イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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6: 幼女王の決断

 冒険者組合にある蒼の薔薇がほぼ専用で使っている立派な一室で、蒼の薔薇はアインザックから先程渡された地図を見ながら、初めての遠征先として何処に向かうか検討していた。

 

 渡された地図は、これまで見たこともないくらい精巧なものだった。そもそも詳細な地図はどこの国でも防衛上の都合から公開しないのが当たり前だ。しかし、魔導国の冒険者組合では冒険者同士で当然共有すべき情報だから、とアインザックは大らかに笑っていた。

 

「こうやって改めて見てみると、自分たちが知っている範囲がいかに狭いのかよくわかるわね」

「まったくだな。これでも、かなり広い範囲を冒険してきたと思ってたんだが。やっぱり世界は広いよなぁ」

 

 ガガーランはいつもよりも真剣な顔つきで、ラキュースとこれまで行ったことのある場所の位置関係を確認し、ティアとティナも珍しく無言で地図に見入っている。イビルアイは、懐かしそうな顔をしつつ地図の細々としたところを眺めていた。

 

「イジャニーヤで幹部だけが知ってる秘密の地図を見たことあるけど、こっちの方がすごい」

「そんなものがあんのかよ。さすが、イジャニーヤだな」

「諜報活動には地図大事。ガガーランみたいな獣の勘だけじゃ駄目」

「悪かったな。でも、俺の勘に助けられたことだっていっぱいあっただろ!」

 

 ガガーランはティアとティナを小突こうとしたが、二人に素早く避けられ軽く舌打ちをした。

 

「イビルアイはもっといろんな場所に行ったことがあるんでしょう?」

「あぁ、それなりには。この地図には載っていないが、大陸の中央部なんかにも行ったことがある。だが、こんな風にきちんと作られた地図を見るのは初めてだ。なかなか興味深いな」

 

 詳細に書き込まれた美しい地図を眺めていると、自分たちがこの地図に描かれる範囲を更に広くしていくのだという実感が湧き、どことなく蒼の薔薇の面々も気分が高揚してくるのを感じる。

 

「今回は法国と竜王国の方には行かないほうがいいっていう話だったわね。多分、竜王国がビーストマンに攻められている件だと思うけれど」

「アウラ様のお言葉だから、間違いない。可愛いは正義」

「あのねぇ。そういう問題じゃないでしょ!?」

 

「竜王国は法国に応援頼んでるはずだから、俺もどのみちそっちには近寄りたくねぇな」

「となると、アベリオン丘陵経由で南とか?」

「いや、南にあまり行き過ぎるのは避けたほうが賢明だ。今回はテストみたいなものなんだから、いきなり危険地帯に首を突っ込むのは慎むべきだろう」

 

「イビルアイ、珍しく慎重。モモンが一緒だから?」

「わ、私はモモン様とは何もないって何度もいってるだろう!? 冒険者組合として初めての試みに失敗する訳にはいかないと思うだけだ!」

 

 地図を前にかしましく話をしていると、突然部屋の扉がノックされる音が聞こえた。ラキュースが怪訝そうに顔を上げると扉に向かう。

 

「どなたですか?」

「モモンだ。それとナーベも。入ってもいいかな?」

 

 ラキュースが声をかけると、穏やかなモモンの声がして、ラキュースは瞬時に気分が高揚するのを感じる。少しの間ゆっくりと呼吸をして気分を落ち着けると、急いで扉を開けた。

 

「失敬、女性に扉を開けさせてしまったな」

 いつもの赤いマントを派手にひるがえらせて、ナーベを連れたモモンが部屋に入ってきた。

 

「いえ、お気遣いありがとうございます。今日はどうしてこちらへ?」

「一緒に旅をするというのに、目的地の選定に漆黒が参加しないというのは不味いだろうと、陛下に言われてな。アインザック組合長から、ちょうど今相談していると聞いたので、遅まきながら参加させて貰おうと思ってきたんだ」

 

「そうでしたか。ちょうど今話し合いを始めたばかりでしたので、モモンさん達と一緒に行き先を決められるならその方がいいと思います」

 

 ラキュースはできるだけいつもの調子でてきぱきと話を進める。部屋に招き入れられたモモンとナーベは適当な椅子に腰を下ろした。モモンはそのまま蒼の薔薇が見ている地図を覗き込んだが、『美姫』ナーベはちらりとイビルアイに視線を向けた後は、そのまま我関せずといった雰囲気で静かに座っている。

 

「それで、蒼の薔薇はどの辺に行こうと考えているんだ?」

「今のところ、まだ全然決まっちゃいねえよ。俺はむしろ、モモンの意見も聞きたいところだな。正直こういう冒険をするのは俺たちも初めてだから、勝手がわからなくてな」

 

「ああ、なるほど。今回の件は、一回の旅にどれだけの日数や物資が必要かを検証する意味合いもあるから、目的地は気楽に決めてもらって構わないと聞いている。地図に載っている場所でも、例えば、アゼルリシア山脈の北方の奥地なんかはまだ調査が完全には終わってはいない筈だ」

 

「あら? フロスト・ドラゴンや、フロスト・ジャイアントがいるから、てっきり魔導国ではアゼルリシア山脈は全て調査済みなのかと思っていましたが」

「半分程度は調べているそうだが、ちょうどこの辺りから先については、まだ手付かずらしい」

 

 そういって、モモンは地図の上を線を描くように指を滑らせた。

 

「アゼルリシア山脈か……。あそこは、なかなか謎が多い場所だからな。私も少しは足を踏み入れたことはあるが、奥の方、特にラッパスレア山付近は行ったことがない」

「俺も流石にあの辺はな。そもそもアゼルリシア山脈自体フロスト・ドラゴンやフロスト・ジャイアントがいるってだけでも遠慮しちまう場所だ。今はどっちもいないんだろうけどよ。ただ、それ以外にもかなり危険なモンスターが棲息してるって話じゃなかったか?」

 

「我々漆黒も一緒なんだし、別にモンスター退治に行くわけじゃない。まだ人が足を踏み入れていない場所に赴き、その地に棲息しているモンスターや動植物の調査、そして出来る限り詳細な地図を作成するのが主目的だ。それと目的地までの距離だが、今回は最長でも一ヶ月程度で往復できるくらいを目安にすればいいのではないかと思う」

 

「なるほどね……。それじゃ、どうかしら? モモンさんのお言葉に甘える感じにはなるけれど、せっかくだから、アゼルリシア山脈の奥地を目指すということにする?」

「俺は構わねぇぜ」

「私もいいと思う」

「おっけー」

「同じく」

 四人が同意するのを確認して、ラキュースも頷いた。

 

「皆、問題なさそうね。モモンさん達もそれで構わないかしら?」

 

「もちろん。ナーベも構わないな?」

「……はい、モモンさん」

 何処と無く冷淡な雰囲気だったが、ナーベもおとなしく頭を下げた。

 

「あぁ、アゼルリシア山脈に行くのなら、ドワーフの国まではそれほど立派なものではないが魔導国が街道を作っている。だからそこまでは馬車でも行けるぞ。もちろんその後は徒歩になるが」

 

「あら、それは助かります。でもモモンさんは、馬車よりも森の賢王に騎乗される方がよろしいのではないのですか?」

「それはそうだな。しかし蒼の薔薇はどうするつもりだったんだ? やはりドワーフの国までは馬を使うのか?」

 

 モモンの言葉で蒼の薔薇の視線は自然と一人に集まり、イビルアイは思わずどこかに隠れたい気分になる。

 

「馬はなぁ、一人どうしても乗れないやつがいるんだよな。俺たちは馬でも構わねぇんだが」

「乗れないと言うより、馬が怯えて逃げる」

「わ、悪かったな。私のせいなんだ。どうしても、その、馬が乗せてくれなくて。……いつも皆に迷惑かけてる……」

 

 モモンは、うつむいたイビルアイを見て納得したように頷いた。

 

「なるほど。イビルアイ、それなら一緒にハムスケに乗るか? ハムスケなら二人くらい平気だぞ」

「え……!? よろしいんですか!? ハムスケってあの森の賢王のことですよね?」

 

 噂に名高い森の賢王の姿を蒼の薔薇はほとんど見かけたことがなかった。モモンの館にいるという話だったが、普段はそこまで立ち入ることはない。

 

「その通りだ。あれなら、別にイビルアイのことも気にしないだろうし。まあ、少しばかり乗り心地は悪いがな」

「モモンさん、何もそのようなことを……!」

 

 それまで黙って見ているだけだったナーベが多少殺気を放って口を挟もうとしたが、モモンは大仰な身振りでそれを止めた。

 

「ナーベ、別に構わないではないか。もちろんイビルアイがそれでいいのなら、ということだが」

 

 イビルアイはさり気なく周囲を見回し、ナーベとラキュースがかなり冷たい視線で自分を見ているのに気がついた。

 

「あ、あの、それは、非常に有り難いお申し出なのですが……。私は生き物に乗るのに慣れてないし、やはり馬車にしようかと思います」

 

「それならそれで構わないとも、イビルアイ。確かに将来的には騎乗生物を使わないと行けない場所に行くこともあるかもしれないが、今回は使える道もあることだし馬車のほうが楽だと思う。では今回は我々も馬車で行くことにするか。いいな、ナーベ」

「はい、モモンさん」

 

 ナーベはおとなしく頷き、部屋の空気がどことなく緩んだ。

 

「わかりました、モモンさん。それでは、出発は明後日、それまでに必要な装備や食料などを調達ということでどうでしょうか?」

「もちろん構わない。ではラキュースよろしく頼む」

 

 モモンは多少芝居がかった動きで、ラキュースに恭しく右手を差し出した。ラキュースはその仕草に思わず胸がときめくのを感じつつ、モモンと握手を交わした。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの街中を三台の立派な馬車が走っている。中央の一台には竜王国の女王と宰相が差し向かいで座っていた。馬車の中は重苦しい雰囲気で、まるでこれから邪悪な神に生贄でも捧げにいくかのようだった。

 

 可愛らしいフリルのついた膝丈の白いドレスを纏ったドラウディロンは、心底嫌そうな顔をして馬車の席であぐらをかいていた。

 

 馬車の窓から見える賑やかなエ・ランテルの街並みを眺めつつ、重い溜め息をつく。エ・ランテルの城門前には魔導王の像と思しき巨大な白亜の像が二つ並べられていて、魔導国を訪れる者たちを歓迎しているつもりらしいが、ドラウディロンにはただの脅しにしか見えなかった。しかも、その本人にこれから直接会って愛想を振りまかなければならないのだ。憂鬱になるなという方が無理だろう。

 

「どこから見ても、ただの邪悪なアンデッドだったな……」

「引き返しますか? 今ならまだ間に合いますよ」

 

「いや、そうはいかんだろう。それに魔導王はビーストマンと違って、我々を踊り食いにはしないだろうからな」

「だといいですね」

「おい、冗談に聞こえないからやめろ!」

 

 宰相はわざとらしくため息をつき、ドラウディロンを冷たい目で見た。

 

「陛下、そのような下品な格好はおやめください。一応、一国の女王なんですから」

「うるさい。今だけなんだから構わないだろう? これから一生懸命魔導王に媚を売るんだから、ちょっとくらい見逃せ」

「普段やってる行動がいざという時に現れるそうですよ」

「やかましいわ!」

 

 今のような国難のさなかに、女王と宰相が揃って他国に支援を要請に来るなど、本来なら絶対に避けるべき行為だろう。しかし、対価らしい対価を支払うことができない竜王国としては、誠意をひたすら見せて魔導国の慈悲にすがるしかできず、それには、やはり女王が直々に出向いて子どもらしい振る舞いを見せた方が効果的に違いない。それが竜王国の重臣たちの一致した意見だった。

 

 少なくとも魔導王本人には通用しなくても、周囲の者たちの同情は買える可能性はある。もっとも、魔導王の側近は人間ではないものばかりという評判だから、それがどこまで通用するかはわからないが。

 

 ただ、ドラウディロン女王が単独で赴くことには反対し、宰相まで付いてくることになったのは、ドラウディロン一人では何をやらかすかわからない、という臣下たちの切実な思いからだった。

 

「まったく、失礼な奴ばかりだと思わないか!? この私が直々に赴けば、十分事足りるとあれ程言ったのに!」

「やはり普段の行いを、皆よく見ているからではないでしょうか。それに魔導国にすがるチャンスは一度きりですから、それをふいにしたくはないですよね」

 

 宰相の冷淡な物言いに、腹にすえかねたドラウディロンはそっぽを向くが、やがてボソリと口を開いた。

 

「――エ・ランテルは豊かな街だな。こんな風に我が国もなれるんだろうか。ずっとビーストマン共と戦い続けて、今の我が国民たちはもはや笑うことすら忘れておる。平和などという言葉は久しく我が国にはなかった」

「陛下……」

 

「強者が栄えるというのは世の真理だと私は思っている。だが、こう目の前で見せつけられると、己の弱さを痛感させられるな。真にして偽りの竜王か……。確かに、私が真の竜王ならこんなことにはなってはいなかったのだろうよ」

 

 自嘲するように言うドラウディロンの言葉に、宰相も返す言葉はなかった。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの旧都市長の館にある、あまり豪華であるとは言えない玉座の間で、アインズはドラウディロン女王とその宰相に対面していた。

 

「我こそが、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスだ。魔導王陛下にお会い出来て光栄である!」

 

 ふんわりした子どもらしい白いドレスを纏った幼い女王が跪き、一生懸命声を張り上げてあどけなく挨拶するさまは非常に微笑ましかったが、アインズはアルベドの方から微妙な雰囲気が漂ってくるのを感じる。

 

(竜王国の女王は、こんなに幼いのに国を治めているのか……。俺ももうちょっと頑張らないとな)

 

 今回の件はデミウルゴスの作戦に則ったものとはいえ、幼い子どもにこのようなことをさせるのは、鈴木悟の残滓が少しばかり抗議の声を上げているような気がする。しかし他に適切な対案を思いつかなかった以上、アインズとしてはどうしようもなかった。

 

「この度は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に拝謁の栄誉を賜りましたこと、御礼申し上げます」

 

 その側で跪いている竜王国宰相は、非常に理知的な雰囲気の人物であり、恐らく女王の保護者としての役割もかねているのだろう。

 

「遠いところをよくぞ参られた。ドラウディロン女王陛下、並びに宰相殿。どうか頭を上げて欲しい」

 

 アインズが重々しく声をかけると、顔を上げた二人はほんの一瞬ひるんだようだったが、それでも必死の形相でアインズを睨みつけてくる。

 

(な、なにこれ。なんで、こんな顔つきで俺を見るんだ?)

 

 二人の異様な雰囲気に気圧されたが、アインズはなんとか平静を保った。一応手元に持っている紙切れを流し見て、会見の流れを再度確認する。

 

「……さて、竜王国の最高責任者である貴殿らが、一体どのような用向きで魔導国にいらしたのだろうか?」

 

「畏れながら、魔導王陛下。我が女王に代わりまして発言することをお許しください」

「もちろん構わない。宰相殿」

 

「魔導王陛下。我が国、竜王国は現在未曾有の危機に陥っております。これまでも、竜王国は隣国であるビーストマンの国から度重なる侵攻を受けておりましたが、此度ばかりは国の滅亡の危機にさらされており、もはや時間的猶予はございません。これまで全く国交のなかった魔導国に援助をお願いするのがいかに不躾なものであるかは承知しております。しかし、現在竜王国が頼れるのは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国だけなのでございます。魔導王陛下、なにとぞ、竜王国にお力をお貸しください」

 

 静かに耳を傾けるアインズに、宰相は悲痛そうな声で一気にまくしたてると、床に頭を擦り付け、脇にいるドラウディロンは、目を潤ませ首を傾げてアインズをじっと見ている。

 

「宰相殿の仰りたいことは理解した。つまり我が国に貴国の危難に対して援軍を出して欲しい、そういうことだな?」

 

「仰る通りでございます。魔導王陛下。既に国の半分以上はビーストマン共に占拠され、民は全て彼奴らの食物となっております。このままでは、我が国は滅びるしかありません」

 

「なるほど。私としても窮地にある竜王国を助けることはやぶさかではないし、援軍を出すことも可能だ。だが私も国の王である以上、魔導国の利益というものも考えなければならない。失礼だが、宰相殿。我が国が出す援軍に対して、竜王国はいかほどの対価を支払われるご予定なのだろうか?」

 

「大変正直に申し上げて、竜王国はこれまでのビーストマンに対する対処で国庫が逼迫しており、金銭で対価をお支払いすることは出来ません。しかしながら、我が国には何にも勝る至宝がございます。それを魔導国に差し出すことで対価とさせていただきたいのです」

 

「ほう? 竜王国にそのような至宝があるとは、寡聞にして存じ上げなかったが、それはどのようなものなのか?」

 

 デミウルゴスが竜王国を調査した情報には、そのような物の存在は書かれていなかった。レアコレクターとして非常に興味をそそられ、アインズは思わず身を乗り出した。

 

「竜王国の至宝、それはまさしく、ここにおられるドラウディロン女王その人でございます」

 そういって、宰相はドラウディロンを身振りで指した。

 

「そ、その通り! 我こそが竜王国で最も価値のある、まさに至宝なのだ!」

 ドラウディロンはヤケになって、子どもらしい無邪気な微笑みを見せる。

 

「我が女王は七彩の竜王の直系にして、数少ない真の竜王の一人としてその名を連ねておられる御方。至高にして強大なる魔導王陛下の御手で我が竜王国が救われた暁には、御礼としてドラウディロン女王を魔導王陛下に捧げたく存じます。これこそが、我が国が魔導国にお支払いできる最大の対価であると心得ます」

「どうか、よろしく頼む!」

 

 ドラウディロンと宰相は再び、深く頭を下げた。

 

(俺に捧げる? 捧げるって何? 竜王国には俺が知らないそういう慣習でもあるのか!?)

 

 全く予想していなかった二人の申し出に、アインズは混乱の極みに陥った。思わず精神が沈静化するほどに。

 

 もう一度、手の中にあるカンペを盗み見る。しかし大したことは書いていない。

 

 そもそも、デミウルゴスからは『竜王国からの申し出に関しては、アインズ様の御心のままに対応お願い致します。竜王国で最も価値あるものは始原の魔法に関する情報と思われます。ドラウディロン女王は始原の魔法の使い手ですが、実質的に行使不能の様子。竜王国の出方としては恐らくその存在をちらつかせつつ、ひたすらこちらの慈悲を乞う形になるかと思われます』と説明を受けていた。

 

 だからアインズもこの交渉については大したことはあるまいと、ある程度たかをくくっていたのだ。

 

 側にいるアルベドはいつものように穏やかな笑みを浮かべているのだろうが、はっきりとした殺気をドラウディロンに向けている。そして、ドラウディロンもどういうわけか、可愛らしい外見とは裏腹にアルベドの視線を堂々と受け止めているように見える。アインズは直感的に、かなりまずい状況であることを理解した。

 

 アインズ様にお任せすれば万一にも失敗などありえません、と自信ありげに言っていたデミウルゴスの笑顔を恨めしく思い出すが、今はそんなことを考えている場合ではない。アインズはどう答えれば魔導国にとって一番いいのか、それにアルベドの逆鱗に触れずに済むのか必死に考えた。

 

「お二方とも少しお待ちいただきたい。何か誤解をされてはおられないだろうか? 私はアンデッドであり、別に生贄とかそういうものに興味はないのだが……」

 

 アインズの脳裏にデミウルゴスが作った全骨製の玉座が浮かび、アインズは引きつった笑顔を浮かべた。もしかしてあれはデミウルゴスにとって、アインズに捧げる贄のつもりかなんかだったのかもしれない。

 

「いえ、魔導王陛下、そうではございません。魔導国と竜王国の絆をより深め、これからの友誼を確かなものにするためにも、我が女王を陛下の妻の一人に加えていただきたいのです」

 

「……えっ? んん、ドラウディロン女王陛下を、我が妻に……? なるほど、その様なお申し出でしたか。これは失礼をした」

 

 一瞬間抜けな声を上げてしまい、慌てて咳払いでごまかす。女王を自分の妻にというのは、それはそれで頭の痛い申し出であることには変わりがなかったが、まだ常識の範囲内ではある。それならまだ対応自体は出来るだろう。アインズはとりあえず安堵した。

 

「とんでもございません。誤解を招くような表現をしてしまったことをお詫びいたします。我が女王は、見た目こそ幼い人間の姿をしてはおりますが、本性は人間ではなく、八分の一ではありますが竜なのでございます。それに今の世では数少ない始原の魔法の使い手でもあります」

 

「ほう……。ドラウディロン女王は始原の魔法を使えるのか……」

 

 イビルアイはこの世界で現在始原の魔法を使えるものは非常に限られていると言っていた。だとすると、この女王は間違いなくかなりのレア物には違いない。それに竜との混血というのも興味をそそる。実質的には使い物にならない、というデミウルゴスの情報は気になるものの、アインズのコレクター欲はかなり刺激されるのを感じる。

 

 しかしアインズが欲しいのは女王自身ではなく、あくまでもそのレアな能力だけだ。いくらコレクター気質なアインズでも、能力が魅力的だからといってそれだけを理由に誰かと結婚しようとは思わない。

 

 自分の右斜め前に立っているアルベドの羽がイライラしたように小刻みに震えているのが見える。今の話でアルベドがかなり機嫌を損ねているのは間違いない。それでなくても、イビルアイの件でアルベドは最近妙に様子がおかしい時がある。であれば、これ以上アルベドを刺激しないほうが自分の身のためだ。いろんな意味で。

 

(それに能力を手に入れるだけなら、他の方法が使えないか実験もしたいしな。始原の魔法を覚えられるかもしれないのなら、これを使って試す価値は十分ある)

 

 アインズはちらりと右手に目をやり、自分の指に嵌まっている流れ星の指輪(シューティングスター)を見た。

 

「なるほど。それは確かに非常に魅力的な提案ではあると思う、宰相殿。しかし、女王陛下は未だかなり幼くておいでのようだ。婚姻などというのはまだまだ早いお話なのではないか?」

 

 この手の政略結婚ではありなのかもしれないが、少なくともリアルでは間違いなく犯罪行為だ。それにアインズは別にペロロンチーノと違ってロリコン趣味なわけではない。

 

「あ、いえ! そんなことは……」

 宰相がひたすら焦っている様子に、アインズは苦笑した。

 

「竜王国側が気にしなかったとしても、私が気にするのだ。だからせっかくのお申し出ではあるが、女王陛下との結婚話は、今はなかったことにしたい」

 

「そ、そんな……。魔導王陛下、誤解でございます。陛下は実は……」

「そうなのだ! 魔導王陛下、これだけが我が姿というわけじゃないぞ!? 幼女がお嫌ならこのような形態にも……」

 

 慌てたドラウディロンが立ち上がると、一瞬にして煌めく不思議な光に包まれ、その中央に立つ女王の姿が少しずつ歪んだかと思うと次第に光の渦が収束する。そこには先程までのあどけない少女ではなく、二十代後半ほどの胸の大きい妖艶な美女が立っていた。ただ最初に着ていた服が幼児向けだったために、いろいろな場所が丸見えになったり逆に引っかかったりして、公の場所で女王が見せる姿としては非常に残念なことになってはいたが。

 

「魔導王陛下、大変失礼致しました。しかし、我が女王に悪気があったわけではありません。どうかお許しを!」

 

 側にいた宰相は慌てて自分が着ていた服の上着を女王に着せかけ、自分のアレな姿に気がついたドラウディロンは恥じらいながら、それで身を覆うと再びその場に座った。

 

「えー、あの、おほん。実は我が女王は幼女でもあり、その、同時に、このような妙齢の女性でもあらせられます。ですので、畏れながら魔導王陛下との婚姻につきましては、全く無問題かと思われます」

「ああ、えっとそうなのだ。これは私自身の特殊な力によるものなので、説明は難しいのだが、我が宰相の申すとおりだと思っていただきたい」

 

 さあ、これで文句のつけようはあるまい、とでもいうかのように二人はアインズに熱い視線を送っている。

 

 全く予想していなかった展開にアインズは激しく動揺し、再び精神が沈静化された。

 

 少なくとも向こうは、かなり本気でアインズと女王の縁組を行いたいのだ。アインズは遅まきながらようやくそれに気がついた。

 

 しかし、これまで完璧な魔法使いとして生きてきたアインズにとって、この事態に冷静に対応するというのはどう考えても無茶な相談だ。しかも背中しか見えないアルベドからはどんよりとした暗黒のオーラのようなものが漂ってくる。この話を受ければ、間違いなく巨大な爆弾に火をつけることになるだろう。

 

(確かにああいう胸の大きい女性は嫌いじゃないが、そもそもナニもない状況で結婚とか言われても正直困る。それに王族の結婚なんて、どのみち子どもを作るのが前提のはずだ。しかし女王のこの変身能力は竜が持つ種族特性なのか? それともスキル? あるいはタレントの類なのか? ユグドラシルには竜種族のプレイヤーはいなかったからよくわからないが、これはこれで興味深い能力だな……)

 

 アインズはなるべく動揺しているのを悟られないよう、堂々たる支配者らしく見えるポーズを取りつつ、無難な言い訳を考えた。

 

「ドラウディロン女王陛下。どうか落ち着いていただきたい。私はまだ国を建国したばかりで、今のところ妃を迎えるつもりはない。それに、お申し出自体はありがたいとは思っているが、流石にそれはこの度の援助の条件として若干倫理的にも問題があるのではないかと思う」

 

「……それでは、魔導国からは援軍を頂くことは出来ないということでしょうか?」

「いや、そういうことではない。こちらから条件をいくつか出させていただき、それを竜王国が承諾するというのであれば、魔導国はすぐにでも援軍を送らせていただこう。それではどうかな?」

 

「魔導王陛下、こちらとしましては、藁にもすがる思いでこの場にいるのでございます。もし、その条件というのが我々で可能なものであれば、当然お受けしたいと考えております」

 

 宰相もドラウディロンも顔色が蒼白になっている。自分たちの申し出が蹴られた以上、何を要求されるのか見当もつかないのだろう。しかし、それでも悲壮な覚悟は固めているようだ。アインズはゆっくりと足を組み替えた。

 

「我が国は、様々な知識に価値を見出している。ドラウディロン女王陛下は始原の魔法をお使いになれるそうだが、私も魔法詠唱者として始原の魔法については非常に興味がある。なにしろ、始原の魔法の使い手に出会ったのはこれが初めてなのだ。それに竜と人との混血というのも非常に興味深い。だからドラウディロン女王陛下が知り得る始原の魔法や女王自身がお持ちになられる能力や竜に関する知識の全て、そして場合によってはその能力を私に譲り渡すこと。以上を条件として竜王国が飲むのであれば、私はすぐにでも貴国を救うに足る援軍をお送りしよう。どうかな?」

 

 ドラウディロンと宰相は一瞬顔を見合わせたが、意を決したように、ドラウディロンが口を開いた。

 

「魔導王陛下。私は真なる竜王ではあるが、その実、真にして偽りの竜王ともいわれている。これはもちろん、私を揶揄する呼称だ。私は確かに始原の魔法を使うことが出来る。しかし本当のことを申せば、自分一人でこの力を使うことはできんのだ。つまり私がこの能力を持っていても、民を救う助けには全くならん。だから、もし陛下がこの能力をどうやってやるのかは知らんが、陛下自身のものとし、それが竜王国を救う一助になるというのであれば、私は喜んでこの力を捧げようじゃないか」

 

「ほう、即決か。よかろう。ドラウディロン女王陛下、どうか立って欲しい」

 

 ドラウディロンが立ち上がると、アインズは玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきてドラウディロンに手を差し出した。

 

「女王陛下の民を救いたいというその気持ちと勇気に、私は非常に感銘を受けた。魔導国からは我が信頼する側近及び、アンデッド兵団を早急に派遣し、事態の鎮圧に手を貸すこととしよう」

 

 差し出されたアインズの右手を見ながら、ドラウディロンは戸惑った。

 

「魔導王陛下、その、属国にはならなくても良いのか?」

「属国になるかどうかは貴国の自由。こちらから求めることはない」

 

 それを聞いたドラウディロンはごくりと唾を飲み込むと、アインズに対して再び頭を下げた。

 

「であれば、魔導王陛下、竜王国が魔導国の援軍で救われた場合、竜王国は魔導国の属国になることを希望する。魔導国の属国になれば、今後魔導国は竜王国を守ってくれるのだろう? 属国になることの条件がいかほどかはしらんが、私で支払いが出来るものならば全て飲む覚悟はある」

 

「属国化に関する条件については、後日我が信頼する宰相アルベドを交えて双方で協議をすることになるが……。女王陛下のそれほどまでの覚悟の前でお断りなどできようはずもない。それに、もちろん、竜王国が魔導国の属国になるというのであれば、我が名にかけて竜王国を守ることを約束しよう」

 

「魔導王陛下……、恩に着る。どうか、我が国を救ってくれ……」

 

 ドラウディロンはアインズの真紅の灯火の目を見つめながら、アインズの骨の手を固く握りしめた。

 

 




藤丸ぐだ男様、おでん様、誤字報告ありがとうございました。

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