選ばれし者と暁の英雄   作:黒猫ノ月

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kino0928さん、甲 零さん、烏瑠さん、誤字脱字報告ありがとうございます。


45話

結局、レイは数占いの授業に出席することはなかった。

 

マルフォイが立ち直る頃にはすでに空が緋色に染まっており、レイは三年目にして初めてズル休みをしてしまったのである。……なお、『秘密の部屋』探索時は緊急事態であったので例外とする。

 

最後までマルフォイに気付かれることなく、ボロボロの姿で自分の寮へと帰っていく彼を陰から見送ったレイは一人、自分のどうしようもなさに苦笑した。

 

今のマルフォイに自分がここまでする価値はないはずだ。たとえ出自や両親によってその性質を歪まされたのだとしても、それを正しいものだと信じて受け入れ、性根から腐っていったのは彼自身なのだから。

 

だけど、それでも。

 

気付けば、レイは男子トイレの外で壁に背中を預けていた。理屈ではない。信条云々でもない。ただ、自身の心の赴くままに。

 

分かっている。これは同情だ。過去の自分とマルフォイを重ねてしまったどうしようもない自分の自己満足に過ぎない。

 

しかし、緋色の空を見上げるレイの心はどこか晴れやかであった。

 

それからレイは、空腹を訴える声に従って豪勢な晩餐が待つであろう大広間へと足を向けたのだった。

 

……しかし、そこで待っていたのは晩餐ではなく……拗ねたようにいじけるシルヴィアの姿であった。

 

レイと過ごせる時間が増え、心躍らせて数占いの教室で待っていたのにいつまでたっても最愛はやってこなかったのだ。いじけるのも無理はなかった。

 

こうしてしばらく、大広間入り口付近では何とかして女王のご機嫌を取ろうとオタオタする王子様の姿が目撃され、それはギルバートとアリスが来るまで続くのであった。

 

………………

…………

……

……

…………

………………

 

レイが女の扱いをまた一つ学んだ数日後のこと。彼らの姿は闇の魔術に対する防衛術の教室にあった。

 

「……なんか、ここまでしっかりとした授業が受けられることに違和感を感じる自分が情けないんだが」

 

「ふふっ、それも仕方あるまい。一昨年と去年が“アレ”だったのだからな」

 

軽快な音楽に合わせて楽しげに授業に励んでいる同級生達を少し離れた場所で眺めていたレイの呟きに、同じく隣で眺めていたシルヴィアが苦笑を漏らす。

 

担当教師には必ず不幸が起こり、その不幸によって毎年担当する者が入れ替わることで有名な闇の魔術に対する防衛術。そんな縁起の悪い教科にも関わらず、今年も新しい教師が教鞭をとってくれることになった。

 

その教師というのが……。

 

「おや、君達は参加しないのかい? それとも、こんな“リディクラス”な授業には興味がないかな?」

 

授業に参加せず、それを傍目で眺めていたレイとシルヴィアに横からユーモラスな問いが投げかけらる。そちらに目をやると、継ぎ接ぎだらけの古ぼけたスーツに身を包んだ男性が穏やかな面持ちで立っていた。

 

彼こそ今年、縁起の悪い教科の教鞭を執ってくれることになった担当教師……リーマス・ルーピンだ。

 

リーマスは授業に参加しないレイとシルヴィアを特に咎める様子もなく、言葉を続ける。

 

「君達の噂は聞いているよ。優秀な君達には、真似妖怪では役不足だったようだ」

 

「ああっと、別にルーピン先生の授業が退屈だとかそんなじゃ……えと、すみません」

 

いたたまれなくなったレイが申し訳なさそうに頭を掻いて謝罪する。だが、そうして頭を下げるレイとは違い、悪びれる様子もなくシルヴィアが授業に参加しない訳を口にした。

 

「ルーピン教授、貴方の授業はお世辞抜きでとても良くできている。だが私もレイも、おいそれと自身の弱点を衆目に晒す趣味はないのだ」

 

聞かされた理由にリーマスはなるほど、と一つ頷いた。

 

真似妖怪ボガート。

 

衣装タンスなどの程よく狭い場所に住み着く妖怪と言われているが、その正体は誰も知らない。なぜなら、ボガートは相対した者が最も怖いものに変化する性質を持つため、ボガートの本当の姿は誰であっても分からないのだ。

 

そんなボガートであるが、ボガート自身は特に危険な存在ではない。……だがしかし、いざ退治となればなかなかどうして厄介な相手なのである。

 

相対した者の、最も怖いものに化ける。この性質は、人によっては最大の脅威となりうるからだ。

 

その人の恐怖の対象の度合いによって厄介さが大幅に変化する真似妖怪ボガート。だが、それをどうにかするために学ぶのがこの闇の魔術に対する防衛術であり、それを身につけるために今、レイとシルヴィアを除く全員が恐怖半分、好奇心半分で杖を振るっているのだ。

 

誰かの怖いものなのであろう。ピエロに化けたボガートであったが、リディクラスと声高々に杖を振るわれてでっぷりと張り出たお腹がはじけて空中へと勢いよく萎みながら飛んでいく。

 

どっと笑いが巻き起こる教室。その様子をレイ達と共に眺めていたリーマスが苦笑をこぼした。

 

「この年の子なら、恐怖というものをまだよくわかってない。だからこそ、ボガートはいい教材と踏んだんだがね。しかし、君達はすでに本当の恐怖、というものを理解しているのか。なるほど、噂は本当のようだね。……ははっ」

 

そう言った後、リーマスは苦笑から微笑へと浮かべていたものを変えた。それは、何かを懐かしむような空笑いのようだった。

 

その姿が最愛が過去を振り返る時と重なったシルヴィアは、深く尋ねることなく素知らぬそぶりを見せる。しかし、根が正直なレイは不思議そうな様子をありありとその表情に浮かべてリーマスを見つめてしまう。

 

それに気付いたリーマスが過去のたゆたいから戻ってくると、空笑いからの空元気で二人に謝る。

 

「いやっ、すまないね。君達の姿が私の友と被ってしまって思わず懐かしんでしまったよ」

 

「いえ、それは全然構わないんですけど。その人って俺達とそんなに似てるんですか?」

 

その問いにリーマスは可笑しそうな面持ちを見せる。

 

「そうだね、コルドウェルは似たところがあるように思うよ。特に私に対しての先の言いようはそっくりだ」

 

「ああ、なるほどなぁ」

 

「……レイ? その納得の仕方について小一時間、二人っきりで正面から密着した状態で尋ねたいのだが」

 

その言葉に呆れたように言い返すレイとそのやり取りを愉しむ様子を見せるシルヴィア。そんな両者の姿を側から眺めていたリーマスは、眩しそうに目を細めた。

 

グリフィンドールとスリザリン。

 

決して交わることのない二つの寮であることがこの千年の常識であったが、それが今自身の目の前で覆されている。そんな光景をまじまじと見せられてしまえば、リーマスに嫌でもありえたかもしれない一つの未来を連想させてしまう。

 

今は亡き親友と、今でも自分を恨んでいるであろう男が手を取り合っていた……そのような儚く脆い、しかして尊い夢を。

 

そうして泡沫の夢に浸っていたリーマスであったが、いつまでもそうしてはいられなかった。なぜなら、夢という名の泡が、レイの呆れを含んだ声によって突然弾けてしまったからだ。

 

「っておいおいハリー。お前はやっちゃダメだろ。ヴォルデモートがこの教室に姿を現すことになるぞ?」

 

ハリー、そしてヴォルデモート。

 

その単語は、リーマスにとっては絶対に見過すことのできない特別な意味を持っていた。

 

「っ!」

 

ばっ、とリーマスは勢いよく身を翻す。

 

彼の視線の先では、胴体を蝶々結びにされてしまった巨大な蛇が悲鳴をあげている。そして一種のアートと化した蛇の目の前には順番が回ってきたハリーが、いかにもワクワクした様子でボガートが化けるその時を心待ちにしていた。

 

「なに、その時は私が一瞬で細切れにしてやろう。……いや、輪切りの方が良いか?」

 

「いやいや、切り方なんてなんでも良いだろ。とりあえず、なにが起こっても良いように構えるだけはしとく……先生?」

 

杖を抜き、いざとなればすぐさま対処に向かえるようにと構えるレイとシルヴィアであったが、それをリーマスが腕で遮った。

 

「君達はここにいなさい。あれは私がなんとかしてこよう、いいね?」

 

「え、いやでも……」

 

「反論は無しだよ。ではっ……!」

 

それだけ言い残して、リーマスは今にも何かへと化けようとしているボガートと待ち構えるハリーの元へと駆け出すのだった。

 

………………

…………

……

……

…………

………………

 

今年初めての闇の魔術に対する防衛術の授業から翌日のこと。

 

レイとシルヴィア、そしてエステルの三人は、森番であり、今年の魔法生物飼育学の担当教師でもあるハグリッドに連れられて他の生徒達と共に禁じられた森の中へと足を踏み入れていた。

 

「しっかしルーピン先生もおかしなものが怖いんだな。なんで満月なんかが怖いんだ?」

 

「もうレイ、人の怖いものをそんな風に言ったらダメだよ?」

 

「それもそうだな、悪い」

 

「……ふむ」

 

レイ達は最後尾を歩きながら、昨日のことを振り返る。

 

あの後、レイとシルヴィアの予想に反してボガートがハリーを見て化けたものは闇の帝王ではなく吸魂鬼であった。

 

それは、レイ達が列車の中で目撃した黒い影の正体でもあった。あの時は脱獄囚であるシリウス・ブラックの捜索のために列車の中へと乗り込んできたのだ。

 

吸魂鬼はこの世で最もおぞましい生物であるとされ、人間の幸福を糧とし、人々に絶望と恐怖を振りまく忌み嫌われる存在だ。

 

彼らは魔法省によって脱獄不可能と言われるアズカバンで管理されており、今回はそこから初めて脱獄したシリウス・ブラックからホグワーツを守るためにこの辺り一帯に駆り出されていた。

 

ハリーは吸魂鬼の列車捜索が行われた際、奴らに幸福な感情を奪われてしまい気絶してしまっていた。その時は同じコンパートメントに乗り合わせていたリーマスが助けてくれたようだが、この時の出来事はハリーの心に深く根を張っているようだった。

 

それもあって、ハリーは意図せず皆の前で吸魂鬼を召喚してしまったのだが、それをすぐさま退散させたのが間に割って入ったリーマスだ。

 

吸魂鬼に化けたボガートはすぐにリーマスの怖いものへと姿を変えた。それがなんの変哲も無い、夜空に浮かぶ満月であったのだ。

 

しかしそれもすぐにリーマスの手によって退治され、寝床である衣装ダンスの中へと押し込まれた。

 

この日はこれで解散となり、3年間で一番面白くまともであった闇の魔術に対する防衛術はこうして慌ただしく幕を閉じたのだった。

 

そうして昨日のことを振り返っていたレイとエステルであったが、なにやら思わせぶりな様子で思考を巡らせているシルヴィアが気にかかった。

 

「どうしたよシルヴィ、何か気が付いたことでもあったか?」

 

「……いや、なんでも無いよ。ここはギル風に、『確証のないことを無闇に口にするのは好まん』と言っておこうか」

 

「そっか。なら、確証を得たら教えてくれ。……列車の時みたいに直前まで隠すのはやめてくれよ?」

 

「ふふっ。ああ、了解した」

 

そう締めくくり、笑い合うレイとシルヴィア。しかしそれもすぐに間にエステルが入ることで終わりを迎える。

 

「ほらほら二人とも、早く行かないとはぐれちゃうよ?」

 

「おっとそうだな。行こうぜシルヴィ、ステラ」

 

「ああ」

 

「うんっ」

 

三人は止めていた足を動かして、生徒の群れの最後尾に張り付く。その際、先を行くレイに気付かれないようにシルヴィアとエステルが意味ありげに見つめ合っていたのが印象的であった。

 

それから少しして、ハグリッドの先導の下、生徒一同は森の中の開けた場所へとたどり着く。そこでハグリッドから教科書を開くように言われるが、ほとんどの者達が意思を持って隙あらば噛み付いてこようとする教科書の開け方など知らなかったのだ。

 

それを聞いたハグリッドは予習が行われていなかったことに慌てた様子を見せたが、すぐに立ち直って背広を撫でるように言って森の奥へと姿を消していった。

 

言われた通りにすると大人しくなった教科書を開けて暇つぶしに眺める生徒達とは別に、ギルバートから開け方を夏休み中に教わっていたレイ達は予習も済ませており、世間話に花を咲かせていた。

 

そして、それは姿を現した。

 

「どうだお前さんら、美しかろう?」

 

そう自慢げに胸を張るハグリッドをよそに、彼に連れられて現れた“ソレ”を見た生徒一同は息を飲んだ。勿論、彼の言う“ソレ”の美しさからではない。

 

“ソレ”は、ハグリッドと並んでも遜色ない巨体を誇っていた。その巨体を構成するパーツは、体前半部は鷲、後半部は馬であるようだった。

 

目の前に並ぶ矮小な人の子を、猛禽類特有の鋭い瞳で睨みつける“ソレ”の正体は、ヒッポグリフと呼ばれる魔法生物であった。

 

「こいつはバックビークっちゅうてな。俺が育てた中でも五本の指に入る美しさを誇っちょる」

 

そう言って平然とヒッポグリフ……バックビークの胴体を撫で上げるハグリッドに、生徒一同は誰一人賛同することができずに頬をヒクつかせるだけであった。

 

そんな中、ハグリッドに同意する者もいる。他でもない、レイだ。

 

「へぇー、たしかに綺麗だな。なんというか、シルヴィっぽいよな」

 

三頭犬、バジリスクともっと凶暴な相手と相対してきたレイにとってヒッポグリフなど今更である。そして出た感想といえば、聞く人が聞けば馬鹿にしているのかと叱責を喰らうようなものだ。

 

しかしそれはバックビークから溢れ出る、見栄や虚勢ではない確固たる誇りを持つ者特有の気配を感じ取ったからこその感想であった。そして、それが当てはまる人物かレイにとってシルヴィアであったというだけのことだ。

 

そしてその想いは曲解することもなく真っ直ぐにシルヴィアに突き刺さっていた。その感想を受けたシルヴィアは年頃の少女のように嬉し恥ずかし気にはにかむ。

 

「む、むぅ。君にそう褒められると……なんだ、すごくむず痒い」

 

「ん? なんだよ今更。お前が誇り高くて、綺麗で、格好良いことなんてみんな言ってることだろ?」

 

「…………っ!」

 

突如訪れた最愛からのべた褒めの数々。有象無象がほざく上っ面に飾り立てた賛辞ではなく、単純で、しかしどこまでも真っ直ぐな賞賛。シルヴィアはあまりの嬉しさに無意識に上がっていく口角に四苦八苦するが、どうやっても取り繕うことはできなかった。

 

シルヴィアはレイから顔を逸らし、柄にもなく朱色に染めた頬に両手を当てて最愛から無様な姿を出来るだけ隠し通す。

 

「れ、レイ。もうわかったからそれくらいにしてくれ。これ以上君に何か言われてしまったら私はどうにかなってしまいそうだ」

 

「??? まあ、お前がそういうなら……」

 

先日いじけた仕返しとばかりに無自覚なレイに責め立てられたシルヴィアであったが、当の本人は思わず声に出して笑みをこぼすほどに心から歓喜しているようなので、仕返しとはいえないのかもしれない。

 

だが、これに面白くないのがエステルだ。

 

同じ人を想うライバルが、その人に一方的に褒められる。面白くないのも無理はないだろう。

 

膨れて不機嫌になるエステル。それに少し遅れて気が付いたレイであったが、エステルはそっぽを向くだけだった。

 

いきなり自分のツレがかたや上機嫌に、かたや不機嫌になってしまった。これにはレイもどうしていいか分からずに首をひねるばかりであった。

 

鈍々男子を中心に恋模様が繰り広げられる中、どうやらハリーがバックビークに触れる第一の犠牲者……もとい先駆者として選ばれたようだ。

 

誇りが高いヒッポグリフは、相手にもそれ相応の礼儀を求める。それを怠れば、待っているのは鋭い嘴で貫かれるか、はたまた同じく鋭い鉤爪で切り裂かれるか。

 

それもあって礼儀に疎いハリーは不安で不安で仕方がなかったのだが、ハグリッドの補佐の下になんとかバックビークからの信頼を勝ち取ることに成功する。

 

そして、その成功報酬が……バックビークの背に乗っての遊覧飛行だった。

 

「おぅおぅ、ハリースゲェな!」

 

「本当! もうハリーの姿が見えないよっ」

 

勢いよく飛び立っていったバックビークとハリーに歓声をあげるグリフィンドール生。

 

彼らと一緒に、レイが右手で陽の光を遮り遠く彼方へと飛び去っていたバックビークとハリーを見送る。それに先程まで機嫌を損ねていたエステルもテンション高く同意した。

 

馬身一体となったハリー達の姿はもはや目視できない。

 

それからしばらくして、バックビークがハリーを乗せて悠々と空から戻ってきた。それを諸手を挙げて出迎えるグリフィンドール生。ハグリッドの手を借りてバックビークの背から降りてきたハリーは興奮冷めやらぬ様子だった。

 

先程までの怖がっていた様子は何処へやら。グリフィンドール、スリザリン問わずにハグリッドの元へと殺到し、次は自分がとアピールを繰り返し始める。

 

自分に群がる子供達に、最初の授業が成功したことを感じたハグリッドは内心で達成感を覚えていた。

 

恩人でもあり、最も尊敬しているダンブルドアにこの科目を任された時は緊張や不安、心配でどうにかなってしまいそうであったが、彼に任されたからにはと自分なりに考えた。それはもう、頭から煙が噴き出すのではないのかと思えるほどに考えた。

 

そして思いついたのがバックビークを最初の教材にしようという授業計画だった。実際のところ、ヒッポグリフはもう少し上の回生が勉強するものなのだが、残念なことにハグリッドはそこに思い至ることはできなかった。

 

だが、結果として彼の最初の授業は今のところ生徒達の心を大きく掴んでいた。これにはハグリッドも感動で胸がいっぱいであった。

 

しかしそうしてばかりもいられない。ハグリッドは満足げな笑みを浮かべて嬉しそうに次にバックビークに面通しする生徒を選んでいく。

 

だからであろう。シルヴィアやバックビークとは違う、見栄や虚勢に満ち溢れた者の考えなしの行動に気が付かなかったのは。

 

「ふんっ、くだらない。たかだか獣ごときに何をそんなにはしゃいでるんだ」

 

そう言って教科書を放って取り巻き達の中心からバックビークへと無造作に近づいていくのは……マルフォイだ。

 

動物相手に媚びへつらい、その情けで背に乗せてもらったようにしか見えなかったマルフォイにとって、ハリーの姿は嘲笑ものだった。

 

だがしかし、実際はどうだろうか。何かと因縁のあるハリーはたったそれだけのことでもてはやされ、いい気になっている。マルフォイにとって、非常に気に入らない光景が広がっていた。

 

馬鹿らしい、なら自分が同じように……いや、動物ごとき簡単に従えてやろうと考えての行動だった。そこには、ハリーができて自分ができないはずがないという自信があった。

 

しかし、その自信にはなんの根拠もない。

 

マルフォイはズカズカとバックビークに近づいていく。それに気が付いていたのは、彼の取り巻きとレイ達だけであった。

 

「おやおや、マルフォイ坊ちゃんが無謀にもヒッポグリフに手を出すつもりだぞ? これは面白いものが見れそうだ」

 

「ちょっとシルヴィアっ、そんなことを言ってる場合じゃないでしょ! 早く彼を止めなきゃ……っ!」

 

「何故だ? 君も奴が無様に泣き喚く姿を目にしたいだろう? 親友をもっとも口にしてはいけない蔑称で揶揄されたのだからな」

 

「だからって、その人の不幸を笑うのは……」

 

シルヴィアとエステルが言い争う中……レイは一人、葛藤していた。

 

シルヴィアの言う通り、とまではいかないが、マルフォイを止める理由などどこにもない。あれは自業自得であり、あと十数秒もすれば無様に転げ回る彼の姿が晒されることになるだろう。

 

レイにとって、家族や友人などの大切な人達以外は本当にどうでもいい存在だ。赤の他人や周りから嫌われている人間ならば尚更だ。

 

彼がその身を賭すのは、そうまでしてでも大切な人達を守りたいから。だからこそ、レイは他に頓着しない。そんな余裕があれば、大切な人達に自身の全てを使いたいから。

 

だが、しかし。

 

『父上と母上に、嫌われてしまう。……見捨てられて、しまうっ!』

 

ことここにきて、あの時の彼の叫びが頭の中にこびりついて離れない。……そして、不意に袖を引かれた気がしたレイは振り返った。そこには……。

 

 

 

ボロ雑巾のような姿をした小さな子供が、何かを訴えかけるように未来の自分を見上げていた。

 

 

 

「……はぁ。ほんと、どうしようもねぇなぁ……俺」

 

そう呟いた時にはすでに、レイは教科書を投げ捨てて走り出していた。

 

「なっ、レイ!?」

 

「うそ……レイっ!」

 

友人達の驚愕の色をした叫び声に振り返ることはせず、レイはただ、がむしゃらに走った。そして彼の目前では、マルフォイが今まさにバックビークに対して尊大に振る舞おうとしている最中だった。

 

「おいお前、さっさと僕も乗せろ。でないと……」

 

「ケヒィーンッ!!」

 

「ひぃっ!」

 

案の定、自身に対して無礼を働いた矮小な少年に、バックビークは鋭い鉤爪を持った前足を振り上げる。

 

「何しちょるんだマルフォイっ!?」

 

そこでようやくバックビークの状況を知ったハグリッドが大声を上げる。それと同時に生徒達の意識もそちらに向き、目の前に今にも襲われそうになっているマルフォイの姿が映ってしまう。

 

一瞬で騒然となる生徒達。しかし彼らの叫び声などバックビークを止めるのに何一つ役には立たない。

 

そして、バックビークの鉤爪はマルフォイへと振り下ろされる。

 

「う、うわぁぁぁぁぁっ!!?」

 

恥も外聞もなく情けない声を上げるマルフォイは、自身を切り裂こうと目前に迫る鉤爪にとっさに腕を翳し、そして……。

 

何かに強く引かれるようにして、背中から地面に転がされた。

 

「っだぁっ!? …………えっ?」

 

背後に感じた衝撃に声を上げたマルフォイであったが、しかしそこに切り裂かれたような痛みはなかった。腕にも、肩にも、胸にも、腹にも。

 

尻餅をついたままある程度自分の身体を見渡したマルフォイは、不意に視界に映るものに気が付いた。

 

足だ。そして雑草が茂る地面には見慣れない赤が広がっており、今も視界外の上からその赤が滴ってきている。そして、鼻に付く鉄の匂いにも気が付いた。

 

思考停止した脳味噌に、次々と情報が入ってくる。呆然とするマルフォイであったが、徐々に自分の身になにが起こったかを理解し始めていた。

 

そんな。まさか。いったい。誰が。ありえない。

 

しかしマルフォイがどれだけ現実を否定しようにも、目の前の足は、赤は、匂いは、消えてはくれない。

 

そして、マルフォイは呆然としたまま首の筋肉を軋ませて、少しずつ、少しずつ目の前の足を上へ上へと辿っていく。すると、そこには……。

 

 

 

自分を庇うようにして立つ、見たこともないほど大きな背中がそこにはあった。

 

 

 

マルフォイが驚きで目を見開く中、その背中の主は左腕でマルフォイをバックビークから庇うようにして立っていた。……その左腕から、おびただしい量の血を大地へと滴らせながら。

 

バックビークも突然現れた第三者の存在にどうしていいか戸惑いを見せる。しかしそんな時、目の前にいる少年が溢れ出る赤を気にすることもなく、大仰に自分に対してお辞儀をしてきたのだ。

 

これには面食らったバックビークであったが、そこに自分に対する心からの敬意と謝罪の念が感じられた。

 

いつまでも頭を下げ続ける少年。彼の姿に落ち着きを取り戻したバックビークは、数歩下がり少年……いや、自身と対等な彼へと己も頭を下げた。

 

それを雰囲気で感じ取ったバックビークによって認められた少年……レイは、頭を上げて一息ついた。バックビークが想像以上に知能が高くて助かった。もしもう少し知能が低いものが相手だったならば、レイも杖を抜かざるをえなかっただろう。

 

「バックビークっ! お前さんは何てことをしちょるんだ!!」

 

下手に動くことが出来なかったハグリッドであったが、場が静まったことを悟り巨体を揺らしたやってきた。しかし怒鳴り散らす彼を今も左腕から血を流しているレイが諌める。

 

「ハグリッド、バックビークを責めないでやってくれ。俺は平気だからさ」

 

「平気ってお前さん、そんなわけないじゃろがっ!」

 

今度はレイにも怒鳴ったハグリッドは、一直線に切り裂かれた左腕を見て止血するものはないかと腰のポーチを漁り始める。しかしその前にシルヴィアが杖を、エステルがハンカチを持ってレイの元へと駆けつけた。

 

「その通りだレイ。腕を見せろ、ここで軽く手当だけしておく。エステル、私のハンカチも使え」

 

「わ、わかったっ。えと、えと……」

 

「ステラ、落ち着け。まずは二の腕を縛って血を止めてくれ。それからシルヴィアがある程度傷を塞ぐまで傷跡が見えるように溢れる血を拭うんだ」

 

「う、うんっ……じゃなくて、レイの馬鹿っ! もっと……もっと自分を大事にしてよ……」

 

「ご、ごめん」

 

エステルはレイに怒鳴った後、言われた通りにする。そしてそれに合わせてシルヴィアが杖を振りながら少しずつ腕の傷を塞いでいく。

 

「悪いなシルヴィ、手間をかける」

 

「……レイ、なぜアレを助けた? 君にとってアレはどうでもいい存在、君の信念の対象外のはずだ。それなのになぜ、君があんな塵ごときのために傷つかなければならない」

 

シルヴィアは鋭く切り裂かんばかりにマルフォイを睨みつける。バックビークの鉤爪から救われたのに、結局彼はその身を切り裂かれてしまう。

 

シルヴィアから漏れる殺意にも似た衝動に震え上がるマルフォイ。しかし、それをレイが止めた。

 

「シルヴィ」

 

「…………っ、君は、ずるいな」

 

名を呼ばれ、穏やかに微笑みながら首を振るレイに何も言えなくなってしまったシルヴィアはマルフォイから意識を逸らした。

 

ようやく全ての害なすものから解放されたマルフォイは、二度もレイに助けられたことに屈辱を覚えて彼を睨みつける。

 

それに気付いたレイはしかし、マルフォイに微笑みかける。それを受けたマルフォイは、意表を突かれてしまい再び呆然としてしまった。

 

なにせ彼は、それほどに穏やかな笑みを物心ついてから一度も向けられたことがなかったからだ。

 

マルフォイが無事なことを確認したレイは自分を心配してくれたこと、そして自分の願いを聞き入れてくれたことに感謝する。

 

「ありがとな」

 

「……あとで詳しく、詳しく話を聞かせてもらうからなレイ。あと私を一日中抱きしめ……」

 

「はいはいっ! レイ、傷が塞がったよ。早くマダム・ポンフリーのところに行こ?」

 

「ん、そうだな。ハグリッド、俺はこのまま医務室に行くから。授業を続けてくれ」

 

「お、俺は先生だからついてったほうがええんじゃないのか?」

 

「いいって。なんせ俺には過保護な天才と友人が引率してくれるみたいだしな」

 

「……今回ばかりは過保護という言葉に強く否定させてもらうぞ」

 

いつもの調子を取り戻したシルヴィアとエステルがジト目でレイを睨みつけるが、当のレイは肩をすくめるだけだ。

 

「バックビークも悪かったな。けど、もう少し心を広くしてもらえると、お前の誇りに磨きがかかると思うぞ?」

 

「ケェーヒンッ」

 

レイに顎を撫でられて気持ちよさそうに目を細めたバックビークは、その後に早く行けと急かすようにレイの背中を押した。

 

そしてレイはハリー達やネビルへの挨拶もそこそこにシルヴィアとエステルを連れて医務室へと足を運ぶ。レイは最後まで自身が守ったマルフォイに声をかけることをしなかった。

 

そのマルフォイはと言えば、取り巻きに起こされ、口々に心配の声を掛けられている。しかし彼はそのどれにも反応することなく、ただ去っていくレイの背中を見つめ続けていた。




次回、レイ達を探る影。
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