周囲の者たちが固唾をのんで見守る中、アズスとアインズの剣と杖での打ち合いは、ほぼ互角のまま続いた。しかし、持久戦になれば体力に限度のある人間の方が遥かに不利だ。だんだん、アズスの動きにキレがなくなってくる。
(このままだとジリ貧か……。それにしても噂には聞いていたが、魔導王陛下の戦い方は魔法詠唱者離れしているな)
アズスは荒い息を吐きつつ、それでも己の最高の技を繰り出し、アインズの攻撃をかわし続けた。
本来、魔法詠唱者はこのような近接攻撃の立ち回りは苦手な筈だ。確かに本職の戦士に比べれば、魔導王の動きに若干粗いところがないわけではないが、十分英雄の領域に達する腕だと思われる。この領域には例えどんな天才戦士だとしても、何の努力もせずに辿り着けるものではない。恐らく魔導王は己の現在の力に奢ることなく、地道な努力を続けたのだろう。
アズスは自分の傲岸さを恥じつつ、それでも、アダマンタイト級の戦士としての意地を見せる覚悟をする。恐らく、次のどちらかの一撃で勝敗は決するはずだ。そう判断したアズスは、最後の抵抗を試みようとアインズの隙を見計らう。肩を突いてバランスを崩させようとアズスが剣を伸ばした時、アインズの避け方が微妙に甘いように見えた。
(ここだ!)
アズスは素早く剣をアインズの胴を目掛けて払った。その時、アズスは魔導王の動かない表情が一瞬笑ったかのように見え、次の瞬間、その剣を杖で受け流したアインズがアズスの手首を強打し、その勢いでアズスの剣が手元から離れ、宙を飛んだ。
「これで終いだな」
息を切らすこともなく、平然とアインズはアズスの剣が落ちた場所まで歩くと、剣を拾ってアズスに渡した。
「まったく、魔法詠唱者に剣で負けるとは……。わかっていても悔しいものですな。しかし、陛下、我が願いを聞いてくださりありがとうございました」
アズスは肩で息をしながら苦笑いをした。そして一礼して剣を受け取ると、アインズに跪いた。
「ああ、別にそのような堅苦しいことはしなくていい。それよりも、今お前が着ているその鎧、少し見せてもらっても構わないか?」
「もちろんですとも。ご自由に御覧ください」
アインズはアズスの鎧に〈道具上位鑑定〉を唱え、軽く頷いた。
(やはり
「アズス、この鎧は何処で手に入れたのか、聞いてもいいか?」
「これは、私の剣の師匠から譲り受けた品です。実はかのガゼフ・ストロノーフも同門なのですよ。もっとも師匠としてはガゼフが一番良い弟子だったようですが」
「ほう? それで、その師匠というのは、まだ存命なのか?」
「師匠はヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンという元アダマンタイト級冒険者なのですが、冒険者を引退した後、気に入ったものだけを無理やり入門させるという評判の道場を開いておりまして。私もガゼフもほとんど無理やり道場に引っ張り込まれたのです。亡くなったとは聞きませんから、一応まだ生きているのでしょう。何しろ、かの十三英雄の一人だったとも噂されていた御仁です。私が弟子だった頃でも既にかなりの歳でした」
「そのローファンという男が、その鎧をどうやって手に入れたのか知っているか?」
「知人から譲り受けたという話でした。もっともその知人はもう亡くなられたそうですが」
「そうか……。わかった。教えてくれて感謝する」
(やはり、なかなかプレイヤー本人にたどり着くのは難しいな。そもそも、人間種なら寿命の問題もあるし……)
アインズが考え込んでいるうちに、アズスはゆっくりと立ち上がると周囲で見ていた朱の雫のメンバーを集めた。
「魔導王陛下。これが朱の雫のメンバー全員です。我々はこれからは、魔導国の冒険者となり、噂に聞く未知を探す冒険者になろうと思います。皆、それでいいな?」
メンバーは一斉に頷き、アインズに頭を下げた。
「こちらこそ、歓迎する。朱の雫の諸君。冒険者組合長であるアインザックには私から連絡しておくので、詳しいことは彼から説明を受けてくれ」
「畏まりました」
朱の雫の面々は再びアインズに一礼すると、そのままその場を離れようとした。アインズも空間に杖をしまい、本来の目的である都市への作戦に戻ろうとしたその時、不意にアズスは振り返った。
「魔導王陛下、大事なことを申し上げるのを忘れておりました」
「ん? なんだ?」
「先程の立ち会いでよくわかりました。ガゼフ・ストロノーフが陛下を敬愛していた理由が」
「そうなのか?」
「はい。私は心から陛下のために働けることを喜ばしく思っております。亡きガゼフの分まで陛下にお仕えすることをお約束いたします」
先程までとは全く違う真面目な表情になったアズスは、アインズに恭しくお辞儀をすると、自分を睨みつけるように立っているイビルアイに軽く手を振り、そのまま、他のメンバーの後を追って立ち去っていった。
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都市の中は酷い有様だった。アインズの魔法の効果範囲にあった壁や建物は全て跡形もなく崩れ去り、地面は焦げついている。その少し奥では、ビーストマン達が行っていた饗宴の跡が残されており、かつて人間だった筈の物があちらこちらに山のように積まれ、腐ったような悪臭と血の匂いが充満していた。
アウラのスキルで、中に危険な者はほとんど残っていないことはわかっていたものの、アインズとアウラ、イビルアイは念のために、ビーストマンの残党が残っていないかどうかを注意しつつ都市中を確認して歩いた。
さすがのビーストマンも超位魔法の恐ろしさで必死の敗走をしたのだろう。逃げそこねて隠れているものを何人か倒して安全を確保すると、その後は都市の外で控えていた冒険者たちや、竜王国の兵士たちを都市内部に入れた。
その後の作業は地道な救助活動となり、手分けをして都市の中にいる少しでも息があるものを探し出しては、ンフィーレアが作成したポーションで手当しつつ、搬送用の馬車に乗せていく。ポーションの見慣れない色に最初は戸惑っていた兵達もその劇的な効果に驚いたようで、それからはより一層アインズ達を崇拝するように見るものが増えた。
しかし生存者は想定されていたよりも遥かに少なく、それほど時間はかからずに都市の開放は一段落した。
アウラとイビルアイを伴って、兵士達に指示を出していたアインズの元にシャルティアが空を飛んで戻ってきた。その姿を見て、兵士や冒険者たちの間から「戦乙女が戻ってきた」「いや、あれこそ天使だろう」などという囁きが流れている。
シャルティアは軽やかにアインズの元に舞い降りると、アインズの前で跪いた。
「アインズ様、ご命令通り、ビーストマンは国境の向こうに全て追い払い、国境には見張り役のアンデッドを配置してまいりんした」
「ご苦労、シャルティア。よくやった」
「ははぁ! ありがたきお言葉でありんす」
シャルティアは頭を下げたままだったが、それでもこの上なく嬉しそうな様子なのは見ているものに伝わってくる。
「正直、シャルティアがまさかここまで、指揮官として働けるようになっていたとは思っていなかった。見違えたぞ。アウラもシャルティアの補佐、ご苦労だったな」
「ありがとうございます、アインズ様。でもシャルティアはシャルティアで、ほんとに頑張ってたんです。だからあたしはそれほど大したことはしてないですよ」
「そうか。それは何よりだ。イビルアイ、お前は大丈夫だったか? 初めてのパーティーだというのに、流石にタイミングの合わせ方が上手いな。やはり普段の訓練の賜物なんだろうが」
「いえ、私はお二人の足を引っ張らないようにするのが精一杯で……。でも、お褒めいただけて、その、嬉しいです」
「……実はあたし、イビルアイはもっと足手まといになるかと思ってたんだよね。でも、確かにイビルアイとは戦いやすいような気がしたよ。前に守護者皆で初めてやってみた時は結構散々だったし。うん、ちょっと見直したよ。いろんな意味でね」
そういうと、アウラは少しばかり真剣な顔つきでイビルアイを見ると、そっと側に近寄って静かな声で言った。
「イビルアイ、あんたはアインズ様が好きなんでしょ?」
「え? あの……そ、それは……」
「別に隠さなくていいよ、皆知ってるし。あのさ、あたしはまだ子どもだけど、それでもあたしにだって譲れない気持ちがある。あたしは、アインズ様が好き。多分もうずっと前から。だから、あたしはあんたをライバルだと思ってる。それを忘れないでよね」
「アウラ様……?」
突然のアウラからの宣言に一瞬イビルアイは動揺したが、それでも、非常に真摯なアウラの瞳と、自分を対等のライバルだと認めてくれたことが、なぜかイビルアイにはとても嬉しかった。
(これまで自分よりも強いと思ったものも、対等だと思ったものも殆どいなかった。だけど、これからは違うんだな……)
「わかった。私も、私だってこの気持は譲れないし譲る気もない。だから、いくらアウラ様にだって、簡単には負けないぞ」
「ふふ、そうこなくちゃね!」
アウラは朗らかに笑うと、イビルアイの肩を軽く叩くと、いつもの明るい雰囲気に戻った。
大仰に頭を下げたままのシャルティアに立ち上がるように命じ、アインズは周囲を取り巻くようにしている兵士達や冒険者達向かって厳かに口を開いた。
「これで竜王国はビーストマンの脅威から解放されたことを、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の名において、ここに宣言する」
それを聞いた者たちは、一様に喜びの叫びをあげ、自分たちの無事と竜王国の未来を讃えていたが、やがて、それは「魔導王陛下、万歳!」という歓呼の声に変わっていく。しかし、アインズはそれを押し止めるように手を上げた。
「いや、讃えられるべきなのは私ではない。この勝利は、ここにいる全員の、そしてこれまでこの戦いを続けてきた竜王国の国民達の、冒険者諸君の、そしてドラウディロン女王陛下の努力の賜物といえる。そして、救国の英雄は、生き残っている君たち全てなのだ。さぁ、王都に凱旋だ。女王陛下は朗報を首を長くして待っておられることだろう」
兵士達の歓声はアインズの言葉で更に大きくなる。この場に生き残れた兵も冒険者も数はそれほど多くはなかったが、それでも、全ての者が自分たちの勝利を実感し、そして、その勝利を与えてくれたのは目の前にいる魔導王であり、その側近である戦乙女達であることを理解していた。
「魔導王陛下万歳!」
「神の御使いに感謝を!」
歓声の中にその声が少しずつ混じり、やがてそれは、新しい神を称える声に変わっていく。
アインズは、歓声を前に堂々たる振る舞いで手を振り、兵たちに王都へ帰還するよう指示を出した。
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負傷者を載せた馬車を連ね、兵達が王都へ戻っていった後、残されたアインズ達もアウラが呼び寄せた魔獣に騎乗して王都に一旦帰還することにした。しかしアインズ達が騎乗しても、イビルアイは怯えたように魔獣を眺め、なかなか乗ろうとしない。
「なにそんな怯えてるのさ。あたしの魔獣ならおとなしいし、面倒見がいいから初心者でも落ちたりしないって」
「いや、でも、騎乗した経験がないんだ。アンデッドはどうしても動物に嫌がられて」
「しょうがないなぁ。じゃあ、あたしの後ろに乗りなよ」
アウラがイビルアイの腕を掴んで自分の後ろに引っ張り上げると、イビルアイもおとなしく後ろに乗り、ためらいがちにアウラの腰に手を回した。
「おや、アウラ、いつの間にイビルアイと仲良くなったんでありんすか?」
「仲良くっていうかー。アインズ様に面倒みろっていわれたでしょ! あんたもなんだからね!?」
「そうでありんした。そうそう。ちょっと気になっていたのだけど、イビルアイ、その仮面、ちょこっと取って顔を見せてほしいでありんす」
「え……? 悪いがあまり人に顔を見られるのに慣れてなくて……」
「いいから、ちょっとだけでありんすよ。どうせ、ここには他に誰もおりんせん。どのみち、ぬしは、もうナザリックの仲間なのでありんしょう? 先輩に顔くらい見せるのが礼儀でありんす」
微妙な微笑みを浮かべながら、魔獣をすぐ側までつけてきたシャルティアは、素早くイビルアイの仮面をひったくった。
「ふえっ!?」
「な、何をする! 返せ!」
シャルティアは、仮面の中から現れた少し頬を染めた赤い目の少女の顔を見て、おかしな声をあげると完全に動きがとまり、そのすきにイビルアイはシャルティアの手から仮面を取り戻して元通りに被った。
「もういいだろう!? 私の顔なんて見ても面白くもなんともないだろうが!」
仮面を片手で必死に抑えながら、イビルアイはアウラの背に身を隠すようにした。シャルティアは半分正気が飛んだような顔で何かをブツブツと呟いている。
「……いい……」
「シャルティア、あんた、大丈夫? おかしなことやってると落ちるよ?」
「……いいでありんす。すごく好みでありんす……」
シャルティアの周囲には妙にどす黒いオーラのようなものが見える。あきれたアウラが声をかけるが、シャルティアは異様な目つきでイビルアイをじっとりと見つめている。イビルアイは更にアウラを盾にするように、その後ろに縮こまった。
「アインズ様、シャルティアどうしましょう。様子がおかしいんですけど。ああ、様子がおかしいのはいつもか」
シャルティアとイビルアイの板挟みになって困り果てたアウラはアインズに助けを求めた。
アインズも不味いことになったと思いつつ対応を考える。だが、シャルティアがイビルアイに欲情しているのは明らかで、この手のことで暴走した場合、恐らくアインズでは止めきれないだろう。
(ペロロンチーノさん、ほんと、なんてことしてくれるんですか! 俺に一体どうしろと!)
アインズはシャルティアの様子を見て頭を抱えるが、かくあれ、と作られたシャルティアには罪はない……だろう。責めるべきは、創造主であるペロロンチーノとその性癖だ。それに、そんなシャルティアだって、ペロロンチーノからの大事な預かり物であることには変わりがない。
どう見てもドン引きしているイビルアイとアウラを前に、アインズは無い胃が痛むような気がした。
(やっぱり、イビルアイはペロロンチーノさんのどストライクだったか……。これはもう仕方がない。アウラはかなり面倒見がいいし、シャルティアもアウラの言う事ならおとなしく聞くみたいだし)
「アウラ、シャルティアは放っておけ。但し、イビルアイにおかしなことをするようだったら、悪いが止めてやってくれないか?」
「はぁ、仕方ないですね。わかりましたー」
アウラはことさら大きくため息をつくと、イビルアイに説明した。
「あのさ、イビルアイ。シャルティアは
「えっ、そ、そうなのか。そういう性癖というのがあるとは、聞いたことがあったんだが……」
「イビルアイ、シャルティアには私からも後で釘を刺しておくが、本人も条件反射のように行動してしまうところがあってな。ただ、シャルティアも悪気があるわけではないんだ。それはわかって欲しい」
「……わかりました。気をつけるようにします」
かなり戸惑った様子のイビルアイを見ながら、アインズは心から同情した。
「シャルティア、お前は先頭を走れ。アウラ、お前は私の後だ。それなら余計な問題は起こるまい。シャルティアは必要以上にイビルアイには近寄らないようにな」
「……かしこまりんした」
少しばかりしょげているシャルティアは可哀想ではあったが、好みとあらば見境なく手を出されるのもいただけない。
(ユリも結構迷惑してると言っていたしな……)
アインズは出ないため息をつくと、気を取り直した。
「さぁ、すっかり遅くなってしまった。我々も王都に凱旋だ。あまり遅くなると先方にも迷惑だろう。行くぞ!」
「はい!」
先頭を走るシャルティアは堂々と魔導国の国旗を掲げ、その後ろにアインズとアウラ、そして、その後ろからアンデッド兵団が続く。しばらく走ると、先行していた竜王国の兵士達の列に追いつき、王都まで凱旋する堂々たる魔導王の姿と、美貌の側近の姿は人々の目に強い印象を残した。
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竜王国の王都に凱旋を果たしたアインズは、ドラウディロン女王との会談もそこそこに逃げ出してきていた。
なにしろ今回のドラウディロン女王は、麗しい熟女の姿で胸も露わなロングドレスをまとって現れ、明らかにアインズを誘惑しようとする意図が見え見えだった。
確かに身だしなみを整えた女王はそれなりの美女だったし、豊満な胸……いや、魅力的な体つきではあったが、彼女の本性が竜であり、実際はかなりの年齢らしいということを考えると素直には喜べない。
おまけにその側に控えている、今回の竜王国の戦いでかなりの功労者であるというアダマンタイト級冒険者チームのリーダーが、かなり冷ややかな表情でアインズを睨みつけているし、アインズに同行している三人も、どことなくアインズを非難しているように感じられる。
アインズにはどうして皆がそのような態度を取るのかよくわからなかったが、何故か非常にいたたまれない気持ちに駆られたのだ。
しかも王都に入った途端、竜王国民の熱烈な歓迎を受けたまでは良かったが、時折「アインズ・ウール・ゴウン神王陛下、万歳!」という妙に聞き覚えのある文句が聞こえた。アウラとシャルティアは満更でもない顔をしていたが、仮面を被っているイビルアイがそれを聞いてどう思ったのかはわからない。一体誰がその名称を広めているのか疑問に思ったが、考えても思い当たることはなく、アインズはその疑問を放り投げた。
ドラウディロン女王はアインズと話をしたがっていたが、詳しい調整はいつものごとくアルベドとデミウルゴスに丸投げし、アウラから話を聞いたアンデッドの気配がするという場所に、シャルティアとアウラ、それにイビルアイを伴って向かっていた。
ドラウディロン女王の能力や知識にはもちろん興味はあるが、それは後からゆっくり聞けば良い。ともかく、今は面倒な外交問題には関わり合いたくなかった。
アウラの魔獣にそれぞれ騎乗し――シャルティアはイビルアイに一緒に乗ろうと誘ったが、イビルアイは断って再びアウラの後ろにしがみついている――竜王国周辺の山岳地帯を抜け、更にその奥へと向かう。
そこには人を寄せ付けない雰囲気の古い森が広がっているが、四人はその中を更に奥へと進んだ。
「アウラ、この辺の掌握は終わっているのだな?」
「もちろんです、アインズ様! もっとも、奥にいるアンデッドのせいか、生き物の類はほとんど見かけないんですけどね」
アウラのその言葉で、イビルアイの身体が一瞬びくりと動く。しかし、イビルアイは何も言わずにアウラの背中にしがみついている。
「どうしたの? イビルアイ。さっきからおとなしいじゃない?」
「……いや、なんでもない。ただ、目的地が私の思っている場所ではないことを祈っているだけだ……」
森に入ってからのイビルアイの様子は明らかに不自然で酷く何かに怯えているように見える。アインズは何となくイビルアイが怯えているものに興味を持った。
「ふむ、イビルアイ、もしかしてお前はこの先に何があるのか知っているんじゃないのか?」
イビルアイはしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。
「……アインズ様は『国墜し』の伝説をご存知ですか?」
「『国墜し』? 詳しくは知らないが、昔この世界にいた国一つを滅ぼしたとかいう強大な吸血鬼だったか」
「その通りです。私も昔のことで記憶が曖昧なのですが、もしそれがあっていれば……、この先にあるというアンデッドが大量に発生している場所は恐らく『国墜し』が滅ぼした国の跡地のはずなのです」
「なるほど、そういうことか。となると、まだその地にはその『国墜し』とやらがいるのか?」
「いえ……。いや、それとも、いると言うべきなのか? 少なくとも、今はいない、です」
「ん? イビルアイ、それどういう意味?」
流石におかしいと思ったのか、アウラがイビルアイに問いかけた。
「…………つまり、その『国墜し』というのは私だからです」
一瞬、三人の視線がイビルアイに集中した。イビルアイは顔を俯け、アウラの背に隠れるようにしていた。アインズにはイビルアイが酷く怯えているように見えたが、彼女は非常に重要なことを知っているのだということを直感的に感じた。そもそも最初は普通の人間だったらしいイビルアイが、なぜアンデッドになってしまったのか。
イビルアイが吸血姫になった理由がわかれば、この世界でのアンデッドの成り立ちに関する重要な情報をつかめるかもしれない。
「イビルアイ、どういうことなのか、話してくれないか? ここには我々しかいない。そして、話の内容が何であれ、お前を害したりはしないと約束しよう」
アインズはイビルアイに優しく話しかけ、少し逡巡したイビルアイもやがて、ぽつりぽつりと話しだした。
「二百年以上前の話だ。私は普通にあの国で暮らしていた。父も母も兄弟もいて、平穏な日常を送っていた。しかし、ある時突然、私は気づいてしまった。自分の中にいる不思議な存在に。きっかけはよくわからないが、かわいらしいウサギが家の近くにいるのを見つけて、それを欲しいと思ったことだったかもしれない」
イビルアイは一旦何かを思い出そうとするかのように黙ったが、すぐにまた口を開いた。
「それは、最初はほんの少しだけ、私の中で蠢いているだけだった。だけど、だんだん、それは自我を持ち始め、私の中にいるもう一人の私のような存在になっていった。そしてそれは次第に力を持ち始め、直接私に話しかけるようになった。その頃からだったと思う。時々、住んでいた家の近くに血を抜かれた小動物の死骸が転がっていることが増えた。母は気味悪がって神官に相談をした。神官は吸血鬼の仕業かもしれない、といって、母に吸血鬼避けの聖水を渡した。しかし、そんなものをあざ笑うかのように、死骸の数は増え続けた。そして、獲物は小動物から大きな動物に。そして、ついに……人間の死体までが……」
「ふむ、随分不思議な話だな。イビルアイ。良かったら全て話してくれないか? 私はお前の話にとても興味がある」
半分泣き声のようになったイビルアイは、アインズを見て軽く頷くと、話を続けた。
「私は知らなかったんだ。それをやっていたのが私自身だったなんて。おまけに、それが自分自身のタレントであるということも……。アイツは自分が実体化するための力を求めていた。力を得るにはたくさんの血が、生贄が必要だったんだ。だから、アイツは私が眠っている時に、私を操ってほんの少しずつ力を蓄えていった。しかしそれがバレるのは時間の問題だった。被害が人間に及び、国中が吸血鬼を捕まえようと躍起になっていた。そして、ある時見つかってしまったんだ。アイツに操られた私が、人間の血を吸っているのを……」
イビルアイは身体が酷く震え、いつの間にかアウラはイビルアイが落ちないように抱きかかえていた。
「その後はお決まりのコースだ。私は吸血鬼として捕縛され、処刑されることになった。実はあの時はまだ、私はただの人間だったのだが、彼らは全く聞く耳は持たなかった。そして、あの日……。私が殺されようとした時、私は恐怖のあまりアイツの言葉にそそのかされ、アイツを解放してしまったんだ! アイツはそれを待っていた。十分な力を溜め込んだアイツは、この国の生きとし生けるものの全ての精気を吸い取り、アンデッドに変えた。そして、そのとんでもない量の力が私自身に注ぎ込まれ、私は力の奔流に耐えきれずに気を喪った。――気がついたら、アイツは私自身を乗っ取り、私の身体は……完全な吸血姫に変化していた。周囲にあった建物は、恐らくアイツの力が暴走した時にだと思うが、ほぼ全て半壊していた。あの頃の私が見渡した限り、ずっと遠くの方まで。そして、辺りには生きている者は誰もいなかった。そう、皆……、アンデッドになってしまっていたんだ……」
そこまで話すとイビルアイは、とうとう堪えきれなくなったのか、アウラの胸にすがりついて泣き始めた。アウラは優しくイビルアイの背中を撫でていたが、少し困ったような顔をしてアインズの方を見た。アインズは頷くと、魔獣をアウラのすぐ側に回し、イビルアイを抱えあげると自分の前にのせた。
「なるほどな。イビルアイ、別に私はそのことでお前を責めようとは思わないから、心配する必要はない。つまり、それがお前のタレントで、そのタレントが暴走したということか?」
イビルアイはおとなしく頷いた。
(この世界のタレントというのは、単純な力とは限らないんだな。しかもイビルアイのケースというのは、かなりのレアか……)
アインズがイビルアイを抱えて軽く頭をなでてやると、イビルアイは少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。
「ふむ、今のイビルアイの話からしても、かなり興味深い場所のようだ。私としては是非行ってみたいところだが……」
「あたしは、当然お供しますよ!」
「わらわだって、アインズ様をお守りするためにも、一緒に行きたいでありんす!」
「はは、では、アウラ、シャルティア、二人には供を頼もう。イビルアイは……流石に、その場所を見たくはないだろう。アウラの魔獣と護衛のアンデッドを置いていくから、ここで待っていて構わないぞ?」
「……いえ、お願いします。連れて行ってください」
イビルアイは異様なほど必死で、アインズは少しばかり驚いた。
「私は……自分の犯した罪を、もう一人の自分をこれまで見ないようにしてきた。だけど、それじゃダメなんだとカッパラキア山の上で思ったんです。自分自身が新しい道を進んでいくためにも、自分自身を受け入れるためにも。罪を受け入れ、そして贖罪しなければと。あそこから見た風景は本当に素晴らしかった。だけど、今の私にはその素晴らしい世界を歩く資格なんてない。だから、私はここで自分がやってしまったことに決着をつけなければいけないのです」
(自分の犯した罪か……)
アインズはぼんやりと考える。この世界に来てから、自分はまるで虫を潰すような感覚で多くの人間を殺してきた。もはや自分には人間であった頃の感覚などほとんど残っていないし、人間にもその他の亜人たちにも、その辺にたむろするちっぽけな存在という以外の感情はない。
そんな程度の存在を殺すことでナザリックの利益になるなら、そして自分の愛する子どもたちを守るためなら、これからだって何の感慨もなく殺すだろう。
しかし、それは罪なのだろうか。
いつの日か、ギルドメンバーの誰かがこの世界に現れた時、今のアインズを見てどう思うのだろう。もう鈴木悟の残滓などほとんど残ってはいない。ここにいるのは、ギルドの名前を背負った「アインズ・ウール・ゴウン」という名の一人のアンデッドだけだ。
アインズは、シャルティアやアウラには聞こえないような囁き声でイビルアイに言った。
「イビルアイ、一つ聞いてもいいか?」
「なんでしょうか?」
「……お前はどうやって罪を贖うつもりなんだ?」
「贖うとはいいましたが、本当は贖えることだとは思ってません。でも、せめてもう一人の自分を封印し、自分が死の国に変えてしまった地を、再び生者が住める地に変えられたら……。私の中で何かが変わるかもしれない。もちろん、それで私の罪がそそがれるとは思いませんが」
「……なるほどな。イビルアイ、お前も知っていると思うが、私だって多くの人間や、人間以外の者を殺してきた。種族を問わずに暮らすことのできる理想郷を作るためという大義名分の元でな。全ての真実を知ったら、お前だって私を軽蔑するかもしれない。それに恐らくこれからもそういうことは続くだろう。現に私は今回も、ビーストマンを大勢殺している。お前から見たら、私は罪そのものなのではないか?」
「それは……」
イビルアイは口ごもった。
(そうだ。これまで、アインズ様はたくさんの生き物を殺して国を築かれてきた。一つの国をまるごとということはなかったかもしれないが。王国の死者の数だって相当だ。そして、これからもアインズ様がそういう理想を掲げて進まれるのであれば、待ち受けているのは血みどろの道なのだろう。しかし、話し合いや何かで全て解決できるなんて綺麗ごとだ。それに、殺し合いをしているのは違う種族だけじゃない。ただ思想が違うだけでも当たり前に殺し合いは起こっている。それが、この世界の現実だ……)
「やはり私が恐ろしいか? イビルアイ。それとも、私がしていることは間違っているのだろうか」
「アインズ様……?」
後ろから自分を支えてくれているアインズの手が何故か緊張しているようにイビルアイには感じられた。アインズの声は普段とあまり変わらなかったが、イビルアイは何故か、これはアインズにとって、とても重要な質問のように感じた。
少しだけイビルアイは考えると、自分の前に回されているアインズの骨の手を優しく撫でた。
「私は、前にも言いましたが、アインズ様が作ろうとしている国を見てみたい。私もこの身体になって、ずっと差別されて生きてきた。受け入れてくれた仲間達もいたが、今もまだ生きているのはほんの僅か。そして、彼らもじきに私を置いて死んでしまう。だからこそ、私は自分が安心して生きていける
そう言って、イビルアイはアインズの手を強く握った。次の瞬間、イビルアイの耳元で「ありがとう」というアインズの囁き声が聞こえ、イビルアイは思わず、自分の顔が真っ赤に染まるのを感じた。
五武蓮様、誤字報告ありがとうございました。
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アズスがローファンの弟子というのは捏造です。
アズスが持っているとされるユグドラ鎧の出処が不明なため、ローファンから貰ったことにしました。
鎧が聖遺物級とか、ローファンが元十三英雄というのも全部捏造です。