また今年もこの時期がやってきた。
ロンドンにあるキングス・クロス駅では、如何にも魔法使いですといった格好をした者達が跋扈し、9番線では人が柱の中に消えていったという世迷いごとを吐かす者が増える。挙げ句の果てには「9と4分の3番線は何処ですか?」と駅員をおちょくる者まで出てくる始末だ。
キングス・クロス駅に配属されている駅員にとって、この時期は頭がおかしくなりそうになるのだ。
だが、不思議と彼らは数日も経てばこの時期の出来事を笑って受け入れられている。
そう、まるで……魔法にかかったかのように。
しかしそれは少し先の話。現在進行形で駅員達の頭を悩ませている原因の中にレイ達はいた。
マクスウェル老夫妻に連れられ、マグルの群衆に紛れて9番線に入る。そして一行は躊躇なく4分の3番線へと続く柱へと姿を消し、それを偶然見ていたマグルに対処すべく駅員は今日も身を粉にするのだった。
「なあシルヴィ、さっきは何処にいってたんだ?」
「ふふふっ。淑女の行動は逐一問わないのが紳士というものだよ、レイ」
親と子のしばしの別れの声で賑わう9と4分の3番線。そこに何事もなく辿り着くことができたレイが不意にそんなことをシルヴィアへと尋ねた。
先ほど少し一行と行動を別にしていたシルヴィアは、悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。
「しかしまあ、どうしても気になるというのなら君にだけ教えてあげよう。なにせ私の最愛の頼みだ。さあこっちにおいで?」
そう言ってシルヴィアはおもむろにレイの手をとってとある場所へと向き直り……。
「ちょっ、ちょっとシルヴィアっ!? 貴女レイを何処へ連れて行こうとしてるのよっ!」
そんな二人を、ここ数週間でお互いファーストネームで呼ぶようになったエステルが血相を変えて全力で止めた。それはそうだろう。なにせシルヴィアがレイを連れて行こうとした場所は……。
「何処って、それは……」
「わーっ! わーっ!! 言わなくていい! 言わなくていいからぁっ!!」
自身を淑女と口にしたにも関わらず、恥じらいもなくその場所を口にしようとするシルヴィア。それを今度は顔を熟したリンゴのように真っ赤に染めたエステルが大きな声を上げながら大振りに腕を振って阻止した。
彼女が最愛を何処へ連れて行こうとしたのか。それは読者の皆様のご想像にお任せする。
「…………俺が悪ぅ御座いました。どうか勘弁してください」
他者よりも圧倒的に鈍いことで有名なレイも、流石に気付いた。それもあって、本当に申し訳なさそうに深く頭を下げている。
「ふふっ。素直な君も素敵だが、年頃の少女は色々と気難しい。目の前のエステルのようにな。その辺りを察することが出来れば好感度アップは間違いなしだ。……いや、それだと私が困るからやはり君はそのままでいてくれ」
「いやどっちだよ。……とにかく今のは俺が悪かった。ステラもごめんな、流石にデリカシーがなかったわ」
「う、ううんっ! 気にしないで、今のはシルヴィアが絶対に悪いから」
大振りに手を振ったエステルはシルヴィアをきっと睨みつける。しかし当の本人は優雅に髪を耳にかけて素知らぬ顔だ。
そんな二人の間でレイが不思議な顔をし、それを眼鏡の少年が頭が痛そうにこめかみを抑え、金髪の少女がオロオロと見守る。この光景は、この数週間の間でよく見られたものだ。
そして、そんな義息子の楽しそうな姿を少し遠くで優しげに見守るマクスウェル老夫妻の姿も定番である。
だが、いつまでもこうしてはいられない。早めに来たとはいえ、ホグワーツ行きの列車のコンパートメントには限りがある。全員が一緒に乗るのならば、早く搭乗したほうがいいだろう。
この場で誰よりも冷静であるギルバートがそのことを口にしようとしたのだが、その前に一行は快活な女性の声に呼び止められた。
「聞き覚えのある喧しい声が聞こえてきたと思ったらやっぱりあんただったかい馬鹿娘。母親として恥ずかしいからもうちっと恥じらいってものをもって欲しいもんだねぇ」
「お、お母さんっ!?」
一行が振り向くと、そこにはエステルの母であるラティーシャ・マクレイアがニヒルに笑みを浮かべながら立っていた。彼女は二人の子供を連れており、一人は仏頂面で目つきの悪い少年だ。そしてもう一人はふんわりと柔らかい笑みが特徴の少女だった。
突然の家族の登場に驚くエステルに、ラティーシャと並んでいた少女……フィリシア・マクレイアが駆け足で抱きついた。
「スー姉久しぶり〜」
「っと。ふふっ、久しぶりフィー。元気にしてた?」
「うんっ」
再会を喜び合う姉妹。その横で、ラティーシャがマクスウェル老夫妻に挨拶をしていた。
「この度はうちの馬鹿娘を預かっていただきありがとうございました。なにかおかしなことをしませんでしたか?」
「いえいえ、とても賑やかで楽しい毎日でしたよ」
「ええ、家事のお手伝いもしてもらって。エステルさんはとてもいい子でしたよ。自慢の娘さんですねぇ」
「とんでもない。いつも御宅の息子さんに迷惑をかけてばかりで……」
親同士が当たり障りのない話をする中、少し遠くで一人、あいも変わらず仏頂面でいるのは少年……グレン・マクレイアだ。
それに気付いたエステルが、久しぶりに再会した弟に声をかける。
「どうしたのグレン、そんなところにいないでこっちにおいで?」
「……おう」
姉に呼ばれたグレンは渋々といった感じで姉の横までやってくる。そしてエステルは、隣に並ぶ家族をレイ達に紹介した。
「紹介するね。この子がフィリシアで、こっちがグレン。私の大切な家族」
「ボクも今年からホグワーツに行くんだぁ。よろしくね〜」
「…………」
「むっ、グレン?」
「……ちっ、どうぞよろしくお願いします。これでいいんだろ」
「んもう。ごめんね? 根はいい子なんだけど……」
絶賛反抗期である弟の生意気な様子に申し訳なさそうにするエステル。それを受けて、一人はいつものように余裕ありげに、また一人はおどおどと落ち着きなさそうに、そして一人は興味なさそうに鼻を鳴らす。
最後の一人であるレイは、肩をすくめて苦笑した。
「気にするな。てか俺たちの知り合いにも似たような奴がいるだろ? ロンとかさ」
「あははっ、そうだねっ」
生意気で素直じゃない共通の友人を思い出しながら笑い合うレイとエステル。そんな二人をグレンが心の底から面白くなさそうに睨みつけている。
それに気付いた天才は面白可笑しそうに口角を上げ、秀才はこれから起こるであろう面倒事を予感してこめかみに走る痛みにまた顔をしかめた。
弟が刺々しい雰囲氣を纏う中、妹は姉と笑い合う少年にニコニコと話しかけた。
「ねぇねぇ、もしかして貴方がレイ?」
「ん? ああその通りだ。気軽に名前で呼んでくれ。これからよろしくな」
「…………」
「? どうした?」
レイの言葉に反応せず、じっと何かを観察するように見つめるフィリシア。しかし少しした後に、誰にも聞こえないほど小さな声でポツリと呟く。
「……とっても大きな土のような人。あったかくて、けど強い。色んなものを支えてても、色んなものに踏みしめられても、絶対に負けない……土のような人」
そして、フィリシアは一人どこか納得したように頷いてふんわりと微笑んだ。
「えへへ。とっても素敵な人だね、スー姉」
「えっと……?」
「ちょっ、ちょっとフィーっ?」
妹の言葉に慌てた姉をよそに、当の本人は能天気にレイに改めて挨拶をした。
「これからよろしくお願いします。ボクのことはフィーって呼んでね? レイ兄」
「兄っ!?」
妹の突拍子も無い兄呼びに目を剥く姉。しかし当の本人であるレイは戸惑いながらも普通に受け入れていた。その辺りは妹を持つ兄であるからだろうか。
「お、おう。よろしくな、フィー」
「うんっ」
レイやエステルの動揺など意に介さず、満面の笑顔を浮かべるフィリシア。それを見た二人は顔を見合わせて苦笑するのだった。
………………
…………
……
……
…………
………………
レイ一行はエステルの家族と邂逅を果たした後、お互い親との別れを済まして列車に乗り込んだ。駅のホームで少し話し込んでしまったが、早めに来たことが幸いして全員が同じコンパートメントに収まることが出来た。
それから何事もなく列車は出発し、親子の別れの声がどんどんと遠ざかっていく。そして景色が木々が生い茂る山々へと足早に移ろいゆく。
そんな中、レイは狭いコンパートメントの中で非常に居心地の悪い思いをしていた。
「…………」
「……なぁ、なんかあるなら言ってくれないか?」
「そうだよグレン、失礼だよ?」
姉に責めるように注意を受けたグレンは、しかし言うことを聞くそぶりを見せず、そればかりか盛大に舌打ちをしてレイを睨みつけるその視線に険を増した。
列車に乗ってから……いや、ホームで会った当初からグレンはレイに敵意といっても過言では無い視線をぶつけていた。それに最初から気付いていたレイは、なぜ彼がそのように自分を見るのか分からないでいた。
逆に理由が分かっているシルヴィアとギルバートはしたり顔だ。シルヴィアは腕の中でオロオロするアリスを撫でながら状況を見守り、ギルバートは我関せずと本を読み耽る。
レイはこのままでは何も解決しないと直接尋ねることにしたのだ。しかし、答えたのはグレンの隣でお菓子を食べているフィリシアだった。
「グレンはねー……」
「おいフィーっ! 余計なことくっちゃべるんじゃねぇよ!」
しかし、それをグレンが大声で遮る。こういう時、妹が見当違いなことを言って自分の状況が悪くなるのは長年の付き合いで分かっていたからだ。
まあそれも、結局無駄になるのだが。
「え〜、なら早く自分で言いなよぉ。スー姉と仲良くしてるのが気に入らないってさぁ」
「ちげぇよっ! 俺はこのホラ吹きが気にいらねぇだけだ!」
「うん? ホラ吹き?」
「……ほう?」
「ふぇ?」
「…………」
やっとこさ訳を聞いた面々だったが、しかしレイには全く身に覚えがなかった。それはエステルやアリスもだったのだが、シルヴィアとギルバートは違った。
つまり彼は……。
「……ちっ。あんたさぁ、“例のあの人”だったり伝説の怪物だったりと戦ったって話だけどよぉ」
「ああ、まあ……」
「それ、全部嘘だろ?」
「……ん?」
二年前のロンやほかの有象無象が思っていたものと同じことを考えていたのだ。レイの功績は、天才や秀才から掠め取ったものなのだと。
「全然強そうにも賢そうに見えねぇし、そのくせへんに澄まして気取りやがって気持ち悪いんだよ。どうせそこの天才だか秀才だかがやったことを自分の手柄にしただけ……」
「グレンっ!!」
エステルは堪えきれずにグレンへと手を出した。しかし、その腕をグレンは容易く掴み取る。普段ならば大人しく叩かれるが、こればかりは譲れなかった。
「姉貴やほかの雑魚は騙せても俺は騙されねぇからな。分かったらさっさと尻尾巻いて姉貴から……」
「……ふ」
グレンはこれでレイが諦めると思ったのだろう。はたまた本性を現して殴ってくるか。だが、グレンはレイがどう出てこようと全く負ける気はしていなかった。
しかし、レイという人間に常識は通じない。結果は彼の予想をはるかに上回ることとなる。
「ふふ……あっはっはっはっは!」
突然大きな笑い声をあげるレイ。これにはこの場の誰もが大なり小なり驚きを顔に貼り付けて笑い続ける彼に目を向ける。特に、こんなレイの姿を初めて目の当たりにしたエステルは弟への怒りも忘れて呆然としていた。
レイがこのようにして笑うことはそうそうない。過去に照らし合わせればアリスと初めて出会った時ぐらいだろうか。
しかしずっと驚いているばかりではない。次の瞬間、自分がバカにされていると受け取ったグレンは怒りに顔を赤く染め上げる。
「テメェっ! 何がおかしい!」
今にも掴みかかろうと身体を乗り出しているグレンをレイは手で押さえて、少し息を整えて落ち着いた後に口を開いた。
「ふぅっ、いやー悪い悪い。ひっさしぶりに俺のことをそう言ってくれる奴がいたから思わずな」
「はぁ?」
レイの言葉に訳がわからず、素で返してしまうグレン。しかし、彼との付き合いの長いエステルやシルヴィア達は彼の言いたいことを察して深いため息をついた。
そう、つまりはレイの“いつもの”である。
「全くお前の言う通りだよグレン。俺は別に強くもないし賢くもない。凡人でなんの才能もない俺は、天才のシルヴィや秀才のギル、それに人のいいアリスにいつもおんぶに抱っこさ」
肩をすくめてグレンの言い分を認めるレイ。グレンはレイが素直に認めたことでさらに追撃をしようとした。
しかし、そんな彼にレイが不意打ちを繰り出す。
「一年の時、ヴォルデモートを倒したのはハリーだ」
「っ」
「うぉっ」
「ひゃっ!」
『闇の帝王』、『名前を言っていけないあの人』。
彼の名前をいきなり耳にしたグレンやフィリシアは驚きに声をあげる。ここでエステルが少し動揺するだけだったのは何度か相対し、その度にレイが打ち負かしているからだろう。
グレンが鼻白んで怯む中、その名前を口にした当人は平然と話を続ける。それがグレンのプライドをひどく刺激した。
「去年はシルヴィ達がいなかったら、俺はこの世にはいなかったはずだ。しかも大怪我したのは俺だけと来たもんだ。足を引っ張ってみんなに迷惑かけちまった」
懐かしそうに、そして申し訳なさそうに話すレイ。それを見たグレンは自分だけビビってしまったことを恥じ、それを怒りに変えて改めてレイを睨みつける。
「なのにシルヴィ達やダンブルドア先生、ほかの奴らも俺のことを持ち上げてさぁ。自分勝手に迷惑かけただけなのに、なんであんな評価になるのやら。そりゃグレンがホラ吹きって言うのも無理ねぇよ。ごめんな、騙しちまって」
「…………」
レイの話を聞き終えたグレンは、彼についてこう感じていた。
こうもプライドがない人間はカスだ、と。
普通の感性を持つ人間なら、ああまで好き放題に言われたならば黙っていられるはずがない。
慌てる、怒る、罵声を浴びせる、殴りかかる。何かしらの平静を失ったアクションを取るはずである。
なのに目の前の男といえば、自白したばかりかさらに他でもない自分の手で自分自身を貶し始めるではないか。
だがそれでは、先程『例のあの人』を名指ししても平然としていたことに説明がつかない。しかしそれも、すでにグレンは答えを出していた。
ではなぜ、そんなプライドもない男が例のあの人の名を呼んで平然としているのか。それは優秀な友達のお陰で心が大きくなっているだけだとグレンは考えたのだ。
自分を卑下し、友達の力を誇示する薄っぺらい男。そんな男として恥ずかしい姿に嫌悪したグレンは、結局レイは姉に相応しくないと断じる。
……それが、上っ面も上っ面。薄皮一枚分しか見えていなかった少年の愚かで早すぎた結論だった。
そう結論づけている彼をよそに、レイは大仰に頷きながら呆れているエステルに話しかける。
「それにしても、流石ステラの弟だな。ちゃんと人を見てる。しっかりした奴だよ」
「……んもう、レイ? そうやって自分のことを低く見せるのは悪い癖だよ?」
「え? なんも間違ってないだろ?」
「むーっ」
いつまでも自分を卑下する愛しい人に最後にはむくれて拗ねてしまうエステルに、レイは訳がわからず、しかし自分のせいであることだけは分かったために慌てて頭を下げている。
だが、エステルに本当に許してもらうのならば、レイは自分を正しく見つめ直さねばならないだろう。
そんな二人を見て、グレンはすぐにでも姉から引き離そうと口を開き……。
「おい、分かったんならさっさと姉貴から……」
ガタンッと言う重厚な音と共に、突然列車が止まったことでそれを思わず飲み込んでしまうことになった。
ホグワーツに着くには早すぎる。
戸惑うグレンとフィリシアをよそに、この二年の感覚から何かしらの異常を察した三年生達が警戒する。
警戒を怠ることなく、レイは疲れたようにため息をつく。
「あー、ったく、今年も何かあんのかよ。頼むから故障であってくれよ?」
「……ふむ。残念だがレイ、どうやらそういうわけにもいかないようだ。これを見てみろ」
「なに……?」
そう言ってシルヴィアはコンパートメントにある窓を顎でしゃくる。外はいつのまにか深い霧が立ち込めており、数メートル先が見えない。
しかし、シルヴィアの言いたいことはそれではなかった。
「……窓が、凍ってるだと?」
レイは目の前の光景に片眉を上げて訝しむ。夏を過ぎたとはいえ、まだまだ秋の到来は遠い。ましてや凍るまでの寒さには決してならないはずだ。
そして、窓全体が凍って外の景色が見えなくなると、途端にコンパートメント内を急激な寒さが襲った。
思わず手を擦り、息を吐いて温めようとするが、吐く息の白さに驚きが寒さを一瞬凌駕した。
「ど、どうなってるんでしょうか……?」
流石に修羅場をいくつかくぐり抜けただけあって、泣き虫と弱虫で有名なアリスも戸惑いはしているが恐怖を寄せ付けてはいない。
「スー姉……」
「だ、大丈夫。大丈夫だよ、フィー」
だが、そんな経験をしているものなど極々僅かだ。普通の女の子であるフィリシアは現場に怖がり精神の拠り所でもある姉に抱きつく。エステルも、そんな妹を優しく抱きしめ、自身も恐怖に負けないように気丈に振る舞う。
「な、なんだよ。何が起きてんだよっ……」
先程までの強気な姿勢はどこに行ったのか。グレンも突然のことにどうしていいかわからずに落ち着きなく体を揺すっている。
コンパートメントの外では生徒達の戸惑いや怯えの声がどんどんと大きくなっており、着々と狂騒に至ろうとしている。
だが、そんな中でも決して己を見失わない者達がいる。それはとある新任教師であったり、そしてこの場にいる英雄の卵達である。
「……どうやら、“奴ら”が来たか。脱獄囚を探すためとはいえ、随分と勝手をしてくれる」
「ふんっ、“奴ら”にまともな知性などない。あるのは他者を喰らう愉悦と充足感だけだ」
「ってお前ら。なにが起きてんのか分かんのかよ」
「ああ。魔法省に勤める古くからの知り合いから届いた手紙に書いてあった。まあ、こうなることはおそらく向こうも予想外であろうな」
「俺は実家からだ。仮にも大商会、魔法省のツテはいくらでもある」
「それなら俺達にも教えて欲しかったよっと……」
なんでもないように何事かを隠していた天才と秀才にため息を一つ、彼らと同じように平然と現状を受け入れていたレイは立ち上がってコンパートメントの引き戸の前に立つ。
「とりあえず、外の様子を見てくる。お前らは……」
その時、一際大きな揺れが列車を襲った。それと同時に、明かりが全て落ちてしまう。
それが一息に狂騒へと至らせた。至る所から上がる悲鳴と絶叫の協奏曲。レイ達のコンパートメントでもフィリシアが声を上げ、流石のアリスも短い悲鳴をあげる。
そして、同じように声を上げそうになったグレンは……。
目の前に聳える、大きな背中に息を飲んだ
「っ!?」
グレンは少しの間、それが誰のものか分からなかった。
しかし、その背中の主が声を発したことでやっとその背中の持ち主が誰かを把握した。
「……入ってきたな。シルヴィ達はステラ達を頼む。この狭さじゃやりにくいから、俺は外に出る」
大きな背中を存分に晒す人物は、先程まで自分が貶していたはずの男だった。そこには先程までのどこかスカした様子は見受けられず、鋭い目で引き戸の向こうにいるであろう何者かを見据えている。
その姿は、眼前の敵を打ち破らんとする歴戦の戦士の姿に他ならなかった。
グレンが目の前の光景を信じられず受け入れられないでいる中、シルヴィアが今にも飛び出そうとするレイに向けて苦笑を伴って引き止めた。
「レイ、それもいいがとりあえず……左手にある剣を振り回すにはここも廊下もあまり変わらないと思うぞ?」
「……あん?」
シルヴィアに指摘され、レイは自分の左手に目を向ける。それはコンパートメント内にいた者達も同様で、そこに目を向けた瞬間、驚きに目を見開いた。
なぜなら、彼の左手にはいつのまにか美しい銀色の剣が握られていたからだ。
突然姿を現したグリフィンドールの剣は皆の視線を受けて、真紅の宝玉が煌めかせた。
「ってうおっ!? お前いつのまに……!」
先程までの戦士の威容を脱ぎ捨て、レイは左手に勝手に現れた剣に驚く。そして、それはその剣を見たことのあるエステルも同様だった。
「れ、レイ? それってまさか……」
「ま、待てステラ。これはそのっ……!」
レイが慌ててエステルに弁解しようした時、また列車が大きく揺れた。レイはこんなことをしている場合ではないな、と問題を先送りにする。
「ステラ、訳は後で話す。今はそこでじっとしといてくれ。お前は……何かの役にたつかもしれねぇから一緒に来い」
レイにそう言われたグリフィンドールの剣は宝玉を一つ瞬かせる。それを了承と受け取ったレイは、右手に杖を、左手に剣を取り、自身の背中を見せつけるように引き戸へと手を伸ばし……。
「待て、レイ。ここは私に任せてくれないか?」
彼を最愛と呼んで憚らない、美しき天才が呼び止めた。
こんな時でも彼女の美しさは止まることを知らず、天上の微笑みをレイだけに贈っている。
「……正体もわかってるシルヴィに任せるのが一番、か。頼めるか?」
「任された。君のその期待には全力で応えるとしよう」
レイは自分のいる場所をシルヴィアに譲り、エステルとフィリシアを庇うように立つ。その際、久しぶりに見る大きな背中にエステルは心から安堵し、フィリシアは自分の感じた印象が間違っていなかったことを知る。
大地のようにどこまで広大で、全てを支える背中。
知らずフィリシアも、その背に守られるように恐怖を感じなくなっていた。
そんな妹とは相反して、次々と状況が移り変わっていくことについていけていないグレンは、自分を襲う恐怖も相まって目を白黒させていた。
そんなグレンを一瞥したシルヴィアは、嘲笑を讃えた後にすぐに気を引き締める。レイの全幅の信頼を受けた彼女は引き戸の前に立ち、杖を抜いて悠然と敵を待ち構える。
そして、“ソレ”は姿を現した。
引き戸に取り付けられた小窓より覗く黒い影。それは音もなく滑るように廊下を進んでおり、影はレイ達のいるコンパートメントの前でその歩みを止めた。
黒い影はスッと引き戸へと手を伸ばし、ゆっくりと開けていく。
「っ!!」
その引き戸を開ける際に見えた黒い影の手に、誰かの息を飲む音が木霊する。
黒い影から伸びたその腕は、ほとんど肉の無い、骨に皮が張り付いたかのような細い。生気を感じられない……死人のような腕だった。
とうとう、引き戸が全て開け放たれる。
レイ達の眼前に、黒い影の全容が明らかになった。影は黒いボロ布を被っており、その端は風になびくように揺らめいている。
人では顔にあたる部分にもボロ布が被されており、そこに何があるかは分からない。しかし、そこから冷たく凍えるような吐息が漏れているのは感じられた。
「おい、化け物。貴様らの餌はここにはいない。早々に立ち去れ」
「…………」
物怖じ一つせず、堂々と言い放つシルヴィア。そんな彼女に、しかし黒い影は何も答えなかった。
そして影はおもむろに相対するシルヴィアへと、その顔に当たる部分を近づけようとした。弱者のくせに生意気にも立ちはだかる愚かな生き物から、自らの糧を得るために。
だがしかし、彼女がそのような真似を許すはずがなかった。
「塵が。その穢れた面を私に近づけるな。私のこの美貌を間近で拝める資格があるのは、この世でたった一人だけだ」
シルヴィアはそう吐き捨て、右手に持った杖を躊躇なく影に振り抜いた。
「エクスペクト・パトローナム」
薄紅色に艶めく小さな口元から紡がれる呪文。
瞬間、杖先から聖なるものを思わせる白き魔法が姿を現した。
「…………っ!」
それは黒い影に襲いかかり、影をコンパートメントの外まで一息に追いやってしまう。しかしそれだけに飽き足らず、勢いを伴った魔法は影を窓に叩きつけ、列車の外へと叩き出したのだ。
だが、シルヴィアの魔法がこれで終わるはずもない。
レイ達のいた車両には他にも数人の黒い影乗り込んできていたのだが、シルヴィアが放った魔法の“余波”によって影は嫌がるように我先にと列車の外へと逃げ出したのだった。
黒い影がもたらした恐怖による静寂ではなく、平穏な静寂が列車内を流れる。それから少しして、列車内に明かりが戻り、列車は再び走り出した。
それを確認したシルヴィアは何事もなかったように杖を懐にしまう。その後ろで念のために構えていたレイとギルバート、アリスも各々構えを解いて一息ついた。
「初めて使ってみたが上手くいったな」
「貴様、ああまで啖呵を切っておきながら初めてだと? あれはNEWTレベル以上の呪文だぞ。失敗したらどうするつもりだったのだ愚か者が」
「なに、この天才にかかれば造作もないよ。私が失敗するはずがないからな」
「貴様というやつは……」
「それに、もし仮に百歩譲って私が失敗したとしても君がいただろう? 奴らのことを知っていた君が対策しないはずがないからな。なぁ秀才殿?」
「ふんっ」
「ま、まあまあお二人とも」
「というかよぉ。あれがなんなのか早く教えてくれよお二人さん」
あれほどのことがあったにもかかわらず、レイ達はすでに何事もなかったように談笑を始めている。因みにだが、レイの左手にはすでにグリフィンドールの剣の姿は無い。どうやらかの剣はレイの戦意を感じ取ってやってきたようだ。どこかの天才と同じで過保護のようである。
その様子を慣れたように苦笑しながら見ていたエステル。そんな彼女の腕の中では、レイとシルヴィアのことをキラキラとした目で見つめるフィリシアがいた。
そして……。
「おっと。そういえばそこの……グレン、だったかな? どうした、そんなに顔を青くさせて。先程までの威勢はどこへ行ったのかな?」
「っ!」
シルヴィアが声をかけたのは、先程まで彼女の最愛に対して随分な態度で接していたグレンだ。その彼はといえば、退散していった影のように生気を失ったような真っ青な顔で呆然としていた。
「ちょ、ちょっと大丈夫グレンっ!?」
「う、うるせぇっ。別になんとも無い」
「そんなわけないでしょっ! えっと、ハーマイオニーが教えてくれた気持ちが落ち着く呪文は……」
「マクレイア、これを食べさせろ」
弟の様子に慌てるエステルに、ギルバートが懐から取り出したものを手渡す。それはどこにでも売っているチョコレートだった。
「奴らの気を受けた時は糖分を取れば落ち着く」
「ほ、本当に?」
「奴らは人の幸福が糧であり弱点だ。チョコレートなどの甘味は人の幸せな感情を大なり小なり刺激する。その程度の症状ならそれで十分だ」
「……うん、ありがとう」
説明を受けたエステルはグレンにチョコレートを食べさせる。グレンも、姉に心配させたく無いため大人しく口に含んだ。
ギルバートの言う通り、グレンはすぐに体調を取り戻した。病み上がりとも言えるそんな彼に、しかしシルヴィアは遠慮なく話しかける。
「さっきは随分と私の……いや、私達の最愛に対して言ってくたものだがな」
そして自身を見上げるグレンに、シルヴィアは先程浮かべていた嘲笑の色をより一層濃くしたものを浮かべながら続けた。
「そんな無様極まりない姿をさらしているお前には、レイに対して何か口にする資格など皆無だ。少なくとも、大好きな姉を守ることもしなかった貴様には、な」
「っ!!?」
さっきまでの元気のなさは何処へやら。天才の侮辱を受けたグレンは怒りのままに襲いかかろうとして……目前に突きつけられた杖に、立ち上がることさえ許されなかった。
「て、めぇっ……!」
「くはっ、駄犬はよく吠える吠える。いや、負け犬だったか?」
杖先を額に押し付け、仇のように睨みつけてくるグレンにシルヴィアは嘲笑う。その様子に止めようとも思ったエステルであったが、結局彼女は止めることをしなかった。
「まあいい。悔しかったらなんでもいい、レイに一つでも勝ってみせるんだな。そうすればお前の姉も、多少はお前を認めるかもしれんぞ?」
それだけ言い放って、シルヴィアは杖先を退かす。……瞬間、グレンはシルヴィアに手を伸ばして……。
「ふん、駄犬が」
その言葉を最後に、その意識を闇に沈めたのだった。
次回、三年目のホグワーツ。