奪ったモノ。錨へと。

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錨と変わる

「この、人殺し!」

「どうしてお前が生きている!」

「死ね!」

「消えろ!」

「家族を返せ!」

「友達を殺した!」

「仲間をよくも!」

「殺してくれたな!」

 

 周りに溜まる泥から這い出る人型の何か。

 手を伸ばされて後ずさる。

 彼女に伸ばされた泥に塗れたその手は、少しだけ届かず人型ごと崩れて溶ける。しかし、ソレが最期に残した恨み言は届いた。

 

 これは夢だ。悪い夢だ。彼女はそう思いたかった。

 まさしくこれは夢である。まごう事無き夢である。人の微睡みに差し込まれた荒唐無稽な世界の断面。彼女にとっては現実ではない何かだ。

 しかしその夢は彼女にとって現実よりも現実らしい。それでも現実ではなくて、でも、いつか彼女の現実に届くかもしれない夢だった。

 そしてソレは、今は夢だとしても決して作り話や幻というわけではない。

 

 

 

 

 

 

 雪音クリスは、人殺しである。

 望む望まないに依らず、直接的間接的に依らず、自ら起こした行動によって人を殺めたという点に置いて、人殺しである。

 過去に己が起動したソロモンの杖は、人を殺す極彩色の化け物、『ノイズ』を使役する完全聖遺物。クリスはそれを用いて目的遂行の為に人を殺したのだ。

 極力殺さないようにはしていた。無駄な犠牲を出さない事にかけてクリスは注意していた。

 それでも、目的遂行の妨げになる存在は殺した。特にノイズを呼び出せば対峙することになる特異災害対策起動部一課の人間は、多く殺した。

 

 今ではクリスもその事実から背かない程度には強くなった。

 しかし、だからこそ、目を背けないという『強さ』によって心を苛む『罪』を自覚してしまう。

 クリスは、自分が手にかけた一課の人間を、二課がS.O.N.G.として再編成された今も関わりのある人間の仲間を忘れられない。

 

 炭素と化す前に女の名を呼んだ男を覚えている。

 

 呆けた顔から絶望した顔へと変わった男を覚えている。

 

 断末魔を上げようと口をあけた瞬間崩れ落ちた男を覚えている。

 

 流れた涙の一滴すら、灰色の残骸へと変わった様を覚えている。

 

 一人になるといつも思い出す。自分が殺した人達の最期の表情を。

 消えない罪だということは分かっている。過去は変えられないということも分かっている。

 その罪を自覚する度、重くのしかかる物は消えない。

 雪音クリスは、どうしようもなく人殺しである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な夢を見た。

 へばりつく様な熱が鬱陶しい八月。時は夏休みだというのに、エアコンは沈黙しており、寝相が悪く電源を落としてしまったのだとクリスは悟る。

 肌を流れ落ちる汗による不快感。嫌な夢。その二つが合わさって、八月某日の雪音クリスの目覚めは最悪なものになっていた。

 

「クソッタレ」

 

 悪態をついて立ち上がる。

 何はともあれ風呂だと、寝間着を脱ぎながら脱衣所へ向かう。

 洗濯機に衣類を放り込み、低めの温度に設定したシャワーを浴びると、不快感が流れていって、幾分か気持ちがマシになった。

 じわりと纏わりつく熱をそのままに、汗と混じったぬるま湯が肌を伝って流れていく。

 

(この感じまでは流れねえか)

 

 薄く残った思考を鈍らせる泥の様な感覚。それが湯水如きで流れる事はないと経験で知っていたし、この泥も含めて自分が背負うべき業であると理解していた。ともすれば、こんな分かり切ったことを思考してしまう自分に嫌気がさしてしまう程に。

 

「もう、いけるかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「おー。おはよう。暑いな」

「そうだな……。私は長袖の上、ヘルメットまで付けているから酷く暑い」

「バイクってのも難儀なもんだな……」

「それを差し置いても、心地良いがな」

 

 時刻は夕暮れ。

 日は地平線にかかり始めた頃、クリスは休みだった翼を少し悩んで家に呼んだ。

 ま、あがれよ。クリスはそう言うと翼を部屋に通す。

 翼も慣れたように靴を脱いで上がり、クリスの後をついていった。

 

「今日はどうしたのだ。雪音が私に連絡を寄こすのは、珍しい」

「まぁ、ちょっとな。大事な話だ」

「なるほど。心して聞こうか」

 

 翼は背を正し、目を見る。

 

「……あー」

 

 クリスは勿論、皆の事を大切に思っている。

 この風鳴翼をはじめとした他の装者も、せせこましいルールの中でそれでも人を救おうと奔走する本部の人間も、仲間だと思っている。

 クリスはこの人達を護るためなら、命だってかけられるし、自惚れかもしれないが、自分を助ける時にも命を懸けてくれると信じている。

 紡いだ絆に偽りはなく、涙と血で固めた愛は砕けることはないと信じられるのだ。

 

「……なぁ」

 

 であるからこそ、この絆を信じているからこそ、雪音クリスは打ち明ける。きっと、何も言わずに答えてくれると信じられる。

 

「あたし、一課の人間を大勢殺した」

「――」

 

 翼の眼は変わらない。それどころか呼吸の一つすら乱れない。

 ただ雰囲気が、纏う空気が少しだけ真剣さを増すだけ。

 クリスもそれを感じ取って、しかしそれを無視して話を続ける。

 

「ソロモンの杖でノイズを出して、大勢殺した。その時の事を、よく覚えてる」

 

 翼は何も言わない。

 

「忘れるつもりもねえ。あたしが墓まで持って行くモンだ。でも――覚えてるだけじゃ、駄目なんじゃないかって」

 

 クリスは続ける。

 胸の内から一つ一つ取り出した言葉を並べていく。

 

「あたしはきっと、まだ向き合うべきモノがある。

 アンタは知ってるか? あたしが殺してしまった……いや、あたしが殺した人達の事を」

「――そうか」

 

 翼はそう言うと、珈琲を飲み干して席を立つ。

 

「連れて行きたい場所がある」

 

 クリスは深く頷いた。

 瞳にかつての揺らぎはない。

 

 

 

 

 

 

 クリスは翼のバイクの後ろに乗って、数十分かけて移動した。

 連れてこられたのは墓地。

 石畳で覆われた敷地の奥に立てられた一際大きな慰霊碑は、特異災害によって殉職した一課の人間の名前が掘られている。家族が悲しみと明日への希望を、そして一課の者に護られた国民が、感謝を伝えに来る場所だ。

 掘られた名前は多い。

 

 翼とクリスは、慰霊碑の前に立って、手を合わせる。

 静かに手を合わせ、そして翼は眼をあけて口を開いた。

 高くはないが、それでも普通の声音でクリスに語り掛ける。

 

「私も、立花が来るまで一人でノイズと戦っていたわけではない」

 

 過去、装者は翼の他に天羽奏が居た。苛烈にノイズを屠り、人を護り、そして散った少女。

 奏が死に、ガングニールを継いだ立花響が現れるまで、装者は翼一人だった。

 しかしそれは、翼が独りぼっちで戦っていたということではない。

 翼は確かに孤独を感じていたし、それ故強く自分を律していた。

 だが今に目を向けて省みれば、いつも誰かに支えられていたのだと翼は理解できるし、実感もしている。

 

「二課の皆が居て、生きることを諦めない人々が居て、そして生かすことを諦めない一課の戦士達が居た。他にも沢山だ」

 

 特に人命救助において一課の人間の功績は大きい。

 迅速な避難誘導、瓦礫の除去をはじめとした被害の修復、そしてノイズの進路変更。

 人に反応して行動するノイズの性質上、進路変更の役目を果たす一課は言ってしまえばの囮である。

 たとえノイズに対して無力でも、自身の命を差し出して人を護るその生き様には、防人の血よりも熱き心意気が感じられるものだった。

 

「一課の人の話が聞きたい、だったな」

「あぁ」

「……長くなる。ここで待っていてくれ」

 

 翼は自販機で飲み物を買ってくると言い残して、クリスを置いて去っていった。

 日は沈み、東の空はそろそろ暗くなる頃合いだ。

 

(どうにも、息が苦しい)

 

 自分が殺した人間とその遺族を悼むために建てられた物の真正面に居るのだ。ここで居心地の悪さを感じない者は、人でなしにもほどがある。感じて当然の感情だ。

 ぼんやりと入れ替わる緋色と濃紺色を見る。

 日が落ちることを認識し、夜になることを認識し、そしてまた日が昇るであろうことを予測する。

 

 当たり前のことだ。

 だが、その当たり前すら、自分が奪った命は享受できない。

 どうあっても、自分が殺して、彼らが失った。彼らが失ったものを自分は享受していることに、慣れ親しんだ気持ち悪さを感じて、かぶりを振った。

 

「待たせたな。ほら、缶コーヒーだ」

「おう、悪いな。出すよ」

「気にするな。お前が後輩に同じことをしてやればいい」

「ん、そーゆーもんか」

「そーゆーもんなのだ」

 

 プルタブを開けて、口を付ける。

 缶コーヒーの微糖は、結構甘くて飲みやすいななどと思いながら、クリスは翼の言葉を待った。

 

「さて、話そうか」

「あぁ」

 

 翼は慰霊碑の左上を指して。静かに語り始める。

 

「ソロモンの杖が起動した時期からだと、このあたりか。

上から三列目の左から七番目、名前は書いてある通り――」

 

 語る翼の言葉を、クリスは黙って聞いている。

 一言も聞き逃さないように、忘れないように、その人の事を覚えていく。

 

「――と、この人はこういう人だった。

次、同列の右から九番目、この人は愛妻家でな。子宝には恵まれなかったようだが――」

 

 翼の言葉を聞く度に、死んだ者の人生の一端を知る度に、心に重りが乗っかっていく感覚を覚える。

 決して下ろすことのできない重り。十字架。それはクリスの心に今までもあったものだ。今までも確かに背負い、自覚していた物だ。

 ただ、それの重みが増しているだけ。

 

「――雪音」

「なんだ?」

「辛くないか」

 

 翼は一旦顔をクリスの方に向けて問う。

 横目で見たクリスの顔があまりにも酷かったからだ。喉に支えるかのような息を時折吐き出すクリスに、翼は一種の危うさを感じていたのだ。

 

「辛いさ。辛いに決まってる。でも、この辛さはあたしが受けるべき物だ」

 

 今まで表情を変えていなかった翼は、ここで少しだけ辛そうな顔をして、慰霊碑に顔を向けた。

 クリスにとって、この感情は侮辱であると知っていたから。

 

「……では、続きだ。上から四列目、一番左。この人は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――以上だ。私が知っている人だけだったから、足りなければ叔父様に聞くと良い」

「あぁ。サンキューな」

 

 翼は手に持った缶コーヒーを飲み干して、息を吐く。

 数泊置いて、クリスに尋ねた。

 

「なぁ、雪音」

「んだよ」

「お前は――いや、良い。また何かあれば頼れ」

「……あぁ。そうする」

「家まで送ろう。ゆっくり考えて、ゆっくり休むと良い」

 

 翼は一つ伸びをすると、霊園の出入り口に歩き始めた。

 クリスは慰霊碑を一瞥して、翼の後を追った。



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