イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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幕間のちょっとした話のつもりが長くなりました……。
二章の半年後くらいの話です。


幕間
蒼の薔薇、新たなる旅立ち(一)


 リ・エスティーゼ王国、ヴァランシア宮殿の現女王の執務室では、女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと宰相エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵が魔導国との属国化に関する協議の内容について最終確認を行っていた。部屋は人払いされており、この場にいるのは王国のまさに中枢であるこの二人だけだ。

 

「それでは、これが最終的な合意案ということで宜しいでしょうか? ラナー陛下」

「ええ、そうですね。思った通り、魔導国からの要求は過大なものは特にありませんし、このまま受け入れて構わないと私は思っています。レエブン候としてはどうですか?」

「私としても基本的には異論はありません。しかし……」

 

 レエブン候は伏し目がちに若干言い澱み、ラナーはそれを見て首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、この合意案とは別件で、蒼の薔薇を魔導国に移籍させることを条件に、これから五年間必要物資の融通や、その……人的資源の貸与に係る支払いの大幅緩和を受けることになっておりますが……。宜しかったのですか? 蒼の薔薇はラナー陛下にとっては、彼に次いで大事な存在なのかと思っていたのですが」

「ああ、そのことですか……」

 

 ラナーはまるで何でもないことを聞いたかのように、あどけなく微笑む。

 

「蒼の薔薇は確かにこれまで王国の為に大変よく働いてくれました。でも、実際問題、彼女達がいなくても、もはやどうとでもなるのではありませんか?」

 

 レエブン候はラナーのその言葉に含まれる意味に気が付き、手にした書類から目を上げ、ラナーの表情を見た。そこにあったのは、彼がよく知る昔のままのラナーの素顔だった。ぞくりとするものが背筋を走るが、その事実はレエブン候の心に妙に腑に落ちるものだった。

 

「それに、魔導王陛下は蒼の薔薇に興味を持っておられるご様子。であれば、高く売れるうちに売ったほうが良いでしょう? 今の王国には売れるものすら殆どないのですから。朱の雫は全くお話になりませんし。もっとも、あの『謀反人』達は思ったよりもいい価格が付きましたけれど。本当に彼らは王国の良い礎になってくれたというものです」

 

 ラナーは彼らの未来を思い、くすくすと楽しそうに笑った。アルベド様はほぼ無傷でフィリップを捕らえたことを大層お喜びだった。表向きは処刑したことになってはいるが、既に彼らは魔導国に引き渡し済みだ。今頃彼がどのような目にあっているかはわからないが、できれば属国の契約の為に『ナザリック』という魔導王の恩寵深い地を訪れた際に、彼の状況を直接見学することをアルベド様にお願いしてもいいかもしれない。きっと、自分にとっても参考になることがたくさんあることだろう。

 

「私としても彼らには感謝しておりますよ。何しろ、王国の膿を全て取り除いてくれたようなものですからな」

 

 レエブン候は、ラナーのその様子に若干吐き気のようなものを覚えるが、ラナーの言っていること自体に問題があるわけではない。むしろ、その心の中で展開されているだろう悍ましいものを、直感的に感じたに過ぎないことは自分でもわかっている。

 

「レエブン候の仰る通りですね。それに、魔導国が蒼の薔薇に対して提示してきた条件は、彼女達にとってもそう悪いものでは無い筈です。であれば特に問題などないでしょう?」

 

「ははは、なるほど。そういうことでしたか。私としたことがすっかり騙されておりました。当然もっと早く気がついて然るべきでしたな。貴方にとっては、蒼の薔薇との友情ですら、都合のいい駒でしかなかったということに」

 

 ラナーはその言葉には答えず、優雅に紅茶を一口飲む。

 

「しかし、陛下。これだけはお断りしておきたいのですが……」

 幾分厳し目の口調で、レエブン候は言った。

 

「我が息子に対してはそのようなことは決してなさらないで頂きたい。私はあくまでも、我が息子の将来的な安寧のため、そして、陛下が提示された、いずれ我が息子の子……即ち孫に王国の全てをくださる、という条件で婚姻を承知したのです。その約束を違えられた場合……、流石の私とて黙ってはおりません。それだけは決してお忘れなきよう」

 

「あら、もちろんですよ。レエブン候。私は別に王国に興味などありません。私はご存知のように、クライムと私の愛ある生活が死ぬまで続けられるのなら、それだけで満足なのですから。その為には、貴方のご協力は必須ですし、貴方の大事な……私の婚約者様についても同様です。蒼の薔薇などとは全く違いますよ」

 

 ラナーの口から愛という言葉を聞いて、一瞬ぞっとするものを覚えたレエブン候は鷹のように鋭い瞳でラナーを見据えたが、ラナーは疑うことを知らない子どものような表情で無邪気に笑った。

 

「いずれにしても、私はクライムとの間に子を為すつもりはありません。私が欲しいのはクライム唯一人。ですから、貴方は貴方で『私の世継ぎ』をちゃんと作ってくださいね。私はお約束どおり、その子をちゃんと我が子と認知しますから」

 

 今はまだレエブン候の長男とラナーは婚約者であり、いずれ王国の復興が落ち着くであろう五年後に二人は正式に婚姻することとなっていた。ラナーが子孫を残すつもりがない以上、いずれ王国の血脈を担うのはレエブン候の血筋であり、ヴァイセルフ王家は名前を残すだけとなる。本来ならそれは自分の家系に対する裏切り行為であろうが、この女はそのような行為に対して何の痛痒も感じていない。しかし、それこそが、レエブン候とラナーを結びつけることになった最大の理由でもあった。レエブン候としてはどうしようもなく薄気味悪いものを感じつつも、それを心の内に飲み込んだ。

 

「畏まりました。ラナー陛下。では、魔導国とはこの案のまま話を進めさせて頂きます」

「ええ、よろしくお願いしますね。それと、魔導国に同行させる貴族達の選定をお願いします。ああ、宰相アルベド様とデミウルゴス様には、式典でお会いできるのを楽しみにしておりますとお伝えしておいてください」

 

 恭しくお辞儀をして退出していくレエブン候を見送ったラナーは、レエブン候と入れ違いで部屋に入って来て、扉近くに侍っているメイドに声をかけた。

 

「これで午前中の謁見予定は全て片付いたのですよね?」

「はい、陛下」

「わかりました。では、私はしばらく部屋で休息をします。誰も中には入ってこないようにしてください。いいですね?」

「……畏まりました」

 

 心なしか、メイドの声が震えているように見えるが、ラナーにはそんなことは全くどうでもよかった。これからの時間はラナーにとってはまさに至福のひとときなのだ。誰にも邪魔されてはいけない。

 

(ああ、そろそろ餌の時間でしたね。私がいない間ずっと良い子にしていたでしょうか?)

 

 早く自分の可愛い飼い犬の顔を見たくてラナーの心は逸る。もちろん良い子にしていたのなら、ご褒美もたくさんあげなければ。ラナーはうっとりと夢見るような瞳をしながら、自室に向かった。

 

 

----

 

 

 王都にある冒険者組合は、先日の事件では辛うじて被害を免れており、古めかしく重厚な石造りの建物は、所々煤の跡が残っているもののその長い歴史を思わせる風格はそのままである。その内部には暇を持て余している様子の受付嬢が一人あくびをしながら席に座っており、以前は常に複数の冒険者グループが情報交換をしたり、良い依頼が来るのを待ち受けていたものだが、今日そこにいるのは他に行くあてもなく座り込んでいる冒険者が数人と、難しい顔をして掲示板を睨みつけているうら若い女性二人だけだ。

 

「……やっぱ、ねぇな」

「ないわねぇ」

 

 蒼の薔薇のラキュースとガガーランは、貼り紙自体殆どない掲示板の前に立ってため息をついた。二人はこのところの日課である冒険者組合での依頼確認に来ていたが、今日も昨日と同じ貼り紙しかなかった。

 

 半年前の王都での暴動事件、正しく言うなら『フィリップの乱』以来、王都にいる冒険者の数は徐々に減ってきており、人もまばらな冒険者組合にある募集掲示板からも、募集の掲示は日々少なくなっていくばかりだ。あったとしても、いいところ金級鉄級向けの護衛任務や、常時募集のモンスター討伐ばかりで、とてもアダマンタイト級の蒼の薔薇が引き受けていい仕事ではない。

 

 暴動前は、蒼の薔薇の仕事はラナーから直接依頼されることが少なくなかったが、亡くなった先王らの国葬及び戴冠式を終えてリ・エスティーゼ王国初の女王として即位した今のラナーは政務に忙殺されており、以前のように気軽にラナーから声がかかることも私室に遊びに行くことも殆どなくなった。もっとも蒼の薔薇自体、暴動直後は王国各地で出没するモンスター退治の依頼で息をつく暇もなかったし、ラナーの警護任務も、即位直前からは近衛騎士団の仕事となっていた。

 

 おまけに、ラナーが魔導国から復興支援として様々なアンデッドを借り受けるようになってからは、モンスターの討伐依頼も目に見えて少なくなった。そして、それは蒼の薔薇に限った話ではなく、それがこの掲示板の現状に繋がっているとも言える。

 

 しかし、冒険者に対する依頼が少ないというのは、それだけ王国が平和になりつつあるということでもあるだろう。現在の王国では、街道の要所要所で魔導国から借り受けているデス・ナイトが歩哨を勤めていて、それだけで王国の街道の安全性は大きく上がった。王国各地で跳梁跋扈していたモンスターや野盗は姿を消しつつある。

 

 以前であれば、商人たちはそれなりの冒険者に護衛を依頼して商材を運ぶのが常であったが、今は、護衛など付けなくても他の街への移動が可能になってきている。それでも、念のために護衛を依頼するものは少なくなかったが、依頼される冒険者ランクは下がる一方だ。

 

 そんな訳で、最近の蒼の薔薇にやって来る依頼といえば、アンデッドをどうしても受け入れられず、しかも見栄からあまり下級の冒険者には依頼したくない豪商等の護衛くらいで、目ぼしいモンスターの討伐依頼といえば、二ヶ月程前のギガント・バジリスク討伐依頼が最後だった。

 

「別に、お金に困っているわけじゃないけど……。このまま、何もしないでいるのも冒険者としてどうかと思うのよね……」

 

 ラキュースは掲示板を見るのを諦め、窓際に置かれているそこそこ座り心地のいいソファーに腰をおろした。窓から見える王都の様子は少し前よりも遥かに活気が出てきているし、人々の表情は明るくなっている。

 

「そうだよなぁ。いくら平和が一番って言っても、冒険者としては味気ないよなぁ。まあ、だからと言って、あんな事件なんかは願い下げだけどよ」

「そういう意味では、冒険者っていうのも良し悪しよね。戦いや争い事がないと力を発揮できないんですもの。本当は、私だってもっと違う冒険をやってみたくて冒険者になった筈なのに。最近、こんなはずじゃなかったって思っちゃうのよ。この暗黒剣キリネイラムの真のちか――あ、いえなんでもないわ」

 

 ラキュースは慌てて咳払いをする。そのラキュースの様子をガガーランは若干心配そうに見ていたが、ラキュースの右隣にどっかりと腰を下ろす。

 

「ああ、そのなんだ。ラキュースもいろいろ魔剣の力を定期的に放出しないと闇の力が危険、とかそういうのがあるんだろ?」

「え!? ええ……、まあ、その……そうね?」

 

 ラキュースは気まずそうにガガーランから目を逸らす。だが、ガガーランはその様子には気が付かないようで重苦しいため息をついた。

 

「だけどよ、力を吐き出さないとやってられないっていうのは、そりゃ俺だって同じさ。こんなんだったら、冒険者を止めて田舎に帰ろうかって思う時があるくらいだ」

「……ガガーラン、それ本気なの?」

 

「いや、本音を言えばまだまだ暴れてみてぇさ。だけどよ、このままどこもかしこも平和になっちまったら、冒険者稼業なんてどのみちあがったりだろ? だったら、今後の身の振り方も少しは考えないと不味いとは思っちまうよ」

「それもそうなのよね……」

 

 その時二人の方に近寄ってくる足音がした。二人がそちらに目を向けると、そこに立っていたのは冒険者組合長だった。

 

「ラキュース、ガガーラン、久しぶりですね。ここも随分人が少なくなってしまったけれど、あなた方がまだ残っていてくれているというのは心強いわ」

 

 四十歳ほどのその女性は、冒険者としての実力は元ミスリル級であり、現役のアダマンタイト級である蒼の薔薇の二人には遠く及ばないものの、長い経験からくる落ち着きと的確な判断力は荒くれ者も多い冒険者のまとめ役としてはうってつけの人物で、ラキュースもガガーランも非常に好意を持っていた。

 

「組合長、ご無沙汰しておりました。お元気そうでなによりです」

 

 立ち上がろうとしたラキュースを手で制止し、組合長もラキュースの左隣に腰を下ろした。

 

「余計な礼儀とか構わないから。ちょうどあなた達に話があったの。だから、少しだけ話を聞いて欲しいのだけれど……」

「あぁ、もちろんさ。一体何だって言うんだ? 珍しく改まって」

 

 冒険者組合長は、何かを言いかけて、そのまま組合の人気のないホールを見渡す。そのまま、しばらく物思いに耽っているように見えたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「二人共ここに来ているからわかっていると思うけれど、王都にいる冒険者、いえ、王国にいる冒険者の数は今最盛期の半数以下まで減ってしまっているの。仕方ないわね。依頼がなければ冒険者は食べていけないのだから。ラナー女王が即位される前にお作りになられたモンスター討伐報酬制度も、今はなかなかそのモンスター自体が見つからなくて殆ど形骸化しているし。カッツェ平野ですら魔導国がかなり整備を行って、以前は結構いい収入になったアンデッド討伐も難しくなっているとか」

 

「何だかんだ言って、魔導王は、暮らすのに安全な土地を作ろうとはしているらしいからなぁ」

「正直、数年前の戦争で虐殺を行った本人とはとても思えないわよね。確かに容貌は恐ろしいアンデッドなのは間違いないのだけど。魔導国の力が無ければ、王都は今頃完全に廃墟になっていたでしょうし」

 

 ラキュースは、ふと、魔導王に助けられて完全に呆けた顔をしていたイビルアイの顔を思い出して苦笑いをした。

 

「それで、ここからが本題なんだけど……。王都の冒険者組合は、このままでは実質的に解散状態になってしまうでしょう。私自身は一人でも組合員が残っているうちは、責任を持ってここの管理をするつもりではあるけど、その後は年も年だし引退を考えている。今後、王国の冒険者組合に来る依頼自体は、ほぼ見込めない。モンスター退治にしても、ラナー女王はどうやら魔導国から借り受けているアンデッドにやらせて、人間はアンデッドには出来ないことをやるべきとお考えのようね」

 

 冒険者組合長は重いため息をついた。

 

「実は、先日王宮に呼ばれてラナー女王から冒険者組合の今後についてお話をされた。冒険者組合自体は国の機関ではないから、陛下としては直接どうこう言える立場ではない。だから、あくまでも提案ということではあったのだけれど。王国単独で冒険者組合を維持するよりも、いっそ他国と合同で運営することは出来ないのか、と。陛下としては、王国は魔導国の属国になろうとしているから、実質的には王国の組合と魔導国の組合を合併を勧めたいのでしょう。私は、陛下には個人では決めかねる話だからと申し上げてはきたけど、陛下がそのようにお考えなのであれば、そのうち国から支援を受けているモンスター討伐報酬も廃止になるかもしれない。そうしたら、王国の冒険者組合自体運営できなくなる可能性もある。だからでしょう。陛下からは、王国の冒険者組合に所属する冒険者達には冒険者から他の職業に転職するか、他所の国の組合に移籍することを勧めることを検討したほうがいいかもしれない、と……」

 

 組合長は寂しそうに話し、それをおとなしく聞いていた二人も思わず黙り込んだ。

 

「まあ、今すぐ、という訳ではないから安心していい。でも、蒼の薔薇も今後のことをよく考えてみてちょうだい。アダマンタイト級のあなた達なら何処の国の冒険者組合でも喜んで受け入れてくれるでしょうし。ただ、だからこそ、その力を活かせないともったいないとも思うのよ」

 

 組合長の真摯な言葉に、蒼の薔薇の二人は返す言葉はなかった。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇が普段使っていた高級宿屋がある区画も、先日の暴動でほぼ半壊してしまっていたが、魔導国から貸与されたアンデッドやゴーレム、工事監督を請け負っているらしいドワーフ達の尽力で、一ヶ月ほど前にようやく以前の姿を取り戻していた。

 

 ドワーフ達は、本当ならついでに道路の舗装もやったほうがいいのだが、まずは壊れた建物を直すのが優先だからと笑っていた。正直、暴動前の建物はどれも良く言えば古く歴史あるものだったけれど、ドワーフの優れた建設技術のおかげか、建て直されたものはどれも、より格式高く洗練された雰囲気に変わり、使い勝手も良くなったという評判である。

 

 王都の者達も、当初はアンデッド達に対する嫌悪感から、工事現場近くには近寄らない者も多かったが、ドワーフ達が平然とスケルトンを使いこなす様子を見て多少は考えを変える者も出てきた。また、ラナー女王が再建工事に従事する者を広く募集し正当な給金を支給することを決めたため、覚悟を決めた者達もいたようだ。もっとも、先日の魔導王の姿を見た後では、スケルトン程度ならさほど脅威には思いにくかったということもあるだろう。

 

 そんな訳で、今の王都では、エ・ランテル程ではないものの、アンデッドや多少見慣れない亜人が彷徨いていても大騒ぎにならない程度には馴染みの光景になりつつあった。

 

 宿の建て替え期間中、蒼の薔薇はラナーの好意でロ・レンテ城の一室を間借りしていたが、ようやく先日この宿に戻ってきたばかりだ。受けた被害や工事に要した費用を考えれば、宿代が以前よりも多少上がってしまったのはやむを得ないだろう。そもそも、冒険者最高位のアダマンタイト級である蒼の薔薇のメンバーは、これまでの報酬で一般人からすれば既に一財産といえるくらいの持ち合わせはある。だから、しばらく仕事などしないでのんびりしたところで、生活に困るわけではない。

 

 困るとすれば、それは――ただただ、暇である、という一点に尽きた。

 

 新たに蒼の薔薇が使うようになった部屋の中には、床に座り込んで荷物整理をしながら、これまでの戦利品の数々を並べて楽しんでいるティアとティナ、そして、ベッドに横たわったまま、何やらおかしな動きをしているイビルアイの姿があった。宿の近くにある通りの角では、魔導王を称える宣教師が説法を披露しているらしく、熱心に聞いている人々も多いのか、開いたままになっている窓から、力強い演説とそれに同意する声や拍手などが時折聞こえてくる。

 

 外からの賑やかな喧騒に紛れて、誰かが部屋の扉をノックする音がした。「戻ったわよー」というラキュースの声が聞こえ、ティアは面倒臭そうに立ち上がり、扉を開ける。

 

「鬼リーダー、おかえり。獲物は見つけた?」

「獲物って……、私は別に彼氏を探しに行ったんじゃないのよ!?」

 

「……獲物と言われて彼氏に変換されている時点で、かなりティアに毒されてるな? ラキュースよぉ」

 

 豪快に笑うガガーランに、ラキュースは真っ赤になる。

 

「べ、別に、そんな訳ないじゃない! これまでだって、仕事が忙しくて時間がなかったから、特別な人がいなかっただけよ!」

「でも、今は暇。探す余裕はいくらでもある」

 

 ティナの突っ込みで、ラキュースはぐうの根も出ない。

 

「まあまあ、今度はじっくりハントしに行こうぜ。俺がじっくり手ほどきしてやるからよ」

「ガガーランとじゃ、私、好みがあわないと思うの。――ところで、イビルアイは? 大丈夫なの?」

 

 にやにやしながら肩を組んでこようとするガガーランを躱すと、ラキュースは慌てて話題を変えようと、矛先をイビルアイに向けた。それを聞いて、ティアとティナは顔を見合わせてから、ベッドの上のイビルアイに目をやった。

 

「イビルアイはやはりもう逝ってる。間違いなくアンデッド」

「一年前より悪化してる。二股かけた罰」

 

「ああ……、それなら仕方ないわね……」

 

 ラキュースは、イビルアイがベッドの上で、何かを抱きしめてもぞもぞしながら、完全に何処かイッたような目つきと、にへらと緩んだだらしない口元をしているのを見て、引きつった笑いをした。

 

 イビルアイは、仕事がないのをいいことに、しばらく部屋に篭って慣れない裁縫を始め、何やらいびつな形の長細いクッションのようなものを一生懸命作っていた。イビルアイに言わせると、それは『だきまくら』とかいう代物で、なんでも、それを抱いて寝ると大好きな人と一緒にいる気分にさせてくれる効果があるアイテムだと、以前知り合いから教わったらしい。ということは、恐らくそれは魔導王のつもりで作ったに違いないのだが、どう見ても本人とは似ても似つかぬ何かうねうねとした変な物体だ。しかし、本人が満足しているなら、口を挟む必要はないだろうというのが、蒼の薔薇メンバー全員の暗黙の了解になっている。

 

「イビルアイは……、しばらくあのままにしておきましょ。どうせ仕事もないんだし」

 

 ラキュースはあまり見たくないものから目を逸らすと、椅子に腰掛けた。真新しい椅子はまだ若干塗料の香りがする。

 

「やっぱり、何も依頼なかった?」

「からっきしさ。それどころか、冒険者組合長からちょっとやばい話されちまってなぁ」

「そうだったわ。今はまず、あの件を皆で話し合わないとね……。ティナ悪いけど、やっぱりイビルアイをこっちまで連れてきてくれる? 全員の意見を聞きたいから」

 

 ティナは露骨に嫌そうな顔をしたが、無言で何かを抱いたままのイビルアイをベッドから引き摺り下ろしてテーブルの脇まで連れてくると、そのまま摺り上げるように椅子に座らせる。それで、ようやくイビルアイは我に返ったのか、他のメンバーの顔を見上げた。

 

「ああ……、戻ってたのか、ラキュース、ガガーラン」

「よぉ、ようやくお姫様のお目覚めかよ」

 

 ガガーランのからかうような口調に、イビルアイはムッとして睨んだ。

 

「別に、私はお姫様なんかじゃない」

「そうはいっても、もし魔導王陛下と結ばれれば、お妃様とかそんなんになるわけだろう? そしたらお姫様じゃねぇか」

 

「――そんなの……結ばれるかどうかなんてわからない……」

 

 イビルアイは若干俯き、先ほど前の様子とは違い、今度はどんよりとした気配を漂わせ始めた。

 

「まあ、未来のことなんて誰にもわからないわ。この話はこれでおしまいにしましょう?」

「それもそうだな、すまん。イビルアイ、言い過ぎた」

 

 イビルアイの様子に、このまま放置しておくとろくなことにならないと気がついたラキュースは、咄嗟に二人の仲裁に入り、ガガーランも流石に不味いことを言ったと思ったのか、すぐに頭を下げた。

 

「いや、二人とも気にしないでくれ。それより、何か大事な話だったのか?」

 イビルアイは手にしていた謎の物体をぎゅっと抱きしめると、急にいつもの真面目な調子に戻った。

 

「ああ、そうなのよ。実はね……」

 

 ラキュースは、冒険者組合長から聞いた話をかいつまんで他のメンバーに説明した。




Sheeena 様、アンチメシア様、スペッキオ様、誤字報告ありがとうございました。

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