その矢印の色は   作:恋音

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「ごめんなさい、釣り合わなくてよ」

 

 

 彼の物語は──遠く離れた船の上にも、確かに届いた。

 

 甲板の上はよく晴れていた。雲ひとつない空がどこまでも広がり、海は光を受けて澄んだコバルトブルーに輝いている。白ひげの船は穏やかなうねりに身を任せ、軋む木材の音さえも今日はどこかのんびりとして聞こえた。

 

 ばさばさと羽音を立てて、ニュースクーが降りてくる。

 その影に気づいて、ルビーは見張り台の端から身を乗り出した。覚束ない足取りで降りてきた鳥に、落ち着いた仕草で声をかける。

 

「新聞を一部、お願いしますわ」

 

 小さく鳴いたニュースクーにベリーを払い、くちばしから差し出された新聞を受け取る。紙の感触は少し湿っていて、海の匂いが混じっていた。

 

 そのまま見張り台から梯子を伝って甲板へ降りる。下では交代のハルタが待っており、軽く手を振った。

 

「では、よろしくお願いしますわね」

「ご苦労さま〜」

 

 短いやり取りを交わし、ルビーは船縁に腰を下ろす。

 今日の四コマ漫画は何だろうか、そんな軽い気持ちで新聞を開いた。

 

 ──その瞬間。

 

「あらっ」

 

 指先から、ぱらりと一枚の紙が滑り落ちた。

 

 

 それは新聞の間に挟まっていた、新しく配布された手配書だった。

 風に煽られ、甲板の上をひらりと舞うそれを、ルビーは慌てて拾い上げる。

 

 視線が、そこに吸い寄せられた。

 

 写っていたのは、懐かしい顔だった。

 どこか不器用そうで、それでも真っ直ぐな眼差しをした青年は、麦わら帽子を被りニコニコと笑っている。

 

「ルフィ……」

 

 穏やかな本日の気候とは打って変わって、船上は大荒れになる。

 

 

 

 

 

「──見ろよマルコ!これ、俺の弟!」

「ほ〜?最初っから3000万ベリーとは、随分やんちゃな子だよい」

「親父親父!見てくれ!弟!」

「グララララ……エースに似て活発そうだ」

「デュースー!これ、弟!」

 

 

「……鬱陶しい!!!!」

 

 

 甲板に、魂の叫びが炸裂した。

 

「知ってるよ!!お前の弟の誕生日も!好物も!  癖も!可愛さも!強さも!子供の頃のいたずらも失敗も!苦手なことも好きなことも!何から何まで全部だ!!」

 

 デュースは、いわば慢性的ルフィ症候群である。

 エースと仲間になってからというもの、いや、無人島で出会った頃から、延々と弟の話を聞かされ続けてきた。

 

 エース一人なら、まだ耐えられたかもしれない。

 問題は、そこにルビーが加わったことだ。

 

「いえデュース、そこは重要なポイントですわ!」

「いや、ルフィはそこが可愛いんだって!」

「それは違いますわ、真の魅力は──」

 

 気付けば二人が競い合うように語り始め、

どちらがより正しく魅力的に伝えられるか選手権が始まる。

 

 巻き込まれたデュースの精神が無事であるはずもない。

 

 マスクの奥で、確実に顔色は青ざめていた。

 

「ルフィにサボにとほんとにお前らはやーーーかましいんだよ!いい加減にしないと親父に嫌われるぞ!?」

 

 それに反発の声を上げたのはエースとルビー。

 

「まだお伝えしきれていませんわ!デュース、おためごかしはおやめになって!」

「親父に嫌われるは関係ないだろ!まだ聞け!」

 

 ドタバタギャーギャーと紳士淑女とは対極の『いつもの風景』が繰り広げられる。

 

「ジョズ、聞いてくださいまし、この方とーんでもなく意地悪を言いますのよ!」

 

 

 

「ルビーちゃんも同居人とはいいつつすっかりうちに馴染んでるよなぁ」

「革命軍になんてくれてやるかよい」

 

 ルビーの第一希望、革命軍と合流を真っ向から切り捨てるのは確定事項だった。

 

 

 

 

 ==========

 

 

 

 

 

「いやー、それにしても、もうルフィが17になったとはな」

「でも、今か今かと待ち構えていたでしょう?」

「そうとも言う!」

 

 笑い声が、夕暮れの甲板に溶けていく。

 時刻は日が傾ききる直前。空と海の境目が曖昧になり、炎を溶かしたような橙色がゆっくりと広がっていた。波は穏やかで、反射する光がきらきらと船腹をなぞっていく。

 

 夕暮れの影は長く伸びて、甲板の端で手すり手をかけた二人はルフィの話が尽きていなかった。白ひげ海賊団誰も付き合うのを諦めたので、互いに話をしていたのだった。

 

 背後ではいつも通りの船員がくつろいだり見張りをしたりと過ごしている。

 

「これからルフィはどんなことをするだろうな。手配書見たか?ルフィの後ろに頭が写ってた。仲間かな?」

「きっと仲間よ。ルフィの信頼する嘘つきかもしれないわね」

「嘘つきぃ?なんだそりゃ」

 

 揶揄うようなルビーの笑みにエースは笑みを返す。

 

「(本当に、物語が始まったのね)」

 

 キラキラとした予感。

 胸の奥がざわつくような、わくわくする冒険の予感。

 

「あぁ……本当に、生きる希望だったわ」

 

 ぽつりと落ちた言葉は、誰に向けたものでもない。

 ルビーは海の向こうを見つめていた。遠く、どこまでも続く水平線の先を。

 

 前世で見た記憶が鮮明に蘇る。大事な大事な記憶。ルビーは前世で、ルフィに救われた。ルフィの物語に魅了された。

 

「ねぇエース、貴方はこれからどんな冒険が待っていると思う?」

「え〜?ルフィのかぁ。んー、ローグタウンには寄らなきゃだろ」

 

 指折り数えるように、エースは予想を語り出す。

 あれこれと、確信も根拠もない未来予想。それなのに、不思議とルフィならやりそうだった。

 

「王下七武海相手にしたりしてな!」

「もうしてるかも知れないわよ?」

「いやぁ、流石にどうかな」

 

 言いながら、エースは横目でルビーを見た。

 彼女は海を見つめたまま、目を輝かせている。

 

「この海の向こう側で貴方達兄弟は今をたくましく生きている」

 

 その声は、祈るようでもあり、誇るようでもあった。

 

「……なんて、なんて尊くて奇跡的なことかしら」

 

 負けても、倒れても、立ち上がる。

 前に進むことをやめない。

 ルビーはその生き方を、まっすぐに、疑いなく尊敬していた。

 

「本当に、すごい」

「オタメゴカシに言ってるけど、ルビーも大概すごいけどな」

「そう?」

 

 首を傾げる仕草すら、どこか他人事のようで。

 自分がどれほどの距離を歩いてきたのか、彼女は未だに分かっていないのだと、エースは思う。

 

「ただのお姫様だったルビーが、城から抜け出してさ」

 

 記憶の奥で、ひとつの光景がほどける。

 

 突然現れた、場違いなくらい上等な服を着た女の子。ダダンの小屋の前で空腹で倒れていて、エースは放っておくことは出来ずに拾った。何が目的なのか、体に傷をつけてもお腹が盛大に音を立てても、ルビーはしぶとくエースについてまわった。

 

 3ヶ月も経てば、エースがサボと過ごしている仮拠点にルビーがくっついてやってきた。渋々サボに紹介したものの、ルビーはキラキラと顔を輝かせてサボに求婚した。

 

「気付けば山賊の家で堂々と居座って、サボまで見つけて……」

 

 ルフィが現れるまで、エースはルビーからサボをまもりつづけた。真っ直ぐにエースの後ろにいるサボを見つめるルビー。

 曰く『推し活』の状態。輝き増していて。

 

 あの頃のルビーは、ひとりの存在に光を全部注いでいて、それは子どもながらに眩しくて。

 

 ……すごく、すっっっっっごく、鬱陶しかったけど。

 

 ルフィが現れてからも、それは変わらなかった。

 どこかルフィを特別扱いしつつ、相変わらずサボがラブで、エースのことを平然と恋敵扱いする。

 

「仕方ないわ。サボのお嫁さんになるのが夢だもの」

「それ、本当にブレねぇよな」

 

 兄弟杯を断られたのには腹が立った。

 でも同居人としてエースたちの生活を近くても少し距離のある位置で見守っていた。

 

「サボが居なくなって、お前が火の中に残ろうとして」

 

 ゴア王国では、死にたがりのエースよりも無茶をするルビーのせいで、エースは危険から1歩踏みとどまった。

 自殺願望ではない。でも死にそうなほど、己を鑑みないルビーの言動は怖かった。

 

 でも真っ直ぐで、本当に前だけを向いていた。

 

 

 

 サボが死んだと伝えられた時、本当に信じられなかったけど。亡くなったことに囚われずに前を向こうと思った。

 きっとルビーなら前を向くだろうと考えていたから。

 

 悲しんで、泣いて、そして立ち上がる。

 そういう正しい順序を彼女なら踏むのだろうと。

 

 でも、エースはルビーの言葉に心底驚いた。

 

──……消去法を、考えましたの。

 

──……海の中に、サボの死体が無ければ。それはつまり生きているという事、ですわ。

 

 死を前提にしない、前を向くと言うよりは過去の可能性に縋り、生の可能性だけを拾い上げていた。

 

 今もなお、こうして糸を掴み続けている。

 どれほどサボが好きで、どれほど一途で。どれほど頑固なものか。

 

 

「いつの間にかあんな下手くそな泳ぎ方が綺麗になって、今じゃ俺も世話になってる」

「そう思うのでしたら、海に落ちないようにする事ね」

「あの時ばかりはどれ程」

 

 

 どれ程。

 

 

「嫉妬した……か…………?」

 

「?」

 

 

 口から出てきた言葉にエースはハッとする。

 

「俺は…………」

 

 

──エース、早く行くわよ。上陸ですわよ!

──どうしましたのエース。航路で悩むの?

──きゃあ!!ど、どうすればいいのエース!

 

──エース……!

 

 

「エース?」

 

 

 キラキラと、思い出の中のルビーはいつだって輝いていて。

 それは記憶の美化なんかじゃない。

 何年経っても、何度振り返っても、彼女は同じ温度で、同じ強さで、エースの中に在り続けている。

 

 そして今、夕暮れの中に立つルビーもまた、同じようにまぶしい。

 場所が変わっても、時間が流れても。

 

 

 

 

 誰かに向ける気持ちが、いつもずっと真っ直ぐであること。

 

 途中で疑ったり、打算を挟んだりせず、信じると決めたら最後まで信じ切るところ。

 

 前を向くと決めたら、過去を引きずらないのではなく、全部を抱えたまま歩いていくところ。

 

 それから笑顔が可愛くて、コロコロ変わる表情が見てて飽きないところ。

 

 誰かのために必死になれるところ。

 そこがやはり心配で、目が離せないところ。

 

 自分の弱さを武器にしないところ。

 

 この世界のことを大好きなところ。

 

 大事な人なのだと、教えてくれるところ。

 

 手のひらが暖かいところ。

 

 

 

 ずっとずっと、幸せになって欲しくて。

 笑顔でいて欲しくて。

 

 時々消えてしまいそうになる手を、掴みたくて、離したくなくて。

 

 溢れんばかりの希望を身に纏うのに、心の内側で不安や臆病を抱えて。

 

 一歩一歩を、宝物を抱くかのように大事に歩く。

 

 

「あ……」

 

 いつの間にか、こんなにも大事になっていた。

 

 

 キラキラ。

 ピカピカ。

 

 輝きかストンとエースの胸の内に収まった。

 

「なぁルビー」

「どうしましたの?」

 

 エースはルビーの手を掴んだ。

 炎の能力者の手のひらはいつもより僅かに暖かくなっていて、触れ合った肌から体温が混ざり、しばらく経つと同じ温度になった。

 

「エース?」

 

 ルビーの目がキラキラと輝いてエースの目に飛び込む。

 

 

「──俺、ルビーが好きだ」

 

 

 

 

 相関図。

 物語の登場人物の相関関係を矢印や記号などを用いて簡潔に表す図形。

 

 エースからルビーに向けられたその矢印は、炎のように、紅玉のように赤く染っていた。

 

 

 

「ルビーのこと、本当に好き。ルビー、俺と付き合って欲しい。ずっと一緒にいて欲しい」

 

 

 

 

 白ひげ海賊団の面々は、急に始まった告白タイムにかなり動揺したが、いい歳こいたおじさんたちは皆固唾を飲んで見守っていた。

 ソワソワと浮き足立つ彼らは、二人の目に入っていないだろう。

 

 

 

「それは、私と恋人になって、恋愛したいってこと?」

「あぁ。ずっとずっと、ルビーの手をつなぎながらおじいちゃんとおばあちゃんになるまで一緒に生きたい」

 

 ルビーはエースを真っ直ぐ見つめる。

 小さな口から溢れ出る返事を、皆が待っていた。

 

 

 

 

 

「──ごめんなさい、釣り合わなくてよ」

 

 

 

「「「「なんでだよ!!!!」」」」

 

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