山羊と羊の輪舞   作:山羊厨

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第9話

 

デミウルゴスが転移門をくぐった先にあるのは、常と変わらぬ大天幕の一角。

背後で転移門(ゲート)が閉じてゆくが大天幕の中はいつもと同じように誰もおらず、気配もない。

目立った変化と言えば中央に位置していた寝台が無くなっているぐらいで罠もなく、何者かが襲ってくる気配もない。

 

だが、彼はしっかりと異常を感じ取っていた。

静かすぎるのだ。

 

「散りなさい」

 

言葉と共に影から飛び出す幾体もの悪魔。四方へと散り、伸びる影にそって大天幕の外へと移動していく。

偵察と補足の両方を担わせ、一定の距離を調べ終えれば戻るよう言いつけた。

 

暫く待てば戻る悪魔達からの報告は異常なし。

襲撃者の影無し。設備の被害無し。両脚羊(シープ)の損害も無し。天幕群の中に異常は見られず、のどかな風景が広がっていると言うが、それ自体が異常だ。

彼の耳に啼き喚く両脚羊(シープ)の声も、指示する悪魔達の声も聞こえないのだから。ただ、風が草を揺らす音と天幕が揺れはためく音が聞こえる。

 

何があったのかと訝しむ彼の元に傅く悪魔の内、一体だけ戻って来ていない。

その悪魔が向かった方向は大天幕出入り口の反対側、エイグァーシャー大森林方面。

この短時間で捕らえたか?

レベル30近い影の悪魔を捕らえるとなると、この世界では相当腕の立つ輩と見える。一度戻るべきか、それとも行くべきか。

 

転移すれば即座に大天幕を訪れるプルチネッラの姿は現れず、確実に彼を支配下に置いていると考えられる。

プルチネッラは無能ではない。

むしろ御方々の前で技を披露する役目柄、技能に優れている。大天幕を監視対象に置いていないとは考えられない、相手側には既に知られている。

 

「二体は影で待機を。残りは別の影へ潜みなさい」

 

ニグレドに伝言(メッセージ)を飛ばし、影の悪魔達へ指示しながら出入り口へと歩き出す。

万が一、自分が倒された場合は秘宝を回収しナザリックへ帰還せよと重々言い含めて。

敵の顔をこの目で拝むのも一興、とデミウルゴスは出入り口の布を跳ね上げて外へ出た。

 

燦々と降り注ぐ陽光の元、踏み出した革靴が柔らかな牧草を踏みしめる。

裸足で歩んだとしても傷つくこともない牧草地、この時間であれば羊の放牧を行っているはずだが、姿形も見えない。明らかに異常。

初めから誰もいないかのように静まり返っているが、彼には感じる。畜舎の奥で出来る限り息を殺して存在感を消そうとしている羊が多数いることを。

数か月前には姿を見せた瞬間には嘆き泣き叫び許しを請う羊が、息を殺して己の存在を消そうとするほどの相手が大森林の側にいるようだ。

最上位悪魔(アーチデビル)たる自分よりも恐ろしいと羊は考えているらしい。

 

試しに近くの畜舎にかかっている天幕を引き剥がせば囚われている多数の羊は怯え、少しでも身を離そうと檻の隅へと縮こまりガタガタと大きく身を震わせる。

試しに一体檻から出させてみたが、声を上げれば恐ろしい存在の注意を引くと本能に刷り込まれているらしく、悲鳴を上げることなく持ち上げられながらも必死でもがいている。

 

(なるほど。どうやったのか分かりませんが、見るべきものがあるようですね)

 

胸元の秘宝を撫でながら大天幕を回り、二・三の天幕を縫って何も建っていない丘陵へと踏み進む。

見えてくるのは遥か遠くに緑繁る森林。

オーク族や兎族など近隣にある亜人を制圧し使役して牧場を維持してきた。

通りがかる羊どもを捕らえて献上すれば、力を貸すか税を免除する。そういう仕組みも作り上げた。

まだまだ低位の羊皮紙(スクロール)は必要。むしろ消耗は早まるばかり、今失うわけにはいかない。

 

進んだ先に見えてきたのは生い茂る新緑なびく森林地。

森林の目前に大天幕から消えた寝台がその存在を主張している。その傍らには彼の部下たる道化師と寝台の周囲を固める多数の影の悪魔。彼らを従えた存在は寝台の上に居る、随分と侮られたものだと彼は眉を顰める。

 

道化師は当然此方を把握しており、寝台を背にして此方を見据えている。

周囲を固める影の悪魔も既にこちらへ意識を向け、一歩動く動作にすら神経を張り、挙動の一つ一つを注視している。

この世界では過剰戦力と言える彼らだが、彼にとっては大したことはない数。

レベル100は伊達ではない。守護者としての戦闘能力で数えれば下から数えた方が早い彼だが、この程度であれば容易く殲滅が可能だ。

 

問題は寝台の上の存在か、と道化師から視線を反らし視線を移す。

 

大天幕に置かれていた寝台は睡眠不要の悪魔には必要のない代物。

ただ罠にかかる敵に対して必要な小道具に過ぎないものの、階層守護者たる彼に相応しい品をと用意された品だ。

 

天蓋から垂れる薄布が揺れる寝台は広く柔らかく使う者の体重を受け止め、柔らかな眠りを誘う。

四隅にある柱は太く、美しい文様を描きながら光を通して流れてゆく薄い天幕。強烈な陽の光を柔らかく弾き、内側にいる者を安眠に誘う計算されつくしたフォルムは、まさしくナザリックで作られたと誉れ高き一品。

その柔らかな敷布の上に佇む小さな影が、この異常事態を引き起こした原因。

 

強さは全く感じられない。

薄布越しに見える形は小さく細く、ほぼ動かない黒い塊。

その黒は身に纏う毛皮によるもので縁を彩る宝玉の数々が薄く発光し魔法の効果が継続していることを伝えてくる。

見ただけで分かる補助魔法の効果があると分かる毛皮のローブは、ニューロストが言っていた道化師の創造主が残した品々を施した品だろう。

だがしかし己の創造主が残した品を己自身が使用せず他者に装備させることなど、被造物としてありえない事態だ。

 

洗脳の確率が格段に跳ね上がったと判断し、後ろ手に組んでいた手を解いて立ち止まる。

薄目を開いて交わす視線からは何も読み取れず、デミウルゴスは先手を打つため支配の呪言を発しようとしたが、

その前に寝台に寄り添う道化師が彼に向けて深々と礼をしたのだ。

 

そして道化師は口元に指を添えて「静かに」と言える動作を見せた。

どう考えても敵対しているとは思えない動作に困惑し、デミウルゴスは動きを止める。更に道化師は口元に添えた指に他の指を添えた手の平を静かに寝台へと向けて再び頭を下げたのだ。

静かに見て、理解せよ。と言いたいらしい。

貴方になら分かるはずという無言の信頼の光を滲ませた瞳を向けられる仲間想いの彼が、その意図を無下にできるはずはない。

 

向けられた手の平に従って寝台の上に目を移すが、寝台の上の姿は此方に気付いた様子がない。

だが先ほど放った影の悪魔が一体、消滅はおろか捕縛すらされずに寝台の側に侍っていることに遅まきながら気が付く。

 

何をしているのか。

指示を全うせず、時間すら守らず、道化師を従えたらしい元凶に尻尾を振るとは何事かと心中は怒りに満たされるが、影の悪魔は知らぬ顔で寝台にいる者の言葉を熱心に聞き、幾度も頷いて大森林方面へと姿を消した。

寝台を離れる直前、頭を撫でられてウットリと恍惚の表情を浮かべながら。

 

何と嘆かわしいことか。

人間種を恐怖に陥れることが糧となる我等悪魔が尾を振るなど!

ますます怒りが湧いてきて道化師を睨み付けるが、かの道化師はどこ吹く風。微笑ましそうに張り切って去っていった影の悪魔を見送っている。

一体何を考えているのか。読み切れなくて歩を進めながら怒りのままに言葉を発しかけた時。

 

小さな小さな吐息が流れた。

 

敵対の意思がないのであればと距離を詰めたことにより聞こえた寝台上の存在がつく吐息に、一言も紡げなくなる。震える足で更に近づくことで薄布の存在の姿は確認できるようになり、その姿に絶句する。

高く積まれたクッションに身を横たわらせ、空を仰ぎ見る黒山羊のローブに身を包んだ塊。その塊は小さく頼りなく見え、ローブの端から伸びる腕は細く皮膚を繋いだ痕だらけ。全く力を感じさせないのに、彼の耳が捕らえた吐息が彼に自由を与えない。

 

やがて森林の方面から多数の影の悪魔達が飛び出し、各々が最上の笑顔を浮かべて駆けてくる。

自分が役目を与えた時以上の、遥かに勝る喜びを全身で伝えてくるのが理解できる。

そして寝台の上の存在へと献上される獲物。小さな小さな、生きたままの兎の子供であった。

 

「…小さいな」

 

おっかなびっくり、影の悪魔から渡された子兎を恐々としながらも左腕一本で受け取っている。

膝に置き、怯える子兎が動かないのを確認してからゆっくり撫で、その温もりを堪能している男。

その様子を温かい目で見つめる多数の悪魔。そして、私。

ああ、そんな。嘘だろう。

 

「よくやった、影の悪魔(シャドウデーモン)

「お喜び頂けましたでしょうか?」

「勿論だ、一度触ってみたかったモノだ。ありがとう」

「か、過分な御言葉。恐悦至極にございます・・・っ!」

 

涙を浮かべる影の悪魔に胸中を嫉妬が荒れ狂う。

彼の方にお褒めいただくのは私の役目だったのに。

私を見て、私を造り、私を愛で、言葉を掛けて下さっていたのだ、いつも。

それは全て私のものだったのに、何故今貴様が甘受している?

内心を荒れ狂う嫉妬の逆風が吹き荒び、萎えることがない。

 

気付けば道化師の前を通り越し、御方を驚かさぬよう寝台の側へと傅いた。

遮る薄布も気にならず寝台の上の存在だけを見つめ、震える唇が名を紡ぐ。

 

「ウルベルト様・・・」

 

呼ばれて気付いたのか、ようやく振り返って下さるが、その姿に血の気が一気に下がる。

纏った黒い毛皮の下は間違いなく人間の身体。痩せ細り継ぎ接ぎだらけなのは腕の皮膚だけで、顔はおろか身体の大半も焼け爛れて歪な肌を晒している。

血色も悪く死人一歩手前と言われても納得してしまいそうな姿。

御身に何があったのか。誰がこんな仕打ちをしたのか。

疑問が渦巻き尽きないまま、創造主の言葉に耳を傾ける。歪な口が奏でるのは懐かしい創造主の声。

 

「お帰り、デミウルゴス」

「只今、戻りました。ウルベルト様」

「仕事は終わったのか?悪魔でもキツい量の仕事をこなしていると聞いてるぞ」

 

語られる御方の身体は、間違いなく人間種。

雄々しい創造主の影も形も見当たらず、力の欠片も感じない。

けれど間違いなく創造主の声。

目を細めて笑う表情も頭を撫でる仕草も溜め息をつく調子まで全てが記憶に当てはまる。

模倣することはできるだろうが、ここまで記憶と一致させることはできないだろう。姿形を似せる方が遥かに簡単なのだから。

 

私の無様に震える声に気付いたのだろう。

喉の奥で笑われて左腕を差し出される姿に、そっと目を伏せ頭を垂れる。

情けないと叱責されるのだと項垂れた頭に、創造主は手を乗せて下さった。

ゆっくりと撫でて下さるそのタイミングは、御方が身を隠される直前までのものと全く同じ。

薄目を開いて御方を見れば、瞳の色こそ違うものの、その眼差しも変わらないまま。

 

還って来て下さった。

 

心の内側にポツリと零れ落ちた言葉が、胸を絞める。

やがて疲れたのか頭上から頬に滑り、胸元に戻そうとされた手を、己の頬から離れる前に捕らえて握り混む。

なんと不敬な下僕(シモベ)だろうか。

けれど、確かめずにはいられない。

 

暖かい。

 

御方がいらっしゃる。我が唯一にして無二の創造主が。

御側に居たいと、役に立ちたいと、ただ姿を見ることができる距離に、置物としてでも構わないから共に居たいと願ってやまなかった方がいる。

ひとり残された赤熱神殿で、どれほど願っても、どれだけ求めても、泣き叫び乞い喚いても、得られなかった方がいる。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト様」

 

握り締めた手に額付き、恐る恐る頬を擦り寄せる。

理想の悪魔たれと創造されたというのに、なんという醜態か。

とても御方に見せられない。

こんな、頬を伝って御手を濡らすほどの体液を溢す様など、情けないと呆れられてしまう。すぐに止めなくては。

 

「お帰り、なさいませ。ウルベルト様」

 

どれだけ律しようとしても声の震えを止められない。

御身を拘束するなど不敬極まる、離さなくてはならないと理解できているのに御手を離すことができない。

 

還って来てくださった。戻ってきてくださった。

どれほど御方の姿形が変わっても創造主であることに変わりなく、下僕(シモベ)が感知する至高の御方としての力が無くとも、私にとって唯一の方であることに変わりない。

 

「ウルベルト様、ウルベルト様」

「・・・聞いている」

「お逢いしとうございました・・・」

 

還って来て下さった。

戻ってきて下さった、我々の元へ。

我等の手が届く場所まで戻ってきて下されたのだ。

なんという行幸か。

 

何があったのかは分からない。どんなことが御身に降りかかったのかも分からないけれど、今御方がここにいらっしゃることだけが確かな真実。

 

止めようとしても止まらず、滝のように流れ出て全身の体液が枯渇するのではないかと疑うほどに涙が溢れる。

御手を汚してしまい不快に思われてもおかしくないのに、創造主は握りしめる被造物に好きにさせて下さる。優しき創造主。

 

還って来て下さった。

還って来て下さった。

還って来て下さった。

還って来て下さったのだ、私の元に。

 

「御待致しておりました、ウルベルト様」

「ああ・・・。ただいま、デミウルゴス」

 

もう二度と、見送ったりはしない。

私が、我等が御守り致します、何者からも。

だから二度と別れなどと仰らないで下さい。

 

 

 

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