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「ドドドンカカカッドン!」
ドカドカドン。
「ドンカッドドンカカッ!」
ドカドカドン。
「ドカカッドドンドドン!」
譜面を口ずさみながら、いや叫びながら、太鼓の面と縁にバチを振り下ろす。
籠める力と跳ね返される力の、もはや無心の領域に達している制御。
その両腕の疲労は、限界のきわを綱渡りしている。
ノーツの間隙が消え、発声はヒューマンビートボクサー状態だ。
だが、走りきる。
「うおおおおおお!!」
高速で飛来するノーツをすべて打ち落とし、一拍ののちに現れた最後のノーツにバチを振り上げ――
「たぁッ!!」
――フィニッシュ。
ギャラリーの存在しない空間で、津島善子はバチを持つ手を弛緩させた。
「はあ、はあ、はあー……」
余韻に浸る
「『ノーブラ』で“可”が一二だと……? おいおい……ヨハネ……」
筐体に腕をついて頭を下げると、お団子にした右側頭部以外の髪がバサッと重力に負けた。
「ママー、鬼さんがいるよ」
「堕天使よ!」
「ひっ!」
大人げない指摘に舌打ち、汗まみれの顔を上げる。
「ラスト、『Private Wars』でも行くか」
気だるげにバチで曲を選び、
「難易度は、“鬼”」
息も絶え絶えのままスタートする。
善子がアーケードゲームでプレイするのは、『太鼓の達人』ただ一つだ。昔は何種類ものタイトルをプレイしていたが、ストレス解消目的でのプレイが増えるにつれ、気付けばこのタイトルだけが残された格好だった。
だが、筐体から流れているロックな曲調に、パニエで嵩増しされたスカートとフロントフリルのシャツ――ゴシック&ロリータ服、そしてドスの効いた歌声としなやかなバチさばきは、ことごとくミスマッチだ。
「はぁッ!!」
力を込めた二本のバチで、最後のアタックを叩き降ろす。
フルコンボ、当然だ。
大成功、これも当然。
「“可”……二四? ちょっと……」
燃えるように熱を帯びた両腕から、がくりと力が抜ける。
“全良”――可もなく不可もなくが基本の善子からすれば、あり得ない成績だ。
「今日は荒れてるね、ヨハネちゃん」
そこに、ダークブルーの制服を着た小太りの男性店員がやってきた。
「いやあ、ちょっと調子が――」
素で返しかけて、慌てて三本指で顔を隠すポーズをとり、声色を下げる。
「――ミドガルドが≪オーディンの加護≫を受けし≪嵐の神の日≫には、堕天使ヨハネの能力は極端に衰えてしまうのよ――」
余韻ありげな流し目と語尾の善子に、店員は笑い、
「腱鞘炎にならないでよ。今年の全国大会は応援してるんだから」
と残して去って行った。
「まずエリア大会よ、まったく」
姫カットに切り揃えた髪をさっと整えると、黒いエナメルのショルダーバッグを手に周囲を見回す。
スーパーマーケット内に併設されたアーケードゲームコーナーには、カードアーケードゲーム筐体をペシペシ叩いている子供がいるだけだ。お金は入っていないようで、繰り返されるデモとPVに声を上げている。
「まったく……」
夕食の準備で集まってきた主婦の流れに逆らって、善子はスーパーマーケットをあとにした。
一度は往復した家路は、もう薄暗い。それでも、一般人からみればコスプレに近いゴスロリの服は人目を引き、それは堕天使を自称する善子にとっては気持ちのいいことだった。少なくとも、ギャラリーのいない環境で音ゲーをプレイするより、一〇〇万倍いい。
会社帰りのクルマが通る道を歩きながら、歩調は自然と先ほどプレイしていた曲のテンポになる。歌を口ずさみ、手でリズムを刻む。失敗箇所を思い出し、記憶している譜面と照らし合わせる。次はもっといいプレイにするために。
「次か……」
呟き、手がとまる。
あの月曜日から、二日が経過した。
無意識に、ショルダーバッグを撫でる。
あの時は、これからなにが起こるのだろう、と恐怖し、同時に期待した。収めてしまった秘密に、ビデオカメラの重さが二割ばかり増したような気がした。
だが、学校は続いている。爆発で割れた管理棟の窓ガラスは当日の夜間に入れ替えられ、樹木と生け垣が焦げてしまった中庭は全面リニューアルが発表された。だが、余波はそれだけだった。
大きな動きといえば、OGIグループが≪仮面ライダー≫を正式に発表し、怪人を≪フォーメア≫と命名したことだろう。とはいえ、そんな情報で騒いでいるのはメディアやSNSといった外部であり、あの学校に通っている生徒には関係がない。
非日常が、急速に、日常に塗り替えられていく。
なにもかも終わってしまったのだろうか。
いや、なにもなかったのかもしれない。
そんな気がしさえするほど、善子の日常は護られている。仮面ライダーを作り出した小原家に。黒澤家にも?
ゆえに、今の善子の悩みは、もっと普通のことだ。
「もうこんな時間かあ」
暗くなっていく街並みの向こうの空に、善子は恨めしげに目を向けた。
獅子浜に住んでいた小中学生時代は、部活もなく遊ぶ時間が十分にあった。だから沼津市内の大きなゲームセンターに自転車で行く余裕も、“堕天使ヨハネ”として占いや悩み相談の生配信をする余裕もあった。だが今は、学校が終わって、本数の少ないバスで内浦から市内まで戻ると、それで一日が終わってしまう。アーケードで音ゲーをやろうと思えば、近所のスーパーのゲームコーナーになってしまう。自転車に乗れないゴスロリ服の気持ちよさに慣れてしまえば、なおさらだ。
結果、親しい友達がいない善子は、中途半端な自由時間で、中途半端に一人で遊ぶしかない。
その環境の変化に対する不満の方が、怪人より仮面ライダーより、大きくなっていたのだ。
「西高に転校できないかな」
津波を恐れて海岸沿いの街から沼津市内に引っ越したのだから、怪人を恐れて浦の星女学院からも転校させてほしい、と善子は思い始めている。浦の星のメリットである「高台の指定避難場所兼指定避難所」は、怪人のデメリットに負けるはずなのに。
「オーディンに見捨てられしヨハネ、ウェンズデイに堕つ……?」
いや、それに対抗する術が、善子にはあるはずだ。
今度は意識的に、ショルダーバッグを撫でる。
この重みは、そこで使うべきなのだ。
「壁は壊せるもの、よね」
A
「お待たせー! 衣装デザインできたよ!」
千歌の部屋に遅れてやってきた曜が座卓に座り、リュックも下さずスケッチブックを広げた。
デッサンや水彩画に、船や船長や棒人間の落書きをペラペラと飛ばしていき、目的のページが現れる。
「すごい曜ちゃん、こんな特技があったんだ!」
「へへーん」
「曜ちゃんはなんでもできるんだよ。運動勉強お絵かきなんでもござれ!」
「なんでもじゃないって」
座卓の和菓子の包みに手を伸ばす新しい友達に、桜内梨子は素直に感嘆した。
丈の短いノースリーブのベストをシャツに重ねたようなトップスに、グラデーションしていくプリーツスカート、ニーソックスと重ねたブーツと、層の構造で魅せる衣装だ。いわゆるデザイン画ではなく、ポップな絵柄で描かれた少女が衣装を着ている着ているイラストだが、言わんとしていることはちゃんと伝わる出来だった。少女がショートボブの千歌に見えないこともないが、そこは気にしないでおこう。
「この辺の黄色を、メンバーのパーソナルカラーに合わせて変えるんだ。スカートのグラデーション先は、補色系の差し色にするか、白か考えてるんだけど、どっちがいいかな」
曜がイラストを指差しながら言い、梨子は考える。
「私はシンプルな方が好みだから、グラデは白かな」
「差し色っていると思う? 今はボタンだけそうなんだけど」
「彩度を上げた同系色ならありだと思う。全体はペールトーンで揃えて、手袋、ブーツ、リボンあたりを引き締める感じで」
「そっか、さすが梨子ちゃん! メモっちゃお!」
曜はつづりの単語カードになにやら書き込む。
「頭のリボンだけは、差し色じゃなくてペールトーンの方がいいかな。重くなっちゃうから」
「ヨーソロー!」
“ようそろ”は肯定の返事ではない、と思いながら、梨子も座卓の和菓子を手に取る。クラスメイトの親が経営していると漏れ聞いた菓子屋≪松月≫の饅頭だ。先ほど曜が口にした時の香りで、ママレード系の酸味と餡子の甘味が合わさっていそうな味だと想像できた。
「ねえ、曜ちゃん、この衣装ってさ」
千歌が電話を見せた。映し出されたのは、μ'sが初めて世に出した『START:DASH!!』のライブ映像。初期メンバー三人が着ている衣装が――
「――あ、似てる」
「うん、ちょっと探してみたんだ。最初のライブで着る衣装なら、これを参考にしたいな、って。ダメかな?」
「いいよいいよ! 全然いい!」
梨子は曜の行動に驚いた。アイドルに興味のなさそうな曜が、μ'sに近付いてくるとは思っていなかった。いや、千歌のビジョンに近付いてきたのか?
「これで衣装はバッチリだね!」
「うん、あとはきちんとクリンナップして、型紙のレベルでデザインに落とし込めば一段落だよ!」
曜の言葉に、意気揚々としていた千歌の顔が引きつった。
「一段落までそんな色々あるんだ」
「そりゃそうだよ、ここで手を抜いたら、せっかく買った布がバラバラーのヨーソローだよ」
「そっかあ……。ん? 布を買って? 縫うの? 誰が?」
「え?」
千歌と曜が顔を見合わせ、次いで梨子を見た。
「わ、私は無理だよ。裁縫、あんまり得意じゃないし」
「私もダメだよ! エプロンの裏表逆にポケットを付けるくらいだから!」
「えばるな――という私も苦手なんだなあ。そうだ、千歌ちゃんのμ-フォームで、ボンっと!」
「うまくいくかなあ」
「難しいと思うよ。意識してあの形に変身してるわけじゃないでしょ。そもそも、曜ちゃんの分のフォームがないじゃない」
「じゃあ、裁縫係はお母さんに頼んでみようかな」
曜は単語カードに[裁縫←母?]とメモをとった。それが彼女の記憶術らしい。
「梨子ちゃん、みかん好き?」
目を向けると、千歌が勉強机の下の段ボールを引きずり出していた。箱には橙色のキャラクターと“寿太郎みかん”が書いてある。
「嫌いじゃないけど、今、勝手にものを食べちゃいけないの」
「え? なんで?」
「その、アレになってから、色々あって」
そう言うと、二人は察したようだ。
「じゃあ、食べていい時になったら食べなよ。せっかく内浦に来たのに、みかんが食べられないなんてもったいないよ」
「そうだよ! 太陽をたっぷり浴びた、ここのみかんは美味しいんだよ!」
千歌は小ぶりのみかんに親指を突っ込み、真っ二つに割った。皮の一部が破れたようで、柑橘類の香りがフワッと溢れた。
「はい、曜ちゃん」
「私はいいよ、ご飯近いし、手が黄色くなるし」
「ええー!?」
口を尖らせながらも、千歌はみかんをもりもり食べている。必殺技も≪ライダーみかんパンチ≫と言っていたし、本当にみかんが好きなのだろう。
「そうだ、曜ちゃん、今日は高飛込の練習だったの?」
「うん、市内でね。月水金は水泳部だから」
と短い髪をこちらに向けてきた。塩素の匂いはほとんどないが、湿っているのは分かる。
「あ、そうだ。梨子ちゃん、見て見て」
と曜がバッグから別の単語カードのつづりを出して、リングと紙の端に力をこめ、勢いよく弾いた。
「前逆宙返り三回半抱え型ー!」
それはパラパラ漫画だった。棒人間が台の上から飛び降り、回転して水面に落ちるまでの姿が描かれている。
「あ、すごい!」
「これ私の必殺技だからね、前逆宙返り三回半抱え型!」
「まえさかさ、ちゅう……? これをやるの? 曜ちゃんが?」
「そうだよ、沼津に産まれた高飛込世界チャンピオン!」
千歌が話に入ってきた。
「オリンピックは四年後なんだけど」
「金メダル決まったようなもんじゃん」
「そんなわけないって」
気付けば完全に集中力を失った自分たちに梨子が苦笑していると、窓の外で草履がコンクリートを踏む音がした。
「千歌、電話よ」
その声に、梨子は聞き覚えがあった。十千万の主、枝海だ。
千歌は立ち上がって窓から身を乗り出した。
「誰?」
「名乗らなかったわ。低い声の女の人だけど」
千歌が自分の電話を確認するが、着信はないらしい。千歌の番号を知らない人が相手、ということか。
「どうする? 断る?」
「出てみる!」
千歌は部屋を飛び出し、ほどなく固定電話の子機を持って戻ってきた。曜に座卓を指差されて子機をスピーカーフォンに切り替え、点滅する保留ボタンを押した。
「はい、お電話代わりました、千歌ですが」
千歌が声を投げる。だが反応がない。
「もしもし? どちら様ですか?」
いたずら電話だろうか、と思った時、スピーカーの向こうから、鶏の首を絞めたような笑い声が聞こえてきた。
「我が名は堕天使ヨハネ」
完全に想定外の単語で、三人の間になんともいえないムードが漂う。
「あなたのことは、すべて把握しております。我が≪ウジャトの目≫から逃れられるものはありません――」
曜が目で千歌に何事かを問うが、千歌は手と首を振るのみ。
「あなたには悪魔が取り憑いています。それは闇を食って成長し、いずれあなたを滅ぼすことでしょう――」
すべて把握していると言っている割りに、一対一で話している体なのが悲しい。
「救われる道は、一つしかありません。我が≪リトルデーモン≫となり、ヨハネに一生を尽くすのです――」
急に内容が小さくなった。
曜が通話口を押さえて、指をクルクル回す。
「ヨハネって、入学式の怪人をネットに配信してた、あの子じゃない?」
「そうだっけ? 梨子ちゃん覚えてる?」
「私、ちゃんと見てなくて」
「ちょっと、ねえ。聞いてる? もしもーし」
電話の主が、若干高くなった声で問いかけてきた。
「どっちにしろイタ電だし。切っちゃいないよ」
「でもなあ――」
――と、電話の向こうでなにかが叩かれる音がした。
「え? ちょっと、今電話中なんだけど!」
どかん、となにかが壊れる音に続き、
「わあ! なに!? なに! 鍵は! え! ウソおおおお!」
どすん、どたん、どたん、と重い音が何度か響き、やがて唐突に静寂が訪れ、
「お手数をおかけ致しました」
との男の声がした。
そして電話は切られた。
終話音が続く子機を切った千歌は、ポカンと梨子たちの顔を見る。
「そうだ、夜、ウチでごはん食べてく? 果南ちゃんの干物あるし」
「お母さん遅いし、いただいちゃおうかな」
「ごめんなさい、私、お父さんが帰ってくるから」
「ええー! いいじゃん!」
「わがまま言わないの、千歌ちゃん」
電話のことは、それで忘れられた。
*
意識を取り戻した時、津島善子は自分の不幸を呪った。
しんしんと冷えたコンクリートで作られた部屋だ。一辺が四メートルほどの四角い部屋で、壁は見えるが隅が見えない程度に薄暗く、空気は乾いている。壁際に椅子があり、善子はそこに両足を固定された状態で座っていた。
「なんなのよ、これ」
自由な腕で足首の固定を外そうとして、コンクリートの床が一つの頂点に向かって僅かに傾いでいることに気付く。それに沿って流れた液体の痕跡と、その先にある排水溝らしき溝に気付く。
「ちょ、ちょっと、ほんとにオーディンの加護はないわけ?」
その時、善子正面のコンクリートの一部が、部屋の内側に動いた。潰されると思ったが、ドアなのだとすぐに分かった。
「Hi!」
入ってきたのは、制服のプリーツスカートと、“Paranoïd”と書かれた黒Tシャツを着た、金髪の少女。
「理事長代理!?」
「Oh! 覚えててくれたの? 最高にShinyだわァ!」
お世辞にも重役に見えない鞠莉は、善子に抱き付いてきた。
「ちょ……!」
その後ろでドアが閉まる。
「ここ、どこなの? っていうか、なんで理事長代理が?」
「学校の外でくらい、マリーって呼んでくれない?」
善子から離れた理事長代理は、マリーともメアリーともとれる発音で言う。
「マリー……さん?」
「Yes!」
「その、私、なんでこんなところにいるの?」
「ウジャトの目で見れないの? 堕天使のヨ・ハ・ネ、ちゃん」
善子の顔がみるみる赤くなる。
「まさか、盗聴してたの!?」
「注目してたの! ウチの大事な商品をNetに流しちゃうような、Dangerousな子を!」
鞠莉の顔が近付いてきて、善子は急に恥ずかしくなる。
この人は、“津島善子”の裏の顔を知っているのだ。
“裏の顔”なんて言い回しをしちゃう性格を知っているのだ。
鞠莉はそんな気持ちをお構いなしに、大きな目をいたずらっぽく細め、善子の身体を舐め回すように見てくる。
「顔は可愛いし、Slenderな身体付きも悪くないわァ。大っきすぎないおっぱいも、むしろBetter?」
「な、ちょ、私まだ一五よ!? そんなの許されるわけないでしょ!?」
「許すかどうかは、私が決めるの!」
「やめて! やめてください! お願い! なんでもするから!」
と、鞠莉の頭が七〇度ほど傾いた。
「今、なんでもするって言った?」
「え? い、いや、それはあの、合法的なことなら、っていうか」
「合法的ならいいのね」
鞠莉の眉が、弓のように持ち上がる。
「OK、入ってきていいわよォ!」
コンクリートのドアが再び開き、黒服を着たサングラスの男がぞろぞろと入ってきた。
(いやいやこれどう考えても一八禁展開でしょ!? あれ? 一五歳ってダメなのよね? いやいや落ち着くのよ堕天使ヨハネ! いざとなればわが≪オルフェウスの竪琴≫で魅了してしまえば――)
――だが最後に入ってきた人物に、善子の志向は中断された。
鞠莉と同じプリーツスカートに、雷マークで連結された“AC”と“DC”が書かれた黒Tシャツを着た少女。長い黒髪が空気に膨らみ、濃厚な潮の匂いが漂う。
「知ってると思うけど紹介するわ、彼女は堕天使のリリーでェス!」
「なによ、堕天使って。た、ただの桜内梨子先輩じゃない!」
強がる善子に、その人物が、一歩近付く。
真上から照らされる明かりで、その人物の顔に影が落ちる。
「……仮面ライダー……ブランキア」
「ほら、やっぱり知ってた」
鞠莉の薄笑いが響き、指先の感覚がなくなる。
黒服が鞠莉を護る形に動く。そのための人数ということ。
つまり、ここで失敗したら命はない。
全身に脂汗を浮かせながらも、善子は口の端が笑顔の形に持ち上げた。
「あ、あの、私、津島善子って言います! あの、先輩たち、私と一歳しか違わないのに、あんなことしてて凄いなって思ってて! その、私カメラとか持ってるから! 生配信もでるきし、プロモーション活動でお役に立てればいいななんて思ってて! そ、それで! 二人を撮影しようと狙ってたんです!」
とにかく喋らなければ。
「その映像を見えてほしいな、なんて思って、だからだから高海先輩のウチに電話したんですよ! ほんとですって信じてください!」
「私たちの力になりたいの?」
「は、はい、そうなんです!」
梨子が善子の前でしゃがんだ。
照明に、後頭部のブローチの桜色が淡泊に光る。
ただでさえ白い肌はさらに白飛びし、眼窩は逆に影で見えない。
「なら津島さん、聞きたいんだけど」
口だけが笑っていると分かる。
そしてその口から、善子の運命を決定する言葉が紡がれた。
「サイホウってできる?」
該当する漢字が思い浮かぶまでの五秒間、善子はアホ面で静止していた。
*
スケッチブックの画用紙には、三つの図案が描かれている。
ピンクのクマの頭、ボールに乗ったネコは、ペン入れと着彩が済んだものだ。
三つ目は、ついさっき当たりを取っただけの円。
「どうしようかな」
自室の勉強机の前に正座した黒澤ルビィは、シャーペンを指の中で回す。
クマとネコはルビィの手で球形のぬいぐるみとなり、それぞれルビィと花丸のスクールバッグに結ばれた。それらは形状と色合いともに、花丸と二人で考えたものだ。
だが、その二つと同じ型で作ろうと考えている三つ目に関しては、なにを作るか、誰のために作るか、なにも考えていない。
現状は、薄く縁取られた球体だ。
「新しい布、買ってこようかな」
材料を入れている手提げ袋をチェックするが、布が心許ない。ずいぶん前にカバのティッシュケースに使った、紫色の布の残りがあるだけだ。
「でもなあ」
机の横の本棚に目を向ける。下から三段を占有する雑誌群を見る。
「今月の『ユーチュン』は新学期号だから外せないし……。でも、可愛い春物の小物の型紙も出てきそうだし……」
スクールアイドル関係の雑誌と裁縫関係の雑誌、そのパワーバランスが、そのままルビィの迷いを表わしていた。
天下の黒澤家といえど小遣いは歳相応、すべてを手に入れることはできない。雑誌を両方買って、あり合わせの布からぬいぐるみの設計を逆算するか、雑誌を一方だけ買って、布を選ぶところから始めるか。決めなければ、デザインは始まらない。
「お父さんに買ってもらおうかな……。でも、一緒に出かける機会なんてないし……」
裁縫道具の中のボビンをチェックしながら、またシャーペンを回す。姉には「落ち着きませんわ」と注意される仕草だが、一人だとついやってしまう。
だから、
「ルビィ」
と呼ばれた時、思わず「ピギィ!」と奇声を上げてしまった。
「どうしましたか?」
目を向けると、外廊下と自室を隔てる障子に、人の影が見えた。
「な、な、なんでもないよ!」
「開けますわよ」
障子がするすると開き、ダイヤが現れた。梅の花の模様を染め抜いた寝巻の衣擦れが、雨の音に隠れるように近付いてきた。
ルビィはシャーペンを机に置き、正座のままダイヤの方に向き直ると、ダイヤもその一間離れた位置に正座する。
「ど、どうしたの?」
緊張した妹に、姉は切れ長の瞼を笑顔のように細めた。
「映画、一緒に見ませんか?」
ルビィは、瞬きを繰り返し、机の上の電話を見た。九時を回っていた。
「ここのところ、一緒に見てなかったものですから」
ダイヤとルビィは週に二回程度、寝る前の時間を使って琳太郎が収集した映画を見ることがあった。一〇年近く続いている映画鑑賞会だ。
だがルビィが≪エンジェル・フォーメア≫と名付けられた存在に襲われた入学式から丸一週間、ダイヤからの誘いは途絶えていたのだ。
「見たい映画、あるの?」
「ルビィの希望がなければ、ですが」
ルビィは少し考え、そういえば、とあるタイトルを思い出した。
「ゾンビ映画……ダメ?」
姉の瞼が微かに見開かれ、一拍、すぐに元に戻る。眉は寄ったまま。
「一応確認しますが、どの作品です?」
「『歩く死骸』、なんだけど」
「一九三六年の、ですか?」
「かな?」
また、間があく。
姉の考えていることは予想できる。ルビィは僅か二日前に、水死体のような怪人に襲われたばかりだ。怪人はOGIグループにより≪ゾンビ・フォーメア≫と名付けられたことで文脈を得、ルビィはその文脈で自分の傷をえぐろうとしている、と思っているに違いない。
「ルビィ」
「うん?」
「『歩く死骸』はゾンビ映画ではありませんわ」
「……え?」
想定外の言葉に、今度はルビィが言葉を失う。
「あ、あれ、でも、死刑囚の死体が生き返るんだよね? それで濡れ衣を着せた犯人に復讐するって」
「ええ。ですがそれは、ブードゥーゾンビでもモダンゾンビでもありません。併せて言えば、ホラー映画とも言いがたい作品です」
「そう……だっけ?」
記憶を手繰ろうとするが、見たのはたぶん小学校低学年の頃だ、思い出せない。
「でも、ゾンビっぽい歩き方してたよね」
だからゾンビ・フォーメアを見た時に思い浮かべ、今、見たくなったのだが。
「あれは主演のボリス・カーロフが、『フランケンシュタイン』の時と同じ演技をしているにすぎません。それが後年のゾンビのイメージに近いだけで、ゾンビではありませんわ」
畳み掛けるようなダイヤの情報に、ルビィは自信がなくなってくる。
「でも……生き返るんだよね?」
「こう例えましょうか。ルビィの好きな『マイティ・ソー』において、人間として死に、超常の力で神として復活したソーを、あなたは“ゾンビ”と呼びますか?」
「う……」
姉が小さく息を吐く音がする。
また呆れられてしまった。
「仕方ありませんわ。ルビィが『歩く死骸』を見たのは小さい頃ですもの。記憶違いがあっても当然です」
だからダイヤの言葉が、ただのフォローに聞こえてしまい、
「すごいね、お姉ちゃんは。いつも正しくて」
だからルビィの言葉は、努めて明るく発せられた。
「当然ですわ。それが黒澤家ですから」
それで姉も安心したようだった。
「では、如何致します?」
「ん……。今日はもう少しデザイン考えたいし、また今度でいい?」
ルビィが机の方を振り返ると、ダイヤは頬を持ち上げた。
「分かりました。では、都合がいい日がありましたら、声をかけてくださいませ」
立ち上がり、部屋を後にする姉を目で追い、障子の向こうに消える間際、視線を合わせて笑いかける。
再び、自室に一人になる。
姉の残り香が漂う自室に。
「そうだよ」
シャーペンを拾い上げ、指の中で回す。
いつだってお姉ちゃんは正しいんだ。
真っ白な球体は、まだしばらく、なににもなれそうにない。
*
「こちら、堕天使の津島ヨハネさんです!」
「うわあ、それで紹介されるの、キツい」
翌日、梨子が二年生の教室に連れてきたのは、お団子を頭に載せた女生徒だった。
だが渡辺曜は警戒した。小声で呟く地声と、“堕天使”で“ヨハネ”のキーワードで、昨日の電話を思い出したからだ。
彼女は千歌をおどそうとした人物なのだ。
「ほんとにスクールアイドルやってくれるの!? ヨハネちゃん!」
だが千歌はそんなこと気にしていないように、下級生の肩を叩いた。
「す、スクドル!? いや、その、私はパフォーマーってわけじゃないんだけど!」
口を歪めて笑う顔は、堕天使でもアイドルでもないが、顔立ちは和風な純美少女と言って差し支えない。右側頭部でお団子にできるほどボリュームが多く、長さもある切り揃えた髪も、ダンス映えするだろう。
「えっと、堕天使? のヨハネ? さん? 昨日の電話、結局なんだったの?」
曜が聞くと、ヨハネと名乗った下級生は小声で、
「善子です」
と言った。
「え?」
「一応、あの、本名、善子なんで……」
「あ、ああ、そう……」
なんだこの気まずい雰囲気。堕天使を名乗るなら、キャラを徹底してほしい。
「それで、ヨ……ハネさん?」
「はい、えっと、みなさんがスクールアイドルを始めるって聞いたので、お手伝いできればと思いまして」
どこから情報が漏れているんだ、と曜は思ったが、よく考えたら理事長代理も生徒会長も知っているのだから、秘密でもなんでもないのだった。
「ニコ生配信してたのでライブの配信はできますし、ビデオでPV撮影もできますし、一応体力はあるのでダンスもできないこともないですし、ゴスロリ服が趣味なので裁縫もそこそこできますし」
「おお、完璧じゃん! 梨子ちゃんスカウトとしても超優秀!」
千歌は喜んでいるが、裁縫の
「そうだ、千歌ちゃん、詞で合わないところを直してみたの。えっとね……」
と千歌に話しかける梨子は、どこまで裏を取っているのだろう。
いずれにせよ、全面的に信用するのは早いが、できるというならやってもらおう、と曜はスケッチブックに手を伸ばした。
「じゃあヨハネさん、衣装の件だけど――」
「――その前に、生徒会長にリベンジだよ!」
千歌が大声を出した。
「って、なんの?」
曜を始め、梨子も善子も動きをとめる。
「だって五人揃ったんだよ!? これなら同好会の申請ができるでしょ?」
そういえば、と曜は梨子と目を合せる。
だが走る千歌を追って三年生の教室に向かった曜たちは、
「まだ早いかな」
と果南にとめられてしまった。
「ダイヤの性格じゃ、頭数だけじゃ認めてくれないよ」
「じゃあなにがあればいいって言うの!」
「一番いいのはライブだろうけど、せめて、人前に出せる状態の歌と衣装は欲しいね」
それは、千歌は唸ってしまうほどには正論だった。現状は、千歌の詞に梨子が曲を書いている途中で、衣装も曜のコンセプトデザインレベルの一枚絵しかないのだ。
「じゃあ、私は作曲しちゃわないと」
「衣装はどうしよう、ヨハネさんに任せて平気?」
曜がスケッチのコピーを善子に渡すと、
「へ、平気平気! このヨハネの手にかかれば、二~三日でパーッと完成させてあげちゃうんだから!」
善子は「んなわけないだろう」と言いたくなる自信で断言し、千歌と梨子は顔を見合わせて笑い、曜は不安になる。
だがスケッチブックから顔を上げた善子が口にした一言で、その件は忘れることになる。
「じゃ、予算ちょうだい」
*
「今年度の注目スクドルは――福岡の新星≪リグル≫、『九人の神から産まれた九人の子供』――神話出身の九人組、完全にμ'sのフォロワーだね」
沼津駅前、様々な雑誌が面陳列された背の低い棚が並ぶ大きな書店の入口。棚の前にはたくさんの客が立ち読みしており、中でも各種週刊誌が掲げる「内浦を襲う
『あ、この人たち、≪
黒澤ルビィはそんな周囲を見もせず、スクールアイドル情報誌≪ユースフル・チューン≫をめくりながら歩いている。イヤフォンからは、配信されたばかりのリグルの楽曲『僕たちは光の橋』が流れ、電話の画面が映すのはそのPVだ。
「曲は……『AA』のコード進行に『ぼららら』を乗せた感じ? 衣装は……うわ、『ユメトビ』と『キラセン』の既製品コスプレの魔改造だよ。記者さん、気付いてないのかなあ?」
眩しい笑顔に自信満々のパフォーマンスだが、その実、伝説のパッチワークでしかない九人に、ルビィは口を尖らせる。
「ルビィなら、もっとキチンとアレンジするのに。曲は無理だけど、衣装なら――ピギィ!」
音楽とPVと雑誌に夢中だったルビィは、棚から動いた人にぶつかってしまった。
「ごめんね、大丈夫?」
「あ、あの、ごめんな――」
謝ろうと顔を上げた時、
「――ピギイイイイ!!」
相手が男性だと気付き、ルビィは真っ赤になって走り出した。
「あ、ルビィちゃーん!」
一緒に来ていた花丸の声を置き去りに、階段を駆け降り、物陰にしゃがみ込む。
「はあ、はあ、もう……。また、ちゃんと謝れなかったよう」
なぜ男性に話しかけられると、こんなに取り乱してしまうんだろう。
「なんでルビィって、こんななの?」
自分でも分からない心の動きを、スクールバッグに結んだクマのぬいぐるみに話しかけた。そうしているうちに、息も心も落ち着いてくる。
顔を上げると、ルビィはステンレス製の本棚の間にいた。
日の光の届かない空間、明滅する蛍光灯、無機質な空間に並ぶ柱。そんな中で、見知らぬ背表紙を向けてくる本たち。まるで異世界の森に迷い込んだようで、ルビィは不安になる。
「ルビィちゃん、平気ずら?」
と、花丸が一階から降りてきた。渋い色の背表紙の本を、何冊も積んで持っている。
「うん。ごめんね、ちょっと驚いちゃっただけだから」
明るい顔を作ってみせると、花丸も笑顔になった。
「じゃあ私、もう少し回ってるね」
「うん、またあとでね」
花丸は、本を抱えて本棚の間を抜けると、階段を登っていった。その足取りは、まるでこの本棚の森が、お菓子の家に見えているかのようだった。
ルビィはスクールアイドル雑誌を手にしたまま、人っ子一人いない本の森を歩く。
「ここって、本あったっけ?」
そう口にして、ここが即席のスペースだと気付いた。普段はこの書店に並んでいない本を集めたイベントコーナーのようだ。
そう考えると、「余所から預けられた売れない子供が薄暗い地下で怯えている」というイメージが浮かんできた。
勝手に親近感を抱いたルビィは、やがて、趣味のコーナーに辿り着いた。
数は少ないが、その中に初心者向けのぬいぐるみ制作本を見付け、手に取る。
「あ、可愛くない」
いかにも売れ残りの本らしいニッチなぬいぐるみデザインに、ルビィは笑ってしまった。
小学校の家庭科で裁縫の面白さを知ったルビィは、元々針不精だった母の仕事を奪い、趣味というより実益で裁縫の腕を上げていった。姉が服を破いて帰ってきた時など、小学生のルビィが夜なべして直したものだ。今ではちょっとしたほつれなら普通の針で直せるし、靴下の穴の補修など片手間でもできる。
小物やぬいぐるみの制作は、その延長から産まれた趣味だ。どうしようもない習作から、誰に買ってもらったんだと母親に怒られたものまで数多くを作ってきたが、表に出したことはほとんどない。人にプレゼントしたのも、花丸へのネコのぬいぐるみが初めてだった。
「喜んでくれたよね、マルちゃん」
その時の花丸の顔を思い出すと、今でも嬉しくなる。
だからルビィは、今度は実寸大の型紙が収録された本を取り出した。
服を丸ごと制作したことは、もちろんない。自分にそんなことができるとは思えなかった。
それでも、平面の型紙から立体の服が作られる様を想像するのは楽しかったし、ぬいぐるみ作りに活かせる部分も多かったので、何冊か本を買ったことはあった。
いつかきっと。
ページを閉じると、表紙に印刷されたデザイナーと思しき若い女性と目が合う。そのてらいのない笑顔に、気恥ずかしくなる。
と、見知らぬ森の一角に、
「ここが≪ネメア獅子≫の住む、≪ネメアの谷≫ね――」
そんな独り言が聞こえてきた。
「あー、今のなし、しし座はかに座と相性よくないんだった。ったく、予算なんて分かんないわよ、私だって。作ったことないんだもん。スクープは回収されちゃうしさあ……。嗚呼、自らを意図せず窮地に追い込むは、産まれながらにして不幸なり堕天使ヨハネよ――」
その低音と高音を行き来する声には聞き覚えがあって、ルビィは思わず辺りを見回した。
あの特徴的なお団子頭は目の届く範囲にはおらず、この辺りには現実的な趣味の本しかない。堕天使さんはこないだろう。
だからルビィは冷静を保って型紙本を胸にいだき、本棚の間に立ち尽くしていたのだが。
「あれ? ねえ、あんたって」
お団子頭の下にある≪なんとかの目≫は、ルビィを見逃してくれなかった。
声は発さずに済んだが大きく肩を振わし、ルビィは声の主を振り返る。
「つ、津島ヨハネさん……」
「き、奇遇じゃない……」
ルビィが“ヨハネ”と呼んだ少女――善子は、ルビィの予想と違い、ばつが悪そうに笑っただけだった。だが考えてみれば、入学式の食い付きは単なるインタビューだったわけで、それ以来ろくに話をしていないのだから、この他人行儀な反応は当然とも言える。
「ゴスロリ? ヨハネさん、こんな趣味あったの?」
むしろルビィの反応の方が、この場では異常だった。善子のゴスロリ服に誘引されたルビィは、一歩で善子との距離を詰めると、お団子にした頭から厚底のローファーまでためつすがめつ眺めだしたのだ。
「え、えっと、なに?」
しゃがみ込んでスカートを触り出したルビィに、善子の顔が思わず引きつった。
「こんな厚いシフォンパニエ、初めて見た。こんな風になってるんだ」
「ちょ、ちょっと!」
無造作にスカートをめくられ、肌着のはずのパニエを露出された善子は、大いに慌ててスカートを押さえる。
「え、あ……ご、ごめんなさい!」
ルビィはその声で、自分の行動に気付くと、慌てて立ち上がる。
「あ、あの、失礼します!」
とルビィは善子をおいて立ち去ろうとしたが、
「黒澤さん! ちょっと!」
呼び止められ、振り返った。
ルビィは、善子の目線がルビィの持つ本に向けられているのに気付く。
スクールアイドルの雑誌と、型紙の本に。
「ねえ、聞いていい?」
「は、はい」
「何座?」
「え? ……九月二一日のおとめ座ですけど」
その途端、手を握られた。
「服、作れるんだよね!?」
「ピギ!?」
突然の大声に辛うじて声を押しとどめたルビィだが、善子はルビィの手を包むように握ったまま、涙目で片膝を突いているではないか。
「我らが慈悲深き神よ……。この堕天したヨハネにも、≪ネメア獅子の毛皮≫を授けてくださるのか――」
「え? ちょ、ちょっと、どうしたの?」
慈悲深き神らしいルビィが問うと、善子は膝をはたいて立ち上がった。
「いやね、とある人に頼まれて服を作らなきゃなんないのよ! アイドルの衣装なんだけど――」
「――アイドル!? 千歌先輩の!?」
今度はルビィが食い付く番だった。
「なんでそれを?」
「だって、高校生がアイドルの衣装なんて言ったらスクドルしかないし、浦の星でスクドルを始めようなんて千歌先輩以外にいるならルビィも見たいし!」
善子はルビィが突き出したスクールアイドルの雑誌を見て、口を開けて笑った。
「話が早くて助かる! ねえ、手伝ってくれない?」
「スクドルの衣装? ルビィが?」
「そう! お願い! もう、ほんとは作れないのに、無理なんて言えなくてさあ!」
手を合せてくる善子を前に、ルビィは気持ちがしぼんでくるのを感じた。
「あ、あの、ルビィね……。部活は禁止されてるんだ」
「なんで?」
「黒澤家のモットーに反するから」
そう言うと、善子は、
「『やるからには勝つ』? だから禁止されてるの?」
と言葉に怒気を含ませた。
「上手くいかないかもしれないから、縛り付けられてるわけ?」
善子の手が、ルビィの手首を掴んだ。
「あの、ヨハネちゃん?」
「そんな血の鎖なんて関係ないわ。あんたがやりたいかどうかよ!」
鎖。
≪黒澤家≫という血の鎖?
そんな風に考えたことなんて、一度もなかった。
でも。
「ルビィが作れるの、こんな小物だよ?」
ルビィはバッグを見せた。直径四センチほどの、クマの頭のぬいぐるみを。
「ウソ」
善子は天国から地獄に叩き落とされたようにガッカリした。
「ごめんね、期待させちゃって」
「そうだよね、ううん、そうだよ。そんなうまい話、ないよなあ……」
その様子に、ルビィはお腹の奥の痛みを感じる。自分の役立たずさに、お腹まで腹を立てているのか。
ルビィが期待させちゃったからいけないんだ。
思わせぶりに服の型紙本なんて持ってるから。
ああ、ダメだ、また泣いちゃう。
「あー、ヨハネさん! またルビィちゃんをいじめてるずら!?」
そこに、花丸が階段を降りてきた。ルビィたちの声を聞きつけて戻ってきたようだ。
「え? あ、えっと。あんた、誰?」
「オラは国木田花丸ずら! ルビィちゃんから離れるずら!」
普段は抑えている“オラ”と“ずら”を全開で、花丸は駆け寄ってくる。
「ちょ、誤解よ! 誤解!」
善子はルビィの腕を掴んでいることに気付いたか、慌てて手を引っ込めた。
「あ、あの、マルちゃん、今回は違うの。ルビィ、平気だよ」
ルビィは涙ぐんだ目を誤魔化すように、開いた手を大げさに振る。
それで花丸には通じたようだ。
「ごめんなさい! 私、また慌てちゃって!」
花丸は善子に頭を下げた。
「いいわよ、別に。私だって前科あるし。じゃ、まあ……。邪魔したわね」
善子はルビィを一瞥して、階段へ向かった。
花丸はその後ろ姿をしばし見送ったが、思い出したようにルビィを見た。
「マルは買ってきたよ。ルビィちゃんは決めた? どっち買うか」
ルビィは眼を逸らすように、手に持ったままの本を見下ろした。
表紙に印刷されたデザイナーと、また目が合った。