孤独な魔術師が落ちていくのは、あっという間だった。
もう歯止めは効かず、落ちるところまで落ちていった。
いつから、どの時点で、その存在に惹かれていたというのか。
この王様、絶対何か纏っている。他を魅了する何かを醸し出している。
絶対そうだと、全部そのせいにしたいくらいだった。
王に捕らえられ、心までも捉えられて、全てに流された。
ギルガメッシュが何を考え、そうしたのかは分からない。リンドウは聞きもしなかった。
理由など、どうでもよくなっていた。こうして、奇妙な生活は、ある意味もっと奇妙になった。
もう避けることはしなくなっていた。気がつけば側におり、何気なく話しかけ、引き寄せられ、キスをして。
その度に心の穴が埋められていくようで。
離れがたく、なっていた。
――けれど時間は刻々と刻まれ、日々は過ぎ、状況は変わっていく。
気がついたときには、他に残るマスターとサーヴァントはあと一組になっていた。
あと、一組。全ては終わり、全ては回帰する。意味することは、様々。例えば――
目が覚めると、暗かった。
カーテンが引かれているから、というわけではなさそうだった。単に、まだ、夜。
ぼんやりとしていると、つ、と頬に伝う感覚に気がついた。
「……?」
涙が、流れていた。
なぜ、泣いているのか。理由は分かっていた。
どうしようもない夢を見た。避けようのない夢を。
刻一刻と迫ってくるものを、眼前につきつけられた心地だった。
それが、今、腕の中にいるからこそ、もっと強くなる。
横たわったまま、少し上を見ると、目を閉じた綺麗な、綺麗な顔があった。
顔を見ただけで、心が満ちる。
「……大好きで、仕方ないなぁ」
――離れたくない、別れたくない。
いつから、こんなに思っていたのか。どうしようもなくなっていたのか。
馬鹿だなぁ、と自嘲して、涙は止まらなかった。分かっていたはずなのに。
そのとき、体を抱き締める腕の力が強まった。
気のせいではなく、元々あまりなかった距離が完全にゼロになって、不意をつかれて露な胸板にぶつかった。
「……ギルガメッシュ、起きてる?」
もしかして、と思って小さく聞いてみる。
こうやって、一緒に横になっているけれど、サーヴァントって睡眠は必要ないのだったか。分からない。
とりあえず訊ねると、当たりだったらしい。
「我の腕に抱かれておいて、何を泣くことがある」
そんな言葉が、落ちてきた。
言われてから、まだ泣きっぱなしだということを思い出した。
とっさに、上を見ようとした顔を俯けようとしたが、動いたと感じた手に、捕まえられた。
「答えよ、何を泣く」
顔を上げさせられて、ギルガメッシュの赤い瞳と、目が合った。
リンドウは一瞬固まって、それから微かに笑ってみせた。
「夢、見ただけ」
頬にある手に、手を重ね、それだけだと続けた。
――あなたが、いなくなる夢だ
どこを見てもいなくて、探して、探し回って、そして、これがいつも通り自分があるべき状態なのだと知る。
一人ぼっち。誰とも交流せず、深く知り合わず、ずっと一人で変わらず時間が、日々が、歳月が過ぎていく。
それがさっき見た夢であり、やがて戻ってくる未来でもあった。
「どのような夢だ」
「うー……ん? ……忘れた。起きると忘れてるって、よくあるよね」
とりあえず怖い夢だったっぽい、と答えてごまかした。
涙は、止まれと懸命に念じていたら、止まりそうだったから、一安心だ。
まだ夜だ。寝直すと、また夢を見ると思うと寝たくなかった。
と、その瞬間。リンドウの感覚に、引っかかるものがあった。
これは――。
ギルガメッシュを見上げる。
「――来た?」
「無粋な連中だ。このような時間に来るとはな」
家の敷地の周辺、気がついて対応できる距離に、センサー代わりの魔術をいくつもかけてある。
いくつかは気がついて解除したのだろう、引っかったのは、感覚的に絶対に気がつかれないように張ったもののみだ。
とにかく、対処しなければならない。……のに。
「良い。行く必要はない」
起き上がろうとした体を、留められた。
「……もしかして、終わった?」
この王は、周辺に魔術を巡らせているリンドウより余程早く侵入者の存在を捉え、片手間で相手を消滅させてしまう傾向があった。
どれだけ強いのかと、自分で召喚しておきながら、驚かざるを得ない。
本当に、とんでもないサーヴァントを召喚した。
そして、対処されたのであれば終わりか、と呆気ない。
実感もなく、まだ、覚悟もできていない。
覚悟なんて、どれだけ時間をかけても難しいことだろうけれど。
まだ終わっていないと、これこそ夢であればいいと、思ってしまう。
一秒でも長くこうしていられればいいと、目を閉じた。
「サーヴァントもマスターも殺してはおらん」
縫いつけてある、と彼は言った。
どういうこと?
見上げると、ギルガメッシュは赤い目を閉じ、彼こそ寝ようとしているようだった。
「案ずるな。串刺しだ。あれが解ける力量のサーヴァントではない」
「いや、だからって、なんでまたわざわざそんなこと――」
「此度の聖杯戦争、最後の一人と一騎になるまでであろう?」
「え?」
「ならば、もう一組残しておけば良い」
何を、言っているのかと、瞠目する。
まだリンドウが声が出せていないうちに、ギルガメッシュが目を開いた。その赤い眼に、魔術師を映す。
「生け捕りにしておけば、この聖杯戦争は続く」
彼の言は、リンドウにとってのこの夢も、続くことを、意味していた。
「……なんで、そんなことするんだ」
「我がそうしたいからだ。それ以外に理由はいるまいよ」
王は、魔術師を抱き寄せ、こう言うた。
「なぜこの手から、貴様を取り溢さねばならん」
と。
息が、詰まった。
呼吸を、忘れた。
ああ、聞き間違いでなければ、思い違いでも、勘違いでもなければ、彼はそう思ってくれているのだろうか。
何ということを、容易に言うのか。
ひどく心が揺さぶられ、リンドウは、たまらず、ギルガメッシュの胸に額を強く押しつける。
「……駄目だよ、ギルガメッシュ」
やっとの思いで、声を振り絞った。
駄目だ。
固く、目を閉じる。
懸命に、首を振る。
「あなたはそういう王ではないはずだ。こんな、中途半端なことをするような王じゃない」
きっと、勝利は完全なる形でその手に握る王。
現代にまで残る伝説の王なのだから。
「勝利など、いつでも得られる。――大体、リンドウ、我を見て言え」
無理だ、と思った。今顔を見られるのなら、覚悟なんてさっさとできていただろう。
本当に、どうしようもないところにまで来てしまった。
どうやって元に戻るのかが、分かりそうにない。
ギルガメッシュがいなくなって、一人になったときにどうなるのか、どうしていけばいいのか。
これまで、どうしていたのか、分からない。
だけれど、このままずるずると長引かせることはよくないと、一番よく分かっていた。
だから、たった一度。今だけだ、とぐっとこらえて、顔をあげた。
「終わらないものはないよ、ギルガメッシュ」
彼を説得すると言うより、自分に言い聞かせるように言った。
「終わらないものはないんだ。いずれ、終わりが来る」
だから来るべき終わりは受け入れようと、リンドウは、手を伸ばした。
ギルガメッシュは温かくて、手に、温かさが染みるような気がした。
しばらくして、赤い瞳が、瞼に隠れた。
「ばかものが」
そして、魔術師と王は聖杯を得た。