プロローグⅠ・少年と黄金
苗木誠は普通の学生である。
人づきあいがうまく、誰とでもそつなく仲良くなることができるどこにでもいるような少年であった。
しかし、その事実は彼が9歳の時にほんの少し変わってしまった。彼はとある事情から、己の数奇な出生の秘密を知ってしまった。その時彼は荒れに荒れたが、両親の深い愛に触れ、それまでより少し前向きに、強い彼となったのだ。
そして、中学二年の時に仲が良かった叔父といとこに招待されたイタリア旅行。その初日の夜に事件は起こった。
(ああ…、僕ここで死ぬのかな…?)
苗木誠は薄暗い路地に横たわってそんなことを考えていた。彼らは深夜、ちょっとした興味心からスラム街の近くまで見物に来ていた。しかし、その途中、突如として現れた男に襲われ男の手に持った『矢』に刺されてしまったのだ。
ふと横を見れば、そこにはもはや顔の原型をとどめていない叔父といとこが倒れ伏していた。彼らは『矢』に刺されるや否や、悲鳴を上げて苦しみだすとやがて顔面が崩れて言って動かなくなった。かくゆう苗木も、胸部を『矢』に貫かれ、血を流しながら高熱に襲われていた。
そんな苗木に、『矢』を持った男がおぼつかない足取りで近寄ってきて、焦点の定まっていない目でこちらを見て再び『矢』を振り下そうとする。
(父さん、母さん、こまる……くそっ!こんなところで死ねるか!僕は絶対に帰るんだ!!)
迫り来る死から逃れようと必死にもがくが、出血と熱で指一本動かすことができない。それでもあきらめない苗木に、男は『矢』を突き立てる―
その時
「『スティッキー・フィンガーズ』!!!」
どこからともなく聞こえてきた叫びとともに、男の顎が何かの拳によって跳ね飛ばされる。その拳はなおも止まることなく男の顔面を殴り続ける。
『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ!!!』
「アリーヴェ・デルチ(さよならだ)!!」
流暢なイタリア語を最後に、その拳が男を吹っ飛ばした。
その光景を最後に、苗木の意識は沈んでいった。
気が付いたとき、苗木は病院のベッドに寝かされていた。医師の話によると、昨晩遅く彼の知り合いが自分をここまで搬送してきたらしく、自分の怪我の状態はひどかったが、どうにか一命を取り留めたらしい。しかし、叔父といとこに関しては手遅れだったとのことだ。
助けてくれた人物について聞いてみたものの、頑として教えてくれなかった。その代わり、その人物からのお見舞いとして贈られた花束を受け取った。
花束の中のカードには
「君の生きようとする黄金の覚悟に賞賛と情熱を」
と書かれていた。
数日後、苗木の負傷を聞いて飛んできた家族と共に苗木は帰国した。しかしそれからしばらくして、苗木は自身に宿ったとある力と向き合うこととなる。
帰国より数日後、下校途中だった苗木は不運にも他校の不良生徒にカツアゲされていた。
「おら、さっさと金出せコラ!」
「…だから、持ってないんだってば。いい加減にしてよ」
「んだとコラ!調子乗ってんじゃねえぞガキ!」
脅しに決して屈しようとしない苗木の態度に業を煮やした一人が、苗木に殴り掛かった。とっさに防御しようとする苗木。
その時
ブウンッ!
『無駄ぁ!』
グシャッ!!
「プギャッ!?」
突如として殴り掛かった一人が逆に吹き飛んだ。
「なっ!?お、おいどうした!?」
「わっ…わがんねえよ!急に顔面殴られたみてえな感じになって…。あ、アイツヤベえよ!」
「に、逃げろ!!」
突然の事態にビビった不良たちはしっぽを巻いて逃げて行った。しかし、当の苗木はそんな連中のことなど眼中になく、ただ茫然と眼前に立つ人物、突然自分の後ろから現れて叫びと共に不良の一人を殴り飛ばしたその存在を見つめていた。
それは人の姿をしてはいるが明らかに人外の風貌をした存在。甲虫の甲殻のような丸みのあるフォルムで、体のあちこちにテントウムシを張り付けたような姿を持った金色の存在。それを見た苗木が、思わず呟く。
「ゴールド…エクスペリエンス(黄金体験)…!」
それは最近CDショップで聴いた洋楽のアルバムの名だったであろうか。なぜそんな言葉が出てきたのか、苗木にも分からなかった。ただ目の前の、神々しさすら感じる金色の存在に対する素直な表現がそれであった。
その存在が自分の力だと理解した苗木は、それをそのまま名前にし内緒で制御するための練習を始めた。
それからしばらくして、中学卒業を間近に控えた苗木はあのとき自分を助けてくれた人物にお礼を言うべく、家族を説得して長期休暇を利用し単身再びイタリアへと赴いた。
そして、再び事件は起きる。
「さて、イタリアに来たのはいいけれど…どうやって探そうかな?あのお医者さんは絶対教えてくれなさそうだしなぁ…。でも、あれだけ信頼されてる人物なら、街の人たちもしっているかも…」
空港前で一人方法を考える苗木。とそこに近寄る男がいた。
「君…、日本人だね?イタリアは初めてかい?」
優しげに声をかけた男は、なぜかスコップを手にしており右目から絶えず涙を滲ませていた。明らかに怪しい男に対し、苗木は警戒心しながらも表面上は平静を保ってたどたどしいイタリア語で答える。
「いいえ…。前に叔父といとこで来たことがあります」
「へぇ~、そうなんだ。…ってことはここのルールは知ってるのかな?」
「…ルール?何のことですか?」
「またまた、決まってんだろ…」
次の瞬間、男は血相を変えて捲し立てる。
「ここはこの『涙目のルカ』様の縄張りだっつってんだろぉがあぁぁぁ!!ここで痛い目見たくなけりゃとっとと有り金全部だせクソガキ!!!」
手にしたスコップを構えて苗木に迫るルカ。狂気を孕んだ眼をしたルカに対し、苗木は落ち着いた態度で答える。
「へえ…。そんなものがあるとは知りませんでした。…でも悪いですけど、今回長居する予定は無いのでお金は無いんですよ」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねえーぞクソジャップ!日本人は金持ちなんだろ!?だったらグダグダ言わずにカネだせっつってんだよ!!」
「しつこいですね。無いものは無いって言ってるんですよ。同じことを二度も言わせないでください。これ以上は無駄なんですからもういいですか?」
「テメー!俺をなめてんのか…あ?」
なおも詰め寄ろうとしていたルカの言葉が突如止まる。ぽかんとするルカの視線の先には、先ほどまで苗木が手にしていたはずのカバンがあるはずであった。しかし、今それは影も形もなく、代わりに苗木の手のひらにはリスが一匹乗っかっていた。
「…おいテメエ、そのリスいつの間に出した?つーか、テメエのカバンはどこだ?」
「さあ?野生なんじゃあないですか?それにカバンなんて僕は知りませんよ」
「なにすっとぼけてんだクソガキ!さっさと言わねえとそのリスごとテメエの手掻っ捌くぞ!!」
手にしたスコップを振り上げ、苗木の手めがけ振り下ろそうとするルカ。それを目前にしても、苗木は一切焦ることなくそれを制する。
「落ち着いてください。こいつは何もしなければ無害なんです。だから乱暴な真似はやめてください」
「うるせぇぇぇ!!テメエはもう終わりだぁぁぁ!!!」
そしてルカのスコップが、苗木の手に振り下ろされた。
「……だからやめてくれっていったのに」
最初に声を発したのは、苗木であった。
「僕自身、もう面倒事はまっぴらなんだ。僕はただあの人にお礼を言いに来ただけなのに…」
振り下ろされたスコップは、苗木の手のリスすれすれ、後頭部前で止まっていた。そして、スコップを持ったルカ自身も固まっていた。
「やり過ぎとは思うけれど、先に手を出したのはそっちなんだからな。…もう聞こえてないだろうけど」
対するルカは何も言わない。いや、もう何も言えないのだ。
何故なら、ルカの後頭部、ちょうどリスのスコップがすれすれになっている個所と同じところが大きく陥没していたからである。頭蓋骨は砕け、間違いなく重症であった。当然、意識などあるはずがない。
「僕が生命を与えたものに対する衝撃は、すべて跳ね返る。……誤爆の危険もあるし、やたら疲れるからあんまりやらないんだけどね。どうだい?少しは自分が与えようとしていた痛みが理解できた?」
問いかける苗木の眼前で、ルカはうめき声ひとつ上げることなく倒れ伏した。
「…さて、このままにしとくわけにもいかないし救急車ぐらいは呼んでおくか。これ以上絡まれると面倒だから僕はさっさと退散しよう。早いとこ泊まるところ探さないと夜になっちゃうし」
最近買い換えた国際通話可能な携帯で救急車を呼んだ苗木は、いつの間にか再び持っていたカバンを手にその場を立ち去った。
それを遠くの物陰から見ていた人物に気づくことなく。
翌日、安宿で夜を明かした苗木は市内を走る路線バスに乗って人探しを始めようとしていた。バスに乗り込み、席について一息つく苗木。
「ちょっといいかな」
そこに声をかけてきた男。オタマジャクシのような模様でジッパーがたくさん張り付いた服を着ており、髪型は日本でいうおかっぱ頭という奇抜な青年であった。しかしその瞳には、これまで見たこともないような強い意志が秘められていた。
「……」
「ん?どうした、俺の顔に何かついてるかい?」
「…いえ、どこかで聞いたことのあるような声だと思って」
「へえ、じゃあどっかですれ違ったのかもな。…ところで一つ聞きたいことがあるんだけれどいいかな?」
「なんですか?」
「『涙目のルカ』が自分のスコップ頭にぶっこまれて空港のはずれにぶっ倒れてた…あれじゃあ意識は戻らねえ、重体だ。誰が『やった』のか調べてる…」
その言葉に軽く動揺する苗木、そんな苗木に青年はなおも語りかける。
「実はその光景を遠目でちらっと見ていた奴がいてな…顔や声なんかはよく分からねえが日本人のガキらしいということは分かった。宿のオヤジから聞いたけど君昨日着いたばかりらしいね」
「…」
「ルカは最近バクチで有り金スッて観光客からカネ巻き上げようとしていたらしい。あの辺はルカの縄張りだ。お前みたいなやつは真っ先に狙われる」
「…あなた、警官ですか?」
「まさか!…ルカはただのゴロツキじゃあねえ、『ギャング』なんだぜ。やられる理由はたくさんある、恨みを持たれるタイプだったからな。しかし奴の『ボス』はそうじゃあない。どこの誰とも知らねえガキに身内がやられたとあっちゃあ黙ってられねえ。だから俺に調べてケリをつけろと命令したんだ」
「お前に質問する。空港で、『涙目のルカ』に会わなかったかい?」
「……いいえ、知りません。『涙目のルカ』なんて人は」
別に苗木はルカを正義感から撃退したわけではない。ただ身にかかる火の粉を払っただけのこと。それで感謝こそされギャングのイザコザに巻き込まれるなんてことは苗木にとって御免被りたかった。故に苗木は嘘をついた。
「ふーん、……ところで話は変わるんだけどさ、俺人が嘘をついているのかわかるんだよ。皮膚や汗の感じで。特に汗をなめれば確実に…ね」
そう言って近づいてくる青年。しかし、頬と頬が触れ合いそうなほどに近づかれても苗木は汗ひとつかかなかった。この時の自分の胆力を、苗木自身後に不思議に思ったほどである。
「汗を…かかないね。分かった、君の話を信じよう。君、名前は?」
「…苗木誠。こっちだとマコト=ナエギかな」
「ベネ(良し)!いい名前だ。じゃあ時間を取らせて悪かったな。ナエギ」
そういってバスから立ち去っていく青年。それを見送った苗木は、自分の手の中に違和感を感じた。
(なんだ…?)
ふといつの間にか握っていた手のひらを開いて目を落とす苗木。そこには
『人間の目玉』がひとつ、乗っかっていた。
「なっ!?まさか、これは…一体!?」
「ルカの右眼だ」
驚く苗木の後ろから突如ドスの利いた声がかけられる。眼だけ向くと、そこには先ほど別れたあの青年が窓を開けて覗き込んでいた。
「奴はもう始末された。あれじゃ生きていても仕方ないんでな。だが『ボス』が脅しにでも使えってルカの一部を持たせたんだ。……汗を掻いたな」
流石に驚きを隠せない苗木の顔にはびっしりと汗が浮かんでいた。青年は苗木の頬を流れる汗をぺろりとなめとり、顔色を変える。
「これは…嘘をついている味だぜ…!お前は嘘をついたな、マコト=ナエギ!!」
慌ててその場から離れようとする苗木。だが、一足早くバスに乗り込んだ青年がその顔を殴り飛ばす。
「がっ!」
「俺の名はブローノ・ブチャラティ。立ちなジャップ、質問は既に拷問に変わっているんだぜ!」
今回ここまで