ハロウィンの明くる日の朝。普段なら雲ひとつない青空を映す天井もあり、清々しい空気を感じさせるはずだった大広間では何処か仄暗い気配が漂っていた。
朝食に手をつけながらも、多くの生徒達がグリフィンドールのテーブルを見てはヒソヒソと仲間内で話し合っている。
……正確には、生徒達はそのテーブルの真ん中あたりに座っている、額の傷跡が特徴的な眼鏡の少年とその仲間達を見て話していたのだが。
そんな疑惑の念を向けられている少年達、ハリー、ロン、ハーマイオニー、エステルの四人は、去年自分達がスネイプへと向けていたものを自らが食らう羽目になり、居心地悪そうにしながらもできるだけ目立たぬように体を縮めていた。
彼らがこのような視線に晒されているのにはもちろん訳がある。
昨日のハロウィンパーティの後に去年と同じく事件が起きた。なんとフィルチの猫であるミセス・ノリスが石となって発見されたのだ。
その現場である廊下には一面に水が広がっており、壁には血文字が書かれていた。それはこう書かれていた。
『秘密の部屋は開かれた。継承者の敵よ、気をつけよ』
殆どの生徒達には意味がわからなかったが、なによりもその現場を見た者達の目を引いたのは……その現場に佇むハリー達だった。
その後ハリー達は先生達に連れられていったが、ダンブルドアより疑わしきは罰せずというお達しが下り、罪に問われることはなかった。しかし、かの偉大な魔法使いの言葉であろうとも生徒達の疑いは完全には晴れず、こうして今に至っている。
その様子をグリフィンドールのいつもの場所に座って眺めていたレイは呆れたようにため息をついた。
「他の寮の奴らはともかく、グリフィンドール生まで寄って集って疑わなくてもいいだろうに」
「全くもって同感だ。これで勇気を尊ぶなどとはお笑い種だ」
「ふんっ、それ以前の問題だ。『秘密の部屋』というキーワードの時点であの愚か者どもが今のところ無関係であることになぜ気付かない」
レイの後にそんな生徒達をシルヴィアは鼻で笑い、ギルバートは見下すように冷たい視線を向けた。しかしギルバートがその視線を向けなければならない者は身近にいた。
「そ、そそそうですよねっ」
「お、おう。そうだな」
ギルバートの言葉にアリスとレイがどもりながら返事をした。その目線はギルバートを見ておらず、二人とも目を彷徨わせていた。二人が他の生徒達と同じように『秘密の部屋』のことを知らないことは明白だった。
ギルバートは目尻を釣り上げ、いつのまにか握っていた杖を思い切り振った。
「いってぇっ!?」
「あいたぁっ!?」
それはいつものデコパンチだったのだが、威力が桁違いだった。レイとアリスは、二人の悲鳴に驚いてこちらを見る周囲を気にする暇もなくあまりの痛みに悶える。
ギルバートは吹雪のような気配を纏い、凍えた視線でそんな二人を見ていた。それを側からみていたシルヴィアは今まで見たことない彼のその様子に口元をヒクつかせていた。
「愚か者ども。貴様ら今あろうことか自分達の無知を誤魔化そうとしたな?」
「いや、あのですね……」
「あぅ、そのぉ……」
「戯言を吐くつもりなら、二度と口が聞けぬようにするが?」
「「はいっ、誤魔化しました! ごめんなさい!」」
レイとアリスは言い訳すらさせてもらえず、素直に頭を下げることしか出来なかった。ギルバートの凍えるような雰囲気には、それほどの迫力と有言実行するという真実味があった。
「いいか? 二度と俺の前でそのような真似をするな。さもなくば縁を切るぞ、分かったな?」
「は、はい。もう二度としません。すみませんでした……」
「っ!? …………はい、ごめんなさい」
ギルバートのかなり厳しい言葉を聞いた二人の反応はあからさまに違った。レイは申し訳なさそうに頭を掻いていたのだが、アリスは一瞬絶望したような顔をしたのだ。
それはもちろん、ギルバートの縁を切るというワードが原因だ。
友達を心の底から大事にしているアリスにとって、縁を切ると言われるのは何よりも苦痛だろう。それが親友とも呼べる仲から言われればなおさらだ。
しかし、そう言われても仕方ない事を二人はしたのだ。二人はギルバートの人生を構築した信念を否定する行いをしたのだから。
学ぶことを是とするギルバートの信念。無知は罪ではなく、そのままにしておくのが罪であると常日頃から語っているギルバートだ。その怒りも当然だった。また、それを自分が認めた人間が仕出かした事で怒りもひときわであった。
それほどの怒りがあったギルバートであったが、アリスの様子は気にかかった。今も謝りはしたが、そのあとは呆然となにかを思い悩んでいる様子だ。
ギルバートも流石に気になったので声をかけようとしたのだが、今まで彼の様子に驚いていたシルヴィアがここで諌めてきた。
「な、なあギル。こうして二人も反省していることだし、これで許してやれ、な?」
「……いいだろう」
ギルバートはまあ少しすればいつもの能天気に戻るだろうとアリスを放っておくことにした。これがのちに大変な事態もたらすことになる。
シルヴィアはギルバートが大人しく手を引いてくれたことに安堵して、叱られていた二人に声をかける。
「レイ、アリス。大丈夫か?」
それにレイはなんとかな、と曖昧な笑みを浮かべた。しかしアリスは聞こえていなかったようで、呆然としているだけだった。
「……アリス?」
「……はい、大丈夫です」
シルヴィアの声にようやく反応したアリスだったが、明らかにいつもとは違う様子にシルヴィアは得体の知れない不安に駆られて思わず彼女を抱きしめる。しかしアリスはいつものように恥ずかしがることも、嬉しそうに笑うこともなかった。
それがさらにシルヴィアの不安を駆り立てる。無意識にアリスを抱きしめる強さが増して行く中、レイが自身の無知を誤魔化すことなくギルバートに恐る恐る問うた。
「あ、あのギルさん? よければ『秘密の部屋』についてご教授願いたいんですが……」
「自分で調べろ。馬鹿者一歩手前」
「……あい、馬鹿者一歩手前でごめんなさい」
ギルバートの取りつく島もない様子にレイは素直に引き下がる。後でちゃんと調べようと決意するのだった。
余談だが、今までのことが注目を集めないはずがなく、レイとアリスは図らずもハリー達を針の筵から助け出していたのだった。
そんなこんなで自分で調べることにしたレイだったが、その必要はなくなった。なぜなら叱られたその日の変身術の授業で、ミネルバより『秘密の部屋』がなんなのかを教えてもらったからだ。
ハーマイオニーに尋ねられたミネルバは、普段よりも一層厳しい顔をしてその重い口を開いた。
曰く、『秘密の部屋』とは千年以上前にホグワーツの創始者の一人であるサラザール・スリザリンが、仲違いの末にホグワーツを去る前に密かに作ったと言われる場所である。そして、そこには自身の後継者しか入ることが許されず、また恐ろしい怪物が眠っており、純血以外を悉く殺すだろうと言い伝えられている。
これを耳にしたマグル生は恐怖に震え上がった。次は自分が石にされるかもしれない、最悪は……。
それはハーマイオニーもだった。しかし、隣に座っていたエステルが彼女の手を握り微笑みかけることでなんとか持ち直すことができた。
マグル生まれ以外の生徒達も個人差はあれど同様に恐怖に怯える中、ミネルバはなんとか宥めすかして、去年よりもより一層夜の外出を禁じ、一人で行動しないように注意を促すのだった。
そしてその日の夕食時。レイはギルバートにミネルバから伝え聞いたことを話し、答え合わせをしていた。
「その通りだ。全く、このようなことなどホグワーツに入学するなら必須の知識だろうに……」
「いや、ハーマイオニーが知らない時点でおそらくお前と一部のスリザリン生しか知らないんじゃないか?」
「そんなものは言い訳に過ぎん。分かったらその戦闘脳味噌にしかと刻め」
「戦闘脳味噌て……。いや、あながち間違いじゃないんだけどな」
自分が大切なものを守るために戦闘系の呪文や知識を優先して覚えていると自覚しているレイはギルバートの毒を素直に飲み込むことにした。その後にシルヴィアへと尋ねる。
「シルヴィは知ってたんだよな?」
「ああ。おそらく純血を重んじている一族はみんな知っているだろう。なにせ自分達の思想を作った始祖様に関することなのだからな」
シルヴィアは吐き捨てるようにそう答えた。レイは本当に純血主義が嫌いなんだな、と再確認しながらもこれが純血主義筆頭後継者の言葉なのだから、世の中分からないものだと学生には似合わないことを思いながら苦笑した。
「それにしても気になるのはあのマルフォイ家の七光りの言葉だ。レイも聞いただろう?」
「えっと確か……次はお前の番だ、この『穢れた血』め、ってやつか? というか、この間みんなが言ってた最低の言葉ってこれか」
「そうだ、マグル生まれを差別する最低最悪の蔑称だ。君も次にグレンジャーがそう言われていたら遠慮なくぶっ飛ばすがいい」
「ぶっ飛ばすかどうかは分からないけど、とりあえず双子と共謀はしようかな」
それはいい、とレイの冗談にご機嫌で笑うシルヴィアにレイもつられて笑った。そんな二人をギルバートが遮る。
「貴様ら、笑ってないで話を進めろ」
「おっとそうだったな。ギルバートも知っている通り、私とレイはミセス・ノリスが石にされていた現場に出くわしたのだが、あの七光りがグレンジャーにそう言っていたのを聞いたのさ」
「何かおかしいところがあるのか? あいつは純血を重んじてるから、スリザリンの継承者の敵がマグル……あれ?」
「気付いたなレイ。そう、普通なら敵という単語からならばマグルよりも先にグリフィンドールを思い浮かべるはずだ。なぜなら純血主義を誰よりも否定したのはゴドリック・グリフィンドールなのだからな」
シルヴィアの言葉にレイは納得する。次にギルバートがシルヴィアの言葉を継いだ。
「また、サラザール・スリザリンがこのホグワーツを出て行くきっかけを作ったのもゴドリック・グリフィンドールだ。かの御仁との決闘に負けたことでサラザール・スリザリンはここを後にせざるを得なかったのだ」
「そうだ。こんなことそれこそグリフィンドール生とスリザリン生なら誰もが知っていることだ。なのにあの七光りはグリフィンドールの意志を継いだ者、もしくはその卵であるグリフィンドール生を指すことなくあえて『穢れた血』とマグル生まれを指差した」
「ってことは、マルフォイはこの件について何かを知っている?」
「そうなるな」
シルヴィアはレイの結論に同意を示した。レイは頭の中を整理するように頭を軽く叩いて考え込む。少しして考えがまとまったのか口を開いた。
「ならマルフォイを問い詰めるか? 俺、このままハーマイオニーが石にされるのを黙って見過ごす気は無いんだが」
レイの大切なものの中にはハーマイオニーは勿論含まれている。大切なものは絶対に守ると誓っているレイは既にこの件に首を突っ込む気満々だった。
これほど好戦的なレイを実は初めて目にしたシルヴィアは少し目を見開いて驚きを見せていた。そして次には身体の内から溢れる喜びに打ち震えた。
彼女が何故このような感慨を覚えたのか。それはシルヴィアが去年、闇の帝王に傷だらけで相対した最愛の友の雄姿を奇しくも最後までお目にかかることが出来なかったからだ。
大切な誰かを守ると誓う彼の本質にやっと直に触れ、お目にかかれたシルヴィアはこのままレイの言う通りにしたいと思ったが、焦りは禁物と自分を諌めてそれをレイにも話す。
「まあそう焦るなレイ。問い詰めるにしても時と場合がある。この件については私に任せて欲しい。この天才たる私が必ず結果を出してみせよう」
レイは自信満々のシルヴィアの言葉を聞いて、信頼する彼女が言うならと納得して頷く。それを見たシルヴィアは慈しむように微笑みをたたえた。
そんな二人の様子を眺めていたギルバートは眼鏡のブリッジに指を添えてそれならばと自分のやるべきことを告げる。
「俺は『秘密の部屋』に眠る怪物について調べるとしよう。レイ、シルヴィ、お前達が見たミセス・ノリスの状態を覚えている限りで全て話せ。それが今は1番の手がかりだ」
分からないことがあるのが気持ち悪くて仕方がない、と言うギルバートを見て、レイは苦笑し感謝した。
ギルバートは確実に危険なことであるこの件に頑として関わろうとする自分を察して、それを止めることなくその意思を尊重して付き合ってやると言ってくれたのだ。感謝しないはずがなかった。
「ありがとな、ギル」
「ふんっ」
レイの真っ直ぐな気持ちを向けられて鼻を鳴らすギルバート。しかしレイとシルヴィアにはそれが照れであることは一目瞭然だった。
二人は見つめ合って苦笑する。それを見たギルバートは今度は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「さて……アリス?」
レイは話がまとまったのを確認した後、恐る恐る今まで話に参加することのなかったアリスへと声をかける。しかしアリスは返事をする事もなく、ぼーっとしながら虚空を見つめていた。
アリスはギルバートに叱られてから今日一日ずっとこんな調子だった。レイが声をかけても、シルヴィアが抱きしめてもうんともすんともしない。ただ、ギルバートが声をかけようとした瞬間にビクッと身体を震わすのだ……目尻に涙を溜めて。
これはどこからどう見てもギルバートが原因だった。二人は諸悪の根源をジト目で見つめる。
「「…………」」
「……なんだ愚か者ども、そんな目で俺を見るな」
ギルバートは眼鏡の奥から睨みつけるが、二人は意に介さず見つめ続ける。二人が何を言いたいか分かっているギルバートだったが、それに素直に従う気などさらさらなかった。
しかしそれも、この瞬間までだったが。
「なっ、お、おいアリス?」
「あ、アリスっ? いきなりどうしたんだい?」
突然、アリスが虚空を見つめたままポロポロと涙をこぼし始めたのだ。これにはレイとシルヴィアは慌て、ギルバートでさえ目を見開いたのだ。
三人はアリスを連れて急いで大広間を出て行く。それを見ていた周囲の生徒達はざわざわと騒ぎ出した。それはあっという間に広がっていき、様々な憶測が飛び交うのだった。
大広間がそんな状態とはつゆ知らず、四人は大広間を出て少し歩いた場所で足を止めた。
「アリス、泣かないでおくれ? 君のそんな涙を見るのは本当に辛いのだ」
シルヴィアはハンカチで涙を拭ってやるが、アリスの瞳からは次から次へと涙が溢れていく。そんなアリスを見てられなくなったレイは虚空を見つめる彼女の肩を掴んで無理矢理目を合わせる。
「アリス、今から俺とシルヴィでギルをボコボコにして朝の件は謝らせるからもう泣くな、な?」
「おい待て愚か者、先程から何を勝手に俺のせいにしている。しかも……っ!」
ギルバートは咄嗟に杖を振るった。それによって飛んできた呪文を妨害する。
「貴様……」
「悪く思うな、ギル。君の信念は理解しているが、心優しい彼女には朝の言葉はキツすぎたのだ。大人しく頭を下げろ。君も言いすぎた自覚があるのだろう?」
シルヴィアが杖を構える横でレイも杖を抜く。シルヴィアの言う通り、ギルバートは少し……すこーしだけ言いすぎたとは思っていたが、無理矢理力づくで頭を下げさせられるのは我慢できなかった。
ギルバートはゆっくりと杖を構える。
「……いいだろう。かかってくるがいい、この愚か者どもが」
天才と凡才 対 秀才。
近年稀に見る大喧嘩が今この瞬間に火蓋を切ろうとしていた。
しかし、火蓋が切られることはなかった。その大喧嘩を止めたのは、当事者の静かな声だった。
「……違うんです、レイさん、シルヴィさん」
その声色は驚くほど色が無かった。動きを止めた三人は、未だ泣き続けるアリスを見やる。二人は痛々しそうに、一人は不機嫌そうに。
「私、自分に失望しちゃったんです。ギルさんを怒らせてばかりの自分に」
「……何?」
色のない声で紡がれた言葉にギルバートは眉根を寄せた。確かに自分はアリスを悉く叱ってはいるが、それは彼女に期待しているからだ。馬鹿者に堕ちてほしくないがための行動なのだ。
そんなギルバートの想いに気づく事なく、アリスは淡々と言葉を紡いでいく。
「いつもいつも怒られてばかりで、全然成長できてません。確かに勉強はできるようになりましたが、肝心の頭はお花畑のままです」
「…………」
「挙げ句の果てにはギルさんに次やったら縁を切るとまで言われてしまいました。何度も同じ事で怒られてきた私は、次も同じ事をしでかさない自信がないです。そうなれば、私はギルさんとお友達じゃなくなっちゃいます」
アリスは相も変わらず感情の読めない表情で話していたが、少しづつ、少しづつそれが崩れていく。
「どうしよう、どうしようってずっと考えてました。でも、っ、答えは全部、ギルさんが、っ、離れちゃうものばかりです」
「…………」
「私は、っ、お友達一人、ひっくっ、つなぎとめることもできない悪い子です。そ、そんな、っく、自分が……自分がっ、ぐすっ……」
大嫌いです!
アリスはとうとう顔を歪めて大声で泣き始めた。その泣き声は静かな廊下に響き渡り、反響して帰ってくる。それがより悲壮感を感じさせた。
アリスは叱ったギルバートが怖くて震えていたのではない。ギルバートが自分に失望してどこかに行ってしまうのが怖かったのだ。自分が何かをしてしまい、ギルバートが二度と話してくれなくなる事を。
アリスの独白を聞いたレイとシルヴィアは改めてギルバートを見る。その目が示す思いは大広間でギルバートへと向けていたものと何ら変わりはなかった。
実際のところ朝ギルバートが口にした縁を切るという言葉もいつもの毒舌だったのだ。それに気付いたレイはあまり気にしていなかったのだが、それをアリスは真に受けてしまった。これが全ての始まりだ。
まあ結局のところ、ギルバートがやりすぎたのだ。アリスは普通の女の子だ。レイとシルヴィアと違い心も精神も強いわけではない。察しが良い訳でもない。ギルバートの基準にたった一年で追いつかせようとしたのがそもそも間違いなのだ。
尋常ではない眼力を持って訴えてくる二人をなんとか無視して、ギルバートは眼鏡に手を添える。これには流石のギルバートも反省せざるを得なかった。
自分の期待が、彼女を追い詰めてしまったのだ。
ギルバートはため息をついて覚悟を決める。実は彼、父親以外で頭を下げて謝ったことが一度もない。
友人への謝り方を知らないギルバートは、とりあえずいつもと同じように声をかけることにした。
「おい泣きむっ!?」
「愚か者かお前は! 謝る気があるのはなんとなく分かったけど、毒を吐いてどうする!? 今泣き虫なんて言ったら自分が泣いたから縁を切られると絶対に誤解するぞ!」
「そうだぞ愚か者! これ以上彼女を悲しませるなら私達にも考えがあるからな!」
しかしそれをレイが寸前でギルバートの頭を叩いて止め、シルヴィアと共に小声で叫ぶという器用さを見せた。ギルバートは二人を睨みつけたが、それを二人は眼力で圧殺した。
不覚にも気圧されてしまったギルバートが怯んだ隙に、レイは彼の背中を大きく叩いてアリスの前へと突き出す。
ギルバートはレイとシルヴィアをもう一度睨むが、二人は腕を組んでアリスを顎で指して促す。お前次やったら分かってるな? と目で脅してくる二人を見て、今回は分が悪いと改めてアリスと向き直る。
アリスは大声を上げることはなくなったが、涙で濡れた目元を手や袖口を使って拭い、しゃくり声を上げて泣き続ける。
ギルバートは座り込んで泣くアリスに、自身も膝をついて目線の高さを合わせた。そして、出来るだけ彼女を刺激しないように声を和らげて言葉を発した。
「おいアリス。こちらを向け」
「ひっく、ぐすっ……ふぇ?」
アリスはすぐ近くで聞こえてきた、今まで聞いたことがない柔らかなギルバートの声に驚いて言う通りに顔を上げる。するとそこには自分の頭へ向けて伸ばされる掌が見えた。
叩かれる。そう思ったアリスは再び俯いてぎゅっと目を瞑った。同時に、叩かれて当然だと思う自分がいた。成長を見せない自分が悪いのに、勝手に泣き喚いてギルバートを困らせてしまったのだ。
私って本当にバカ、とギルバートが側からいなくなってしまうこれからのことを思いながらアリスは心の中で自嘲した。
しかし、そんなアリスの予想は外れ、自身の頭に感じたのは優しい重みだった。
「…………え?」
驚きで再び顔を上げるアリス。その先にはあからさまに慣れない様子を表情に出しながらも、いつもより明らかに優しい様子を見せるギルバートの姿があった。
ギルバートはアリスの頭に乗せた手をぎこちなく動かして撫でていく。謝罪初心者が泣いている女の子を宥める方法など身内のやり方しか思い浮かばなかったのだ。
頭をぎこちなく撫でられていくアリスは、不思議とその掌からギルバートの感情が伝わってきていた。
それは……俺が悪かった、すまない、という謝罪の念だった。
普段のギルバートからなら絶対にありえない想い。もしこれを彼の口から直接言われたら、アリスはこれは夢だ幻覚だと言って絶対に信じなかっただろう。
掌から伝わる想いが、アリスの頭を通って胸の中に染み込んでいく。それを確かめるように両手を握って胸に当てた。
泣くこともなく落ち着いて頭を撫でられるアリスに、ギルバートは本題を切り出す。
「朝は言いすぎた。例えお前がもう一度、いや、二度三度間違おうとも、お前から離れることはないから安心しろ……まあ、叱りはするがな」
「……はい、はいっ」
アリスはギルバートの言葉と掌から伝わる想いを受け止めていく。
ギルバートは結局最後まで謝罪の言葉を口にすることはなかった。しかし、彼の伝えたいことは全て彼女に届いていた。
レイとシルヴィアはその様子を瞬きしながら見守っていたのだが、アリスが許したようなので、取り敢えずはギルバートをとっちめることを止めることにしたのだった。
来週も月、金曜日の18時に投稿します。
プロフィールのリクエストありがとうございました。二章が終わるまでにはリメイクしようと思います。
次回、お坊ちゃん痛い目にあう。