異世界から戻った俺は銀髪巫女になっていた   作:瀬戸こうへい

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自覚

5月10日 水曜日 5週0日

 

 気持ち悪い。

 胃がムカムカして気を抜くと吐き気が込み上げてくる。

 覚悟はしていたとはいえ、昨日から始まったつわりは想像以上にきつかった。昨日はそれでも授業を受けられたけど、今日は途中でギブアップ。

 

 昼休みの教室に漂っているご飯の匂いが気持ち悪くて耐えられなかった。トイレで吐いていたら始業のチャイムが鳴ったので、優奈にメッセージを入れて保健室に退避した。

 心配した保健の先生に薬を飲むか聞かれたけど、妊婦が飲んで良いものかわからなかったので曖昧に断った。

 

 こんな調子で学校に通い続けられるのだろうかと、先行きが不安になる……体調が悪いと何もかもネガティブになっていけない。

 

 食欲もなくて朝は焼かない食パンを半分だけなんとか食べて、昼は食べられず。午後の授業の休み時間に優奈に買ってきてもらった炭酸水をちびちび飲んで、炭酸でお腹を膨らましてごまかした。

 

 明日から昼休みは部室に逃げることにしよう。保健室で横になりながら私はそう思った。

 

5月15日 月曜日 5週5日

 

 二度目の健診を受けに母さんと再び産婦人科を訪れた。

 診察台も一度経験してしまえば、うろたえることはない。つわりの吐き気で、それどころじゃなかったというのが正直なところだけど……

 

 超音波のエコー検査で、ディスプレイに私のお腹の中の様子が映し出された。

 白いもやの中に先週よりも大きくなった黒い丸ーー胎嚢が見える。

 胎嚢の中には点からそら豆のような形になった胎児が確認できた。

 

「心拍が確認できますね。おめでとうございます、赤ちゃんは無事に成長していますよ」

 

 先生の言葉も上の空で、私はディスプレイに映し出された映像に心を奪われていた。

 表示されたスケールによれば、全長3ミリにも満たない大きさの胎児。その中心部が規則正しく動いていた。

 大きくなって、小さくなって、その繰り返し。

 

「生きているんだ……」

 

 どくん、どくん、と力強い命の鼓動。

 衝撃と共にこみ上げてくる吐き気。

 

「うぷ……」

 

 ――だめだ。

 

「すみません、洗面器を――!」

 

 カーテンが空いて、看護師さんが洗面器を差し出してくれる。間一髪、惨事は避けられた。

 

 経過に問題はないけど、つわりがひどいときは無理せず休むようにと先生に言われて診察は終わった。

 

 家に帰ってからは部屋とトイレとの往復だった。お昼には酸っぱいのが食べたくなってポン酢のぶっかけうどんを少しだけ食べたけど、直ぐに戻してしまう。

 部屋では基本的にベッドに横になっていた。

 

「大丈夫?」

 

 いつの間にか優奈が学校から帰ってきていた。

 

「……しんどい」

 

 体を動かすことなく返事をする。

 

「うん……辛いね」

 

 心配した表情で覗き込んできた優奈が、額に張り付いた髪を除けてハンカチで汗を拭いてくれた。

 

「……ありがと」

 

 なんとか微笑むことができただろうか。

 

「翡翠姉から伝言よ。心拍が確認できたのならなるべく早く魂を移した方が良いみたい。明日の放課後、翡翠姉の家でするのはどうかだって。同じ内容のメッセージが入ってると思うけど……」

 

 そう言われて枕元のスマホが点滅していることに気づいた。

 画面を見ていると気持ち悪くなってしまうので、検診の結果を報告した後は、スマホを確認できてなかった。

 

「ごめん、見てなかった……うん、私はそれで大丈夫だよ」

 

「……? わかった。翡翠姉には返事しとくから無理はしないでね」

 

「うん」

 

 怪訝そうな顔をして優奈が部屋から出ていった。

 

 そう、これは予定通りのことだ。

 アリシアを救うために必要なこと。

 だけど……

 

 一人になった私は、両手で下腹部を押さえる。この中では新しい命が育っているはずだった。それは、私の子供。

 

「うぁ……」

 

 だけど、この子はあるべき形で産まれることは叶わない。明日胎児にアリシアの魂を移せば、本来この命に宿るはずの魂は生まれない。

 

 男のときは精子を、女になってからは卵子を、無為に体外へと排出してきた。

 魂が生まれる前の胎児にアリシアの魂を入れることも、それらと大きな違いはないだろうと考えていたんだ。

 

 でも、違った。

 エコーに映った小さな命は懸命に生きていることを主張しているように見えた。

 

「くっ……」

 

 ごめんねと、こぼしたくなるのをぐっと堪える。謝ることなんて許されない。これは一生抱えなくてはならない私の罪だ。

 

 これから、私がするのは産まれてくるその子供の可能性を奪うということ。人の親としては最低の行為だろう。

 

「うぐっ……」

 

 そんなことは、最初からわかっていたことなのに、私は何もわかっていなかった。

 頭の中がぐるぐるして、気持ち悪くて、涙が止まらない。

 

「ううぅ……うぁ……」

 

 結論は変わることはない。

 変えてしまえば何をしているのかわからなくなる。アリシアを助けると私自身が決めてやってきたことだ。

 

 でも、お腹の中にいるのは私の赤ちゃん。

 動いてた、生きていた。

 私は……

 

「うぷっ……」

 

 体を引きずってトイレに移動する。

 便器を覗き込むように座り込んで、吐いた。

 

 どれだけ出しても楽にならない。

 でも、吐いて体の苦しみでいっぱいになっているときは他のことを考えなくてすんだ。

 

「……アリス、大丈夫?」

 

「ごめん、優奈……トイレ使う?」

 

「下の使うから平気。背中撫でる?」

 

「ううん……今は一人でいたい」

 

 優奈や翡翠に打ち明けたら慰めてくれるのだろう。だけど、私はそうしたくなかった。

 

 この苦しみは私の物だから。

 

 本当に自己満足で偽善なのだけど。

 今日は、今日だけは、私の中にある命のことだけを考えていたかった。

 

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