呪文学の教室に重量を得たように沈黙が重くのしかかる。それは各々に煩わしい息苦しさを感じさせた。そんなとき、普段なら授業の始まりと終わりを知らせる大時計が三時を鳴り示した。その重厚な音が、四人の間に漂う空気をさらに重く震わせる。
レイの告白は、シルヴィアとギルバート、アリスの三人に少なくない衝撃を与えた。特にアリスは口元に手を当てて目を見開き、レイの言葉を受け入れきれていない様子だった。
シルヴィアは懺悔するように語るレイにひどく胸を痛めた。彼女にとって、レイの過去よりも彼の痛々しいその姿の方が見ていられなかったのだ。
もともとレイの過去に何かあり、彼が話してくれた時は全てを受け入れると覚悟していた身だ。確かに人殺し……しかも実の父親を殺したという事実は予想の上を行くものであった。しかしだからといって、レイとの関係を崩す脅威にはなり得なかった。
ギルバートは静かに笑うレイを眼鏡のブリッジに指を添えてこちらも静かに見つめる。ギルバートにとって聞くべきは結果ではなく、そうなった過程だ。それを聞くまでは何も言う気も、思う気もなかった。
シルヴィアと同じようにあらかじめレイの過去についてある程度覚悟を持っていたギルバートは、どちらかといえばレイの今の様子に腹を立てていた。どこか諦めたようなその姿は、彼の考えていることを容易に予想させた。それは、ギルバートを苛立たせるには十分なものだった。
アリスは寂しげに佇みながら語るレイに何も言えなかった。一年と半年以上を過ごした友達が人を殺していた、それも実の父親をである。シルヴィアとギルバートと違い、突然聞かされた衝撃の過去はアリスを思考停止に追い込んでいた。
しかし、アリスは不思議と落ち着いていた。目の前に人を殺した人物がいるにも関わらずだ。それはこの一年と半年、レイと共に過ごし、彼がどのような人物であるかを知っているからだろう。
……そう。シルヴィアも、ギルバートも、アリスも。誰一人として父親を殺したと言うレイに嫌悪も、恐怖も抱く事はなかった。
レイはそんな三人の様子に気付かない。目を伏せ、誰も見ないようにしていたからだ。それは友に会わせる顔がないからか、はたまた真実を知った友の顔を見たくないからか。
壁に背を預け、片膝を立ててレイは過去を静かに語り始める。
「俺が物心ついた頃、母さんが病気で死んだ。元々優しかった父さんはそれからというもの、俺とアリアが寂しがらないよう頑張ってた。仕事で家に帰るのはいつも夜遅くで、疲れてるはずなのに笑顔で俺とアリアの面倒を見てくれた」
レイの語りにシルヴィア達は黙って耳を傾ける。レイの言葉を一言一句聴き逃すまいとするように。
「だけどそれも長くは続かなかった。いつだったかな、父さんが顔を赤くして帰ってきたときがあった。酒をしこたま飲んでたんだ。ふらふらな父さんに、なんとかベッドに寝てもらおうと体を揺すって起こそうとしたとき……思い切り顔を殴り飛ばされた」
殴り飛ばされたと聞いたアリスが短く息を吸い込んだ。暴力に慣れていない彼女にとって、レイがそうされたと聞いただけでも怖いものなのだ。シルヴィアはそんなアリスの肩を抱き、彼女を落ち着かせる。その甲斐もあり、アリスは意を決して再び聞く姿勢を見せる。
「父さんは自分が俺を殴ったことを知った瞬間に俺に泣いて謝ったよ。俺も痛かったけど、父さんが無理して俺達のために頑張ってくれてることを知ってたから大丈夫だと許した。けど……そこから徐々に父さんは狂い始めた」
ギルバートはここに来ておおよその流れを察し始める。莫大な数の本を読んでいた彼には、片親となった家族の最悪な行く末もいくつか心当たりがあったのだ。
「最初は酒を飲んで帰ることが多くなった。その回数が増えるたびに俺が殴られる回数も増えていった。途中から謝られることもなくなって、俺のおかげで生きていけるんだからと酔ってる時は殴られ続けた」
アリスは側にいるシルヴィアの服をキュッと握る。その手は震えており、当時のレイのことを思い苦しんでいるようだった。シルヴィアは私も君と同じ思いだよ、と震える握り拳を優しく手で覆った。
「しばらくすると父さんは仕事に行かなくなった。酒を買い込み、家で飲んだくれる毎日だ。食費と生活費も酒代で持って行かれて、俺とアリアは満足に食べることも難しくなっていた。……本当に腹が減った時は他所のゴミを漁ったりもしたよ」
みんな贅沢だから食べ残しも多くてな、とこちらを見ないで自嘲気味に笑うレイにギルバートはさらに苛つきを募らせる。生きるために必死に足掻いているだけなのに、何故そんな風に笑うのかと。
「酒に溺れ、暴力も増え、仕事を辞めた父さんは最後に……薬に手を出した」
薬という単語にピンとこないシルヴィアとアリスだったが、ギルバートは違った。マグル界の知識を蓄えており、また合法的なマグル製品を扱う商会育ちであるため、マグル界でも違法な製品にも通じていた。だから知っている。レイが言う薬がどれほど危険なものなのかを。
「子供の俺は父さんが白い粉を吸い込んだり、注射器を腕に刺してるところを見ても不思議に思わなかった。というよりも、それを使えば父さんは昔のように優しくなったから大歓迎だったよ。……でも、それが決め手だった」
シルヴィアとアリスは薬について知らなかったが、それが手を出してはいけないものであることを何となくではあるが悟る。そして、それは的中する。
「ギルバートは知ってるだろうけど、俺が言った薬っていうのは一時の快楽を得る代わりに副作用で頭と身体を徐々に蝕んでいくんだ。そして、最後は取り返しのつかない異常を引き起こす」
幻覚を見たり、苦痛に見舞われたりな、と当時の父親の様子をレイは思い起こす。薬が切れ、身体中を掻き毟って苦しむその姿を。そして、早くもってこいと泡を吹き、目を血走らせて幾度も暴力を振るってきたその姿を。
「さらに最悪なのは、この薬ってのは依存性が強いところでな。一度手を出してしまえばやめることはほぼ不可能なんだよ。さっき言った副作用の苦しみも、薬を使えば一時的に逃れられる。だから、やめられない」
レイがこれを知ったのは、裏路地でゴミを漁っていた時にお世話になった老人に聞いたからだ。しかし、全てを知った時には何もかもが手遅れだった。
「酒も薬も、俺は止めさせたかった。だけど俺が止めるように言えば殴り飛ばされ、酒と薬が切れれば蹴り上げられた。ただでさえ気まぐれに手を上げられる事も多いのに、痛い思いをしたくなかった俺は、壊れていく父さんを黙って見ていることしかできなかった」
レイは伏せていた目を上げて天井を見る。しかしその視線の先は天井ではなく、もっと遠く……過ぎ去りし遠い時を見ている。
「いや、それだけじゃないな。怒り狂った父さんが怖かった。たった二人しかいない家族である父さんに嫌われたくなかった。そしていつか、昔の優しい父さんに戻るかもしれないと、自分は何も行動する事なくただ俺は耐え、待ち続けた」
それは今のレイを知っていれば信じられないことだろう。怖かった、嫌われたくない、耐えて待ち続ける。どれもレイに似つかわしくない。しかし、その経験があって今の彼があると思えば、ひどく納得のいくものでもあった。
「けれど、そんな日が来ることなんかなかった」
今までの自嘲混じりの声色ではない。自身の罪過の重さの如く、黒く深い声色。
当然、それはシルヴィア達にも伝わる。彼女達はより一層耳を傾け、何一つ聞き逃すことがないように意識を集中する。
そしてシルヴィア達は……レイが父親を殺した理由を知る。
「それは、一日中雨が降りしきった冷たい夜だった。酒と薬をいつもよりも過剰に取った父さんは……アリアに、七歳の実の娘に手を出そうとした」
「なっ!」
「……っ!」
「えっ……?」
レイのその言葉は、衝撃とともに三人の全身を駆け抜ける。聴き逃すまいとしていたにも関わらず、それでも自身の耳を疑ったほどだ。
「俺は怖かった。アリアが酷い目にあうことが、父さんが変わり果てようとしていることが。……そして俺は、ナイフを手に取った」
……しかしそれは同時に、レイが父親を手にかけるには十分な理由だと納得させるものでもあった。
「俺はアリアに覆い被さる父さんを後ろから刺した。刺された痛みで仰向けになった父さんは、血に濡れたナイフを持つ俺を恐怖で埋め尽くされた表情で見上げていたよ」
目を閉じて薄く笑うレイを、シルヴィアはすぐにでも抱きしめてあげたかった。
「酔いと、薬の作用と、恐怖。大の大人だった父さんは、たった八歳の子供に手も足も出なかった。そんな父さんに俺は跨り、ただがむしゃらにナイフを突き刺した。何度も、何度も……」
わざわざ言わなくてもいいことを口にするレイに、いよいよ持って腹に据えかねるギルバートはレイが話し終えるその時をじっと待つ。
「その時の父さんの断末魔は今でも鮮明に思い出せるよ。『何で。どうして。俺が悪かった。やめてくれ。痛い痛い痛い。死にたくない、死にたくない』。だけど俺は手を止めなかった。ただ、父さんを刺し続けた」
臨場感のあるレイの言葉にアリスは耳を塞ぎ、目閉じて逃げたくなる。しかし、レイが辛い思いをしてでも自分達に話して聞かせてくれていることから逃げたくなかった。痛々しいその姿を、放っておきたくなかった。
「……気が付けば、俺は立って父さんを見下ろしていた。父さんは血で真っ赤に染まって死んでいたよ。最後まで俺を見ていたであろうその顔に、恐怖を貼り付けたまま」
レイが自分がしでかした罪を語り終える。場は、かつてないほどに重く苦しい沈黙が支配していた。しかし、そんな場に不釣り合いなレイの軽い口調が嫌に響く。
「で、その後しばらくしてミネルバさんがウチに来て、俺とアリアは助けられた。ミネルバさんは俺達の後見人になってくれて、昔から友好があったじいちゃんとばあちゃんに養子として預けたんだ」
だから俺にとってミネルバさんは恩人なんだよ、と言うレイにシルヴィア達はまた一つ納得する。これでレイとミネルバの仲の謎が解けた。特にシルヴィアとギルバートはレイの過去とミネルバには何か関わりがあると予想していたので尚更だ。
「恐怖によってただ耐えて待ち続けた俺は、しかし同じ恐怖によって最後は父さんを手にかけた。恐怖から逃げはしなかったが、結局は負けてしまった」
再び自嘲混じりに笑うレイを、もう誰一人として見ていたくはなかった。しかしレイはそんなことなど御構い無しに自分を傷つけ続ける。
「アリアを守りたかったとか、変わり果てる父さんを助けたかったとか後からの言い訳だ。とにかくあの時、俺を突き動かしたのは恐怖だった」
その言葉は、去年友のために闇の帝王と堂々と相対し、三頭犬相手に戦いを挑んだ男のものとはとても思えないものだった。
「俺は、自分勝手な理由で家族を殺した……大罪人だよ」
忌まわしい過去をシルヴィア達に語り、レイはそう結論付けた。
これがレイが隠していた過去。シルヴィアとギルバートが彼が語るまで待とうと決意したものの真実。アリスがレイに対して欠けらも感じていなかった負の側面。
過去を語り終えたレイは再び顔を下げる。俯いたまま笑うその姿は今にも消えてしまいそうな儚さがあった。
「父さんを殺した俺にとって今一番怖いこと……それはまた大事な人を失くすことだ。俺の無力のせいで、弱い心のせいで、もう二度大切な誰かを失いたくはないんだ」
本当に怖いことを知った。痛みや嫌われることなど些細なことだ。自分の身を、心を傷つけて大切なものを守れるなら喜んでこの身をさし出そう。いくらだって傷ついてやろう。
そのために今まで努力して来た。身体を鍛えた。徹夜で勉強した。他人に冷たくなった。身体を犠牲にした。……そして今、友が害されたことでまだまだ努力が足りなかったことを知った。
「ギルはハリー達の自業自得と言った。シルヴィはハーマイオニーの運がなかったと言った。……なら、俺がその自業自得の分も、運がなかった分も身体を張らなくちゃダメだろう」
多少の無茶で大切な人を守れる確率が上がるなら、どんな無理無茶無謀もやってのけよう。
誰のためでもない。全ては、大切なもの失いたくない……自分のために。
再び教室に沈黙が降りる。その沈黙をどう受け取ったのか、レイは自嘲気味に口を開く。
「これが人殺しが無理をする理由だ。どうだ? 酷い……」
もんだろう? と言おうとして、しかしレイの言葉が続くことはなかった。なぜなら、彼の親友達がそうさせなかったからだ。
まずアリスがレイの胸に飛び込んだ。しかし彼女の頭はレイの胸には行かず、勢い余って鳩尾に突き刺さった。
次にギルバートが思い切り杖を振るった。それは未だかつてない衝撃となってをレイの額を襲い、その勢いでレイは後頭部を壁に何度かバウンドさせる。
そして鳩尾、額、後頭部と尋常ではない被害を受けたレイは倒れそうになるが、その身体をシルヴィアがそっと抱きしめた。
レイはクラクラする頭とチカチカする視界、そして腹の底からこみ上げる吐き気によって、呻くことすら出来ず悶え苦しむ。
「〜〜〜〜っ!?」
「なんだ愚か者、まだ足りないか? なら遠慮せずもう一振り喰らわせてやろう」
「ぐすっ、ひっく……れいさん、れいさんっ」
「全く君と言う男は……本当にどうしようもなくて、とても愛おしいよ」
ギルバートは杖を左手に叩いてこめかみをヒクつかせ、アリスは泣きながらレイの腹に顔を押し付ける。シルヴィアは自身の胸にレイの頭を愛しげに抱きしめた。
レイは自身の身に何が起こったか理解が追いつかないでいた。しかしとりあえず柔らかい感触と女子特有の香りに包まれているのは理解できた。
呆然とするレイの額にギルバートが杖を突きつける。
「おい愚か者、貴様先程から言わなくてもいい無駄なことをペラペラと喋ってわざと俺達を失望させようとしたな? その考えがまず気に食わん」
「な、なんのことだいたたたたっ」
ギルバートは目を泳がせて誤魔化そうとするレイの額で火をつけようとするがの如く、高速で杖先を捻り押し付ける。
「要は暴力と狂騒に溺れた父親が怖かったから殺した。大切なものを失う恐怖を知った貴様はそんなことがないように強くありたいが、まだ自分としては足りないから無理をしたい。これだけで十分であろうが」
額から煙をあげて憔悴するレイを見下ろして、ギルバートは杖を一度思い切り自身の左手に叩きつける。
「なのにわざわざゴミを喰らっただ、滅多刺しにしただとくだらん自嘲を繰り返しおって。挙げ句の果てには父親の断末魔を再現してまで嫌われようとする。実に愚かで浅はかだ。見ろ、貴様がやりすぎたせいで泣き虫は嫌うどころか貴様の境遇に完全に同情しているぞ」
目論見が外れて残念だったなと鼻で笑うギルバート。レイは未だ自分の腹に顔を埋めて泣いているアリスを見る。
アリスはギルバートの言葉やレイの視線を感じて顔を上げる。そこにはせっかくの可愛らしい顔を涙でくしゃくしゃにした泣き虫さんがいた。
「ぐすっ……れいざんっ。わだじ、わだじぃっ」
「……とりあえず、顔を拭いて落ち着こうな。アリスが俺のことを想ってくれてるのはすごく伝わったから、な?」
「ば、ばいっ……ぐしゅっ」
「ほらアリス、顔をこちらにお向け」
シルヴィアに涙で濡れた顔を拭かれ、鼻をちーんっされてようやくアリスは一息つく。苦笑しながらアリスの世話を焼いたシルヴィアは胸に抱いたレイの頭を撫でる。
「レイ、ギルの言う通りだ。君が父親を殺していたからといって、それで私達が君から離れると思ったのかい? ならばそれは私達に対するこの上ない侮辱だよ」
見上げるように見つめるレイにシルヴィアは微笑み、前髪を優しく払う。
「たとえ君が自分勝手に父親を殺した大罪人だとしても、この一年と半年、君と過ごした日々に偽りはない。君がどういう人間かは、君の家族以外では誰よりも理解していると自負しているよ」
「いやでも……」
ゴミを漁り、暴力に怯え、恐怖に負けた。こんな過去を持っていたと知られれば幻滅されるのではないか。
別に幻滅されてしまい、自分の元から離れていく分には構わない。たとえシルヴィア達に嫌われようとも、自分が彼女達を好きなのは変わらないから。
けれど、だからといって進んで嫌われたいとは絶対に思わない。でもシルヴィア達がそれで離れるのであれば仕方ないと考えていたのだ。
そんなレイの心情を察したシルヴィアはコツンとレイの頭を握り拳で軽く叩く。
「ギル風にこの愚か者、と言わせてもらうぞレイ。なら問うが、仮に私達の誰かが人に憚られるような過去を持っていたとして、それを知って君は私達から離れたいと思うか?」
それを聞いたレイは即答する。
「何言ってんだよ。そんなの別に関係ない……あ」
ようやっと、本当にようやく気が付いたレイの間抜け顔を見て、シルヴィアはその頬を撫でる。
「そういうことだよ、レイ。確かに君は酷い幼少時代を過ごしたのだろう。暴力と恐怖に屈したのだろう。……人を殺すという、取り返しのつかない罪を犯したのだろう」
言葉とは裏腹に、レイの頬を撫でるその手は、向ける笑みは慈愛に満ちていた。
「だがその経験があって今の君がいる。私達が愛し、認め、尊敬する君がいるんだ」
シルヴィアの笑みを見つめたレイは、次にお腹の上にいるアリスと、側で静かに佇むギルバートに目を向ける。
目を向けられたアリスは目尻に涙を溜めながらも精一杯の笑みを浮かべ、ギルバートは鼻を鳴らして眼鏡の位置を整える。
恐怖に負けて罪を犯した自分に対して、いつものように向けられる好意。それは光となって、心の奥底で大切な誰かを失うことに怯えながらも傷だらけで戦い続ける小さな少年を照らす。
「だからもう、そんなに自分を責めないでおくれ。そんな君を見るのは胸が痛いのだ。……君のそばには、私達がいるのだから」
呆けるレイの頭を抱き、耳元で囁くように語りかけるシルヴィア。
「君が自身の力不足を嘆くのであれば、私達が全力で君の力となろう。君が大切なものを守るために己が身を投げ出すのであれば、私達も自身の命をベットしよう。君が大切な誰かの死という恐怖に怯えるのならば、私達が君の大切なものを守り抜こう」
囁きは言葉を発するごとに力強さを増していく。レイはシルヴィアを見上げる。そこには覚悟と決意を秘めた美しい灰色の瞳があった。
「そして、レイ。君が自分のためにと茨の道を歩むのであれば、私達も共に行こう。全ては、大切な君を失いたくない……私達のためにな」
「シルヴィ……」
レイはシルヴィアのその声色に聞き惚れ、まっすぐ見つめるその瞳に見惚れる。シルヴィアは惚けるレイを愛しそうに微笑む。
そんな彼女に続いてギルバートはレイに鋭い視線を向ける。
「貴様程度が無理をしたぐらいで何がどう変わるわけがないだろうが愚か者。人一人の力など、たかが知れているのだからな」
眼鏡の奥にある鋭い目がレイを穿つ。その眼力にレイは気圧されるが、次には鋭さを持った眼を閉じて深く息を吐いた。
「なら素直にそこの天才や俺を頼れ。であれば、下手に無理をせずとも実力は嫌でも上がる。貴様はこの一年半、いったい何を見ていたのだこの愚か者が」
「おやギル、アリスがいないようだが?」
「ああそういえばそうだな。塵も積もれば山となる。貴様よりも落ちこぼれではあるが、いないよりはマシだろう」
「うぅっ。本当のことですけど酷いです……」
アリスがレイの腹の上で呻く。ギルバートはそれを見て軽く鼻を鳴らした後に、ポツリとレイへと呟いた。
「……それと、貴様が願うのならば最低限共に戦ってやる。それで目の前でグダグダとくだらん嘲りを聞かんで済むのならな」
「ギル……」
ギルバートはそれだけ言ってそっぽを向いた。慣れないことを言ってまで思い遣ってくれる秀才にレイは感謝の思いで胸が熱くなる。
そして最後に、腹の上で塞ぎ込んでいたアリスがレイを強く抱きしめる。
「ギルさんの言う通り、私じゃ頼りないかもしれませんけど、頑張ってレイさんの力になりますっ。それに、私はどこにも行きませんし、レイさんとずっと一緒です!」
「アリス……」
アリスの元気いっぱいの笑みを受けて、レイもつられて笑う。そんな心優しい彼女の頭を優しく撫でると、気持ちよさそうに眼を細めた。
シルヴィアの、ギルバートの、アリスの。それぞれの言葉が、乗せられた想いが、レイの内にいる小さな少年の恐怖を振り払い、傷を癒す。
今まで一人で大切な誰かを失う恐怖と戦っていた小さな少年は、自身の背中を力強く押して励ましてくれる光の正体を探して振り返る。するとそこには三人の少年少女がいた。
こうして小さな少年……いやレイは、本当の意味で自分が一人ではないことを知った。
レイは顔を俯かせる。頬を伝う暖かな光を隠すように。
シルヴィア達はその光るものに気付いていたが、誰もそのことに触れることなくただ見守る。自分が一人ではないとやっと気付いてくれた鈍感な親友である彼が、また前を向いて歩いてくれるまで。
どれくらいそうしていたであろうか。レイはそっと顔を上げる。そこには頬を伝うものはなく、また、自責の念に満ちた顔もなかった。
そこには、シルヴィア達が愛し、認め、尊敬するレイの姿があった。
「シルヴィ、ギル、アリス。ありがとな。……本当に、ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
「はいっ、はい!」
「はぁ、本当に無駄な時間を過ごしたものだ」
三者三様、いつものように言葉を返すその姿に、レイはいつものように苦笑したのだった
レイは話も終わったので身体を起こそうとしたのだが、しかし何故かシルヴィアはレイを離すことなくその頭を自身の胸に押しつけるように抱きしめた。
「ということでだ。レイが無理をしている理由も分かったことだし、君がこれ以上無理をしないように私達が力となろう」
「……あの、シルヴィさん? その気持ちは嬉しいんだけど……」
「ん? 何かな?」
レイはシルヴィアの笑みを見て、自分がからかわれている事を知る。けれど、それを指摘するのは今されている事を含めて恥ずかしくて言葉になどできるはずがなかった。
普段鈍感な彼も、流石に今の状況には動揺せざるを得なかったようだ。
ちなみに、アリスはといえば羞恥を感じることもなく未だにレイを正面から抱きしめていた。レイの過去という衝撃から戻ってきていないのもあるが、そこにはレイを男としてではなく兄のように見ている節が理由としてあげられることは否めなかった。
少し赤くなった顔を背けるレイにアリスは疑問符を浮かべ、シルヴィアはといえばそんな彼が一層愛しくなり、彼の頭を優しく撫でる。
「ふふふっ、けれどそれは明日からだな。今日はこうして夕食までゆっくりしていようか。なあ、アリス?」
「はい! レイさんも今日は私達と一緒に休憩ですっ」
「……もう、好きにしてくれ」
この時、こういう話題については男は絶対に勝てないと知った12歳のレイだった。
そんな三人の姿をギルバートは深いため息とともに眺めたあと、その横に座り込んで手持ちの呪文書を読み耽る。
なんだかんだと言いながらも、秀才殿もレイの力になれるように密かに新たな知識を蓄えていくのだった。
次回、傍迷惑なバレンタインデー。