山羊と羊の輪舞   作:山羊厨

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第6話

ギリリ、と押し出した刃は常に手入れを怠らない。

欠けなく、曇りなく、研ぎを重ねて使う鋼は滑らか。

 

情を込めて手入れした道具は持ち主を裏切らず、柔い肉を巻き込みながら食い込んで。

生暖かく芳しい液体が重力に抗わず、とぷりと流れ落ちる。

光の加減によって艶めき波打つ緋色の液体は技を魅せる者の心を潤し、耳に心地よく響く調べは妙なる吐息と共に悦楽を運ぶ。

 

逸品、という言葉に相応しいと職人は笑む。

御方の視覚と聴覚を彩るに相応しい姿を晒してくれる逸品だと確信を持ち、きっと気に入って下さるに違いないと感じれば感じるほどに道具を振るう手にも力が入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いだああああぁっぁ、ぁぁぁああああ、あぼぉおおぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふむ。

少々毛皮が痛んでしまったが許容範囲だろうか?

念の為、やり直すことにしよう。

 

『大治癒』

「…っひ、嫌ああああぁぁぁ!っおご、っぅ」

 

うむ、粋が良い。御方もさぞ御喜び下さるはず。

 

前脚は必要だろうか?

いや、これは相応しくない。暴れて振り回されてしまえば御方の衣装を汚すことになりかねない。これは必要ないだろう。

 

ごり、ごりゅり。と骨を断つ。

 

だが白い毛皮は素晴らしい。

これほどの毛並みは丘陵で滅多に見かけることはない。

この毛皮は全て張り付けるようにすれば、更に見栄えが良くなるはず。奏でる調べと相応しい見目と、どちらも必要なものだ。

 

みちち、べりっ。皮を残して肉を剥ぐ。

 

調度品として飾るべく細工を施す対象が暴れのたうつが飛沫が舞うばかり。

これは打ち付けねば御方がご覧になれないかもしれない。

急遽、補助を頼んでいた仲間に素材を頼んで作業を続けていく。

 

「ひぎっ、いがああぁぁぁぁ…」

 

肉を剥ぎ。

骨を断ち。

神経を晒させ。

抉り、引きずり出し、千切って。

納得がいかなければ初めからやり直す。

 

ずるりと引き出す頭部に付いた、蛇の尾を思わせる骨はビチビチとのたうち回り、飛沫で辺りを染めていく。

職人の手は止まらない。素材の息も絶えていない。

御方の為に。

御方の目に敵うべく。

 

 

 

全ては至高の御方に相応しく、あるべき姿を整えるべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この牧場は、数々の用途をこなす為に多くの天幕と放牧場で構成されている。

規模でいえば小さな村と言える程度でまとめられ、非常時には瞬く間に撤退できるよう、幾通りも考えられる状況下での最大規模。

 

その中心に位置するのが最高責任者用の大天幕だ。

一目で他と違うことが解る大天幕は、通常の天幕の三倍もの広さを有している。

 

数本の支柱で簡単に建てられる構造はしておらず、数十本の支柱に太い梁や筋交いを渡し、更に二重三重の幕を張った上に床自体も草原に布を張る造りはしておらず、板で設えている。

その上に敷かれた絨毯は常に手入れが行き届き、調度品もそれに見合うように選び抜かれて、とても丘陵とは思えない贅沢な空間だ。

牧場経営と共に最上の罠としても機能するよう、本来ならば必要のない生活環境を十全を期して整えている。

 

だが、それでも到底不足と言って憚らぬ存在を彼らは有しているだけだ。

 

夜空一面に星が瞬く前に、それぞれの天幕に火が灯る。

最高責任者が不在のまま大天幕にも灯った光は柔らかく室内にいる者達の姿を朧気ながらも照らし出し、忙しなく働く影を映し出す。動く影は毎夜幾日も続いて常に大天幕にある存在を羊達に知らしめる。

 

消えていく(どうほう)達。

これまでとは違い、声一つ上げただけで地獄の悪魔に相応しい形相を浮かべて、死すら生ぬるいと言わんばかりの所業を行う彼等に、羊達は震えあがる。

何かがこれまでと違う。

不用意に声を、音を、発することによって、他の音が消えてしまうことが問題なのか。

はたまた、それによって聞く者が不快に思うからこそ抑えようとするのかは分からないが、音を立てることによって目をつけられることだけは理解できた。

 

羊達は息をひそめ、痛みに耐える。

飢えに、不快感に、与えられる苦痛に耐えるのは一重にそれ以上の苦痛を己が身にもたらさない為。

じっとして、息をひそめていれば彼等は通り過ぎてくれる。

痛みをもたらさず、足早に去っていくことが増えたと感覚で理解しているから、彼等は息を潜めて天幕の外の音に耳を澄ませる。

 

悪魔達が奏でる慶びの(うた)を聞きながら、己が身に厄災が降りかからぬようにと、両脚羊(シープ)達はただ息を潜めている。

 

 

 

 

 

 

その日の朝は、彼らにとっては常と変わらぬ朝だった。

 

朝陽が射し、涼やかな風が薫る草の香が爽やかな香りを運び、入り立てで眠れぬ両脚羊が呻き声を一晩中上げる穏やかな朝。

変わらず大治癒を施す拷問の悪魔を傍らに、御方は寝台の上で眠りにつかれている。

 

人間種は弱く、儚い。

扱うにも細心の注意が必要で本来なら腕の一本、足の一本が折れるくらいは些細なこと。

だが御方に痛みを施すなど、身を千に切られても余るほどの大罪だ。

下僕(シモベ)にとっては決して譲れぬ一線でもある。御方に施した麻痺魔法が切れる時間を計算し、掛け直す為に仕事を中断して大天幕を訪れる。

効きが悪い魔法も、御方の痛みを僅かでも退ける補助になればと思うからこそ、欠かすことはできない。天幕の出入り口に垂れる布を寄せて入室するのはペストマスクの悪魔。

最早日常風景と化した動作なのに、相変わらずも恭しく、炭化した御手に触れながら麻痺魔法を施す。

 

御方の身体は魔法による回復方法と比べれば遅すぎるほど遅いのだが、徐々にだが確実に回復し始めた。

多くの羊で試した結果、従来の薬湯や薬草を中心に据えつつ、治癒魔法を重点的に施すことで、一部分だが状態を正常にまで引き上げることに成功したのだ。

 

御方の上半身、しかも頭部や内臓などの生命維持に重要な器官を重点的に回復する。

そして徐々に末端まで行き渡らせる方法を選択、その選択は確実な成果を悪魔達にもたらした。

 

人間に最大限の幸せを与える為には彼等の全てを知る必要があり、悪魔は生まれながらにしてその知識を持っている。特に拷問の悪魔などは良い例だ。

自然発生にしろ、そうでないにしろ、生まれて数秒で人間にあらゆる方法で苦痛を与えることが可能なのかを知っている。

何処が重要で、どの神経を切れば、どの部位が動かなくなるか。

その部分が動かなくなることで、人間にどれほどの絶望を与えることができるのか。

何処が最も痛みを感じさせ、苦痛を長引かせるのかを本能で知っている。

 

本能が知る真逆のことを御方へと施せば、魔法のみに頼った方法よりも確実に治癒が進むようになったのだ。

通常であれば拷問にしようする薬草を使用して痛みを軽減させ、痛んだ部位を最小限で切り離し、大治癒を重点的に施せば炭化した部分も回復が可能になった。

限定的に回復することで無闇やたらに回復魔法を連発することなく、低位なれどスクロールの補充に足る数まで採取することが可能となり、ナザリックへの資材も滞ることなく送ることができる。

僕として最大限の努力と効率と思考が最大の結果をもたらしたと言えよう。

 

麻痺魔法を掛け終わり、退室の言葉をのべようと頭を上げて寝台の上の御方の目蓋がうっすらと開いていることに気付き、仮面の悪魔は身動きを止めた。

 

御方は数度の瞬きのあとに、暫く上を見つめた後で目を閉じる。

 

彼の魔法を受けて痛みが和らぎ、意識を取り戻すほどの体力が戻ったのだろう。

けれど、開いた瞼の内側にある瞳は白く濁りきっていた。

何も見えていないと気づいて拷問の悪魔達は青ざめる。

この日から集中的な両目の治療が始まった。

そして至高の御方の意識も時折戻るようになる。

 

一喜一憂、意識が戻るが視界が利かず、下僕(しもべ)を認識しないまま再び眠りに落ちてゆく。

下僕の分際で御方の視界を汚すべきではないが、認識していただきたいと全ての悪魔が望んでいる。

己を視界に認めていただき、御声を聴き、声をかけていただけたら。

どれほど幸せなことだろうか。

 

悪魔達のやる気が最大限にまで上がり、治療速度は加速する。

 

同時に実験を繰り返され、消費される羊の数も更に増えるゆく。

惜しみなく大治癒を使い、人体の様々な実験を重ねて、情報をまとめて精査してゆく。

御方とは違い、羊達は魔法で元に戻るのだから使わない手はない。やはり至高の御方には、最善の方法でもって苦痛なく治癒していただきたいのだ。

そうして昼夜問わず繰り返される実験と検証と治療。飲食不要、睡眠不要であり、常日頃から勤勉な悪魔が忠義に燃えて更に勤勉になると手が付けられないものらしい。

 

瞬く間に濁り切った瞳は水晶体はおろか核細胞の一つまで治癒が行き届き、元の色を取り戻して。

大治癒の魔法と共に眼窩へと納められ。

 

 

麻痺の魔法が切れる頃に、御方は意識を取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僅かに感じる痛みと共に目を覚ます。

身体は重く、倦怠感に包まれて動かす気にもなれない。

 

けれど、これまで闇に包まれていた視界が輪郭を滲ませながらも色を映すから、閉じようとする瞼を何とか開くように努める。

気を抜けば即閉じてしまいそうになりながら見る景色は、立派な骨組みを覆う薄茶けた布が一面に広がっていた。

風を孕んでいるのか、所々がたわんでは戻りを繰り返している。

 

どこだ、ここ。

こんな外壁じゃ、汚染物質塗れの空気が入る。

除去フィルタ付きの人工肺だって数十分ももたないぞ。

こんな薄い布みたいな壁じゃ人工肺目的の犯罪者に襲われたらひとたまりもないだろう。

何の抵抗もなく入れてしまう。

 

戦場だからか?

捕虜に価値はない……というかデメリットしかないはず。

おかしい。

何で俺は生きてるんだ?

 

状況を把握しようと霞がかる頭で考えるが、サッパリ理解できない。

 

あの時、俺は死んだはずだ。

焼け焦げて炭化するのを見ているし、この目だって視界の端から欠けて見えなくなったはず。

そんな俺を捕らえる意味がない。

生かせば空気どころか食料も何もかも必要になる。

捕虜に使う消耗品などない、あれば戦争なんてしていない。

じゃあ、何で今俺は生きてる?

どうして、見えてるんだ。

 

情報が足りない。

目が動く、眼球を動かすことが出来る。首も…動くのか。

表皮だけが炭化したなら皮膚が破れて痛みがあるはずなのに、それすらない。何かもっと、何かないか。

 

首を捻って左を向く。

布に覆われた骨組みにそって視線を巡らせば、そこに見慣れた物がある。

目を引く色合い、特徴的なペストマスク。

御披露目で見て結構気に入っていた道化の悪魔。

 

「…プルチネッラ」

 

仲間が付けた名を呼べば飛び上がり、片腕を胸につけて大仰なほど恭しく礼をとる。

顔を伏せる刹那、金属のペストマスクが泣き顔に歪んだように見えたが、気のせいか?

あの仮面、そんな機能ついてたのか。知らなかった。

 

左には見知った道化がいるだけなら右側はどうだ、と反対側を向く。

瞬きをするたびに重くなる瞼。まずい、めちゃくちゃ眠い。

苦労してこじ開ける瞳に映るのも、また見知った悪魔。

 

うん?

 

拷問の悪魔(トーチャー)か…」

 

死人のような肌の色、身をキツく覆う衣装。

腰回りを飾る数々の拷問道具が鈍い光を放ち、そのフォルムが恐怖を醸す。うん、相変わらずの悪魔らしい悪魔だ。

新たに得た情報に暫し頭を悩ませて、得た結論はひとつ。

 

「俺、いつの間にログインした・・・?」

 

声になるかならないかの、微かな呟きを口の端に上らせながら瞼を閉じる。

痛みが増してきたと感じ、ログインしたなら痛みは感じないはずだと疑問を抱く。

 

「・・・ウルベルト様、御身に触れることをお許し下さい」

 

そう断りの言葉と共に左手に感じる温もりと圧迫感。

左側ならプルチネッラか。

 

・・・声、出せたのか?

 

そんなシステムはなかったはず。

アップデートで音声パッチが当たったのか?

いや、待て。NPCがPCに自主的に触れるとか、どんなプログラム組んだんだヘロヘロさん。

抗えない睡魔に抗がおうと温もりを握ってみれば。

 

麻痺(パラライズ)

 

またも聞きなれた魔法を唱える、聞きなれない声。

 

なんだ、これは。

一体何が起こってるんだ?

 

全く理解できず納得すらしないまま痛みが消えて、睡魔に屈して意識を失っていくしかない。疑問が湧くのに尋ねることもままならず、視界はおろか意識まで闇に包まれる。

 

 

 

 

 

そうして大天幕の中、声にならない歓喜の渦が巻き起こる。

 

 

 

 

聞き間違いでも。

勘違いでも。

思い込みでもない。

 

自分達の名を一瞬の戸惑いもなく当然のように呼ぶ、紛れもない御方の声と言葉に悪魔達は喜びの涙を静かに流す。

 

「失礼を致します。至高の御方」

「御方にこの身の全てを捧げます」

「御方の為に仕えることこそ我らが悦び」

 

許可を得ずして各々が彼の体に手を触れさせて、寸断なく始まる大治癒の魔法。

連続し途切れも絶え間もないまま唱えられる治癒魔法は、眠ったばかりの御身を白く染め上げてゆく。

 

御方の体はまだ万全ではない。

末端に行けば行くほど炭化して恙なく使えるようになるまで時間がかかる。

御方の快癒こそが我らが慶び。以降も変わらぬ忠誠と努力を誓い、悪魔達の献身は続いてゆく。

 

頭部、内蔵、各器官と重要部位はほぼ治癒し、次に取りかかるのは手足。

見た目はともかくも生命の維持に必要な部位の維持は確保できた。

次いで胴の繋ぎ目から徐々に手先、指先へと至り、損壊部分は慎重に切り離して再生してゆく。

 

かかる時間は数十日。

必要な薬草を探して干し、擂り潰して使えるまでに準備し、魔力を溜めて大治癒を絶やさぬようローテーションを組んでも、腕一本を治しきれるかどうか。

 

身体中の筋肉を癒し、筋を癒し、皮膚を癒してようやく寝台から離れることが出来るようになるだろう。一日も早い回復を願い、状態を維持する者達以外が退出の礼をとり足早に大天幕を後にする。

数人の悪魔の唱える魔法以外に聴こえるのは、微かな、しかし規則正しい呼吸音。

 

牧場の最高責任者は、まだ訪れていない。

 

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