選ばれし者と暁の英雄   作:黒猫ノ月

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第3章 最終話です!


59話

薄靄のような雲が散りばめられた紺碧の空に、燦々と太陽が輝いている。その輝きは大地にあまねくすべての生命を照らし、肌を焦がすような日の光は夏の到来を感じさせる。

 

それは風も同じだ。夏風はぬるま湯のような熱を帯びて身体にまとわりつき、溢れる汗がシャツを濡らしていく。

 

しかし日陰などを除き、ことこの場所だけは例外だった。夏日に煌めく湖という舞台裏を歩く夏風は涼やかに冷やされ、程よい冷気となって湖畔という表舞台へと躍り出る。

 

表舞台はすでに幕が上がっており、二人の少年が相対するように立っていた。観客も入場しているようで、遅れて登場を果たした夏風はそれを誤魔化すように主役である少年達へとまとわりついた。

 

風の言い訳に、少年の一人が鬱陶しいと言わんばかりに靡くマントを一息に脱ぎ捨てた。一方で、もう一人の少年は風を許すかのように落ち着きを伴って同じようにマントを脱いだ。

 

許しをもらった夏風は、脱ぎ捨てられたマントを空へと機嫌よく舞い上がらせる。しかしマントは観客の魔法によって引き戻されてしまい、夏風は不満げにしながらも颯爽と表舞台から退場していくのだった。

 

「ん、調子はいいな。グレンはどうだ?」

 

表舞台に壇上している主役の一人、レイが体の調子を確かめた後にもう一人の主役へと声をかける。

 

「問題ねぇよ」

 

言葉を投げかけられたもう一人の主役、グレンはぶっきらぼうに答えた。

 

その答えにレイは満足げに頷き、次には笑みの色を変えた。

 

「……うっし、なら始めようぜグレン。半年越しの喧嘩をさ」

 

そう言って好戦的な笑みを浮かべたレイが杖を振り払い構える。瞬間、先程までの穏やかな雰囲気はなりを潜め、静かなる闘志の焔が相対するグレンへと襲いかかる。

 

自身を焼き尽くさんとする重厚な戦意の圧に、グレンは恐怖と緊張で身体が固まっていくの感じる。しかし彼はこれ以上無様を晒してなるものかと自身を激しく叱咤して、自身を縛ろうとする全てを隅に追いやる。

 

少しして、多少はマシになった身体にさらに追い立ててグレンも杖を構えた。……震える唇から、か細い吐息が零れる。

 

舞台上で相対するレイとグレンを見守る観客は多数いる。シルヴィア達はもちろん、ハリーとエステル一行にジェシカ達もいた。しかし観客の浮かべる表情や思う感情は大方統一されてた。

 

それは……一方が勝利するだろうという確信と、一方が負けた後を想い憂う。観客はすでに、決められた未来を見ていたのだった。

 

あの激動の一夜から一週間が過ぎた、日差しの強いとある休日の午後だった。

 

一週間前、真夜中に叩き起こされたホグワーツは激しい動揺に襲われた。

 

なんと凶悪犯シリウス・ブラックは冤罪であり、その冤罪を仕向けた真犯人は勇敢な被害者であったはずのピーター・ペティグリューだというのだ。しかも当の本人は生き延びており、今は失神して転がされている。

 

自寮が誇る英才達に叩き起こされたミネルバを筆頭とする教師陣達は、あまりに現実ばなれした目の前の光景に頭が真っ白になっていた。それは、見当違いの思い込みをしていたスネイプも同様であった。

 

しかし、そこにハリーに連れられたダンブルドアが現れたことで教師陣もとりあえず正気には戻った。ただただ戸惑いを見せるミネルバ達をよそに、ダンブルドアは静かに現状を確認していく。

 

……実はその間、シルヴィアよりご褒美をねだられたレイが、それはもう愛情と感謝を込めて彼女の頭をナデナデしてあげていた。

 

シルヴィア自身、ご褒美が現実になるとは思いもしていなかった。だがレイからすれば別に抵抗があるものでもない。

 

不意の愛情深いナデナデという一撃。それは周囲の目や湧き上がる嬉しさ、気恥ずかしさも合わさって、シルヴィアはとても人前で浮かべてはいけないほどに顔がとろけてしまっていた。

 

しかしそこは天才。一瞬で顔を覆い隠し、レイの胸に飛び込むことで恥を晒すという最悪の事態だけは避けることができた。

 

ナデナデと。最愛からのご褒美を彼の腕の中で心ゆくまで堪能するシルヴィアを横目に、エステルが口を結んで葛藤していたのは印象的だった。

 

普段は見られない天才の一面に子供達が驚きを露わにする中、あらかた確認を終えたダンブルドアが少年達の言葉が真実だと確信。すぐにペティグリューを確保し、リーマスとブラックに詳細を説明するよう求めた。

 

二人の了承を得ると、ダンブルドアは未だ戸惑いから抜け出せないミネルバ達にひとまず教師陣のみで話し合おうと提案。これによりようやく落ち着きを取り戻したミネルバ達は、子供達にとりあえず寮内で待機するように言いつけて、ダンブルドアの後を追ったのだった。

 

教師陣が立ち去った後もなお続いたご褒美タイム。だがそれも、秀才の喝によって終わりを告げた。

 

せっかくのご褒美が終わったことへの不満とこれ以上醜態を晒さなくてよくなった安堵でなんとも言えない表情を浮かべるシルヴィア。そんな親友に不思議に想いながらも、無自覚天然タラシ野郎はジェシカをはじめとした後輩を送ると歩き出した。

 

その後にほとんど全員が付いていく中……ただ一人、グレンだけが待ったをかけた。

 

全員の意識が自身に向いたこと、そして何より……レイが真っ直ぐにこちらを見ていることに一瞬ひるんだ様子を見せたグレン。しかし一息に息を吐き出したことで平静を取り戻した彼は、おもむろに告げたのだ。

 

俺と喧嘩してくれ、と。

 

それを受けたレイは一瞬驚いた様子を見せたが、それもすぐに笑顔に変わり即了承。杖を抜いて応えようとしたのだが、そこでまたギルバートが何も今日いきなりする必要はない、せめて数日日を空けろと諭した。

 

これには当人達以外の全員が賛同し、結果喧嘩は持ち越しと相成ってしまったのだった。

 

そして今日。一週間という時を経て、レイとグレンの因縁に決着がつこうとしていた。

 

「では私がこの闘いのジャッジを行う」

 

そう言ってプラチナブロンドの髪をなびかせながらシルヴィアが二人のちょうど真ん中に歩み出る。

 

「ルールは単純、相手を戦闘不能にするか降参を宣言させれば勝ちだ。そのほか何を使い、駆使しても良い。……構わないな?」

 

「「おう」」

 

審判の確認に両者ほぼ同時に了承の声を上げる。それを受けたシルヴィアは一つ頷いて右手を天高く掲げる。

 

「……っ!」

 

いよいよだとグレンは手汗で濡れる杖を握り直す。全身に緊張が走り、目はレイの一挙一動を見逃すまいと瞳孔が忙しなく揺れていく。

 

視界に映るレイは気構えた様子もなく杖を力なくぶら下げてこちらを注視しているだけだ。しかし、明らかに闘志の焔は勢いを増して燃え上がっている。

 

それはどこまでも燃え上がり、レイの姿を隠してグレンの視界を覆い尽くす。

 

その勢いに負けて少しだけレイから視線を外してしまう。そして、グレンが再びレイを視界に収めた時……それは現れた。

 

……壁だ。

 

いつしか、グレンの目の前には大きな壁が立ちはだかっていた。

 

壁は炎を纏っており、炎の壁を映す己が瞳がヒリヒリと蒸発していくような錯覚を得る。追いやったはずの恐怖は素知らぬ顔でグレンを包み込み、知らず身体は震え、数歩後ずさってしまう。

 

吹き飛ばされた時の痛みを覚えている身体が、相対した時に折れてしまった心が。その元凶であるレイという存在をさらに大きく見せてグレンに幻覚として認識させているのだ。

 

もはや誤魔化しの利かない身体の震え。瞳に明らかな恐怖をたたえたグレンは、構えることはおろか杖を握ることもままならない。そして、とうとう杖が手から溢れそうになる。

 

ああ、やっぱり俺はダメなのか。

 

そう、諦めたとともに瞼を閉じようとした……その時。

 

 

 

「グレンっ! 頑張って!!」

 

 

 

大好きな姉の声が、恐怖に覆われたグレンに光を指した。

 

「大丈夫だよっ、ボク達が付いてるからね!」

 

能天気な妹のどこか抜けたような励ましが、グレンを覆う恐怖にひびを入れる。

 

「レイ殿とて人間だ、必ずどこかに勝機はある! 諦めるなグレンっ!」

 

負け犬の自分を受け入れてくれた友の喝が、恐怖に入ったひびを全身へと広げていく。

 

「狂犬からまた負け犬に成り下がりたいのですか! ……いい加減、人に戻りなさい、グレンっ!」

 

そして、気兼ねなくぶつかり合えた友の悪態が……ひび割れた恐怖をとうとう打ち砕いたのだ。

 

「…………」

 

グレンは、再び目の前に聳えている大きな壁へと向き直る。

 

未だ視界を覆い尽くさんほどに大きく高くそびえる炎の壁。しかしその壁の麓には、たしかに一人の少年が佇んでいる。

 

無様を晒していたにも関わらず、笑うことも、呆れることもせずに静かに自分を見据えているレイ・オルブライトの姿が。

 

……一人、グレンは深呼吸をする。見上げる空はどこまでも高く、ちっぽけな自分を見下ろしている。

 

スッと。グレンは再び杖を構えた。その瞳には強大な壁を越えてやるという明確な覚悟を宿し、乗り越えんとする戦士だった。

 

ようやく両者の準備が整ったことで、右手を掲げたままで待機させられていたシルヴィアが短くため息をこぼす。普段の彼女ならば遠慮なく腕を下ろしているところだが、それを最愛が良しとしないことを分かっていたからこそ我慢できたのだろう。

 

シルヴィアはもう一度両者を見やり、今度こそこの闘いを終わらせるために小さな唇から透き通るような声を紡いだ。

 

「では……」

 

瞬間、レイから放たれていた闘志の焔が爆発した。それはグレンに容赦なく襲い掛かり、彼の全てを圧倒しようとする。

 

しかし、グレンは。

 

一切、怖気付くこともなく。

 

「はじめっ!!」

 

審判の合図を引き金に。

 

「……うおおぉぉーーーっ!!」

 

勇猛果敢に、立ちはだかる壁へと立ち向かった。

 

そして……。

 

 

 

「……そっか。お前は、ステラが大好きだったんだな」

 

 

 

その声を最後に、一瞬で意識を刈り取られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半年越しの喧嘩を終えたレイは、清々しい面持ちで空を見上げていた。

 

そんな彼の元に、審判を終えたシルヴィアが歩み寄る。

 

「どうだったレイ、あの狂犬との戯れは?」

 

「……ああ、気持ちのいい喧嘩だったよ」

 

空から目線を落とし、親友へと無邪気な笑みを向ける。その気持ちの良さは決して勝ち星を挙げたことではない。長い間分からなかったことが理解できたこと。そして、勝手に弟のように感じていた少年が成長してくれたことに対する喜びであった。

 

当たり前のようにレイの心境に思い至ったシルヴィアは、最愛の笑みにつられるように自身も微笑みを浮かべる。

 

「そうか、それは何よりだな」

 

「おう。にしてもそうだよなぁ、大好きな姉ちゃんに俺みたいなのが引っ付いてたら、そりゃ敵視の一つもするよなぁ」

 

「貴様は本当に訳の分からん男だ。ノーヒントで相手の心情を暴きたてたと思えば、こんなことまでしでかさなければ理解できないこともある。傍迷惑も大概にしろ、この愚か者が」

 

ゆらりとレイの横に並びながら、ギルバートがそう毒を吐く。それを受けたレイは、全くもってその通りなので素直に頭を下げる。

 

「あいあい、申し訳ありませんね」

 

「ふふふっ、それもまた君のいいところだよ。それと、今回のことであの狂犬も君のことを受け入れただろう。これからは仲良くできるのではないかな?」

 

私としては君が狂犬などと仲良くなってほしくなどはないがね、とシルヴィアは肩をすくめた。

 

そうだといいな、と思いながらレイはグレンが倒れている方へと目を向ける。

 

横になるグレンのそばにはエステルを筆頭にジェシカ達が集まっている。アリスもグレンに駆け寄っており、失神していること以外に身体に異常がないか確認しているようだ。

 

そうして皆の心配を一身に受けるグレン。またもやレイに大敗を喫してしまった彼であったが、そんな意識のない彼の表情にはしかし……。

 

 

 

どこかやり遂げたような、穏やかな笑みが浮かんでいたのだった。

 

 

 

………………

…………

……

……

…………

………………

 

 

 

グレンとの喧嘩を終えてから数日後。いよいよ今年もホグワーツを去る時がやってきた。

 

この一年を振り返り、ホグワーツでは感傷や寂しさなど多くの感情の揺らぎに浮き足立っている。しかし何よりホグワーツを揺るがせていることはといえば、これだろう。

 

『脱獄囚シリウス・ブラックは冤罪であったっ!?』

 

この大見出しを飾った一報に間違い無い。当然、この報せはホグワーツだけではなく魔法界全体に激震を走らせた。

 

当初は魔法省もあのダンブルドアの話であったとしても信じられずにいた。いや、信じたくなかったというのが正しいだろうか。それはそうだろう。過去のこととはいえ、魔法界を取り仕切る者として絶対でなければならない魔法省に大きな過ちがあったなどと認められるはずがない。

 

しかし真犯人であるピーター・ペティグリューの存在が決定的であった。

 

最初は偽物と判断していた魔法省も、いかな魔法的処置を施しても彼が本物であるという事実にとうとう認めざるを得なかった。

 

ならばと自分達の失態を隠蔽しようとしたのだが、どこからか漏れたのか。真犯人の存在や今回の件にあのダンブルドアが保証していることなどの情報を手に、報道陣が押し寄せたのだ。

 

最初は事実無根だと相手にしなかった魔法省であったが、先の大見出しから人々の知るところとなったことで、ダンブルドアへのお伺いの手紙が殺到したのだ。

 

これにダンブルドアはただ事実だけを述べた。これが決定打となり、魔法省は真実を大衆に知らせざるを得なくなってしまったのだった。また、隠蔽工作の件も合わさって、現在魔法省はてんやわんやの大騒ぎだ。

 

世の中が慌ただしくも騒がしい中、我らの主人公、レイの姿は闇の魔術に対する防衛術の教室にあった。

 

「お邪魔しまーす……っと、ルーピン先生は留守か」

 

もう三年も通った教室を抜け、奥の教員室へと顔を出したレイであったが、そこに目当ての人物はいなかった。ドアが開きっぱなしであったこともあっててっきり室内にいるのかと思ったのだが、どうやら違うようだ。

 

不用心で先生らしくないなと思いながら、レイはなんとなしに閑散とした室内に足を踏み入れる。

 

リーマスが1年間過ごした部屋は綺麗に片付けられていた。机の上には仕事道具やお菓子が丁寧に区分されたカバンが開いており、その横には『忍びの地図』が何も映さないままに広げられていた。

 

「先生も今日でここをやめるんだったら、気兼ねなくこれをハリーに託せるなぁ」

 

可笑しそうに笑いながら、レイは地図へと手を伸ばす。しかしその時、背後から物音が聞こえてきた。

 

「なんだ、ってアレは……」

 

レイが振り返ると、そこには衣装箪笥があった。見覚えのあるそれがなんなのか記憶を探っていると、不意に衣装箪笥が音を鳴らして揺れ出した。

 

「そうか真似妖怪ボガート。懐かしいなぁ」

 

そう言って顔をほころばせながらレイは未だガタゴトと揺れる衣装箪笥へと身体を向ける。あの時はシルヴィアと一緒に授業に参加せずに教室の端でサボっていたところをリーマスに声をかけられたのだったか。

 

その時はいたたまれなさに頭を下げていたが、レイにも授業に参加しなかった理由がある。シルヴィアはボガートが対象の恐怖を体現する性質から、自身の弱点を周囲に露呈させたくないとリーマスに訴えた。

 

確かに、レイもその想いはあった。けれどそれ以外にも彼にはボガートの授業に参加したくない……いや、“参加できない”明確な理由があったのだ。

 

それは……。

 

レイは周囲に人がいないことを軽く確認した後、ふっと息を漏らすようにして苦笑する。そして懐から杖を取り出すと、衣装箪笥へと杖を振るった。

 

瞬間、盛大な音を立てて衣装箪笥の扉が開かれた。

 

衣装箪笥から解放された“ナニカ”は、しかしレイを襲うでもなく、室内を飛び回るでもなく、ただ……鈍い音をさせながら床へとその身を投げ出した。

 

『…………』

 

“ナニカ”は無防備に倒れ伏したにも関わらず、声を上げず、身動きもしなかった。

 

「…………やっぱり、な」

 

床に転がる“ナニカ”を見たレイは特に驚くこともせず、逆に予感的中と言わんばかりにまた苦笑を浮かべた。彼はひとしきり自嘲した後に、未だ倒れ臥す“ナニカ”に目を向けた。

 

“ナニカ”は人間のようだった。身長は140もないだろうか。線の細さから少女であることがうかがえる。……いや、そのように観察などしなくとも、レイには“ナニカ”が何者なのか、誰よりも理解していた。

 

肩口で切りそろえられた自身と同じ髪を床に流している“ナニカ”。その正体は……。

 

 

 

レイのたった一人の血の繋がった家族である……アリアだった。

 

 

 

マグルであるはずのアリアがここにいるはずなどない。しかも……床に横たわる彼女には、いつも自身に向けてくれるあの天真爛漫な笑顔の一つもなかった。

 

無だ。

 

その表情には色などなかった。血の気のない真っ白な顔には無防備に口が開いており、開きっぱなしの瞳孔には全く生気が感じられず、しかし真っ直ぐにレイを覗き込んでいるようでもあった。

 

それは、誰がどう見ても…………死んでいた。

 

レイにとってなによりも大事な存在が、こうもあっけなく屍を晒している。それは、レイという男には耐え難いもののはずである。

 

しかしレイは一切取り乱す様子を見せることもなく、静かに妹を注視し続ける。

 

何も反応を示さないレイに痺れを切らしたのか、アリア……いや、死んだアリアへと姿を変えた真似妖怪ボガートは自身の姿を変えて再び人間大の大きさの誰かに化けて床にその身を投げ出す。

 

今度もまた、レイがよく知る人物だった。……ロイドだ。いつも朗らかに笑ってくれる顔は変わらず生気が失せており、瞳孔が開いている。

 

またボガートは姿を変えた。今度はエーデルだ。そしてまた、彼女も死体の姿でレイの前に転がっていた。

 

だがしかし、あいも変わらずレイに感情の揺らぎは感じられない。

 

ボガートはもうやけくそだと言わんばかりに次々に姿を変えていく。

 

ミネルバが死に顔を晒していた。エステルが。シルヴィアが。ギルバートが。アリスが。

 

ハリーが。ロンが。ハーマイオニーが。ネビルが。フレッドが。ジョージが。フィリシアが。グレンが。セルマが。ジェシカが。マルフォイが。

 

ボガートは次々とレイの大事なものへと姿を変えていく。……変わらないのは、全員死体だということだけである。

 

レイは疲れたように息を吐き出した。そしてようやく杖を持ち上げて、懲りずにレイの怖いものへと変化しようとするボガートへ向けて杖を振り下ろした。

 

杖から放たれた呪文を受けたボガートは、レイの大切な誰かへと姿を変える前に蝶々へと姿を変えた。鮮やかな模様の羽をはためかせながら蝶々へと姿を変えたボガートは衣装箪笥の中へと大人しく収まる。そしてレイはすぐに衣装箪笥の戸に魔法で鍵をかけた。

 

あっという間にボガートを退治してみせたレイは、特に感慨もなく杖をしまい込んだ。

 

「俺は、そうさせないためにここにいるんだよ。ばぁか」

 

そう呟いた時、入口の方から人の気配を感じた。

 

見られたか、と思いレイはバッと勢いよく振り返る。するとそこに立っていたのは……。

 

「……すまない、覗き見るつもりはなかったんだが」

 

心から申し訳なさそうに室内に足を踏み入れるリーマスに、レイはホッと胸をなでおろした。

 

「別に先生なら構いませんよ。というより、俺の方こそ勝手にこんなことしてすみませんでした」

 

「いやそれはいいんだよ。それより……」

 

リーマスはレイの下まで歩いてくると、ボガートが仕舞われた方を見やる。

 

「レイ、君はみんなのためにあの授業に参加しなかったんだね?」

 

「……まぁ、偽物であれ人の死体なんか目の当たりにするのは精神衛生上よくないですからね」

 

苦笑しながら肩をすくめるレイを、リーマスは穴が空くほどに見つめる。

 

見つめる先にいる少年には普段と特に変わった様子は見られない。そしてそれが痩せ我慢や空元気である風にも見られない。家族や親友、知人達の死体を次々に見せられたにも関わらずだ。

 

リーマスはボガートがレイの妹と思われる少女の死体へと変化したあたりから入口で様子を伺っていた。

 

別に隠れていたわけではない。一年ともに働いた同僚達への挨拶回りを終えた彼が自室へ帰ってくると、その場面に出くわしたのだ。リーマスとしてもいきなり死体が現れたことに動揺してしまい、声をかけるタイミング逸してしまった。

 

それからも未成年の少年の目の前でボガートが次々に人の死体に切り替わっていく様は、リーマスを思考停止に追い込むには十分な威力があった。

 

なによりリーマスを驚かせたのは、冷静にその光景を眺めていたレイだった。

 

仮にも最も恐ろしいものを目の当たりにしていながら、レイはどこまでも落ち着きを払っていた。ある程度ボガートを遊ばせた後は死体とは正反対の穏やかな象徴とも言える蝶へと姿を変える余裕があるほどだ。

 

並の精神ではない。

 

レイが優秀なのは嫌という程理解している。しかし大人でさえ発狂してしまいかねない光景を目の前にしてあれとは……。

 

リーマスの心境をある程度察したのだろう。レイは苦笑から悲しげな笑みへと変えて彼に話しかけた。

 

「そりゃ気になりますよね。死体を見て顔色ひとつ変えないガキなんて」

 

「っ! すまないっ、そんなつもりでは……っ!」

 

リーマスは今すぐ自分を張り倒したい思いに駆られた。

 

人とは違うことに思い悩む辛さを、誰よりも狼人間である自分が理解しているはずだろう! それなのに自分は……。

 

ひどい後悔の念に駆られるリーマスに、逆にレイが慌ててリーマスを宥める。

 

「ああいや、俺は気にしてないんで先生もそんなに自分を責めないでください」

 

レイの慰めに幾分か楽になったリーマス。それを確認すると、レイは再び口を開いた。

 

「ルーピン先生、俺は普通の人とは違う。そんなことはとうの昔に受け入れています。……ま、一年ぐらい前の俺なら、アレを見た瞬間に馬鹿みたいに取り乱した挙句、やけくそに力を求めて自分を追い込んだでしょけど」

 

でも、と話を続けようとするレイを見た瞬間、リーマスはレイの浮かべる穏やかな笑みに胸を打たれた。

 

「今は、こんな俺を受け入れてくれた親友達がいる。俺の大切な人達を一緒に守ってくれると誓ってくれた仲間がいる。辛い事なんて、何一つないんですよ」

 

だから気にしないでくださいというレイに、リーマスは彼らの絆の深さを思い知らされる。それと同時に、彼に強い共感を抱いていた。

 

同じなのだ。狼人間であることに苦しんでいた自分も、受け入れてくれた友人達のおかげで前を向くことができた。

 

「……そうかい。それは、本当に良かったね」

 

「ええ、本当に」

 

お互いに笑い合うレイとリーマス。そんな中、リーマスはレイの強さの根源を垣間見たと実感していた。

 

彼は言っていた。ホグワーツに来たのは誰も死なせないためだと。ボガートが化けた死体を見たら取り乱しはするが、その後に自分を追い込んでもっと力をつけるだろうと。

 

大切な人を守るために。

 

彼の全ては、ここに帰結する。

 

そしてここまでくれば、少年らしからぬこの想いの強さの根幹に、彼の過去が関わっていることも想像に難くない。……そこに、生き死にが深く関わっていることも。

 

そこまで予想することができたリーマスはしかし、それをおくびにも出すことはせずにレイにあることを問いかけた。

 

「そういえば、君は私に用向きがあったようだけど、どうしたのかな?」

 

「おっと、一番大事なことを忘れてました。今日は先生がここをやめるって聞いたんで、お礼を言いたくて来たんです」

 

「お礼?」

 

はい、と頷いたレイは、佇まいを直してリーマスへと向き直る。いつになく真剣な面持ちを見せる少年に戸惑いを見せるリーマスであったが、レイは構わず彼に想いを告げた。

 

「ルーピン先生。先生のおかげで、俺はまた大切な人を守れる力を手に入れることができました。ハリーをペティグリューから守ることができました。……本当に、ありがとうございました!!」

 

腰を直角に曲げて、頭を下げて感謝を述べるレイ。その言葉を、その想いを受けとったリーマスは……思わず、泣きそうになっていた。

 

友がいなくなってからというもの、心の拠り所を失ったリーマスにとって、この十数年は本当に辛い日々であった。

 

それでも生きてこれたのは、友との思い出があったから。そして、ここで自害の一つでもしてしまえば、天国にいる友に叱られるだろうという想いがあったからだ。

 

けれど今、自分を人狼と知っても。心よりの感謝を述べてくれる人がいる。

 

……リーマスは今、心から生きていて良かったと思えていた。

 

「…….こちらこそ、本当にありがとう。とても楽しい一年だったよ」

 

リーマスはスッと右手をレイへと伸ばす。意図を察したレイは、喜んで自身も右手を伸ばしてその手を握りしめた。

 

握手を交わすレイとリーマス。生い立ちも、人種も関係ない。そこにはたしかに、尊くも素晴らしい人と人の繋がりがあった。

 

ひとしきり握手交わして満足した二人は、どちらとも知れずに手を離した。

 

「それじゃあルーピン先生、お元気で」

 

「ああ、君もね」

 

顔を見合わせて笑いあい、レイはリーマスへと背を向ける。その背を途中まで見送っていたリーマスであったが、ふと思い立ってレイを呼び止める。

 

「レイっ!」

 

その声に不思議そうに振り返ったレイに、リーマスは決意を秘めた面持ちで口を開いた。

 

「もし君の大切な人が危険な目に晒された時は私を呼んでくれ。必ず、君の力になると約束するよ」

 

その言葉を、そこに込められた決意を受けたレイは一瞬惚けたような顔したが、すぐに破顔してニカリと笑みを返したのだった。




これにて第3章は完結です! 読者の皆様、ここまで応援してくださり本当にありがとうございました!!

度重なる忙しい中でもここまでやってこれたのは、皆様の評価や感想、お気遣いのおかげであります。

これからの予定などは今まで通り活動報告にあげますのでそちらをご覧ください。ただたしかなのは、絶対にエタることなく続章を投稿するということだけです。皆様、どうかしばらくお待ちいただければと思います。

では!
これからも応援よろしくお願いします!!

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