山羊と羊の輪舞   作:山羊厨

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第5話

 

ローブル聖王国に存在するナザリック両脚羊牧場の朝は早い。

 

眠らぬ悪魔達は朝早くから羊達の食事を作り始める。

昨日死亡した羊を潰して飼料を作ったり、一晩中羊の面倒を見ていた者と交代したり、放牧場の柵を手入れしたりもする。そして従えた下等種から新たな羊を受け取ったりもするのだから毎日が目まぐるしく充実した日々だ。

 

放牧場が存在している平原には数十種類の種族が生活を営んでいるが、その中であっても最弱の種、いつ淘汰されてもおかしくない種族であるのが彼、ガーラントの所属する兎族だ。

 

獣人で人間種より強靭だが攻撃手段が少なく、俊敏で相手を翻弄できるのに倒すことが難しい。見た目の良さから徒党を組んだ人間種に狩られることが多く、かといって同じ獣人にも足手まといになるために嫌がられ、多種族に食料として喰われることもある。ただ極めて旺盛な繁殖力と逃げ足で生き延びて来た種族と言っても過言ではない。

 

そんな彼らだったが、今はこの牧場を中心に急速に勢力圏を広げ始めている新興勢力のひとつだ。

 

その機動性にモノを言わせて翻弄し分断し罠にかけて追い落とす。

これまでに無い頭を使った戦い方を初めて、以降負けなし。兎族と聞けば近隣の亜人、獣人を戦かせるほどになった。それもこれも獣人族の情けとして見逃されていた最後の兎族の縄張りに突如現れた銀の尾を持つ恐るべき悪魔のおかげ。

 

今餓えることがないのも、他を恐れることがないのも、己の種族に誇りを持って他種族を虐げることが出来るのも、全て彼が授けてくれた策。全てが彼の功績であり、彼らがいなければ自分達はとうに滅んでいただろう。心から感謝してもしきれない。彼らから見放されないよう、常に寄り添い、望みを叶えなければと彼は拳を握りしめて決意を固める。

なぜなら、ここのところ牧場の様子が変わったのだ。

 

これまで牧場への出入りは自由だった。けれど七日ほど前から、受け渡しや来訪は前もって知らせるように通達がなされたのだ。

彼らがこの地に牧場を築いて半年以上が過ぎている。これまで何度も襲撃にあっているが一度たりと負けたことはなく、危機に陥ったこともない牧場だ。

それもそのはず。この牧場を営む全ての悪魔が一騎当千の強者揃いなのだ。

 

この牧場の支配者たる銀の尾を持つ悪魔は言葉ひとつで他者を死に至らしめ、おどけた動作で笑いを誘うペストマスクをつけた道化の悪魔が両手を飾るきらびやかな道具が一度放てば、放った回数以上の死を撒き散らす。

羊を引き渡す時に会う悪魔一体だけでもアダマンタイト級冒険者に匹敵し、牧場内部に招かれる際につけられる影に潜り込む悪魔すらミスリル級を下らない。

 

一事が万事そうなのだ。

己以上どころか英雄級、神話級以上の存在が当たり前のように存在し、尚且つそれが一介の下僕(シモベ)に過ぎないと平然と宣う狂った牧場で、先触れを必要とする事態とは如何なる事態なのか。ガーラントの興味はつきない。

 

今日、彼は兎族代表として牧場を訪れている。

新たな羊が多数手に入ったので献上品として納めたいと申し出に来たのだ。羊を捕らえた時に得た手荷物に魔術アイテムも数点存在していた。

羊のみならず魔法アイテムは悪魔達をひどく喜ばせる。魔法アイテムは高額だ、両方が手に入ることは滅多になく彼らの関心を買う一隅のチャンスだと彼らには思われた。

 

牧場の柵を通り越し、敷地内に入る。

これこそ兎族の真骨頂、機動性には一日の長があるのだ。たとえ影の悪魔が相手と言えど影に潜り込まれていなければ咎められることはない。しかも早朝、陽が登り始めた時刻。多くの種族がすべからく眠りから目覚める時間だ。

 

「最高支配者たるデミウルゴス様への献上品を一刻も早くと思い持って参りました」

 

言い訳は完璧、誰が最高の支配者に逆らうだろうか。誰も居はしない、全て支配者の意のままが正しいのだ。よって俺の主張は正しい。なんせ最高支配者への貢ぎ物を捧げに来たのだから。

 

ガーラントは意気揚々と牧場を進む。

 

進む彼の視界に写るのは建てられたばかりの真新しい畜舎。羊の数が増えるにつれて次々と増築されていく様は圧巻だ。

まるで初めから建てる予定があったように美しく、効率よくバランスのとれた畜舎が訪れる度に立ち並んでいる。これが彼の方の御技かと惚れ惚れと溜め息が出る。

全てが計算され、それ故に事象が回り、思い通りの結果を得る。森羅万象。かくあれかしと定められ、全てが定められた道を進むのみ。

 

「なんという叡智か・・・」

 

彼へは銀の尾を持つ悪魔を想い身震いする。

全てが思い通り、ありとあらゆる事象が彼の思うがままに進み、従えるのだと信じてやまない。

 

早まるな、おれ。一つずつ、一つずつだと己に言い聞かす。

今の自分は一介の兎族の一人。例え次期族長と言えど悪魔達にとっては塵芥と同じなのだ、驕ってはならない。

まずは一体。引き渡しにまみえる悪魔に侍って、次を狙う。そして仮面の悪魔に侍り、彼の支配者を虜にして更なる高みを。

 

俺なら出来る。

一族総勢が認め、他種族すら欲しがる俺だから出来ることだ。

自信を持て。

 

彼の野望は凄まじい。

いずれ一介の僕と称する最高支配者よりも上の存在へ侍ることを望んでいるのだ。

悪魔達が口にする「至高の御方」が頂点。なら「御方」とやらに侍れば良い。俺に溺れさせれば全ては俺の物になる。

 

ある意味で彼の持論は勿論正しい。色に溺れる支配者は過去には幾人も存在したのだから。

 

「寒…せ…か?」

「本…は梅…。…の御心を…。…。」

 

微かに耳に聞こえてきたのは商談で接する悪魔の声。

その声は語り掛ける相手を敬い、かつ気遣う言葉をかけている。

薄気味悪い肌色を持った悪魔達で彼の好みではない。

自ずと身を隠すことを選んでしまい、隠れてから舌打ちする。これでは疚しいことをしていると宣告しているも同然、侍るなどもってのほか。下手を打った、日を改めることにしよう。

 

本来なら彼は正しく、素晴らしい指導者と成り得る男だ。

自己犠牲の精神を知り、正道を知る正しきものに成りうる可能性のある生物だった

だがその生物は、己の気を引いた声に後ろ髪を引かれて振り替える。

 

牧場内は先触れがない限り立ち入り禁止。

なら、常ならば事務的な声を出して羊を受け取っていた彼らが猫撫で声を上げて機嫌をとる相手は誰?

俺より価値を認める、それはどんな種族なのか。

 

 

 

 

古来より、好奇心は猫をも殺すという諺がある。

猫を殺そうと思えば苦労することになる。容易には殺せぬ猫だが、好奇心を持って伺おうとする猫であれば簡単に殺すことができるのだ。

 

 

 

 

牧場の片隅。

瑞々しい朝露が光を弾く、目に柔らかな新緑を纏う牧草地に小さな天蓋が一幕。

それは薄く美しい布を風に揺らされながら存在している。

 

周囲に侍るはアダマンタイト級とおぼしき悪魔達。仲間の悪魔が拷問の悪魔と呼んでいた稀少な治癒魔法を使う悪魔で、欠損した部位すら元通りに直すことができると言う。

そんな神代の魔法を使う悪魔達が天蓋の中へと徐に両手を差し伸べる。

 

大治癒(ヒール)

 

紡いだ言葉は多くの者が到達することのできない領域。

辛うじて使うことのできる神官がいても一度で己の魔力の枯渇するため拒否する魔法がいとも容易く行使され、対象を柔らかな光が包み込んで天蓋の内側を染めてゆく。

 

その光を遮り手のひらを翳し、視覚の維持を優先する。天蓋の中にいるのが何なのか確かめたい。大治癒は羊から皮を剥がし、狂気に陥った羊を元の状態に戻すときに使用すると聞いていた。

 

「試してみるかね?」

 

ニタリと笑う悪魔の言葉を震えながら全力で拒否したことは記憶に新しい。その大魔法を複数体で惜し気もなく使うとは、あの天蓋の中央にいるのは誰なのか。

 

銀の尾の悪魔?

まさか。彼が怪我を負うとは考えられない。

全身どころか髪の一筋に至るまで力を感じる人外の生物だ。

 

ならばペストマスクの悪魔が?

いや、彼は代行と言えど拷問の悪魔に傅かれる様子はなかった。同等の仲間という様子で羊達を管理している姿を幾度も目にしている。

他の悪魔も同様、天蓋を準備してまで尊重する立場の者が思い付かない。

 

では誰なんだ?

 

近くにある天幕の影に隠れて様子を伺う。

複数体の拷問の悪魔が入れ替わり立ち替わり大治癒を施し、恭しく退出の言葉を紡いで各々の仕事へと向かう様は異様だ。

周囲に蠢く枯れ枝のような黒い人型は影の悪魔だろう。風に靡く薄絹の端を押さえて徐々に昇る陽光が天蓋の中央に居る存在に直接当たることがないよう配慮している。

この牧場の最高支配者たる銀の尾を持つ悪魔に対してすら、ここまで心を砕いて仕える様子は伺えなかった。これは。

 

「至高の御方って奴か!」

 

千載一遇の機会。

通達は至高の御方の滞在を示していたのだと気付く。

 

悪魔達が常々口にする下等生物が至高の御方の視界を汚さないようにとの配慮なのだろう。大治癒を必要とするのなら怪我を負っているのだ、弱っているのかもしれない。気分転換か、はたまた日光浴でもしているのか。陽の光は身体に良いと聞いたことがあるから、そのためかもしれない。

弱れば心細く人恋しくなるはず、生物であれば。

生物だよな?

同種の悪魔という可能性もあると気付いて暫し悩む。

 

悪魔達は尊大だ。

同種と仲間以外は家畜と下等生物にすぎないと宣う。だが銀の尾の悪魔もペストマスクの悪魔も、この美貌は認めてくれた。「まだマシな部類ですね」と零れた呟きは忘れていない。

 

「何をして、いるのですか?」

「!」

 

考え事に気をやっていたガーラントの側面、頬にかするように白い物体が横切り、背後から顔だけを覗かせたのは仮面の悪魔。ペストマスクに隠され金属特有の光を放つ目が不穏な気がして、背中を滝のような冷や汗が流れる。

 

「立ち入りにわ先触れが必要だと伝えているはず」

「申し訳ございません!先触れとして参りましたが、いらっしゃらなかったので入りました!お許しください!」

「・・・誰もいなかったのですか?」

「はい!」

 

背後に立つ彼の正面に回り込み、跪いて許しを乞う。

生物の可動域以上に首を傾げて静止した仮面の悪魔は先程までガーラントが見ていた先へと視線を送り、納得したように首を元の位置に戻す。

 

「・・・なるほど。今回だけわ許しましょう」

「あ、ありがとうございます‼」

 

悪魔の視線の先には天蓋に侍る幾体もの悪魔。自分達の最上位種にして至高の支配者の帰還に浮き足立っているのが理解できた。

己ですらそうなのだ、滅多に拝謁の機会がない彼等は尚更だろう。

 

視界の中で反省したのか頭を深々と垂れて離れてゆくのに頷いて、彼自身は天幕へと寄る。兎族の先触れが来たのなら本隊も近い、御方の天蓋を即安全な場所に移さなくてはならない。早足で天蓋へと向かい、けれどすぐに足を止めることになった。後ろに兎がついているのだ。

 

「何をしているのです?」

「いえ、あの、先触れに参りまして」

「それわ聞きました、シャドウデーモンが向かっています」

「その、あの、献上品の内容をお伝えしようかと」

「後で確認します」

「デミウルゴス様は、どちらに・・・」

「今わ出ています」

 

下から舐めるように見上げてくる兎の意図が掴めない。

一刻も早く御方を大天幕へ移動したいのに、まとわりついて離れない兎が煩わしい。

 

彼の到着とガーラントの先触れで家畜が来ると察した悪魔達は兎族がやって来る方角へと一斉に向かい、残るは治癒魔法をかけ続ける拷問の悪魔のみ。

牧場の見回りの為に御方の側を離れたのは数十分ほどであるのに、こんな近くまで侵入者を近づけてしまうとは何という体たらく。早急に警備体制を見直さなくてはならないし、配置を変えるにもデミウルゴス様へ相談するのが良いだろう。一刻も早く連絡をとらなければ。

 

「用件が済んだのなら去りなさい」

「い、いえ。お手伝いをと思いまして・・・」

「不要です」

 

一言捨て置き、歩み寄った寝台の元に跪き頭を垂れる。

捨て置かれ呆然としていたガーラントも御方の前であることに気づき、慌てて膝をつく。

 

「御心をお騒がせし大変申し訳ございません。これから更に騒がしくなりますので御身を大天幕へお運び致します」

浮遊(レビテーション)

 

天蓋に侍っていた二体の悪魔が一歩引き、彼の魔法と共に寝台ごと浮き上がる。

虎視眈々と寝台へ近づく機会を狙っていたガーラントは天蓋ごと浮き上がった寝台に驚きつつ、移動を始めた彼を追う。

 

「お、お待ちください」

「何故着いて来るのですか」

「おれ、いや私はお役に立てます。身の回りのことも一通りこなせますし、牧場の責任者様も貴方様も認めて下さった見目もあります」

「それが何ですか」

 

さも当然のように言い捨てて鼻白むガーラントから目を離し、遠くにあれど他よりも一際大きく見える天幕へと天蓋を移動させるのを急ぐ。その様子に呆気にとられたものの、ガーラントは諦めの悪い男だ。

 

「御方にもお気に召して頂けるはずです!」

 

彼が発した言葉は道化師の琴線に触れたのか、彼は足を止めた。ゆっくりと振り替える道化師に対し、期待に目を輝かせてガーラントは跪き更に言葉を続ける。

 

「朝も昼も夜も、絶えず御方の元に侍りましょう。御満足頂けるよう心を尽くして仕えます。決して後悔は」

「時間です」

 

立ち止まった仮面の悪魔の視線の先に多数の人影。大天幕への移動は間に合わないと彼は判断する。

追従していた拷問の悪魔に左右を守るよう指示を出し、そっと寝台を草原へと降ろす。道化師と二体の拷問の悪魔が天蓋の奥へ深々と謝罪の意を示して頭を垂れると、即座に人影に対応すべく立ち上がる。

寝台の前面に立ちはだかり到着を待つ彼らの中からは、既にガーラントの存在は省かれていた。

 

一方、羊を引き連れ魔法アイテムを抱きながら来た兎族は、最高責任者代行と周囲に侍る悪魔の警戒心も顕な様子に困惑する。

道化師の側には次期長と目されるガーラント。

一族の期待を受けて己を売り込んでいたのだろうと察したが、上手くいかなかったのか。いや、背後に寝台がある。上手くいったのか?

いまいち掴めない状況に判断に迷い、彼は無難に献上品を捧げる方向に定めた。

 

「兎族が第一の戦士、ウナバルトス。最高責任者たるデミウルゴス様へ貢ぎ物を持ってまいりました」

「よく来ました。最高責任者わ所用により出ています。代行の責任を持って私が預かりましょう。羊わ全て拷問の悪魔が引き受けます、畜舎へ入れて下さい」

「畏まった、代行責任者殿。…ところで」

 

胸に手を当てて恭しく指示を受け取ったものの、ウナバルトスの視線は天蓋から外れない。

草原に天蓋つきの寝台。

なんという違和感、用途がとても気になる。

 

「その寝台は今から使われるのであろうか?」

 

我らが次期族長の色香に惑って関係を持てば上出来。多少下の話になるが、この道化師は話が分かる類いの悪魔だと彼は知っている。

例え違っても何らかの情報は得られ、損はない。そう考えての発言だった。

 

「貴方にわ関係のないことです」

 

話題にのせること事態が不敬。

そう判断し頑なに拒否を示す道化師に、ウナバルトスは面食らうことになる。

 

常とは全く違う態度。

明確な拒否と威圧すら漂い始めた空気を感じてウナバルトスは地雷を踏んだことを確信する。

危険だ、これ以上後ろの寝台について話を振ってはいけない。

そう警告音を発する自信の本能に応じて了承を返し、貢ぎ物を渡して引き返すつもりだったのだ、彼は。

ただ、その場に空気の読めない男がいただけの話。

ウナバルトスが隊列を率いて踵を返した後、それは起こった。

 

寝台を覆う天蓋を吹き飛ばしてしまうほどの突風。

巻き上げられ、引きちぎられた薄布は空を舞い、畜舎の方角へと姿を消す。

代わりに動いたのは悪魔達。引きちぎられた薄布を留めようと動くが間に合わず、降り注ぐ陽の光を遮らんとするも遮る物もない。

寝台ひとつが複数人横になろうと余裕をもって眠れるサイズだ。数体の影の悪魔が遮ろうとも隠せる大きさではなく、寝台の中央に横たわる者は衆目に晒され、更に陽光に照らされることになる。

 

剥がれた天幕の内に隠されていたのは豪奢な寝台の中央に沈む炭化した人間種と思しき人型。

その人型が横たわるシーツは周囲が全て血と膿に汚れており異臭すら漂う有り様、その一部の隙もなく焼け爛れた身体に陽光は容赦なく降り注ぎ、焼きゴテを当てたかのような痛みを伴う。

 

「うう・・・!」

 

寝台から上がる声に対する反応は二つ。

 

「人間!?」

「何故人間がこんな所に!」

「助けてくれ、逃がしてくれぇ‼」

 

怒りと侮蔑を顕にする兎族と、彼等に羊として率いられる人間種が同種を目にして助けを求めて泣き叫び。

 

「御方様!」

「陽を遮れ、一筋たりとも御方に当てるな‼」

「下がれっ、下等種族共!御方に触れるでないっ」

 

彼の呻きを受けて殺気立ち、陽を遮る物を求めて走る悪魔。押し寄せる人間種を弾き飛ばし、彼の安否を問う悪魔達。

 

浮遊(レビテーション)!』

 

彼の声が痛みに歪み、呻きが鼓膜を震わせる事態に仮面の悪魔は魔法を唱える。

御身の安全を最優先にしなければならぬ。

大恩ある御方が、痛みを訴え助けを求めていらっしゃる。

御方が求める全てを成せぬ己の愚かさの、なんたることか。

混乱極まる思考の中、御身の安全を最優先にと寝台の移動を選び取った行動は最悪の結果をもたらした。

 

「人間種風情が!」

 

吐き捨てるように怒鳴るガーラントは兎族の機動性に物を言わせて浮き上がる寝台へと飛び乗り、横たわる御方の腕を掴んだのだ。

 

一瞬で沸き起こる灼熱に爛れた怒りが仮面の悪魔の脳を焦がす。

なんという失態。御身が休む寝台に下等生物が土足で上がり、尚且つ無体を働くなど。

今まさに黒く爛れた御方の頭を鷲掴みにしようとしていたガーラントを怒りに歪んだ表情を湛えた仮面の悪魔が力任せに弾く。横凪ぎの手刀を横腹に受けて、腹部から異様な音を響かせながらガーラントは文字通り宙を一回転して草原へ転がってゆく。

 

「あが、いあ”あ”あ”あ”あ”あ”・・・っ」

 

横腹を殴られて弾き飛ばされた彼の腹は骨が砕け、陥没していた。折れた骨が内臓に刺さり、鮮血を噴き出している。激しい痛みを伴い、喉元に鉄臭い液体が込み上げて声と共に体外へと流れる。

 

助けて欲しい。

痛みを止めて欲しいと悪魔達を見上げても、彼等の関心は寝台の上で苦しむ存在に向けられている。

連続してかけられる大治癒。各天幕から集まってきた拷問の悪魔が集い、更に唱えられる数々の魔法に描かれる複雑な魔方陣。全く聞いたことのない魔法の数々にウナバルトス達兎が戦く。

 

影の悪魔が近くにある天幕を剥がし天蓋の枠へかければ、段々と痛みが治まってきたのか聞こえる呻きが少なくなり、悪魔達はようやく安堵した。

御方の容体が落ち着き、暗い天幕の中だけでは傷口が膿んでしまうと外へ御出願ったというのに、更に痛む結果になるとは。

 

一方、痛みに悶えながら這いずり回るガーラントに差し伸べられる手はない。

彼の視界に寝台の人間が幾体もの拷問の悪魔から治癒魔法をかけられているのが映る。大治癒が唱えられるたびに淡く輝く人間の身体。

 

何故?

何故おれを治してくれない?

痛い、苦しい。

無礼な家畜を引きずり下ろそうとしただけなのに、何故おれがこんな目に。

脆弱な家畜同然の人間が、強靭で強大な力を持つ悪魔達に傅かれているのに。何故。

おれの方が役に立つのに。

悪魔なのに騙されている、家畜が御方であるはずがないのに。

 

一方、ウナバルトスは寝台に人間が横たえられていたことに驚いたが、悪魔達の騒ぎようと対応に更に驚いていた。

尋常な対応ではない。惜しげもなく治癒魔法を連発し、更に痛みを与えないよう自らの身で影を作る悪魔が数多く居ようとは想像すらしたことがない。

それも相手が同種なら納得できたのに、人間だと?

御方、と呼んでいたからには目上なのだろうが・・・人間が?

彼の脳裏に過去連れてきた羊達の末路が過る。

 

凄惨な加工場。

幾度も繰り返し採取される様々な部位の羊皮紙。

悲鳴と苦痛と鳴き声が幾重も聞こえる畜舎の数々。

 

有り得ない。

効率よく使い回す、まさに家畜扱いの人間に対して絶対に有り得ない。

特別視する理由があるのか?

それは何だ?

それを得ていれば、いつか悪魔達の気が変わる時にも生き延びられるかもしれない。

 

ウナバルトスは簡易天蓋に覆われて見えなくなるまで、赤黒く爛れた人間を凝視する。

 

そして彼等が連れてきた羊達も横たわる人間らしきモノを穴が開くほど見つめていた。

自分達よりもみすぼらしい人間。

全身を火傷で爛れさせていて汚ならしい。

火傷や傷が膿んできているようで、豪奢なベットにかかる素晴らしく肌触りが良いだろうシーツを膿と血で汚して。

髪すら燃え尽きて人形のよう。

痛みが引いたのか、今は微かに呼吸音が上がるだけ。

 

何故高位の悪魔達が寄って集って助けたのか、理由が全く分からず混乱する。

ひょっとして人間を好む悪魔なのか?

脆弱だから保護しようと集めているのかもしれないと希望を抱くが、こちらに振り向くペストマスクを付けた悪魔に、そんな希望はないことを知る。

マスクをしているはずなのに、その悪魔がこちらを見る目が虫を見る目と大差ない。一歩、一歩と後退る。

 

拷問の悪魔と影の悪魔へ寝台の移動を託し、道化師は笑顔を浮かべて両腕を広げる。

 

「さて、御待たせしました」

「ひっ」

「指示わ何も代わりません。羊わ畜舎の影の悪魔(シャドウデーモン)が預かります」

「か、畏まった」

 

指示自体は確かに変わらない。

けれど道化師の纏う空気は顕かに変わっている。満面に貼り付けた笑顔の方が仮面のよう、静かな怒りを湛えているようにも見える。

ペストマスクを飾る丸い金属の瞳が嘲笑(わら)う。

 

「良いですね?羊わ全て畜舎に納めて下さい」

 

頷くウナバルトス達兎族の戦士へ念を押す悪魔。

 

「御方への礼を失する家畜わ、全て無駄無く使いますから」

 

怯える羊を引き連れて離れる兎族から目を逸らすことなく見送って、悪魔は足元へと視線を向ける。その先にあるのは今だ芋虫のように這い、血反吐に塗れた兎が一匹。

 

「君わ確かに麗しい見た目をしています。先ほどわ断りましたが気が変わりました、申し出を喜んで受けましょう。ええ、そうですね。とても良い。きっと御方にもお喜び頂けると思います」

 

力なく投げ出された兎の足をおもむろに掴んで向かう先は、牧場の中でも一際家畜の嘶きが木魂する場所。

暫く引きずられていた兎も何処へ向かっているのか理解して悲鳴を上げ、必死で草を握り、止めようともがく。

けれど草は引きちぎられ手の平に残るばかりで止められない。大地に爪を立てようと泣き喚こうと道化師の足は止まらない。

 

「ワタシわ道化師、御方々に創造していただいた忠実なる下僕(シモベ)。ワタシわ御方々を楽しませる為にあり、人々を平等に愛し、幸せをもたらすことが出来ればワタシも幸せとなるのです」

 

悲鳴を上げ、助けを求め続ける兎が悪魔を見上げれば、悪魔の目前にまで近づいた天幕が見える。所々が赤黒く湿り気を帯び、怨嗟の声が木魂し、助けを求め、神を罵り嘆く言葉が耳朶を打つ。

 

「いや、嫌だ!助けてください、お願いします。何でもします、どんなことでもしますから離して下さい嫌だ嫌だ行きたくない。そこは嫌なんです何故おれをココへ連れて嫌だ助けて誰か止めてくれ嫌だ嫌だ嫌だ嫌」

 

本来なら悲鳴を聞いた時点でウナバルトスが助けに駆け付けるはずなのに来ないのは何故なのか分からない。

家畜を預ける畜舎から、これまで聞いたことのない多くの悲鳴と金属音が響いているが、ガーラントに思考を巡らせる余裕はない。

逃げたいのに足首を握りしめる悪魔の握力は骨を砕いてもおかしくない強さ。蹴っても蹴っても緩むことなく確実に血塗られた天幕へと近づいてゆく。

天幕の出入り口に被さる布を捲り上げる拷問の悪魔が見え、全身の震えが止まらず、口から零れる言葉は拒否する単語を繰り返すばかりで悪魔達には通じない。

 

「悦びなさい。御心を騒がせた身であるにも関わらず、貴方は御方の目を楽しませるに値するとワタシが認めました」

 

すっと差し出した兎の足を拷問の悪魔が恭しく受け取り、頬を緩ませる様は怖気を誘う。

 

「御方の目を楽しませれば、栄えあるナザリック地下大墳墓にあるワタシの居室に置き場を用意してあげましょう。ワタシわ約束を守る道化です」

 

金属性のペストマスクに刻まれた丸い瞳は変わることがないはずなのに、ガーラントの目には確かに今、新月が三日月へと細く変化するのが見えた。金属で作られているはずのペストマスクが、まるで顔に直に張り付く皮膚のような。

そんな馬鹿な。

産まれながらに金属と同化している生物など、いるはずがない。

 

思考は無駄の以外の何物でもなく、覆われる視界。

足どころか両腕を囚われ、問答無用で首に枷を巻かれて、持ち上げられた先にある光景を彼は知っている。

両手足を繋ぐ鎖と様々な解体道具が吊るされた特別製のベットがあるのだと、牧場を案内された時に見たのだから。

 

「やぁめぇぇてええええぇぇぇ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんと素晴らしい。また一人、ワタシわ家畜を幸せに出来た! 全ては創造主の、至高の御方々の御業(みわざ)なるかな‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恍惚の溜息を吐く道化師の背後で、牧場中の悪魔が一堂に会し大天幕の中央に佇む寝台の側に跪く。

 

薄衣揺れる天蓋の向こう。

中央に横たわる存在は未だ目覚めず小刻みに震えを繰り返すのみ。

混濁した意識と壮絶な痛みの外で繰り広げられる死の連鎖を一切知らず、痛みが僅かに和らぐ折に訪れる睡魔に身を委ねるしかない。

 

 

 

 

「我ら下僕(シモベ)一同、至高の御身に絶対の忠誠を誓います。

 

御身に尽くし、御身の盾として御守り致します…

 

 

 

ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 

 

 

 

 

 

その日。

 

牧場へと羊を連れて行った者の帰りを、日が暮れて翌朝になっても待ち続ける女の姿が見られた。

その兎族の女の腕に抱かれる幼子は健やかな寝息をたてて口元を薄く微笑ませているのに対し、抱く女の頬には沈む夕陽を反射して流れる雫がこぼれていた。

 

 

 

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