イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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5: 戦場での思い

 ナザリック第九階層にある執務室で、アインズはアルベドとデミウルゴスを前にして頭を抱えていた。一応外見だけは平静を装ってはいたが。

 

 アルベドとデミウルゴスが作成してくれた何冊もの書類の束は、どれも比較的わかりやすく纏められている。だが一冊の分量だけでもかなりのもので、その上別紙データや様々な試算が資料として付けられている。表紙に書かれたタイトルだけをざっと見た限り、内容はどれも魔導国の今後に関わる重要なことばかりのようだ。流石のアインズでも、よくわからなかったからと適当にごまかすわけにはいかない代物だということはわかる。

 

(やっぱり国が大きくなってくると出てくる問題も増えてくるし、面倒くさいのも多くなってくるよな。これで世界征服とかしてしまったら、一体どんなことになるんだろう)

 

 アインズは既にない胃が痛むような錯覚を覚えるが、先のことは未来の自分に丸投げし、とりあえず、手元にある書類を必死になって目を通した。

 

「アルベド、エ・ランテルの治安が悪化傾向にあるという件だが、都市内の警備にはデス・ナイトを配置してあるはずだ。それでも尚、不埒なことをする者がいるということなのか?」

「いえ、アインズ様。彼らは暴力沙汰を起こすわけではありません。そのため今回の問題についてはデス・ナイトでは対処不可能かと思われます」

 

「……そ、そうなのか?」

 

(うーん、さっぱりわからない。どういうことなんだ? 具体的に何が起こっているのか聞けば良いんだろうけど、きっとこの中に全部説明してある……、んだよな?)

 

 アインズはうんざりしつつも、分厚い報告書をめくって該当箇所を探そうとしばらく奮闘したが、正直とても見つけられそうもない。アインズはにこやかにアインズを見ている知恵者二人をちらりと眺めた。ここはやはり、どうにかしてデミウルゴスとアルベドに説明してもらうほかないだろう。どうすればこの場を上手く乗り切れるか、アインズは必死に頭をひねった。

 

「ふむ。ではアルベド、お前がこの問題の原因はなんだと考えている? ああ、もちろん、この書類の中にも書いてあることはわかっているし、私なりに理解しているつもりだ。しかし、私はお前の口からそれを聞きたいのだ。万一にもお互いの認識にずれがあっては困るからな」

 

「アインズ様でしたら、そのようなご心配は無用と存じますが……」

「私だってミスはするし、誰でもミスをするものという前提で考えなくてはいけない。シャルティアの件でもそれは明らかだろう?」

 アインズは苦笑した。

 

「あれはアインズ様のミスというわけではないと思いますけれど。では畏れながら、ご説明させていただきます」

 

 そういって、アルベドは懐から白い粉の入った小さな瓶を取り出し、本日のアインズ当番であるデクリメントに渡し、それをデクリメントはアインズのところまで持ってくる。それを受け取ったアインズは手の中を転がしてみるが、一見何の粉なのかよくわからない。

 

「アルベド、これは?」

 

「これが今回の問題の一つでもある、最近エ・ランテルの一部で流行っている薬物です。パンドラズ・アクターの調べでは、以前、王国で栽培されていた麻薬とはまた違うもので、効果はそれほど強くはないのですが、依存性があり、服用するものに酩酊感や多幸感を与えます。エ・ランテルにある娼館の一部やあまり素行の良くない者たちの間で流行っているようですが、放置しておくとエ・ランテルどころか、魔導国の勢力圏内にも広がってしまう可能性があります」

 

 それを聞いて、数日前にパンドラズ・アクターを訪問した際に、そのような報告を受けていたことをアインズは思い出した。

 

(あいつの暑苦しい物言いで、つい話半分に聞き流してしまったが失敗したな。そういうことだったのか。まだパンドラズ・アクターに説明させたほうが質問もしやすいし、わかりやすかったかもしれなかったのに)

 

 アインズは少々後悔する。しかし先日のパンドラズ・アクターは、いつもにまして仰々しい身振りと台詞回しに磨きがかかっており、ようやく少しは慣れてきつつあった自分の黒歴史に、思いっきりトラウマを抉られてしまったのだ。おかげで、アインズは相変わらず距離感のないパンドラズ・アクターを適当にあしらい、早々に退散するはめになった。一体、あいつは何処でああいう余計なことを覚えて来たのだろう。

 

(そういえば、先日の報告会でもラキュースが微妙な視線でパンドラズ・アクター(モモン)を見ていたな。蒼の薔薇に呆れられていないといいんだが)

 

 アインズは出ないため息をついた。

 

「……なるほど、それはまずいな。それで、アルベド。対策はどのように考えているのだ?」

 

「八本指の情報では、これまで王国や帝国で使用されたことのある麻薬とは違う代物のようです。そのため、現在彼らに出元を探らせているのですが、まだはっきりとはしないものの、魔導国及び属国ではないところから持ち込まれている可能性が濃厚です。アインズ様のご許可が頂けるのであれば、姉ニグレドに探知させたいと思っているのですが……」

 

 アインズはしばし考え、やがて首を横に振った。

 

「ニグレドに探知させるのもいいが、相手によってはカウンターを食らうだろう。そうすれば、最悪こちらが動いていることが敵に知られてしまう。それはなるべく避けたいところだ」

 

「了解いたしました。では、魔法的な探知ではなく、隠密行動に長けた下僕を送り込むようにいたします。ただ、正直申し上げて、現在、周辺国家で魔導国と対立する可能性がある国はアーグランド評議国とスレイン法国のみ。ただアーグランド評議国とは今のところ、互いに敵対する理由はないと思われます。しかしスレイン法国は国としての理念からも、魔導国に対して何らかの工作を行ってくる可能性は高いですし、これまでの因縁もございます。何かを仕掛けてくるとすれば、やはりスレイン法国である可能性が高いでしょう」

 

「スレイン法国か……」

 

 アインズは腕を組んで考え込む。もちろんそれでいい考えが浮かぶとは限らないが、何もやらないよりはマシだと自分を慰める。だが、しばらく考えてみたものの具体的には何も思いつかなかった。そもそも彼らのこれまでの行動自体、意味不明なものが多い。やはりこういうものは適材適所。わかるものに考えてもらうしかないだろう。

 

(そもそも、俺は別に王とか向いてるわけじゃないからなぁ。所詮ただの一会社員で、ギルドでだって単に雑用してただけだし……)

 

「そういえば、スレイン法国への調査の件はまだ決まってはいなかったな。――では、竜王国についてはデミウルゴスに任せているから、この薬物の出元とスレイン法国の調査については、アルベドに任せよう。但し、あくまでも秘密裏に調査を行うだけだ。彼らが魔導国に何かをしようとしているなら、その証拠を掴め」

 

「大義名分になるものを、ということですね?」

「その通りだ」

「かしこまりました。では早急に適切な下僕を選抜し、彼の国の内部を調査いたします」

「頼んだぞ、アルベド。お前なら問題ないとは思うが、慎重にな」

 

 一瞬アルベドが奇妙に微笑んだ気がしたが、アインズは気のせいだと思うことにした。

 

「デミウルゴス、そういえば、ビーストマンの国に派遣しているコキュートスの様子はどうだ? お前にはコキュートスの補佐も頼んでいるが、今はどのように進んでいる?」

 

 これまでは、コキュートスはプロジェクト・リーダーとして長らくリザードマン達の統治にあたってもらっていた。コキュートス自身も与えられた仕事として順調に実績を上げ、現在はナザリックの北部の亜人や異形種を全て取りまとめている。非常に優れた功績だといえるだろう。

 

 だが、アインズには気になっていることがあった。

 

 コキュートスは武人建御雷に誇り高い武人として創られた。統治の仕事を与えたのは、コキュートスにその武人としての設定以外の経験を積ませたかったからだ。そして、その事自体は正しかったと思っている。しかしながら、コキュートスはやはり戦場で本領を発揮したいと思っているのではないかとずっと危惧していた。

 

 それに、その後挽回したとはいえ、ナザリックとしての最初の戦いでもあったリザードマン達の攻略に失敗してしまったことを、コキュートスが全く気にしていないといえば嘘になるだろう。

 

 シャルティアには、ドワーフの国に随伴させることである程度の雪辱を果たさせることができたが、コキュートスはまだだ。であれば、今度こそ戦場で功績を上げる機会を与えたいと思ったのだ。

 

「はい。コキュートスの指揮の手腕はなかなかのもので、首尾よくビーストマンの主だった都市を全て掌握することに成功いたしました。しかし、残念ながら、ビーストマン達は我々の支配に屈することを拒みましたので、半数のビーストマンについては殲滅し、四分の一は生きたまま捕獲しております。残りはその時点で配下に下ることを誓いましたので、竜王国に対する手駒に使う予定でございます」

 

「それは素晴らしい。コキュートスもかなりの成長を遂げているようだな。ところで、わざわざ一部を捕獲したのは何故だ?」

 

「これは、アインズ様にお断りしてからと思っていたのですが、できれば、新しく作る牧場での実験に使わせていただきたいと。よろしいでしょうか?」

「いいだろう。ナザリックにつくことを拒んだのであれば、必要数以上は無用だ。せめて有効活用してやるがいい。ああ、そのうち一部は私の方でもアンデッドの作成実験に使いたい。少数で構わないから回してくれ」

「畏まりました。では、一部はナザリックに送り、残りのビーストマンは私の方で使用させていただきます」

 

 アインズは重々しく頷いたが、デミウルゴスの涼し気な態度にどことなく嫌な予感を覚えた。

 

(デミウルゴス、新牧場とやらで一体何をするつもりなんだ? やっぱりここで、ビーストマンを何に使うつもりなのか聞いたほうがいい……んだよな?)

 

 アインズは、聖王国でデミウルゴスが行っていた実験跡を思い出し、軽い頭痛のようなものを感じる。デミウルゴスは悪魔だから、ああいう趣味があるのも理解は出来るが、ペストーニャやユリ、セバス辺りは、あのような行為を受け入れられるとは思えない。

 

 だからこそデミウルゴスも彼なりに気を使って、ナザリックから離れた場所でわざわざやっていたのだろうが、さすがにナザリックのトップであるアインズが、部下の行いを把握していませんでした、では済まされない。なにしろ何かあった時に責任を取らなければいけないのはアインズなのだから。

 

(別に俺としては人間に親近感を頂いているわけじゃないが、あの手の行為が好きなわけではないし、ナザリックの悪名に繋がるようなことは避けないと……。それでなくても、アンデッドというのはやはりこの世界では印象が悪い。聖王国……いや、神王国と王国の件で、以前の悪名はそれなりに拭えたとは思うが、余計な問題を増やさないためにも、あらかじめ、駄目なら駄目と言っておかないとまずいよなぁ)

 

 アインズは意を決して、デミウルゴスを見た。

 

「――ところで、デミウルゴス、ビーストマンはどのように使うつもりなのだ?」

「素材としての実験を行うつもりでございます」

「素材……、というと何かの材料に使うつもりなのか?」

 

「そうでございます。もっとも、試してみないことには使えるか使えないかもわかりませんので、まずはその確認から、ということになるかと思いますが」

 

「そうか……、それならいいだろう。但し、あまり残虐な行為などは慎むようにな。何かあった場合、魔導国の悪評にも繋がりかねない。もっとも、その様なヘマをするお前ではないと思うが」

「畏まりました。十分、注意して行動するようにいたします」

 

 何となく不安感は残るが、アインズとしては、これ以上言わなければいけないことを思いつかなかった。であれば、後は放り投げるしかない。どのみち最低限のことは言ったし、これ以上聞くと今度は墓穴を掘りそうだ。

 

「それとアインズ様、これはまた別件なのですが……」

「なんだ、アルベド?」

 

「実は、エ・ランテルの人口がこのところ急速に増加しております。冒険者を目指して来るものも多いのですが、それ以上に、先行き不透明な他国から、比較的政治が安定している魔導国に移住しようとする者たちが多いようです。魔導国には現在都市はエ・ランテルしかありませんので、どうしても、エ・ランテルに人口が集中してしまっております。魔導国の人口が増えること自体は、アインズ様の権勢を増し、魔導国としての国力増加にも繋がりますので歓迎すべきことではあるのですが、エ・ランテルの居住環境が急激に悪化傾向にあります。先程の薬品もそのような状況につけ入るために持ち込まれた可能性もございます」

 

「なるほど。しかし、アルベド、お前のことだ。既に何らかの対策は行っているのだろう?」

 

「はい。希望者は他の村などへの斡旋なども行っておりますが、何分、村の数もそれほど多くはなく、そちらの受け入れも数に限界がございます。また移住者には都市での商売などを希望しているものも多く、村住まいを渋るものも少なくありません。それと、カルネ村はアインズ様への恩義からか、かなりの数の移住者を引き受けておりますが、その結果、あの村の規模は村とは言えないものになっております」

 

「まぁ、そうだな。あそこには、ドワーフの工房も引き受けてもらってもいるし、何より、あのゴブリンの軍勢もいるからな。流石にそろそろ村と呼ぶのはおかしいか」

 

「アインズ様、それで私からの提案なのですが、カルネ村を都市に昇格して、百万程の住民を受け入れられるように整備し、それと併せて、他にも新たに新都市を建設してはいかがでしょう?」

 

 アルベドの提案はもっともだったが、アインズは少しばかり考え込んだ。

 

「……カルネ村はナザリックにとって機密に当たる研究をさせている重要な場所だ。だから私としては、なるべく人目につかせたくはないのだが……」

 

「アインズ様。私もアルベドの提案はもっともだと考えます。むしろ、カルネ村は軍事力も持ち合わせているのですから、居住区域と、研究区域を分け、研究区域を軍の駐屯地で囲ませれば、機密はある程度守りやすくなるかと。また、あの地はナザリックにも非常に近い場所でもありますので、ナザリックのカモフラージュとしても有効かもしれません」

 

「ふむ。アルベドとデミウルゴス、我がナザリックの誇る知恵者たる両者がそう判断するのであれば、私としては是非もない。では、アルベド、カルネ村の件については、詳細な都市計画書を作成せよ。村から都市への拡張に関する工事費用は全て魔導国持ちで行うように。エンリ・バレアレには、それを元に私の方から話をするとしよう」

 

「承知いたしました。それでは早急に計画案を作成いたします」

 アルベドは微笑むと頭を下げた。

 

「しかし、新都市か……。魔導国の勢力圏が広がっているのに、流石にいつまでも、エ・ランテルのみという訳にはいかないか」

「仰る通りだと思います。魔導国はまだこれからの国でございます。都市も国民もこれからより一層増え、アインズ様の御威光がこの世界にあまねく広がっていくことでしょう」

 

「そうだな、デミウルゴス。エ・ランテルはあくまでも始めの一歩にすぎないわけだからな」

「その通りでございます。我々はアインズ様が支配されるに相応しい国を作っていけるよう、今後も努力していくつもりです」

 

 二人の守護者は丁寧に頭を下げ、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「お前たち二人はいつも努力してくれている。感謝してもしきれないくらいだ」

「感謝などとんでもございません。アインズ様。ただ、少々私の方からご提案したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「もちろんだとも。デミウルゴス」

 

「以前のリ・エスティーゼ王国でもそうでしたが、国民がこのような薬に手を出してしまうのは、やはり、文化、教育レベルが低いことも要因かと。娯楽と言っていいものも、この世界には少ないように見受けられます。ですので、現在の魔導国では国民一般に対する学校はございませんが、今後は孤児院で試験的に行っている教育を国民全体に拡大し、文字や生活に必要な知識を教える学校を作られてはいかがでしょうか」

 

(文字か……。イビルアイもこの世界で文字を読み書き出来るのは上流階級と、ごく一部の知識層だけだと言っていたからなぁ。俺もなんだかんだ言って、覚えるのに苦労しているし。最初は、知識を与えるのを危惧していたけど、やはり最低限のものはあったほうが良いのかもしれない。あの愚民化政策をやっていた現実世界(リアル)ですら、小学校は親が必死になって働けば通えなくはなかったのだし……)

 

 アインズは、既に離れて久しいリアルのことを思い出して、若干暗い気分になる。戻りたいという気持ちはないが、それでもあの世界は自分の故郷だ。ナザリックを脅かすほどの知識を教える必要はなくとも、リアルと同じように貧困にあえぐ人々から搾取するような国にだけはしたくない。少なくともアインズ・ウール・ゴウンの名を冠する国に、自分やウルベルトのような不幸な子どもを増やしたくはなかった。

 

「そうだな。確かに国民全体に最低限の教育を施すのはいいかもしれない。そういえば、冒険者組合でも魔法詠唱者を養成する学校を作ることを提案されたのだ。せっかくだから、そちらも併せて検討するといいのではないだろうか。この世界は魔法の力を元に成り立っている。魔法を習得するものが多ければ、更なる技術革新が起こるかもしれないしな」

 

「さすがはアインズ様、それは非常に良いお考えかと。早速それも含めまして検討するようにいたします。それと、学校で使用する教材についてなのですが、やはりアインズ様の素晴らしさを讃え、アインズ様の業績を広く国民に教えられるものを使用すべきと愚考いたします」

「そ、そうなのか?」

 

「もちろんでございます。そこでサンプルとして、このようなものを私とパンドラズ・アクターとで試験的に作成いたしました」

「…………え?」

 

 デミウルゴスは一冊の本を取り出すと、デクリメントに渡す。その本の分厚さにアインズはおののいた。

 

 一瞬これまで必死に阻止してきた巨大像計画や、胡散臭い魔導王を称える祭りの類がアインズの頭をよぎる。しかもパンドラズ・アクターと一緒に作ったとか、何その地雷感。なるべくなら、いや、絶対に読みたくなんかない。しかし、デミウルゴスの眼は異様にキラキラ輝いており、それを断る勇気はアインズにはなかった。

 

 渋々ながらデクリメントから本を受け取り、ぱらぱらと軽くページをめくったアインズは、あまりの内容に目眩を覚え恥ずかしさで身悶えしたくなるが、次の瞬間一気に精神が沈静化された。それでも、ジクジクとした気恥ずかしさが僅かに残る鈴木悟の残滓を苛む。

 

 それは、神であるアインズがこの世界を救済するために地上に降臨し、暗黒を支配する大魔皇ヤルダバオトを倒し、次々と他の全ての巨悪を滅ぼして、光に満ちた平和な世界を創世するという、どう考えても大昔流行ったと聞く厨二病をこじらせた小説のような内容だった。これを書いたのがパンドラズ・アクターだというのはまだわかる。しかし、デミウルゴス、お前もか……。

 

 デミウルゴスの尻尾は微妙にゆらゆら揺れている。恐らく、デミウルゴスとしてはかなりの自信作なのだろう。百歩譲ってナザリックだけならまだいい。しかしこれが魔導国中に広まることだけは、何としても阻止しなければならない。アインズは固く決意した。

 

「……デミウルゴス。お前の案は非常に素晴らしいと思う。国民にナザリックの思想をわかりやすい形で啓蒙しつつ、簡易な教育も施す。その狙いについては私も賛成だ。しかしあえて聞きたい。この話は何を目的として書いたのだ?」

 

「アインズ様の数々の功績を讃え、その素晴らしさを全ての愚劣な者どもにも理解させると共に、アインズ様がこの世界の神として君臨されることを下等動物に感謝させるのが目的でございます」

「そ、そうか。――念のために確認するが、お前はこの話が本当に良いと思っているのか?」

「もちろんでございます」

 

 デミウルゴスはいい笑顔で断言する。これは駄目だと直感したアインズは、すがるような気持ちでアルベドに話を振った。

 

「アルベドもこれを読んだのか?」

「はい。とても素晴らしい内容かと。文字を覚えながら、アインズ様のご偉業も学べるとはまさに一石二鳥と申せましょう。さすがはデミウルゴスとパンドラズ・アクターですわね」

 

 やはり味方はどこにもいなかった。アインズは必死に二人を丸め込もうと考えるが、代案一つすら思いつかない。だが、ここで引き下がったらこの案が実行され、国民全員に厨二病の塊のようなアインズ神話を読まれてしまうのだ。羞恥プレイにも程がある。

 

「……私は教える内容については、今ここで無理に決めず、他にも検討したほうがいいと思っている。それにサンプルとしてはこの話はよく出来ているが、実際に教材にするなら、やはり王国語に熟達した者が作成したほうがいいのではないか?」

 

「私もその点については考慮すべきと思っておりました。ですので、実際に作成する場合は、蒼の薔薇のラキュースに執筆を依頼しようかと思っております」

 

(え、なんでラキュース? それに考慮すべきことは他にもたくさんあるだろう!?)

 

 結局、訳もわからぬまま、デミウルゴスとアルベドに押し切られ、完全に投げやりになったアインズが二人に実行許可を出したのは四時間後のことだった。

 

 

----

 

 

 竜王国の王都から程遠からぬ都市の北東の門の前には、ビーストマンが群れをなして襲いかかってきていた。

 

 攻城用の巨大な鎚を振りかざすものを援護するように、分厚い木で出来た盾を全面に押し出している姿は壁が都市に押し寄せて来ているようにしか見えない。

 

「ちっ、全く懲りない連中だ。盾の上から中に入り込むように矢を射掛けろ!」

 

 城門から少し離れた石造りの塔から都市の防衛軍を指揮している竜王国軍の指揮官が指示を飛ばし、一斉に城壁の上から矢が放たれる。何人かのビーストマンが倒れるが、その空いたところに後ろから別のビーストマンが盾を押し出し、その数は一向に減ったようには見えない。

 

「諦めるな! ここを落とされると、後は王都まで一直線だぞ! 気を引き締めろ! 矢を放て!」

 

 兵士たちも必死の形相で矢を放ち続け、ビーストマン達の戦列を多少崩すものの、やがて門を打ち破ろうとする攻城鎚が何度も門に叩きつけられ、その揺れで何人かの兵士が城壁から落ちる。城壁には長いはしごが何本もかけられ、そこからも都市の内部に侵入しようとするビーストマンたちがはしごを登ってくる。

 

「侵入させるな! 火矢も使え!」

 

 はしごを登ってくる者たちを落とそうと火矢を放ち、剣や槍で交戦する激しい音が戦場に響き渡る。一旦侵入を許せば、自分たちは人間ではなくただの食料に変わる。それだけは絶対に嫌だ。その必死の思いだけが兵士たちを突き動かしていた。

 

 その時、大きな角笛の音が鳴り響き、あらかじめ潜んでいた場所から一斉に姿を現した一団がビーストマンの軍勢の側面から襲いかかる。

 

「アズス様だ!」

「セラブレイト様も来てくださったぞ!」

 

 その一団が次々とビーストマンを斬り伏せ、魔法を放って焼き払いつつ、中央に切り込んでいくのを見て、ぎりぎりの防衛戦を行っていた兵士たちの士気が一気に上がった。

 

「何をしている! 冒険者の方々の足を引っ張ってはならん! あの方々が敵の大将を打ち砕くまで、こちらはこちらで都市を守り抜くのだ!」

 

 指揮官が激を飛ばし、兵士は勢いよくビーストマンに襲いかかる。

 

 次第にビーストマンの勢いが落ち、やがて、一際大きな角笛が響いた。

 

 中央にいたビーストマンの将の首が落とされ、それを高々とセラブレイトが掲げている。

 

 それを合図にしたかのように、ビーストマンは戦線を放棄し、来た方向に撤退しようとするが、今度はそれに追いかけるように火矢が次々と放たれ、ビーストマンは混乱状態に陥った。

 

 中央では、アズスとセラブレイト、ルイセンベルグがそれぞれ競い合うように、ビーストマンを屠っていく。その剣技はいずれも見事なもので、背後を固めた冒険者達も、逃げていくビーストマンの数を少しでも減らそうと、思い思いに戦いを繰り広げていた。

 

「ああ、皆さん、適当なところにしておくのですよ。深追いしてもこちらは数では負けていますから!」

「わかってますよ! セラブレイトさん!」

 

 奇襲作戦が上手くいったことで多少の余裕が出てきた冒険者たちに笑い声が漏れる。

 

「気分程度かもしれないが、数は減らしておきたい。とにかく敵が多すぎるからな」

「全くですよ。こちらは量より質のつもりですが、向こうは質も量も人間を上回っていますからねぇ」

 

 のんびりした様子ながらも、あっさりとビーストマンを打ち倒していく朱の雫に、クリスタル・ティアの面々も思わず苦笑する。

 

「よし、そろそろいいだろう。攻撃やめ! 全員撤収するぞ!」

 

 逃げ出したビーストマンが周囲には殆ど残っていないのを確認したセラブレイトは指示を出す。それから少しいらついたように、足元に落ちていた大将首を蹴り飛ばした。

 

「珍しいな。セラブレイト。荒れているのか?」

「当たり前ですよ。全く。いくら倒したところで切りがありませんから」

 

「確かにこのままでは、戦線維持も厳しくなる一方だろう。今日のところはやり過ごせたが……」

「どのみち、奴らは明日も来るでしょう。あの引き上げ方からすると、どうやら少しずつこちらを消耗させて押しつぶすつもりらしい」

「どうやったかは知りませんが、ビーストマンも小賢しい知恵の実でも食べたのでしょうか? まったく、単なる力押しよりもよほどタチが悪い」

 

 重苦しい表情のアズスとセラブレイトを見ながら、ルイセンベルグは揶揄するように言った。

 

「かもしれません。……まあ、我らが女王陛下の御為ならば、私はいくらでも頑張りますよ。いつまで持ちこたえられるかはわかりませんがね」

 

 セラブレイトはしばらくビーストマンが逃げ去った方向を睨みつけていたが、やがて諦めたように軽く息を吐く。それから、おもむろに大声をあげて天に向かって剣を突き上げると、城壁を守っていた兵士たちからは歓喜の声が上がる。冒険者たちはそれぞれ手を振ってその声に応えると、汚れた武器を拭い、都市に戻るべく歩き出した。

 

「貴殿は本当に一途に女王陛下を愛しているのだな。羨ましいことだ」

 先に立って歩いているセラブレイトの後ろから、アズスの独り言めいたつぶやきが漏れる。

 

「おや、アズス殿だって宰相殿がお気に入りなのでしょう? 違うのですか?」

「宰相殿とはちょっとした大人の遊びのようなもの。……私がこれまでで一番愛した男は、もう死んでしまったのでね。だいぶ前の話だが」

 

 アズスは静かに答え、セラブレイトは足をとめ振り返った。

 

「そう……でしたか。これは失礼なことを」

「いや、別に謝るようなことじゃない。それに私は彼に何もしてやれなかった。まぁ、だからこそ……この国に来ようと思ったのだが。彼を死なせた国に未練はなかったし、何も出来なかった自分の罪滅ぼしをしたくてね」

「……それは、もしかして、リ・エスティーゼ王国の大虐殺の件ですか?」

 

 アズスは何も答えなかった。だが、彼の態度がそれを肯定していた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王……。女王陛下も宰相殿も彼の王にこの国の将来をかけるつもりのようですね」

「国の方針には我々冒険者が口を出すことではないさ。それにあの虐殺の件だって、元はバハルス帝国の皇帝の発案だとも聞く。本当のところはわからんが」

 

 アズスは肩をすくめ、セラブレイトは皮肉げな笑いを浮かべた。なんともいえない沈黙が場を支配する。

 

「――我々もそろそろ戻りませんか? 女王陛下と宰相様がお待ちかねですよ。きっとお褒めの言葉をくださるでしょう」

 ルイセンベルグが唄うように声をかけると、苦々しい表情をした二人がゆっくりと振り返った。

 

「そうだな。それは何にも勝るご褒美だ」

「全くですね。そろそろ王都に一度戻って、麗しの女王陛下のお顔を拝見したいものです」

 

 アズスとセラブレイトは顔を見合わせると、先程までのとは違う屈託のない笑顔を浮かべる。

 

 しかし――

 

 既に、竜王国の半分はビーストマンの支配下にあるのだ。

 この場にいる誰もが、竜王国が終焉を迎える日がそう遠くないことを、強く感じ取っていた。

 そう、誰か、いや神にも近い力を持つ誰かの手助けがなければ……。

 

 


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