山羊と羊の輪舞 作:山羊厨
熱に焼けた石板の数々を踏みしめ自らの守護領域に一瞬で辿り着く。
己に施された御方の慈悲と御方々の奇跡に感謝しつつ、案ずるは自らの創造主。
何者からも護ると心に誓ったのに彼の方を再び生命の危険に曝す、この愚かな被造物に御方は再び赦しを与えて下さるだろうか…?
急く胸の内と絶望を予感する心を抱きながら降り立った赤熱神殿は、創造主が己に下賜くださった管理領域を束ねる端末。
降り立つと同時に紅蓮へと移譲していた権限を強制的に剥奪する。
これも創造主が己に与えてくださった絶対無比の権限。
彼から強制剥奪した感覚は本来なら階層守護者として存在する己の感覚の一部、ウルベルト様に定めていただいた役目と共に与えられた感覚器官。
譲渡していたそれを取り戻し、自身に接続して彼は閉ざされた瞳を開く。
眼鏡と瞼と意思に厳重に閉ざされた宝石の瞳。
創造主が苦労したと幾度も呟きながら加工し、己へと与えて下さった瞳を開いて全てを見る。
私は炎獄の造物主。
このナザリック地下大墳墓の防塞指揮官にして被造物の最終防衛線としてある、第七階層の守護者。
墳墓を犯す何者も赦さず迎撃する存在であり、墳墓に所属するありとあらゆるモノを把握する者。
その能力を取り戻し接続した瞬間、第七階層のスキャンを終了する。
己の知覚に一分の隙はなく、賜った階層の隅から隅までを舐めるように調べ尽くして下すのは配下たる悪魔達への命令。
彼の指示に従わぬ悪魔は存在しないのだから、最も信頼に足る者達と言えよう。
「第六階層へ移動を。闘技場は省き、各エリアへ散り制圧したまえ」
己が掌握する階層の状況を把握し、千変万化の顔無しの思考を読み、己が管理領域の直ぐ上の階層が残されていると察した。
かの階層は転移門が闘技場内で完結しているにも関わらず、大墳墓内で最も広大な敷地を誇っている。
第一階層から己が守護する領域までを把握する
「遠慮は必要ないのですがねぇ。ですが、感謝しますよ」
彼が創造主とのコミュニケーションに飢えていることを察したからこそ、創造主との触れ合う機会を減らしても仲間を想う優しい心遣いに素直に感謝し、足を進める銀の尾を持つ守護者には僅かな余裕が戻っていた。
何故なら、彼が接続した管理領域の履歴に侵入者が存在しないから。
不敬ながら御方は現在人間種。
侵入すればいくら警戒状態になくとも空気すら赤く染まる我が領域で生き残ることは出来ない。
出現し呼吸すれば食道から焼けただれ、肺胞はおろか肺の全てが炭と化す。
それを成すのが自身が治める階層だと良く知っている。以前の襲撃で燃え尽きる愚か者共を嗤っていたのだから。
御方が我が領域で死を迎えられたなら潔く後を追う。
御方を自らの手で死に至らしめたと等しい状況で、生に甘んずる気はない。
身を千に切られようが幾多の輪廻に流されようが幾億の刃に刻まれようが、御方に添うと心に決めた。
かくあれと御方が与えて下さった感覚に間違いはない。
我が管理領域に御方は出現されず、燃え尽きることはなかったのだと知った時点で体中から力が抜けたが、まだ御方は無事第九階層に戻って下さったわけではない。油断できない。
悪魔達が転移門を抜けて行くのを確認し、再び起動させるのはギルドの指輪。
込めた力を解放し、ギルドの指輪は寸分違わず朱色のスーツを着た銀の尾を持つ悪魔の姿を瞬時に搔き消した。
その日、彼等はたまたま闘技場近くで訓練を終えて通りがかっていた。
今日も森の賢王として知られた存在であるハムスケ殿と共に新たな武技を習得すべく汗を流し、なんとなく習得の為の切っ掛けというか、感覚というモノを得た気がした。
強くなれるかもしれないという予感を覚え、期待に胸を膨らませながら与えられた宿舎に戻る途中。
普段は物音さえしない闘技場に突如恐怖を感じ、一斉にそちらを向く。
見た目は何も変わらない、いつものように佇む闘技場なのに雰囲気がまるで違う。
何故恐ろしさを感じているのかも分からないが、それに加えて威圧感さえ覚えて彼らは後ずさる。
何が起きたのか分からない。
これまでは普通に過ごせていた、至上の主人の指示に従い研鑽を積んでいただけ。
他者から攻撃を受けているのか?
だが強者がひしめくこの墳墓の奥にある階層まで辿り着ける者がいるとは思えない。
なら主人の実験か?
いつかのように人間種を誘き寄せて何かを確かめようとしているのかもしれない。
けれど、それならそうと通達くださるはず。なぜ、こんな、突然。
我等は彼の御方の不興をかったのか…?
蜥蜴人が寄り集まって闘技場を見る先で黒々とした塊がありとあらゆる場所から噴き出す。
円形闘技場の出口、窓、屋上。ありとあらゆる空間から湧き出し散っていく黒い塊をみて目を見開く。
アンデッドやスケルトンなら見ることがあるが、外の世界では滅多に目にすることはない存在自体が強大な種族。
「あ、悪魔!」
「なんてことだ…!」
無数の悪魔が地を走り、空を駆け、耳障りな叫びを上げながら大地と空に溢れ始めていた。
その姿を確認して即構えるが一体一体が森の賢王すら児戯に等しいと嗤いながら嬲り殺せる存在達。使い慣れた武器を構えても、こんなに頼りなく感じる。まるでいつかの日のようで、その結末さえ同じなのではないか恐怖に
こんな存在が今まで何処にいたのか。
やはり攻撃を受けているのだろうか?
守り神様の敗北などありえないが我々では何の役にも立たない。
だが大恩ある方の危機を黙って見ているなどということは出来ない、たとえ
やるぞ!と仲間達と視線を合わせ頷きあい、構えた武器を振り上げて地を走る悪魔へと走り出す。
だが振り絞った勇気もたった一声の前に力を失い、強制的に跪く羽目になる。
その声を耳にした瞬間、自身の身体が自らのものではなくなったように言うことをきかなくなった。
悪魔目掛けて走るつもりでいるのに足は意思に反して動きを止め、力一杯握っていたはずの武器から簡単に指を離してしまう。自分の身体が自分に反抗する、この感覚には覚えがある。
『第六階層に存在する全ての者よ。動きを止め、武器を離し、跪け』
あの、赤い服を着た銀の尾を持つ姿が脳裏に甦る。
決して声を荒げたりはしない。ただ静かに言い聞かせるように指示を出す。
微笑みながら発し流れる深みのある美声は声量に関係なく通り、周囲に言葉を伝えていく。そして従わせるのだ、強制的に。
だが以前受けた言葉より今受けている言葉は遥かに強く、反抗の意思どころか思考力すら奪われて、蜥蜴人達は唯々諾々と従った。
階層中に通るのではないかと思うほどに力のある声の波動は周囲に騒めく一切の生物から物音を消した。
「
また紡ぐ言葉から周囲を黒い焔が壁となって取り囲む。
暗く淀んでいるのに普段目にする炎より遥かに熱く、遠くにあるのに己が燃え尽きてしまいそうなほどの熱量。逃げたくても身体は動かず、口さえ開くことが出来ない。熱い、死ぬ、熱い、死んでしまう!
その焔で出来た壁に向けて、彼の悪魔はそっと囁くように言葉を紡ぐ。
『御方を探したまえ。我が唯一にして無二の方を。
決して傷つけず、自らの身をもって守り、私に伝えなさい。疾く去り、一刻も早く彼の方を探り当てよ』
その言葉を紡いだ途端、周辺を囲っていた焔は霧散し形を成す。
霧散した小さな火の粉が自らの姿を変え、形を変えて造物主が望む姿をとってゆく。
速度を重視したフォームを望み羽根を重視し創造した姿、そして御方を確認する瞳。御方の身代わりとして役立てるHPも重視して創造する生き物は…小さな小さな、羽虫の姿。
今強度も強さも必要ない、今必要なのは情報を収集する能力と御方の盾として身を費やせる力。
だが、それが持つ力は第三位階の
『行け、私の被造物達よ』
銀の尾を持つ悪魔の言葉に従い四散する羽虫に似た悪魔達。
その数は何百、何千、何億に上っただろうか。飛び去れば新たに造り、また飛び去れば新たに作ること幾度目。
そうして蜥蜴人達に気づいた悪魔がこちらへと視線を向けた時。
「!」
弾かれたようにスーツの悪魔が一方向を睨み、背に漆黒の羽を広げて羽ばたき始める。
中に浮く彼の姿を呆然と見守る蜥蜴人など、全く意に返さない悪魔は視線をくれた先にある光景を既に見ているのか、焦る表情を浮かべて力強く一翼を仰ぐ。
「ウルベルト様。今、参ります…!」
呟きに等しいのに、通る言葉を耳にして目を見張る蜥蜴人を置き去りに、第七階層守護者は自らの創造主を求めて羽ばたいた。
一方、その頃求められる創造主は。
「はい!確かに私が知る限り、シャルティア様は夜毎入り浸っておられますが」
「事実なのか…!」
自らが抱える柔らか癒し系生物と、護衛としてついていた影の悪魔からもたらされるギルドの長に秘められた性癖に、戦慄と多大な精神的ダメージを受けていたりする。