選ばれし者と暁の英雄   作:黒猫ノ月

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甲 零さん、ゼアムさん、烏瑠さん、誤字脱字報告ありがとうございます。


幕間 エリス家のとある一夜

名のある楽団が奏でるゆったりとしたリズムが、一際大きな会場を優しく満たしている。

 

会場では談笑する人々が其処彼処におり、天井から吊るされた大きなシャンデリアが煌びやかに着飾る彼らをクラシカルに映えさせる。

 

一夜限りの懇親を旨としたパーティが、魔法界に名を連ねる大商会……エリス家の屋敷で開催されていた。

 

「ふむ、やはりエリス会長が主催するパーティは素晴らしいな」

 

「ええ。振舞われる晩餐といい、この趣深い会場といい、自己主張の激しい成金どもにも見習って欲しいものですな」

 

「いや全く」

 

ふと、そのような会話が会場のとある場所から聞こえてきた。そこは会場に併設されたバルコニーで、男性二人がシャンパンを片手に笑い合っている。

 

このパーティにはある程度の力を持つ商会の会長や魔法界の政治を担う政治家、一大商品を開発した研究者など、どの界隈でも己が手腕を発揮させている大物達が招かれている。

 

そんな彼らもそこそこの力を持つ商会の会長であり、現在はエリス商会の傘下に加わる者達であった。

 

見事な顎髭が特徴の男性が、嘲笑を讃えてある場所に目を向ける。

 

「見てみろ。会場の真ん中でいやらしい笑みを浮かべながら餌に集る金色の豚共を。偽りの栄光を欲して次期エリス商会会長殿に擦り寄っておるわ」

 

その言葉に促されるように、タレ目が特徴の男性が会場内に意識を向ける。顎髭の男性が発したその声は存外大きかったようで、バルコニーにいた他の招待客もそちらに目を向けた。

 

そこにはたしかに欲望に目を濁らせた者達が、とある美しい母娘を囲むように会場の真ん中を支配していた。先ほど顎髭の男性が言っていた所謂成金と言われて遜色ない者達だ。

 

ここからでも少なからず中の会話が聞こえてきており、あからさまなおべっかや商談の持ち込みなどを母娘にしている様子だった。

 

場を弁えずに自身の商会が扱う物品の商談を頻りに持ちかける、この会場でも弱い立場の者達。いきなり現れた、自身の躍進を施してくれるかもしれない飛び立つ前の雛。自分を売り込むにはうってつけの相手であった。

 

そんな雛鳥に群がる姿はまさしく、金という名の餌に群がる豚のごときものであった。

 

それを笑顔で対応している母娘。違うのは、母親は心底嬉しそうに微笑みを浮かべているのに対し、娘の笑みがぎこちないところか。

 

彼女達は共にブルネットの髪色で、母は髪をパレットで纏めた細面の美人で、娘はウェーブのかかった髪を後ろで束ねた母親似の美しさを持っていた。

 

彼女達の名前はロザリンド・エリスとジェシカ・エリス。エリス商会会長、ウォーレン・エリスの妻子にして、ギルバートの義母と義妹である。

 

実はこのパーティ、懇親が目的のものであったが、開催の宣言と共にウォーレン直々に発表があったのだ。それが次期会長の指名であり、そこで名を呼ばれたのがジェシカであった。

 

つまり、このパーティは予想を裏切って指名された次期会長のお披露目と将来に向けての足場作りという面も含まれていたのだ。

 

外へと向けられたはじめての公表。だが、こちらは予想通りとも言えばいいか。この発表を心から祝福している者などこの会場に招かれた半数にも満たなかった。

 

その際たる者達がこのバルコニーにいる者達で、会場の中央で繰り広げられる醜い有様に見ていられず、避難してきていたのだ。

 

バルコニーに次々と溢れる溜息。彼らは皆、これからの商会の未来に嘆いていた。

 

その一人であるタレ目の男性はその顔に似合わず毒を吐いた。

 

「見るに堪えませんな。エリス会長は素晴らしい御仁だが、この判断はその全てを覆しかねない愚行です」

 

「言葉が過ぎるぞ。エリス商会にとって、マクフォール家は最古参の幹部の一人。無視できるものではない。それに……ご子息も納得しておられるのだ。我々一傘下が口を挟むことではないだろう」

 

「孤独な秀才、ギルバート殿……ですか」

 

その言葉は、心の底から残念そうな声色を伴っていた。それはその話を耳にしていた者達も同様で、再び零す溜息には先程の侮蔑や呆れの色はなく、ただただ惜しいという思いが込められていた。

 

孤独な秀才、ギルバート・エリス。

 

妾の子であり、幼少の頃はロザリンドを中心としたマクフォール家によって蔑ろにされた悲運の子。

 

しかし己が無力を恨み、文字通り血反吐を吐くように知識を蓄えて力を得たことでマクフォール家を跳ね除け、エリス商会に明確な立場を自力で作り上げた誰もが認める真の英才。

 

そんな彼は、挨拶もそこそこに早々に会場を退出していた。その行動は、自分には誰とも縁を作るつもりはない。つまりは義妹の次期会長発表に納得していることを暗に示していた。

 

それは挨拶でも明確に述べており、自分は商会を継ぐ気はなく、自立することを話していた。

 

「彼を説得しに向かった者達も無駄であろうな。挨拶の際、ご子息に確固たる決意が垣間見えた。あれは商会を継ぐ気がないというより、継ぎたくないというのが本音なのだろう」

 

ギルバートのことについて語るその声には、次期会長であるジェシカにはない彼を敬う色が見て取れる。それはタレ目の男性も同じであり、ギルバートがどれほど期待されていたかが分かる。

 

「ギルバート殿の才は、エリス商会という大きな器でさえも受け止めることはできませんか。いやはや、本当になんと勿体無い」

 

「なに、もしかすればご子息は自身の力で起業するやもしれんぞ? その時はエリス商会からの鞍替えでもすればよい」

 

「はっはっは、それはたしかに。将来的に見れば、どちらが我々にとって利があるかなど火を見るよりも明らかですからな」

 

商人はなによりも己の利を優先する。そのためならば長年付き従った縁など簡単に切り捨てよう。

 

ここで誤解がないように言っておくが、次期会長に選ばれたジェシカは決して愚者ではない。エリス商会を継ぐに足る才はたしかにあるのだ。

 

しかし、比べる相手が悪すぎた。常識範囲内の才を持つ正妻の子と常軌を逸する才を持つ妾の子。商人にとって血筋など些細なこと。求められるのは、より多大な利益を生みだす才なのだ。

 

バルコニー内にいる者達は、いわゆる真に商人として相応しい者達だ。だからこそ、半ば冗談とも取れる先程の鞍替えという言葉に真剣に思考を巡らせる者も少なくなかった。

 

しかし、そこで鞍替えを口にした当人である顎髭の男性が彼らを現実に引き戻した。

 

「まあ、このままいけば……ご子息はレドモンド商会に婿入りという形になるのだろうがな」

 

その言葉はバルコニー内に一時の静寂を生んだ。そして次には再び残念そうな溜息が至る所から零れ落ちる。

 

レドモンド商会。

 

エリス商会に並ぶ大商会で、これまで両者の間では商い戦争が激しく繰り広げられていた。

 

しかし、つい数年前にその争いに終止符が打たれることとなった。

 

なんと、レドモンド商会のご令嬢がギルバートを婚約者にしたいとエリス商会へと申し込んできたのだ。これをウォーレンはいい機会だと了承。これを機に、両商会は同盟を締結させたのだった。

 

そう。そもそもの時点でギルバートはエリス商会に固執する必要はないのだ。なぜならば、ギルバートが望めばすぐにでもエリス商会と同じほどの権力が手に入るのだから。

 

「ですが、たしかギルバート殿はこの婚約を望んではいないという話だったのでは?」

 

「そう聞き及んではいるが、果たしてご子息は最後までレドモンド商会を跳ね除けることが出来るだろうか? 今回の相手は一幹部や血縁である父親ではない。彼の才のためならば、レドモンド商会も全力で彼を取り込みにかかるだろう」

 

「うーむ……」

 

そう言われてしまえば、首を傾げざるをえない。ギルバートはたしかにずば抜けて優秀だ。しかし、一人の力など高が知れている。レドモンド商会が本気になれば、抵抗も難しいと言わざるをえないだろう。

 

そして、例えばもしギルバートがレドモンド商会の次期会長になれば、自分達の割り込む隙間は無くなってしまう。自分達を今更受け入れるほど、レドモンド商会は軟弱ではない。

 

「こうなってしまえば、ギルバート殿には是が非でも頑張っていただきたいものですな」

 

「まあ、ご子息が起業するかなど分からんがね」

 

「それもそうですな、はっはっは。……っと、レドモンド商会といえば、噂の才女殿は見当たりませんな」

 

タレ目の男性の言葉に、顎髭の男性は一気に顔をしかめた。

 

噂の才女とは、レドモンド商会のご令嬢のことである。その美貌は数多の男達を虜にし、類稀なる商才はすでにレドモンド商会にいくつも利益をもたらしている。

 

ではなぜ彼がそのような反応をするかといえば、過去に自身の息子がかの才女に弄ばれたからである。18の青年が、齢11の少女に。

 

息子が商会の金まで手をつけてかの才女に貢がせようとしていたところを寸でのところで見つけることができたのは幸運だっただろう。

 

かの才女の性格は、もはや誰しもが知っている。男が自分に従う下僕となるのは当然、逆らう者は大商会のコネや自身の才でもって容赦なく叩きのめす。上っ面とは違う、醜く歪んだその性格。

 

しかし、かの才女の被害にあう者は後を絶たない。男はその美貌と才ゆえの口のうまさに魅了され、女は気まぐれに弄ばれる。

 

かの才女は、現在齢15とは思えない魔性の悪女であった。

 

しかし、かの才女が唯一痛い目にあい、思い通りにならない存在がいる。それが……。

 

「……おそらく、ご子息の元だろう。あのめ……才女殿はご子息に夢中ですからな」

 

顎髭の男性は危うく女郎と吐き捨てそうになったところを堪えて、苦々しくそう口にした。タレ目の男性はその表情に彼が何かしらの被害を被ったことを悟り、すぐさま話題を切り替える。

 

かの才女の被害にあった者にはそっとするのが暗黙の了解となっていた。

 

「そ、そうですな。ギルバート殿はウォーレン殿に似ておモテになる。ところで、確かギルバート殿はホグワーツ魔法学校に在学中とのことですが、今年から次期会長殿もご入学されるとか……」

 

こうしてタレ目の男性は顎髭の男性の意識をかの才女から逸らせることに成功し、再び話に花を咲かせるのだった。

 

………………

…………

……

……

…………

………………

 

屋敷で催される懇親会の賑やかさとは打って変わって、眼鏡をかけた少年がいる場所は静謐であった。

 

屋敷の庭の一角に建てられた石造りの東屋。そのテーブルには本が数冊重ねられており、少年がページをめくる音だけが周囲にいやに響く。

 

夜であるはずなのに、本を読み進めていくのに明かりは必要なかった。なぜならば、星明かりさえも消し去る月光が東屋に優しく差し込まれていたからだ。

 

その明かりを頼りに少年……ギルバート・エリスは本を凄まじい速さでもって読み進めていく。彼がここにきたのは一時間程前であるが、厚さ5センチの本をもう読み終えようとしていた。

 

ギルバートは本の内容に集中しながらも、胸の内で小さく舌打ちをする。彼の予定では、この本は20分前に読み終えていたはずだった。しかしこの場所を見つけ出した、ギルバートを後継者として諦めきれない者達の説得という名の邪魔のせいで初めの頃は本を開けなかったのだ。

 

その者達もギルバートの取りつく島もない様子に落胆を見せた後に懇親会へと戻っていた。しかし、彼らに諦めの色がなかったのは見ている。

 

愚か者どもがと独り言ちていると、その間に本を読み終えてしまった。

 

ギルバートはぱたんと音を立てて本を閉じる。そしていつもなら次の本にすぐさま手を伸ばすのだが、彼は大きく深いため息をついて自身の背後から近づく招かれざる来訪者に口を開いた。

 

「何の用だ悪女? 生憎と今の俺は気が立っている。邪魔をするならば数年前のように容赦はせんぞ」

 

 

 

「一年ぶりに貴方の前に咲いた麗しき一輪の華。それを踏み潰さんばかりのその物言い。貴方は本当に変わりませんわね、ギル」

 

 

 

呆れたような物言いとは裏腹に、ギルバートに悪女と揶揄された少女は微笑を浮かべる。

 

月明かりの下、ギルバートの前に現れた少女。

 

その背中まで伸びた艶やかな黒髪。美しくも妖艶な面持ちに紅の口紅が映え、金色の瞳が誘うように輝く。そして身につけている黒を基調としたパーティドレスは、艶かしい彼女の肢体をしっとりと包み込んでいた。

 

全身を黒で覆われた彼女の姿は、闇夜よりもさらに奥。深淵が人の心を狂わすために形を成したと呼ぶに相応しい姿であった。

 

闇の体現者とも呼べる彼女の名前はユーニス・レドモンド。ギルバートの婚約者にして、数多の老若男女を弄んできた悪女である。

 

ユーニスはギルバートの警告を華麗に受け流し、落ち着いた足取りで彼の側まで歩み寄る。そして自身を射殺さんばかりに睨みつけるギルバートの頬を撫でて彼の隣に隙間なく腰を下ろした。

 

密着する艶かしい肢体に鼻孔をくすぐる妖しい香り。そして自身に向けられる警戒心を失せさせる天上の微笑み。

 

並の男ならこれだけで彼女の虜になってしまいそうではあるが、しかしギルバートは首に手を回そうとするユーニスを払いのける。

 

「暑苦しい。離れろ悪女」

 

「いやですわ。久しぶりに貴方を感じたいの」

 

「……離れろ」

 

「い・や」

 

ふふっ、とユーニスは楽しげに笑みをこぼした後、ギルバートに抱きつくのはやめて彼の肩にコトンと頭を乗せる。その際、彼女の出で立ちを思わせる妖艶な香りがふわりと舞う。

 

鼻孔をくすぐるその香りにギルバートは眉を一つひそめるだけで特に反応することもなかった。その反応をひっそりと見ていたユーニスは、この香水は“当たり”だと胸中でぐっと拳を握った。

 

ギルバートは意識を集中させていることが多いためか外的要因に敏感だ。それは音であり、光であり、匂いもである。

 

故に彼にいつも身を寄せるユーニスは自身を彩る香水選びにはかなりの労力を要している。かつて、彼の好まない香水を身につけた時は近づかれるのも嫌だとすぐさま距離を置かれてしまったのだ。

 

ただ一人自分に靡かないギルバートをなんとしてでも堕としたいユーニスは、少しでも彼に振り向いてもらえるよう努力を怠らない。

 

側から見ればそれは恋する男の子を振り向かせたい女の子の純朴なものであろうが、真実は黒い感情からくる執着だ。

 

少なくとも、彼の元に通うようになったはじめの頃はそうであった。今、彼女がどういう心境かは誰にもわからない。

 

ギルバートは自身の肩を枕にする悪女の姿に、慣れたように溜息をついてテーブルの上の本に手を伸ばす。そして、知識の蓄えを再開した。ユーニスは素早くめくれていく紙の音に懐かしさを覚えながら、瞳を閉じてその音に身を任せた。

 

それからしばらく、ページをめくる音だけが二人の間に流れる。月明かりの下で二人が寄り添う姿は、絵画にするにふさわしく、お似合いのように思えた。

 

しかし、それもギルバートがまた一冊読み終えたことで終わりを迎える。音を立てて本を閉じたギルバートは、肩を揺らしてユーニスを退かした。

 

「もういいだろう。さっさと失せろ」

 

「……もう、貴方だけですわよ。この私との逢瀬を喜ばない殿方は」

 

「ふんっ、自分の胸の内を抉り出して存分に眺めてから口にするんだな。貴様のような醜悪な女など、視界に入れるだけで吐き気がする」

 

「あら、私の何処が醜悪ですの? 私ほど人の美しさを体現した女などいませんわ」

 

ユーニスは腰を上げ、ギルバートの前で己の肢体を存分に見せつける。開いた胸元やくびれた腰、曲線を描く尻は、妖艶な笑みを浮かべるその表情も合わさって、男の欲望を悉く駆り立てる。

 

それは確かに、『人』というものを体現した美の一つの集大成とも言えるだろう。

 

だがしかし、それもギルバートの心には何の波風も立たせない。

 

「欲望を体現した、の間違いだろうが。貴様が美しい? 笑わせるな。貴様など、真に『美』と呼べるものを持って他者を魅了する“あいつら”の足元にも及ばん」

 

ギルバートはここ数年共にいる二人の少女の姿を脳裏に思い浮かべる。憎たらしく笑みを浮かべる天才とおたおたと涙目で慌てる泣き虫の姿が一番最初に思い浮かんだ時点で、彼は大きくため息をついた。

 

しかし、今のギルバートの姿は目の前の悪女の闇を深くさせた。

 

「……へぇ?」

 

それは、絶対零度を伴って聞こえてきた。

 

自身の『美』に絶対の自信がある自分に見向きもしない目の前の男が、自身に敗北の味を教え込んだ秀才が、美しいと認める女。しかもそれが一人ではないと家族以外で唯一認める男が口にする。

 

そしてその存在に対するギルバートの態度。小さな機微に聡く、それ故に他者を陥れることに長けているユーニスはだからこそ気づいた。彼のそれは、自身には決して許してはくれない彼の心に足を踏み入れたものに対するものだ。

 

その存在を、ユーニス・レドモンドは許さない。

 

それはもはや嫉妬とも呼べないどす黒いものとなってユーニスから溢れ出す。

 

闇の体現者の本領。

 

今の彼女を見れば、誰もが直視できずに恐怖に身を竦ませるだろう。

 

ユーニスはギルバートに鼻先を付き合わせるように近づき、自身を照らす月とは違う……三日月のように口を割いてギルバートに尋ねる。

 

「それは、どんな方々ですの?」

 

だがしかし、目と鼻の先で黒を纏うユーニスに動じることなくギルバートは彼女を嘲笑する。

 

「ほう? 珍しいな、貴様がそのような顔をするのは。自身の美しさとやらに自信があるのならば気にする必要はないだろう?」

 

「…………」

 

ユーニスは挑発するようなギルバートのその言いように反応することはなく、ただ一際口角を割く。

 

しばし見つめ合う両者。しかし埒があかないと折れたのはギルバートだった。彼はもう一度鼻を鳴らして目の前の悪女の問いに答える。

 

「ふん。少なくとも、貴様のように無理矢理全てを自分に染める風情のない馬鹿ではない」

 

笑みを貼り付けたように表情を一切変えないユーニスを一瞥した後、ギルバートは自身が心許す友の美しさを語る。

 

「一人は、自身の持つ百年に一つとしてない希少な色に群がる者共を袖にしておきながら、その色をわざわざ傷だらけの旗に挿しこもうとする愚か者だ。平凡で、しかして泥と血に塗れる……戦塵の中ではためく旗に、な」

 

そう語り出したギルバートを間近で見ていたユーニスは、次の瞬間自身の金色に輝く瞳を疑った。

 

それに気付くことなく、ギルバートは月を見上げて続ける。

 

「そしてもう一人は、何者にも染まりそうでありながら、だがしかし自然と周囲を自身の色に染めてしまう泣き虫だ。その優しさで、その愛で、闇に揺蕩う影の住人でさえも自分の色に染めようとする……本当に愚かな奴だ」

 

「……っ!」

 

そして、目の前の光景が嘘ではないことを確信したユーニスは表情を取り繕えなくなり、内から溢れ出る感情の本流に堪えるように下唇を噛みしめる。

 

なぜ彼女がこのように自分の感情を持て余すほどに動揺してしまったのかといえば、ひとえに自身の友について語るギルバートのせいだ。

 

ギルバートとしては、一歩も引かない悪女に仕方なくいつも通りに親友達へと毒を吐きながら自身が思う彼女達の魅力を普通に語っただけなのだが、ユーニスから見たギルバートは違った。

 

それは僅かな機微だ。ギルバートのことをよく知らない者からすれば分からないほどの僅かな違い。

 

だが、ユーニスは気がついた。元から聡い質であったのもそうだが、ここ数年、隙あらば共に過ごしてギルバートを側で見てきた彼女だからこそ。

 

そこには、決して……そう、決して今まで誰にも見せたことのない穏やかな笑みを浮かべた、秀才の姿があったのだ。

 

孤独から解放された、孤高の秀才の姿が。

 

誰もが成し遂げることができなかったことを、自分が数年をかけて臨んでいた事業を、ぽっと出の女二人に持っていかれてしまったのだ。

 

ユーニスは、ここで再び敗北を喫してしまったことをいやでも理解させられてしまった。会ったこともない、何処ぞの馬の骨ともしれない女二人に。

 

人生で二度目の敗北。やはりその味は酷いものであった。

 

「…………」

 

しかし、ここで怒りに任せるのは美しくない。……何より、感情に任せて彼の前で動揺するのは自分のプライドが許さない。

 

そう自分を律したユーニスは黒い衝動をすっと消し去った。しかしそれは側から見ただけであり、彼女の内でその衝動は今でも彼女を突き動かしているのだが。

 

数多の老若男女を弄んできた悪女の本領発揮といったところか。その裏表の変化はあのギルバートでさえ気が付かなかった。

 

突然消え去った黒の気配。そのことに片眉を上げて見上げていた月から目の前の悪女へと意識を向けたギルバートであったが、その一瞬の隙が命取りであった。

 

そっ……とギルバートの頬に伸ばされる、今にも折れてしまいそうな細く白い美しい指先。

 

そして……。

 

「ん……」

 

「っ!?」

 

淡く、優しく。穏やかに降り注がれる月光。

 

 

 

そんな月明かりの下で……二人は、口付けを交わした。

 

 

 

「っ!!」

 

ギルバートはすぐさまユーニスを振り払い、彼女から距離をとった。その右手には杖さえ握られており、これ以上ユーニスが何かをすればギルバートは遠慮なく杖を振り抜くだろう。

 

左手の甲で口元を隠して毛を逆立てる猫のように警戒するギルバート。その尋常ではない彼の新しい一面を見て満足したユーニスは、彼の初めてを奪ったいけない唇に人差し指を当てて艶やかに微笑む。

 

「ふふふっ、初めて貴方に勝てましたわね。やはり勝利というものは麻薬のように抗いがたい魅力を伴うものですが、それが貴方からともなれば……んっ、身体の火照りが治りませんわ」

 

「……この、淫売が」

 

目元を潤ませて頬を染め、艶やかな肢体をくねらせる悪女にギルバートは悪態を吐く。しかしそれすらも快感というかのようにぶるりと身を震わせたユーニスは、最後に彼にゾッとするほど妖艶に微笑んだ。

 

「今日のところは貴方からの勝利と初めてを奪えたということで満足しますわ。それではギル、また明日。うふふふふっ」

 

そう言い残して、ユーニスは艶やかな黒髪と滑らかなドレススカートを翻し、屋敷に向けて去っていく。彼女が去りゆく様を、ギルバートはその背が完全に消え去るまで睨み続けた。

 

「…………」

 

そして彼女が姿を消したのを確認すると、ゆっくりと警戒の糸を解いていく。杖をしまい、口元に手を当てていた左手を下ろそうとしたところで、ギルバートは気付いた。

 

その甲に、紅の証が付いていることに。

 

「……ちっ、猛省だ」

 

そう吐き捨て、ギルバートは思い切り口元を拭った。

 

二人の秘め事は、ただ月明かりだけが知るばかりである。




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