ミセス・ノリスが石となって見つかってから一月ほどだった。
アリスのことについて様々な憶測が飛び交っていたが、それも翌日の朝の四人のいつもの様子に、問題は解決した事を悟って憶測は頭のゴミ箱へと処理されたのだった。
余談ではあるが、アリスの親衛隊達は昨日の夜、レイ達に襲撃をかけようと準備をしていた。しかしそれをアリスが見つけ、慌てて説明された事で襲撃を渋々やめたのであった。『子熊を絶対守り隊』。子熊のためならば、女王様さえも敵に回す恐ろしい集団と化していた。
そんなこともあったが、それ以降は平穏な日々が続いていた。当初は不安と恐怖によって疑心暗鬼となっていたホグワーツの雰囲気もいつもの穏やかな気配を取り戻しつつある。
このひと月の間に犠牲者が出なかったことや、薬草学の教諭であるスプラウトの手によってマンドレイク薬が完成すれば石化も解けると知れ渡ったからだろう。
生徒達はそのような感じだったが、教師陣の厳戒態勢は解かれてはいない。しかし、通常の授業には何も支障はなかった。それは行事も同じである。
そんな行事の一つが、今レイ達の目の前で執り行われていた。
「ぎ、ギルさんっ、あのブラッジャーはどうしたんですか! ずっとポッターさんばかり狙ってますっ」
「分からん。が、何か細工がされているのは間違いないだろう。正式なクィディッチの道具に細工など一生徒では難しい。よって教師レベルの何者かが細工したと見ていい」
「これって中止になったりしないんですかっ?」
「ないな。クィディッチのルールにおける禁止事項は数あれど、本当に試合が途中で止められることはかなり稀だ。今回も例外なく続行だろう」
「そんな……」
アリスは知り合いが今にも怪我をしそうな状況であるのを見て、ハラハラと落ち着きなく身を乗り出した。それを隣にいたシルヴィアが優しく支える。
ギルバートとアリスはあれからというもの、少し距離が近くなったようだった。ギルバートはほんの少しだけアリスに優しくなり、アリスはギルバートに遠慮することが少なくなった。
あいも変わらずギルバートに叱られてばかりのアリスだったが、それによって彼から見放されるという不安はもうなかった。……あと少しだけ手加減してほしいかな、と思うことは多々あるが。
そんなアリスであったが、今はシルヴィアに叱られていた。
「こらこらアリス。心配なのは分かるが少し落ち着き……あ、今腕の骨が逝ったな」
「ひぅっ!」
「貴様は泣き虫を安心させたいのか怖がらせたいのかどっちなんだ」
「強いて言えば両方だ」
「タチ悪いなおい」
シルヴィアはそう言って、指の隙間から試合を恐る恐る眺めるアリスを背後から抱きしめて悦に浸る。それを聞いていたレイは呆れたが、いつものことだと目の前の試合に意識を向けた。
毎年大盛り上がりを見せているクィディッチの試合。その初戦を飾るスリザリン対グリフィンドールの戦いが雲一つない青空の下で行われていたのだが、その試合はいつもの様相とは違っていた。
今レイ達の目の前では、ハリーがスニッチを追いながらブラッジャーに追われていた。ブラッジャーは気性の荒いボールではあるが、個人を執拗に狙うことはない。ギルバートの言う通り、何者かが細工したのだろう。
因みに、今年からスリザリンチームのシーカーを務めることになったマルフォイは途中までハリーとスニッチの取り合いをしていたのだが、赤毛の双子によって排除されていた。
スニッチとブラッジャーに追われるハリーに意識を向けていたために死角を突かれたのだ。イイトコ無しでリタイアとなったマルフォイだったが、これではせっかくの最新の箒も宝の持ち腐れだろう。
結局、試合はハリーがスニッチを手に入れたことでグリフィンドールの勝利となった。ハリーが手負いではあったが気合を見せたのは、心の何処かに目標としている少年の姿があったのは間違いなかった。
そんなハリーだったが、試合が終わった後もブラッジャーに執拗に狙われ、ハーマイオニーの手によって破壊されるまで気の抜けない状況に置かれたのだった。
レイ達もその雄姿に拍手を送る。特にアリスは大きく手を叩いて感動しているようだった。
そんなアリスの頭を一撫でしたシルヴィアは彼女から体を離した。
「では、私は任務を遂行してくるとしよう」
「任務って……ああ例の。んじゃ頼むわ」
「貴様なら下手は打たないだろう、さっさと行け」
「? ? ?」
レイとギルバートは理解したように頷いたのだが、アリスだけが疑問符を頭にたくさん浮かべていた。それを見たギルバートは慣れたように杖を抜くが、そういえばとそのまま懐にしまった。
「……そうか、貴様はあの時上の空だったな。危うく額を撃ち抜くところだった」
「そ、そそそそうですか!」
ギルバートが懐に手を伸ばそうと瞬間、アリスはすでに額を手で隠して脳味噌をフル稼働させて必死に思い出そうとしていた。しかしそれもギルバートの勘違いであったことで心の底から安堵するのだった。
そんなアリスを微笑ましく見守っていたシルヴィアは、名残惜しそうにしながらも三人に一時の別れを告げた。
「では行ってくる」
「おう、頑張ってなー」
「精々有益な情報を頼むぞ」
「いってらしゃい、シルヴィさん」
各々らしい見送られ方に苦笑してシルヴィアは席を外すのだった。
………………
…………
……
……
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………………
「……っ。クソっ!」
ドラコ・マルフォイは身体に走る痛みと胸に飛来する屈辱に耐えきれず、自身が座っている椅子を思い切り殴った。
彼がいるのはスリザリンチームの控え室だ。他のチームメンバーはいない。マルフォイが苛立ちとともに追い払ったのだ。
宿敵であるグリフィンドールに負けたことで荒れていたチームメイトも、スリザリン内で大きな影響力を持つマルフォイには配慮せざるを得なかった。
中には純粋にマルフォイを心配して声をかけるものもいた。せめて怪我の手当てだけでもというチームメイトをもマルフォイは一喝して控え室から出て行かせたのだった。
マルフォイは物に当たるという慣れないことをしたせいで、右手に酷い痛みが走って顔をしかめる。それがさらに苛立ちを加速させる。
しかしそれも次には憂鬱な思いへと変わった。
「父上になんと申し開きすればいいか……」
マルフォイはこの後のことを思い頭を抱える。なぜならマルフォイの父親であるルシウス・マルフォイが息子の晴れ舞台を見るためにこの試合を見学しに来ていたのだ。
もう少しもすればマルフォイの元へとやって来て厳しい顔とともに叱るだろう。マルフォイ家に泥を塗るな、純血として誇りを持て、と。
そんな確定した未来に憂鬱になっていたマルフォイは、次には自分をこの状況に追い込んだ者達へと怒りを向ける。
「それもこれも全部ポッターと血を裏切るウィーズリーのせいだ! 今に見ていろ、必ず仕返しをしてっ……!」
「無様だなマルフォイ、自分の過失を人のせいにするとは。自らを省みないお前の姿は虫唾が走る」
悪態をついていたマルフォイは背後からの声に勢いよく振り返る。そこには美しい肢体をロッカーに預け、美貌を不愉快げに歪めるスリザリンの女王、シルヴィアがいた。
シルヴィアはいつも誰かを引き連れているマルフォイが一人だけになる瞬間を狙っていたのだ。そのタイミングは完璧だった。
「こ、コルドウェルっ!? なぜここにいる!」
突如現れたシルヴィアにマルフォイは立ち上がって距離を取る。その際に身体が痛みを訴えるが気にしてはいられなかった。なにせ自分が不愉快だと思えば圧倒的な力と恐怖を持って叩き潰すのが彼女だ。そして、自分がその不愉快の対象だとマルフォイは既に自覚していた。
しかしここでマルフォイには疑問が残る。なぜそんな自分のところにわざわざ顔を出したのか、と。
シルヴィアは自身の目に余るようなら自らの手で排除しようとするが、そのようなことがない限り嫌悪する人物は基本無視を決め込む。
マルフォイは過去を振り返るが、ここ最近彼女に対して特に何もしなかったはずだし、彼女の目の届く場所でも行動を起こしてはいない。
今も自身の悪態を聞いてはいたようだが、それはここに来たからであって、本来ならシルヴィアの耳には届かない者だったはずだ。
いくら考えてもシルヴィアがここにいる理由が思いつかないマルフォイに、シルヴィアは鼻を鳴らしてロッカーから背を離した。
「なに、お前に二、三聞きたいことがあってな」
「聞きたいこと、だと?」
シルヴィアの言葉に眉根を寄せた時だった。次の瞬間、マルフォイの身体が勢いよく後ろに吹き飛ぶ。
「がはっ!?」
ロッカーに背中をぶつけ、肺の中の空気を無理矢理全て吐き出したかのような音を出して崩れ落ちる。
自分の身に起きた突然のことにマルフォイの頭は混乱する。そんな中でもなんとか状況を理解しようと、衝撃に眩む目で自分を襲ったであろう犯人を睨みつける。
シルヴィアはそんなマルフォイの反骨心を見て意外そうに目を見開いた。
「ほう、まだそんな目で私を見れるか。どうやらお前を過小評価しすぎていたようだ」
しかしマルフォイが気概を見せたのもここまでだった。シルヴィアのその言葉がきっかけとなり、彼女の纏う空気がガラリと変わる。
周囲を凍てつかせるような酷薄な気配を纏ったシルヴィアはまさに死神そのものだ。冷酷な笑みとともに両腕を広げ、杖を勿体ぶったように揺らす。
「ひっ!」
「……なるほど、この程度で終いか。過小評価だったとしても塵は塵か」
シルヴィアはそう言うが、今の彼女と面と向かって相対できる者など大の大人でも不可能だろう。その資格があるのは、真の勇士のみである。
マルフォイは身体の痛みも忘れて恐怖に打ち震える。排泄物を漏らさなかっただけ、確かに他よりマシなのかもしれない。
シルヴィアは怯えるマルフォイへとゆっくりと歩いていく。わざと恐怖を煽るためだ。それは効果覿面であり、じわじわと近づいてくる恐怖の塊に後がないにもかかわらずマルフォイは必死に後ろに下がろうとする。
そんな滑稽な様子にシルヴィアは笑うこともなく、とうとうマルフォイの目の前に立つ。マルフォイは歯を鳴らして次に起こるであろう自分の未来を次々に思い浮かべていく。
そんなマルフォイを見下ろして、シルヴィアは口を開く。
「今のお前がまともに聞き取れるかは疑問だがまあいい。その時は身を以て後悔するだけだ」
その一言一言が重力を持っているかのようだった。声が発せられる度にマルフォイの身体に、精神に重圧がかかる。そのお陰でシルヴィアの言葉を聞き流すことはなかった。いや、せいで、かもしれない。
重圧になんとか耐えるマルフォイへ、シルヴィアが要件を述べる。
「先も言ったがお前に聞きたいことがある。今話題の『秘密の部屋』のことだ。その件についてお前が知っていることを洗いざらい全て話せ」
「っ!?」
恐怖に支配されていたマルフォイだったが、シルヴィアの放った言葉はそれを一瞬上回るほどの衝撃だった。
父親からもたらされた情報。あまり公にはするなと言われ、それを忠実に守っていたのだ。なのになぜ自分が知ってると分かったのか。
衝撃を受けた勢いのままマルフォイはなぜ知っているのかと問おうした時、目の前に杖の先が突きつけられた。
「ひぃっ!?」
「余計な事は口走るな。『秘密の部屋』に関する事以外を口にすればその都度お前の身体に生涯消えない焼印が残るだろう」
分かったな? と確認するシルヴィアにマルフォイは頷いた。……それはただ恐怖に震えていただけかもしれないが。
それからマルフォイは辿々しくではあるが、父親から伝えられた自分が知っている全てを吐き出していく。
一通り聞き終えたシルヴィアはうむ、と満足したように頷いた。次には自らが発していた恐怖の圧力を霧散させる。マルフォイはようやっと解放され、短く荒い呼吸を繰り返した。
「有益な情報をどうもマルフォイ坊ちゃん。一応確認しておくが、もしこのことを誰かに話せば……分かるな?」
問われたマルフォイは高速で頷く。今度は震えではなく、確実にマルフォイ自身の意思であった。
それを見たシルヴィアは鼻を鳴らし、スリザリンチームの控え室を優雅に後にする。
その場には恐怖に打ちのめされたマルフォイだけが残され、後にルシウス・マルフォイに憔悴したところを発見されるのだった。
………………
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……
……
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今日はクィディッチが開催されたこともあり、ほかの授業も休みである。なので、夕食前にシルヴィアがレイ達と合流するのは簡単だった。
とある空き教室で、レイはシルヴィアがもたらしてくれた情報を反芻していく。
「『秘密の部屋』が前回開かれたのが50年前で、マルフォイはそれを父親から聞かされただけでこの件については無関係、か。ということは、関係しているのはマルフォイの父親か」
「そうなるな。その時にマグル生まれが次々と襲われるだろうとも聞かされていたらしい。だからミセス・ノリスが被害にあった現場でグレンジャーに対して脅すようにああ言い放ったのだろうな」
「で、でもおかしいですよね? お父さんが関係しているとしても、50年前ならまだ生まれてないんじゃないですか?」
アリスの疑問にギルバートが眼鏡のブリッジに指を添えて答える。
「マルフォイ家が代々伝えていた可能性など色々あるだろうが。もしくは……」
「……ギルさん?」
ギルバートが唐突に話を切ったことに疑問を覚えたアリスだったが、ギルバートはいや、と首を横に振った。
「確定していない情報を無闇に話すわけにはいかん。今は忘れておけ」
「? はい、分かりました」
アリスは可愛らしくコク? と首を傾げたが、ギルバートが言うならと素直に頷いた。それを見たシルヴィアは愛でたい衝動に駆られたが、今はその時ではないとぐっとそれ抑え込む。
「んんっ。なんにしても、ルシウス・マルフォイが何かしらに関与してるのは間違いない。今回は愚息がまだ未熟であったために詳細を話さなかっただけだろうな」
誤魔化すように咳払いしたシルヴィアであったが、レイとギルバートにはバレバレであった。しかし二人も慣れたもので、それに深く触れることはなかった。
「んじゃこれからは50年前のことを調べるか?」
「そうだな。それと頼りは『秘密の部屋』に潜む怪物だ。ギル、調べはどこまで付いている?」
「今おおよその生物を調べ終わったところだ。これから関係性のあるものを厳選していくつもりだ」
ギルバートのその言葉にさすがと称賛を送るシルヴィア。そこでアリスの心配そうな声がかかる。
「ギルさん、大丈夫なんですか? ほかのお勉強とか……」
「問題ない。普段本を読むのに使っている時間を費やせばいいだけの話だ。俺の知らない知識を詰め込むと言う意味では同じだからな」
「そ、そうですか。よかったです」
心の底から心配したのだろう。あからさまに胸をなでおろすアリスを見て、ギルバートはふんっと鼻を鳴らした。それはレイとシルヴィアから見れば照れているのはお見通しだった。
こうしてレイ達は『秘密の部屋』について着実に真相へと駒を進めていくのだった。
次回、決闘クラブ。