ファミレスを出た俺達は、お泊まりの準備のために一旦家に帰るという翡翠についていくことにした。
「シャワーも浴びるから待たせちゃうし、先に行ってくれていいわよ?」
「夜道を翡翠一人で歩かせられないよ」
他に口にしなかった理由もある。
家で翡翠と蒼汰が鉢合わせることがあれば、翡翠の怒りが再燃するかもしれない。そうなったとき俺達が居れば翡翠のストッパーになるんじゃないかと思ったからだ。
家についたとき蒼汰の靴は玄関に無かった。
どうやら外出したままのようだ。とりあえず鉢合わせてしまうことはなさそうでほっとする。
「シャワーを浴びてくるから、少し待っててね?」
俺と優奈は翡翠の部屋で待つことになった。
ここに入ったのは小学生のとき以来だ。
昔からあまり飾り気の無い部屋だったけど、今はさらに実用性に磨きがかかっていて、ここが女子の部屋だと判別できそうなのは、壁に掛けられた制服くらいしかない。
「おまたせ」
十分くらいで翡翠は帰ってきた。
急いでシャワーを浴びてきてくれたらしい。
「言われた通り髪は乾かさなかったんだけど……」
「うん、任せて」
魔法で乾かした方が早いので髪は乾かさないでいいからと翡翠に伝えていたのだ。
ベッドに座った翡翠が頭に巻いたバスタオルを外すと、ウェーブ掛かった烏の濡れ羽色の髪がふわっと広がった。
普段はポニーテールにしてある印象が強いので、髪を下ろした姿はとても艶っぽく見えて、どきどきしてしまう。
俺はベッドに上がり、翡翠の後ろから頭に手をかざして魔法を詠唱する。
「魔法ってこんなこともできるのね……」
「へへ、すごいっしょ!」
となぜか優奈が得意げに答える。
「すごいけど少し複雑な気分ね。毎日乾かしてケアするのにかけている手間暇を思うと……」
翡翠の長い髪は良く手入れされていた。聞いたら、翡翠は髪の乾燥に毎日十分前後かけているらしい。
「わかる。ズルいよね!」
優奈はほぼ毎日魔法をせがんでくる癖にそんなことを言う。
「なんだかなぁ……」
と、俺は苦笑するしかなかった。
翡翠は手早くお泊り用の道具を手提げカバンに詰め込んで準備を終える。
そして俺たちは翡翠の家を後にした。
結局、俺たちが居る間に蒼汰は帰ってこなかった。
惨劇を避けられてほっとしたけれど、いったいどこをほっつき歩いてるんだか。
翡翠を待っている間に、メッセージアプリで俺達の状況を伝えて、まだ家に帰らない方がよいと書いたけど、既読にもなっていなかった。
……まぁ、どうせスマホのバッテリーが切れたとかだろう。
家に帰ると母さんが出迎えてくれた。
「おかえりなさい二人共。それから、こんばんは翡翠ちゃん」
いつも通りのおかえりなさいが、なんだかとても安心した。
父さんは家に居なかった。急な仕事が入って出ていくのはいつものことだけど、母さんに聞いても行き先がわからないのは少し珍しいかもしれない。
それから、しばらくリビングでお茶を飲みながら女四人で談笑した。翡翠が家に来てゆっくり話をするのは数年ぶりで、話題には事欠かなかった。
「あ、そうだアリス。これ、渡しておくわ。朝夕に飲みなさいね?」
話の途中、思い出したようにそう言った母さんは、柔らかいボトルに入った薬のような物をテーブルに置いた。
「何これ……?」
「妊婦用のサプリよ。葉酸がメインで他に鉄やカルシウムが入ってるの」
母さん曰く、葉酸には細胞を作る働きがあって、胎内で子供を作る妊婦にとって必要不可欠な栄養素らしい。日本人の普段の食生活では不足しがちなので、こうやってサプリで補うのが良いそうだ。
ほんと、いろいろ知らないことばかりだなぁ……
子供を産むって大変だ。
その後、俺は翡翠と一緒に自分の部屋に戻った。
母さんが客間から布団を持ってきてくれて、二人で床に敷いた。二人でベッドに並んで座り話をしていると、優奈がお風呂に呼びにきたので、俺は翡翠を残して部屋を出る。
浴室に向かう前にトイレに寄った。
「……うわぁ」
思わず声が出てしまう。
エッチした後につけたナプキンは、体から出た蒼汰の精液でどろどろになっていた。
「……」
ショーツから外したそれを、なんとなく鼻に近づけてみる。青臭い雄の匂いが鼻を付いて、むせかえりそうになった。かつては日常的に嗅いでた匂いのはずなのに、なんだかとても生臭く感じてキツい。
「……なにやってるんだろ、私」
ふと我に返った俺は、ナプキンを丸めてトイレットペーパーで包みサニタリーボックスに捨てた。
今日三回目になるお風呂は一人でゆっくりできるかなと考えていたら、脱衣所に優奈が入ってくる気配がした。翡翠が居るのに……と思ったけど、優奈と一緒にお風呂に入るのはいつものことだったし、まぁいいかと何も言わなかった。
しばらく脱衣所で何やらごそごそしていたらしく、優奈が浴室に入ってきたのは、俺が髪と体を洗い終えて湯船に浸かった頃だった。
「アリス、だめじゃない」
ドアを開けて早々優奈は、俺を軽く叱るように言った。
「着ていった下着を洗濯機に入れたでしょ。普段使いのとは違うんだから、ちゃんと手洗いしないと」
「そうなんだ……」
知らなかった。
「今日はあたしが洗っといたから、次からは自分でしてよね」
「え……洗った……の?」
あれは蒼汰との行為で汚れてたはずなのに……
「なっ、なぁぁぁ――!?」
「……別にいまさら気にするような間柄でもないでしょうに」
気にするよっ! 優奈のばかぁ……
蒼汰にされたことは話していたけど、それで私がどんな反応したかまでは知られたくなかった……例えそれが与えられた刺激に対する体の生理的な反応だったとしても。
私はずり落ちるように湯船に顔を沈めて、呆れ顔の優奈を視界から消した。
ため息が泡になってぶくぶくと音を立てた。