チャイムが鳴って昼休み、俺はコンビニのレジ袋を手に保健室横のベストプレイスに来ていた。
遠く後方の中庭を挟んだ購買の人混みと打って変わって、この場所は水を打ったように静かだ。廊下の鏡面を横切る影はなく、映すはその窓の光ばかりである。それもそのはず。この棟は保健室の他にも職員室や来客用のエントランス、その上生活指導室もある教職員のお膝元。騒がしいリア充どもの近寄りにくさはさながら魔除けの結界のよう。翻ってそれは俺にとっては最高の場所、それこそベストプレイスというには相応しいエリアなのである。
くわばらくわばらと心の中でえんがちょしながら、俺は取り出した惣菜パンの袋に手をかけた。
真のボッチは、購買戦争とは無縁である。
人を厭う故にボッチ。まず人混みに立ち入らないし、その上誰かの付き合いで購買に行くことも皆無だからだ。
そもそも休み時間の一部を列に並ぶことに使うのはナンセンスである。休みというからには休むためにあるのだから、やらなければやらないことは休みの外で済まされなければならない。
まあ朝はギリギリまで寝ていたい派の俺が通学ついでに昼食を買うには、起床時間と通学時間、そして始業時間の間隔が極端に短いのだが、そこはまぁ、一年生の頃より遅刻の常習犯たる俺にはあまり関係のないことだった。
小町が弁当を毎日作ってくれるのならば、こんなことには悩まなくても良いのだが。
あとこんな風に惣菜パンの袋の硬さに悪戦苦闘しなくて済むのだが。
そんな益体のないことを考えつつ、今日はイヤにかたい袋に夢中になっていた俺はこの静謐さにも関わらず、背後から忍び寄る音に気づかなかった。
「わっ!」
耳元でした音にピクリと肩が跳ね上がった。
某少年誌であれば毒薬で体が縮んでいたところである。
そーっと後ろに目を向ければ、隣席の山吹がごめんごめんと謝りつつ失笑していた。一体何なんだよ。
ていうか、近い近い近い。その前髪の一本一本が見える距離である。
思わぬ突風に見舞われた心臓を押さえつつ、俺は勤めて冷静に距離を離して、ようやく笑いの治った彼女に尋ねた。
「……何か用か」
「いや、比企谷くんって昼休みになるといつも居なくなってるじゃん?だからどこ行ってるのかなぁって思って、」
追いかけてみたのと、そう彼女はあっけらかんに言った。
これまで小中学校通して幾度かあったものと 同様の、自らの優位性を確認あるいは恣意するための攻撃なのかと警戒するも、彼女の表情にはその類の色は見られなかった。
そもそも彼女はそういう類の人間ではないだろう。
では何故?
手掛かりはないかと彼女を見る。そういえば俺の前にしゃがんでいる彼女は弁当箱も何も持って居なかった。完全な手ぶらである。他の場所への移動中であるならば弁当箱などは持っているはずだし、トイレの行き帰りであるならばわざわざこの棟のこの階にいる理由がない。この棟のこの一階には、トイレは職員用のそれしかないのである。
え、じゃあもしかしてマジで
「それだけ?」
「それだけ」
彼女はそう言うと、何が面白いのかまた笑い出した。いや本当に何がそんなに面白いのだ。
「隣空いてる?」
それはなんだ、座ると言っているのか?この俺の隣に? いやいや無理だから。クラスの美人に隣座られるとかほんと無理だから。死ぬ。
「空いてない。なんならこれから永遠に空いてないまである」
「ん? 永遠にって比企谷くん、好きな人でもいるの?」
「……いや居ないけど」
「じゃ、ちょっと隣貸してね」
そう言って彼女は俺が返事する間も無く、俺から拳5個分ほどのところに座ってしまった。なにそのパーソナルスペースの狭さ。
「俺たちって、昔どこかで会ったことあったりするのか?」
「え? 多分ないと思うけど」
ですよねー。じゃあなんでお前こんな距離近いんだよ。
……はぁ。
俺は抵抗をやめて、レジ袋からもう一つのパンを出して元々持っていたものをしまった。何事も押してダメなら諦めるのが俺の座右の銘であり、スタンスである。
特に害意もないなら、多少の実害は甘んじて受けよう。それが怠惰に生きる者の業というものだ。
今度の袋はすんなりとその口を開いた。
「いつもパンなの? コンビニの」
コンビニのと言ったその言葉には、何故だか棘があった。コンビニのパンの何がいけないんだよ。コンビニのパンのダメなとこなんて、コレステロールと塩分の高さぐらいだろ。
「たまにだけだがな。いつもは弁当だ」
「作ってるのはお母さん?」
「いや、妹」
「へぇ、妹いるんだ」
「ああ」
世界一可愛い妹がな、と言いかけて飲み込む。他人相手にはなるたけ無駄なインフォメーションは省くべきだよ。オピニオンは言わず、ファクトだけをエクスプレッスするんだ。
「いい妹さんだね」
「そうだろう!!」
無理だった。
素っ気ない人との会話術その1、その相手の最も好きなもの、誇りに思ってるものを褒める。ちぃっ、覚えた。
しかし彼女は硬直していた。アレですか。食い気味な反応はキモかったんですかね。
「……なんだよ」
「あ、いや。そんな大きな声も出せるんだなって驚いてたの」
気味悪がってたわけじゃなかったのね。
「……驚かせて悪かったな。」
「いや、こっちこそごめんね。気分悪くしちゃったみたいで。」
彼女はこの話おしまいと言って自分の太腿に頬杖をついた。
「お弁当作ってくれるなんて妹さんに好かれてるんだね」
「妹が良く出来てるだけだ」
実際あいつは兄が俺じゃなくても、そいつの為に弁当を作るのだろう。日頃の家族に対する態度こそ残念だが、家族愛は深いやつだ。こんなダメ兄に作ってくれるくらいだしな。なにそれ軽く死にたくなる。
「そんなことないと思うよ。理由は幾つかあるけど、とりあえず嫌いならお弁当なんて作らずにほら、そんな風にパンで済まさせるだろうしね」
「……かもな。」
小町が俺を好いていてくれてることなんて分かってる。ただ、他人に面と向かって認めるには微妙だっただけだ。
「そういえば、妹さん何年生?」
「今年中三になったな」
「あ、じゃあ今年受験生か。高校って決まってるの?」
「ここらしいぞ」
「え、本当?」
やっぱりお兄ちゃん大好きじゃん、その子。と彼女はまたしても笑った。よく笑うやつだ。
「ウチも妹いるんだ。まだちっちゃいけどね」
俺は一切話題を振っていないにも関わらず、彼女との会話は尽きない。妹を思い浮かべて話す彼女は、よほど妹が愛おしいのか楽しそうだ。しかしそれも止めねばならない。
「なぁ、」
「ん?」
そう言って首をかしげる彼女。うん。そんなことよりさ。
「飯、食わなくていいのか」
「……あ!」
やはりまだ食べてなかったらしかった。それはそうだ。俺がここに来たのは昼休み開始直後。そして彼女も同時にここに来ている為、昼食を摂る時間などなかったのだから。そして今はそれから10分ほど経っている。時間はそれほど残っていない。
ごめん、先戻るねと言って立ち上がった彼女は思い出したかのように財布を取り出した。
え、なんで。何かを取り出している。名刺?
それを渡されたので、受け取る。見ればこの近くの商店街の簡素な地図が描かれていた。
……山吹ベーカリー?
「ウチ、パン屋やってるんだ。次パン買うときはぜひ来てね。サービスしちゃうぜ」
彼女はそう言うと小走りで去ってしまった。
俺は渡されたカードを持ったまま花の香る風に吹かれていた。
なるほど先ほどのコンビニのパンに対する態度の変わり方はこのためだったらしい。
突然現れては笑っては不機嫌になって、笑って笑って笑って、さながら春風のような少女だった。
いくら錬金術を用いたとしても、高校生の扱える金銭には限りがある。確かにその点、専門店であればコンビニより安く済むだろうし利用したいところだがまぁ、クラスメイトのいる店とか入りづらいことこの上ないので、まだこのレジ袋にはお世話になりそうだった。
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