選ばれし者と暁の英雄   作:黒猫ノ月

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甲 零さん、烏瑠さん、貧血さん、誤字脱字報告ありがとうございます。


57話

「どうして、ルーピン先生がここに……?」

 

「やっぱり、ブラックを手引きしていたのは先生なんだわ。……みんな気を付けて! ルーピン先生は黙っていたけど、この人は狼人間よっ!」

 

「えぇっ!?」

 

「……ふぅ、全く。君といい“彼ら”といい、優秀過ぎると言うのも困りものだね」

 

太陽が沈み、月が目を覚ます頃。

 

ホグズミードの外れにある『叫びの屋敷』と呼ばれるそこは、夜な夜な苦痛に呻く人ならざるものの叫びが聞こえることで有名だ。

 

昼間に見る『叫びの屋敷』は、ただの物悲しい寂れた屋敷にしか見えない。しかし一度日が落ちてしまえば、屋敷は呼び名を体現したかの様な姿へと変貌する。すぐそばに禁じられた森があることもあり、独特の様相を醸し出すそこは、闇の住人にはうってつけの場所となる。

 

……そう、夜闇に姿を隠す脱獄囚の様な人間には。

 

そんな『叫びの屋敷』であるが……今夜に耳を澄ましてみると、けたたましく鳴き喚くネズミの声が聞こえてくることだろう。どうやら今日の屋敷は人外は人外でも、化け物と言うにはあまりにも弱過ぎるだろう。

 

ネズミの声をBGMに『叫びの屋敷』は今、多くの来客を迎えているところだ。

 

突然訪れた来客を招き入れた場所は奇しくも貴賓室であった。豪奢であっただろうシャンデリアや、部屋の中央にあるテーブルを挟む大きな二つのソファなど家具の類は長い年月放置されていたためにすっかり埃を被り輝きを失っている。来客を通す場所としては、いささか失礼にあたるだろう。

 

その部屋で来客を出迎えるのは、ここしばらくこの屋敷に世話になっていた脱獄囚、シリウス・ブラックだ。彼はソファの背もたれに手を添えて立っているのだが、その彼のすぐそばにはテーブルに片足を乗せてソファに座っているロンの姿が見える。

 

テーブルに乗せられた片足は、何かに食い破られたかの様に血と肉でズタボロであった。そして彼の腕の中には部屋に響き渡る騒音の元凶であるスキャバーズがおり、今もなお飼い主の腕の中でもがき、鳴き声を上げている。

 

テーブルとソファを挟み、二人と対面しているのがハリー達だ。ハリーとハーマイオニー、そしてエステルの3人が、背後にいる一年生達をかばう様にしてブラックともう一人の来客を警戒している。

 

一年生達も庇われているだけではない。下手な上級生よりも優秀な彼女達は、既に杖を抜いて自衛に備えている。ほぼ全員が神経を尖らせている中、一人だけジィっと大人二人を見つめているのが印象的だった。

 

来客の最後の一人、リーマスの言葉を耳にしたエステルは、彼の言う言葉に思い当たる節があった。

 

「……もしかして、レイ?」

 

「その通りだよステラ。ついひと月ほど前にバレてしまってんだ。いや、話を聞けば随分と前に私の正体は分かっていた様だけど、幸いにも彼らは狼人間には偏見がないようでね。ずっと黙ってくれていたんだよ」

 

リーマスの言葉に、また内緒事をしていたとムッとなったエステルとハリーであったが、その中身を聞けばそれも仕方ないと納得するしかなかった。

 

共通の友達であるレイの話が出たことで、話し出すタイミングを見つけ出したリーマスが未だ警戒を解かないハリー達に真摯に語りかける。

 

「ハーマイオニーの言うように、私は君達をこの1年間騙していた人間だ。だが信じてほしい。私も、そしてそこにいる犬っころも、ジェームズやリリーを裏切るようなことはしない。もしそんなことになれば自ら死を選ぶ」

 

「そんなの、信じられるわけ……」

 

ハリーはかばう手に持つ杖を、あらん限りの力で握りしめる。本当ならば今すぐにでもブラックへと詰め寄り、その済ました顔をぶん殴ってやりたい。魔法でめちゃくちゃにしてやりたい。……この手で、殺してやりたい。

 

だが、今は自分の後ろには守らなければならない後輩達がおり、何よりブラックのすぐそばには身動きの取れないロンがいる。

 

荒ぶる感情を理性で抑え込む。たとえそれがぎりぎりのものであろうとも、この歳でそれができるのは相当のものだろう。

 

ぎしりと歯をくしいばりブラックを鋭く睨みつけるハリーを、ハーマイオニーとエステルが不安そうに見つめる。

 

しかしそんな時、場にそぐわない能天気な声が聞こえた。

 

「大丈夫だよぉ、ハリー」

 

その声に振り返る。そこには朗らかに笑うフィリシアの姿があった。

 

「何を言ってるの、フィー?」

 

「だって、目を見たらわかるもん」

 

姉の問いにも要領を得ない言葉を返すフィリシア。彼女はジェシカと握っていた手を離して、おもむろに自分をかばってくれていたハリー達の壁をすり抜けてブラックとリーマスの前へと躍り出る。

 

「ちょっ、フィー!?」

 

「何をしているのですかこのおバカっ!」

 

エステルとジェシカがフィリシアの身体を自分たちの元へと引き寄せる。しかし二人の心配をよそに、フィリシアはのほほんとしている。

 

子供達が慌ただしくしている様子は明かな隙である。しかしブラックとリーマスはなにをするでもなく静かに様子を伺っている。

 

その違和感にハリー達は気づいたが、だからといって警戒を解けるはずもない。フィリシアの無防備さには流石に強く言わなければいけないと二人が口を開こうとしたのだが、その前にフィリシアが不満そうに口を開いた。

 

「んもう、二人ともよく見て。ルーピン先生もブラックさんも、レイ兄とおんなじ目をしてるでしょ?」

 

「えっ……?」

 

突然出てきた想い人の名前にエステルがあっけにとられる。それはハリーとハーマイオニーも同じであり、ジェシカは特に訳がわからないでいた。

 

しかし、グレンとセルマだけは何かに気がついたようであった。二人は杖を手に警戒しながらも、フィリシアのフォローに入る。

 

「エステル殿、ここはフィーの話を聞いてみてはどうでしょうか」

 

「姉貴も知ってるだろ? 不思議ちゃんは不思議ちゃんなりの価値観がある。聞く価値はあんだろ。テメェも落ち着け根暗女」

 

「……うるさいですよ狂犬」

 

そう言いながらも、ジェシカはフィリシアの手を離さない。自分の手を強く握ってくれるジェシカにフィリシアは嬉しそうにデレデレし出す。しかしその頭をグレンがひっぱたいた。

 

「あたっ」

 

「何ニヤけてんだ。さっさと説明しやがれ」

 

恨めしそうに兄を見つめていたが、痛みが引いたところでフィリシアはなんで分からないのといった具合に不満げに首を傾げた。

 

「えー、みんな分からないの? ほらほらよく見て、二人の目。レイ兄とおんなじで、絶対に大切な人を守るんだぁって目をしてるでしょ?」

 

僕はそれがハリーなんだなぁって思うの、と締めくくり、フィリシアはニコニコしながらリーマスとブラックを見つめた。それにつられるように、ハリー達は二人に再度視線を向けた。

 

フィリシアのお陰だろうか。毒気を抜かれたハリーは、心を幾分か落ち着かせた状態で両親の仇を見ることができた。

 

交差する二人の視線。闇のように黒い瞳を、ハリーは覗き込む。それから視線を逸らすことなく、ブラックはハリーを受け入れた。

 

……ハリーにとって、レイは憧れだ。そのレイと同じ目を、ブラックがしていると言う。それは到底受け入れられるものではない。だが、しかし……。

 

しばし訪れる静寂。

 

耳障りなネズミの鳴き声を耳にしながら、エステル達やリーマス、そして当事者であるブラックも、ハリーの裁定を静かに待つ。

 

……それからどれほど時間が経っただろうか。

 

「…………まず、話を聞かせてほしい。ブラック、そしてルーピン先生の話を」

 

ハリーは、二人の話に耳を傾けることを選択した。それがどれほど我慢を強いるものであっただろうか。

 

「……君の寛大な心に感謝するよ。パッドフット、もうしばらく待て。彼には知る権利がある」

 

「分かっているさムーニー。私はこのまま“こいつ”を見張るとするよ」

 

その言葉を耳にした瞬間、ロンの腕の中でスキャバーズが激しく暴れ出す。

 

ペットの奇怪な行動をロンが押さえつける中、リーマスが頷いた。

 

「そうしておいてくれ。……さて、ハリー。全てを話そう」

 

そしてリーマス、ハリーにこの事件の真相を語り始めた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……ああ、ブラックとも和解しましたか。それはよかった……はい、はい……わかりました。んじゃ俺達は寮に帰るんで、ハリー達のことよろしくお願いします。それじゃ」

 

リーマスとの通話を終えて、レイは手鏡を閉じる。それを懐にしまい込むと、安堵したように深く息を吐き出した。

 

一連の流れをそばで見ていた面々が思い思いに言葉を紡ぐ。

 

「ようやくあのドブネズミもお縄についたか。やれやれ、小物のくせに手間を取らせてくれたものだ」

 

「はふぅ、何もなくてよかったですね。ペティグリューさんも捕まって、ブラックさんとも仲直りできて、いい事づくしですっ」

 

「問題はこれからだな。あの腐り果てた魔法省が果たしてピーター・ペティグリューの存在を認め、ブラックに冤罪を科したという過ちを謝罪するか否か」

 

ギルバートは自分でそう言いながらも、すでに自分の中で答えを出していた。否である、と。それはシルヴィアも同意であった。

 

「あのポンコツ大臣が認めるはずもない。アレもまた小物。この十数年の平和を自分が築き上げたと“錯覚”している屑が、その素晴らしい経歴に傷をつけるような真似をするものか」

 

あとはダンブルドアにかかっているだろうな、と締めくくったシルヴィア。言外に、ダンブルドアならばなんとかしてくれるであろうという信頼の表れである。

 

「ま、ここであーだこーだ言っても俺達にできることはない。ここはペティグリューのやつを捕まえられたことを素直に喜ぼうぜ?」

 

「そ、そうですねっ。本当に良かったです!」

 

えへへと無垢に笑うアリスに釣られて、レイとシルヴィアも頬を緩ませる。その様子にギルバートが呑気なものだとため息を一つこぼした。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

レイ達と通話を終えたリーマスは、彼らから預かっている『コンパクト両面鏡』を仕舞う。

 

リーマスのすぐそばでは、魂が抜けたように力なくうなだれる見窄らしい男がいた。男は背が低く、小太り。口元には特徴的な前歯が出ており、目が窪んでいる。

 

この男こそ、ブラックがこの一年探し回り、レイ達やリーマスと一月の逃走劇を繰り広げた……ピーター・ペティグリューだ。

 

ブラック達の話を聞いていたハリーは、最初は半信半疑であった。しかし話を聞くにつれて辻褄があうことが多々あることに気がつく。ならば試しにとスキャバーズをブラック達に渡してみることにしたのだ。

 

しかしここでまさかの乱入者が現れる。リーマスを追ってきていたスネイプだ。肝心の話を耳にしておらず、この現状だけを見てスネイプはリーマスとブラックを捕らえようとした。しかし、ハリーがそれをさせなかった。

 

諸々鬱憤が溜まっていたのであろう。話の邪魔だと言わんばかりに、レイ仕込みの武装解除呪文をスネイプへと放ったのだ。

 

哀れ、不意を打たれたスネイプは貴賓室の隅へと吹き飛ばされ、見事に意識を失ってしまった。……これには因縁があるブラックとリーマスも苦笑いであった。

 

話を戻し、ハリーはロンへと説得を試みた。しかしロンは中々承諾せず、痺れを切らしたブラックが半ば無理やりスキャバーズを掴み取った。そしてリーマスが魔法をスキャバーズにかけた瞬間、そこに……この男が現れたのだ。

 

そこからは話が早かった。リーマスとブラックに問い詰められ、恐怖から聞いてもいないことまでベラベラと情けなく白状し出すペティグリュー。挙げ句の果てには、あろうかとかハリーに命乞いまでする始末だ。

 

これにはこの場にいるほぼ全員が激情を示したが、当のハリーだけは不思議と落ち着いていた。そして、ハリーがペティグリューへと下した判決は……魔法省および吸魂鬼への引き渡しだった。

 

リーマスとブラックは、母親譲りの心優しい判決を尊重してハリーの言う通りにするのだった。

 

そして今に至る。リーマスがいる貴賓室では、現在半ばよくわかっていない一年生達にハーマイオニーとエステルが説明しており、ハリーとブラックが怪我をしたロンを抱えようとしているところだ。

 

さて、とリーマスは自分の役割である気絶したスネイプを運ぼうと杖を振るおうとする。しかしそこで、一年生達に説明していたエステルが彼に話しかけてきた。

 

「あの、さっきのって……レイへの連絡ですか?」

 

「ああそうだよ。何かあったときのために彼らには待機してもらっていたんだけど、こうして万事解決したからその報告をね」

 

「そう、ですか。……レイは、いつからこの人のことを知っていたんですか?」

 

エステルは地面に座り込むペティグリューへと目をやる。そこには普段の彼女からは決して見られない確かな侮蔑の色が見て取れた。

 

「どうだろうね。あの様子だとかなり前から知っていたように思えるけれど……」

 

「そうだな。私を追い詰め、問いただしてきた時はもう八割は真相に近づいていたよ。知らなかったのはコイツが動物もどきだったということぐらいさ」

 

リーマスとエステルの会話に、ロンを抱えたブラックが入ってきた。

 

私を深追いしたのは自分達の推測を確かめるためだと言っていた、と言いながら、彼はあのときのことを思い出して楽しげに笑う。

 

それを聞き、ハリーとエステルはあの時どうしてレイがわざわざブラックの後を追ったのかを初めて知った。

 

「私を追い詰めた時、彼とそのお友達にまんまとしてやられたよ。ハリー、今のホグワーツではアレが当たり前なのかい?」

 

「そ、そんな訳ないよ。レイ達は特別さ……ってあれ? どうしてコルドウェル達がその時そこに居るんだ?」

 

「あっ、それって……」

 

エステルはリーマスの持っているもののおかげだということに気づいて教えようとしたのだが、それをリーマスが阻止した。

 

軽くエステルの肩を叩き、ハリー達にバレないように人差し指を口元に当てる。それを見たエステルは、少しだけ逡巡した後に黙って頷くのだった。

 

「ね、ねぇ、喋ってないで早く僕を連れてってくれよ。もう痛くて痛くて……」

 

「おっと、そうだったな。すまない、本当はピーターを狙ったつもりだったんだがね。あの姿になるとどうも知能が下がってしまって……」

 

「言い訳は見苦しいぞパッドフッド。大人しくモリーにお仕置きされるんだな」

 

「うるさいぞムーニー、お前もさっさとそこのスニベルスを運べ」

 

久しぶりの友との掛け合いに胸が熱くなるのを感じながら、リーマスはそれを表情に出すことなく言われた通りに未だ気絶するスネイプを魔法で浮かばせるのだった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

レイ達は待機していた隠し部屋を離れてそれぞれの寮へと帰路につく。教師達にバレないように気をつけながらも、談笑をやめないあたりよほどバレない自信があることがうかがえる。

 

隠し部屋を出てしばらく。もうすぐレイと別れる場所に差し掛かったところで、一行は窓際の廊下へと差し掛かる。

 

どうやら今夜は月に陰りがないようで、窓から溢れる月明かりによって廊下は燭台が必要ないほどに明るかった。

 

「…………?」

 

その時、ギルバートは頭の片隅に引っかかりを覚えた。

 

ほんの些細なものだ。しかし、これに気付かなければのちに大きなミスへと繋がるとギルバートの勘が叫んでいる。

 

足を止めたギルバートに気づくことなく、レイ達は廊下を歩いていく。シルヴィアは最愛との僅か数時間の別れを惜しみ、それにレイが呆れ、アリスが愛想笑う。

 

ギルバートは一人、窓から流れる月光をその身に浴びる。自分が何に引っかかりを覚えているのか、即座に思考を巡らせながら。

 

長年培い鍛え上げた頭脳が、常人を遥かに超える思考速度でもって答えを導き出そうとしている。

 

そして……。

 

「…………っ!!」

 

その間僅か十秒足らず。足を止めた秀才にレイ達が気づくより先に、ギルバートは全てを導き出した。

 

「しまった、 俺としたことがっ……!」

 

「ん? どしたよギル……ってあれ? なんでお前、そんなところで突っ立ってんだ?」

 

その声を聞き、ようやくギルバートのことに気が付いた面々はそんなところで何をしてるのかと最初は首を傾げた。しかし、月明かりに照らし出された秀才の表情を見て、全員が驚きで目を見開く。

 

それもそうだろう。冷静沈着を体現したあのギルバートが、かなり焦った様子を見せているのだから。

 

再度ギルバートへ声をかけようとしたのだが、その前に彼の方から早足で詰め寄ってきた。

 

「おい、ギル……」

 

「話はあとだ。レイ、ルーピン教授に連絡が取れるか?」

 

「お、おう。やってみる」

 

何が何だかわからないが、とりあえず言われた通りに懐から『コンパクト両面鏡』を取り出してリーマスへと連絡を取る。……しかし、なぜか反応を示さない。

 

「おかしいな、ついさっきまで繋がってたのに……」

 

「やはりか……。お前達、急いでポッター達の元へ向かうぞ」

 

「ふぇっ!? ぎ、ギルさん!」

 

言うや否やギルバートはレイ達を置いて走り出した。レイ達は未だ事情を把握してはいないが、ギルバートがあれほど焦っているのだから何か不味いことが起こったのだと嫌でも悟る。

 

顔を見合わせて頷くと、ギルバートの後を追ってレイ達も駆け出した。ギルバートの背にすぐに追いつくレイとシルヴィア、その少し後をアリスが続く。

 

「ギル、向こうでは今何が起こっている?」

 

走りながらシルヴィアが尋ねる。問いを背で聞いたギルバートは、僅かに振り向くと再び正面を向く。そして前を向いたまま簡潔に自分が導き出した答えを述べた。

 

「……今夜は、“満月”だ。おそらく今、狼人間へと変貌したルーピン教授にポッター達が襲われている」

 

「なっ、嘘だろっ!?」

 

窓から覗く黄金の満月、リーマスが外出した時間と今の時間、狼人間の薬である脱狼薬を作っていたスネイプの乱入。その他諸々の情報を探し出し、繋ぎ合わせたからこそ導き出せた答えだ。そして、リーマスと連絡が取れないことが決定打となった。

 

「俺としたことが迂闊だった。ルーピン教授が狼人間だと判明した頃より月の周期には気を遣っていたというのに……」

 

初めて見るギルバートの心底悔しそうに奥歯を軋ませる姿。それはレイ達に少なくない衝撃を与えるが、そこは長い付き合いだ。励まし方も理解している。

 

「らしくねぇぞギルっ! 過ぎたことは仕方ねぇだろ。間違いを次に活かす、それがお前の信条だろうが!」

 

「そうとも。最善手は取れずとも、その時にできる最善を目指す。私達ならばそれが出来る。今は早急にルーピン教授を捕縛して、君の愛しい妹殿を助けようではないか」

 

「わ、私達じゃ、全然、気付かなかった、ですからっ。そ、そんなに、自分を、せ、責めないで、下さいっ……!」

 

「…………」

 

それぞれがそれぞれらしい激励。アリスも、シルヴィアも、そして誰よりもハリー達を一番心配しているはずのレイも。誰もがギルバートを責めない。

 

こういう時、いっそ責めてもらえた方が幾分か気が楽になるものだ。だがギルバートの友人達は彼にそんな楽などさせない。

 

それこそ、いつもの彼のように。

 

「……ふんっ、随分と大きな口を叩くようになったものだ」

 

「誰かさんのお陰でなっ!」

 

ギルバートは隣に並んだレイの清々しい笑みに釣られるように、自身も小さく口元を緩めた。

 

「ならば急ぐぞ。レイ、そこの息切れしているアリスを抱えろ。次の曲がり角で飛ぶぞ!」

 

「へへっ、了解っ!」

 

「ふぇっ? ……ふわぁっ!?」

 

「おお、アレを使うか。この高さを飛ぶのは中々スリリングだな!」

 

言われた通りにレイはアリスを横抱きに抱え、レイ、シルヴィア、ギルバートは横並びに廊下を駆ける。そして……。

 

その廊下の曲がり角。バルコニーのようになっている場所の手すりへと足をかけ……。

 

 

 

数十メートルの高さから、レイ達はその身を投げ出した。

 

 

 

「ひ、ひやああぁぁぁーーーーーーっ!!?」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「せ、先生っ! どうして、こんなっ……!」

 

「ステラ下がってっ! もうルーピン先生は正気じゃないわ!」

 

「リーマスっ、目を覚ませ!! 本当の君はここにいる! 自分を見失うなっ!」

 

「グッ、ガ、アァアっ……!」

 

黄金に輝く満月が、遍く大地を優しく照らす。

 

しかしその輝きは、誰にとっても優しいものではない。そう、例えば……。

 

 

 

「……グルルッ、グルゥアアッ!!」

 

 

 

リーマス・ルーピンのような、狼人間ならば。

 

順調にピーター・ペティグリューを連行していたハリー達一行。暴れ柳の樹洞を抜け、今までの陰鬱とした場所からやっと解放されると無防備に外へ出てたハリー達を襲ったのは、黄金の満月であった。

 

そして、リーマスは理性のない暴虐の獣へと姿を変える。

 

「ひっ! い、いやだ、僕はまだ、死にたくっ、死にたくないっ! う、うわぁぁぁぁっ!」

 

「待て! ペティグリューっ!」

 

リーマスの心へと問いかけていたブラックが勢いよく吹き飛んだところを見たペティグリューが、なんとここで意地汚くも生への執着を取り戻してしまった。

 

ハリーの制止に聞く耳を持たず、ペティグリューはほとんど本能のままにネズミへと姿を変えてこの場から逃げ去ろうと試みる。

 

しかしそれを後ろから見ていたグレンとセルマが許さなかった。

 

「テメェっ! この期に及んで逃げんじゃねぇよっ!」

 

「貴様はまた友を見捨てるのか。最早貴様に同情する余地はカケラもないな!」

 

「ヒィッ!?」

 

姿を変えようとした瞬間に二人の呪文がペティグリューを襲った。中途半端に変化していたために呪文が直撃することはなかったが、そのせいで姿を変えることもできず人のまま尻餅をついた。

 

「いやだっ、いやだぁーーーっ!!」

 

ペティグリューはそれでもなんとか這いずるようにして立ち上がり、禁じられた森の方へと駆け出してしまう。

 

「待てやクソネズミっ!」

 

「グレンっ!? 行っちゃダメ!!」

 

姉の制止を振り切り、グレンは感情のままにペティグリューを追っていってしまった。

 

「この娘といいあの狂犬といい、長女以外はみんなおバカばかりですかっ!」

 

「どうやら昔の血を思い出してしまったようだ。エステル殿っ! グレンは私達が連れて帰ります! 貴女は早くスネイプ先生を起こして下さい!」

 

「えっ、二人までっ!?」

 

セルマとジェシカはそれだけ言ってグレン達の後を追い始める。本当はエステルも彼女達についていきたいところだが、ここで完全に狼人間へと姿を変えたリーマスの意識がこちらに向いてしまっている。

 

エステルは無意識に背後にいるフィリシアを庇うようにする。しかしここで、その庇うべき妹がいつのまにかいなくなってしまっていたことに気が付いた。

 

「嘘っ、まさかあの子っ!?」

 

どうやらフィリシアもジェシカ達に付いて行ってしまったようだ。気付いてしまっても今となってはどうしようもない。獣同然となってしまったリーマスを前に、下手な動きはできない。

 

ハリーとハーマイオニー、エステルは背後にロンとスネイプを庇いながら、リーマスと相対する。

 

その時、物陰から黒い影がリーマスへと襲いかかった。

 

「シリウスっ!」

 

それは先程吹き飛ばされたはずのブラックであった。彼は黒犬へと姿を変えて、ハリー達を守るために変わり果てた親友と相対する。

 

それから照らし合わせたかのようにお互い同時に飛びかかり、獣同士の取っ組み合いが始まった。

 

互いに牙や爪を使う原始的な戦い。側から見れば、シリウスはリーマスの牙に気をつけながら戦っている分、体格差もあり明らかな劣勢のように思えた。

 

そしてリーマスとブラックは取っ組み合ったままに禁じられた森の方へと姿を消してしまう。

 

「大変だ! シリウスを追わないとっ!」

 

「ダメよハリー! 一人でなんて……っ!」

 

「そうだよっ、まずはスネイプ先生を起こして……っ!」

 

一人ブラックの後を追おうとするハリーを、ハーマイオニーとエステルが止めようとする。

 

「そんなことしていたら間に合わないかもしれないっ! シリウスは、僕のたった一人の家族なんだっ!!」

 

「っ!!」

 

しかし、ハリーのその悲痛な叫びを聞いてしまった二人は、とっさにハリーを引き止める手を止めてしまう。

 

その隙に、ハリーはブラック達の方へと走り出してしまった。

 

「ああっ、どうしましょう!」

 

「ハーマイオニー、ステラ! 君達はハリーを追うんだっ! 僕はこのドブ水野郎を叩き起こす!」

 

「で、でもっ! グレン達のこともあるんだよっ!? 私達だけじゃどうしようもっ……!」

 

その時、ようやく彼らの希望が到着する。

 

「みんな、無事かっ!?」

 

暴れ柳の根元に、アリスを背負ったレイがシルヴィア達を引き連れて駆けつけたのだ。

 

エステルはレイの顔を見た瞬間、今まで我慢していたものを吐き出すかのように顔をぐずして、アリスを下ろしたレイの胸へと飛び込んだ。

 

「っと、ステラ?」

 

「グスッ、どうしよっ、レイ、ひっく。みんなが、みんながぁ……!」

 

「……遅れてごめんな、ステラ。よく頑張った。……ハーマイオニー、今どういう状況なんだ?」

 

「じ、実は……」

 

それからレイ達は今まであったことを簡単に教えてもらった。その間、ロンの片足にアリスが治療を施す。

 

話を聞き終えたレイの判断は早かった。

 

「シルヴィ、ハリーとブラック、ルーピン先生の方を頼む」

 

「承った」

 

「ギル、俺と一緒にグレン達の方だ」

 

「いいだろう」

 

「アリスはここでみんなを頼む」

 

「分かりましたっ!」

 

レイとシルヴィア、ギルバートとアリスの四人は頷きあうと、早速シルヴィアは颯爽と一人、ハリー達が消えた方向へと姿を消していった。

 

それを見送ると、レイは未だ胸の中にいるエステルの頭を優しく撫でる。

 

「ステラ、俺達が必ずみんな無事に助け出す。ここで信じて待っていてくれ」

 

「ごめん、ぐすっ、ごめんねっ。ひっく、いつも、いっつも……!」

 

「……いいんだよ。俺が好きでやってるんだからさ」

 

レイは俯くエステルと顔を上げ、涙で汚れた顔を優しく拭ってあげる。そして微笑みかけ、頭をポンポンと軽く撫でてあげてエステルから身体を離した。

 

「ギル、行こうぜ」

 

「ああ」

 

そしてレイは必ず全員助けることを誓い、ギルバートを連れて彼らも禁じられた森へと姿を消した。

 

「お願い、みんなを、みんなをっ……」

 

「大丈夫ですよ、エステルさん。レイさん達なら、きっとみんなを連れて戻ってきてくれますから」

 

「うん、うんっ……!」

 

エステルはアリスの胸に抱かれながら、それでも祈る手を止めることはなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「全く、なんで貴女まで来ているのですかこのおバカっ!」

 

「だって、グレンのこと放って置けなくて……」

 

「そう言ってやるな。グレンのことが心配だったんだろう。それに、今更帰れとも言えないだろう。フィー、私達から離れてはいけないよ?」

 

「うんっ」

 

「はぁ……」

 

あれほど夜空に輝いていた満月も、禁じられた森の中ではその威光を拝むことはできない。月明かり一つ差し込むこともままならない暗闇の森を、ジェシカ達は杖の灯りを頼りに進む。

 

幸い、ペティグリューとグレンのものと思われる足跡はくっきり残っており、後を追う分にはそれほど苦労するものでもなかった。問題はもともとこの森に住む危険な魔法生物達の存在なのだが、なぜか3人のいく先には動物の気配は今のところ感じることはなかった。

 

……そう、普通の動物の気配すらも。

 

ここに常日頃から出入りしているハグリッドがいれば、この森のただならぬ雰囲気に違和感を感じることだろう。ジェシカ達はそんなことに気付くはずもなく、すぐそばに恐怖を侍らせながら森の中を進んでいく。

 

それから少しだけ歩いた頃。突然先の方から聞こえてきた男性の叫び声を聞いてジェシカ達は目的地が近いことを察した。

 

足元に注意しながら、駆け足で先を急ぐ。そして、ジェシカ達の視界が一気に開けた。

 

そこは、大きな切り株が中心に鎮座する広場であった。だが、その切り株の大きさが尋常ではない。

 

人が何十人と輪にならなければいけないほどに大きな円周を誇るその切り株は、何十年、何百年も昔にはこの森の象徴とも言えるほどの大樹であったことが伺える。

 

今まで暗闇の中を進んでいたため、柔らかな月光もジェシカ達にとっては十分に眩しいものであった。それから少しして目が明るさに慣れてくると、切り株の根元で身体を暴れさせているペティグリューと、それを見下ろすグレンの姿がジェシカ達の視界に飛び込んできた。

 

「ひぃ、ひぃぃっ! 痛い、痛いよぉっ……!」

 

「はぁ、はぁっ……。しばらくそこで転がってろ、クソ野郎が」

 

「グレンっ」

 

肩で息をするグレンの元へ、フィリシアが一足先に駆け寄る。その後ろにセルマとジェシカが続いた。

 

「大丈夫? 怪我してない?」

 

「ああ? 俺がこんなドブネズミにどうこうされるわけないだろうが」

 

フィリシアの心配に、グレンはどこか気が立ったような苛立ちげな様子で返事を返す。

 

「いいやグレン、今回の行動は早計に過ぎるぞ。こいつは仮にも十人以上も殺している歴とした大量殺人鬼だ。君の身に何かあってもおかしくなかったのだぞ?」

 

「その程度の判断が出来ないほどに狂ったのですか? だったら誰にも迷惑のかからないところで狂犬らしく狂いながら勝手に死になさい」

 

「……チッ」

 

セルマ達の予想に反し、グレンは特に噛み付く様子もなく舌打ちを一つ苛立たしげに切り株を蹴った。

 

グレンはペティグリューが、彼の何もかもが癇に障っていた。

 

何もかもから逃げ続ける彼の生き様が、潔く罰を受けることもせず、挙げ句の果てには再び全てから逃げ出そうとしたその根性が。

 

すべて、何もかもが気に入らなかった。

 

だって、それは。

 

……今の自分の、レイというとても大きな存在から逃げている自分の、なれの果てのように思えたから。

 

それもあって、グレンは久し振りに感情を制御できずにここまで追ってきてしまったのだ。

 

しかしそんな恥さらしも上等なことを、ジェシカ達に言うわけなもいかない。グレンはただ、甘んじてセルマとジェシカの言葉を受けるのだった。

 

とりあえず合流することができたジェシカ達は、未だに苦しみもがくペティグリューを見やる。

 

「引きつり呪文か、無駄に苦しませるのは趣味が悪いぞ」

 

セルマはそう言って、ペティグリューへ失神呪文を放って意識を奪い去る。ようやく雑音もなくなり、あたりに静寂が訪れる。

 

「さて、グレンとペティグリューの捕獲には成功したが、このままここで助けを待つか、コレを引っ張って来た道を戻るか……」

 

「ここは待っているのが先決でしょう。なんとか運良くここまで追ってこれましたが、帰りもそううまくいくとは思えません。しかも余計な荷物を抱えたままで」

 

「……そう、だな。それがいいだろう。二人もいいかい?」

 

「うんっ、いいよぉ」

 

「……あぁ」

 

全員賛成ということで、ジェシカ達は救助を待つことにした。それからしばらく、各々切り株に背を預けて助けが来るのを待つ。

 

セルマはペティグリューを監視して、グレンは気持ちを落ち着かせている。ジェシカとフィリシアは身を寄せ合いながら心細さを紛らわせていた。

 

どこか静謐な雰囲気もあって、四人はここ数時間で昂ぶっていた気持ちを落ち着かせることができた。

 

……しかし、それは突然やってきた。

 

「……ひっ、い、いや、いやだよぉっ」

 

異常に気付いたのは、感受性が豊かなフィリシアだった。フィリシアは突如自分の身を襲ってきた恐怖の感情に、思わずそばにいたジェシカをぎゅうっと抱きしめる。

 

「ど、どうしたというのですか突然っ」

 

「じ、ジェシーっ、怖い、怖いよぉっ」

 

「何が怖いと……ほら、しっかりなさいな!」

 

フィリシアの尋常ではない様子にセルマとグレンも駆け寄り、蹲る彼女をそれぞれが慰める。

 

ジェシカがフィリシアの肩を抱き、グレンが言葉を投げかける中、次に異常に気付いたのはセルマだった。

 

「……っ!? なんだ、この寒気は……」

 

たしかに先程までも肌寒い感じはしていたが、肌を何本もの針で突き刺されたように痛むほどのものではなかった筈だ。それはジェシカ、グレンも感じることができた。

 

異常事態を察知し、切り株を背にして固まるジェシカ達。警戒するように周囲を見渡せば、地面に生える草花や切り株などが凍りついていくではないか。

 

吐く息までもが白くなり、身体中の震えが止まらなくなって来た。

 

 

 

そして、闇は姿を現した。

 

 

 

「……うそ、まさか」

 

不意に地面が陰ったことを訝しんだジェシカが空を見上げた。そしてその正体を知り、絶句する。

 

それはセルマとグレンも同じであり、次々と空を覆っていく闇に何一つ言葉を発することができなくなってしまう。

 

彼らの見上げる先。黄金の月を遮り、夜空よりも暗い闇の色で染め尽くさんとしている暗闇の住人達。

 

吸魂鬼が、数多の数を引き連れてグレン達を見下ろしていたのだ。

 

この世で最もおぞましい生き物。それらが空を覆い尽くし、今にもジェシカ達の元へと幸福を、そして魂を貪り喰らわんと心待ちにしている。

 

「は、はは。コレはダメだ。打つ手がない……」

 

セルマは何もかもを諦めたように力なく杖を落として、地面に膝をつく。

 

「お、おいっ! しっかりしやがれ!! 諦めたらそれこそアイツらの思う壺だろうがっ!」

 

グレンはそんなセルマになんとか気合を入れようと声を荒げるが、グレン自身、寒さではなく、恐怖に震える身体を支えるだけで精一杯だった。

 

「や、やだ、やだよぉ……」

 

フィリシアはただ、駄々っ子のように嫌だと口にするだけで、心はとっくの昔に折れていた。

 

「…………」

 

そして、ジェシカは……不思議と、心に揺らぎの一つもなかった。

 

彼女の心にあるのは、やっと終われるのかという諦念を通り越した一種の悟りであった。

 

ここ数年、辛いばかりの人生であった。実家のこと、母親のこと、そして義兄のこと。幸せなことなんて何もなかった。

 

何もかも投げ打って頑張ろうと、その頑張りが認められることはない。……なら生きている意味などないではないか。

 

ここで死ぬなら、それでもいいか。

 

ジェシカは、着々と迫ってくる暗黒の死を受け入れるように瞳を閉じた。

 

しかし……。

 

 

 

「怖いよぉ、ジェシーっ……」

 

 

 

自分をたった一人。好きだと言ってくれた少女の声が、ジェシカの死んでいく心に命を吹き込んだ。

 

出会いはお世辞にも良いものではなかった。

 

授業中にペアとなり、どこまでも足を引っ張ってくる彼女には苛立ちしか感じなかったはずだ。それからも度々バカをしでかす彼女に、とうとう手ずから物事を教えることとなり、変に懐かれてしまった。

 

どこまでも自分を振り回して迷惑をかけられた。けれど……。

 

「…………はぁ。私もどうやらおバカになったようですね」

 

ジェシカは蹲るフィリシアのそばに膝をつき、彼女を正面から抱きしめた。

 

「……ふぇ?」

 

「よく聞きなさい、今から私が囮になります。その隙に貴女はセルマ達を連れてここから逃げなさい」

 

「じ、ジェシー……?」

 

瞳を潤ませて自身を見上げてくるフィリシアに、セルマはふっと微笑みかけてその涙を優しく拭う。

 

「おバカさん。一度しか言いません、心して聞きなさい」

 

ジェシカはフィリシアがキチンと自分の方に意識を向けていることを確認すると、今まで言いたくても言うことのできなかった精一杯の言葉を彼女へと送った。

 

 

 

「……フィー、こんな私と友達になってくれて……ありがとう。大好きですよ」

 

 

 

フィリシアの耳元でそれだけを伝えたジェシカは、最後に呆然とするフィリシアへと穏やかな笑顔を送り、一息に駆け出した。

 

「ジェシー、なにを……」

 

「なにをしてやがる根暗女ぁっ!」

 

「私が囮になります! いいから貴女達は逃げなさい!!」

 

ジェシカはそれだけ言うと、一度も振り向くことはなく吸魂鬼達の前に躍り出る。

 

吸魂鬼はジェシカから溢れ出る幸福の感情に釣られるように、ほとんどの数がジェシカの元へも殺到していく。

 

視界の全てを闇に染めていく中、ジェシカは内から次々と湧き上がる幸せな気持ちに戸惑っていた。自分の中には、まだこれほど生きている思いがあったのだと。

 

……これなら、使える筈だ。風の噂で聞いた、忌々しい義兄が練習していたと言う、あの呪文を。

 

ジェシカは溢れ出る幸福を力に変えるように、その呪文を口にした。

 

「エクスペクト・パトローナムっ!!」

 

呪文は確かな力となり、ジェシカの杖より現れ出でる。

 

杖より現れた白い靄は吸魂鬼を退ける確かな壁としてジェシカを守り抜いていく。

 

だが、しかし。

 

「くっ、やはりこの数にこれっぽっちでは足りませんかっ……!」

 

その壁は、あまりにも……あまりにも薄すぎた。

 

ジェシカが一匹を退けている間に、数匹単位で彼女を包囲して、溢れ出る幸福を次々と奪い去っていく。

 

その光景を、セルマとグレンは歯噛みして見守ることしかできない。

 

彼女が命を賭して作り出した確かな猶予。これを無駄にすることはそれこそジェシカに対する最低の返礼だ。それを理解できる自分を、セルマは初めて呪った。

 

「…………っ!! ……グレン、フィー。この隙に逃げるぞ」

 

「はぁっ!? ふざけてんのかテメェっ!!」

 

「ふざけているはずがないだろうっ!!」

 

「っ!?」

 

セルマはグレンの胸ぐらを掴み、鼻先が触れそうなほどに顔を近づける。

 

「ジェシーが役立たずの私達のために、命を賭して逃げる時間を作ってくれている。それを無駄にすることこそが彼女に対する冒涜だろうがっ!」

 

「……っ!!」

 

あまりにも正論。その言葉に殴られたグレンはなにも言うことができなかった。こうしている今も、ジェシカは必死で吸魂鬼を相手に戦ってくれている。

 

「私を恨むのなら好きに恨んでくれ。それでも私は、引きずってでもお前達を連れていくぞ」

 

「…………クッソがぁ!!」

 

グレンは叫ぶ。この世全てを呪い殺すように慟哭をあげる。

 

そしてそのまま今も呆然とするフィリシアを無理やり引っ張り立たせた。

 

「いくぞ!」

 

「や、やぁ……」

 

か細い声で対抗するフィリシア。しかしグレンは力の限り彼女を引っ張りジェシカと吸魂鬼から距離を離していく。

 

その様子を微かに伺っていたジェシカは、これで大丈夫だと胸をなでおろす。溢れ出る幸福もどうやら尽きたようで、杖の先から守護霊が途絶えてしまう。

 

これは好機と言わんばかりに、吸魂鬼が一斉にジェシカへと殺到する。それを遠くで眺めていたセルマは顔を背け、グレンは一度も振り返ることはないままフィリシアを連れて足を動かす。

 

そして、呆然と眺めていたフィリシアは闇に覆い尽くされる一瞬の間に、ジェシカが笑っている姿を垣間見えた。

 

『大好きですよ』

 

ジェシカが最後に言ってくれた言葉と笑顔が、フィリシアの中でフラッシュバックした。

 

「…………っ!! やだあっ!! ジェシーしんじゃやだぁっ!!」

 

先程までの生きた人形のようであったフィリシアが、今度はあらん限りの力で暴れてジェシカの元へと駆け出そうとする。

 

「馬鹿野郎! 暴れんなっ!」

 

「フィー! 彼女の犠牲を無駄にするな!!」

 

「やだあっ! 最後なんてやだよっ! もっと、もっとずっと一緒にいたいよ、ジェシーっ!!」

 

フィリシアは必死にジェシカへと手を伸ばす。しかし、伸ばす手の先には、暗黒しか無い。

 

ジェシカは複数の吸魂鬼に幸福の感情を吸い取られる中、微かなフィリシアの叫びを聞いた気がした。

 

「……ふふ、全く。あの子は……最後まで、おバカ……なん、ですから」

 

ジェシカは最後の最後まで微笑みを浮かべたまま、自分のうちから何かが出て行こうとするそれに身を任せた。

 

……………………。

 

 

 

 

 

「……だれか、だれかジェシーをたすけてよぉっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、やはり貴様は愚妹だな。この愚か者め」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間。白く輝く一陣の風が、ジェシカを覆い尽くしていた闇のカーテンを一刀に切り裂いた。

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

それは誰の声だっただろうか。

 

セルマも、グレンも、フィリシアも。誰もが目の前で起こっている光景に理解が追いついていない。

 

しかし彼女達の理解を待たずに事態は変化していく。

 

斜めに白線で一刀両断された吸魂鬼達は、つけられた傷跡に近い者共から声にならない悲鳴をあげて次々と上空へと逃げていく。

 

傷跡が確実に大きくなっていく中、吸魂鬼の群れの中から、それはたしかに聞こえてきた。

 

 

 

何者をも威圧せんとする、獣王の咆哮を。

 

 

 

咆哮が聞こえた瞬間、闇の群れが一気に弾け飛んだ。

 

あまりの眩しさに、セルマ達は顔を覆う。それを間近で受けた吸魂鬼にとってはたまったものではない。弾けん飛んだ吸魂鬼達は、悲鳴を上げながら散り散りに避難していく。

 

少しずつ収まっていく光の傍流。

 

安全を確保した吸魂鬼達が、遠巻きに自分達が先程までいた場所を注視する。セルマ達も、ジェシカがいるであろう場所へと再び目を向ける。

 

多くの視線に晒される中、彼らはそこに立っていた。

 

「たくっ、大切な妹なんだからお前が抱えてやれよ」

 

「あいにくと、嫌悪を抱かれている者を抱えてやるほどお人好しではない。どこかの泣き虫と違ってな」

 

無事な様子を見せるジェシカを抱えるのは、見た目は平凡な少年だ。しかし彼が纏う空気は重苦しく、何より強大であった。

 

その横に立っているのは、眼鏡をかけた少年だ。レンズの奥からは見たものを切り裂かんばかりの鋭い視線で、周囲を漂う闇の住人達を睨みつける。

 

少年たちの姿を視界に映したセルマは、思わず安堵の涙をこぼした。

 

いつか相対した時とは比べ物にならないほどに大きく見える平凡な少年を見たグレンは、これこそが彼の真髄なのだと改めて力の差を理解した。

 

助けられて少しづつ正気を取り戻してきたジェシカは、自分の身に起こっていることが現実なのか分からなかった。けれど、心の底まで冷えかけた自分を暖めてくれる温もりを確かに感じていた。

 

そして、自分の大好きな友達を助けてくれたことを理解したフィリシアは、大粒の涙を零しながら……少年の名を呼んだ。

 

 

 

「……レイ兄っ!!」

 

 

 

「おう、よく頑張ったな。あとは俺達に任せろ」

 

レイ・オルブライトとギルバート・エリス。

 

全ての闇を祓う光の英雄が、ここに推参した。




次回、兄と妹。
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