山吹さんは構いたがり。   作:呉 光佑

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比企谷くんと秘密の筆談。

太陽が南を通り過ぎた頃、この美術室の空気は弛緩し切っていた。

今日の単元は肖像画の製作、その事前講習と実践だった。

しかしそれは色彩についての授業であるのに、あまりにも淡々としていた。

しかも昼食直後の授業である上現在の暦は四月。気候は温暖で、即ち抗えない睡魔が身を起こすのだ。睡魔なんて名前なんだから寝ていればいいのに。

もうこのまま眠ってしまおうかと思っていると肩を軽く叩かれた。

見れば隣席の山吹沙綾が、俺と彼女の前に横たわる長机を笑顔で指差していた。

そこには一枚のルーズリーフが置いてあり、こう書いてあった。

 

『おしゃべりしようよ』

 

それは凡そ授業中に書くには適切ではなかったが、当人の笑みは依然崩れない。

彼女は日頃は真面目な生徒なのだろうが、昼休みの直後である上授業も中盤となれば気の抜けてしまうこともあるのだろう。

……だからって何故俺にかまうのかは全くわからないが。

この気安い態度と明るい表情。昼休みのあれと合わせて、並の男なら惚れているところである。

この眩しさは彼女の背負った日差しゆえなのか、彼女の微笑みからなのか。或いはこの場所の暗さとの対比のためなのか。

俺はそれに辟易としつつも、力なく握っていたペンをくるっと回してからそれに文字を綴った。

俺はぼっち。誰かにノートを借りる等できないため授業中のおしゃべりなぞ御法度だ。

俺の精神衛生的な観点からも、彼女には悪いが潔く引いてもらうほかない。

 

『授業中におしゃべりしちゃいけないって、昔習わなかった?』

 

作戦その1、正論で窘める。

我ながら完璧な返しである。

端的でありながら、道理に則った返事であることで相手に付け入る隙を与えない。大義はこちらにあるのだ。

しかし彼女はいたずらに笑って、ペンをさながらドラムスティックのようにくるくる回すとこう返した。

 

『じゃあお筆談で』

 

『そういう問題じゃないだろ』

 

『君だって寝ようとしてたじゃん』

 

『してない』

 

『嘘。明らかに目とじてた』

 

『俺は閉じてない。瞼が勝手に閉じたんだ。

故意に閉じたのでは無いのだから、これは罪過ではなく事故だ』

 

『瞼 ←マブタって読むの?』

 

『そう』

 

『すごいね、漢字得意なんだ』

 

『まぁな』

 

『良く本読んでるもんね、休み時間とか』

 

『そうだな』

 

『数学の時間は寝てるけど』

 

 

 

『私立文系志望だから捨ててんだよ』

 

『いけないんだ』

 

 

横目で彼女を見ると、してやったりとでも言いたげな顔をしている。

そして彼女はこう書き足した。

 

人のこと言えないね?

 

作戦失敗である。

脛に傷のある人間に正論は味方しないのだった。

俺達の間に置かれたテミスの無機質な秤はどうやら釣り合っていて、故にその石造りの剣は俺たちの頭上に等しくあった。

ええい、ならば作戦その2だ。

紙上に視線を落とし、こう書き足す。

 

『そもそもぼっちだから言う相手がいないんだよ』

 

我ながら会心の出来である。

作戦その2、自虐ネタでドン引きさせちゃおう大作戦である。

こういうネタとは気心知れた相手であるか、それが共感しうるものでないと笑われないし、基本的に厭われるものだ。

俺の自虐ネタを返してくれるのはそれこそ小町くらいのものである。

しかし彼女はきょとんと首を傾げると、丸文字でこう書いた。

 

『ぼっちって何?』

 

そもそもぼっちが通じなかったかー。

これは一人ぼっちが短縮されたものなので推察できる人には察せれるが、元々ネットスラングだし通じない人には通じないわな。言葉選びを誤った。

 

『友達いない者のことだ』

 

今まで淀みなく返ってきた彼女のペンのリズムに、空白ができた。

どうやら効いたらしい。

 

 

『それ自分で言うの?』

 

『言うとも。そもそも友達ってのがどう言うものか知らないんだから』

 

『因みに私と君みたい関係はなんて言うの?』

 

『同級生とか?』

 

『やっぱ変わってるよね、君。疑問形にしても普通そこは友達って言うでしょう』

 

『俺が変わってるんじゃない。周りが歪んでるから普通な俺が変わって見えるだけだ。

そもそも友達って言葉が抽象的すぎる』

 

『カッコつけないよね君は。よく見られようとしてない』

 

『意味ないからな』

 

彼女はクスリと笑うとスラスラと返事を綴りだした。

なぜ笑っていられるのか。これではまた作戦失敗である。

俺たちの間にあるそれに書くために、彼女は体をこちらに寄せている。

前を向けば視界の隅に嫌が応にも映る彼女のポニーテールと、パンのそれなのか甘い香りが煩わしい。触れ合いそうな彼女の肩の熱が鬱陶しい。その滑らかな項があまりに眩しい。

俺は顔を廊下側に向けて、椅子を少し離した。しかしその直後に俺が腕を教壇から見えないようにつつかれたので書き終わったのだろうと、彼女を見ないようにルーズリーフに目を落とした。

色眼鏡とはよく例えたもので、人はそのモノ本来の色ではなく自分のイメージでつけた色を見ている。

白い光も赤いフィルターにかけると赤く見えるように、自らの価値観によって人はそのモノの本来のあり方を見損なう。

或いはそれを利用して自らを鮮やかに見せようとする。

だから、

 

『私は比企谷くんのそういうとこ、結構好きだよ』

 

どうかそのネズミ色に色をつけないでくれ。

そしてお前の色を、俺に見せないでくれ。

きっと俺はそんなに鮮やかではないから。

その綺麗な山吹色にまた間違えてしまいそうだから。

 

『お前が思ってるようなもんじゃない』

 

俺が人によく見られないようにするのは自己防衛なのだ。

俺がカッコつけても意味はない。

このフィルターにだって、限度があるのだ。

赤に青を混ぜると紫色になるが、灰色に青を混ぜても濁った色にしかならない。

サイケデリックな人気者がやれば鮮やかに見えるそれは、暗色の俺がやっても泥のような色にしかならないのだ。

そしてカッコつければカッコつけただけ、そうした自分が嫌になっていく。自らの卑小さに沈んでいきそうになる。

隠したそれを誰かに見抜かれてどんぐりの背比べされるのも、もう御免だっただけなのだ。

 

 

『かもね。でもカッコつけないでくれるから、話しやすいよ』

 

だからそのターコイズの瞳で俺を見ないでくれ。

まるでこの色が美しいように言わないでくれ。

きっと、それらの言葉に特別な意図はない。

何気ないそれらの言葉に意味を求めること自体が間違っている。

何故なら彼女は俺の世界を知らない。その大よそを俺は彼女に語っていないし悟られうる要素もないのだから。俺と彼女に通じ合う部分などないのだから。

だから考えるな。過敏になるな。

彼女が俺を理解しているわけではない。

 

『何故そんなに俺に構う?』

 

では何故彼女はこうも俺に構うのか。

一限目及び二限目直後の休み時間と昼休みに今回の授業、今日だけで彼女は俺に四回もコンタクトを取っている。

進級してからの2週間、特に関わりがあったわけではなかったにも関わらずだ。

今日いつもと違うことと言われて真っ先に浮かぶのは、俺と彼女が本日の日直であること。

 

『もしかして怒ってる?』

 

しかしそれは理由足り得ない。

だってそうだろう?

日直なんてのは、事務的にこなすものだ。

課されたから成す。仕方ないからやる。

故にそのコミュニケーションは課された仕事を割り振るためだけのものだ。それ以外の会話など必要ない。

ならばきっと、その理由は合理的なものではないのだ。

理に則るならこんなに距離が近い理由なんてない。

あんな風に、俺をからかう理由もない。

 

『怒ってはいない。』

『そう? 良かった』

 

好意ではない。断定する。

敏感すぎる俺はいつだってそれで間違えてきた。

相手にとっては特別ではないことを特別と捉え、空回ってきた。

だから彼女を動かしているそれは恋愛的好意ではない。

だから問うのだ。

 

それは或いは、憐れみなのかと。

 

本当に安堵したように胸を撫で下ろす彼女を見やる。

彼女は模範的な生徒だ。

およそ理想的な生徒と言っていい。

頭脳明晰、品行方正。その上眉目秀麗と来た。

少なくとも授業中に雑談をするような者では無いはずだった。

そんな優等生が授業中にお喋りする理由など、他にどこにあるのだと、心がそう嘆く。

 

『なぜって言われるとちょっと困っちゃうんだけど』

 

『理由があるわけじゃないんだ。ただ話して見たかったんだ』

 

 

綴られたものはなんて事のない理由。

それはあまりに何気なく幼げな興味だった。

きっと10人中9人はそれで納得するようなそんな普通なワケ。

しかし俺はその9人には含まれない。

9人から弾かれた10人目なのである。

故にそんなことですら疑ってしまう。

 

『迷惑だったかな?』

 

しかし仮にそれが興味であるのなら時間の経過とともに潰える者であるし、その反証は今じゃなくても取れる。

時間が経てば自然と消えるのなら良し。

さもなくば他の目的があるのか、或いは。

どの道、その確認のためにわざわざ他人の顔を曇らせる必要はないのだ。

だから俺の態度は決まっている。

 

『好きにしろ』

 

その後、授業の一環で俺たちは鉛筆でそれぞれ相手の肖像を描いた。

彼女は俺を真正面から描いたのに、俺が描いたそれはポニーテールが特徴的な横顔だった。




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