エ・ランテルの街中をデミウルゴスが歩くのは久方ぶりだった。ナザリックとは比べるべくもないが、この街は敬愛する主が、元の酷く薄汚れた地をここまで美しく整えられたのだ。そう考えれば、雑多な建物や少々歪みのある石畳の通りも、その辺を彷徨いている人間達すら多少可愛らしく思えてくるから不思議なものだ。
(もう少し魔導国の国民達に、アインズ様に治めていただいている幸福を理解させたいところですね。しかしそのために企画した巨像計画だけではなく、アインズ様を称える祭りも全て中止になってしまったとアルベドが嘆いていました。私も良い手だと思っていたのですが、一体何がアインズ様のお気に召さなかったのか。アルベドともう一度検討してみなければ……)
旧都市長の館を警備する地下聖堂の王に軽く挨拶をして門を通り抜け、パンドラズ・アクターが使用している館に向かう。館の近くにある馬小屋からは、もう昼も近いというのに規則正しい寝息が聞こえてくる。少しだけ中を覗き込むとハムスケがデスナイトを枕にして熟睡しているのが見え、デミウルゴスは軽く舌打ちをした。
いくらアインズのペットとはいえ、流石にこれはどうなのか。デミウルゴスは偉大なる主に仕える者としての心構えを、ハムスケにどうやって叩き込むべきか一瞬頭の中で考えを巡らせるが、今日の目的はそれではないと思い直す。
扉をノックすると勢いよく扉が開き、パンドラズ・アクターが顔を出した。どうやら、影の悪魔の伝言でこちらを待ち構えていたらしい。
「ようこそ、お出でくださいました! デミウルゴス殿。ささ、中へどうぞ!」
まるで役者が舞台挨拶するかのようなオーバーアクションの出迎えに若干引くが、ナザリックの仲間である彼を邪険にするつもりはない。デミウルゴスはなるべく平静を保ったまま挨拶した。
「急に訪ねて悪かったね、パンドラズ・アクター。何か用事があったんじゃないかね?」
「いいえ、今日は特にはございませんとも! 午後から冒険者組合に顔を出すことになっておりますが、それが終わり次第ナザリックに戻る予定でしたので!」
「……そうかね。それなら良かった。実は君に折り入って相談したいことがあったんだよ」
「私に相談ですか? まぁ、立ち話もなんですし、どうぞ中にお入りください」
相談と聞いて一瞬怪訝そうに首を傾げたようだが、パンドラズ・アクターのつるりとした無表情の顔では、正直何を考えているのかは全くわからない。デミウルゴスは黙ってパンドラズ・アクターの後について館の応接室に向かい、勧められたソファーに腰を下ろした。
「それで、デミウルゴス殿は、私に一体どのようなご相談だったのでしょう?」
派手なモーションで向かい側のソファーに座ったパンドラズ・アクターに、どのように切り出したものか一瞬迷うが、今回の件で彼を敵に回すのは得策ではない。であれば、率直に話をするのが良いだろう。
「パンドラズ・アクター。君はアインズ様の御世継ぎについてはどのように考えているのだね?」
「アインズ様の御世継ぎですか? 私は特に何も考えてはおりませんが……。デミウルゴス殿は何かお考えなのですか?」
「私は以前から、アインズ様には然るべき方を妃として迎えて頂き、御世継ぎを作っていただきたいと思っているのだよ。なにしろ、今や我々に残された至高の御方はアインズ様お一人のみ。ナザリックの正当な支配者であられるアインズ様の血を引く後継者を望むのは、臣下として当然だろう?」
「はぁ……、なるほど……」
パンドラズ・アクターのやる気のなさそうな返事を聞いて、デミウルゴスは少々腹を立てる。そもそも、パンドラズ・アクターは創造主が常に身近にいる唯一の被造物だ。そのパンドラズ・アクターが自らの創造主の将来を考えずしてどうするのだ。所詮恵まれた立場にある彼には、自分達のように、ある意味見捨てられた者の気持ちなど理解出来ないということなのかもしれない。
「――ただアインズ様にもこれまで何度か進言して来たのだが、なかなか具体的なお話には至らないご様子。それで君に相談したくてね。それと出来ればこの件に関して、君にも協力してもらえると助かるのだが」
「うーん、協力ですか……。まぁ、私としましても、デミウルゴス殿のお気持ちもわからなくはないですから、協力するのは構わないんですけどねぇ……」
パンドラズ・アクターの歯切れの悪い返事に、デミウルゴスは若干冷たい視線を投げかける。そもそも、これはナザリックにとっては非常に優先度の高い重要な案件だ。それなのに、こいつは何故こんなに興味を示さないでいられるのか。
デミウルゴスがイライラしているのに気がついたのか、パンドラズ・アクターは多少姿勢を正し、おもむろに口を開いた。
「デミウルゴス殿。正直言いまして、アインズ様ご自身がそれをお望みならともかく、現状では特にそのようなご様子もありませんし、私はまだ時期尚早なのではないかと思っているのですが。あれほど統括殿やシャルティア殿に迫られても、全くご興味を示しておられないでしょう?」
「確かに、アインズ様があまり異性に興味があるようには見えないのは私も同意するよ。しかし魔導国を建国して、もう数年になる。いくらアインズ様がアンデッドで寿命を持たない存在だとしても、いつまでも国を治める王が妃を持たないというのは問題だろう?」
「その点は同意致しますけどね。いずれはアインズ様の隣に座る方が必要だと、私も思ってはいますし」
それならもう少し真摯に考えてくれてもいいだろう、とデミウルゴスは思うが、口には出さなかった。
「パンドラズ・アクター、これは少々不敬な話かもしれないが、アインズ様のお姿を写すことが出来る君に教えて欲しいことがあるんだがね。アンデッド全般……、いや、アインズ様はやはり性欲とかそういうものはあまり感じてはおられないのだろうか? シャルティアを見ていると、アンデッドかどうかは性欲の有無とはあまり関係ないようにも思えるのだが、アインズ様は女性に対して、殆どその手の反応をなさらないようにお見受けするのだよ」
「シャルティア殿はむしろ例外に近いかもしれませんね。アンデッド全般に言えるかどうかはわかりませんが、少なくともアインズ様は性欲はそれほど感じておられないかと。そもそも生殖機能がお有りではありませんし。生物としてのそういう欲とは無縁であられるとは思います」
「――やはり、そうなのか……。そうすると、アインズ様が御世継ぎを作られるのは無理だと君は思うかい?」
「正直に申し上げて、かなり難しいと言わざるを得ませんね。少なくともオーバーロードであられる以上は無理なのではないかと推測します。アインズ様がアンデッド以外に種族変更なさるか、もしくは、アンデッドに生殖を可能にする何らかの魔法やアイテムがあれば別だとは思いますが」
ある程度予期していた内容ではあったが、パンドラズ・アクターの口から事実として告げられると、やはりデミウルゴスの落胆も大きかった。
「私としては、アインズ様に種族変更をお願いするのはあまりにも不敬ですし、それだけは避けたいですね」
「その件に関しては、私も絶対反対です。もしデミウルゴス殿がそのようなことをアインズ様に申し上げるおつもりでしたら、私としてはこの件に御協力は致しかねます」
勃然としたパンドラズ・アクターの物言いに、思わずデミウルゴスは苦笑した。
「となると、魔法かアイテムか。君はそういうアイテムに心当たりはないのかね?」
「……そうですね、私が知っている範囲で宜しければ、奇跡に近いことを可能にするワールドアイテムが存在します。名前は『
「ふむ、どれもかなり難しそうですね……。そういえば、シャルティアを洗脳したというワールドアイテムも未だ見つかっていませんでしたね」
「私としては、あれの探索も急いだ方がいいとは思いますよ。それに、他にもこの世界にはワールドアイテムが存在している可能性は否定できませんから」
「なるほど、わかりました。『永劫の蛇の指輪』は、機会があったら探してみることにしましょう。それと、この世界独自の魔法もあるそうですから、そちらに何か役に立つものがあるかもしれません。それも私の方で少し調査してみることにします。パンドラズ・アクター、君はよかったら、何かそのような効果を持つアイテムを作れないかどうか検討してもらえないかね?」
「そのくらいでしたら喜んで。ただ、実現できるかどうかの保証はいたしかねますよ?」
「それは仕方がない。私としては一つでも多くの可能性が欲しいのでね。君が試してみてくれるだけでも有り難い」
デミウルゴスは素直に礼を言い、パンドラズ・アクターは自らの軍帽をわざとらしく直した。
「――正直、デミウルゴス殿がそこまで真剣にアインズ様の御世継ぎを欲しがっていらしたとは知りませんでしたよ。たいしたことをお話し出来たわけではありませんが、多少はお役に立てましたでしょうか?」
埴輪のような顔で首を傾げた宝物殿の領域守護者に多少苛つくものを感じたが、デミウルゴスはそんなことは微塵も見せずに余裕のある笑顔を見せた。
「ああ、もちろんだとも。パンドラズ・アクター。流石に君はアインズ様に創造されただけあって非常に優秀だからね」
デミウルゴスは自分の言葉に若干羨望の響きが混じってしまったことに気が付き、苦い思いを噛みしめる。
創造主であるウルベルト・アレイン・オードルを、他の至高の御方とは比べ物にならないほど崇敬しているのは真実だが、至高の主人であり絶対支配者であるアインズに対する敬意や愛情も、それに匹敵する物になりつつある自覚はある。先日、聖王国の一件でアルベドに言われたことで自分が怒りを覚えたのは、その気持ちを疑われたことに対する不快感以外の何物でもない。
――ただ、もしウルベルト様とアインズ様が御二人並んでその御手を自分に差し出したとしたら……、自分は果たしてどちらの手を取るのだろうか。
(いや、そんなことはありえない。ウルベルト様は既にお隠れになって久しいのだから……)
デミウルゴスは、軽く頭を振って余計な考えを振り払う。そんなデミウルゴスの様子を不思議そうに眺めていたパンドラズ・アクターは、空間から一冊の本を取り出してデミウルゴスの方に差し出してきた。
「パンドラズ・アクター。何ですか、この本は?」
「――デミウルゴス殿。実は私の方からもご相談したいことがあったんですよ。まずはこの本を読んで頂けます?」
何をいきなり言い出すのだろうと思いつつも、渡された本を手に取りページを捲る。内容は王国語で書かれているらしく、デミウルゴスは、パラパラとページを捲りおよその内容を把握した。
「どうやらアインズ様の黒騎士姿によく似た人物の冒険譚に思えるが、これがどうかしたのかね?」
「それ、多分、名前を変えているだけで主人公はモモンのつもりなんだと思います。蒼の薔薇のラキュースから何故か貰ってしまったんですよ。どうしても私に読んで欲しいとかで」
「蒼の薔薇のラキュースがそんなことを? しかし、それなら自分で読めばいいでしょう、パンドラズ・アクター。何故私に寄こすのです?」
「デミウルゴス殿。まだこれはアインズ様にはお話ししていないのですが、どうも最近のエ・ランテルでは、アインズ様が築かれた平和に慣れすぎて、風紀が乱れてきつつあるようなのです。このままでは、アインズ様の偉大な治世に悪影響を及ぼすことになるかもしれません」
珍しく、パンドラズ・アクターはいつもとは違う真面目な口調でデミウルゴスに話した。
「私はその本を読んで、なかなか面白い読み物だと思ったのです。モモンらしき英雄も格好良かったですし、英雄の活躍というストーリーもわかりやすい。決め台詞とか技の名前なんかは、モモンとして参考にしてみたいと思ったくらいです。――それでふと思ったのですが、こういう英雄譚のような話なら魔導国の国民にも読みたがる者は多いのではないかと。アインズ様がお創りになられた、モモンという英雄は非常に人気ですし。そして、このような面白くてわかりやすい、国民が夢中になれるような娯楽本とでも言うのでしょうか? そういうものが容易く手に入るようになれば、平和に浮かれて不埒なことをする輩も少しは減って、よりアインズ様が治めるに相応しい国になるのではないかと思いまして」
「……なるほど。そういうことですか」
デミウルゴスは、改めて手元の本を捲る。確かにこの本は、主人公がモモンであるとは書かれていないが、知っているものなら間違いなく『漆黒のモモン』の物語だと思うだろう。そして、端々に表現されている凝った台詞などはデミウルゴスとしても興味をそそられるものだった。
(ウルベルト様も確かこのような物がお好きだった気が……。七階層に残されていたウルベルト様の秘密の書物にもこんな感じの文句が数多く書かれていました。もしかしたらラキュースというのは、単に現地人で蘇生魔法が使用できるレアな存在というだけではなく、このような点からも非常に得難い人材ということだったのでしょうか。そして、アインズ様はそのことまでも見抜いた上で蒼の薔薇を魔導国に取り込もうと……? なんということでしょう。まさに端倪すべからざる御方……!)
アインズの先見の明に心を打たれつつ、本を読み流していたつもりが、その面白さについ内容に引き込まれてしまう。もっと早くこの本を読んでいれば、ヤルダバオトを演じる際に試してみたかったこともいくつか思い浮かぶ。
国民に知識を与えるのは要検討としても、文化レベルを引き上げるというパンドラズ・アクターの提案は今後の魔導国にとって重要なことに思える。それに、モモンの冒険譚だけではなく、アインズ自身の活躍を描いた物語などがあれば、魔導国の国民にアインズの素晴らしさをより広める助けになるかもしれない。
恐らくパンドラズ・アクターはアインズの深遠なる考えを見抜き、先んじて行動しようとしているのだろう。流石はアルベドや自分と並ぶ智者として設定されているだけのことはあるとデミウルゴスは舌を巻いた。
「ただ、いくつか問題があります。一つは、この世界では紙が貴重品で本が非常に高価な代物だということと、もう一つは国民の識字率が低いことです。この辺りはアインズ様とも相談してということになるかとは思いますが、羊皮紙の件ではデミウルゴス殿が非常に大きな貢献をされていたことですし、まずは廉価な紙の調達方法についてデミウルゴス殿のご意見を伺いたかったのです」
「確かに、廉価な紙の入手法を確立しないと本を一般に流通させるのは難しいでしょう。ただそれは今私がやっているスクロール用の羊皮紙を作成する方法では難しいですね。あれはやはり手間暇もかかりますし、材料も、それなりに特別な物を使用していますから。むしろ、この世界独自の生活魔法を使用した方法を発展させるか、それとも全く別の方法を考えてみるといいかもしれませんね」
「なるほど。流石はデミウルゴス殿。非常に参考になりました」
「いやいや、それはお互い様だろう? 面白い本を見せてもらえて感謝するよ。それでは、私はアインズ様に用があるので、今日はこの辺で失礼させてもらおう」
妙に殊勝な雰囲気で頭を下げる宝物殿の領域守護者に、デミウルゴスは機嫌よく本を返した。
----
パンドラズ・アクターと思ったよりも話し込んでしまったため、時刻は昼をすっかり回ってしまった。こんな時間に執務室を訪ねたらご迷惑かもしれないと思いつつ、デミウルゴスは旧都市長の館の廊下を少々急ぎ足で歩く。ツアレが廊下の端で頭を下げているのが見える。いつもなら声をかけてセバスとの状況を確認するところだが、今日は軽く手を振って挨拶するだけに留めた。
執務室の入り口で本日のアインズ当番であるフォスに取次を頼み、入室すると、執務机で何やら一生懸命書き物をしていたらしいアインズと、そのすぐ脇に立ってあれこれ話をしているイビルアイがいた。その反対側には少し離れてセバスが控えている。
アルベドの度重なる乱行騒ぎで、アルベドが侍る際はセバスが監視兼護衛も兼ねてアインズの側に付くことになったとは聞いていたが、この時間帯ならセバスの顔を見ずに済むと思っていたのに……。
一瞬こちらを見ているセバスと目が合い、お互いに不愉快なものを感じて、すぐに目を逸した。
「失礼致します、アインズ様。……もしかして、お邪魔でしたでしょうか?」
「いや? 別に構わない。まだ午後の執務時間までは間があるし、これは仕事というわけではない。お前の話を聞くくらいの時間ならあるぞ」
「あ、あの、えっと、それではアインズ様、私はこれで……失礼します。また、今度時間がある時に伺います」
アインズは書き物をしていた手を止めて、頭を下げているデミウルゴスに向き直り、どことなく居心地の悪そうな雰囲気になったイビルアイは、アインズとデミウルゴスにぺこりとお辞儀をして、部屋から出て行こうとした。
「ああ、イビルアイ、待ちなさい。後からお邪魔したのは私の方ですし、私が出直しますよ」
「え? でも……」
戸惑った様子のイビルアイは足を止め、デミウルゴスとアインズを交互に見ている。デミウルゴスは、イビルアイに気にするな、という風に軽く手振りをして、アインズに恭しく礼をした。
「アインズ様、少々ご相談したいことがございますので、宜しければ今夜にでもお時間を頂けないでしょうか?」
「お前の相談であれば何時でも構わないとも、デミウルゴス。では夜の八時にナザリックの私の部屋に来てくれるか? 出来れば、相談内容を簡単に纏めた資料を作ってきてくれると有り難い」
「承知致しました。――ところで、アインズ様、何をなさっておられたのですか?」
「ああ、これか? 最近イビルアイから、私の知らないこの世界の知識を教えてもらっていたんだが」
アインズは机の上に乱雑に置かれた羊皮紙を手にとると、一旦書いていたものを纏めて畳もうとしたが、途中で気が変わったのか、あまり上手とは言えない王国文字を書き散らした羊皮紙を一枚デミウルゴスに見せた。
「――そのついでに、忙しくて勉強がなおざりになってしまっていた王国語の読み書きを習っていたんだ。やはり、いつまでも出来ないままでは問題だからな。これでも前よりは上達したと思うのだが、なかなか上手くはいかないな」
アインズは苦笑いをした。
「左様でございましたか。ご多忙なアインズ様がそこまでされる必要はないと思いますが……。それと僭越ながら、王国語であれば私やアルベドでもお教えすることも出来ますが?」
「まぁ、そうかもしれないが、やはり出来るに越したことはないだろう? 上に立つ者が言葉もよくわからないというのは情けない話だと私は思う。それに、多忙なお前達に頼むのも気が引けるしな。……ああ、私は別にイビルアイが暇だと言っているわけではないぞ? それに王国語を習うのはあくまでもついでで、教えてもらえる知識の方が私にとっては非常に重要なのだから」
恐らくイビルアイを気遣ったのだろう。アインズは優しく声をかけた。
「あ、あの、私は皆様方に比べれば、その、忙しいというわけでもないですし……少しでもアインズ様のお役に立てるなら、光栄です」
イビルアイの仮面の端から見える耳が赤く染まっているのを見て、デミウルゴスは微笑ましいものを感じる。
「そういうことでしたか。――ところでアインズ様、御勉学はいつもなさっておいでなのですか?」
「いつもという訳ではない。たまにイビルアイと時間が合った時だけだな。だがそれでも大分捗っている。イビルアイ、本当に感謝しているぞ」
アインズはイビルアイに向かって笑いかけ、イビルアイは何処となく照れくさそうにしていたが、アインズにそう言われてまんざらでもなさそうだった。
(なるほど。確かにこれはアルベドが荒れる気持ちもわからなくはないですねぇ)
属国や支配下に置いた部族も増え、それに伴ってアインズの決裁が必要な仕事がかなり増えているとアルベドから聞いているが、その中でわざわざ時間を割いてイビルアイと会っているというのは、いくら必要性を理解していてもやはり面白くはないのだろう。だからといって、先程のような行為は許せるものではないが。
「それでは、アインズ様、また後ほどお伺いします。イビルアイ、邪魔をして悪かったね」
「い、いえ! 私こそ、大事なお仕事の邪魔をしてしまったようで……」
「イビルアイ、そんなことはないとも。気にしないでくれたまえ。それでは、アインズ様、御前失礼致します」
----
執務室を辞し、ナザリックに戻るべく廊下を歩いていると、館の奥の方からアルベドが来るのが見える。恐らくシャルティアの〈転移門〉で移動してきたのだろう。
(あまり宜しくないタイミングですね。まだイビルアイはアインズ様の執務室にいるはず。鉢合わせすると先程の二の舞になりかねない)
アルベドが単にアインズの怒りを買うだけならどうでもいいのだが、それが高じてアインズがナザリックを見捨てる原因にでもなったら……。
今朝の騒動を思い返すと、悪魔である自分ですら若干胃が痛むのを覚える。しかし、一歩間違えるとアインズに多大なる迷惑をかけかねない以上、自分が何とか上手く立ち回らないといけないことはわかっている。
(正直、今日はもうアルベドと顔を合わせないで済ませたかったのですが)
アルベドもデミウルゴスに気がついたのか、にこやかに微笑みながら近付いてくる。
――こうなったら、腹をくくるしかありませんね。
デミウルゴスは余裕のある態度でアルベドに向かって軽く手を振り、とびきりの笑顔を作ると機嫌よくアルベドに話しかけた。
「やあ、アルベド。今からアインズ様の執務室に行くのかね? ――実は、少しばかり君の意見を聞きたいことがあるのだが、良かったら少し付き合ってくれないか? どのみち午後の執務時間にはまだ時間があるんだろう?」
「あら、もちろんよ。貴方の相談なら、何時でも歓迎だわ。でも、廊下で話すのはイマイチね。せっかくだから、執務室でアインズ様に一緒に聞いていただくのもいいと思うのだけど」
そのままアインズの執務室に直行しそうな勢いのアルベドを見て、デミウルゴスは焦った。
「あ、いや、アインズ様のお耳に入れる前に少し内容を精査したかったんだ。だから、どこか適当な部屋で聞いてもらえると嬉しいんだが」
「それなら、私が仕事で時々使っている部屋があるから、そちらにしましょうか?」
「いいね。助かるよ、アルベド」
アルベドの案内についていきながら、デミウルゴスはアルベドに気付かれないように、深い溜め息をついた。
執務室でのアインズとイビルアイの様子は、イビルアイはともかく、アインズの方はまだ恋愛関係というよりも友人関係に近いもののようにも思われた。しかし、あそこまで外部の者に心を開いたアインズをデミウルゴスは見たことはなかった。
恐らく、アルベドはアインズをイビルアイに奪われてしまいそうな現状に焦りを感じているに違いない。ナザリックの者としては理解できなくはないと思いつつも、面倒な火種にならないように自分がなんとか対処しなければ、とデミウルゴスは決意する。
自分が欲しているアインズの世継ぎを得るためにも、偉大なる主人であるアインズ自身のためにも。
慈愛の君であるアインズがこの世界で多少なりとも幸福を感じてくれているならば、他の至高の御方々のように、我々被造物を置き去りにして『りある』にお隠れになられることはないだろうから……。
エーテルはりねずみ様、佐藤東沙様、アンチメシア様、ant_axax 様、誤字報告ありがとうございました。
---------
この話を書いていて、アインズ様が普段はめていない左手薬指の指輪(宝物殿で通常保管している)は『永劫の蛇の指輪』なんじゃないかと思えてきました。
『傾城傾国』が装備しないと使えないなら、名前からして指輪である『永劫の蛇の指輪』も何処かの指にはめて使う必要があり、誰かがその装備枠を確保する必要がある筈で、普段使うことはないから、外して宝物殿で保管しているけど、万一使う必要が出てきたら、その時は代表としてギルド長よろ、というのはありそうかなあと。
ただの妄想ですが、辻褄は合う気もするので、この話の中では、AOG保有している2つの20の片方は『永劫の蛇の指輪』である、という設定で行こうと思います。