地面に叩きつけられた。なんだか懐かしい記憶を感じる。………はて、俺はここで何をしているのだろうか。そもそも俺は死んだ筈では? 最後の生き残り……いや、死に損ないとして、薪を燃やしながら英雄に立ち向かった筈だ。倒されるべき敵として。
地面に仲間の屍が無い。冷たく暗い石床でも無い。俺が生きているとするのなら、他の仲間たちは何処へ行ったのだ。既に狂って幽鬼達に討たれたのだろうか? ではあの英雄は? 世界はどうなったと言うのだ。
「……いや、どうでも良いか」
そうだ。俺は託したのだ。深淵を狩続けた使命が終わり、ただ仲間だった物を殺し続ける不毛な争いを止める為に。その為なら朽ち果てても良いとすら思っていた。だがあの英雄は、他の者らと違った。幾ら撃ち倒されようと、光が消える事は無かったのだから。
灰は火を求める。あの英雄は火を求めながらも、何処か他とは違う特別な何かを感じた。だから俺は託したのだ。悍しい儀式と知りながら、彼に王の薪を。あの英雄も、それを知りながら薪を手にしようとしていた。戦いの最中で、そんな事がわかる筈も無いのに。
だから良いのだ。ここが何処であろうと、確かに託した。俺の内に何が燻ろうとも、それは託した後の成れの果て。もはや儀式に使えようはずも無い。
………しかしそれはそれとして、これはどう言う事なのか。
右も左も、上も下も、まるで見た事のない物ばかり。極彩色……とでも言おうか。とにもかくにも不可思議な色合いをした奇妙な空間だ。もしやここは深淵の底か? あの近寄る事すら憚られる泥闇の底は、こうなっているのだろうか。
そう考えてみれば成る程、何処か深淵に通ずる物がある。冷たく凍える事もないが、何処か優しい世界。何かのゆりかごのような、あるいは疎まれた者の居場所となるような。そんな場所を一つ知っている。深淵に近い薄汚れた場所。幽鬼達の囚われた果ての地。あの絵画世界に。
絵画世界は、何処にもない特殊な顔料で作られていると言う。ある奴隷の話を信じるならば、それは暗い魂の血で描かれるのだとか。深淵や闇に近い暗い魂で描かれたのなら、深淵に近しい匂いもするだろう。
ではここは絵画世界の何処かなのだろうか? それにしては暖かく湿っているような気もするが……。
『? ………?』
「…………?」
それは唐突に現れた。絵画のような、掴み所のない背景の中からひょっこりと。いつか見た花の綿毛のような頭に、訳のわからん棒のような胴体、そして蝶の羽のような足。生意気にも整えられた髭を生やしたそいつは、こちらを伺いながら首を傾げているように見える。
さっぱりもって訳が分からん。こちらも首を傾げて疑問符を返す。だが僅かに香るこの悍しい匂いには覚えがあった。と言うよりも、俺の使命そのものたる忌まわしき匂い。随分と薄れてはいるが、確かに深淵の香りがする。
……深淵、か。もはやとどめる事すらできぬ程に溢れ返ったそれを、今更狩ることに何の意味があろうか。ましてやこの身は既に託した後の成れの果て。そう奮い立つ事も無いのだろう。灰は灰らしく、崩れて吹き消えるのが似合いだ。
しかしそれが深淵を狩り取らぬ理由にはなるまい。俺は、いや、我らはファランの不死隊。深淵が湧くのならば、一国を滅ぼしてでも押し留める。それが狼血の誇りという物だ。
起き上がり、身を翻し、最後の最後まで側にあった剣を取る。身の丈程に長い剣を中腰に構え、かの大狼を模した剣技を放つ。低空にて迅速に振るい、不死人の技のように命を顧みない。故にこの剣は深淵の化生すら断つのだ。そうでもしなければ断てぬのだ。
『っ!?』
手応えは……軽い。深淵のあれらと比べて、随分と脆い存在らしい。宿る闇も極々薄いものだった。……しかし、そう一筋縄ではいかぬのだろうな。
うぞり、うじゃりと気配が増す。まるで絵のような背景から出てくる大量の綿毛。そしてよく分からん化生の類に茨の蔦。前も後ろも塞がれた。仲間はもういない。あれだけ軽口を叩き合った彼等は、皆亡者と成り果てた。
よく分からん土地でよく分からん化生を相手にただ一人。成る程、最悪だ。だが残念な事に、淀みきった滅びの地では良くある事なのだ。なに、どうせ2、3回死ぬくらいだろう。
この俺を殺さんとするのだ。殺されても文句は言えまい。
「……皆殺しだ。血肉をぶち撒けて無様に死ね」
返答は叩きつけるような殺気と、溢れんばかりの攻撃の波だった。