初めは子供のころから抱いていた世界一強い人間になるという夢のために自身を鍛えていた。
だが偶然ホラーに襲われたときに後の師匠に救われ、俺はこの世界の裏側を知った。
同時に師匠の姿に憧れ、常人では太刀打ちできない存在を倒す存在になることを誓った。
何度も血反吐を吐いては幾度となく全身ズタボロになって、死にかけた回数なんてもう覚えちゃいない。
それでも俺は目指した。
師匠と同じ魔戒拳士を。ホラーやノイズから力を持たない人たちを守護する『守りし者』を。
「魔戒拳士、だと?」
『これはまた珍しい奴だな。俺様も久しぶりに会ったぜ』
「そりゃそうだ。昔っからいる魔戒騎士と違って、魔戒拳士は歴史が浅いし数が少ないからな」
魔戒拳士とは紀元前より前からいる魔戒騎士とは違い、その歴史は1000年弱と短い。
しかし魔戒騎士と比べてもその修業内容は過酷で、命を落とす可能性が圧倒的に高い。修業の段階でこれということもあり魔戒拳士を志す者は非常に少ないが、それを乗り越えて鎧を纏う資格を得た拳士は並の魔戒騎士よりも圧倒的に強い戦闘力を備えた戦力となる。
誕生の経緯は魔戒騎士として才能がないと告げられた一人の見習い魔戒騎士が、それでも騎士と対等の立場でホラーと戦いたいという一心で己を鍛え、それに見合う鎧を高名な法師に頼んで作り出したのが発端とされている。
さらにその過程で鍛える体術は誰でも扱えるということもあり、魔戒拳士を目指さずともある程度体術を修めるだけでも意味があるとして魔戒騎士を育てる修練場や魔戒法師の里である
そんな魔戒拳士であると名乗った男はからからと笑い、手甲を戻して手招きする。
「それよりずらかるぜ。早くしねぇと逃げ道がなくなっちまう」
「だが俺の鎧を見たあの子の記憶を消せていない」
「それこそ諦めろ。今からじゃもうどうにもならねえよ」
『小僧。こいつの言うとおりだ。おそらくもう機会は巡ってこない』
ザルバの言葉がダメ押しとなり、旋牙は渋々魔戒剣を収める。
翔の案内で工場から離れると、けたたましくサイレンを鳴らしながら多くの緊急車両が工場へと向かったのが見えた。
それを流し見て改めて自分の前を歩く男に視線を向ける。歩き方ひとつとってもなるほど。隙のない歩き方だ。もしここで不意を突いても、確実に迎撃をしてくるだろう。
「……そういえば、どうして迎えの時間に来なかったんだ?」
「ああ、俺は鍛錬。相棒は魔導具の制作に没頭しちまっててな。気づいた時にはすでにアウトだった」
悪びれもせず言い切るあたりこの男、ずいぶんといい加減な男である。せめて相方はもう少しまともな性格であることを祈ろうと思ったが、時間をすっぽかした時点で同類であろうと旋牙とザルバは思うのであった。
◇
翔の案内で再び番犬所に訪れた旋牙を出迎えたのは神官のリニスに加え、もう一人は黒を基調にしたレザーアーマーのような装備を着込み長い髪を結い上げた人物だった。
装備から察するにこの人物が迎えに来るはずだったもう一人の魔戒法師なのだろうと旋牙が推察するが、その容姿は正直男か女か判断に困るものだった。そんな意図を組んだようにリニスが嬉しそうに紹介を始める。
「旋牙。この子はこの番犬所に所属する魔戒法師で、私の弟でもあるカノンです」
「……リニス様。ここでその紹介は必要なんですか?」
「あら、いいじゃないですか。弟を紹介するくらい。それよりいつものように姉さんと呼んでくれていいのですよ」
「
「諦めろよ。この人は自慢の弟を紹介したくして仕方ねぇんだから」
「他人事だと思って」
「他人事だからな」
ケラケラ笑いながら肯定する翔とリニスに最早何を言っても無駄だと諦め、カノンと呼ばれた男は改めて自己紹介をする。
「魔戒法師のカノンだ。不本意ながら紹介があったが、リニス様の弟でもある。別にそこは気にしてもらわなくていいから、気楽に接してくれ」
「ああ。よろしく頼む」
少なくとも予想より真っ当な人物なようなので内心安堵しながら握手を交わす。
その光景に満足したリニスは「さて」と話を切り替える。
「それでは旋牙。今回の戦いで気になることがあったのではないですか?」
「はい。 あのガングニールや天羽々斬は何なんですか?」
単刀直入な切り出しにリニスは小さく頷き、魔導筆を振るう。
すると壁の一部がせり出し、そこにモニターのように様々な情報が映し出された。
その中には2年前のツヴァイウィングのライブ会場で起こったノイズ襲撃映像もあり、そこに添付された情報には風鳴翼と天羽々斬を結びつける等式のほかに、天羽奏とガングニールを結ぶ情報があった。
「この情報は私たちが独自の手段で揃えたものですが、現時点で判明しているのはあれは聖遺物と呼ばれる太古の異端技術を用いた対ノイズ兵装――シンフォギアシステムと呼ばれるものであり、その力を引き出すには特定の波長をもつ歌声の主が必要となるらしいということです」
『ふむ。あの時いきなり音楽が流れたり、嬢ちゃんが歌いだしたのはそれが絡んでいるのか?』
「はい。どこから音が流れてくるのか。なぜ歌い続けなければいけないのかは不明ですが、このシステムがノイズの『位相差障壁』を無力化させる最大の要因となっています。またこのシステムに適合したものは聖遺物の力で身体能力が大きく向上し、その力でノイズを倒すことが可能となっています」
「ただし風鳴翼が使った攻撃みたいな明らかに質量を無視した武装の変形現象に関しちゃなんにもわかっちゃいねぇ。だから俺たちは”使い手次第で形状を変えるソウルメタルみたいなものだ”って割り切って考えるのを止めた」
「魔導具を作る身としてはものすごい気になる機能ではあるんだがな。あれを応用できれば制作の幅が大きくなるのは間違いないし」
「……普通にソウルメタルを流用するのではだめなのか?」
「そもそも魔戒法師向けにしようと思えば女性では扱えないソウルメタルで作るのは愚の骨頂と言っていい。かといって魔法衣の収納機能では取り込みは可能でも可変と強度の点で問題が発生するし、何より魔法衣の素材自体が気楽に使えない。今のところ無難なのは用途に応じて各パーツを合体させて戦況に対応させることだがこれはこれで即応性に欠けるからいざというときに邪魔になりかねない。そう考えればやはり即座に行動できる質量無視の形状変化は可能であれば実用にこぎ着けたい技術だと言える代物だな」
「『……お、おう』」
魔導具の話になった途端に饒舌になるカノンを見て二人は「こいつもその方面となったらダメなタイプだ」と察し、同時に迎えにこれなかったのもこれが事由かと納得した。
改めて画面に目を向け、そこでふと旋牙は気づく。
「天羽奏がガングニールの装備者だった? ……ならあの子が持っていたガングニールは何だ」
「今日観測された少女のことですね。それに関してはいま調査を進めています。早ければ明日にでも結果は出ますが……あの子のことで何かあったんですか?」
『鎧を見られた時の記憶を消せていなくてな。タイミングが悪くて切り上げてきたんだが、こちらの情報が向こう側にわたる可能性がある』
「……そうですか」
その答えにリニスは納得すると、僅かに思案し決断を下す。
「その件に関してはひとまず保留とします。後日改めて判断を下しますので、忘れないでください」
「わかりました」
この日はそれを最後にとりあえずの解散となったのだが、翔とカノンは出迎えに行けなかった罰があるとしてそのまま番犬所に残ることに。この宣言に二人は面倒くさそうな表情を浮かべたが、旋牙とザルバは自業自得だと一閃してさっさと拠点へと向かうのであった。
◇
風鳴翼の介入でノイズは殲滅され、響が守っていた女の子も無事に母親のもとへ戻ることができこれで一件落着――とはいかなかった。
「あなたをこのまま返すわけにはいきません。特異災害対策機動部2課までご同行願います」
ヤクザめいた黒服たちを従えた翼のそんな言葉とともに響の手に重厚な手錠がかけられ、そこから流れるように車に詰め込まれるとドナドナされる子牛のごとく連行されることとなった。
厳重な連行体制でいったいどこへ連れていかれるのだろうかと戦々恐々としていると、連れてこられたのは翼と自信が通う私立リディアン音楽院だった。
どうして学校にと困惑する響であったが、その地下に存在した特異災害対策機動部2課という場所でパーティー規模の熱烈な歓迎を受けますます困惑するハメに。ちなみに翼はこの催しを主導した人物に頭を抱えていた。
とりあえず手錠を外してもらえ、ようやくここに連れてこられた目的を教えられた。
「君を呼んだのは他でもない。協力を要請したいことがあるのだ」
「協力……あっ!」
ここの責任者と名乗った男、風鳴弦十郎の言葉に響はハッとなる。
自身に起こったあの現象。それがもたらしたノイズを倒したという結果。そして――
「教えてください。あの力は何ですか? それと、金色の狼について何か知ってますか?」
「金色の、狼? なんなのソレ」
聞き返したのは自称デキる女と評判の研究者、櫻井了子だ。
凄そうな組織だから何かしら知っているかと思った響であったが彼女の反応から知らないのかと思い、自身が見たその姿を思い返しながら伝える。
「えっと、狼といっても本当の狼じゃなくて、金色の狼の兜を付けた人でした。黒い鎧を着てて、背中に長い布を二つつけてて…あと、布の先に金色のリングがついてました」
「ふむ。その人物が、どうかしたのか?」
「助けてくれたんです――――ノイズを倒して」
瞬間、部屋の空気が凍り付く。
ある者は手にした飲み物を取り落とし、ある者は何を言ったのか理解しきれず、ある者は思考停止を引き起こしていた。
翼もそんな馬鹿なと目を見開き、弦十郎と了子もまさかといった表情を浮かべて互いに顔を向け合った。自分たちが研究の末に実用化に至ったシンフォギアシステム以外にノイズを倒せる力があるなど聞いたこともなく、仮にあったとしてこの国の直轄機関である自分たちが知らないなどあり得ないからだ。
そんな中、一番早く復帰した翼は爆弾発言をした響に怒鳴る。
「ふざけたことを言わないで! 私たち以外にノイズを倒せる者がいるというの!?」
「ひぅ!?」
「落ち着け、翼」
すさまじい剣幕に響がたじろぎ、弦十郎が制止をかける。彼女のマネージャーでもある緒川慎次がなだめることでどうにか翼が落ち着いたのを見計らい、詳しい状況を聞くために了子が問う。
「響ちゃん。その狼はどうやってノイズを倒していたの?」
「えっと、どういう風に倒したのかは見てないんですけど、剣を持っていました」
「剣?」
「はい。金色の剣でした。たぶんそれでズバッ! と」
得られた情報から記憶に該当するものはないかと思案する了子だが、その表情からは何かわかったのかは読み取れない。しばし考え込んだ後、「よし」と手をたたき響の肩に手を置く。
「狼さんのほうはまた調べていくとして、もう一つの質問に答えるためにも響ちゃんにはお願いが二つほどあるの」
「お願い、ですか?」
「そう。一つは今日のことは誰にも内緒にしてもらいたいの。で、もう一つは――」
不意に顔を耳元に寄せ、ねっとり妖艶に告げる。
「服、脱いでもらいましょうか」
「…ふぇっ!? な、なんでえええぇぇぇぇぇぇ!?」
◇
ノイズと戦闘し、響のガングニール覚醒から一夜が明けた早朝。旋牙は番犬所が用意した屋敷で目を覚ました。一人で過ごすにはあまりに広い家だが、特に気にすることもなく地下にあった修練場で鍛錬に励んでいた。
この修練場には嬉しい誤算というべきか、彼の実家にあるものと同じ設備が用意されていた。そこで旋牙は振り子のように迫る斧を魔戒剣で切り払い、時には蹴りで弾いて全てをいなす。同時に迫るものも冷静に見極め、鞘も駆使して無傷で切り抜ける。
ある程度同様の動きを繰り返したところで振り子が止まり、旋牙は静かに剣を収める。すると修練の終わりを見計らったように背後の扉が開き、二人の客が現れた。
「よう。邪魔してるぜ」
「…………」
昨晩罰を受けたとは思えない軽い様子で挨拶をする翔と、同じく罰を受けたのであろう死ぬほど疲れた様子のカノンがいた。両極端なその様子から何があったのか皆目見当がつかず、おもむろにザルバが訪ねる。
『そいつはどうしたんだ? 今にもぶっ倒れそうだぞ』
「昨日の罰でリニス様に情報整理やらなんやらで扱き使われたんだよ。弟だからその分容赦なくな」
「これで少しは寝れると思っていたのに……。どうして俺まで連れてきた……」
「貫徹一回で何くたばってんだよ。それでも魔戒法師か?」
「黙れ体力バカのホラーもどき……! ここ数日ただでさえノイズ対策や魔導具の調整でまとまった睡眠がとれてないんだぞ、本当になんで連れてきた……!」
「おいおい、新しい仲間と交流を深めるために決まってるじゃねえか。それ以外になんかあるか?」
「……死ね。豆腐の角で頭打って死ね」
それだけ言い残してついに限界を迎えたのか、カノンは壁に背を預けるとそのまま崩れ落ちて寝息を上げ始める。
「ありゃ? 寝やがった。だらしねぇな」
「いや、逆にお前はなんでそんなに元気なんだ」
「俺が命じられたのは夜通しの見回りをしながらホラーとノイズの討伐だったからな。俺頭悪ぃからよ、こいつみたいにデスクワークやらされることに比べりゃ全然余裕だ」
「それって罰になってないんじゃないか?」
「いや、範囲が町の全域だったからちょっと面倒だったぞ。それに走って行けって言われたから時間もかかったし、戻ってきたのもついさっきだぞ。しかも少し離れた森で偶然出てきた素体ホラーとエンカウントしたからついでにぶっ飛ばしてきたし」
『至って普通な状態で言われてもまるで説得力がないな』
「しかも道中で素体とはいえホラーをついでで倒してたのかよ」
素体ホラーとは陰我から現れたばかりのホラーのことで、これが人間に憑依すると自身にとっての特徴やその人間に由来する陰我をもとに強力なホラーへと変化する。しかし素体ホラーそのものはそこまで強い力を持ってはおらず、魔戒騎士としても鎧を召喚するまでもない程度の相手でしかない。
「けど実際、修業時代はこれくらいこなせなきゃ話にならなかったんだぜ。つーか、これで根を上げたらそれこそ魔戒拳士なんてやってられねえよ」
「噂で聞いた以上に体力関係は化け物だな。魔戒拳士って」
「ハッハッハッ、そう褒めるなよ。――それより」
どう捉えれば誉め言葉になるのか。翔はひとしきり笑うとジャケットの裏から何かを取り出し、旋牙に投げ渡す。
反射的に受け取ったそれは空手家などが稽古で使用する指が抜けたグローブで、大きさから旋牙の手にぴったり嵌りそうだった。
「ちょっと付き合ってくれねえか? いつもならカノンが相手してくれるんだけど、この状態だからよ」
「……わかった。魔戒拳士が訓練の相手になるなんて、これから先あるかわからないしな」
ザルバを嵌めたままではグローブを装着できないので寝室に置いてある専用のスタンドを取りに行くついでに寝落ちしたカノンの肩を担いでリビングのソファーまで運び出し、持ち込んだスタンドにザルバを収めつつ邪魔にならない場所へ置いて改めてグローブを装着する。
すでに翔はジャケットを脱いでアップを終えており、いつでも始められることをアピールしている。
改めてその肉体を観察してみると視認できるだけで顔以外にも無数の傷跡が見られ、黒いインナー越しに浮き出た筋肉は一切の無駄を排除してあくまで肉弾戦闘に特化させていることが窺える。
「一応聞くけど、訓練で無手の組み手をやった経験はあるか?」
「師匠に修行を付けてもらったときにある程度は」
「上等だ」
一定の距離を保って互いに構えを取り、軽いスパーリング感覚の訓練が始まる。
互いに加減を探るような手合わせだったが、時々混ぜ込まれる鋭い一撃が程よく緊張感を高め、旋牙としてもなかなか実りのある訓練となった。
ただし貫徹明けで動きっぱなしであるはずの翔の動きが衰えるどころか精度を上げていくことに対し、ザルバ共々カノンの言う「体力バカのホラーもどき」という意味を深く実感した訓練でもあった。
◇
訓練に集中しすぎていつの間にか昼時になっていたことに気づき、せっかくだからと翔の案内で訪れた彼イチオシのお好み焼き屋「ふらわー」で腹を満たす。翔はこの店の常連客らしく、店員の女性に「いつもの」と告げるだけで特大サイズのお好み焼きが提供された。ちなみにこの男、この段階でまだ一睡もしていない上で特大お好み焼きを平らげたので旋牙から改めて「いろいろおかしい」という評価を下された。
おすすめされるだけあって非常に美味かった昼食を終え、旋牙と翔は別行動でゲートの封印作業に乗り出した。屋敷で寝落ちしたカノンはある程度寝れて体力が戻ったからと昼食を共にした後、作りかけの魔導具を仕上げるため自身の工房へと引き上げていった。
『しかしあの男。ふざけた性格ではあるが仕事はちゃんとこなしているようだな』
「ああ。普段からエレメントの浄化を怠っていないようだからな」
沿岸沿いを進む二人がそう評価するのは、町の広さに対してホラーの出現の元となる邪気の溜まったオブジェがそこまで多くないからだ。この作業で手を抜くとホラーが頻繁に出現するようになってしまい、後々で面倒ごとの引き金となってしまうのだ。
なので魔戒騎士であれば魔戒剣を使って邪気を切り捨て、魔戒拳士であれば手甲で殴り抜くことで浄化を図っている。またこの作業を続けていると剣や手甲に邪気がたまっていくので、定期的に番犬所のケルベロス像で邪気を浄化する必要がある。
この作業はホラー討伐後に行うことが多いが、ホラーを討伐した後はそれまで浄化した邪気を封じ込めた短剣へと変化する。これが12本に溜まったら番犬所が責任をもって魔界へと送り返すのが取り決めとなっている。
本数が決まっているのは12が魔を鎮める数字であり、ホラーが二度と現世に迷い出ないようにという意味を込めて12本でワンセットにしているためだ。
「ホラーのほうは特に問題なさそうだが、そうなるとやはりノイズの異常出現は謎だな。何か企んだ奴が呼び出していると言われても驚かないぞ。操っているのかどうかは別にして」
『…………いや、案外ソレかもしれんぞ』
「……なんだと?」
何気ないつぶやきに返ってきた意外な答えに思わず足が止まる。
『今の一言が出るまで忘れていたが、何千年か前にノイズを操ることができる杖があるという話を聞いたことがある。詳しい情報は覚えていないが、その杖があればノイズを意図的に出現させることも可能らしい』
「つまり今回のノイズ頻出の裏にはホラーではなく、その杖を使う何かが絡んでいる可能性が高い…ということか。――リニス様に調べてもらうべきだな」
決断するや否やすぐさま無数にある番犬所の入り口の中でも一番近い場所へ向かい、しかし道中でもエレメントの浄化を行いつつ目的地を目指す。人気がないことを確認してから番犬所に足を踏み入れた旋牙だが、そこには予想外の光景が広がっていた。
「あら、旋牙ですか。どうしました?」
「……いや、ソレは何ですか?」
「何って…見ての通りパソコンですが」
昨日来た時にはなかった机の上に広げられたデスクトップタイプのパソコンに向かって何か作業をしているリニスに迎えられ旋牙は反応に困った。
今まで訪れた番犬所ではだるそうに釣りをしている神官やシャボン玉を吹いたりして遊んでいる神官を見たことはあるが、パソコンを使っている神官は見たことがなかった。しかもモニターアームで4台のマルチモニターを駆使しているなど割と上級者であることがうかがえる。本体の配線にしても電源とネット回線がいったいどこから引いてきているのか皆目見当がつかない。
『……最近の神官も変わったな」
「文明の利器は使ってこそです。世俗だろうと魔導具だろうと使えるものは使うべきではありませんか。ちなみにこれ、カノンが作ってくれたんですよ。25インチのモニター4つにHDは4TBのSSD。CPUも〇n〇e〇の最新モデルでさらにメモリが――」
「すみませんリニス様、大事な話があるのですが」
「あら、そうですか……」
(<この番犬所に終始まともな奴はいないのか……>)
長くなりそうな気配を察して無理やり話を切り、内心でザルバとともに盛大に呆れ果てた。
存在的にはレアな魔戒拳士は体力バカのホラーもどき。
魔戒法師は一見まともだが魔導具に関して一変して開発キチに。
極めつけは神官が番犬所に平気で世俗の機器を持ち込むブラコンと来た。
――師匠あたりならまだ陽気に許容しそうだけど、紫苑さんは頭を抱えそうだな。
恩人二人の姿を脳裏に浮かべながらそんなことを思うが、頭を切り替えてザルバの言っていた内容を伝える。ノイズを召喚、操作できる杖と聞いて驚愕を浮かべたリニスだが、それならば辻妻が合うと納得の表情を見せる。
「おそらく聖遺物が絡んでいるとみていいでしょう。そちらも調べてみます」
「ありがとうございます。 それと、昨日の少女の件はどうなりました?」
「…今夜にはまとまりますね。翔とカノンも交えて話したいので、改めてここまで来てください」
「? わかりました」
一瞬間があったことに疑問を浮かべたが、とりあえず納得して旋牙は番犬を所を後にした。
誰もいなくなった部屋で一人、リニスはパソコンに向かいながらため息をつく。
「……人間の社会にむやみに干渉してはいけないという掟がなければ、私は彼女に何かしてあげられたのでしょうか」
見つめるモニターの一つには既にまとめ終えた立花響の調査書が表示されていた。
その写真とともに添付された内容に、リニスはやるせなさを隠せなかった。
◇
春とはいえ夜はまだ少し冷える中、管轄と管轄の境界まで足を延ばしてエレメントの浄化を終えた旋牙は番犬所に向かう途中で翔と合流していた。あちらもエレメントの巡回を終えて戻る途中だったらしく、旋牙を見つけるなり今朝と同じく軽い様子で声をかけてきたのだ。
「――なるほど。その杖が何かわかれば、ノイズの出現を減らせるかもってわけだな」
「そういうことだ。たださっきも言ったようにザルバが何千年も前に聞いた話だから、情報が出揃うまで時間がかかりそうだがな」
「殴ったショックで思い出したりしねぇか?」
『やめろバカ。俺様はデリケートなんだぞ』
情報交換で例の杖の話になったものの、あまりにも適当な提案にザルバが抗議する。そもそも魔導輪にショック療法が効くかどうかなど甚だ疑問ではあるが。
「とりあえず、いま俺たちが持っている情報はこれくらいだ。あと昨日のガングニールの女の子の件については、リニス様が全員揃った時に話してくれるらしい」
「りょーかい。んじゃ、俺からも一つ気になった報告だ。旋牙、お前今日管轄の境界近くまで行ったんだよな? どこの境界まで行ったんだ?」
この町は海に面した場所を除けば他の市街地に行くために大きな二つの道と山道に続く道が一つある。翔の言うどことはつまり、この三つのうちどの方面に行ったのかということだろう。
「東の市街地に抜ける道だが、それがどうした」
「実は俺も管轄のギリギリまで見回りに行ったんだよ。昨日の罰で回らなかった山道のほうに。で、隣の管轄に城みたいな屋敷があるのが見えるんだけどよ、そこがなんかきな臭く感じた」
『どういうことだ?』
「前に隣の管轄の知り合いに聞いたんだがよ、そこには研究者っぽい女が一人住んでいるだけで後は誰もいないらしいんだよ。なのに今日、その屋敷から赤い服着た女の子がふらついた足取りで出てきたのが見えた」
「……確かに怪しいが、その家の事情によるものじゃないのか? 第一、もし虐待か何かだとしても、俺たちは人間社会の問題に干渉できないだろ」
「だよなぁ……」
理解はしているが納得はできないといった様子でため息をつく翔の姿に、旋牙はわからないでもないがと心の中で同意する。掟が優先ではあるが、実際こういった話に苦悩する騎士や法師などは若い世代で特に多い。
しかしそれも引きずりすぎれば陰我となり、最悪ホラーに憑依される要因となりかねない。
騎士や拳士、法師として自らこの道に進んだのなら、必ずどこかで区切りをつけねばならない問題だ。
「それより番犬所に向かうぞ。そろそろカノンもついている頃だ」
『その方がいい…と言いたいところだが、その前にやることができたぞ。前方でノイズの気配だ』
ザルバの告げた言葉に二人はすぐさま気持ちを切り替えて駆け出す。
幸いというべきかここはまだ郊外なので人の気配はないし、しばらくすれば例の組織が討伐に動くのだろうが、だからといって放置していく道理もない。
少し走った先では小型のノイズが数十体に大型のノイズが2体、獲物を探すようにあたりを伺っていた。
「……ちょうどいい。旋牙、俺にやらせろ。いいもん見せてやる」
そう言って翔は両手に手甲をはめるとノイズの前に姿を晒し、手のひらを前方に突き出して円を描く。すると魔戒騎士が鎧を召喚するときのように軌跡を残して宙に浮かび上がる。
「焼き付けろよ。鎧持ちの魔戒拳士――轟烈拳士シンの戦いぶりを」
もう片方の手甲で円を殴り抜くとガラスを砕いたような音が上がり、翔が光とともに円の向こうから飛び出してきた何かに包まれる。
GAOOOooooooooo!!
光がおさまった先には――黄色と白で彩られた鎧の獅子が雄たけびを上げる姿があった。
「ちょっとモヤモヤしてんだ。気晴らし兼ねてハデに行くぜ! オラァ!!」
ドンッ! と赤い烈火炎装を足の裏からブースターのように放出して鎧を身に着けた翔が飛び出す。そのまま小型を無視して真っ先に芋虫型のノイズの頭部に向けて蹴りを叩き込む。その一撃でノイズが一瞬で弾け飛ぶように消滅し、巨人型が落下中を狙って腕を振り下ろす。
「どっせい!」
その腕をつかんだ翔はあろうことか空中にいながら烈火炎装の出力を調整することでその場で踏ん張り、上空へと放り投げる。そのまま小型の群れの中に着地すると手近な個体をすさまじい速さで気散らしていく。その有様たるや、まるで某無双シリーズでプレイヤーが雑魚キャラを屠っていくようではないか。
また一体、ノイズだったものが殴り飛ばされて旋牙の隣に落ちると同時に炭となって消滅した。
「……ザルバ。魔戒拳士ってみんなあんな感じなのか?」
『俺様もそこまで多くの魔戒拳士に遭遇したことがない。その中でも鎧を持つほどの奴はお前の片手で足りるくらいしか会ったことがないが、確かに鎧持ちとしての実力という点に関しては申し分ないどころか頭抜けているといえる。 ……だが、流石に他の拳士でもあそこまで派手に戦ったりはしないな』
「だよな……」
後先考えない烈火炎装の連続使用。それがもたらすものはノイズの撃破のみならず、一般人からすればあたりを異常なまでに照らし出す謎の光源となっている。
魔導火が燃え広がることはないが、消滅するまでその炎は残るのでそれを異常とみた一般市民が様子を見に来るかもしれない。何より、風鳴翼の組織がノイズ討伐のために近づいている可能性も捨てきれないのだ。そうなれば絶対にロクな事態にならない。
「おい! 実力はわかったから早く普通に倒せ! 烈火炎装でこのあたり一帯が火の海にしか見えない! 近くの住民が通報するかもしれないぞ!」
「おっと、そりゃまずい。 まあどうせ残りはアレだけだ! すぐ終わる!」
そう言って上空に指をさすと、先ほど放り上げた空から巨人型のノイズが降ってくるのが見えた。しっかりと大地を踏みしめてタイミングを計り、翔は右手に烈火炎装を纏わせる。
「しめやかに爆散しろぉい!」
拳の威力が最大限に生かせるタイミングで放たれたその一撃で巨人型は再び上空へと殴り飛ばされ、烈火炎装に包まれながら爆発四散した。
ノイズが殲滅されたことを確認し、翔は鎧を解除する。
「よぉし、いっちょ上がり! どうだ旋牙! これが魔戒拳士だ!」
「アホかコラァァァアアアアッ!!」
ドグシャァッ!!
ドヤ顔を決める翔の後頭部に突然現れたカノンが飛び蹴りをお見舞いする!
あまりにも唐突な不意打ちをまともにくらった翔は顔から地面に突っ込み、胸ぐらをつかまれて無理やり起こされる。
「馬鹿だろ!? 前々からわかっていたけどお前本当に馬鹿だろ!? こんな後先考えず派手に戦うヤツがどこにいる!? 事後処理どうすんだよ受け持つの全部姉さんと俺だぞ!? 最悪元老院から責任追及が来るんだぞ! お前そこのところ本ッ当にわかってるのか!? オイ!!」
「…お、おう、悪ぃ。新入りの前だったからちょっとかっこいいとこ見せたくて張り切っちまった」
「そんな言い訳が通用するわけないだろ! お前一回装備なしの生身で紅蓮の森、いや魔界に叩き込んでやろうか!? 割とマジでッ!!」
「アッハイ、スミマセン」
烈火のごとく怒りを顕わにするカノンに謝罪をする翔だが、これは流石に仕方ないと旋牙とザルバも同情の余地がない。
眼前に広がるのは闇夜を照らす火の海という圧倒的非日常。実際には何も燃えてはいないのだが、あたりに漂うノイズの炭のおかげでそうだといわれても全く違和感がない状況となっている。
おそらく、火の手が上がった時点で嫌な予感がしてカノン本人も飛んできたのだう。
「カノン。怒るのもわかるが、今はここから逃げたほうがいいと思う。すでに片付いたが、ノイズの出現を察知して風鳴翼がここに来るかもしれない」
「わかっている。 ――あまりこんなことで使いたくないが、これで番犬所に戻るぞ」
そう言って魔導札を二枚と魔導筆を取り出し、一枚を空に放って術をかける。すると魔導札から霧が発生して魔導火の海が最初からなかったかのように霧散して消えた。続けてもう一枚を三人の中心に来るように持ち、再び魔導筆を振るう。
魔導札を中心に術の光が三人を包むように広がり、光が収まったときには何も残ってはいなかった。
◇
「なるほど。魔戒騎士だけでなく、珍しいことに魔戒拳士もいるのか」
広くて暗く、巨大なモニターの光だけが明かりとなっている部屋で一人の女が画面を見ながら呟く。
しかしその姿は何故か一糸纏わぬ裸体を惜しげもなく晒しており、しかし羞恥心などまるで見せず堂々とした振る舞いで足を組んでいる。
「あの話が本当ならこの魔法衣を着ているのが現在の黄金騎士、ということか。だが鎧は黄金ではなく漆黒。つまり、あの噂も信憑性が増してくるということか」
向こうの情報は最近集めてはいなかったが、それでもこの街にも番犬所に関わる人間がいるのだろうというのは察していた。が、これは少し興味が出てきたと女は妖艶にほほ笑む。
その傍らには、弓のような形をした一本の杖が立てかけられていた。
騎士や拳士と比べて法師は圧倒的に弱いと言われているがそんなことはない
時代とともに法師の戦い方も変わり、戦う手段も増えてきたからな
次回「
撃鉄を起こせ! 魔獣狩りだ!
◇補足コーナー◇
神官のリニスは魔法少女リリカルなのはのリニス(猫耳などなしの人間形態)をモデルに他の番犬所の神官たちのような白い服を着ています。
また、轟烈拳士シンの鎧はガオガイガーの獅子王凱をモチーフに頭部がジェネシックガオガイガーみたいな感じとなっています。