたぶん、お前だけの恐怖じゃない」

「どういう……ことです?」

「普遍的な恐怖ってことだ。誰か一人がものすごく怖がる特殊なものじゃなく、みんながそこそこ怖がるもので、恐怖の総量を稼ぐ。あのラズリってヤツはそういう手で攻めてきたんだろうよ」

「総量?」

「しかも暴風なら物理的な被害も起こせるし、ライブ会場の体育館に人を閉じ込められる。そこに水死体を組み合わせれば、この街の人間なら誰だって怖がる状況の完成だ。一石三鳥だな」

 信代が導き出した推論に、よしみは寒気がした。

「避難させたかったんだ。大人の人を」

 当時小学生だったよしみは、その“場”を直接は見ていない。浦女生の多くも同じだろう。

 だが、大人が悄然と歩いていた街の光景は、今でも覚えていた。

 体育館を叩き続ける雨音を見上げる。

 それがラズリの計画だとしたら、なんという頭の良さだ。

 淡島で私の恐怖を引き出してから、たった数日だというのに。

「よしみ」

「ん?」

 声に顔を上げた時、サイドテールを掴まれた。

「いて、いててて! ちょ、ちょ! むつ!」

「前に職員室で見た目玉、でっかい球だったよ」

「は?」

 解放されたよしみは、生え際を撫でながら、いつの間にかそばにいたカチューシャの友人を見る。

「覚えてない? 私がワンダに吹っ飛ばされた時、怪人は真ん丸の球だったじゃん」

 ゾンビ・フォーメアが現れた日にむつを襲った、三重の目玉みたいな怪人のことか? それが、球体のデプレッションと似ていると言っているのか?

「でも、あれってゾンビじゃないの?」

「そんなの分かんないけど、でも形だって普通すぎる。私たちと関係ないヤツかもしれないじゃん」

「そりゃ、そうだけど」

「センセが正しいなら、たぶんあいつら、私たちが怖がると強くなるんだよ」

「そんなこと言ったっむゅうう!」

 頬をつままれ、よしみは奇声をあげる。

「心頭滅却!」

「分かったって、もう!」

 むつを振り払い、だが、よしみは落ち着いてしまった。

 汗で滲んだむつの指で、むつ自身も平常ではないと分かってしまったからだ。

「よし、お前らはじゃれてろ。ちょっと行ってくる」

 信代はそう言って、放送室の壁に立てかけてあったモップを手に取った。

「無茶ですよ、ゾンビは倒せないんですよ?」

 いつきが引き留めるが、信代は答えず、よしみを見た。

「小口田、恐怖なんて誰にでもある。責めるべきは、そいつを利用しようとする誰かの悪意だ」

 そして鼻のギプスを剥がし、ゴミ箱に投げ捨てた。

 最初の日に≪エンジェル・フォーメア≫に殴られて折れた鼻骨は、もう治っていた。

「私は黙ってるつもりはないぜ。あいつらもだろ」

 信代が放送室から出ていった時、スピーカーが誰かの声を発した。

 

   *

 

「慌てないの! 我がリトルデーモンたち!」

 マイクを拾い上げたのは、この一箇月でずいぶん親しんだ少女だ。

「カンタン! マスカミ! 左を抑えなさい! シャクミは中央! カワズは右!」

 指示に合わせて動いていく黒服を見て、ゾンビの層が向かって左側だけ厚かったことに気付く。

「マル! その女を無力化して!」

「了解ずら! ポリちゃん! Go(行って)!」

 後輩の手から放たれた球体がゾンビに命中し、蠢く腹を食い破るようにダンゴムシの怪人が産まれる。

 ざわっ、と走る、畏敬入り交じるさざめき。

 右手のゾンビの群れをすり抜け、後輩が走る。

 少量の水から産まれた、二回りばかり小さいロリポリを携えて。

 ロリポリなら、フォーメアなら、ゾンビを殺せるのか?

 殺せるわけがない。

 ラズリ・フォーメアのそばの水たまりで、ゾンビが蘇る。

「マル! 本丸に集中!」

「分かってる――ずらッ!」

 二足歩行形態のロリポリの足がパンチを繰り出し、

「おっと」

 しかしラズリは悠々とリーチから逃れる。

「私たちの歌は≪ギャラルホルン≫じゃないわ! ≪ロキ≫よ、嵐の神の名において、(おの)が子の腸の虜囚(りょしゅう)となりなさい!」

「それ、私のこと言ってる?」

 白いアッパッパを着た道化(ジョーカー)が微笑を浮かべる。

「リトルデーモンは生徒に集中! 戦線を維持しなさい!」

 黒服は近付いてくるゾンビに警棒やパンチで応戦し、倒せないまでも近付かせない。

「ビビってる暇はないわ! 反撃開始よ!」

 そして歌舞伎のように、足裏でステージを踏み鳴らした。

 その震動をお尻で感じる。

 ラズリは“夜”と言った。

 あの水泳場の日、花丸は私のことを“太陽”だと言った。

 一昨日の淡島だって、真っ先に走り出したのは私だったのに。

 今、状況の中心にいるのは善子だ。

 沈んでしまったのか。

 今さらのように、みんなの電話がフォーメア通報を告げる。

 

   *

 

「マスカミ! 頭を破壊しなさい!」

 マイクの声に応じて、ボディガードの一人が緊張した構えを見せ――

「ァアタァッ!」

 ――怪鳥音と共に打ち出された手刀が、ゾンビの頭を吹き飛ばした。

 女子高生の黄色い声の向こうで、ゾンビの首から下が水になってフロアシートにこぼれた。

「おら!」

 さらにどこからか現れた女教師が、野太い声と共にモップをフルスイングした。

 ゾンビの頭が切り離され、空中で水になって飛び散る。

「見なさい! 仮面ライダーに頼るまでもないわ!」

 実例を見た三人の黒服も頭への攻撃を始め、次々とゾンビを水に還していく。

 中庭の時と同じく、それらは数秒で復活してしまう。だが今回はリスポーン(復活)地点が体育館入口のラズリ・フォーメア付近に固定されているようで、ゾンビの総数は減らないものの、侵攻状況はリセットできる。

「マル! 左が手薄! 抜けて!」

 善子はザコの分散具合をステージから観察し、花丸をボスへと導いているのだ。

 そんなゲーム的な発想が思い浮かぶのは、黒澤ルビィがこの状況を、電話の画面で見ているからだろう。

「鍵は?」

「ダメ、外からかかってるみたい」

「周到、ってかまあ、当然だよな」

「にしても、マジでロリポリってマルのペットだったわけ?」

「怪人と戦ってるって噂、あったよね」

「スゲーぞあいつ」

 フロアシートに膝をついたルビィは、周りの声を聞きつつ、パイプ椅子の背もたれの上から顔を出す。

 せっかく準備したパイプ椅子が倒れて積み重なるアリーナには、浦女生と避難者合わせて一七〇人ほどが集まっていた。内浦の人間の大半が集まったと言っても過言ではないその場で、ルビィは一番ステージに近いところ――一番安全なところにいた。

「頭、引っ込めてな」

 ライブで一緒にペンライトを振っていた先輩が、ルビィの肩に手をかけた。

「狙われてるんでしょ? 難儀なもんだよね、黒澤家も」

「うう……」

 手提げ袋を掻き抱いたルビィは、言われた通り小さくなる。

 だから、こちらに攻めてくるラズリとゾンビも、それに対抗するロリポリと黒服も、ルビィからは見えない。今ここ起こっていることなのに、誰かが撮影している映像をインターネット経由で電話で見るしかなかった。

 状況はそんなに変わっていない。

 ルビィの専属ボディガードである四人は、黒いジャケットとワイシャツをゾンビの爪で切り裂かれ、うち二人は上半身を完全に露出していた。

 背中から腕までを覆う筋力増強用サイバネティクスと防弾防刃着を素肌に身につけた彼らは、あちこちから出血している。“黒服”という記号を剥奪されたその姿に、ルビィは言いようのない不安を覚える。

 そんな黒服とゾンビの向こうに、幼馴染みを見付けた。

「ポリちゃん! Hold(押さえて)!」

 ゾンビの腕をかいくぐりながら発された花丸の指示で、一回り小さなロリポリがゾンビの上半身にしがみ付き、押し倒す。

「隙だらけよ」

 顔を上げた花丸の腕に、ろくろ首のようにグニャグニャと伸びたラズリの指が巻きつく。

「ロリポリがいながら、とんだ体たらくね」

 目前に現れたラズリが笑い、しかし花丸は手を広げる。

「ポリちゃん!」

 直後、ゾンビを抑えていたロリポリが分解した。当然、そのゾンビは立ち上がり、花丸の方へと爪を振りかぶり――

「ハイジャック!」

 ――ラズリの指を切断した。

「ぬっ!」

 指のテンションを失い、ラズリが仰け反ってたたらを踏む。

 それを追って花丸が突進、細い顎に掌底を打ち込んだ。

 母の顔が歪み、ルビィは口を手で覆う。

 なぜゾンビがラズリを襲った?

 画面を拡大して、察した。ゾンビの首筋、鬱血を表すらしき紫がかった模様にかぶさるように、黒い甲殻のようなものが広がっていたのだ。“Hijack(ハイジャック)”――フォーメアを乗っ取ったのか。

「それが切り札かしら。意表はついてくれたけど、でも――」

 だがラズリは顎を上げたまま、下目遣いに花丸を見た。

「――無駄よ」

 効いていない。ボディガードの辰本迅が砂浜で戦った時と同じだ。

「花丸! 左!」

 スピーカーが発した善子の声より早く、人間の形に戻ったラズリの右腕が、花丸に殴りかかる。

 花丸は左肩を引いて回避、ラズリの右腕を、両手で左右から挟み込むように極め――

「ずらッ!」

 ――地面に引き倒した。

「あの子も空手?」

 先輩が問うたが、ルビィは答えられない。

 健康法としての太極拳の演舞とは似ても似付かないから、ではなく――

「腕はダメだよ! マルちゃん!」

 ――ぐにゃり、と右腕がのたうち、ジャッキのように倒れたラズリを立ち上げさせたからだ。

 左腕もいつの間にか、ロリポリの半球状の甲殻に巻き付いて、七対の足を拘束してしまっている。

「ろくに情報連携もできてないのね」

「ずらッ!」

 勝ち誇ったラズリの腹に、花丸が掌底を繰り出す。

 ラズリは勢いで数歩後退りしたが、やはりダメージにはなっていない。

「だから、無駄だってば」

 それでも幼馴染みはとまらない。

「ポリちゃん! Ride on(乗って)!」

 ロリポリが泡と消え、ラズリの拘束から逃れたμ-フォームが飛ぶ。

「無駄かどうか!」

 再度の掌底。

「思い知るずら!」

 ずん、と。

「な――え?」

 ラズリの表面に波紋が広がる。

 ぶうん、と奇妙な音が響く。

 音楽のような、振動の連なりが。

「なに?」

 誰かが言った。

 ラズリが右肩を持ち上げ、伸びたままの腕を引っ張る。

 だが、右腕は変化しない。左腕も同様だ。

「フォーメアの対抗手段が仮面ライダーだけなんて、思わないことです」

 花丸が近付いてきたゾンビを殴る。

 その右腕が見える。

 黄色に輝く球体を手の甲に据えた、黒光りする籠手をはめた右腕が。

「あれ……ロリポリだよね?」

 パイプ椅子の上でオペラグラスを覗く先輩が呟いた。

「情報連携ならちゃんとしてるわ。『フォーメアはμ-フォームでしか倒せない』『ラズリは腕しか変形できない』『ロリポリはブランキアに影響を及ぼした』。この三点」

 スピーカーから自信満々の善子の声が響く。

 ロリポリを弓懸(ゆがけ)のような籠手に変形させて、花丸自身が使えるようにした。

 そしてロリポリの力で、ラズリの力を封じ込めたんだ。

「妄想筋ってヤツを鍛えておけば、この程度の発想、当然じゃない?」

 ラズリは溜め息をつくように、両肩を降ろす。

「でも、なんでそんなこと知ってんの? ヨハネ」

 誰かがステージに放った疑問に対する回答は、聞き慣れたものだった。

「何度も言わせないで! 何人(なんぴと)たりとも、この堕天使ヨハネの≪ウジャトの目≫からは逃れられないのよ!」

 笑いが起こる。

 小さいが、恐怖の中にぽつんと産まれた、確かな笑い。

 それは希望だ。

「ふ――ふふ」

 そこに、ラズリの吐息のような笑いが混じる。

「参っちゃうわね。何度目かしら、不意打ちを食らうのは」

「それもちゃんと連携してるわよ。『ラズリは油断してブランキアに負けた』ってね」

 また笑い声。

「そうね、ええ。油断。その通りよ。じゃあ今度こそ――」

 ラズリは言って、口を開いた。

 その喉の奥に、淡く輝く球体が見えた。

「花丸! 抑えて!」

 花丸がラズリに向けて再度、籠手を引き絞る。

 だが、遅かった。

 球体が一際強く光り、ざあ、と水が動く音が続き。

「――本気の本気よ」

 体育館の水がラズリの足元に集まり、さらなるゾンビが現れたからだ。

 ゾンビ・フォーメアのμ-フォームは、ラズリの体内にあるのか。

「花丸! 引いて!」

 舌打ち混じりの善子の指示で、花丸は新鮮なゾンビの群れから離れ、ロリポリ・フォーメアも籠手から二足歩行の姿に戻る。

 ゾンビの数は、もちろん判別できない。

 だが、ここにいる人の多くは、最大何体になるかを理解しているはずだ。

「総力戦だぞう」

 パイプ椅子の上に立つ先輩が、オペラグラスを手に呟いた。

「リトルデーモンたち! やることは同じよ! 褌を締め直しなさい!」

 スピーカーから友人が叫んだ。

 やることは同じ。

 でも、生徒たちの諦念の空気は消えた。

 でも、ゾンビの量的な手加減は消えた。

(でも……)

 でも、ルビィの不安はいまだに消えない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。