イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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8: 神の降臨

 ロ・レンテ城の城門前にある広場には、既に多くの民衆が集まっていた。雨は土砂降りになっているが、民衆はずぶ濡れになりながらも、その意気は衰えてはいなかった。

 

 兵士達は城門前に半径三十メートル程の空間を確保するべくバリケードを築いており、暴徒は松明を振りかざしながら、それに罵声を浴びせかけている。

 

 ブレインは、孤児院の子ども達を守りつつ、何とか近くまでやってきたものの、この様子では城内に逃げ込むことが困難であることに気が付き、舌打ちをする。

 

(こんなことなら、大人しく王都から脱出した方が良かったかもしれんな)

 

 ブレインは、肩に担いでいた子どもをそっと下ろして、周囲にいる子ども達の様子を確認する。この酷い雨の中、暴徒を避けながら逃げてきた子ども達の体力は既に限界に近い。本当なら、早く屋根のあるところで休ませないといけない状態だ。全く、こんな状態の王国を残して、自分だけ先に死んでしまったガゼフ・ストロノーフを思い出して悪態をつきたい気持ちでいっぱいになるが、今はそんな暇はない。ともかく、せめて自分が助け出せたこの子ども達だけでも生き延びさせなければいけないのだ。

 

 その時、兵士達が王城前でザナック王子が国民と対話を望んでいる、だから、お前達も一旦落ち着くように、と繰り返し叫んでいるのが聞こえてきた。

 

 ということは、ザナック王子他、王国の首脳陣がそのうちこの場に出てくるのだろう。それなら、しばらくすればこの騒ぎも無事に収まる可能性がある。ブレインは、ザナック王子にそれほど好感を抱いているわけではなかったが、ガゼフが以前ザナック王子に対する認識を改めた、と話していたことは覚えていた。あの侠気溢れるガゼフの言葉なのだから、恐らくそう間違えたことを言っているわけではないだろう。少なくとも、直接対話をしようとするその心意気は評価できる。

 

 ブレインは周囲を素早く見回して、比較的城壁に近く、暴徒から少し距離のある場所を選んで、そこに子ども達を誘導した。

 

「いいか。お前達はなるべくここから動くな。下手に動くと死ぬぞ。ラナー王女に会えれば、お前達は無事に保護されるはずだ。だから、それまであと少しの辛抱だ。いいな?」

 

 子ども達は、敬愛するラナー王女の名前を聞いたせいか、怯えながらも健気に頷き、その場に寄り添うようにして立っている。

 

「よし。良い子達だ。なに、心配しなくても、お前達はこの俺が命にかけても守ってやる。暴徒をお前達に近寄らせるようなことは決してしない。だから安心しろ」

 

 ブレインは不敵に笑うと、近くにいる子ども達の頭を撫で、背に庇うようにして暴徒との間に立ちはだかった。

 

 やがて城門が開き、近衛騎士の一団がバリケードの内側を固め、馬に乗ったザナック王子とレエブン候、そして数人の有力貴族達が姿を見せる。ザナック王子はヤルダバオト事件の時に着ていた鎧ではなく、王子としての礼装を纏っている。レエブン候のすぐ後ろには、落ち着かない様子の白い鎧を纏ったクライムも付き従っている。

 

「静粛に! これから、ザナック殿下よりのお言葉がある!」

 

 声を張り上げるレエブン候の鋭い目つきに、一瞬民衆はたじろいだかのように見えたが、やがてすぐに罵声が上がる。石を投げている者もいる。

 

「……殿下、このまま前に出られるのは、少々危険かもしれません」

 

 レエブン候が暗に対話を取りやめることを勧めていることにザナックは気がつくが、ザナックはにやりと笑って答えた。

 

「何を言う。ここまで出て来たからには、そのくらいは覚悟の上だ。後ろに引っ込んでいても連中は収まらないだろうよ」

「それはそうなのですが……」

「それに、タイミングを見計らって、救援を出すとアルベド様は仰っていた。であれば、その言葉を信じて我々は出来る限りのことをやるしかない。そうだろう?」

 

 レエブン候は、ザナック王子が青ざめながらも毅然とした態度を崩さない様子に、来るべき王国の冬の時代を任せることのできる王の姿を見た。

 

「そうでしたな。差し出がましいことを申し上げました」

「いや、候のおかげで踏ん切りがついた。これからも宜しく頼む」

 

 ザナックはそう言うと右手をレエブン候に差し出した。レエブン候は万感の思いを込めて、しっかりとその手を握りしめた。ザナックは満足そうに微笑み軽く頷くと、クライムに自分の護衛をするように申し付け、ゆっくりと馬を前に進めた。クライムもその言葉に頷き、ザナックを守るように前に出た。

 

(今はザナック殿下を何としてもお守りする。それがラナー様の御為にもなるんだ!)

 

 クライムは決死の覚悟で、民衆を睨みつける。ラナー様の行方は蒼の薔薇の皆様を信じてお任せするしかない。自分は、ラナー様が無事に戻って来られた時に、王城に無事にお入り頂けるようにしなくては。その為には、ザナック殿下の説得が成功しなければいけないのだ。

 

 そんなクライムを横目でちらりと眺め、ザナックは、堂々たる態度で民衆の前に立った。

 

「私は、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフである。ここにいる皆さんと話をしたくてこの場までやってきた。皆、それぞれ思うことはあるだろうが、ひとまず鉾は収め、我が話を聞いては貰えまいか?」

 

 ザナック王子の名前を聞き、民衆はざわめいた。何しろ、ザナック王子といえば、以前ヤルダバオトが王都を襲撃した際に自ら危険なところに赴き、王都の防衛に一役買ったことは誰しもが聞き及んでいた。その王子の言葉であれば、多少は聞く価値があるかもしれない。そんな声が民衆の中を行き交い、罵声を上げていた者達もその雰囲気に押されたのか、一旦黙ったようだ。

 

(どうやら、全く話を聞く気がないというわけではなさそうだな……)

 

 ザナックは少しだけ胸を撫で下ろすが、一歩間違えば暴走しそうな気配が収まったわけではない。話の切り出し方に失敗すれば、彼らは対話を拒否し、今度は勢いに任せて王城に攻め込んで来るだろう。そうなったら王国はおしまいだ。

 

 ザナックは、なるべく余裕がある様子を崩さないように気をつけながら、おもむろに口を開いた。

 

 

----

 

 

 ザナックは、雨に濡れながらも、民衆を説得するべく必死で言葉を紡いでいた。今のところ、皆、静かにザナックの言葉に耳を傾けている様子を見せており、ザナックはそれに少しばかり心強さを感じていた。

 

「我々王家は、皆の惨状に心を痛めている。確かに、今は王国は非常に苦しい時期を迎えている。しかし、だからこそ、我々は敵同士になってはいけないのだ。それをどうかわかってほしい。そして、もう少しだけ、事態を改善出来るのを待っては貰えないだろうか?」

 

 ザナックは、そのように言葉を締めくくり、民衆をゆっくりと見回す。納得したのかそうではなかったのかはわかりにくかったものの、直ちに非難する声も反論する声も上がらない。あともうひと押し必要か。ザナックがそう思って口を開こうと思ったその時だった。

 

「ははは。それでは、いつまで待てばいいのかわからんな! 馬鹿なことを言うのも大概にしたらどうだ? ザナック王子」

 

 突然、ザナックの言葉を嘲笑う声が響いた。派手な服で着飾り馬に乗った男達が、大勢の子飼いの兵士達で周りを囲うようにして群衆の背後に立ち並んでいる。兵士たちはニヤニヤ笑いながら、即座に道を開けようとしない群衆には剣を突きつけて脅している。その様子を見て怯えた群衆は、男たちを憎悪の目で見ながらも少しずつ場所を開けた。

 

「さあ、お前達、何をしている! あそこに立っているザナック王子も、その後ろにいる貴族達も全員お前達の敵だ! 奴らを殺さなければ、王国にもお前達にも幸福な未来など無いぞ!?」

 妙に自信が溢れている声で、兵士や取り巻き達の真ん中で偉そうにしている男が、ザナックを指差した。

 

「そうだ! そうだ! この国を支配するのに相応しいのは俺達だ。ザナック王子! さっさと、引っ込みやがれ!」

 その男に追随する者たちの下卑た笑い声が辺りに響く。

 

 暴徒ですらその不遜な物言いには疑問を持つくらい、馬鹿げたことを堂々と述べるその姿に、ある意味人々の目は釘付けになった。しかしそれを何か誤解したのか、新たに現れた一団は更に調子に乗って、群衆を剣で追い払いながらバリケードの目前まで歩み出てきた。怪我をした者も出たのだろう。民衆の間から悲鳴が上がる。

 

「貴様、フィリップだな!? この馬鹿共! 何ということをしているんだ!?」

 

 あまりにも突然の闖入者に少しの間呆然と見ていたザナックだったが、流石にその傍若無人ぶりで我に返り、その一団の中央にいるフィリップに向かって怒鳴りつけた。

 

「おやおや、ザナック王子。どうやら俺達がよほど恐ろしいと見える。はは。今ここにいる人々は、全て俺たちを支持しているのですよ。共に王家を打ち倒し、新しい王国を作る同志としてね」

 

 一瞬辺りは静まり返る。ここに集まった群衆には、このような見覚えのない、しかも剣を振るって脅すような男に協力するつもりなどなかったからだ。微妙な非難を含んだどよめきが王城前に広がる。

 

 しかし、それを打ち破るかのように誰かが叫んだ。

 

「そうだ! 王族がこれまで何をしてくれたっていうんだ!?」

「どうせ、このまま奪われて死ぬだけなら、せめてお前たちに思い知らせてから死んでやる!」

 

 それに賛同する複数の叫び声が響く。それを皮切りに、ある程度ザナックの説得に耳を傾けていた人々も、フィリップの暴行に苛立ちを感じていたはずの者も、再び興奮してきたのか、怒号を上げ始めた。誰かが投げた石がザナックの頬の脇をかすめる。それを見て、バリケードの周囲にいた兵士達が人々に対して殺気を向け、騎士達はザナックを守るように周囲を固める。

 

 その時、群衆の後ろから、凛と響く女性の声がした。

 

「待ってください! どうか皆さん、落ち着いてください!!」

 

 そこには、蒼の薔薇を後ろに従えた、ラナー王女が立っていた。

 

 

----

 

 

 ラナー王女は、優しげな微笑みを浮かべながら、王城に向かってゆっくりと歩む。その周囲を蒼の薔薇の面々が歩き、自然と群衆はラナーの前に道を開けるように動いた。

 

「ラナー様!!」

 

 ブレインの後ろにいた子ども達が一斉に喜びの声を上げ、前へと歩むラナーの後を追いかけて走り出す。

 

「おい、待て。動くな! 危ないぞ!」

 

 ブレインは子ども達を押し止めようとするが、子ども達はその手をすり抜け、ラナーの元に走り寄る。軽く舌打ちをして、やむを得ずブレインもその後を追う。

 

「ああ、あなた達も無事だったのですね。良かったです」

 

 ラナーは子ども達の頭を優しく撫でる。ラナーの笑顔を見て少し安心したのか、子ども達は母親に縋り付くようにラナーを取り囲んでいる。その周囲を油断なく警戒するブレインと蒼の薔薇に、多少怖気づいたのか、怒号は段々小さくなり、ざわめきだけが残った。

 

 ラナー達は、何事もなかったかのようにバリケードの近くまで行き、群衆に向き直る。

 

 ラナーの姿を見たクライムは、喜びの余りに我を忘れ、警護していたはずのザナックの側を離れると、バリケードを飛び越えた。背後から、ザナックが自分を制止する声を聞こえたような気がしたが、それはクライムにとってはどうでもいいことだった。

 

「ラナー様! ご無事で……本当に良かったです……」

「クライム、心配させてしまいましたね。蒼の薔薇の皆様のおかげで、無事に帰ってくることが出来ました」

 

 雨が降りしきる中、主従が嬉しそうに手を取り合う姿は、そこだけがまるで一幅の絵画のようだった。

 

 しかし、突然のラナー王女の登場で、フィリップの目には狂気の光が灯る。何しろ、なかなか手に届く所に出てこなかった女が、遂にすぐ目の前に姿を現したのだ。彼の残念な頭の中に、ラナー王女が自分の為にわざわざ姿を現した、いや、ようやく、自分のものになる気になったのだ、という妄想が浮かび、彼の中ではそれが事実に変わる。

 

「はっ、ははははは! ラナー王女、ようやく俺と結婚する気になったのか!?」

「え? 一体どういうことでしょうか?」

 

 何のことだかさっぱりわからない、という様子で首を傾げるラナー王女に、フィリップは気が狂ったような笑い声を上げ、兵士達に命じる。

 

「兵ども! あそこにいるガキどもを殺せ! 周りにいる奴らを皆殺しにしろ! 今ならラナー王女の近くにはあまり人がいない。王女を我が物とし、俺が王になるんだ!」

 

「ほう? なかなか面白いことを言ってくれるじゃねぇか? このブレイン・アングラウスとアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇が、いくら数だけはいるとしても、お前らごときに遅れを取ると思っているのか?」

 ブレインはフィリップの言葉を鼻で笑い、戦闘態勢を取る。

 

「フィリップ、私達、蒼の薔薇は、あなた達を連続女性誘拐事件、そして今回の暴動事件及びラナー王女誘拐事件の犯人として告発するわ。証拠もある。おとなしく、武器を捨てなさい!」

 

 蒼の薔薇も進み出て、武器を構えた。そして、蒼の薔薇の言葉を聞き、民衆は明らかに動揺したようだった。

 

「あいつらが……ラナー王女を誘拐……?」

「まさか、うちの娘を攫ったのも……」

「俺達はあいつらに、踊らされていたのか?」

 

 どれも小さな声だったが、少しずつその声は民衆全体に広がり、次第に民衆がフィリップに向ける視線に憎悪の色が濃くなる。その様子に、フィリップは舌打ちをした。

 

「ふざけるな! 今度は言いがかりか!? 全く、どいつもこいつも話にならんな……。ふん、そもそも、その数で勝てるつもりなのか? お前ら、ラナー王女はなるべく傷をつけずに生け捕りにしろよ!!」

 

 フィリップの手勢の一部はブレインと蒼の薔薇の名前を聞き、先程の勢いは失せ若干及び腰になっているようだったが、残りの者たちは剣を構え、弓を手にした者達は、ラナーを守るように取り囲んでいる子ども達と、クライムやブレイン、蒼の薔薇を狙って一斉に矢を射掛けた。

 

「ラナー様!! お下がりください!」

「お前ら、伏せろ!」

 

 咄嗟に、クライムとブレインはラナーや子ども達を守るように前に走り出て、矢を抜いた剣で払おうとするが、全てを落とすことは出来ず、矢に射抜かれた複数の子ども達が倒れ、それを見た人々から悲鳴が上がる。それと同時に、バリケードの近くでラナーとフィリップの様子を伺っていたザナックが、苦しげに呻いて馬の背にうずくまった。

 

「お兄様!!」

「ザナック殿下!!?」

 

 ラナーは蒼白な顔で悲鳴を上げ、レエブン候は衝撃の余りいつにない大声で叫ぶとザナックに駆け寄った。ザナックの胸に一本の流れ矢が突き刺さっており、ザナックの顔は瞬く間に青黒くなっていく。

 

「まさか、毒矢か……!? 誰か、ザナック殿下を中に運べ! 侍医を呼んで解毒を!」

 

 数人の兵士たちが慌てて、ザナック王子を担架に乗せて城の中に運び去った。

 

 世継ぎの王子が倒れる現場に居合わせた群衆は、先程までの勢いは失せ、物も言わずに静まり返っている。ブレインは後ろを振り返り、苦痛に満ちた表情で自分が守ろうとしていた子ども達の遺体を見ていた。共に暮らした兄弟ともいうべき者を亡くした子ども達が静かにすすり泣く声が聴こえ、そして、その声で、群衆の中にも何かを思い出したのか、泣いている者がいる。

 

 一人、フィリップだけが高笑いしている様だけが異様な雰囲気を漂わせていた。

 

 

----

 

 

 イビルアイは、どうやっても止めることが出来ない人々の暴走を、半ば呆然として見つめるしかなかった。そこにいるのは、悪人ではなくただの民衆だ。それなのに、強者である自分が弱者である人間に力を振るうのは、どうしても躊躇われる。

 

 何処かで、泣いている子どもの声がする。いくつも、いくつも……。酷い喧騒の中でも、その声だけはやけに耳につく。

 

 私は、また……助けられなかったのか?

 

 不意に、イビルアイは、廃墟の中で泣いている子どもが顔を上げ、泣き腫らした目で自分を見つめる姿を幻視した。

 

 ――いや、違う。

 ――本当に助けてほしかったのは……

 ――あそこで泣いていたのは……

 

 ――私自身だ……。

 

 

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 ブレインは、カッツェ平野でなすすべもなく、ガゼフ・ストロノーフが死んでいったことを思い出していた。

 

(くそ、俺はまた何もできなかったのか? いや……あの時は流石に相手が悪すぎた。だが今回の奴らは違う。これくらい出来なくて、ガゼフに顔向けなんて出来るわけないだろうが!)

 

 ブレインはフィリップの一党を怒りの篭った目で睨みつけ、有無を言わさず矢を射った連中に襲いかかり、蒼の薔薇もそれに追従する。手当たり次第に次々と武器を落として無力化するものの、守るべき者を守れなかったという、どうしようもなく虚しい思いだけがブレインの胸を過る。

 

(何故、こんなことになってしまったんだ? 同じ王国民同士で、何故、殺し合わなければいけないんだ?)

 

 バリケードの周囲を固めていた王国の兵士達は、まるで彫像になったかのように動かない。いや、動けなかったのだろう。

 

 しばらく茫然自失していた民衆は、やがて次第に沸き起こるやり場のない怒りに我を忘れ、武器を振り上げフィリップ達に襲いかかろうとした。しかし、密集した中で動くこともままならず、逆に互いを押しのけようとし、転んだ者を踏みつけ、それが逆に別の諍いを生んで、本来同じ思いを抱えていたはずの者たちまで争いを始めた。中には落ち着かせようと声を上げる者もいたが、他の人々の上げる怒号にすぐにかき消された。

 

 王国はもうお終いだ。それだけが、城門の前を埋め尽くしている人々に共通した思いだった。

 

 人々は空虚な思いにかられながらも、意味のない諍いを止めることはできなかった。誰もが自暴自棄になっていたのかもしれない。その場を支配していたのは、抑えきれない怒りとどうしようもない絶望だった。

 

 もはや、王都を破壊し尽くさなければこの争いは止まらないだろうと誰もが思い始めた時、一つの耳ざわりのいい声が上空から響いた。

 

「『争うのをやめなさい』」

 

 その言葉を聞いた途端、イビルアイを除く全ての人々は、手に持った武器を動かすことが出来なくなり、瞬時に王国民同士で行われていた殺戮は止まった。

 

 

----

 

 

 突然、このところずっと降り続いていた雨が上がり、次第に明るい日差しが差し込んでくる。

 

 そして、空から黒い大きな塊のようなものが落ちてきて、城門前の石畳にヒビが出来るかのような地響きを立てる。そこには、漆黒の鎧を纏った男が着地した時の姿勢のまま、しばらく受けた衝撃に堪えているようだった。やがて、漆黒の鎧の男は、ゆっくりと立ち上がり、ラナー王女と群衆、フィリップ達を順番に見やった。その背後にはふわりと〈飛行〉で降りてくる一人の魔法詠唱者がいる。

 

「モモンだ……」

「漆黒の英雄……」

「……俺達は助かったのか?」

 

 久方ぶりに王都に差す日の光を浴びて、降り立った漆黒のモモンと美姫ナーベは、神話から現れ出たまさに英雄のようにも感じられる。

 

「モモン様……、王国を助けに来てくださったのですね……」

 

 信じられないものを見たかのような思いで、イビルアイは必死で言葉を押し出し、うまく動かない身体を無理に動かすかのように、よろめきながらモモンに近づいた。

 

 そのイビルアイを、片手でそっと抱きとめるようにして、モモンはイビルアイの耳元で囁いた。

 

『――私は、アインズ様ではありませんよ』

 

「え?」

 

 さりげなく空に向かって顎をしゃくるような仕草をしたモモンにつられて、イビルアイが空を見上げると、遥か上空に、白いローブを風に靡かせている魔導王の姿があった。その側には、メイドらしい者達と美しい少女が控えており、そこから少し下がった場所には、黒い蝙蝠のような羽を広げた白い変わった服を纏った者が、魔導国の国旗を掲げていた。

 

 やがて、魔導王の周囲に、見たこともない巨大な立体魔法陣が展開される。そこから発せられる眩い光に気がついたのか、その場にいた人々は、次々と上空を見上げる。魔導王だ、と呟く声がする。その言葉は、恐怖とそれ以上の畏怖を感じさせるものだった。

 

 魔導王の繰り広げる光景は、美しくも人智を超える恐ろしさがあり、自分たちはこのまま魔導王に殺されるのかもしれないという思いに駆られながらも、その場を動く者は誰もいなかった。

 

(ああ、なんて神々しい綺麗な光なんだろう……)

 

 イビルアイは、アインズの展開する魔法陣から目が離せなかった。噂に聞く、カッツェ平野で使われた魔法もこんな感じだったのだろうか。しかし、彼がこの場でそのような忌まわしい魔法を使うとは思えなかった。

 

 かなり長いことその魔法の発動を眺めていたようにも思うが、いくら見ても見飽きない次々と形を変える複数の光の帯で構成された魔法陣は、やがて一段と光り輝くと六つの光の柱が現れ、それが実体化していく。

 

 魔導王の周囲に、六体の見たことのない白く美しく輝く天使が現れて、四枚の羽根を大きく広げる。その姿は、あたかも崩壊しきった王国に救いを与えようと舞い降りた奇跡のようにも見えた。

 

 その光景に衝撃を受けたのか、人々は物も言わずにその場に立ち尽くしている。

 

 ゆっくりと高度を下げてくる魔導王と、天使達は、暖かい光に満ちた太陽を背後にして、まるで自ら周囲を照らす光を放っているかのようにも見える。

 

 魔導王だ、という声は次第に消え、人々は目の前にしているのが、自分達の罪を問うために現れた神のようにも感じられる。

 

 モモンとナーベの近くに、魔導王とお付きの者達が降り立つと、その少し上に天使たちが守るように羽を広げた。

 

「ああ、『楽にして構いません』」

 再び、何者かが妙に心に響く言葉を発する。

 

 何かで身体を抑えつけられていたような感覚は消え、人々は、僅かに身じろぎをする。しかし、再び武器を振り上げようとする者は、もはやいなかった。

 

 

 




アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。

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