新緑が眩しい季節。鼻を抜けるような草木の香りが熱気を伴って颯爽と駆け抜けていく。
今年もまた、ホグワーツ魔法学校は一年の節目を迎えようとしていた。『生き残った男の子』が入学して以降、毎年のごとく厄介ごとがホグワーツに押し寄せてくるのだが、なんとか今年も乗り切ることが出来た。
あとは終業や卒業を待つばかりとなり、それまでの間ホグワーツの学生達はあと数日で訪れる長期休暇の話題や卒業後の就職先の話題などで一喜一憂している。
浮き足立って落ち着きがない雰囲気がホグワーツ内に広がる中、そんな雰囲気とは裏腹に2人の少年達がとある空き教室にてひっそりと顔を付き合わせていた。
「……うっし、自己採点してみた感じだと変身術は良ってとこか? すげぇじゃねぇかマルフォイ!」
「う、うるさいぞオルブライトっ、他の誰かが来たらどうするつもりだっ」
「っと、悪りぃ悪りぃ」
気位の高そうな金髪の少年……ドラコ・マルフォイの叱責に、悪びれるように後頭部に手を当てて謝罪したのは平凡な面持ちの少年……レイ・オルブライトだ。
言葉から分かる通り、2人は今、学年末テストの答え合わせを行なっている最中だ。
しかしながら、マルフォイにとって今の状況を第三者に目撃されるのは色々とマズイ。だから能天気に褒めてくるレイを怒鳴ったのであり、決して褒められたことへの気恥ずかしさを誤魔化そうとしたからではない。ないったらない。
謝りはしたが全く堪えてないレイのその様子に不愉快そうに、しかし若干頬を染めてそっぽを向いたマルフォイにレイは称賛を続ける。
「にしてもスゲェよ。変身術だけじゃなくて、魔法薬学とか薬草学なんかも数ヶ月前と比べて成績もよくなってるし。やっぱり名家ってのは伊達じゃねぇな」
三年死ぬ気で勉強して俺はやっとこれだもんなあ、と己の自己採点したテスト用紙に目を落としてため息を溢すレイ。
2人の秘密の勉強会は最初は変身術だけだった。だがいつの日だったか。マルフォイが変身術の問題を解いている間、レイが他の教科を勉強していたのだが、ふと気になったマルフォイがレイの解いている問題について尋ねた時があった。
それからと言うもの、いつのまにか教科が一つから二つに、二つから三つへと増えていき、結局全教科を教えていくこととあいなったのである。
ここで誤解がないように言うが、レイの自己採点の結果はマルフォイよりも良いものだ。しかしその差はあまり開いておらず、数ヶ月で自身に追いついてきているからこその称賛だった。
真っ直ぐに自身を称え、平然と自分を下げるレイにしかしマルフォイはそっぽを向いた顔になんとも言えない表情を浮かべる。
マルフォイは数ヶ月レイと行動を共にしてきたが、全くと言って良いほど目の前の少年のことが理解できなかった。
プライドが他人よりも圧倒的に高いマルフォイにとって、他者からの誹謗中傷は心底我慢ならないものだ。また、他者よりも劣っているところを目の当たりにすると多くの言い訳と共にすぐに取り繕おうとする。
しかし、目の前でテスト用紙と睨みっこをしている少年は……レイは、全くの正反対だった。他者からの誹謗中傷は肯定とともに華麗に受け流し、自身より他者が優れていればそれを受け入れて含みのないまっさらな称賛を送る。
マルフォイはレイのそんな姿を目にするたびに不愉快になった。そしてまたレイを馬鹿にして、また受け流されて気分をさらに害して……。嫌な悪循環である。
だが、そうと言いながらもマルフォイはレイと数ヶ月を過ごしている。
不愉快になる理由、脅されているとは言ってもレイを無下にはしない理由、そして、彼と共に過ごした理由。
それがなぜなのか。マルフォイは分からないでいた。……いいや、彼は心のどこかでは分かっているのかもしれない。けれど認めたくなくて、心の奥底に沈めているのかもしれない。
そんなレイとマルフォイ。正反対の2人であり、絶対に相容れないと思っていた。だがしかしなんだかんだで数ヶ月。2人はうまく……うまく? やってきた。
それはひとえにレイの深い器にマルフォイがすっぽりと収まったからなのだが、ともかく、その関係も終わりが近づいていた。
今までのことを思い返していたマルフォイはため息を一つ、顔を再びレイへと向けて彼に声をかけた。
「……おいオルブライト」
「うーん、まあこれならギルには怒られないし及第点……ん? どしたよマルフォイ」
不意に声をかけられたレイが顔を上げる。そこには深妙な面持ちででレイを見つめるマルフォイがいた。
「……認めたくはないが、君のおかげで変身術やそれ以外の教科もどうにかなった。一応、礼は言っておく」
と、言いながらも腕を組んで鼻を鳴らす姿からは全くと言っていいほど感謝している様子は見えない。しかし、しかしである。あの、マルフォイが、レイに感謝を述べたのである。これは紛れもなく彼が変わった証でもあった。
レイはマルフォイのそんな態度にも慣れたもので、苦笑とともに言葉を返す。
「どういたしまして。けど残念だったな。変身術が良ってことは俺の真意は内緒のままってわけだ」
人差し指を口元に添えて不適に笑うレイに、マルフォイはしかし動じた様子もなく机の上に散らばった自身の問題用紙を回収しながら鼻で笑う。
「ふんっ、全てが終わった今、もはやそれもどうでもいいことさ。君との関係もこれでお終り。いいかオルブライト、僕は君との約束を今まで守ったんだから君もあの事は誰にも話すんじゃないぞ?」
約束はこの学期末テストが終わるまで毎週勉強会をともに行うこと。破ればマルフォイの醜態を学校中に触れ回るというものだ。だがその約束に拘束力はない。レイは今からでも学校中に言いふらすことはできるのだ。
しかし、マルフォイはここ数ヶ月の交友で確信していた。レイは絶対にそんなことはしない人物であると。そしてそれは、正しかった。
「おうさ。約束だからな、シルヴィ達にだって話はしないさ。けどなマルフォイ……」
しかしマルフォイはレイが一筋縄では行かない男であることを失念していた。突如、嫌な予感が彼の背筋を駆け抜けていき身体を大きく震わせる。
その感覚に従うままに、問題用紙を回収する手を止めて錆び付いた歯車のようにゆっくりとレイへと振り返る。するとそこには……。
「この勉強会が、これで終りだと誰が言ったのかな?」
いつか見た、悪どい笑みを浮かべる凡人の姿があった。
「はぁっ!? な、何を言ってっ……!」
嫌な予感の的中に、その顔と言葉を聞いたマルフォイは動揺を隠せない。そのせいで手元の用紙をバラバラと床に落としてしまうが、今はそれどころではない。
そこに追い討ちをかけるようにレイは続ける。
「たった数ヶ月で変身術は良、ってとこまで来たんだ。しかも他の教科も並行して勉強したにも関わらず、みんな含めてイイ線まで行ったんだ。ここで終わらすなんてもったいねぇだろ? ……だから来年度もやるぜ、勉強会をよ」
ふふふふふっ、と目をきらりと光らせながら不敵に笑うレイ。その姿は彼をよく知るもの達が見れば驚きで目を見開くことだろう。全く彼の柄ではないその様子はしかし、とても楽しそうであった。
そしてマルフォイには効果は抜群だった。
「な、ナナナ何を言ってるんだ君は! なぜ僕が君の言うことを聞かなくちゃいけないんだ。前のことは水に流したとさっき君も言っただろう!?」
誰か来てしまうかもという懸念はすでに吹き飛び、僕は絶対に言うことを聞かないぞと大声で断固拒否するマルフォイ。しかしあのレイが、なんの勝算もなくこんな話を持ち出したりはしない。
「ああその通りさ。けどよ、マルフォイは知られたくないんだよなぁ……この状況をさぁ」
「なぁっ!?」
そう、レイはマルフォイのことを考えてこの勉強会のことを誰にも口にはしなかったのだ。……そこに、約束や契約は存在しない。
「今やスリザリンの中でも大きな影響力がおありのドラコ・マルフォイ様が実は! グリフィンドールの一生徒と仲良く数ヶ月間勉強していました!! ……なんて話が広がれば、どうなっちゃうんだろうなあ。気になるなぁ、俺ぁ気になるなぁ」
「なななななぁっ!!?」
……数ヶ月前にも見た既視感があるが、今はそれどころではない。
マルフォイは必死でここ最近成長著しい脳味噌を働かせてこの状況の打破を試みる。……そしてそれは功を成した。
「は、ははっ! その手には乗らないぞオルブライトっ。き、君と僕が数ヶ月間一緒に勉強をしていたなんて証拠、どこにもないじゃないか!!」
しかし、相手が悪かった。
「証拠? それなら前に聞いた、シルヴィの家にあるっていう『憂の篩』ってやつを使うか。ちょっと手間だけどシルヴィなら貸してくれるだろうし……どうする、マルフォイおぼっちゃま?」
「ぐ、ぬぬぬぬぬぅっ……!」
マルフォイは仮にも名家生まれ。レイのいう道具がどういったものかは知っている。そして、あの忌まわしい天才の家ならば確実に持っているだろうことも。
しばらく、マルフォイの唸り声が空き教室に木霊する。
……そして、数分後。
「………………僕は、無力だっ」
マルフォイは、己の非力さに打ちひしがれるように床に膝を突いた。
こうして、第二回レイ対マルフォイの闘いもレイの勝利で決着がついたのだった。
いまだ服や掌が埃で汚れることも厭わずに膝を突くマルフォイに、勝者であるレイはそっと手を差し出す。
「そんじゃあまっ、来年度もよろしく頼むぜ。マルフォイ」
マルフォイはその言葉に、悔しさでシワが幾重もできた渋面を浮かべて頭を上げる。
そこにはニカリと歯を見せて笑うレイの姿。なんとも憎たらしいその顔に、さらに多くのシワがマルフォイの顔に浮かんでいく。
果たしてマルフォイはレイの手を取ったのか。
……それは、2人だけの秘密である。
………………
…………
……
……
…………
………………
レイとマルフォイが秘密の会談を行なっている頃、孤高の秀才、ギルバート・エリスは一人日の当たる石畳の廊下を歩いていた。
ホグワーツが誇る、膨大な知識の宝庫である図書室からの帰りだった。彼の脇には羊皮紙の束が抱えられており、そこには長期休暇中にアリスへ学ばせるための医療のことやレイの剣の扱いについての記述などがされている。
数年前まで他人に全く興味を示さなかったギルバートであったが、今では友人とはいえ他人のためにこうして自身の時間を割いている。人との出会いとは不思議なものである。
そんな彼の歩く廊下には人っ子一人いない。長期休暇目前という最中、図書室に続く廊下を歩くもの好き……勉強熱心な子はこのホグワーツには残念なことに少ないようだ。
まあ、我らが秀才殿には全くと言っていいほどどうでもいいことだ。彼はしばらく、自身の靴音とともに寮への帰路を黙々と歩いていく。
そして、帰路も半ばまできたところで……廊下に一人分の影が現れた。
ふとして湧いた人影にギルバートは意識を向ける。そして彼はその姿に、不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。その人影の持ち主は、彼も知る人物であった。
人影は何やら壁に張り紙をしているようだ。だが、その姿には違和感があった。
それは人影の足元、なぜかそこにはあるはずべきものがなかった。……そう、“彼女”は靴を履いてなかったのである。そしてその理由に思い至ったからこそ、ギルバートは機嫌を悪くしたのだ。
ぺたぺたと。裸足で廊下を歩き回り、張り紙を貼っていく彼女の名前はルーナ・ラブグッド。ギルバートの所属するレイブンクロー寮にて、変人と揶揄されている少女だ。
彼女はなぜ、変人と呼ばれているのか。身から出た錆、は違うのだろうが、それは彼女の言動にある。
普段からどこを見ているかわからない表情。独り言が多く、突然立ち止まったかと思えばいきなり機嫌良さげに鼻歌とスキップで立ち去っていく。いるかもわからない魔法生物のことを口にし、夜半には夢遊病と言いながら一人ホグワーツを徘徊しているという。
また、ルーナがいつも持ち歩いている愛読書『ザ・クィブラー』は胡散臭さ全開のもので、内容としては彼女が口にする魔法生物のことやありもしない物品の詳細、果ては一読でデマとわかる噂話や目撃情報を記載している。そんなインチキ雑誌を彼女は信じて疑っていない。
……彼女が周囲から変人と呼ばれ距離を置かれるのはすぐだった。
まあこんな事情がルーナにはあるのだが、これまたギルバートには心底どうでもいいことだ。
彼女が裸足なのも、靴を何れかの馬鹿者に隠されたからなのだろうがそれも彼には関係のない話だ。……心底不愉快ではあるが。
馬鹿者共め、とルーナを面白半分にいじめている者達へと猛毒を吐いたギルバートは止めていた足を踏み出そうとしたのだが、そんな彼の目の前にいつのまにかルーナが彼をじっと見上げるようにして立っていた。
「…………」
「…………」
ここまで距離を詰められながら気付かなかった。そのことに少しだけ驚いた後にギルバートは自身の不甲斐なさに猛省する。そんな時、今まで黙っていたルーナが口を開いた。
「あんた、不思議だね」
それが彼女の第一声だった。ギルバートにとってはその第一声の方が不可思議ではあるのだが、こういう手合いは半ば聞き流すのが正しいだろうと思い適当に返す。
「……なにがだ?」
「前から思ってたんだ。けど、こうやってあんたを見て、やっぱりって思った」
「…………」
全く答えになってない。これは放置して立ち去るのが賢明かと思い直してギルバートはルーナの横を通ろうと足を踏み出そうとした。だがそれよりも、ルーナが抱えていた張り紙を一枚彼に突き出した方が早かった。
「ねえ、もしここに書かれてあるやつを見つけたら教えて欲しいな」
「…………これは?」
「私の私物。みんなが面白がって色んなところに隠しちゃったんだ。でも、もう今学期も終わっちゃうから返して欲しくて」
だからこうやって張り紙を貼ってるんだ、と言いながらルーナは感情の読み取れない表情でギルバートにそう話した。
ギルバートは手元の張り紙に目を通す。そこに記された物品の数はかなりの数に上っている。今ルーナが履いていない靴はもちろん、教科書や羽根ペン、はては上着まで盗られていたのだ。
その事実にまたギルバートの不快指数が上がる。だからであろうか。ふと彼の視界の端に蠢く人影が複数映った。
その複数の人影は物陰に隠れて少し遠くからこちらの様子を伺っていた。ギルバートの視力は見てわかる通り良い方ではないが、彼の間違いでなければ物陰の集団は面白がっているようであった。
ギルバートはまた悟る。あの集団はルーナがこうして隠されたものを探している姿を見て嘲笑っているのだと。
彼の不快指数が跳ね上がる。……が、だからどうしたというのだろうか。
自分には関係のないことだ。事実張り紙に書かれたものに何一つ心当たりはない。
これ以上こいつらに関わっていても精神衛生上よろしくない、とギルバートは目の前でいまだ見上げるように見つめてくるルーナへと張り紙を突き返そうとして……ふと、脳裏にある少女の姿がよぎった。
それはギルバートもよく知る泣き虫で……誰よりも優しさに溢れる天真爛漫な少女だった。そう、アリスである。
…………なぜ、ここであの泣き虫が出てくるのか。ギルバートは自分の心理が理解できなかった。
……けれど。
「…………ここにある品を見つければいいのか?」
ギルバートは思う。もしアリスが同じ立場にいたのならば、絶対にルーナの私物を探してあげるだろう、と。
「え? ……んーん、違うよ。どっかで見たら教えてほしいってだけで……」
ギルバートの言葉が意外だったのだろう。ルーナが珍しく戸惑った様子を見せるが、面倒だとばかりにギルバートは懐から杖を取り出す。
「愚か者が。こんなものであの馬鹿どもが隠したものが見つかるものか。まして貴様に返してやるはずなどないだろう」
そう言ってギルバートはルーナへと杖を向け、撫でるように振るった。
すると……ふわり、と。
ルーナの全身から春を思わせる上品な桃色の光の靄が湧き出してきた。彼女の身体から靄が立ち昇っていく中、ギルバートは興味深げにそれを見ていた。
「ほう? 中々良い色だな。そこいらの凡骨にはこの色は出せまい」
「うわぁっ……! ねぇっ、あんたってラックスパートを見えるようにすることができるのっ?」
「……そんなよく分からんものではない。これは貴様特有の色だ。そして、それは貴様の私物にも多少反映されている」
ギルバートは自身の身体をキラキラとした目で見回すルーナから、杖先にその桃色の靄を一部掬い上げる。そしてそのまま真上に掲げ、大きく円を描くように杖を振るった。
桃色の円がギルバートの頭上に描かれる。そして次の瞬間、桃色の円はその形を崩すことなく、勢いよく広がっていった。
ギルバートのこれまでの工程を、ルーナは魔法を初めて見た子供のように無邪気な笑顔で眺めていた。
「隠されたということは、貴様はしばらくそれらの私物に触れていないということ。つまりは貴様の色が薄くなっている。あとは貴様が触れた頻度の調整を行い、対象物にこちらに戻ってくるよう指示してやれば……」
ギルバートの説明はルーナには届いていないようだ。あいも変わらず虚空を眺めて笑顔を浮かべている。……そして、そうこうしているうちに早くも結果は出た。
最初はルーナが最初に失くした羽根ペンだった。それが薄い桃色を纏ってこちらへと飛んでくるではないか。
それから次々とルーナのところへと帰ってくる彼女の私物の数々。それらがキャッキャとはしゃぐ彼女の足元で小さな山を作ったところで、最後の彼女の私物が顔を出した。
「な、なんだっ!? ひっ、引っ張られ……ぐぁっ!!」
物陰から何かに引っ張られるようにして現れたのは、ルーナの物探しの様子を面白がっていた集団の一人だった。彼らはギルバートが行った魔法の結果に唖然としていたのだが、そんな時その中の一人が突然服の内側から引っ張られていったのだから頭が真っ白になるのも仕方がないだろう。
彼は途中まで引っ張られた後に、懐から勢いよく飛び出したものの反動で尻餅をついて転んでしまう。
彼の懐からでた最後の物品、それはルーナの靴であった。
靴は私物の山のてっぺんに鎮座した後、桃色の靄は空中に溶けるようにしてなくなっていった。
再び廊下に静寂が訪れる。しかしそれはギルバートの靴音によってすぐにかき消されてしまった。
ギルバートはいまだ尻餅をついて呆然としている少年に無造作に杖を振るった。
「があぁっ!!?」
それは衝撃となって少年の腹を直撃した。身体の中の空気を全て吐き出したような断末魔とともに少年は仲間達のもとへと吹き飛ばされる。
それはギルバートの今までの不快指数に比例した威力であった。
「か、はぁっ……!」
「おい馬鹿ども。馬鹿げたお遊びで楽しむのは結構だが、俺の目に触れないところでやれ。非常に不愉快だ」
「ひ、ひっ……!」
パァンっと派手に杖を自身の左手へと叩きつけて、ギルバートは吐き捨てる。
「目障りだ、うせろ」
ギルバートは興味を失ったように彼らから背を向ける。その次の瞬間には彼らは気を失った仲間を連れて一目散に消えていくのだった。
バタバタと慌ただしい音が遠ざかっていくのを感じながら、ギルバートはルーナの元へと戻ってくるなり山となった私物の数々へと杖を一振り。それらは全て空中に浮き上がった。
「これでほぼ全てあるはずだ。あとは自力で探せ。ほら、いくぞ」
「うん、ありがとう」
「礼はいらん。ただの気まぐれだ」
それだけ言ってギルバートはスタスタと足早に歩き始める。
「…………あはっ、アハハハハッ」
しかしそれを、ルーナの笑い声が引き留めた。
「……何がおかしい」
胡乱げに振り返ったギルバートの目に映ったのは、お腹を抱えるようにして笑うルーナの姿だった。
「フフッ。だって、やっぱりあんたって不思議だよ」
「…………」
「ちょっと前まではさ、あんたはラックスパートさえ寄り付かないほどとっても鋭くて冷たかった。だけど真ん中は暖かい感じがする不思議な人だった」
そう言って、佇まいを正したルーナは真っ直ぐにギルバートを見つめる。その瞳は濁りなど一切ない綺麗な色をしていた。
「けど今はもっともっと不思議。鋭いと思えば先が丸くなってるところもあるし、冷たいと思えば暖かいし」
変なの。そう締めくくり、ルーナはとても穏やかな笑みを浮かべた。その笑みに既視感を覚えたギルバートは、その既視感を否定するようにルーナから視線を外して前へと向き直る。
「貴様にどう思われようが結構だ。さっさといくぞ、これ以上余計なことを言えばこれら全て湖に投げ捨てるからな」
「あっ、待って」
ルーナは浮いた私物の中から『ザ・クィブラー』を数冊手元に持ってくると、ギルバートの正面へと駆け寄ってそれら差し出した。
「これ、パパが出版してるんだ。お礼にあげる」
何を言うかと思えば。ギルバートは鼻で笑った。
「いらん。なぜそんなデタラメで装飾された雑誌を受け取らねばならん」
ゴミになるだけだと言うギルバートに、ルーナは先とは打って変わってムッとした表情で彼へと尋ねた。
「なんでこれがデタラメだって言い切れるの?」
ギルバートはすぐに返す。
「俺の知識において、貴様の父君が書くものには全くと言っていいほど信憑性がないからだ」
それはギルバートの根幹、努力の結晶からくる結論。他者がする、普通とは違うことへの忌避感からくる拒絶ではなく、確固たる自信からくるもの。
しかし、ルーナはそれを打ち砕いた。
「ねえ、アンタって神様なの?」
「……なに?」
突拍子もない質問。だが動じることなくギルバートは否定する。
「愚かなことをぬかすな。そんなわけがあるはずないだろう」
「なら、あんたは完璧なのかな?」
矢継ぎ早に意味不明な質問を繰り返すルーナ。やはりこいつとの言葉のやり取りは無駄かと、無視を決め込んで彼女の横を通り抜けようとしたところで、ルーナの次の言葉が待ったをかけた。
「あんたは世界中の本を全部読んだことあるんだ? 世界中を全部見て回ったこともあるのかな? 過去のことも、未来のことも、そして今のことも全部ぜーんぶ分かってるんだよね?」
「…………」
「だから。なんでも知ってるあんただから、パパの言うことがデタラメだって言い切れるんだよね?」
ギルバートは答えない。しかしルーナには彼の答えがわかった。
「あれ、違うんだ? それじゃあ完璧じゃないのに、なんでいないってわかるの?」
そう締めくくり、ルーナはじぃっとギルバートを見つめる。その視線はまるで、ギルバートの奥まで見つめているかのようだった。その視線を、ギルバートは逃げることなく真正面から見つめ返した、
それからしばらく、両者の間に沈黙が落ちる。
…………先に瞼を落としたのは、ギルバートだった。その顔にはなぜか、笑みがあった。
「ふっ、確かにその通りだな」
意味不明な言葉で誤魔化そうとしていたのなら無視した。私は信じているんだからと証拠もなく押し付けようとしていたら一刀両断していた。しかし、ルーナは正面からギルバートの間違いを正しく否定した。
それは、ギルバートがルーナ・ラブグッドという少女を認めた瞬間だった。
「俺も早計だったようだ、謝罪しよう」
そう言いつつも、ギルバートは頭を下げることはしなかった。しかしルーナには、彼が心から謝っていることが伺えた。
「だが」
「?」
だが、ただやられて終わるほど……秀才は甘くはない。
「いる、と決まった訳でもない。そうだろう、ルーナ・ラブグッド?」
「…………」
今度は、ルーナが沈黙する番であった。
そう。ルーナが信じるものにも証拠がないのもまた、確かであった。
ルーナ自身は確かに”彼ら“の存在を心から信じているし、たまにだが認識することだってできる。ラックスパートがしでかしただろう事象を目にした時などルンルン気分だ。
しかし彼らのことを目の前の秀才に信じてもらえる術はなかった。
ルーナは無表情にギルバートを見上げる。するとそこには、おかしげに笑うギルバートの姿があった。
これまた彼のことをよく知るものが見れば、驚きで穴が開くほど彼のことを見つめることだろう。面白いものを見つけた。そんな少年のような顔で笑っているのだから。
「なれば、やはりその雑誌はいただくことにしよう」
「え?」
ギルバートはルーナの手元にあった『ザ・クィブラー』を半ば奪い取るように引ったくる。
「果たして、この雑誌に載る魔法生物はいるのか、いないのか。その噂話は嘘か、真か。その読解の仕方は正しいのか、間違っているのか。俺の全てで以て証明してやろう。……ふん、いい暇つぶしが出来たな」
それだけ言って、ギルバートはスッとルーナの横を通り過ぎていく。その際、彼はああそうだと言ってルーナに言い残したことを伝える。
「この雑誌の過去のものを全て俺に寄越せ。言い値で買う。それとこれから出版されるものも欲しいから貴様から父君に話しておけ、いいな?」
「うん、わかった」
「ならいい。さっさと帰るぞ、“ルーナ”」
それだけ言い残して、ギルバートは浮き上がったルーナの私物とともに歩き去っていく。その後ろ姿を呆然と眺めていたルーナは、ふと笑みをこぼした。
「アハハッ。やっぱりアンタって変だね、“ギルバート”」
そうしてルーナは、駆け足でギルバートの横に並んで自分たちの寮へと帰路に就く。
その二人の後ろ姿は、まるで……。
その翌日の朝のことである。
「…………」
「…………」
「…………」
「おいルーナ。貴様の父君がシリウス・ブラックの無罪を主張していたことは驚嘆に値するが、なんだこの考察は。別人説はともかくとしてなぜここで吸血鬼が出てくるのだ」
「パパが言ってたよ。ギルバートみたいなのは頭が金剛石並みに硬いから偏屈になるんだって。もっとプディングくらい柔らかくなれば分かるんじゃないかな?」
「おい、話を逸らすな。貴様は吸血鬼というものがどういうものか分かって……」
「ほら、頭の硬さが出てる。全部の吸血鬼を見た訳じゃないんだから……」
レイ、シルヴィア、そしてアリス。今彼らの目の前では衝撃の光景が繰り広げられていた。
それも仕方がないことだろう。何せあの! 孤高の秀才が『ザ・クィブラー』などと言うインチキ雑誌を片手に、不思議な申し子であるルーナ・ラブグッドと仲良さげに語り合っているのだから。
ルーナが何食わぬ顔で自分達の目の前に現れ、ギルバートの隣に座り話し始めてから約10分ほど。あまりの衝撃から帰還したレイは堪らずギルバートに尋ねた。
「な、なぁギル。その子は……」
「黙れ愚か者。議論の邪魔だ」
「……はい」
問答無用で切り捨てられてしまいしゅんっと項垂れるレイ。そんな彼の姿にキュンときたシルヴィアが全力で彼を励ます中、アリスは語り合うギルバートとルーナの姿に、心から嬉しそうに笑った。
「えへへっ、ギルさんがとっても楽しそうで良かったですっ」
これからはまたコメントや感想なども返せると思うので、よかったらよろしくお願いします。