ギルバート・エリス。ダークブラウンの髪に目尻を釣り上げた知的な面差し、そこに眼鏡が添えられたことで厳格さも感じられる少年だ。その面差し通りに頭脳明晰な秀才であり、かなりの読書家でもある。そして、エリス商会という合法的なマグル製品を取り扱う商会の御曹司であった。
そんな彼だが、今は自宅の書斎で自身の父と一年ぶりの再会を果たしていた。
書斎には壁一面に本が所狭しと並べられており、執務机や椅子などの家具はシックで落ち着いた配色のものが使われている。ギルバートはそんな執務机を挟んでゆったりと構える自身の父へと挨拶を交わし、今はお互いの近況報告を行っていた。
「それで、お前は一週間後にはここを出ると?」
「そうだ、友人に招待されてな。だから二日後の会談には出席するが、それ以降は愚妹に任せる。あれでも次期会長なのだからな」
ギルバートのその言葉にギルバートの父、ウォーレン・エリスは溜息をついた。
その身なりはギルバートと同じダークブラウンの髪を撫で上げ、しっかりと固めている。また長身痩躯であり、高級品である生地を使ったスーツを完璧に着こなしていた。
ウォーレンはギルバートへ何度目かもわからない問いを投げかける。
「やはり商会を継ぐ気はないのか、ギルバート」
それにギルバートはきっぱりと答えた。
「ないな。俺は長男ではあるが妾の子だ。正妻殿とその実家、および周囲が黙ってないだろう。それにそもそもそんな馬鹿どもに時間を割くのも無駄だ」
「……お前にはそれらを黙らせる能力があるだろう。実際の所、商会内や取引先の殆どがお前が継ぐと思っている。いいかギルバート、商いは血ではない、能力こそが尊ばれるのだ」
「だからそんなことに俺の能力を使うことが無駄だと言っている。少なくとも俺が今まで弛まぬ努力を積み重ねて学んで来たのはここを継ぐためではない、身を守るためだ。それは父がよく知ってるのではないか?」
「…………」
ギルバートの言葉にウォーレンは何も言えなかった。自分の力が足りないせいで、ギルバートは物心つく前から正妻を始めとした一派にひどい扱いを受けていたのだ。ひとえに妾の子であるというだけで。
そんな父の妾であったギルバートの母は行方知れずだ。ギルバートを産んだ後、ウォーレンの前から姿を消したのだ。……愛する息子の名付けだけを残して。
しかしギルバートは父を、母を、正妻を、その一派を恨むことはなかった。彼が恨んだのは、なによりも力がない自分だったのだ。それが、物心がついた頃だった。
そんな物心ついたギルバートが最初に父にねだったのは、字の読み書きを教えてくれる人物の紹介だっだ。
それからギルバートは短期間で字を学んでいった。家庭教師を任じられた人物も目を見張る学習速度だったという。また、幼いながらに狂気にも似たものを感じたとも。
そして字を学んだギルバートはこの書斎に入り浸るようになった。父の仕事の邪魔をすることなく、ただただ本を読み漁っていった。またここにいれば父がいるため、正妻達がギルバートに表立って手を出すことは出来ないことも織り込み済みであった。
そして、ギルバートはわずか数年で身を守る術を身につける。
まず大人顔負けの知識を駆使して商会に関わるようになった。マグル界と魔法界双方の知識を深めたことで少しづつ商会の手伝いをするようになったのだ。こうしてギルバートは商会内の立場を確立していった。
次に本で学んだ知識により、物理的に手を出してくる正妻達を撃退した。ある程度身体を鍛え、罠を張り、仕掛けられた罠を逆に利用して家庭内でも能力を立証した。
更に礼儀作法も自力で身につけた。これは経験を積まないとわからないことも多かったために最初は失敗ばかりだったが、そこは子供であることが幸いした。そして経験も積んだギルバートは、どこに出しても恥ずかしくない礼儀正しい少年という評判を得た。
妾の子は通常商会などの大きな会社を継ぐことはないため、高等教育を受けることはない。ギルバートは最初の字の読み書き以外は全て自力で習得したのだ。
これが、周りの追随を許さない孤高の秀才の誕生秘話である。
ウォーレンは再び溜息をつく。自分の不甲斐なさと出来すぎた自慢の息子に対して。
「ならなぜ重要な会談やパーティには顔を出してくれるのだ?」
継ぐ気がないのなら、そんなものに出なくてもいいだろうという父の言葉に、ギルバートは眼鏡のブリッジに指を添えた。
「父のためだ。父よ、貴方は俺を捨てることもなく庇護してくれた。そのお陰で今の俺がある。俺が出るだけで商会に箔がつくなら少しは父の恩返しにもなるだろう」
これにはウォーレンも驚かざるを得なかった。今までギルバートに恨まれこそすれ、少なくとも感謝されているなどとは思いもしなかったのだ。
そうして呆然とするウォーレンへとギルバートは自分の考えを述べていく。
「しかしそろそろ愚妹にも次期会長としての自覚を持ってもらわねばならん。商会をここまで大きくした父の後に能力足らずで潰しましたでは笑うに笑えん。これから俺は主な行事は参加せず、愚妹を表に出して経験を積ませるべきだろう」
友人を得たのはいい機会だったと語る息子へ、ウォーレンは疲れたように息を吐く。
「恩返しならば、お前が商会を継ぐのが一番の恩返しだぞ」
「いくら恩があれど、馬鹿どもの相手を一生するのは御免被る。将来のことなどまだ分からんが、少なくともここを継ぐ気はない」
ギルバートの言う馬鹿どもが誰を指しているのかを理解してウォーレンは苦笑した。正妻達は勿論のこと、取引先や同業者の主に成金趣味の輩を相手にする時、ギルバートが多大なストレスを感じていたのは知っていた。
実家関係でギルバートが素顔を出せる場は、父と後一人の前だけであった。
「……はあ、分かった。とりあえずはジェシカを次期会長ということにしておく。心変わりがあればすぐに言え、私も幹部達もいつでもお前を待っているぞ」
「それは時間の無駄だ。待ってる暇があるなら少しでも愚妹をマシにしろ」
実の父に対しても毒を吐くいつものギルバートの様子をみて、ウォーレンはどうしてか嬉しくなった。ウォーレン自身は気付いてないが、彼が素顔を見せられるのもまたギルバートの前だけだったのだ。
親子がお互い取り繕うことなく交流できている。理想の姿がそこにはあった。
機嫌が良くなったウォーレンは不意にギルバートにこんなことを尋ねた。
「ギルバート、確か魔法学校で首席だったそうだな?」
「ああ、それが?」
何を突然と片眉をあげるギルバートにウォーレンは続ける。
「いい機会だ。何か欲しいものはないか? お前はいつも私に物をねだることもなく、また褒美をやろうにも断っていたからな。今回は強制だ、何か欲しいものを考えろ」
いつになく強引な父の様子に顔をしかめるギルバートだったが、ふと思いついたものがあった。
「なら父よ。魔法の道具で離れた場所でも会話できる物がいい。両面鏡のような奴を四組だ。両面鏡は分かるか?」
シルヴィアとギルバート、アリスの三人は、レイが一人で四階廊下の奥に向かったことに歯がゆい思いをしていた。もしあの時に連絡手段があれば、シルヴィアとギルバートはすぐさま駆けつけたであろう。アリスも勿論駆けつけただろう……足を震わせながら。
そうなればレイが一人大怪我を負うこともなかったのだ。だからギルバートは今度からそんなことがないようにと連絡手段を欲したのだ。
「馬鹿にするなギルバート。これでも一商会の会長だぞ。……ふむ、両面鏡か。確かもう少し便利なものが最近開発されたような……」
自慢の息子が初めて物をねだったことで、また嬉しくなったウォーレンは機嫌良さげに頭の引き出しを開けていく。ギルバートはそんな父の様子に仕方のない人だと珍しく苦笑を漏らした。
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シルヴィア・コルドウェル。プラチナブロンドの髪を背中まで伸ばし、他の女性達を寄せ付けない女神の如き美貌を持つ。また純血筆頭一族の一人娘であり、近年稀に見る天才である。
そんな彼女だが、一年ぶりに実家に帰ってきていた。
深緑の屋根に汚れが一切ない白璧の屋敷の前に、シルヴィアは使用人の姿現しによってキングズ・クロス駅より飛んできたのだ。
「手間をかけるな、ローレッタ」
「いえ」
シルヴィアに頭を下げる使用人……ローレッタは、シルヴィア付きの使用人であり、この屋敷内で気の許せる数少ない内の一人である。
栗毛をバレッタで止め、感情が読めない表情で仕えし主人を見る。何も言わずとも、長年の付き合いであるシルヴィアには彼女の考えや感情を読み取ることなど造作もなかった。
「ローレッタ、あの女に何を命令された?」
「はい。お嬢様が帰宅した際は自分の私室に呼ぶように、と」
「ふん、用があるなら自分から顔を出せと言え。私は明日の準備でこれから忙しいんだ」
かしこまりました、とローレッタはシルヴィアの荷物と共に姿眩ましで消えていった。
シルヴィアはそれを見届けると、玄関を潜らずに屋敷の裏手へと足を運ぶ。その際、シルヴィアはなぜか出来る範囲で存在感と足音を消していた。
柵に囲まれた屋敷の周囲には、見るものが見れば感嘆するような草木の装飾が施されている。あいも変わらずいい腕だ、とそれらを眺めながら裏手に回ったシルヴィアの目線の先に目的の人物がいた。
その人物は男の庭師で、杖と鋏を両手に持って草木を整えているようだった。そう、この装飾の数々を仕上げたのは彼なのだ。
シルヴィアはしばしその後ろ姿を眺めていたのだが、庭師の男は大きな木をドラゴンへと完成させたところで彼女へと振り返った。
「お嬢、お帰りなさいませ」
「ふふっ、やっぱり気付いていたか。いつになったらお前の目を欺けるのだろうな?」
シルヴィアは消していた気配を元に戻し、楽しげに話す。
「当分は先のようですね」
「言ってくれる」
シルヴィアは庭師に対して挑戦的に応えるが、庭師は少しも動揺しない。普通の男性よりも高い身長を持つ黒髪短髪の庭師は、傷だらけの顔でシルヴィアを見下ろす。
そんな庭師をシルヴィアは不敵に見つめ返した。
「久しぶりだな、セオドア」
「はい、お嬢は少し雰囲気が変わりましたね」
「そうか? ……ふふっ、だろうな」
庭師……セオドアにそう言われて、シルヴィアはこの一年共に過ごした親友達を思い描いた。もしセオドアの言う通りならば原因は彼らしかいない。シルヴィアは自分を変えた親友達を想い笑みを浮かべた。
このセオドアという男は、ローレッタに続きシルヴィアが心許せる人物だった。この屋敷において、今ではこの二人がシルヴィアが唯一の愛する者達だった。
そしてこのセオドアという男、実は壮絶な過去を持っている。
「そうだセオドア。お前の言う通り、闇の帝王は生きていたよ」
自分が仕える主君の言葉に、セオドアは厳つい顔を更に強張らせた。
「……それは真ですか?」
「ああ、私の友人が相対したんだ。ま、今では再び生死不明だがな」
「……おそらく、生きているかと」
絞り出すような言葉をシルヴィアは疑いもなく信じた。セオドアを信頼しているのもあるが、何よりセオドアはその過去により、闇の帝王に近しいものだったのだから。
「……そうか。闇の帝王の側近だったお前が言うのなら、そうなんだろうな」
シルヴィアはセオドアの言葉に少し考える素振りを見せる。セオドアは左腕を無意識に抑えた。
それを見たシルヴィアは考えるのをやめてセオドアの左腕に手を伸ばす。そして、そっと優しく左腕に触れた。
「どうだ? ご主人様のところに帰るか?」
そう尋ねるシルヴィアは、感情を悟らせない表情を見せた。それは冗談を言っているようにも、真面目に言っているようにも取れる顔だった。
セオドアはそんなシルヴィアが自身の左腕に触れていた手を両手で優しく包み込んだ。
「俺のこの身体、この脳みそ、この命。全てはもうお嬢のものです」
それを聞いたシルヴィアは自身の右手を包み込む両手に左手を乗せた。
「……そうか。試すようなことをして悪かった」
「いえ、当然でしょう」
二人は同時に手を離す。シルヴィアは振り返り、屋敷へと足を向ける。
「何かあった時は例のフクロウを飛ばせ。私は明日から友人の家に行くからな」
「承知しました」
それだけ言ってシルヴィアは屋敷に向かう。一度も振り返らない主君を、セオドアはその背中が視界から消えるまで見送っていた。
………………
…………
……
……
…………
………………
シルヴィアはセオドアと別れた後、一年ぶりの自室にて親友の家に長期間お邪魔するための準備を進めていた。
定期的に掃除はされていたようで、部屋には汚れ一つ見当たらない。ベッドのシーツも綺麗に敷かれていた。
ローレッタがやってくれたのだろうと感謝して、シルヴィアは次々と準備を進める。着替えや身嗜みを整える道具、宿題や現金などを大きなキャリーバッグに詰め込んでいく。
そうして詰め込み終わったシルヴィアがあとは土産物くらいか? と持ち物を確認していると、自室にノック音が聞こえてきた。
シルヴィアが入室を促すと、まずローレッタが入り、その彼女に促されるように見事な装飾に身を包んだプラチナブロンドの髪を後ろで結った女性が顔を出した。
女性はシルヴィアが大荷物の支度をしていることに眉根を寄せ、赤い口紅に彩られた唇から声を発した。
「なんのつもりですか、シルヴィア」
「おや、久しぶりに会った実の娘に挨拶も無しか」
軽く肩をすくめる娘の様子に、顔をしかめる女性。彼女の名前はリーザ・コルドウェル。シルヴィアの言葉からも分かる通り実の母である。
シルヴィアの髪と美貌は、リーザの血が基盤にあると納得するほどの美しさを持っている。しかしシルヴィアはそれに感謝したことなど一度もなかった。
「……まあいい。なんのことはない、明日から一月ほど友人の家にお邪魔させてもらうんでな。その準備をしてるだけだ」
その言葉を聞いたリーザはいよいよ持って怒りをあらわにする。顰めていた顔を怒りに染め、声を低くしてシルヴィアを叱る。
「何を馬鹿なことを言っているのですか。あなたはこれから一月はコルドウェル家の長女としての責務があります。勝手は許しませんよ」
しかしそれに対してシルヴィアはどこ吹く風で、涼しい顔で聞き流すだけだ。
「頭のおかしい純血達の集まりなど反吐がでるな。それはクリスマスの時にも手紙に書いたはずだが?」
「尊い血筋の方々に対してなんて言いようですか! 貴女はその尊い血を引く方々を導く立場にあるのですよ!」
ふんっ、と鼻を鳴らすだけで全くと言っていいほど取り合わない娘の様子にリーザは肩を震わす。
「それに手紙のこともです。私からの手紙を悉く無視し、挙句大切なクリスマスパーティーにも出席しない。貴女は尊き血をなんと心得ているのです!」
リーザがここに来たそもそもの目的についても話し、シルヴィアを問い詰める。その問いに対して、シルヴィアはふざけた様子を潜めて真顔で答える。
「塵だ。純血以外を蔑む輩も、闇に傾倒する輩も、娘を蔑ろにする貴様も。全てが塵だ」
実の娘のその言いようにリーザは絶句するしかなかった。昔からなにかと自分に対して反感を抱いていた節はあった。しかしここまでではなかったはずだ。
この一年で娘の身に何があったのか。リーザの思い当たる節は一つしかなかった。
「なんてこと……。下賎な輩に毒されるなど、コルドウェル家の恥です」
そう言ってこめかみを抑えるリーザに、シルヴィアの眉がピクリと動く。
リーザはこの一年、心労が絶えない日々であった。
実の娘がホグワーツへと向かって一月ほど経った頃、懇意にしている純血の方々から多くの手紙がリーザの元に届けられたのだ。それを読んだリーザは最初何が起こっているのか分からなかった。
シルヴィアが、グリフィンドールの凡夫と親しくしているというのだ。しかも同じ純血である者達には危害を加え、誰一人として縁を持とうともしない。これら全てを知ったリーザはショックで気絶したほどだ。
更にもう一月経つと、シルヴィアはスリザリン内では交友せず、他寮の血筋もしれない輩とばかり連んでいると知らされた。
リーザはどういうことかと何十通も手紙をシルヴィアへと送った。しかしそれは悉く無視された。
実の娘が、亡くなった夫から託された全ての純血を率いるべき娘が、良からぬ輩にやって地の底に堕ちようとしている。
リーザにはもう、そうとしか思えなかった。
ここは母として厳しく叱らなければと、リーザは淑女としてはどうかと思ったが声を荒げる。
「汚れた下賎な輩など、さっさと縁を切りなさい! さもなくば罰を与えます。これはコルドウェル家を率いる家長としての命令です。いいですね!?」
しかしそれは、天才の逆鱗に触れることを意味した。
「黙れ、阿婆擦れが」
瞬間、リーザへと黒い重圧がのしかかる。リーザは目を見開き、再び肩を震わす。その震えはもちろん怒りなどではい。
リーザは目を見開いたまま、この重圧の元凶を見る。何をしているのか問い正そうにも、喉が渇き、掠れた声しか出せなかった。
なんとかこの重圧を止めようと杖を抜こうとするが、身体は指一本動かない。今のリーザは、棒立ちになったただのマネキンでしかなかった。
この重圧を発しているシルヴィアはその様子に冷酷に笑うこともしない。ただ無表情で戯言を吐いたリーザを見つめる。その様子は、ホグワーツで暴君と言わしめた時よりも遥かに勝るものがあった。
それは、シルヴィアが本気で怒っていることを示していた。
「私のたった三人の大切な宝を、汚れているだと? 下賎だと? 戯言も大概にしろよ、コルドウェル家の廃棄物が」
「っ!?」
恐怖で動けない身体を動揺で揺らすその滑稽な姿を見ても、シルヴィアはピクリとも表情筋を動かさなかった。
「貴様はコルドウェル家とは本当ならば既に無縁の女。ただ父との政略結婚でここに置かせてもらっていたに過ぎない」
実の娘からぶつけられる言葉に、リーザば唇を噛み締めることしかできない。
「貴様が家長だと? 何を勘違いしている。ここの家長は本当ならば私だ。ただ未成年の間は貴様が代理をしているに過ぎない。それは父の遺言でもそう書いていたはずだが?」
「…………っ」
リーザの身体は恐怖に縛られていたが、時折それを悔しさが凌駕する。しかし、それでもわずかに身体を動かすことしか出来なかった。
「貴様は私を産んだ時点で用済みなのだ。それなのに父が亡くなった途端にコルドウェル家を好きにしおってからに……」
シルヴィアは無表情でリーザを次々と扱き下ろしていく。リーザはそれにただ耐えるしかなかった。
「今までは父の顔を立てて貴様の言う通りにしてきたが、もう限界だ。これからは私の好きにさせてもらう。……ローレッタ」
「はい、お嬢様」
ローレッタは未だ放たれている重圧を物ともせずに堂々とリーザの右前に立つ。
恭しくシルヴィアへこうべを垂れるローレッタ。それを見たシルヴィアの放つ気配は変化していた。
暴君が振りまく暴力的な怒気から、上に立つべき聡明な王の威厳へと。
「これまで通りこの家と金はそこの阿婆擦れの好きにさせろ。お前も嫌だろうが最低限仕えてやれ。私は年に一度はここに戻りはするが、それ以外は友人の家にお邪魔させてもらう。どこにいるかはその都度連絡する」
「かしこまりました」
再度こうべを垂れるローレッタ。それを見たシルヴィアはもう顔も見たくないとこの部屋を後にすることにした。
「ローレッタ、そこの荷物を頼む。……ではな、廃棄物。また来年会おう」
「……ま、待ちなさい、シルヴィっ」
憤怒の重圧が当主の威厳へと変わったことで幾分か楽になり、腰が抜けたリーザが娘を止めようとドアから出て行こうとする娘へと手を伸ばす。
しかしシルヴィアはそれを一瞥もせす、すぐに扉に手をかけた。
「私をその略称で呼ぶな。そう呼んでいいのは、この世では三人だけだ」
それだけ言ってシルヴィアはローレッタを連れて部屋を出て行った。
広い部屋に扉の閉まる音が嫌に大きく響く。そして降りて来た静寂。しかし、しばらくしてその部屋では嗚咽が寂しく響き渡るのだった。